2010年1月28日木曜日

デモクレイジー


 ポール・コリアーの「民主主義がアフリカ経済を殺す」を今日やっと読み終えた。このところ通勤電車で爆睡してしまうことが多かったからだと思うが、この本に若干眠気を喚起する要素があったことも否定できない。
 この本は、前作「最底辺の10億人」で述べられた「紛争の罠」「天然資源の罠」「内陸国の罠」「悪いガバナンスの罠」への対応策として、その最後の章に記された「国際的な監視システムや憲章の必要性」を、さらに詳しく、統計資料や事例を駆使してより具体的に述べたものである…と、私は理解した。
 ポール・コリアーは最後に3つの提言をしている。1つ目は『国際社会の主要国が共通のコミットメントを通じて、選挙の国際基準に従うことを誓約した政府がもしもクーデターで転覆された場合、必要があれば軍事介入も含め、その政府の復権を請け負う』2つ目は『援助国が統治に対する融資条件として、総合政策と特定の活動への予算配分、実際の活動を分離し、安全に支出できるよう専門家を派遣し、制度設計からかかわること』3つ目は『国際社会による安全保障の供給』である。
 その根拠として、最底辺国の選挙の実態から、内戦論、クーデター論、民族国家論、安全保障と近代国家、規模の経済と安全保障の関係、国家主権とその共有の可能性など、丁寧すぎるほどに1つひとつ論を積み重ねて構築されている。最後の最後に、ああなるほど、それであの論が必要だったのか、あの事例はこの提言のベースだな、と解るのである。
 この本の中心概念は、『最底辺国は、民族国家としては大きすぎ、国家としては小さすぎる。』という構造的な問題であり、『アカウンタビリティー(責任)の欠如と公共財としての安全保障を欠いている。』という事実である。最後の提言を読み終えて、この中心概念の意味がぱっと開けた、そんな感じの本であった。
 謝辞の中に、さらなる続編のヒントが隠されていた。一次産品の高騰と中国の影響…。そう今や中国を抜きにアフリカは語れなくなってきた。今から続編が楽しみである。
 さて…この本の内容を、いかに高校生にわかりやすく説明するか、それがこれからの私の仕事である。

2010年1月27日水曜日

神の見える手


 昨日の学年末考査の続編である。仮想世界ゲームの考察の中で、第3セクションでの私の『神の見える手』(1月14日のブログ:仮想世界ゲームⅡ参照)について疑問を提起したものがあった。なぜS地域を救ったのか?実は、他の3地域は協調しようともしないS地域にかなり頭にきていて、あえて経済封鎖を行い、餓死者を出してでも解らせようとしていたのだというのである。…なるほど。餓死者を出してでもというのはひっかかるが、そういう戦略自体は理解できる。解答用紙の最後に、「是非時間があれば謎解きをして欲しいです。」とあったので、今日、当人を読んで試験終了後に話をした。私の謎解きは3つ。
 その1:このゲームを失敗させるわけにはいかなかったこと。私にとって、今回の仮想世界ゲーム初めての試みであり、餓死者を出したというのは失敗したに等しいこと。南北貿易ゲームで先進国が途上国に負けたりするのとは、わけが違う。すなわちゲーム全体のバランスから見て是である。
 その2:このゲームの元になったアメリカの仮想世界ゲームには、軍事的なルールも存在していたが、広瀬先生が日本の教育風土になじまないということで改訂されたこと。すなわち、教育的見地から是である。
 その3:ルールでは、餓死者は、進行係の手伝いをすることになっている。もし餓死者が5人も出て、進行係を構成することになれば、地理Bの4人はどう思うだろうか。自分たちはゲームに失敗した者と同等の罰ゲーム的な仕事をさせられていると思うかもしれない。すなわち陰の苦労を厭わず勤めてくれている地理Bのメンバーの矜持にかかわること。陰の苦労をしている者を守るという人情の機微という観点から是である。
 全ての見解について良く判ってくれた。特に、最後の地理Bメンバーたちの気持ちについては、十二分に納得してくれた。私は、知識を伝えること以上に、こういう時間をとることが好きである。改めて、こういう機会を与えてもらえた「全てのこと」に感謝したいと思う。

