2020年1月31日金曜日

YouTubeでローラ in 三崎高校

三崎高校HPより ↑ローラと2年生最後の記念撮影
先日放映された、三崎高校にローラがやって来た”Back to School”、うちにはTVがないし、職員室に言ってもDVDは無いみたいだし、当分見れないなと諦めていたら、YouTubeに番組の内容がまるまる登場したので、さっそく見てみた。2時間スペシャルで、始まって6分ごろから三崎高校の話になる。いくつか他の高校の話も途中出てくるけど、ほぼ4分の3が三崎高校という内容だった。

登場する主な生徒は、未咲輝塾の塾生でよく知っている生徒ばかりで驚いた。授業に登場する先生方はもちろん知っているが、意外な人物も登場して驚いた。町見郷土館のTさん。三崎高校の同窓会長。お二人とも良く知っている。ローラに裂き織の指導していたのは我が地域おこし協力隊・KFCの店長・Hさんである。良く知っているどころではない。(笑)

このロケが行われていた12月中旬の3日間はずっと曇天であった。予想どおり佐田岬の夕陽などは、後で撮影したものだろうと思う。天気さえよければ、もっと絵面が映えていたのにと、ちょっと残念であるが、十分に三崎高校の暖かい雰囲気は伝わったように思う。

マレーシア在住の卒業生は以下から是非視聴して欲しいな。私が教師生活最後の挑戦をしている学校と地域は、こんなところ…。
https://www.youtube.com/watch?v=AN5KMenBLJ8&t=327s

2020年1月30日木曜日

地域経済学 DE 地産地消 考

地域経済学をこのところ独習している。昨年伊方町図書館で借りた「地域経済学入門」(初版は2002年8月発行)の第3版(2018年3月発行)がやっと手に入ったので読んでいるわけだ。私が学ぼうとしている地域経済学は、地域レベルのマクロデータ(人口や県民所得など)を取り扱うので、マクロ経済学の理論を用い、応用マクロ経済学的な性格が強い。この本は、大学の経済学部などのテキストに使われている故に、やたら数学の式が出てくる。(笑)当然ながら、その辺は飛ばして読んでいるのだが、今日は、ちょっと「地産地消」(その土地で算出されたものをその土地で消費すること)について考えてみたいと思う。

エシカル消費の視点やSDGsの環境問題との兼ね合いから見ると、フードマイレージ(食料輸送の距離と仕様交通機関によって、CO2排出の量が増減するので、短距離の方が環境に優しいという考え方)の面からも、地産地消は良いわけだが、地域経済学的に見ると、収入面ではあまり効率的ではないという結論になってしまうのである。これは、国際経済での常識であるリカードの自由貿易の理論(比較優位のある生産物に特化した方が生産量が上がり収益が増える)からも容易に推測できる。これらは高校の政治経済の教科書内容なので、経済学が専門でない私でも理解可能だ。
http://nearth.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/11/21/img08111901.gif
うちの奥さんは、野菜などは大洲や八幡浜の地産地消の市場で購入することを旨としている。輸送費が最小限に抑えられているので安価で消費者にとってはありがたい。大阪などの都市部にこれらが運ばれると輸送費がプラスされコストが上がるし、商業施設のマージンも入ってくるはずだ。この「地産地消」は良いのか?悪いのか?これには生産規模による比較優位が関係してくる。地産地消の市場に運ばれる野菜などは、生産規模の小さい農家で、比較優位のないものを生産している生産者だと私は推測する。それならば、この生産者と消費者の取引はウィン=ウィンである。しかし、所得を増やすことを念頭に置けば、比較優位のあるものを大きな生産規模で生産することの方がはるかに効率的であることは間違いない。

四国の西予地域にあって、比較優位がある農業生産物はまちがいなく柑橘類であろう。農家の経営規模は必ずしも大きくはないだろうが、農協の助けを借りてトータルの生産規模では優位に立っているようだ。実際、八幡浜市などで季節労働者を集め、農家に振り分けて労働の効率性を高めていることも知った。比較優位のない農産物は地産地消の方がいいということかもしれない。

これらは地域経済学的に合点しているようにも思える。地産地消は、結局のところ良くも悪くもあるわけだ。こういう「社会科学の見方、あらゆる社会的事象は、タテヨコ、上下から見るべきである、すると正解はいくつかあるのだ。」ということを私は授業で何度も伝えた。その好例であるかもしれない。

2020年1月29日水曜日

新中東和平案の裏側

ヨルダン川西域のベツレヘムにある壁アート
ワシントンD.C.で、イスラエルのネタニヤフ首相と(「青と白連合」のガンツ党首も招かれている)米国大統領閣下が新中東和平案(=世紀の取引)を発表したというニュースが流れた。私が最も信用する『オリーブ山便り』の記事をもとにエントリーしておきたい。

この新中東和平案は、極めてイスラエル寄りのものである。①イスラエルはヨルダン渓谷を合併、西岸地区のユダヤ人入植地にイスラエルの法律を適応。⓶イェルサレムの一部(壁の外側)を首都とし、非武装のパレスチナ国家を設立する。これらは、ネタニヤフ首相の訴えてきたことで、イスラエル国会で汚職問題の決議が行われる日を選んで招待している。もちろん、大統領閣下も下院で弾劾問題の最中であり、腑に落ちないものを感じる。

もちろん、これらの新中東和平案は、各方面から批判・拒否されている。パレスチナ自治政府のアッバス議長には「1000回でもノーと言う」と完全拒否され、ガザ地区のハマスは当然拒否。それどころか風船爆弾を飛ばし、またイスラエル軍から空爆を受けている。ヨルダン国王も、ヨルダン渓谷を合併する事を受け入れられないと和平案を否定。国連事務総長からも「第三次中東戦争以前の国境線を支持する。」と批判されている。ISはイスラエルとユダヤ人入植地へのテロを呼び掛けた。一方、サウジなどのアラブ諸国は近年イスラエル寄りになっており、現時点では明確な反応していない。ともかくも、この新和平案は成功するわけがないのだが、なぜこんな発表をしたのか?

ネタニヤフ首相を汚職問題の起訴から救いだし、リクードの総選挙を有利に進めること。さらに大統領閣下にとっては、ユダヤ系米国人や福音派(=キリスト教原理主義:ユダヤ人にイエスを救世主であることを認めさせることを至上目的とする人々で、イスラエルをつぶすわけにはいかないと考えている。)の支持を固めるという意味合いがある。要するに両者に有利な政治パフォーマンスに過ぎないわけだ。腑に落ちないのも当然なのだ。
http://mtolive.blog.fc2.com/

ところで、アウシュビッツ強制収容所の解放記念日にあたる23日には、第5回ホロコーストフォーラムが、ヤド・バシェム(イェルサレムにあるホロコースト博物館:私も行ったことがある。)で行われ、49か国の首脳が参加した。プーチン露大統領やペンス米副大統領、ステンマイヤー独大統領等の演説内容も、「オリーブ山便り」に記されている。
…PBTの教え子諸君には、「現在のドイツ大統領は謝るのが仕事だよ。」と私が言ったことが証明されている。国際関係を専攻する諸君には、感想はどうあれ読んでみて欲しいと思う。
http://mtolive.blog.fc2.com/blog-entry-2063.html

2020年1月28日火曜日

現時点での武漢パンデミック考

ここ数日、ネットでは武漢のコロナウイルスのパンデミックの話題で持ちきりである。武漢市当局や中国政府さらにはWHOの対応のまずさ、日本政府の性善説的対応などにきびしい批判が集中している。また生物兵器ではないかという話もあって、春節で日本に旅行者急増と言う最悪の状況下、今後どうなるのか、まったく予断を許さない。私も気楽な話のエントリーばかりをしているわけにもいかなくなったので、今考えていることを記しておきたい。

私は、よく世界史の講義で、ヨーロッパの社会類型を基にして語ってきた。PBTの教え子諸君の脳裏に焼き付いているはずの「自由な個人と不自由な共同体」である。中国は、まさにその反対で、社会の上部が共同体、下部が個人になっている。(2018年3月3日付ブログ参照)改めて、「武器としての社会類型論(加藤隆著/講談社現代新書2164)」を読み直してみた。

