2020年1月15日水曜日

司馬遼太郎 胡蝶の夢(一)

荘子の胡蝶の夢 https://nostalgi.jp/library_titles/history_titles/histories_kocho-no-yume.html
司馬遼の「胡蝶の夢」の第一巻を読了した。この小説は、奥御医師の松本良順と佐渡出身の伊之助と言う凄い記憶力をもった少年の物語である。大体において、司馬亮の長編小説は、第一巻が鬼門である。「竜馬が行く」でさえ、第一巻を読み切るのに時間がかかった。その時代、その小説のシチェーションの説明が必要不可欠なために、歴史学的な前提が説かれるからだ。今回は、奥御医師の世界がまず描かれる。この極めて無意味な封建社会の階級制度の話が現代の我々を不愉快にさせる。まずは、これを克服しなければならない。幸い、司馬遼の筆力がそれを補ってくれるので、無事読み終えた。半分ほど読んで、これはいけると思ったので、すでに来週のために第二巻と第三巻を手に入れてある。(笑)第一巻で、印象に残った話を記しておこうかと思う。ストーリーとは全く関係のない部分が多い。例によって、社会科教師の教材研究的な視点になってしまう。

江戸時代の鎖国と儒教・好奇心について 同時代、明も清もまた鎖国で李氏朝鮮も鎖国であった。ただ中国・朝鮮の場合、社会の体制が、血肉化した儒教でもってできあがっている。(中略)結果としては、社会全体としての好奇心が無いに等しくなる。この両国が鎖国を守る事ができたのは、好奇心の喪失ということが大きいであろう。日本の場合も徳川幕府は儒教を重んじた。が、多分に漢籍が輸入され、それを読むというかたちの儒教で、たとえば儀礼でもって村落の秩序が成立しているということはなく、また儀礼でもって冠婚葬祭が行われることもなく、日本の儒教は多分に教養であり、箇条書きの道徳綱目にすぎなかった。社会を成立させている基本思想としての儒教が徳川日本に存在したわけではない。しかしながら、徳川幕府は好奇心を抑圧しなければならなかった。社会のあらゆる慣習から持ち道具に至るまで、新しい事や物を望まず、その類のものを権力と法で禁じた。もし禁じなければ、270年も続いた江戸体制という精密な封建制と封建性のなかの安泰は、もっと早い時期に崩壊していたに違いない。
…この儒教についての考察は、同じ東アジア圏でも日本は特殊であるという点で私も同感である。好奇心の問題も幕末には押さえられなくなっていく。まさにフーコーの言うとおり、権力と知は密接な関係にあるわけだ。

適塾と順天堂について 適塾も順天堂も、いうまでもなく総合的な性格は少しも持っていない。適塾の場合、医学のヨーロッパ的な総合性という大きな体系の中から、わずかに病理学と解剖学の概論書を二冊抜いて「医学」とした。この二つを学べば何となく人体がわかったような気がし、病気のモトも理解できたような気がするという霊妙さがあった。(中略)これらの学問の修得は、当時、国家(あるいは世界) といったものを観察したり、分析したり、認識したりすることに役立った。という以上に、思考法そのものが書生たちにとって脅威であり、(中略)適塾から医者以外の多くの人材が出た。順天堂は、原書を読むより治療に巧みになることを重視した。
…福沢諭吉や橋本左内、村田蔵六=大村益次郎等の基盤が病理学と解剖学にあるというのは実に納得できる。若いころに学んだ学問を基盤に人間は自分の思考回路を形成すると私も思う。

思想や哲学について 伊之助が『老子』に凝ったのも、特にその生命についての解釈に傾倒したのも、右のように生命の恐怖心が苛烈なほどに剝き出てしまったことの反映であるようだ。思想や哲学は、要するに自己の性格の中の、はれもののように持て余している部分の単なる反映であるのかもしれなかった。
…『思想や哲学は』で始まるこの短い文章は、実に奥深い。様々な哲学者に当てはめることができる。私が司馬亮を読むのは、こういう文章に出会えるからだといってよい。

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