2010年1月26日火曜日

設問:仮想世界ゲームの考察


 今日から3年生の学年末考査である。楽しみにしていた答案が手元に届いた。秀作が多く、私が厳選して付箋をつけた答案だけで、半数の22枚もある。特に印象に残った答案をいくつか紹介したい。
 『E地域は、優秀な政党主が、社会主義路線を貫いた。私有財産を提供し、地域で農園を5つ購入し、飢餓に備えるとともに、政党主が食糧チケットを先進地域から安く仕入れてきた。一般ピープルとしては、その片割れである労働チケットに名前を書き込むだけ。何事もなく、そのセクションが終わり、収入が入り、またチケットに名前を書く…その繰り返しだった。私も何かをしなければ、と他地域の喧騒を感じつつ、でもこれ以上何ができるのかと思い、思考を停止した。社会主義国の国民ってこんな感じだと思う。彼らが、冷戦崩壊で、資本主義の荒波に飲まれた時、どんなにか苦しんだだろう…と考えた。(趣意)』
 『S地域は北朝鮮であったか?否、我々には情報が十分にあった。第3セクションで食糧チケットが余っているはずなのに、手に入らない状況があった。まさに他地域からの経済封鎖である。調べると北朝鮮は情報管理が行き届いているとか。飢餓になるかもしれない、そんな情報を得てもよけい何もできない。その意味で我がS地域はかの国より劣っていたと見るべきだろう。この仮想世界は全国民が倫理的で道徳的であるという前提があると私は思う。兵器を作ったり麻薬を売買して私腹を肥やすというルールはない。しかし、もしこれが現実であれば、私は悪に手をそめていたかもしれない。現実を思うとひどく切なく思えた。(趣意)』
 『先進地域の一般市民だった自分。はじめ無役のプレーヤーは働き手としての数合わせとしか思っていなかった。無役の自分ができることは本当に少ない。私が実感できたのは、何もしない自分と、それを腹立たしく思う自分。だが無駄ではなかった。仮想世界ゲームは、地球市民になるための一歩を進むための手ほどきだった。世界に対する自分を、自分に見せるゲームだった。(抜粋)』

2010年1月25日月曜日

仮想世界ゲームⅥ


 仮想世界ゲームも最終第7セッション、というよりゲームに貢献したメンバーの表彰式で全て終了である。今日は、3年生の最後の授業日でもある。昨夜、投票結果をもとに表彰状を作った。N地域とW地域の企業主、それにE地域の政党主が投票でほぼ同数。3人を表彰した。他にも表彰したいメンバーが多くいるが、全員のコンセンサスも考えて断腸の思いで3人にしぼったのだった。
 最後の授業では、世界に羽ばたけ!とばかり、1人旅の思い出話で思い切り笑わせた。例のすべらない話シリーズ(2009・12・26日のブログ参照)である。しかし結論は、やはり『地球市民たれ!』…これしかない。
 推薦図書をB4で7枚分に綴った「1tの本を読め!」も約束通り配布した。心待ちにしてくれていた生徒もいて嬉しい。
 我が地理Bの進行係のメンバーも4限目の授業が最後だった。「仮想世界ゲーム無事終了、ゴクロウサン!」ブルキナファソを思い起こさせる練乳入りの「MAX―COFFEE」で乾杯!である。なんと、プレゼントを4人が用意してくれていた。夫婦茶碗である。ありがたいことだ。地理Bのメンバーには、改めて、写真やブルキナファソ留魂録や開発経済学テキストなどCDに焼いて卒業記念として渡したいと思う。
 放課後、社会心理学からのリサーチを担当してくれていた2人を呼び、今回の仮想世界ゲームの原本である広瀬先生の「シミュレーション世界の社会心理学―ゲームで解く葛藤と共存 」を渡す。広瀬先生には誠に申し訳ないが中古本で取り寄せたものだ。しかし、2人は大喜びしてくれた。進行係の4人もリサーチ係の2人も、終わってからの本音を聞くと、やはりプレーヤーとして参加したかったとのこと。せめてもの気持ちである。
 本校に赴任して、この4月で8年になる。一生懸命に生徒にぶつかり、様々な取り組みをしてきた。そして、それ以上に本校の生徒はいつも答えてくれた。教師冥利に尽きるのである。
 ところで、今日は愚息の修士論文の口頭試問だったらしい。スーツを着て大学院に行ったそうである。私も、この仮想世界ゲームの実施報告書をさっそく書き始めた。修士とはいかないまでも学士論文くらいの内容にはしたい。それが、素晴らしい生徒たちへの礼儀でもある。

