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2024年4月5日金曜日

H高校OBから嬉しいメール

https://guide.e-ohaka.com/column/asia/buddha_park/
朝、Gメールを確認していると、H高校のOBからメールが入っていた。学生時代にマレーシアに遊びに来てくれたF君である。商社に入って5年間勤めて、1月から海外を放浪しているとのこと。沢木耕太郎ばりの話である。会社では、総務の仕事をして、さらにタイでの新会社設立というプロジェクトにも企画で参加し、四苦八苦したと記されていた。

H高校では、文化祭のミュージカルの責任者として頑張ってくれていたF君。あの時は、好意と友情でサポートしてくれる同輩に囲まれていたが、ビジネス社会で失敗が許されない厳しい現場だっただろう。やはり、学業も大切だが、イベントで人を育てることの重要性を今更ながら感じる。

今はラオスにいるそうだ。彼には東南アジアが似合うようである。返信には、これから国際情勢がどう動くか微妙な時期なので、十分に気をつけるよう伝えておいた。まあ、東南アジア諸国なら、比較的安全だと思う。西に向かうとあったので、ちょっと心配である。なぜなら…。

在シリアのイランの領事館をイスラエルが爆撃し、革命防衛軍の指導者が亡くなった。イランはこれに報復するとの報道が流れているからだ。これはかなり信憑性がある。ブラックスワン(従来の知識や経験から予測できない極端な事象が発生し、多くの人々に多大な影響を与えること。)が、いよいよ現実になるかもしれないからである。

https://www.youtube.com/watch?v=2s6AaAUkwVE

https://guide.e-ohaka.com/column/asia/buddha_park/
8日には、北アメリカ(特にテキサス州からNY州北部あたり)で皆既日食があるらしい。州兵が動員され警戒にあたるという情報もあって、すわ国家総動員法のリハーサルか?との疑念もあるほどだ。

本日の画像は、ラオスを検索して見つけた「ブッダパーク」2枚目の画像は、日食月食を司る魔神ラーフ。たまたまだが、ブログの内容と辻褄が合うので追加掲載した次第。

F君、くれぐれも気をつけて。観光もいいが、是非各地で「人間」を見てきて欲しい。

2019年11月23日土曜日

教え子が三崎まで来てくれた

11月6日にエントリーしたH高校で3年間担任したM君が、同じ野球部のM君と共に大阪から車で三崎まできてくれた。いやあ、実に嬉しい。この二人は、私がマレーシアに旅立つときに関空まで見送りに来てくれた六人のうちの二人である。同じ大阪の大学を卒業し社会人となり、かたや中学校の数学教師、かたや通関関係の会社に勤めている。2人とも周囲に可愛がってもらえているようだし、仕事の面白さも十分感じているようだ。さらに好青年に成長していた。
せっかくなので、佐田岬灯台まで行ってきた。夕陽に合わせて私の家を出発。夕陽に間に合ったし、駐車場まで帰って来た時ほぼ陽が沈んだ。ちょうどいいタイミングだった。若い二人は野球部で鍛えているが、私はかなり息切れした。(笑)

灯台から帰宅後、近くのレストラン・M亭で妻も交えて食事をした。この時、関空の見送りの話になった。私の出発の時間など分からないはずなので、どうして見つけたの?と妻が聞くと、深夜に出発し、早朝のマクドナルドで高校時代の写真を構成して貼ったパネルを制作し、その後、六人で手分けして私を探して、見つかった時点で携帯で連絡し、現場に集合したのだとか。まるでTVのバラエティ番組のような話である。(この件に関しては、2016年4月16日付のブログ、「関空で。感激と不覚」を参照。)そこまでしてくれたとは…。本当にありがたく、改めて胸がいっぱいになった。

大阪と三崎の車での日帰り往復で来てくれた二人に改めて感謝である。幸せな時間をありがとう。教師にとって、教え子は「夢」であり「財産」であるとつくづく思う。

2019年11月6日水曜日

教え子からの嬉しいメール

3年4組懐かしい写真
H高校で担任した生徒たちも、大学を出て社会人1年生である。今日、3年間ずっと担任したM君から突然メールが来た。現在、地元の中学校で数学の常勤講師として働いているとのこと。
彼は自分の進路を、数学教師と決めて進学した。野球部でピッチャーだった彼は、監督の言によると球が素直すぎるとのことで、3番手の控え投手だった。この言がまさに彼を象徴している。在学中は私の胸中をよくわかって行動してくれた逸材だ。マレーシアに出発する時も、関空に見送りに来てくれた一人だ。

そのM君が、常勤講師という立場とはいえ、自らの「志」を曲げず、今頑張っていることに胸が熱くなる。いずれ正教員となって、思い切り野球部の指導をすることになるだろうと思う。きっと、いい人材を育てることができると思うのだ。私の胸中を慮ったように、M君の胸中を分かってくれる生徒に恵まれるはずだ。まさに人づくりは、そういう因果応報なのだと思う。自分の苦労した経験が人の苦労を知ることになる。
メールの返信には、「もう車の運転もできますし酒も飲めますので、愛媛に会いに行きますね。」とあった。そうなのだ。私にとっては丸坊主の野球部のイメージが残っているが、もうりっぱな大人である。彼の成長した姿を是非見てみたい。いっぱい話したいことがあるそうだ。
…私もである。