マレーシアの中華系の人々と接していると、ほとんどと言ってよいほど感じないのだが、大陸の中国の人々には私の経験から「下部に属する個人の自由さ」を強く感じる。

この本の著者・加藤隆千葉大学教授は、中国の社会学者・費孝通の言として「これは個人主義ではなく自我主義である。」と記している。

著者は、この費孝通の言に続いて。『「上共同体下個人」タイプの社会は、外観を見ると二重構造である。しかし基本は「下層」(民の領域)にある。「下層」のメンバーは「自己」「拡大できる個人」である。拡大しないままで「小さな自己」に留まる者もいる。しかしこの「自己」は拡大できる。「拡大する」とは「上層に移る」ことであり、易しく言うならば、社会的・政治的な勢力の拡大である。人間の優れた能力が、社会的・政治的側面においてだけ発揮できるような仕組みになっている。「個人」という語をあえて用いるならば、この「上共同体下個人」タイプの社会は、その全体が、極めて特異な「個人主義の社会」だと言うことができる。』と書き、科挙によって下から上への移動が可能な社会を極めて善意的に見ていると私は思う。科挙のない今の中国で言えば中国共産党内での実務力による激しい競争による栄達がそれにあたるといえよう。(実際、習氏も行政家としての実力を内外に示してきた。だからこそ今の地位がある。)

一方、費孝通氏の言には、自虐的な思いが内在しているのではないかと考えている。昔、大の中国通のK先生が「儒教は、必要だから生まれたんです。ほっといたら中国は無茶苦茶になるんですよ。」と言われていたが、この”儒教=廊下を走るなという張り紙論”は、十分説得力を持っている。大陸の人々は、そういう自我主義が極めて強いと私も思う。

自己の栄達のために情報を隠匿した(もしかしたら政府にさせられたのかもしれない)”市長”と、武漢が閉鎖される前に抜け出ることが可能だった富める”民”と。この社会類型論から容易に理解できる。

中国のこういう社会類型を念頭においておけば、空港で自己申告するような者はいないことなど予想できる。また日本で指定感染症となった事をこれ幸いと、無料の”日式治療”を期待して中国本土の各地から患者が押しかけてくる可能性を危惧する声もWEB上で上がっている。なにせ、団体旅行以外なら現時点で日本入国が可能なのだから…。
私も中国本土の人々の「自我主義」に危惧を抱いている次第。

鳥の名はメッサーシュミット

https://matome.naver.jp/odai/2136651
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佐田岬半島は渡り鳥の聖地で、バードウオッチャーではない私でも、このところ、気になる鳥がいる。すぐ前の竹林にたくさんいるのだが、愛機G1Xで撮りたいなと思ってもかなり早く飛ぶので難しい。シャッタースピード優先でも三脚なしでは無理かと思う。名前を知りたいのだが、その特徴を記しておきたい。美しいとか鳴き声がいいといかいうのではなく、飛び方が変わっているのだ。

その鳥は、かなりの省エネ飛行する。もちろん羽をはばたくのだが、すぐ畳んで飛ぶ。少しばかり太っているので、当然落下する。というより急降下といったほうがいい。すると羽根をはばたき、上昇。これを繰り返すのだ。サイン(Sine)カーブを描いて飛んでいるわけだ。羽根を畳んでいるときは、弾丸のようだ。

私はメッサーシュミットMe163のイメージをもった。ナチスドイツの世界初のロケット迎撃戦闘機である。(笑)メッサーシュミットMe163は羽根を畳んだりしないけど…。なんとなくずんぐりして航続距離が短そうなので…。と、いうわけで、私はこの鳥をメッサーシュミットと呼んでいるのだった。
どなたか、野鳥に詳しい方、名前を教えてくださいませんか?色は濃い茶色です。飛び方以外に大きな特徴はありません。

2020年1月27日月曜日

アフリカのBoard Game入手

昨年10月にエントリーした”アフリカの知”をもとしたボードゲーム「ブムントゥ」が、マレーシア行の前日、つまり先週の月曜日に塾に届いた。伊方町教育委員会が塾の予算執行として認め、注文してくれていたのである。3冊の地域経済学の本が届いたのも嬉しいが、このゲームの入手も嬉しい。
ただその当日は時間が無くて、実際に箱を開け、中身を確認したのは、久しぶりに塾に来た今日になってしまったのだった。

さて、この「ブムンドゥ」なかなか面白そうだ。注文した時点では、そのやり方はあまりよくわかならなかったのだが、説明文(日本語版なので当然日本語である)を読み、実物を見て、だいたい理解できた。シンプルだが、かなり臨機応変な対応を求められる戦略ゲームのようだ。

未咲輝塾で、こういう知的なゲーム類を用意しておくことも有意義だと私は思う。(すでにいくつかカードゲームも用意されている。)いつか、みさこうDAYの塾のイベントとして、やってみようと思う。

司馬遼太郎 胡蝶の夢(二)

司馬遼の「胡蝶の夢」の第二巻をマレーシア行の中で読了した。第二巻では、勝海舟が教頭的な立場にあった長崎海軍伝習所に付属する主人公松本良純が中心となっていた医学伝習所に物語が移っている。今回も印象に残った話を記しておきたい。

咸臨丸で、小倉、下関、鹿児島に練習航海に出た際の描写である。「艦は、右舷に九州の山々を見つつ、周防灘を南下した。次いで、左舷に四国の西端が細長くのびている佐田岬を見、豊予海峡を通過した。」
…この一文は、大阪にいても何も感じなかったに違いない。今三崎にいるからこそ、「そうか、海舟の咸臨丸が佐田岬を通過したのか。」と感慨にふけることができる。まさに属性がなせる業である。

この航海で小倉藩主は咸臨丸を無視した。長州藩はまだ松下村塾以前で下関では大群衆がオランダ人を見に来ていた。しかし、薩摩は違う。島津斉彬が乗船してきた。斉彬について、松平春嶽は「予は多年、友として交りしも、曽て一たびも其の怒れる顔色を見たことなし」といっているし、宇和島藩伊達宗城も「予は七十歳の今日に至る迄、貴賤上下を問わず、幾多の人々に接したるが、まだ曽て島津薩摩守の如く、常に春風駘蕩たる風丰の人あるを見ない」といっている。
…司馬亮の幕末本では、島津斉彬こそ最高の人物として描かれているが、ここでも同様である。長く藩主になれなかったという苦難がこういう人物をつくりだしたように思う。井伊直弼も藩主になることはないとの諦めの中で教養を磨いた。人間、苦労しないと大成しない。こういう人間学も司馬遼の魅力だ。

オランダ人医ポンぺが解剖の際、日本人がそれぞれスケッチしていることについて、「日本人は、絵図で勉強するのにきわめて適した性質を持っているが、これは、日本人の特性ともいうべきものである。」と記している事について、司馬亮は、このポンぺの眼力は「凡庸ではない」と表現している。さらに『このことは、大きく言えば日本文化の成立の機微に関わることで、日本が中国の文化を受け入れるについては、わずかな期間、留学生を送った他は、圧倒的に書物による世界史的にいっても類のない需要の仕方をとった。漢文という外国語によって、見たこともない中国世界をの文明現象を全て受容するというのは、よほどの想像力が必要で、その想像力の種は、わずかに渡来する絵画であった。自然、略図に至るまで外国文化受容には絵画が必要だという文化的習性のようなものができていたのではないか。(趣意)』と記している。
…こういう文化的な洞察が最も面白い。なるほどと膝を打つわけだ。

2020年1月26日日曜日

ナシレマ! ナシレマ!

朝のナシレマ ゆで卵半分が乗っかている
今回の弾丸ツアーの外伝的な話を最後に記しておこうと思う。まずは、食事のお話。最も贅沢をしたのはL君との23日の昼食だが、やはりマレーシアは安い。日本の物価の半額以下だと改めて思う。

24日は朝からナシレマを食べた。バナナの皮と茶色の紙に包まれた三角の安価なナシレマ。実はこれまで食べたのは皿に盛られたものばかりで、初めての経験だった。(画像参照)私はナシレマが大好き。サンバルソースもこの3年半で十分に慣れた。ただ、チキンがなかった。(笑)昼は空港で、毎回恒例のマクドナルドでとったのだが、ふと、マクドのナシレマを食べてみたくなった。これも初体験。こちらはチキンが2つもついていて、大いに満腹になった。(笑)
マクドナルドのナシレマ
今回は一人旅なので、サバイバルイングリッシュを使わざるを得ない。英語に堪能な人がそばにいないので気楽に話しかけることもできる。
アルジェリアの人
セントラルステーション近くで、乞食(こつじき)行をしているアルジェリア人と話した。彼は極度の貧乏旅行をしているようであった。ジョンレノンに似ている。「どこから来たの?」と聞いたら、「エスケープ アルジェリア」と答えてくれた。なかなか意味深な返答である。フランス語圏なので英語はどこで学んだのだろうかと思う。
またパビリオン前で、UAEのご夫婦と話した。ご主人は実に明朗な方であったが、奥さんは真っ黒で何も語らなかったし、写真撮影もNGだった。さすが、アラブ。帰国後調べたら、UAEの方と話したのは初めてで、私の「地球市民の記憶」(常設ページ参照)は、104か国・地域になった。久しぶりの更新である。