2010年1月22日金曜日

仮想世界ゲームⅤ


 昨日今日と、仮想世界ゲームが進行しまた。この進展については、あまり公にできません。と、いうのもこのゲームを長年指導してこられた名古屋大学の広瀬先生の、ある意図があるからからなのです。
 このゲームの初期設定では、30人分しか食糧がありません。40人全員が生き延びていくためには、当然農園を広げていくことが不可欠になります。また企業が生産をしないと、多くの人々は食糧を買えません。すると、必ず環境問題が発生するのです。マニュアルでは、細かな規定があり、農園の増産や生産規模の拡大が、環境問題を引き起こすように設定されているのです。我が全国で2度目の実施校(芝浦工業大学付属高校で最初に実施)となる高校生による仮想世界ゲームでも、このジレンマによって第5・第6セクションで環境問題が発生しました。実は、このゲームは、社会心理学のシミュレーションであるとともに、環境問題のシミュレーションでもあるのです。
 第2・第3・第4セッションと、各地域のそれぞれの帰属意識はかなり強くなり、対抗意識も高まります。当然競争意識や途上地域の被害者意識も高まります。地域間の利害、それらを、仮想世界全体の利害へと転換する方向へとゲームは向かうのです。
 これからこのゲームに接する方のために、ブログで公にできるのは、残念ですが、これが精一杯です。
 私は、この土日2日間、第6セッションで再度行った「ふりかえり」や、進行係が記録してくれた全てのデータを整理し、報告書をまとめる作業に入ります。各地域ごとに整理した資料を中心に、各党の政策提言集などを提示して、学年末考査の試験問題をつくります。今日、生徒たちに伝えた試験問題、それはこれ1問…『仮想世界ゲームを考察せよ。』
 社会心理学的に論じるもよし。経済学や経営学的な視点から論ずるもよし。地域間の問題を社会学的に論ずるもよし。教育学的にその効果を論じてもよし。もしもっとセクションが続いたらどのようになっていくか、また自分のアイデアを披露するもよし。さて…どんな答案が出てくるか、楽しみです。

2010年1月21日木曜日

市場を飼いならす



 3年生の授業を私は3科目教えている。倫理(3単位)、地理B(3単位)、地理演習(2単位)である。木曜日は、1限目が倫理、3限目が地理B、5限目が地理演習である。これらが全て、今仮想世界ゲームを行っている国語科対象の授業である。したがって、全て選択していると、1日3回私と顔を合わすことになる。そんな生徒が2人いる。すなわち地理演習も選択した生徒である。
 この教科は本来受験のための教科なのだが、私は、昨年度から徹底したアフリカ開発経済学講座にしている。今日はその最終日だった。テーマは、アマルティア=センの『市場を飼いならす』。飢饉がおこった時、どうするのがよいのか?2人に聞く。「それはすぐ食糧を配布するべきでしょう。」もしそういう政策をうったらどうなるか?経済学的にシミレーションする。「結局、近隣で生産された穀物の価格が下がり、波及するな。」「センの考えた政策は、次の飢餓を防ぐための農業用水路などの公共事業をやって賃金として、飢餓の人々に現金を渡すわけだ。」「その現金で食糧を買えというわけですか。」「市場というのは、儲かるなら動くものだ。」「みんな売りにきますね。近隣も儲かる。」「しかもインフラも整備されますねえ。」と、センを生徒は称賛した。
 授業の後半、仮想世界ゲームの話に移った。「N地域が6simで食糧チケットをS地域に売っていた。W地域は、農園主がたくさん開拓したので、供給量が多い。それで2simでE地域に売っていた。これをどうとらえるかな?」「…。」「その市場動きを知ったE地域の政党主が、W地域の食糧チケットを買い、S地域に売ったわけだ。」「ヒドイ!」「やるなあ。」「市場、ビジネスとはそういうものだ。もし、仮想世界ゲームが第20セクションくらいまで続けば、いろんな事が起こってもっと市場が動くだろうな。」「大学生のゲームなら凄いことになりそうですね。」「おもしろい!」「センは、この市場をうまく飼いならして、途上国の開発を進めるべきだと説いたわけだ。」「なるほど。」…地理演習は1年間こんな授業であった。
 ところで、この2人を含む地理Bの4人は、今は、仮想世界ゲームの進行係。40人の個人封筒の中の現金を数え、株や農園、食糧チケットなどを確認して集計し、次の授業に備えている。陰の立役者である。彼らがいなかったら絶対仮想世界ゲームはできなかった。文句も言わずもくもくと作業をこなしてくれる。ありがたい。こそっとブログで最大限の感謝の意を述べておきたい。君たちは最高だ!

