2024年4月22日月曜日

イスラムとニーチェ

中田考氏の「イスラームから見た西洋哲学」(河出新書)の備忘録、第6回目。ニヒリズムのニーチェである。ニーチェといれば「ツァラトゥストラはかく語りき」であるが、このツァラトゥストラは、イスラムでも預言者に入れいているゾロアスターのことである。よってニーチェは、非西洋的なものを肯定的に捉えていたといる。キリスト教批判を通じてニヒリズムと対決したが、イスラムを批判していないと中田考氏は好意的である。

さて、このニヒリズムは、宗教や全ての価値観の否定に繋がる、と中田考氏は懸念しており、新自由主義に回収されつつある自己責任論が強まり、金を稼げない人間は生きる価値がないように思われ、AIの進歩は科学的・合理的に決定されるべきだという風潮になり、やがて人間とくに老人は不要になり、子供さえ負担であるというといった流れが想起されると記されている。ニーチェは、死に際して、今後2世紀はニヒリズムの世紀になると予言しており、中田考氏はこの流れを堰き止めるのはイスラムだと確信している。

さて、ニーチェとくれば、ルサンチマンである。キリスト教は、怨念、恨み、弱者の宗教であるとニーチェは批判する。また、今のキリスト教はパウロ教であるとも指摘しており、現在の聖書学の常識の先駆者でもる。新約聖書は、使徒行伝のほうが福音書より早く書かれており、パウロの弟子であるルカ文書がその中心を成している。パウロはまぎれもなく元パリサイ派のユダヤ人であるが、面白いことが記してあった。ユダヤ人というのは、母系制(母親がユダヤ人ならその子はユダヤ人)であるが、これは、アブラハムの長男・イシュマエル(アラブ人の祖とされる)の母親はエジプト人なのに対して、次男のイサク(ユダヤ人の祖)の母親はサラなので、アブラハムの血統は母系となったという論があるらしい。ユダヤ人が作り上げた母系制話だというわけだ。(人類学者エドモンド・リーチの「神話としての創世記」)イエスの父親はローマ人兵士だという説があり、ユダヤ人ではないという説さえあるようで、ニーチェは「アンチ・キリスト」の中で、「キリスト教徒は1人しかおらず、その1人は十字架で死んだ。」という有名な言葉を残している。

ユダヤ人は国を失い迫害を受け、力がなくて、だがその事が善であるという逆転した考えを持っていた。迫害されている人間が正義であるというルサンチマンの教え(=道徳)を広めていった。この弱者の論理をニーチェは指摘し、キリスト教も、ローマの下層階級に広まったとされる。ギリシアを中心とした古典学者だったニーチェは、「良い」というのは、本来劣ったものに対する貴族の自己肯定を表す言葉で、身分的な意味での「貴族」「高貴」が基本概念で、そこから派生した卓越性が「良い」だとしている。このユダヤ・キリスト教のルサンチマンは、これを見事に逆転させたわけだ。

イスラムは、ムハンマドが自分を迫害した多神教徒に勝った征服者であり、ルサンチマンの宗教ではない。強いものは強く、弱いものは弱いなりに自分の力に応じて義務を負う、そして人間の力というのは、人間自身の力ではなく、神に従って正しく生きるための神から授かったものであり、力と責任とは論理的に対になっている概念である。この考えを、中田考氏は、高校時代にニーチェに学び、イスラムの教えを素直に受け入れることができたとカミングアウトしている。イスラムこそ、ニヒリズムを超克できる唯一の道として、この項を結んでいる。

…イスラムとニーチェ。思いもかけないような繋がり。興味深く読ませてもらった次第。

0 件のコメント:

コメントを投稿