2017年12月16日土曜日

親友の奥さんの訃報を受けて

H君の奥さんが入院していた病院
http://www3.kmu.ac.jp/kansai-
ortho/hirakatahospital.html
大学時代からの親友のH君の奥さんが亡くなられたことを、新潟のK君からのメールで知った。喪中葉書が届いたそうだ。彼女は、私が結婚式の司会をしたこともあって、懇意だったし、マレーシアに来る前、妻と病院に見舞いに行った。状況が悪いことは知っていたが、やはり…という想いである。H君も我々夫婦が日本にいない故に、あえて連絡してこなかったのだろう。

新潟のK君も、手術をしたりして体調は万全ではないようだ。我々は同世代でありみんな定年の歳である。何かしらの持病を持っていても不思議ではない。私はと言うと、これまで莫大な回数の入院した友人・知人の見舞いには行っているけれど、まだ入院するような大病を患ったことがない。糖尿や虫歯、タバコの吸いすぎ(マレーシアに来てから喫煙が復活してしまった。)で肺気腫の疑いなど健康上、気になることは多いのだが、なんとかやっている。

ところで先日、朝に歯を磨こうとして、間違って整髪用のジェルを歯ブラシに付けてしまった。(笑)いやいや、笑い事ではない。これは衝撃的な事実であった。歳をとると言うことに、だんだんと重みを感じてきた。とはいえ、やれるところまで現役教師でやっていこうと改めて決意する次第。

マレーシアのウユニ湖ツアー

夜明けとともにクアラ・セランゴールを出港、マングローブの対岸
M先生からお誘いを受けて、現地の観光業者のパンダバスで、「マレーシアのウユニ湖」のツアーに夫婦で参加した。ちなみにウユニ湖というのはボリビアの塩湖で状況によって、鏡のように映るトコロである。
マレーシアのウユニ湖は湖ではなく、西海岸・マラッカ海峡にある干潟である。朝早くKLを出て、クアラ・セランゴールという街に着いた。川を高速船で下り、マラッカ海峡に出た。干潟が引き潮で上陸できる時間に合わせて行くわけだ。マレーシアの太陽はストロングなので、晴れた方がいいのだろうが、適当に曇っていて実はありがたかった。色とりどりのTシャツを着た中華系の人が多い。派手なTシャツのほうが写真で映えるからである。私たち夫婦は、こういう場所で大はしゃぎすることはない。どちらかと言えば、マンウォッチングの方が楽しい。なかなか面白いところだった。海の真ん中に多くの人が立っていること自体が凄い光景である。
その後、早めのランチを取って、場所はよくわからないけれど、海辺にある道教系の幸せの木を訪れた。期待薄だったのだが、これがなかなか面白い。小銭型のおもりを両端につけた赤い布を木にひっかけるのだという。なかなか壮観だった。ブティストである我が夫婦は当然やらなかったのだが、引っかけようと頑張っている人々を見ていると、これまたなかなか面白い。
さらにマレーシアの製米工場に行った。マレーシアは意外に国産米の生産は少ないそうだ。プランテーションの商品作物の方が盛んであるからだが、年中高温多雨のマレーシア故に、稲穂が垂れている田の横に、青々しい成長期の田やすでに刈り取られ休耕中の田があったりと、日本では到底見られない水田風景は実に興味深い。かなり機械化が進んでいて、土地生産性・労働生産性共に高そうだ。
まあ、大人の遠足といった風のツアーだった。RM180は、十分価値があったと思う。今回もお世話になったM先生とS先生に本当に感謝である。

2017年12月15日金曜日

IBTの話(149) 1月分の教材研究

我がクラスの進路指導も一息ついたので、パワーポイントを作成しながらコツコツと1月からの国費生のための授業準備をしている。昨年同様、文系だけでなく理系の学生にも教えることになっている。狭い校内だし、顔なじみなので楽しみである。もちろん、私費生の国立大学小論文対策の授業もあるのだが、まずは国費生から取りかかっている。

