2014年12月18日木曜日

ミッドウェーの生き残り 瀧本氏

空母飛龍 http://blogs.yahoo.co.jp/okiwindom/24900980.html
現在、本校は耐震工事の真っ最中である。5年前に耐震工事をして綺麗な釣り天井があった講堂も、その撤去工事で今は使えない。で、近くの大東市のホールに現地集合で年末人権週間恒例の人権講演会が行われた。今回の講演会は、大阪市在住の瀧本邦慶氏による戦争体験を聞くことになった。

瀧本氏は今は亡き母と同じ大正10年(1921年)生まれだから93歳。17歳で海軍に入隊し、新兵いじめを受ける。これを逃れるには試験を受け、専門的な力を身につけるしかないと、航空整備兵となる。ミッドウェー海戦に従軍。空母・飛龍に乗り込み、九死に一生を得る。さらにトラック島基地へ。空襲で基地が壊滅し、飢餓生活を送るが、レイテ島への転勤命令を受け、ここでも九死に一生を得た。内地の基地でも、空襲を九死に一生を得て生き延びた。そういう奇跡的な偶然の中で、生かされているという意識が、若い世代に戦争体験を語る活動を続けさせているのだ、とおっしゃる。

第一声にびっくりした。これが93歳とは思えない。大きな声である。しかも、約2時間、水の補給もされないまま、熱心に語り続けられた。「矍鑠」(かくしゃく)という言葉は、瀧本さんのためにあるような気がした。生き延びた人間の定めともいうべき鬼気迫る講演だった。瀧本氏の様々な体験については、ここで詳しく記すのは、あえてよそうと思う。是非ご本人の言葉で聞いていただいたほうがいいと思うのだ。やはり平和教育といっても、実体験に裏打ちされた話にまさるものはない。すばらしい講演会だった。

ただ、空母の格納庫とか、駆逐艦とか、魚雷とか、瀧本氏が語る話に出てくるキーワードは、おそらくは生徒は知らないだろうなと思った。「空母赤城」と聞いて、プラモデル的な艦影が湧き上がる我々の世代とは大いに異なるからだ。うちのクラスの連中に聞いてみたら、案の定だった。少しばかり解説しておいた。ちなみに、私の息子と同じ年齢のI先生に、「格納庫ってわかってたか?」と聞くと、「それくらい、知ってますよぉ。ガンダムで出てきます。」私は、思わず後ろにのけぞったのだった。(笑)

でも、瀧本氏の言わんとされたこと、戦争の悲惨さ、国家権力の非情さ、若者への熱い想いは十分伝わったと思うのだ。

瀧本さん、今日はありがとうございました。あなたのお話に感動して泣いていた3年生の女子もいました。ここにそのことを書き添えておきます。いつまでもお元気で。多くの若者に貴重な戦争体験を語り続けてください。

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