2015年3月26日木曜日

卒業生からのメールへの返事

http://chema2sa.blog.fc2.com/blog-entry-632.html
校内の人事もほぼ固まった。来年度、私は人権主担となった。所属は教務部である。3年間連続で担任をしたら、担任を忌避してよいという校内のルールもあるが、同じ年齢の学校長には4組を越えるクラスをもう作れない。最後にしたいという我儘を通させていただいたわけだ。しかしながら、さすがに人権主担を断ることはできなかった。ところで、後で知ったのだが人権主担は、校内の主任の先生方が協議する会議にも出席が義務付けられている。今日は、その会議に出た後、新1年生の教科書や制服購入などの準備・手伝いをしたり、新年度の時間割の準備をしたりしていたわけだ。まあ、雑務の嵐である。(笑)実は、私は案外、こういう雑務、嫌いではない。いくら歳を重ねても、傲慢になってはいけない。やれることを地道にやっていくことが大切だと思っている。

ところで、時間割作成の準備を面談室でしていると、メールが入った。先日卒業したS君からである。「この四年間教師になるために読んでおくべき本ありますか?」という内容だ。うーん。ちょうど、理科の若手のI先生が新学年の情報を伝えに来ていてたので、相談してみた。「このメールに、どう答える?」少し考えたI先生は、「沢木…」とつぶやいた。「そうやな、沢木耕太郎、深夜特急。」「ですねよ~。」と見事に意見が一致したのだ。

教師になるなら、まず世界を見て欲しい。大学時代にどこでもいい、貧乏旅行に出るべきだ。深夜特急は、まさにそのバイブルである。たしかに内容は、最初はマカオで博打に熱中するし、今は全く行けないアフガンのカブールにも行く。もう時代が違うかも知れない。だが、これを読めば、気分はバックパッカー、猛烈に世界に出たくなるのだ。

多感な時代に世界を見ておくことは、このグローバルな時代に、最も必要なことだと思う。そのためのバイブル、深夜特急。メールの回答としては悪くないと思う。

2015年3月19日木曜日

日経 アフリカの税関人材指導

南アとジンバブエの国境 en:Beitbridge
日経の朝刊に「途上国税関の人材指導」という小さな記事が載っていた。JICAとWCD(世界税関機構)が連携しつつ、途上国、特にアフリカの関税の改革に乗り出すらしい。まず、3月末からボツワナの歳入庁に財務省関税局の専門家を2年間派遣、ナミビアとの国境を中心に、現地担当者向けの研修や通関手続きの指導改善を行うとのこと。以後、ケニアなど東アフリカ地域、さらに西アフリカ地域でも同様の協力を進める方針だという。先年のTICADⅤで、1000人の貿易投資に関する行政官育成という目標の一環らしい。

…たしかにアフリカの国境通過は時間がかかる。私は、夜行バスで南アからジンバブエに抜けたことがあるが、国境に着いたのは夜中の2時くらいだったと思う。すごい数のトラックが国境に並んでいた。我々の夜行バスは比較的スムーズに国境を越えたと思う。(南アの)グレイハウンド社のバスだったからだろう。料金も高いし(と、いっても6000円ほどだった。)、乗客も裕福そうなビジネスマンが多かった。イミグレも優先的に対応してくれたし、ジンバブエのビザもここで簡単に取れた。荷物検査も簡単だった。と、いっても一度バスの外に出して、通関の係に申請するのだが…。私などは外国人だし、パスポートを見ただけで、バックパックを開けられることもなかった。しかも、ショナ人のおばさん(南アとジンバブエを行き来して商売しているらしい。)の荷物まで、「私のだ。」と言っても簡単にパスした。(ショナ人のおばさんは大喜びだった。)まあ、かなりいいかげんである。今から思うと、ショナ人のおばさんは、わざと通関手続きが早いグレイハウンドを使っているのかもしれない。安そうな現地人ばかりの夜行バスでは、バスの上に莫大に積まれた荷物を全部下ろして、かなりの時間がかかりそうだった。凄かったのは、トラックの運転手なのか、旅行者なのか、多くの現地人が野宿していることだった。さらにバスの中に、赤ん坊を背負った女性の乞食が、歌を歌いながら入ってきたことにもびっくりした。運転手に放りだされたけど。

とにかく、南アとジンバブエの深夜の国境は、雑然としたアフリカの匂いを思い切り感じれたところだった。結局国境を越えるのに2時間近くはかかったような記憶がある。極めて刺激的な経験だった。ジンバブエに入ると、一気に道路の舗装が、コンクリリートからアスファルトに変わった。夜が明け、バオバブの木が朝日に光っていた。途上国を旅する教え子には、是非陸路国境を越える経験をして欲しいと思う。

一人旅の経験としては、旅情が豊かな国境だが、経済的なことを考えると改善の余地は大きいと思う。こういうソフト面の協力を日本が進めることは、大いに価値があると思うのだ。