理系のクラス担任のS先生から、近現代史から日本を見るような授業をしてもらいたいとの要請があったので、今回は日本が何故植民地にならず、近代国家化に成功したか?というテーマでやろうと思っている。私の専門が倫理故、まずその背景となる日本の思想文化を語ることにした。日本の思想文化は多重構造である。記紀にある「清き明き心」が農耕民的多神教で培われ、その上に大乗仏教、さらに儒教(孔子・孟子・朱子学・陽明学)がある。これらの思想は集団主義と武士道を生んだというのが大筋だ。西洋的な個人主義は、その後に付け足されていると感じである。
ついつい詳しく論じてしまいがちだが、今回はそのエキスを語ろうと思っている。清き明き心は記紀を説くのもいいけれど、「舌切り雀」でいこうかなと思っている。武士道も、今年我がクラスから参加したI君にもらったリーダー塾で語られた国際日本文化センターの笠谷先生の武士道の講義レジメから、2013年7月のJRの南浦和駅での話や東日本震災をはじめとした被災した日本人は決して略奪や暴動に走らない忍耐強さををみせるという事例を引用させていただこうと思う。その他に、仏教や儒教もいろいろ事例を用意しているのだけれど、それは教育実践後に、その反応も含めてエントリーしようと思う。

2017年12月14日木曜日

IBTの話(148) 卒業文集のこと

先日の研究発表/中江兆民と平塚らいてうの研究発表の様子
国費生の修了試験の点数も出て、今日は我がクラスの何人かの学生の進路指導をしていた。その合間に、F38の学年(私費・国費生・全5クラス)の卒業文集の我がクラスの進展を見る機会があった。I君とZ君がクラスのみんなと担当の先生方の似顔絵を描いているのだった。これがなかなか上手い。どんな内容になるか実に楽しみである。

私も卒業文集に贈る言葉を考えた。昨年は川柳でという話だったので、引用だが「不可能を辞書に加えて卒業す。」と書いた。今年は、そういう制限が無く、スペースが大きい。昔、T商業高校時代に「私が教えたこと」というタイトルで書いていたことを思いだした。こんなイメージである。

私が教えたこと。神定法と人定法。ヨーロッパの社会類型(自由な個人と不自由な共同体)、近代国家論。アメリカの大統領制。日本国憲法と議員内閣制。ロックの抵抗権。G-W-G' G'-G。需供曲線。リカードの比較優位。ケインズの有効需要。市場の失敗。株式会社。信用創造。マネーストックから見た金融政策。アジア通貨危機。FRBの金塊。ISの構造。公民権運動。HDI。センの貧困。人間の安全保障。構造的暴力。持続可能な開発。
さらに、アリストテレスの中庸(ハンバーガーショップにて)。デカルトの神の存在証明。先天的認識方式。カニ先生と道徳法則。焼きなすびと弁証法。典子は今-対他存在。人間は自由の刑に処せられている。It's Pineapple in NY.
そして、「責任ある行動」という言葉とその「実践」かな…。

私の教え子諸氏には、十分意味が通じると思う。今年は公民と哲学講座に偏っているけれど、結局同じようにスベラナイ話シリーズをやったのがバレバレ…。(笑)

2017年12月13日水曜日

セネガルのクルアーン学校

http://www.kw.undp.org/content/kuwait/en/home/blog/2017/6/9/Saint-Louis-Senegal-the-challenge-of-sustainability.html
国費生の修了試験が昨日から始まって、今日は私の「公民」の試験だった。その採点を終えてから、早めに帰宅させて頂いた。かなり体力面でのダメージが貯まっているようだ。住処で少し仮眠をとったらだいぶ楽になった。と、いうわけで、「子どもたちのアフリカ」の書評を続けたい。本書に3編あるクルアーン学校シリーズの最後は、セネガルの話である。