春節 in マレーシア

ブキッビンタンにて
今、日本のSNSは中国・武漢から発生したコロナウィルスの話でもちきりである。かなり危険な状況で早急な決断が必要かと私も思う。今回の件で、日本でも春節(中国の旧正月)が有名になったように思う。マレーシアでは、中華系の人々が多く、経済的にも力があるので大いに盛り上げる。(ただし深夜の花火だけは頭痛の種だった。笑)

今回のマレーシア弾丸ツアーの3つのミッション以外に、どう時間を使うかと考えていた。行けなかった州立のモスクに行く時間もないし、当然ながらジョホールのレゴランドにも行けないし…。だが、春節である。セントラルステーション、ミッドバレー、それにブキッビンタンのパビリオンなどの各モールでは、春節を祝うデコレーションが作られているはずで、なかなか見ごたえがあるのだ。せめてそれを最後に見たいなと思ったのである。

私が最初に見たのは鶏年で、巨大でリアルな鶏がセントラルステーションのモールに飾られていた。以来楽しみにしてきたのだが、次の戌年は、マレー人というかイスラム教徒が犬嫌いで中華系も気を使ったみたいだった。昨年はもっと悲惨だった。日本では猪年だが、中国では豚である。イスラム教徒が最も忌み嫌う干支であったので、豚のモニュメントらしきものは皆無に近かった。で、今年は鼠年である。鼠なら気を遣う必要もない。どんな風にデコレーションするのだろうかと楽しみにしていたのだ。
セントラルステーションでは中華船であった。
今回最初に見たセントラルステーションのモールでは、中国船のデコレーションであった。ここはいつもシンプルなのだけれど、昨年よりはかっこいい。巨大な鼠を期待したのだけれど…。(笑)
ミッドバレーのデコレーションⅠ
ミッドバレーのデコレーションⅡ
ミッドバレーでは、レゴがモチーフになっていた。もちろん、周囲にレゴが販売されており、なかなか面白い。そうか、レゴで来たか。商売上手なミッドバレーのメガモールらしいと思う。
パビリオンのデコレーション
さて、帰国の日、モノレールに乗ってブキッビンタンまで行ってみた。これもTouch'n GOがあるので、便利だ。目指すはパビリオンである。ここは、ミッキーマウスが中央にあった。なるほど、「鼠」である。世界で最も愛されている「鼠」。当然莫大な商標権が発生しているだろうが、そこはKLでも最高級のモールである。さすがである。

結局、今回のマレーシア弾丸ツアーでは、KLIA2・セントラルステーション・ミッドバレー・日本人会=PBT・ブキッビンタン、そしてタマンデサという私のマレーシアでの日常の「点」を行き来していたことになる。
…Touch'n GOには、まだRM25分残っていた。

最後の(?)タマンデサ

今回のマレーシア行での第2のミッションは、銀行に行くことだった。D大に合格したL君が、銀行での通訳と運転手を快く引き受けてくれたので大いに助かった。13:00に日本人会を出て、タマンデサのメイバンクに向かった。ここは本帰国前に行った銀行で比較的すいているからだ。意外に早くミッションは終わった。すぐそばの回味という中華レストランで2人で昼食をとった。私の大好物のクェティオとおこげのような飯を主体に海鮮を加えたもの(2人前)と飲茶を食した。もちろん、飲み物はポーレイ茶である。(笑)L君といろいろ話をした。私が帰国後デング熱(マレーシアに多い病気)にかかったらしい。1週間ほど寝込んだという。私に報告しなかったのは心配させるだけだったからとのこと。「大変だったよなあ。」と言うと、「今はもうすっかり元気になりました。」彼のやさしさが沁みる。1月中で日本人会の図書館のバイトをやめ、日本行きの準備を始めるらしい。L君が日本に来てからの再会を約束して別れた。

その後、ミッドバレーのメガモールに寄った。日本円への両替とマレーシアの果物を食するためである。マンゴーはなかったが、パパイアとドラゴンフルーツを楽しめた。たったRM3の幸せである。

一度セントラルステーションに路線バスで戻った。以前持っていたTouch'n GOは実に有用である。ホテルで再度チェックインして、少し仮眠した。第3のミッション、友人との待ち合わせは、19:30タマンデサ。(笑)これまたバスで移動である。住んでいたコンドの前で降りた。ちょっとだけセキュリティーのみんなと顔を合わせた。皆喜んでくれたのが嬉しい。タマンデサは私の第二の故郷のような気がする。
まだまだ時間があったので、タマンデサをぶらぶらしていた。そう、木曜日はナイトマーケットの日だと思いだした。覗きに行ったら雨が降ってきた。やがて本格的なスコールになった。約40分、テントの下で雨宿り。これもマレーシアなのである。(笑)小降りになったので、待ち合わせ場所へいくと、もうK氏が来てくれていて、私とほぼ同時にO氏も来てくれた。10:00までワイワイと話して、実に楽しい時間を過ごしたのだった。

2020年1月25日土曜日

F42国費生卒業式

卒業式には、8月の最後の日にプレゼントされたマレーの民族衣装を着て出席することを早くから決めていた。PBTに着いて、先生方にあいさつ回りしてからその民族衣装に着替え、9:30からのリハーサルを覗きにいくことにした。途中階段のところで何人かと出くわし。大騒ぎに。実に嬉しい瞬間であった。

一息ついて本番の卒業式。毎回の事ではあるが、一人ひとりに思い入れがあるのでそれぞれに感傷がつのる。実に素晴らしい卒業式だった。
F君の答辞も実に率直でよかった。誰が答辞をやるのだろうと思っていたが、これまでのF42の中で、リーダー塾参加やスピーチコンテスト代表など様々な学生が活躍した。そう考えると、F君と言う人選は見事だと思う。F42の男子はみんないい奴で仲がいいのだが、中でも彼は特に人望が厚いからだ。
伝統となっている卒業式での合唱もよかった。最初は証明を落とし、光る棒を振って歌ったり、女子学生が最後に教職員席に舞台から降りてきてくれて、黄色いバラを一人ひとり渡してくれるという演出が見事だったし、実に嬉しかった。そして、写真大会になった。何枚撮っただろう。学生と、またご両親と…。私も誠心誠意、激励に激励を重ねた。

今回のPBT退職そして三崎高校へ来るにあたって、私自身出来ることは全てやりつくした。もう何も思い残すことはない。後は、彼らの志望ができるだけ叶うように祈るだけである。

マレーシア弾丸ツアー

F42国費生の卒業式後、男子学生と
先ほど、三崎の教職員住宅に無事帰宅しました。今週は21日の火曜日から25日の金曜日までお休みをいただいて、マレーシアに「一時帰国」していました。第一のミッションは、8月いっぱいまで教えていたF42の国費生の卒業式に出席する事。第二のミッションは、私が帰国した後、戻ってきた税金やコンドのデポジット、PBTからの給料などが銀行に振り込まれているはずで、その口座を閉鎖し残高を受け取る事。第三のミッションは、友人との飲み会でした。

21日(火)まずは、三崎から大阪の自宅に帰りました。22日(水)の天気予報が伊方も大阪もよくなかったし、関空に長時間運転した後行くのも体力的に厳しいと考え、約9時間かけて帰宅しました。というのもルートの選択を神戸で誤ったためで、かなりヘトヘトになったのでした。

22日(水)少しだけ書店によって、先日エントリーした書き込む日本史を購入。その後、いつものように高速京田辺から関空へ向かいました。車があると妻の送迎が可能で実にありがたいのです。夜10時くらいの、いつものエアアジア便でした。出発時は雨でした。

23日(木)卒業式当日で、3つのミッションが集中している日です。朝4時過ぎにKLIA2に着き、エキスプレスでKLセントラル駅へ。一応予約していた駅近くのホテルに向かったのですが、時間外でチェックインできず、仕方なく朝食をとってから路線バスでPBTに向かいました。卒業式、銀行、チェックイン、飲み会のこと等は別にエントリーしたいと思います。

24日(金)マレーシアより、14:00頃のエアアジアで帰国。関空を10時のバスで出たので、自宅には11:30くらいにに着きました。

25日(土)大阪の自宅を9:00に出て、18:00に三崎にやっと到着しました。

考えれば、弾丸ツアーもいいところで、KLIA2のイミグレで、一泊だけして帰るという日程を不審に思われたようで、女性係官から質問を受けました。(笑)