ところで、今日、3年4組のメンバーで唯一進路が確定していなかったI君の短大合格が決まった。これで、ホント何も思い残すことがない。いやあ、よかった。よかった。

2015年3月1日日曜日

最高の卒業式だったのだ。

最後の記念撮影 (保護者の方にマイカメラを託させていただき撮影)
今日は、3月1日。日曜日だが例年どおり、本校では卒業式が行われた。残念ながら雨である。SHRに行くと、生徒は、予行の日に配布した卒業アルバムを持ってきていて、友人へのコメントを書き入れるのに余念がない。(笑)ところで予行の日、精勤賞(3年間3日以内の欠席・遅刻・早退の生徒を精勤と呼ぶ)が、数が多いので既に下級生参列のもと表彰されたのだ。その賞状は私が手渡すはずだったのだが、賞状を受け取った代表生徒がクラスに持ってきてくれたものを、気をきかした生徒がみんなに配った後だったのだ。で、本番では、卒業証書・皆勤賞は私が渡すと釘をさしておかなければならなかった。(笑)我が4組は、このようにガンガン生徒が気をきかして動いてくれる。精勤賞事件は、叱るというより褒めてもいい話だと思った次第。

卒業式は、厳粛に行われた。4組の入退場も、クラス代表Tやんのの卒業証書をいただく仕草も文句のつけようがないほど素晴らしいものだった。

さて最後のSHRである。朝の言葉がきいたのか、饅頭や証書入れ、花束や卒業文集(2月19日付ブログ参照)までが教卓の上にある。(笑)これは配ってくれてよかったのやが…。の一言で、一気に配布が進む。さて、クラス代表に声をかけて起立・礼。一気にクラスが締まる。まずは、副担任のY先生に言葉をいただく。ちょうど、その後、VTR(2月12日付ブログ参照)を見終えた保護者の方々が教室に入って来られた。

で、私の最後の話なのだが、もう何も言うことはない。ずっと何を言おうかと考え続けたのだが、これだけのクラスを作れたのだがから、あえてやめることにしたのだ。
反対に2つだけ私の希望を生徒に叶えてもらった。一つは、WICKEDで皆が歌った「エメラルドシティー」をもう一度聞きたかったのだ。卒業文集にはシナリオがあり、そこに歌詞も載っている。大いに戸惑ったようだった(その理由は後でわかった。)が、見事に歌い上げてくれた。ありがとう。素晴らしいものだった。
そして、もう一つは、クラスの最初の日に契をかわした男子4人(昨年4月9日付ブログ参照)に、我がクラスのシンボルである黒板の上の「責任ある行動」の紙を肩車して外してもらった。さらに「勝ちて和す・和して勝つ」の2枚の紙(昨年9月11日付ブログ参照)を団長のA君とプロデューサーのM君に外してもらった。これで、生徒自身の手による4組の解散の儀式は終わりだ。

ここからがサプライズである。生徒から保護者の側(教室後方)に行って欲しいと言われた。そこで何が起こるのかと思ったら、「旅立ちの日に」という曲を男女の二部合唱で歌ってくれたのだった。(だから、エメラルドシティを歌ってもらったことにみんな動揺したのだ。)見事な二部合唱であった。簡単にできる感じではない。後で聞くと、テニスコート(第二体育館の屋上にあるのでかなり遠い。しかも2月初旬で凍えるような寒さの中であったと思う。)まで行って、学年末試験の放課後密かに練習してくれたのだという。…私のためにである。心から感動した。号泣してしまった。
男女二部合唱で「旅立ちの日に」を歌ってくれた (Y先生撮影)
私はイベントで人を育ててきた。その理想の集約がここにある。今まで、卒業に際して何度もいい思いをさせてもらった。手の込んだ色紙やアルバムを何度ももらったが、最後に生徒の独力によるイベントで返してもらったのは初めてである。こんな嬉しいことがあるだろうか。

最後に、皆の1年間の写真とメッセージを入れたDVDと、その時に使ったA4サイズの私へのアピールをまとめたものを貰った。副担任のY先生も感謝のアルバムを貰った。4月から中学で教鞭をとるY先生にとっても、素晴らしい体験になったと思う。

理想に生きることをやめた時青春は終わる。これが私の座右の銘であるが、イベントで人づくりをするという私の理想は完成した。少なくとも担任としての教師生活はこれで完結してもいい、と心底思ったのだ。

4組の生徒諸君、ほんとうにありがとう。私はここまで育ってくれた君たちを誇りに思う。最高の卒業式だった。

2015年2月25日水曜日

礼服と万年筆とSpeak up

アマゾンでキャンセルした万年筆
いよいよ卒業式が近づいてきた。入試の仕事の合間に、皆勤賞や精勤賞の賞状を用意したり、教室を見に行ったり、通知表を印刷したりと、最後のクラスの仕事もしている。

先日、ふと、礼服が気になった。妻に用意してもらって着てみると全然上下とも入らない。こんなに太ったのかと衝撃を受けた。妻も「貸衣装にせなあかんなあ。だいたい太りすぎなんや。」とボロクソである。ふと、妻が白ネクタイがないことに気づいた。「あ、これ息子のや。」…息子は痩せている。入るわけない。あらためて、礼服が出てきた。うん、ばっちりである。ちょっとキツめだが…。