第1部乾燥地に生きるの第2章「小さなイスラーム教徒たち-セネガルの農耕民ウォロフと遊牧民フルベ」と題された阿毛香絵さんの論文である。舞台はサンルイ市という北部のモーリタニア国境に近い、かつてはフランス領西アフリカの首都だった街である。ここのクルアーン学校はサンルイ市とその近郊で200近くあり、ダーラと呼ばれる。ここで学ぶ子ども達はタリベと呼ばれ、教師はマラブーと呼ばれる。ダーラは、昨日エントリーしたマリのジュンネのクルアーン学校のような塾形式ではなく、ブルキナファソのワガドゥグ-のクルアーン学校に近い共同生活を行っている。ここで語られるキーワードは「良い苦痛」である。

国際組織や政府から多くの批判があるものの、サンルイではダーラは伝統的な教育として息づいている。ダカール(セネガルの首都)など人の繋がりが薄い地域では、子どもの搾取としって良いくらいのダーラもあるようだが、サンルイでは地域住民のマラブーがひどいことをしていないかという監視の目とサポートがあるようだ。

タリベ達が目差すのは、クルアーン全章を暗唱、読み書きできること(ウォッチ・クルアーン)である。親類一同や地区の人々の前で暗唱のテストを受ける。これは大変名誉なことで、その後「知識(ハムハム)」というクルアーンの内容、シャリーアをアラビア語で学ぶ第二段階に入る。

さて、キーワードの「良い苦痛」について、ダーラで学んだ経験のある大学生がこう言う。「教育には二種類ある。学校で学ぶ知識もあるが、もう一方で、人間として生きていく上で正しい振る舞い方や考え方、信仰心を育てる教育、人間形成がある。ダーラの目的は二番目の教育をすることだ。」

近代社会には教育=学校へ行くことと同一視されるが、ウォロフ語のジャング(学ぶ・教育する)には、いくつかの異なった意味があるそうで、1つ目は社会的マナーや価値観、人間としての器量あるいは生きる知恵を得ること。ウォロフ語では好ましい人格を表す言葉として「ヤル」(貞淑さ・謙虚さ・相手を敬う態度)「テギン」(落ち着いた態度、何事にも動じない姿勢)などがある。ダーラでの厳しい集団生活がこれが養われるという。2番目が先ほどのハムハムで理性を養う教育である。数学や語学などの一般的知識、さらにシャリーアの法体系を学ぶという意味がある。最後に、最も大事な「ディーン(信仰心)」を養う教育である。セネガルのムスリムは神秘主義(スーフィー)が根付いており、「タルビーア」という修行を通して神に近づくための魂の教育を行うのだそうだ。

…アフリカに学ぶことは多いと思う。この小論もまさにそうで、欧米的なるものが、普遍的・絶対的な正義である、とは私は言えないと思うし、また日本や欧米の教育の目差すところとも共通点は多い。本書にあるクルアーン学校について書かれた三編を比較しながら読むだけでも実に味わい深いのである。

タリベ達にとっての「良い苦痛」についての記述は、新刊故に今回もエントリーを控えたい。スミマセン。

2017年12月12日火曜日

ジュンネのクルアーン学校

https://media-cdn.tripadvisor.com/media/photo-s/01/64/b9/cf/djenne.jpg
このところ、一念に億劫の心労を尽くしてきた問題が今日の午前中についに100点満点で解決した。で、ボロボロだった体調も一気に回復した次第。と、いうわけで「子どもたちの生きるアフリカ」のエントリーを再開したい。かの有名な世界遺産のジュンネのモスクのお膝元のクルアーン学校の話である。

第4部水辺に生きるの第2章「クルアーンを詠唱する子どもたちーマリの古都ジュンネで」と題した伊藤未来さんの論文だ。水辺とは、ニジェール川を指している。ジュンネはニジェール川が形成する内陸三角州の南端に位置している。支流パニ川のさらに分流に囲まれた街なのである。人口は15000人ほど。商業と稲作が生業のソンガイ人とマルカ人が約40%を占め、牧畜民のフルベ人が約20%、漁民のソルコ人15%、畑作民のバナマン人が5%、その他にも有名な書数民族のドゴン人、マリンケ人、ブア人が住んでいるが、ほぼ全員がムスリムである。民族は違っても、ムスリムは平等である。言語も生業も違う人々を取り結ぶ社会的基盤となっている。