2020年1月22日水曜日

書き込み教科書「日本史」

三崎高校では、センター試験で、日本史Bを選択する文系の生徒が多い。カリキュラム上、世界史は1年生でA科目として履修し、地理Bは理系の選択科目になっているからだ。今年度は、公民分野で、政経と倫理を教えたが、日本史はほとんど協力できなかった。

私は長い社会科教師生活の中で、日本史を教えたことが3回しかない。それも日本史Aで、幕末以降の近現代史のみ。大化の改新やら戦国武将がどうのこうのというのは授業した経験がない。もちろん全くの無知ではないが、他の科目のように大局から講じることはできない。と、いうわけで日本史Bの教材研究もしようと決意した。ちょっと山川(出版)の教科書など開いてみたが、私の時代に習ったことと違う箇所がそこそこあった。特に読み仮名がちがったりしている。これは本格的にやり直す必要があるなあと思い、ネットで日本史の学習参考書をいろいろ検索してみた。山川の「書き込み教科書 詳説日本史B」がよさそうに感じたので、今日大阪で購入した。(伊方町には本屋がない…八幡浜のモールの本屋にも高校の参考書はおいていない。トホホ。)

必要に応じて、塾にも日本史の関連の参考書を役場に言って、置いてもらおうと思う(問題集は十分にある)が、この「書き込み教科書」は、実際自分で書き込みたいので自費で購入した。

正直なところ、日本史の安土桃山時代以前にはあまり興味が沸かない。と、いうより、いままでの知の集積との属性がなかった。どうせなら、関連する書籍を探して読みながら、「興味」と「強いて努めるコト」という両輪で進んでいこうと思っている。社会科の勉強にはそういう両輪が何より重要だからだ。

2020年1月21日火曜日

持続可能な地域のつくり方

伊方町役場に所用があって、昨日行ってきた。ついに「高校生のための地域経済学テキスト」の参考文献の3冊が手に入ったのだった。どれから読もうかと考えた結果、まずは、「実践 地方創生×SDGs 持続可能な地域のつくり方-未来を育む人と経済の生態系のデザインー(筧祐介著/英治出版2019年6月)」にした。と、いっても例によって私の読書癖で併読してくことになると思うが…。

著者は、一橋大学の社会学部出身で、東京工大大学院、東大大学院に学んだ工学博士でもある。最初のページに、こうある。『持続可能な地域とは、「人と経済の豊かな生態系」が息づいた地域』さらに、次のページには『持続可能な地域には、4つの豊かな生態系がある 土、つながり協働し高めあう「地域コミュニティ」 陽、道を照らしみんなを導く「未来ビジョン」 風、一人ひとりの生きがいを創る「チャレンジ」 水未来を切り拓く力を育む「次世代教育」』

…思わず、その詩的な文章に惹かれるではないか。実に楽しみである。

2020年1月20日月曜日

センター政経の問題 2020

政経は専門ではないのだが、今回未咲輝塾では、倫理より政経の過去問や模擬問題をかなり見てきた。それらと対比するとバランスが良いように思える。もちろん重箱の隅問題も各所にあるが、秒殺問題(簡単な問題)もあり、こんなもんだという既成事実があるので驚きはない。
こちらも倫理同様、読解力が試されているが、ある程度納得できる。人文学と社会科学の差のような気がする。倫理より選択肢の差が明確なのである。

ある有名予備校の分析で、需要供給曲線の問題(第1問/問8)が難しくなったとの記述があったのだが、私はそうは思わない。
「自由貿易下のある商品の国際価格がPの時、国内供給X1と国内需要X2との差だけ輸入されることを示している。ここで、他の事情を一定とした場合、当該商品の輸入量を増加させうる輸入国に関係する要因として正しいものを選べ」という問題である。
①国際価格の上昇 ②国内産業の生産性の向上 ③国民の所得の増加 ④関税の引き上げ(需要供給曲線の図は、画像参照)

需要・供給曲線のシフトの理解を問う問題である。①は需要の減少=需要曲線が左へシフト=X1とX2の間隔が狭まる=輸入量は減少、②は供給曲線が右へシフト=X1とX2の間隔が狭まり、輸入量は減少 ④関税の引き上げは、Pの価格が上がり、X1とX2の間隔が狭まり、輸入量は減少。よって正解は③である。③は、需要曲線が右へシフト=X1とX2の間隔が広がる=輸入量が増加。

たしかに単純な問題ではないが、そんなに難しいとは思わない。良問だと思う。

センター倫理の問題 2020

久松真一先生 http://shinchakai.main.jp/
3年ぶりにセンター試験倫理の問題を見た。以前より、かなり解答の選択に読解力を必要としているし、選択肢も複雑化している。(政経も同じだが…。)少しばかり、感想を述べておきたい。予備校の批評では、新しい哲学者が出題されどうのこうのと、今年もニューフェイスの登場について書かれていた。まあ、一部の超進学校や予備校以外の普通の高校側としては、それは想定内だと思う。どんなニューフェイスが出るかなど、宝くじのようなものだからだ。

私が最も印象に残ったのは、久松真一先生の名前が出てきてちょっとびっくりしたことである。(第3問/問8)ただし、「茶道の哲学」の中の文章を読ませて最も適当な意訳を選ぶという問題なので、久松真一先生が何者であるかは問われない。久松先生は、西田幾多郎や鈴木大拙を学んだ有名な禅学者であり仏教学者である。

おそらく専門家の先生方が平均点や配点も含めて苦労して作られた問題だろうから、あまりぐちゃぐちゃ言う気はないのだが、重箱の隅をつつくような問題は、特に倫理にはそぐわないような気がしている。(これは永遠のジレンマだろうなと思う。)

2020年1月19日日曜日

大洲と八幡浜を歩く。

センター試験2日目、塾の受験生の科目がほぼ終わった頃、妻と共に出かけることにした。今日は日曜日なので、大洲のポコペン横丁が開いているはずなので行ってみた。昭和のレトロ感満載のスペースで、予想どおり面白い。後から分かったのだが、冬期は第3日曜のみ開催とのことで、来週だったらあやうく無駄足だったわけだ。
今日の大洲は意外に観光客が多くて、だいぶ遠くの駐車場に停めることになった。おかげと言っては変だが、街道沿いの商店街で「銃砲店」という看板を見つけた。おそらくイノシシなどの害獣駆除のための猟友会ご用達の店だと思う。一応中を覗いてみたが、猟銃などの陳列はなかった。私はデトロイトで銃砲店に入った経験があるが、様々なライフルが所狭しと並んでいたのと比べると、大いに違う。連合赤軍のあさま山荘事件以来(注:銃器店が襲撃され銃を多数奪われた。)そうなったのかななどと考えていた。ともかくも、日本で初めて銃砲店を見たのだった。
帰りに前から行こうと言っていた八幡浜市保内のハイカラな街並みを歩くことにした。明治から大正期に八幡浜はかなり栄えていたようで、その名残が保存されている。途中で散歩中のおばあちゃん2人組に出会った。我々が三崎から来たと言うと「ああ、本三崎…。」と返ってきた。地元の人は、フェリー乗り場を有する三崎を『本三崎』と呼ぶということは聞いていたが、それを実証した格好だ。八幡浜も人口減少でずいぶん寂しくなったという嘆きをここでも聞くことになった。
明日は、午前中に地元の病院に行く予定だ。ちょっとでも歩いておこうという思惑だったのだが、大洲も八幡浜も平地なのであまり歩いた気にならない。(笑)明日の血糖値検査結果が心配である。

2020年1月18日土曜日

センター激励で愛媛大学へ。

センター試験当日である。朝6:00にN先生と共に教職員住宅を出た。愛媛大学で受験生を激励するためである。8:00すぎに正門横で受験生、三崎高校の先生方と合流できた。各先生方や塾からのキットカットを手に、彼らは受験会場に向かって行った。

PBTではEJU試験会場によく行ったが、日本ではついぞセンター試験会場に行ってはいない。これは、大阪では受験会場が男女別になっているからで、行きたくても分身の術が使えないからであった。(笑)愛媛大学には、多くの他の高校の先生方も同様に集まっていた。こういう伝統があるのだと思う。

愛媛県の高校のセオリーみたいなものがだんだん分かってきた。服装も常にネクタイ着用できっちりしているし、授業や集会などでもすこぶる礼儀正しい。今日の会場に駆けつけての激励もその延長線上にあるような気がする。

倫理や政経はどうだったのだろうか。やはり心配ではある。マレーシアに渡った時、もう二度とセンター試験とは関わらないだろうと思っていたけれど、こうして関わっている自分が少しばかり可笑しくもある。

明日は、理系科目だ。今日の文系科目のことは忘れて、明日もα波で行け!