ところで、卒業証書を渡しながら一人ひとりに、コメントしようと思ったのだが、莫大な時間がかかってしまいそうだし、通知表にコメントを書く事にした。通常、ボールペンを私は使っているのだが、特別なコメントだし、是非とも万年筆を使いたいと思った。それで、アマゾンで先日注文したのだが、間に合わないのでキャンセルしてしまった。結局、今日京橋まで出て購入したのだった。万年筆を使うのは中学以来だから、えーと何年ぶりなのだろう。(笑)

通知表のコメントの際、ある生徒に使いたいコトバがある。先日日経の「私の履歴書」で日揮の重久さんが書いていた”Speak Up”である。これは、重久さんによると独自の語彙(英語の先生と後で調べたらジーニアスには載っていた。)で、積極的に外国人に話しかける、という意味である。楽天的に、どんどん話していくことで、会話力は磨かれる。その自信がきっとその生徒をさらに成長させていくことになるだろうと思うのだ。

2015年2月19日木曜日

卒業文集を完成させる。

昨日の朝イチバンに、卒業文集を完成させた。学年末考査の最終日の放課後に製本作業を5人の生徒に手伝ってもらった42冊を、会議室でこっそりと製本テープで仕上げていたのだ。最近はA4版専用の製本テープがある。アマゾンで見つけたのだが、便利である。ただ、製本がまずいと若干見た目が悪い。まあまあいい出来だと自画自賛。出来上がりをじっくり見てみた。誤字脱字はあるものの、それも味だと思う。(笑)

今回の卒業文集、正確には卒業文集ではない。あくまでもWICKEDの本番直後のみんなの思いである。左の表紙からみんなの文章が、右の表紙からシナリオが綴じてある。だから、私の文章である編集後記は真ん中にある。(笑)

目次は、最後の座席表に各人のページ数を入れた。わかりにくくしたのは、出来れば最初から読んで欲しいという私の編集意図からである。ちょうど男子と女子の比率が2対3なので、男子2人の文章の後、女子3人の文章が続く。長い文章もあれば短い文章もある。アンケートで書いてもらった、その生徒をイメージするような文章を入れて、最後の最後に氏名という編集だ。

アンケート内容は、例えば、私は将来必ず(     )。私がこの3年間で最も誇れるのは(    )。私は(     )がやめられない。など15項目から1人1文を選んだ。なかなか個性的で面白い。

これまで、私は商業高校で2回、工業高校で2回、前任校で1回卒業生を出したが、前任校では受験でそれどころではなかったので仕方がないが、こういうふうに卒業文集を作ってきた。これで最後かなと思うとちょっと寂しい。(笑)

2015年2月17日火曜日

ナンバーリングと跳び箱

今日は、入試の受付をしながら、空いている時間に卒業証書を完成させるという仕事をしていた。学校によって、卒業証書も様々である。驚いたことに、本校では、ナンバーリングをするのだった。ナンバーリングとは、今日の画像にあるような文具を使って、上から押していくと順番にナンバーが打たれていくというものだ。実は、私は印鑑やハンコ類をきれいに押すことが苦手だ。美術的なことは大の得意なのに、こういう作業は妙に緊張して失敗する。斜めになったり、かすれたり…。

何回か練習したのだが、どうもうまくいかない。で、結局私だけやめたのだ。手書きで卒業証書のナンバーを書く事にした。と、いうわけで4組だけ、手書きになってしまった。見た目はナンバーリングしたものより手間がかかったし、見た目もいいと思うが、ちょっとくやしい。

思わず、小学校時代の跳び箱を思い出した。そもそも体育は得意ではないが、跳び箱だけは、何度やってもうまく跳べなかった。毎回、跳ぶ寸前で躊躇してしまうのだ。他の運動は、ヘタなりになんとかなるのだが、跳び箱だけは例外だ。このナンバーリングも全く同様。人間、なにかしらのコンプレックスがあるものだが、私の場合、これにクロールが泳げないこと(平泳ぎや背泳はできる)を入れて三大コンプレックスといえると思う。(笑)

…4組のみんな、すまんなあ。

2015年2月12日木曜日

卒業式にむけてVTR制作終了。

4組のWICKEDのDVDからセレクトした画像の1つ。
ついに、VTRが完成した。朝イチでS先生に、昨日セレクトした舞台発表の画像を渡した。各クラス10枚ずつ、時系列にしたがって80枚保存してある。「ちょっと多いですかねえ。」「…だね。」というわけで、各クラス7枚に減らす。これがまた難しい選択である。クラスによっては、名場面が多いのだ。うーんと唸りながら、選択する。

実は今日は、ここからが長かった。S先生は、これに音楽を挿入してから、クラスとタイトルを挿入し、クラスごとに画像がめくれる様な感じに仕上げていく。「凝ってしまいますねえ。」とS先生。そうなのだ。キリがない。(笑)

