2024年4月25日木曜日

イスラムと Lévi-Strauss

中田考氏の「イスラームから見た西洋哲学」(河出新書)の備忘録、第8回目。いよいよ終盤である。本日はレヴィー=ストロースの話になる。中田考氏は構造主義を当時流行していたマルクスの唯物史観のような歴史主義や実存主義のアンチテーゼだとして論じている。20世紀中盤には、構造主義がマスクス主義の力を削ぎ、とどめを刺したというわけだ。たしかに、人文社会化学の潮流は、歴史分析から構造分析に変化したといってよい。

さて、このレヴィー=ストロース、イスラムが非常に嫌いだったらしい。ただし、非常に屈折した言い方をしていて、仏教、キリスト教、イスラム教を並べて、仏教を一番高く評価し、歴史的にキリスト教、イスラム教は劣化した、それもイスラムが立ちふさがったことでキリスト教が仏教に戻る可能性が断ち切られ、キリスト教がイスラム化したという言い方で批判している。これは、人類学者的な民族的視点であって、聖書学者や仏教学者もとんでもない理論だとしているそうだ。

ブッダは、ギリシアの哲学者たちと同類のアーリア系だが、(ローマ軍人との私生児説から見ると)イエスは、セム人(ユダヤ人:マリア)とアーリア人の混血、ムハンマドはセム人、アーリア的な仏教に回帰したほうが女性的で平和な世界、多文化を許容する世界ができたはずなのに、セム的なイスラムがヨーロッパとアジアの間に生まれたために現代社会は殺伐たるものになったと、レヴィー=ストロースは、アーリア民族主義者的な視点を「悲しき熱帯Ⅱ」の中で述べている。そもそも、レヴィー=ストロースはユダヤ系の人なのだが、かなり複雑な思いがあったのではないかと、中田考氏は述べている。もちろん、とんでもない理論として反論もなされていない。

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