2020年1月17日金曜日

ブルーハーツな人

https://www.makuake.com/project/masatoworlddream/
妻はブルーハーツが好きなようで、よくYouTubeで聞いている。ブルーハーツは、かなり衝撃的な歌詞である。シュールだと言ってもいい。「気が狂いそう」とか「ドブネズミ」とか…。『1000のバイオリン』という曲では、ミサイルほどの鉛筆とかヒマラヤほどの消しゴムなどという歌詞が出てくる。その詩の趣旨は”おもしろいことをたくさんしたい”というところにあると思う。

今日、世界一周学校のNさんが塾長のN先生の招きで三崎高校にやってきた。午前中に三崎中学校でも授業に招かれ、午後は本校の世界史Aの授業で、世界一周の体験を語ってくださった。南極マラソンから始まり、サハラ砂漠マラソンや、フィジーの話、エチオピアのインジュラの話、赤道の話、キルギスのロバの話などいろんな話が出た。1時間ではもったいないほどの密度だった。私はNさんの話を聞いていて、前述のブルーハーツの『1000のバイオリン』を想起したのだった。後で聞いたら、旅行中よく聞いていたそうで、私は思わずニンマリしたのだった。まさに、ブルーハーツな人だった。

阪神淡路大震災から25年

いっせいに芽を吹きだした雑草のように https://judejude.exblog.jp/22110700/
私の愛車・中古のダイハツのムーブは、エンジンをかけると「今日は×月×日、○○の日です」という声が聞こえるシステムがある。(もしかしたらカーナビなのかもしれない。)今日「1月17日は、防災・ボランティアの日」だそうだ。そう、今日は阪神淡路大震災からちょうど25年目の日である。

25年前というと、私は工業高校に勤めていた。今の枚方の自宅から通っていた。私の自宅は大きく揺れ、思わず飛び起きたものの、幸い何も被害はなかった。TVをつけて、神戸の方に被害が出ているらしいことだけが分かった。学研都市線は動くだろうと駅までいったが運転停止になり、一度自宅に帰った。さらにTVでは酷い状況を映す出していた。もう一度駅に向かったがやはり動かない。今ならネットで素早く情報が入るだろうが、当時は携帯電話すら一般的ではなかったし、PCも88で、3.5インチフロッピーすらまだ登場していない時代であった。まさに隔世の感がある。結局学校には出勤できないまま、1日中、ブラウン管(=TV)を見ていた。信じられない光景が次々と映し出されていた。

阪急電車が西宮までようやく運行されるようになった時期に私もボランティアに参加した。その後さらに1年くらいたって、この震災で避難所となった小学校での様々な体験をされた教頭先生の原稿を元にシナリオ化し、「いっせいに芽を吹きだした雑草のように」という劇を演出した。最後のシーンは、卒業生が一人ずつ、震災に負けないとのコメントをしていく。(この学校の伝統らしく、これを使わせてもらった。)そしてタイトルとなった歌を歌う。当然ながら、シナリオを書く前に、実際に舞台となった学校にも行かせてもらった。まだまだ青いビニールシートがあちこちにあった。多くの方が避難所を出ていった後だったが、まだ数人残っておられた。憔悴したその顔を私は未だに忘れられない。

あれから25年。神戸の街は完全に復興した。今朝、阪神淡路大震災から生まれた様々なメリットもあるとのWEB記事を妻が教えてくれた。そのなかに災害ボランティアの誕生というのがあった。…だから、今日はボランティアの日でもあるのである。納得。

2020年1月16日木曜日

プロの本番(2)

三崎高校の創立記念日で、午後から生徒会が運営する記念式典と、スピーチコンテストが行われた。体育館は寒くて、センター試験を受験する生徒が風邪をひかないか気が気ではなかった。(笑)スピーチコンテストは実に素晴らしかった。なかでも三年生のスピーチには感涙してしまった。

三崎高校は、業界用語でいう全入の学校である。入学定員に志願者数が足りず、全員が合格する。ということは、学力差が激しくなる。塾で集中して勉強している国公立大学に十分行ける生徒もいれば、中学校時代不登校気味だった生徒もいる。三崎高校はこういう不登校気味だった生徒を再生する力がある。私も何人か知っているが、生徒会やせんたん部、あるいは部活で自信を取り戻し、リーダーとして活躍している生徒もいる。おそらくは、先生方の熱心な指導と小規模校故に「その他大勢」になる余裕がないからだと思っている。今回スピーチした3年生の生徒は、以前”大久”に一緒に視察に行ったことのある生徒で、コミュニケーション能力に難のありそうな生徒だった。塾生ではないが強く記憶に残っていた生徒だ。もしかしたら緘黙の生徒かもしれないと思っていた。

その生徒は中学時代に何らかの理由で自信を失い、コミュニケーションがうまく取れなくなり、1・2年生の時は休みがちで退学することを考えていたという。しかし先生方の家庭訪問、激励を受けて、なんとかやめずにこれたらしい。3年になって、就職試験のための指導で、大きな声を出す練習をしてから、だんだん自信ができたとのこと。バス通学でお年寄りに勇気を出して席を譲れるまでになったのが何より嬉しかった、三崎高校に来て本当によかった、という内容。タイトルは『大進歩』。本人にとってまさにタイトル通りの高校生活だったわけだ。私は、少しだけだけど知っているだけに、大感動のスピーチだった。同時に三崎高校という素晴らしい学び舎の存在に自分がいることを誇らしく思う。

その後、教師の研修会があって、不登校をライフワークにしている方のワークショップがあった。不登校とは直接的な関係はなかったが、集団内におけるコミュニケーションについて考えさせられるもので、大いに勉強になった。終わってすぐ、速足で塾に戻った。倫理の直前講座のためである。
昨日は、近代哲学のデカルトから実存主義のサルトルまで、4時間でやった。今日は社会契約論を含め、構造主義からプラグマティズムまで3時間強。プロとして、できるだけのことはやったつもりだ。結局、様々な逸話を挿入しながらコンパクトに教え込んだ。理解は十分だと思う。その後の整理と記憶は本人次第。『α波で行け』という受験の極意も伝えた。プロの本番。その戦いに勝った、と私は信じている。

2020年1月15日水曜日

司馬遼太郎 胡蝶の夢(一)

荘子の胡蝶の夢 https://nostalgi.jp/library_titles/history_titles/histories_kocho-no-yume.html
司馬遼の「胡蝶の夢」の第一巻を読了した。この小説は、奥御医師の松本良順と佐渡出身の伊之助と言う凄い記憶力をもった少年の物語である。大体において、司馬亮の長編小説は、第一巻が鬼門である。「竜馬が行く」でさえ、第一巻を読み切るのに時間がかかった。その時代、その小説のシチェーションの説明が必要不可欠なために、歴史学的な前提が説かれるからだ。今回は、奥御医師の世界がまず描かれる。この極めて無意味な封建社会の階級制度の話が現代の我々を不愉快にさせる。まずは、これを克服しなければならない。幸い、司馬遼の筆力がそれを補ってくれるので、無事読み終えた。半分ほど読んで、これはいけると思ったので、すでに来週のために第二巻と第三巻を手に入れてある。(笑)第一巻で、印象に残った話を記しておこうかと思う。ストーリーとは全く関係のない部分が多い。例によって、社会科教師の教材研究的な視点になってしまう。

江戸時代の鎖国と儒教・好奇心について 同時代、明も清もまた鎖国で李氏朝鮮も鎖国であった。ただ中国・朝鮮の場合、社会の体制が、血肉化した儒教でもってできあがっている。(中略)結果としては、社会全体としての好奇心が無いに等しくなる。この両国が鎖国を守る事ができたのは、好奇心の喪失ということが大きいであろう。日本の場合も徳川幕府は儒教を重んじた。が、多分に漢籍が輸入され、それを読むというかたちの儒教で、たとえば儀礼でもって村落の秩序が成立しているということはなく、また儀礼でもって冠婚葬祭が行われることもなく、日本の儒教は多分に教養であり、箇条書きの道徳綱目にすぎなかった。社会を成立させている基本思想としての儒教が徳川日本に存在したわけではない。しかしながら、徳川幕府は好奇心を抑圧しなければならなかった。社会のあらゆる慣習から持ち道具に至るまで、新しい事や物を望まず、その類のものを権力と法で禁じた。もし禁じなければ、270年も続いた江戸体制という精密な封建制と封建性のなかの安泰は、もっと早い時期に崩壊していたに違いない。
…この儒教についての考察は、同じ東アジア圏でも日本は特殊であるという点で私も同感である。好奇心の問題も幕末には押さえられなくなっていく。まさにフーコーの言うとおり、権力と知は密接な関係にあるわけだ。