DVDに保存し、講堂の機材で実際に映るか確認が必要である。ところが、1枚目のDVDは失敗した。DVDプレーヤーでもウンともスンとも映らない。もう一度焼き直し。今度はうまくいった。そして6限目、講堂の機材による実験も無事成功したのだった。

「やっぱり生徒に見せたいですねえ。」とS先生。私もそう思うが、実際のところ卒業式予行のあとは職員会議や入試事務もあるので、時間的に極めて厳しそうだ。

2015年2月11日水曜日

日本百名山ひと筆書き

卒業式のVTRのために、ひたすらDVDから画像を取っていたら、妻が横でTVを見て「槍や、槍。」とか、「綺麗なあ。」とか騒いでいる。何かと見てみると、NHKで、山登りの番組をしていたのだ。「日本名山ひと筆書き=グレイトトラバース」という番組らしい。仕事がひと段落したので、TVを見た。私が見だしたのは、北海道に入ってからだ。

7ヶ月にもおよぶ人力だけの旅。屋久島から始まって、海はカヤックで渡り、山から山までは徒歩という、途方もない旅だった。BSで、ずっと放送して、これは総集編らしい。我が家ではBSをほとんど見ないので全く知らなかった。

北海道最後の利尻富士に挑む姿は実に感動的だった。カヤックで利尻島に向かう。悪天候の隙をついての命懸けの航海である。二度も転覆し、見ていたこちらにも力が入る。途中から見たのに、利尻を制したときは、私も大いに感激した。

ところで、私が感じ入ったのは、田中さんが疲労で足を痛めて6日間の絶対安静を、実家の富良野で言い渡された時の話だ。冬が迫ってきている。結局きっちり6日間安静して旅立つ。焦って安静日数を減らしていたらどうだったか?また利尻島に向かう際、天候の予測を信じてカヤックを出すわけだが、なんとかたどり着く。もし躊躇していたら、どうなっていただろう。

人生は、まさにそういう決断を迫られることの連続である。

ふと、今年の3年4組を振り返ると、2度大きな決断を迫られたことがあったなあと思うのだ。一つはCMの件で担当のI君をSHR後、叱った時。(昨年のブログのWICKEDエントリー「佳境」と「前三後一」の間にあたる。)クラス代表のT君は「先生、みんなの前で叱らないでください。雰囲気が悪くなります。」と抗議してきた。団長のA君は「できれば、俺に相談してもらえればよかったです。俺がなんとかします。」と抗議してきた。2人の反応は当然。それでいい。だが、あえて皆の前で叱る必要があったのだ。もうひとつは、先日(昨年12月17日)エントリーした欠席と遅刻が累積した時である。…担任もまた、そういう決断に迫られることの連続である。そんな事をTVを見て思い出したのだった。

2015年2月10日火曜日

卒業式にむけてVTR制作中。

各クラスのメモリアルDVD
今年の授業は3年生ばかりだったので、全く授業がない日が2日続いている。何をしていたのかというと、卒業式で生徒と担任が退場した後、保護者の皆さんに見ていただくビデオを制作していたのだ。予餞会の時に、テニス部が作ってくれたのだが、いかんせん短すぎるので、担任団で作ることにしたのである。と、いっても、私と臨席のS先生の2人でコツコツやっているのだが…。

これまで私が撮った膨大な写真を中心に、テニス部が集めてくれた部活の集合写真や共同のPCに残されていた写真などを集めて、時系列に合わせて私がセレクトした。これにS先生の趣味で、音楽を入れながら構成していくという感じだ。一応15分間が目途である。

たった2日で、ほぼ完成した。最後に文化祭の舞台のビデオを挿入しようとしたら、トラブルが起こった。仕方がないので、これもDVDから数枚の写真に落とすことにした。これは、祝日の明日中に、私が担当して、おそらく木曜日には完成すると思う。

おかげで、私は8クラスのメモリアルDVD(各クラスの全員に自クラスのものを配布済みである。文化祭・体育祭・団のCMなどが入っている。)をいやというほど見るハメになったのだ。(笑)

2015年1月30日金曜日

イチローのコトバに共感

イチローが、マイアミのマーリンズに行くことになった。どこであれ、またイチローの雄姿が見れることに私は大きな喜びを感じている。昨日、東京で入団会見が行われた。TVで見たイチローは、ファンにメッセージをと言われて、少し考えた後、「新しい場所に行って、新しいユニフォームを着てプレーすること決まりましたが、これからも応援よろしくおねがいします…とは僕は絶対言いません。応援していただけるような選手であるために、自分がやらなくてはならないことを続けていく、ということをお約束して、それをメッセージとさせていただいていいでしょうか。」とのべた。

そうなのだ。それでこそプロである。

よく、定期考査の際、授業の感想を最後に書かせる先生がいる。だいたい生徒は、そこで先生にお礼を述べたり、称えることが多い。なにかそれを強要しているようで私は大嫌いだ。だから3年生の学年末考査でかす論文試験でも、そういうことは一切書くことを禁じている。

教師は批判を受け入れることは極めて重要だ。だが、礼讃されることを欲することは堕落である。私はそう思っている。信頼される行動をとることはあたりまえ。礼賛されることは全く必要ない。