2010年1月20日水曜日

オーストラリア留学生最後の日


 今日は、昨年秋から来日していたオーストラリアの姉妹校の留学生5人の最後の登校日でした。私のコウムブンショウ(完全なる業界用語:教科指導以外の学校の仕事=校務分掌)は、国際交流部といい、他の学校ではほとんどない分掌です。彼ら留学生のお世話をするのも仕事の1つ。私がメインの仕事ではありませんが、他の先生方より多く、深く関わることになります。
 今回の留学生は、白人2・中国系1・韓国系1・日系1で、本校の制服を着ていると、白人の2人はともかく、あとのアシアン3人は全く区別がつきません。今やオーストラリアは多民族国家なのです。
 週1時間、彼らに『日本の文化』を講義していました。そう、サバイバル=イングリッシュを駆使して…。時には日系の生徒(彼は日本語がほぼOKです。)に通訳してもらいながら…。日本の多層的な文化や、日本の特徴的な鎌倉仏教、朱子学的な日本人の在り方、近代化を乗り切った謎など、かなりディープな内容でした。私も大いに勉強になりました。最終の講義では、ブルキナファソ行のプレゼンテーションをPCを使って行ないました。講義の帰着点は、やはり…「地球市民たれ!」
 みんな私の講義を楽しみにしてくれていました。たった3カ月でしたが、かわいい教え子が南半球に5人増えました。今日は朝から、彼らとともに渡豪し交換留学する本校生徒とアメリカの姉妹校に短期留学する生徒を集め、写真を撮ったり、PTA主催の文楽鑑賞に参加する彼らを、授業の空き時間に、近くの「文楽劇場」へ送り届けたりしていました。残念なことに午後から出張だったので、昼休みに、ちょうど「文楽劇場」から無事帰ってきた彼らと、1人ひとりチョークのついた手で握手をしたのが最後となりました。
 教師を30年近くしていると、「一期一会」という言葉の重みを深く感じることが多くなります。

2010年1月19日火曜日

恒例!英語DE南北貿易ゲーム


 仮想世界ゲームは今日はお休みである。本校は専門学科で2つの学科があるのだが、仮想世界ゲームをやっていない方のもうひとつの学科は大阪でも最も歴史のある英語科である。仮想世界ゲームは莫大な準備の時間が必要であるので、2クラス同時進行は不可能。英語科には倫理の時間、環境問題を講義していた。センター試験も終わり、恒例の国際理解教育定番のワークショップ「南北貿易ゲーム」を今日やった。
 南北貿易ゲームは、途上国の置かれた経済格差を感じるためのゲームだ。紙を指定された三角形、円形、長方形に切って「製品」を作って売り、資産を増やすという単純なストーリーである。先進国にはハサミやコンパス、分度器など様々な技術と資金が多くある。途上国には、鉛筆と紙しかなく、到底生産は覚束ない。そこで様々な駆け引きが行われるのである。
 但し、そこでかわして良い会話はオール英語である。私が英語科担任の時、我がクラスと隣のクラス計80名でこの南北貿易ゲームをLHRでやった。尊敬する相方のU先生が、「このゲームを是非英語でやりたいですね。」と言われて以来、英語科3年生には全て英語という特別ルールでやってきた。昨年も同様、2人の英語の先生が見学される中で行った。今年もM先生にお目付役で来ていただいた。彼らは、こういう英語漬けには慣れているので問題はない。ただ、盛り上がってくると日本語がでる。「ちょっとぐらいええやんか!ハサミかしてぇな!」(笑)
 私自身は、昔、全校集会で某ALTに「サバイバル・イングリッシュ・スピーカー」と全校生徒の前で称賛されたことがある。かっこよく進行できればいいのだが…今年もサバイバルでやりぬいたのであった。