適塾と順天堂について 適塾も順天堂も、いうまでもなく総合的な性格は少しも持っていない。適塾の場合、医学のヨーロッパ的な総合性という大きな体系の中から、わずかに病理学と解剖学の概論書を二冊抜いて「医学」とした。この二つを学べば何となく人体がわかったような気がし、病気のモトも理解できたような気がするという霊妙さがあった。(中略)これらの学問の修得は、当時、国家(あるいは世界) といったものを観察したり、分析したり、認識したりすることに役立った。という以上に、思考法そのものが書生たちにとって脅威であり、(中略)適塾から医者以外の多くの人材が出た。順天堂は、原書を読むより治療に巧みになることを重視した。
…福沢諭吉や橋本左内、村田蔵六=大村益次郎等の基盤が病理学と解剖学にあるというのは実に納得できる。若いころに学んだ学問を基盤に人間は自分の思考回路を形成すると私も思う。

思想や哲学について 伊之助が『老子』に凝ったのも、特にその生命についての解釈に傾倒したのも、右のように生命の恐怖心が苛烈なほどに剝き出てしまったことの反映であるようだ。思想や哲学は、要するに自己の性格の中の、はれもののように持て余している部分の単なる反映であるのかもしれなかった。
…『思想や哲学は』で始まるこの短い文章は、実に奥深い。様々な哲学者に当てはめることができる。私が司馬亮を読むのは、こういう文章に出会えるからだといってよい。

2020年1月14日火曜日

プロの本番

いよいよ今週の土曜日、センター試験である。先週土曜日に、推薦入試がうまくいかなかったので急遽センター試験を受ける必要に迫られた芸術系志望の生徒と話していて、社会は日本史だけでなく、倫理も受験することがわかった。日本史の方は少し関わったが、年末年始は鉛筆デッサンに集中していて、私もそのあたりの事情を聞き逃してしまっていた。年末に受けた模擬試験では、日本史はともかく、倫理は惨憺たる結果だったらしい。もう少し早く言ってくれればとの愚痴もでてしまうのだが、とにもかくにも、できる限りの対応をしょうと決意している。

センターの倫理では、やはり源流思想分野と呼ばれる、ギリシア哲学、キリスト教、イスラム教、仏教・インドの思想、中国思想が絶対出てくる。西洋哲学史は絶対出るという分野はないが、カント以前もカント以後も実存主義もどれかが出る。ちょっと読みにくい。日本の仏教と儒学国学も頻度が多い。限られた時間で、どれをどれくらい教えるか、まさに「プロの本番」である。

倫理に関しては、今まで時間をかけて、国公立を目指す生徒に、90点以上/100点を毎年取らせてきた。今回の話は、そこまで精度をあげなくてもいいだろうが、与えられた時間はわずか3日間である。(金曜日午後には、松山に前泊する必要があるので、放課後塾で講義する時間がない。)プロとして、ここは踏ん張ろうと思う。受験する生徒に合わせて、最大限の効果をあげれるように工夫したい。まずは、今日、源流思想分野を3時間でやりきったのだった。

2020年1月13日月曜日

西予市 三瓶に行ってきた。

西予町の三瓶(みかめ)に行ってきた。ここは、八幡浜市の南に位置し、海の駅・潮彩館というのもある。マンボウが水槽で飼われているというふれこみだったのだが、今は閉館中だった。…残念。昔書いたシナリオの原本では、主人公がマンボウというあだ名だったので、劇団のチーム名が「マンボウ」だったこともあって、私はマンボウに属性がある。もちろん北杜夫の本もだいぶ読んだけれど…。
子供用の豚のロデオもあってなかなかかわいい。(マレーシアではありえないと思う。)商業施設の規模は、三崎の「はなはな」とあまり変わらないように感じた。

三瓶は、前から気になっているところだったのだ。西予市では、我々と同様地域おこし協力隊として公営塾の募集を行っていて、この三瓶にある県立高校がその中心となるのである。(公営塾の対象は、西予市の3つの県立高校である。)愛媛県内では、三校目の公営塾になる。おそらく、我々未咲輝塾は無関係ではいられないからだ。
https://www.city.seiyo.ehime.jp/ijyu/yattimiru/7038.html

三瓶の印象は悪くない。三崎より八幡浜市に近いし、海あり山あり、コンビニあり、スーパーもあったので、三崎より都会感がある。(笑)そうそう、三瓶のことを調べていて、驚いたのは、SMAPの草彅剛氏誕生の土地らしい。(2歳の頃に埼玉県に引っ越したらしいので、出身地と言うより出生地といったほうがよさそうだ。)

2020年1月12日日曜日

マレーシアの教育相辞任 考

次世代リーダー塾でのマハティール首相 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/439506/
久しぶりに、マレーシアの事をエントリーしようと思う。先日のイラン危機に際して、マハティール首相はアメリカを強く非難し、「イスラム教国は結束を強めるべきだ。」と訴えた。私は、マハティール氏をマレーシアが生んだ類まれなる天才政治家と尊敬している。だが、マハティール氏は開発独裁型の政治家であり、聖人君子だとは思っていない。以前、アジア通貨危機の時に後継者と考えていたアンワル氏(現副首相)を刑務所にぶちこんだこともあるし、前回の総選挙で手を組み、後継に指名したものの、なかなか禅譲しようとはしない。いや、できないでいる、と言った方がいいと私は思う。

ここには、マレーシアのブミプトラ政策をめぐるジレンマがある。おそらく、マハティール首相は、5.13事件を機に民族対立が激した時、マレー優遇の旗を振ったのは自分であり、経済格差がかなり縮小した現在、OECD入り(=先進国入り)を目指すうえでこのブミプトラ政策を縮小するのも自分の役目だと考えているように思う。自分が作り、自分が終わらせる…そう考えているのではないだろうか。
現在の国民国家マレーシアの政治は、人口比で言えばマレー系が多いが、経済面では中華系・インド系が中心で、彼らを無視できるような状況にはない。多民族共生のための政策バランスが絶対に必要なのだ。
先年、国連の人種差別撤廃条約の批准の際は、マレー系の保守勢力の反対にあって断念せざるを得なかった。これは、ブミプトラ政策破棄の前兆ではないかという危惧から出ている。しかし、マハティール氏は知っているはずだ。中華系・インド系の若者の頭脳流出がかなりの数に達していることも…。

先日、教育相が辞任した。その理由は20年から小学校の国語でジャウィ文字(マレー語のアラビア語表記)の導入を進めようとしたところ、中華系・インド系から反対運動が起こり、その責任をとることになったのだ。マレーシアでは、(あえてこういう表現を使うが)マレー語が国語である。これは憲法で絶対的な位置をしめている国是である。つまり、中華系・インド系の人々からすれば、マレー語の授業自体、あまり必要としていないところにさらに負担が増え、国教であるイスラム教の圧力が増すと感じたのだろう。中華系の学生を教えた経験からすると、家では中国語(ただし出自によって広東語や福建語、客家語などの差がある)あるいは英語で会話し、学校でマレー語と英語を学ぶことになる。非常に語学の時間が多いカリキュラムになっている。しかもマレー系学生は、意外にも、英語で自然科学を学んだ方が価値的だということを指摘したこともある。こういう事情を鑑みるに、前教育相のジャウィ文字導入は、時代に逆行しているように見える。

マレーシアの宿痾は、ブミプトラ政策を守り続け、イスラム化を進めたい保守的なマレー系の顔を立てながら、中華系・インド系の利害をある程度認め、多民族共生をはかり、経済成長を進めねばならないというジレンマである。開発独裁を批判するむきもあるが、私はマレーシアには必要だと思っている。現在のマレーシアがあるのは、マハティール氏が作り上げた上(政府)からの、圧力による多民族共生の成功と、絶妙なバランスで、西側とも中国とも是は是、否は否としながら経済発展の道を進んできたからだ。

今回のマハティール首相の「イスラム教国は結束を強めるべきだ。」という発言は、教育相辞任という政治状況がバックにあると考えるべきだと思う。(もちろん、アメリカのエゴ丸出しの保護主義は大嫌いだろうが…。)マレーシアの首相は聖人君子で務まらないし、あらゆる矛盾の中でその時その時の正解を導き出す能力が求められているのだ。