だからこそ、イチローのファンへのコトバ、実にすがすがしく感じ、私は共感するのである。

ところで、今日3年生の授業がすべて終了した。今年も、お世話になった先生方に礼をつくして最後の挨拶を行うことを、クラスのリーダーたちに含ませておいた。これは巧言令色ではなく、人としての道だ。あたりまえのことだと思っている。今や、4組では、それをちゃんとやったかなどと確認する必要もない。

いよいよ来週から学年末考査である。教室の清掃をするのに、金曜日の掃除当番だけでは無理がある。みんなで協力してよろしくたのむ、との一言で、クラス代表や団長や、多くのメンバーが手伝って、試験を受ける空間を創造してくれた。こういう行動こそ、彼らからのメッセージである。私は、それが何よりもうれしい。

2015年1月28日水曜日

4組、最後のLHRを楽しむ。

来週から学年末考査である。今日を入れて授業は3日間となった。そろそろ最後の授業だという教科もあり、生徒もちょっと感傷的である。正規のLHRも今日が最後だ。一応学年末考査に向けて自習という日程だが、私は生徒に任せている。本当はテニス場でテニス大会をしたかったらしいが、体育科からNOと言われてしまった。本校のテニス場は第二体育館の屋上にある。へたくそがやると、民家にボールが飛んでいくこともあるそうで、LHRでの使用は認められなかった。もっと早くアポをとればいいのにと思うのだが、昨日は私が所用で初めて有給休暇をとったので不在だった。私の責任でもある。とりあえずプランBを考えなければならない。

結局、椅子取りゲームやフルーツバスケットをやることになったらしい。昨年の2年5組も最後にこれをやった。かなり盛り上がったのだが、3年4組ではどうだろうか、と思っていたが、おとなしい女子生徒にも男子がウィットにとんだ野次をとばしたりして、クラス代表を中心に見事な盛り上がりを見せていたのだ。

結局、いろいろあったけれど最後のLHRを生徒は、自分たちの力で大いに楽しんでいた。遠心力による指導も、ある意味なかなか大変だが、これでいいのだと思う。

2015年1月22日木曜日

卒業文集作成 ワード大会

卒業文集をつくることは、例の文化祭で優勝できなかった日(昨年9月20日付ブログ参照)に決断した。熱い思いのままに書いた生徒の文章をシナリオとともに残しておこうと思ったのだ。だから、すでに生徒の文章は集まっている。最大の問題は、手書きの文章をWORD化することである。昔、工業高校時代は、全て自分で打って編集したこともある。実は私はこういう文章を書いたり、編集したりすることは大好きなので一向に苦にならない。

予餞会が終わり、学年末考査一週間前に突入する前の2日間、すなわち今日・明日が、WORD化する絶好の日程である。年明けから、この日の放課後、情報処理の教室でWORD化させてもらうことを担当のM先生にお願いしてあった。生徒へのアナウンスも早めにしてあった。このWORD大会、参加自由である。私は、こういうことを強制するのは嫌いだ。やれる者がやればいい。そう思っている。

今日放課後に残ってくれたのは、20人ほど。つまりクラスの半数である。自分の文章を入力して帰る者もいれば、次々と友人の分を入力する者もいる。面白いことに気付いた。昨日予餞会で、ダンスを踊っていないメンバーが多いのだ。彼らは、それなりにクラスに貢献することを、「責任ある行動」だと判断したのだろう。うれしいではないか。まさに、「全員で取り組んだWICKEDの4組」は死なず、である。

本校のネットワークの共通ファイルの中にM先生が作っていただいた3年4組ONLYのフォルダがあり、そこに保存されたWORD文書は、29人分。今日一日で約3/4が、WORD化されたわけだ。明日も大会を開催するが、残った分は私自身がやるつもりである。(もう、十分なくらいだが…。)というわけで、今日も担任としてはハッピーだったわけだ。

追記:2月23日 今日の大会第二日目も多くの生徒が参加してくれて、ほぼWORD化が終了した。

2015年1月21日水曜日

予餞会なのだ。

本校では、3年生は生徒自身の手で最後のイベント・予餞会を行うのが伝統になっている。昨年はいろいろあったようで行われなかったが、我が学年としてはこれを復活させたわけだ。8分間のリミットで、クラスごとに出し物をだし、3分間の幕間も担当する。

昨年から我が4組でも、どんな出し物をするか喧々諤々だったが、結局ダンスをすることになった。担任としての指導は「楽しむように。」…これだけ。まさに遠心力である。一応、男子はエグザエル、女子は「ちびまる子」と決まったようだ。昼休みや早朝、放課後に、練習をしていたようだ。中でも、男子にダンスを伝授していたダンス部の女子は大変だったようだ。ダンスが苦手な者もいるので、全員参加ではなかったが、なかなかいい出来だった。男子は激しい動きに練習の成果を見たし、女子は自分の娘たちが踊っているような感覚をもった。無茶苦茶盛り上がったのだった。