意外だったのは、有名なジュンネのモスクは街唯一のモスクであることだ。クルアーン学校の教師をジュンネ語でアルファと呼ぶ。とても身近な存在で名付けや割礼の儀式を行ったり、教え子の婚活も行うそうだ。また葬儀でも中心的な存在になる。クルアーン学校の教師と行っても兼業で、小学校とは別に、子ども(7歳くらいから)にクルアーンとアラビア語を朝夕教えている塾のようなものである。

本編では、この後様々な子どもたちの日常を追っていくのだが、これまた読者の皆さんには是非とも荒熊さん編集のこの新刊本を購入して頂きたいので、ここまで筆を置きたい。スミマセン。

2017年12月10日日曜日

エルサレムに平和を

https://gunosy.com/articles/Rr2wb
アメリカ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認める宣言(神殿の丘は現状維持・2国家案は放棄しない)をした。テレアビブにある大使館の移動には数年かかるだろうし、その頃にはこの大統領はその座にあるはずもない。要するに世界で最も巨大な権力を握ってしまった男の意思表明に過ぎないのだが、何故この時期に?という問に、「オリーブ山便り」で石堂さんがちゃんと解説してくれている。http://mtolive.blog.fc2.com/

この宣言は、12月6日に行われた。この歴史的タイミングについて、エルサレム東西統一50周年、来年は建国70周年。今年はバルフォア宣言から100年目にあたる。そのイギリスがパレスチナにユダヤ人の祖国を建設するとしたバルフォア宣言の約1ヶ月後英軍を率いて、アレンビー将軍がエルサレムをオスマントルコから解放したのが、5日後の12月11日である。この時アレンビーは軍人としてではなく、巡礼として入るとして馬を下り、徒歩で入場を果たしたという。この12月11日頃は、ユダヤ人をシリアの暴君からたった5人でエルサレムを解放したマカビー家を覚え祝うハヌカの祭りの時期で、アレンビー将軍は今もハヌカの英雄と重なるイメージがあるらしい。(第三者の悪意をもって見れば)大統領も、その英雄に自分を重ねようとしているわけだ。

イスラエル政府はもちろん、右派などは大歓迎であるが、世俗派など普通のイスラエル市民は、この問題で平穏が乱されるのをを望んではいないようだ。当然ながら、パレスチナ人の反発は大きい。特にハマスの支配するガザ地区からはロケット弾が発射された。(アイアンドームで迎撃されたが、駐車場に落ちたものもあるらしい。ショックを受けて手当をされたイスラエル市民はいるようだが、死者・負傷者なし。)これに対してイスラエルはガザに空爆で報復している。負傷者が多数出ている。ガザの抗議デモで、イスラエル軍の実弾威嚇で2人が死亡、2・30人者の負傷者が出たらしい。ヨルダン川西岸の各地でも「怒りの日」のデモは行われ、多数の負傷者を出しているが、現在のところガザよりは比較的平穏のようである。国際社会に目を移すと、アラブを中心としたイスラム諸国は当然のように猛反発しているし、先進国や国連も、この宣言を厳しく非難している。マレーシアでも日本国大使館から、デモが予想される故、アメリカ大使館に近づいてはいけないという注意喚起がなされている。

たとえ、歴代のアメリカの政策(エルサレムをイスラエルの首都とするという議会での決定)であったとしても、大統領の一言が、事実上の戦争を引き起こしている。どこかの国が戦争犯罪人として国際刑事裁判所に訴追してはどうかと思う次第。鄧小平のように、尖閣諸島の問題を棚上げにする叡智をもっていないと大国の指導者はつとまらない。いたずらに正義(私はエルサレムの首都問題ではこれが絶対的な正義だとは思わないが…)をふりかざし、多くの罪のない人々を殺し、傷つける選択をするのは、愚者のやることだと思うが…。