2020年1月11日土曜日

スターリンの亡霊

http://sauvage27.blogspot.com/2008/05/sei-apparizioni-di-lenin-su-un.html
Daliの作品で「レーニンの亡霊」という作品がある。私は左翼でも右翼でもないのだが、最近つとに左翼運動には、自己の信ずるところのドグマのためには、極めて悪意のある陰謀や策略が許されるという信念のようなものを感ずる。これは、私が教師を始めた頃からのいくつかの経験からも感じることなので、最近のコトではない。私はスターリンから始まると思っている。プロレタリア独裁のもと、反革命はすべて悪だという二元論的な志向で、容赦がない。
http://tchal.net/article/187013532.html
急にこんなことを書きだしたのは、東京オリンピックに対する隣国のポスターにかなりの嫌悪感を感じているからだ。これまで私は、「儒家のカインコンプレックス」や「反日」と言う(デリダの理念である)ゼロ記号などの視点から隣国の反日姿勢を分析してきた。(再確認しておきたいが、私には在日の教え子や友人も多い。危惧してきた半島の政権と在日の人々を同一視する論調が最近多くなってきたので、非常に心を痛めている。)今日は、これらの視点に、今の文・左派政権における「スターリンの亡霊」を加味したいと思う。したがって、この視点は、保守派の人々ではなく、文・左派政権とそれを応援している人々に対してのモノである。

私が学生当時「反帝・反スタ」という(トロツキストの)新左翼のスローガンがあった。この”スタ”はスターリン主義をさしている。陰険な策謀の代名詞と言っていい。まあ、ヒトラーはとんでもない奴だが、スターリンもそれに輪をかけて冷酷で、反対派を虐殺している。その陰険さは世界史上でも抜きんでている。毛沢東しかり、ポルポトしかり、チャウシェスクしかり、今の金王朝もしかり…。どうもこのスターリンのDNAが左派にはぬぐい切れないような感覚を私はもっている。

さて、東京オリンピック開催について、私はあまり興味がない。こうして日本に帰国してきたが、自分の中では全く盛り上がっていない。だが、隣国の東京の放射能の数値の高さを揶揄したポスターは噴飯ものである。在ソウル日本大使館はソウルの放射能検査値を毎日公表しているようだが、東京と変わりがない。様々な非科学的(論証を全く無視している)な「いいがかり」(というかウソ)で、東京オリンピックを妨害しようとする姿勢は、まさに陰険な策謀そのものである。科学的に論証すべきだと正しても、彼らのドグマがそれを平気で押しつぶす。正義は我にありという二元論で受け付けない。

東北大震災の事故で傷ついた福島の皆さんをはじめ、人の気持ちなど彼らの辞書にはない。まともな人々は相手にしないだろうし、私も相手にしたくないのだが、IOCはどう対処するのだろうか。自国選手を放射能汚染された日本食材から守るため選手村に入らないという陳腐な手段も、スターリン的な悪意しか感じない。オリンピック憲章は政治の介入を排しているはずだ。と、いってもスターリンの亡霊に取りつかれている現在の左派政権には通じないだろうが…。小さな声だが、いちおう、声をあげておく。

「遠さ」を噛みしめる。

大阪にいた時、東京は好きではないが羨ましく感じる時があった。それはESDや開発教育などに関わるセミナーなどの研修機会の密度の問題である。大阪ではワンワールドフェスティバル(今年も2月1・2日に開催されるらしい)くらいだが、東京ならもっとこういうイベントが多いので地団駄を踏んでいた。

さて、愛媛県三崎にある私としては、今悩んでいることがある。日本国際理解教育学会に復帰するか否か?また四国には、四国地方ESD活動支援センターという組織があって、こちらに属するべきか?それとも無所属でやっていくか。(別に無所属で困ることはないのだが、研修機会や発表機会があるほうが絶対に自己研鑽のためには良いと思う。)

この四国ESD活動支援センターの存在を知ったのは、昨年の愛媛大学のフォーラムでもらった翌日の研修のチラシによってである。さらに三崎高校が知事賞をいただいたエシカル甲子園にも関わっていることがわかった。この25日にも私にとっては魅力的な研修会も予定されている。それが、今日の画像のSDGsカードゲームの体験である。しかも、今私が製作しようとしているオリジナルゲームにかなり近いであろうと思われる「SDGs  de 地方創生カードゲーム」というのもやるみたいだ。(ゲームの名前が私のとは違っていて実に幸いである。)高松でやるようで、無理すれば行けないこともないが、私の方はボードゲーム化するつもりだし、まずはあえて独自のものを作りたいし…と悩むところである。同じ日に松山でESD研修交流会もあるようだ。こちらは日本ESD学会とのからみもあるようで、発表するためにはESD学会に入る必要があるようだ。国際理解教育学会の理事でもある聖心女子大学の永田先生が来られるようで、その講演内容にも大きな関心がある。しかし結局、今回の参加は見送らざるを得ないと思っている。
https://shikoku.esdcenter.jp/

高松も、いや松山さえも、三崎からは遠い。この「遠さ」が、3か月たった最近、身に染みてきた。大阪にいた時には全く感じなかったことだ。魅力的なコトとの物理的な距離。これを乗り越えていくことは重要だと思う一方で、還暦を超えた身には実に億劫でもある。いわば都市と地方の文化的な格差だといっていい。この「遠さ」を今噛みしめているところだ。

2020年1月10日金曜日

オリオン座のペテルギウス

https://matsuao.com/science/post-1192/
冬の代表的な星座であるオリオン座。マレーシアでも見えるようなのだが、KLは地上の光の多い大都市だし、すっきり晴れた夜はそう多くないので、あまり見た記憶がない。こちら三崎は、空気が澄んでいるし地上の光も少ないので、よく見える。小学生の頃は親父の影響で天文学的な知識を多少得た。オリオン座とくれば、ペテルギウスとリゲル。そして三連星である。最も分かり易く、昔からなじみの星座である。

さて、NATIONAL GEOGRAPHICの日本語版に、「オリオン座の巨星に異変、超新星爆発が近い?ーペテルギウスが観測史上異例の暗さに、爆発の前兆か、専門家に聞いた」という記事があって、興味深く読んだ。ちなみに、ペテルギウスは、PBTの学生・卒業生は日本語名になじみがないと思うので、英語表記はBetelgeuse、中国語表記は参宿第四星(参宿四)である。(上記画像参照)

さて、このペテルギウス、夜空の恒星の中でも上位10位に入る明るさなのだが、昨年10月から暗くなってきて、12月中旬には上位20位にもはいらなくなったそうだ。ただ、ペテルギウスは変光星なので減光することは不思議ではない。しかし、異例の減光であることは確からしい。科学者たちは、超新星爆発するのではないかと期待しているとのこと。もし、超新星爆発したら、ペテルギウスは一時的に満月よりも明るくなり、昼間でも見られるという。2,3か月後に暗くなって永遠に消えてしまうらしい。これらの変化は肉眼でも十分確認できるという凄い話だ。
【主な星の大きさの比較】

1. 水星 < 火星 < 金星 < 地球
2. 地球 < 海王星 < 天王星 < 土星 < 木星
5. アルデバラン < リゲル < アンタレス < ベテルギウス
ペテルギウスの質量は、太陽の20倍だが、大きく膨張しているそうで、もし太陽の位置にあれば、木星くらいまで達する大きさらしい。太陽系からの距離は、約642光年。つまり、我々が見ているペテルギウスの光は642年前のものである。ということは、1378年。西洋史では、大シスマ(カトリック教会の大分裂:ローマ教皇がローマとフランスのアビニョンに並び立ったこと)の年で、日本では南北朝時代になる。
天文学という学問は、ふと冷静に考えるとそういう驚愕の事実に向き合うことになる。

ところで、ウィキによると、もし、ペテルギウスが超新星爆発したとして、その後ブラックホールではなく、中性子星になるとあった。中性子星についても調べてみた。極めて興味深いが、これ以上エントリーするのは「超文系」の私には不相応なのでやめておこうと思う。

2020年1月9日木曜日

インドの市民権法改正問題

http://blog.livedoor.jp/nappi11/archives/5140102.html
イラン危機は、やはり小競り合いで終わらせようとする両国の思惑が一致したようだ。イランの攻撃もできるだけ人的被害を与えないように米軍基地の格納庫等を狙ったものだったようだし、アメリカへの理性的対応を望むという書簡さえ渡したようだ。大統領閣下の演説も過激さが失せた。これで、とりあえずは、小康状態に戻ったわけで、イランの株がちょっと上がったような気がする。