やはり4組はいい。取り組みが真面目だし、やるからには真剣だ。他のクラスもそう感じたと思う。「文化祭でのWICKEDの4組は死なず。」というところだろうか。

他のクラスも、軽音の部員が多い1組は、素人2人をボーカルにバンド演奏。2組は3部合唱。3組はアームレスリング大会、5組も真面目な生徒たち(HR運営委員らしい。)がクイズ大会など、それぞれ嗜好を凝らして楽しかった。武道科の6組は、各武道の演技を見せたあと、柔道部に投げられたい生徒を舞台に上げた。(笑)体育科は7組も8組も全員参加のコントで盛り上げた。最後に、テニス部が制作した5分間ほどのビデオを見て、お開きとなった。

生徒だけの手で、充実した2時間のイベントを運営したわけで、担任団から見ても、これまでの指導効果を十分感じれたのだった。学年としても、我が4組としても、ハッピーな1日だった。

2015年1月17日土曜日

最後の総合的学習は百人一首

先週の水曜日の総合的学習は、国語の先生による「百人一首大会」だった。写真を写したのだが、カメラを持って帰るのを忘れて、少し遅いエントリーとなったが、報告しておきたい。(講堂の天井板工事の関係で)8人の担任で順に担当した総合的学習もこれで最後である。

いつもの第一体育館に、5時限目の予鈴には3年生全員が集合した。なにせ8クラスでやるのだ。大変である。クラスで1人×8人が1つのシートで戦う。それが20×前・後半。運営は生徒で行うということで、HR運営委員が司会進行や準備を行っていた。我がクラスのHR運営委員は、事前準備で札の確認を20箱分、昨年中に済ませていた。各クラスでも出場エントリー表を昨年中に提出。長い長い準備期間だったのだ。

百人一首を読むのはもちろんT先生だが、途中で生徒が登場した。ラグビー部やサッカー部の体育科生徒である。あの独特の節で読もうとするのだが、何を言っているのかわからない。みんな吉本新喜劇のように、ずっこけたのだった。(笑)とはいえ、なんとか進んでいった。

生徒も百人一首の読みを手伝う
気温の低い第一体育館で、防寒着を着ながら生徒は楽しんでいた。前後半なので、待ち時間は大変だ。待機組も応援に行って、ぐちゃぐちゃになっているところもあった。T先生は「うちの生徒はじっと待つということができないのねえ。」とため息をついておられたが、やはり8クラスでやるのは、これが限界だろうと思う。じっと待っているのはつらいよなあ。

私も数学のS先生とともに結果の集計を手伝った。T先生は3位までクラスにポケット・マネーで賞品を用意しておられたのだ。実はT先生は、今年でご退職になる。思いのこもった総合的学習であったわけだ。賞品をもらったクラスは大喜びであった。
…T先生に心をこめて「ご苦労様でした。」と述べた次第。

2014年12月25日木曜日

「明治天皇という人」を読む。

終業式である。我がクラスの大清掃は、いつもながら皆が自分にできることはないか、考えながら、仕事が進む。大いに良い。それだけで十分。大した説教など必要なし。ということで通知表を渡して解散した。

ところで、最近、松本健一著「明治天皇という人」(新潮文庫/本年9月1日発行)を読んでいる。ちょうど3分の1程度読み終えたところだ。松本健一氏は、この本で、人としての明治天皇像を描こうとしている。かの「畏るべき昭和天皇」や「評伝 佐久間象山」の著者で、極めて緻密に現象学的に書かれている。

明治天皇の肉声はなかなか伝わってこない。明治という近代天皇制が確立していく時代の中で、たしかに残りづらかったであろうと推測できる。それを丹念に拾っていく、という感じの本だ。

明治天皇の実家である中山家に仕えていた田中河内介は幼少時の明治天皇に大きな影響を与えた人物だ。彼は、「天皇の世紀」にもあるように、寺田屋事件の後、薩摩に惨殺される。その薩摩の西郷、大久保が、本人も含め関わりのある人物を送り、天皇に大きな影響を与えていく。歴史の皮肉ではあるが、これもまた実相である。備忘録的に記しておきたい事項は山ほどあるが、追ってエントリーしていきたい。

「人は人によって作られていく。」…様々な出会いが人を作る。教育に携わる者として、改めて感じるものがあった次第。

2014年12月18日木曜日

ミッドウェーの生き残り 瀧本氏

空母飛龍 http://blogs.yahoo.co.jp/okiwindom/24900980.html
現在、本校は耐震工事の真っ最中である。5年前に耐震工事をして綺麗な釣り天井があった講堂も、その撤去工事で今は使えない。で、近くの大東市のホールに現地集合で年末人権週間恒例の人権講演会が行われた。今回の講演会は、大阪市在住の瀧本邦慶氏による戦争体験を聞くことになった。

瀧本氏は今は亡き母と同じ大正10年(1921年)生まれだから93歳。17歳で海軍に入隊し、新兵いじめを受ける。これを逃れるには試験を受け、専門的な力を身につけるしかないと、航空整備兵となる。ミッドウェー海戦に従軍。空母・飛龍に乗り込み、九死に一生を得る。さらにトラック島基地へ。空襲で基地が壊滅し、飢餓生活を送るが、レイテ島への転勤命令を受け、ここでも九死に一生を得た。内地の基地でも、空襲を九死に一生を得て生き延びた。そういう奇跡的な偶然の中で、生かされているという意識が、若い世代に戦争体験を語る活動を続けさせているのだ、とおっしゃる。

