2014年12月16日火曜日

ケニア人生双六の新展開

今日は、世界史Bが4時間ある日だ。その全てを私の代表的オリジナル・アクティビティ「ケニア人生双六」で乗り切った。10年以上このアクティビティを実践しているが、さすがに1日に4回もやったのは初めてである。(昨日も我がクラスで実践した。)

最初にケニア民族カードを使ってグループ分けする。机に1枚ずつ伏せて置いていく。少し説明して、「日本語禁止。英語も禁止。仲間をさがせぇ。」と言って、テーブルベルをチーンと鳴らす。あちこちで大声で、各民族の挨拶が叫ばれる。元気な男子たちだ。いつもながら盛り上がる。こういう儀式的な始まりはなかなか効果的だ。さらに今回は、キクユやルオーなどの特徴も教えた。「キクユは最も多い民族で素直で素朴な人々だ。独立の時中心になって頑張った。」、とか。「だが、最近はルオーとは仲が良くない。ルオーは成人になるとき、前歯を抜くんだぞぉ。」(故ピーター・オルワ氏は、ルオー人で、それが嫌でナイロビに出てきたのだ。)「マサイは、先日オリンピックを開いた。垂直とびが凄いし、走るのも早い。ベリーロールで背面とびくらいの高さを飛べる。もし、マサイが独立戦争で中心になっていたら、マサイがケニアを握っただろうと言われている。(これもピーター・オルワ氏の話。)それくら強いし、尊敬されている。」などなど。そんななかなか盛り上がるのだった。

ゲームは、毎回盛り上がる。今回は、終了後、リサーチを黒板でしてみた。小学校に行く前に死んでしまったのは何人?小学校に行けなかったのは?中退者は?中等学校まで進学できたのは?大学卒業者は?40人のクラスが多かったので、%を計算するのは容易だ。文Ⅰのクラスもちょうど25人だったので問題ない。だいたい私が参考にした2003年の統計に近い数字が出る。エイズにかかった人数もだいたい近い%だった。

ゲーム中、「死んでもた。」「エイズやあ。」「肺炎?」とかワイワイ騒いでいた生徒も、シーンとなる。毎回言うのだが、「このゲームをやって、ああ日本に生まれてよかった。」という感想は勘弁して欲しい。ケニアの人々は、こんな苦労の中、自然に生きていることを伝える。今日は、小学校ではスワヒリ語を教えているとして、少しスワヒリ語を教えた。ジャンボ。ハバリガニ。ムズリサナ。握手の仕方も教えてみた。ハクナマタタ、アサンテサーナ。これくらいでも、ケニア・タンザニア・ウガンダの人々と会ったとき大喜びしてもらえるのだ。中等学校では、なぜ英語で授業するのかも教えた。この学歴による、民族語・スワヒリ語・英語というヒエラルヒーはケニア社会理解のキーワードだ。

最後に、こんな話をした。ケニアでの体験である。ケニアの田舎町のスーパーマーケット。私は外でタバコを吸っていた。そこにガードマンらしき二人の青年が「どこの国から来たのか。」と聞いてきた。「ジャパンだ。」と言うと「おー、トヨタ!」「SONY!」と喜んでくれた。「タバコ、吸うかい?」と聞くと、喜んだ。であげようとすると、1本でいいという。二人で回して吸い出した。私としては2本あげたかったのだが、それでいいのだという。豊かさや効率の中で生きている我々にとって、欲望は拡大する一方だ。だが、彼らは友と分け合う。日本は豊かだが、このような心の豊かさがアフリカにはある。ケニアの人々は、様々な苦労があるけれども、自然に、そして心豊かに生きていることを知って欲しいと結んだのだった。

*ケニア人生双六の詳細画面については、2011年4月26日付ブログ参照

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