さて、今日はインドの問題である。「イスラム排除を見せるインド市民権法改正」という記事が気になっている。
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/18278

昨年12月にインド市民権法の改正が、上下両院で可決された。その内容を整理すると、不法入国者(隣国のパキスタン、バングラディシュ、アフガニスタン)とその子供には市民権は付与されなかったが、2014年までに不法入国した難民数百万人に付与する。ただし、ヒンドゥー教徒、シーク教徒、仏教徒、ジャイナ教徒、ゾロアスター教徒が対象で、イスラム教徒は除くというものだ。
この改正には、インドのヒンドゥー化を推進する政府の思惑がある。アッサム州でバングラディッシュからの難民排除のための市民登録制度で、難民の2/3がバングラディシュのヒンドゥー教徒であったため、彼らに不利益を与えたという反省と、パキスタン等3国は、いずれもイスラム教国であり、イスラム教徒が迫害を受けることはないはずだという理屈が背景にあるようだ。

インドの憲法にも、法の下の平等(第14条)があるし、難民は、宗教的な迫害だけが理由で生まれたわけではないので、この市民権法は国際的にも国内的にも大きな批判にさらされている。

…インドの発展は今、世界的な注目を浴びている。そのインドでことさらにイスラム教徒を排除するというのは時代の逆行と言わざるを得ないと私も思う。
イスラム教徒の難民の多くは、おそらくは、経済難民だと思われる。マレーシアでも不法入国や就労ビザの切れた外国人労働者の問題は、痛しかゆしの問題である。マレーシアでは、所得が上がってきて、外国人労働者の就業が、マレー系やインド系の人々の就労を直接脅かすことはあまりないが、インドでは、発展してきたとはいえ、ジャーティ(カースト制度と誤って呼ばれている職業別の階級構造)の関係で、ジャーティーによっては多少脅かす状況なのかもしれない。
日本にいるとこういう感覚がなかなか実感できないが、非常に重要かつ微妙な問題なのである。記事の最後にあるような欧米の価値観の押し付けには私ちょっと違和感がある。インド政府のポリシーをある程度理解したとしても、これからのインドの発展を考えると決して得策であるとは思えないのだ。まして、イスラム教徒であるマレーシアのF42国費生の諸君は、この問題どう考えるだろうか?

2020年1月8日水曜日

現時点でのイラン危機考2

https://ameblo.jp/oretatinonii
gata/entry-10492226009.html
今日は、爆弾低気圧の関係で三崎は、雨は降っていないものの凄い風の日であった。マレーシアでも凄いスコールの時に突風が吹き荒れたが、こちらの風は音が怖い。(笑)台風が来た時はどうなるんだろうと思ってしまう。

さて、イランが国内から弾道弾ミサイルでイラクにある米軍基地を攻撃したようだ。朝のニュースでは死傷者はなさそうだったのだけれど、夕刻には20~80名ほどという数字が流れた。十数発も打ち込んで、さすがに米軍の死傷者ゼロはないと思っていたけれど、3日間の喪が明けて速攻の反撃は、ある程度成功を収めたのではないかと思われる。

しかも大統領閣下に懸賞金が出た。8000万ドル(日本円で86億とも87億ともいわれている。)、葬儀の際に懸賞金の寄付が行われたという情報もある。ネットでは、ロジャー(ワンピースのかつての海賊王、エースの父親)以上の懸賞金だと盛り上がっている。

この懸賞金は葬儀の主催者によるもので、最高指導者ハメネイ師の死刑宣言というファトワではないようだ。以前ホメイニ師が「悪魔の詩」を書いたイギリスの作家(翻訳者出版関係者も同罪)に死刑宣告のファトワを出し、日本語翻訳をした筑波大学教授も殺された。このファトワは発した本人しか撤回できないので、今も有効である。凄い話だが、もし、ハメネイ師がファトワを出したら、大統領閣下は元大統領閣下になったとしても、撤回されない限り暗殺者に狙われる羽目になる。大統領・副大統領経験者とその家族には、SPがつくが、おそらく守り切れないのではないか。NYのトランプタワーや所有しているホテル・ゴルフ場など全てを守り切れるものではない。大統領閣下は、まったくバカな真似をしたもんだと私は思う。イランの怖さは「シャーに死を」という革命時のフレーズに露骨に出ている。これもシーア派の人々の強烈な一面で、穏健なマレーシアのムスリムである教え子からみると全く理解不能だと言っていた。しかし、マハティール首相は、今回の暗殺を不道徳だと非難し、イスラム国家は結束すべきだと述べている。

私はまだ、両国が全面戦争になるとは思っていない。互いにデメリットが大きすぎるからだ。しかもアメリカには正義がない。大統領選の帰趨を左右する利己的な思惑しか見えてこない。イランには、シーア派の十二イマーム派というアイデンティティが強固にある。追い詰められたら立たざるを得ない。またイ=イ戦争でボロボロになりながらも耐えた過去もある。ここは、大統領閣下、遺跡を攻撃して戦争犯罪人になる前に矛を収めるべきであると思うのだが…。

風が強い。ヒューヒュー鳴っている。これからの中東を暗示しているように思える。

2020年1月7日火曜日

振替休日で、「どーや市場」

明日が始業式なので、今日はまだ冬休み期間中である。そこで、私は日曜日の支所での開塾当番の振り替え休日になった。朝は天気も思わしくなかったのだが、せっかくなので八幡浜まで出ることになった。妻の希望は、久しぶりの「どーや市場」である。八幡浜の道の駅にある鮮魚市場なのだが、伊方町・八幡浜市・大洲市といった我々の生活圏で、最も鮮魚が安いと思われる場所だ。この3か月の妻の買い物パトロールの結論らしい。ちなみに野菜は大洲の「愛たい菜」という地産地消のマーケットだ。
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どーや市場は、とにかく新鮮で安いらしい。今回は妻は「イカ」を買った。他にもたくさん買いたかったモノがあるらしいのだが、冷蔵庫・冷凍庫のキャパの問題で買えなかったそうだ。クエが売っていたので、写真を撮らせてもらった。かなり高級魚で、実は売っているのも初めて見た。(先日佐田岬漁港で大きなクエが上がったそうで、地域協力隊のTさんの報告を見て、その値段に驚いたことがある。)宇和海産の天然の鯛などめちゃちゃ安いし、ホント美しい。

2020年1月6日月曜日

現時点でのイラン危機考

https://www.islamtimes.org/en/article/804174/pretty-please-trump-asked-iran-to-allow-him-bomb-it
3日に、イランの革命防衛隊のゴドス部隊の司令官をバグダッド空港近くにおいて空爆で殺害したことに、世界は大きな衝撃を受けている。これからどうなるのか、イランの出方を注視していたら、バグダッドの米国大使館に向けロケット弾が打たれたが、米国人の死者は出ていない。イラクの国会は、米軍の国内からの撤退要求を決議した。

もし、このロケット弾が大使館に命中し、死者が出てていたら開戦の可能性は高まっただろう。おそらくイランはわざと外したのではないかと私は思う。もちろん、イラク議会が米軍の撤退要求を出すことを見据えた上での戦略だと思う。要するに小競り合いの域を出ないようにしているわけだ。国際関係を志望する教え子諸君には、以下の斎藤彰氏の記事が最も参考になると思うので、内容を整理しておく。
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/16662

そもそも、このイラン危機、どう見ても米国大統領閣下の方が分が悪い。なぜなら昨年5月の「イラン核合意」からの一方的離脱とこの離脱を口実にした経済制裁がきっかけである。イギリスが今回の暗殺に一定の理解を示してはいるものの、独・仏などは批判的だ。もし、小競り合いから開戦となっても、西欧諸国を含めた多国籍軍などは形成できないだろう。
米国内での世論調査でもイランへの先制攻撃に賛成は12%、反対は60%らしい。ブッシュのイラク戦争時の90%近い支持はない。しかも、高原の国であるイランでの戦争はイラク以上の莫大な出費を伴うはずで、大統領閣下を支持する中西部保守層から見放される可能性もある。現に大統領閣下は、昨年イランの軍事拠点攻撃を10分前に中止している。
中露がイラン側についていることも、さらなる険悪化を招くことは必定である。
そもそも、威勢はいいが、ビジネスマン出身の大統領閣下は、金の無駄使いのような戦争を望んでいないようである。

…と、いうわけで小競り合いはあるだろうが、お互いに開戦にはもっていかないだろうと私は思っている。ただ、偶発的な問題や大統領選の趨勢あるいは弾劾問題にからんで開戦する可能性は捨てきれないわけで、双方の冷静な判断(これがどうも信用できない!)を願うばかりである。