第一声にびっくりした。これが93歳とは思えない。大きな声である。しかも、約2時間、水の補給もされないまま、熱心に語り続けられた。「矍鑠」(かくしゃく)という言葉は、瀧本さんのためにあるような気がした。生き延びた人間の定めともいうべき鬼気迫る講演だった。瀧本氏の様々な体験については、ここで詳しく記すのは、あえてよそうと思う。是非ご本人の言葉で聞いていただいたほうがいいと思うのだ。やはり平和教育といっても、実体験に裏打ちされた話にまさるものはない。すばらしい講演会だった。

ただ、空母の格納庫とか、駆逐艦とか、魚雷とか、瀧本氏が語る話に出てくるキーワードは、おそらくは生徒は知らないだろうなと思った。「空母赤城」と聞いて、プラモデル的な艦影が湧き上がる我々の世代とは大いに異なるからだ。うちのクラスの連中に聞いてみたら、案の定だった。少しばかり解説しておいた。ちなみに、私の息子と同じ年齢のI先生に、「格納庫ってわかってたか?」と聞くと、「それくらい、知ってますよぉ。ガンダムで出てきます。」私は、思わず後ろにのけぞったのだった。(笑)

でも、瀧本氏の言わんとされたこと、戦争の悲惨さ、国家権力の非情さ、若者への熱い想いは十分伝わったと思うのだ。

瀧本さん、今日はありがとうございました。あなたのお話に感動して泣いていた3年生の女子もいました。ここにそのことを書き添えておきます。いつまでもお元気で。多くの若者に貴重な戦争体験を語り続けてください。

2014年12月17日水曜日

LHRで「チョコフォンデュ」

LHRで、チョコフォンデュをメインにしたパーティーをしたいと、先日生徒から申し入れがあった。知らないうちに、参加費(200円だったそうだ。)を集め、お菓子や飲み物とともに、チョコフォンデュのマシンも4台そろえて、ビンゴゲームも楽しんでいた。私は、成績伝票のこともあったし、そもそも糖尿病なので、チョコフォンデュなんてとんでもない。副担任で、このところ朝夕のSHRに一緒に来てもらっているY先生(来春から中学校で新任教員となる予定)に代わりに食べてもらった。(笑)

実は、期末試験一週間前にクラスを揺るがすような状況が起こったのだ。生活指導部が、遅刻した生徒に早朝登校(と、言っても8:20までに、だが。)を課している。3日連続でクリアしないと永遠に続くシステムである。遅刻が多くなったのに業を煮やした生活指導部が、中間考査以後、職員室の出欠黒板に青いマグネットシールに名前を書いて早朝登校指導中の生徒名を貼るようになったのだ。我がクラスでは、それがたまりにたまって11名。欠席者・遅刻者の名前と合わせて、エリアがいっぱいになってしまった。

そもそも、私は少々の熱や体調不良なら遅刻してでも出席するよう指導している。2年生の時、欠席の多かった女子も多く抱えていたし、それはかなり功を奏していた。だから他のクラスより遅刻が多くなる。「よく来たなあ。」という遅刻も多いのだ。しかし、これだけ溜まると、どんな悪いクラスなのか、と思ってしまう。で、SHRでこう聞いたのだ。「あの時の誇りはどこへ行ったのか。」文化祭で、優勝できなかったものの、我がクラスでよかったと皆、泣きながら感想を述べた。たしかに、私の教員生活の中でも最もいいクラスになるかもしれないと私も誇りに思っていたのだ。

幸い、皆の心に響いたようで、期末考査の前には、全ての青いマグネットは綺麗に消え去った。だが、今日まで、私は手綱を緩めなかったのだ。部活を引退し、イベントも終わり、進路も決まった生徒たちは気が緩みがちだ。残る高校生活はあとわずかだ。楽しくやるときは楽しく、自由にやらせたい。だが、ケジメだけはちゃんとつけさせたい。そう思っている。

今日は、事前に家庭科の調理室で、チョコレートを溶かす段取りを生徒がしていた。必要な鍋も生徒が持ってきていた。昼休みに調理室に集まって用意していた。「女子、手伝って!」と言ったらしく、全ての女子が来てしまい、家庭科のT先生に「人が多すぎる。邪魔!」と叱られたのは、我がクラスの女子全員の真面目さの表れだと思う。5時間目は第一体育館で、学年全体で総合学習。自転車の安全指導クイズ大会だった。当然、遅刻者なし。パーティーの最初だけ顔を出して、写真を撮り、Y先生にタッチして、最後にまた顔を出したら、すでに手際よく後始末を全員でしていた。誰もが自分に出来ることを考え動いていた。ゴミは、リーダーたちが持ち帰ると言う。うむ。これでこそ4組である。

男女のリーダー群は、よくやっていた。手綱を緩める気はないが、明日はちょっと褒めてあげようと思っている。