2024年4月20日土曜日

イスラムとマルクス

中田考氏の「イスラームから見た西洋哲学」(河出新書)の書評というより備忘録、第4回目。西洋近代哲学から、中田氏が選んだのは、マルクス、フロイト、ニーチェである。中田考氏が近代哲学から、この3人を選んだのは、啓蒙主義以来の理性を信頼した哲学から、その裏に隠された人間を突き動かす真の動因を明かした故とある。マルクスは、資本主義社会の、フロイトは人間の、それぞれ無意識をあばいたし、ニーチェはニヒリズムでキリスト教を批判した。今回は、まずマルクスの哲学についてエントリーしたい。

マルクスがまず批判対象としたのは、ヘーゲル哲学である。ヘーゲルの「アジア的停滞」を歴史哲学からマルクスは継承している。(自由を実現する絶対精神は、オリエントの専制主義=たった1人が自由な社会から始まり、より多くの自由を実現していく。)マルクスは、唯物史観で唯物論に立脚し、ヘーゲルを超克しようとしているが、中田考から見れば、唯物論は、結局のところ唯心論に帰結する(=唯物だと人間の心が決め、感じているに過ぎない。)と一刀両断である。「共産党宣言」にしても「唯物史観」にしても、理論というよりも正義感・熱情によるものだとしている。マルクスの無神論も同様で、深い哲学的思考によるものではないと断じている。

ただ、歴史を直線的に見る「終末論」では繋がる。唯物論、無神論を唱えながらも、一神教のロジックを完全に踏襲している。もう一つ、マルクス経済学による「搾取」(=剰余価値説)は、イスラム経済の搾取禁止と繋がる。イスラムでは、商売は互いの相互満足による契約として認められているが、利子は認められていない。労働者の賃金も同様で、「ウジュラ」(賃料)は、物の使用料も人間の労働に対してもクルアーン第4章29節が適応される。新自由主義的な自由契約絶対主義ではない。労使の関係が対等ではなく不正な圧力があって、双方が納得できない場合、契約に満足できなかったとして、標準価格の賃金を求めて抗弁することが可能で、不正な契約は法律上取り消しすることもイスラム法上では可能である。最低賃金法的な機能を有しているわけだ。

ところで、イスラム諸国でも、マルクス主義が流行したことがある。エジプト、シリア、イラク、リビア、インドネシアなどでイスラムとマスクス主義の融合しようとしたが、これは植民地から独立し、帝国主義に対抗するための解放の議論として、経済だったらマルクス主義がいいのではという流行であったと中田考氏は考察している。

…なかなか示唆に富んだ内容だった。何より、マルクスの正義感・熱情がマルクス主義を生んだという箇所は、当時のイギリスの悲惨な状況から十分理解できる次第。

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