2010年1月18日月曜日

仮想世界ゲームⅣ


 昨日、ポール・コリアーの『最底辺の10億人』における「悪いガバナンスの罠」の論理からハイチへの義捐金は出すべきでないと記したわけだが、はからずも、今日その続編を見つけてしまった。『民主主義がアフリカ経済を殺す』(本日付発行)である。わがブログ唯一の読者荒熊氏の推薦本「アフリカの地方分権化と政治変容」を探していたのだが…。
 さて、仮想世界ゲームである。第4セクション。例のE党・N党共同提案の、環境基金の件は、見事に2/3を獲得できず廃案になった。今日は4人欠席があり、26がそのラインだったが、21対15という得票だった。テロで恫喝外交を目指すS地域は、その底意を読み取ったのだった。ある生徒の本日の報告書によれば「我が地域には何のメリットもない。」とのこと。さっそく読みだした『民主主義がアフリカ経済を殺す』第一部・現実の否定としてのデモクレイジーのP30には、このようにある。「所得水準の低い国では、民主制が政治的暴力を促進しているのだ。」
 もちろん、ポール・コリアーの意図するところは、この文脈にはふさわしくないのだが、今日のS地域が真剣な討議の末、全員否決に廻って、テロの可能性を残したことに、うまくマッチしていたので笑える。残りの反対票5票は、さてどこから…?
 ところで、今年のセンター試験、90点越えは1人果たせたが、補習に熱心に参加したメンバーの多くは80点台どまりだった。なんとも複雑な心境である。E党・N党首の生徒と同じだ。

2010年1月17日日曜日

「1.17」にハイチを想う 


 今日は、関西人にとって忘れられない日である。あの日凄い揺れで飛び起きた。だが、まさか神戸があのようなことになっているとは思わず、いつもどうり家を出た。学研都市線は完全に止まっていたので、当時携帯電話も持っていなかった私は家に戻った。その時点で神戸の様子はTVで放映されていた。高速道路の崩壊、火事…。しかし、もう一度駅に向かった。やはり止まったままだった。また自宅に戻った。(我が家は山麓にあるといっても過言ではない。2度も戻るとクタクタになった。)大阪市内に住むU先生に電話してみた。市内も電線が落ちていたりして危険だという。「では今日は休む。」「そのほうがいい。」とのことで、後は一日中TV画面にくぎ付けだった。後に西宮まで阪急が動くようになってボランティア活動をした。薬を配っていたが、涙が出た。さらに1年後、避難場所となっていた神戸の小学校の教頭先生の手記をもとに、『いっせいに芽をふきだした雑草のように』というストーリー・コーラスという形式の劇の脚本を書き、演出した。被災した子供たちへの激励、自暴自棄になる避難者への対応、疲れ切った先生方を引っ張り、晴れて卒業式を迎えるという実話である。卒業式では、コーラスのメンバー(彼らはずっと舞台の後方で団をなしている)が、児童の役となり、卒業の言葉を繋いでいく。タイトルとなった、『いっせいに芽をふきだした雑草のように、私たちは旅立っていきます。』という全員の最後の呼びかけに、演出していた私も泣けた。
 さて、ハイチの地震である。ハイチは遠い。しかし、日本政府の対応の遅さは何だと私は思う。国益云々から言えば、ハイチのような最貧国には、おざなりの支援でよいと考えたのだろうか。すぐに自衛隊ともども重機を送らんかい!この不況で、建設業界は重機が余っているはず。どうせ1年や2年ハイチには絶対必要だ。技術指導して、そのまま置いて、後のインフラ整備に一役も二役も買わんかい!様々な問題はあるだろうが、まずスピードである。イライラするのである。しかし義捐金を出す気が起こらない。ハイチ政府には義捐金を送ってはならない、きっと被災者に渡らないだろうという確信がある。なぜなら…
 ハイチの地震の報道では、ハイチ政府のガバナンスの悪さが際立つ。ハイチは中米一の失敗国家である。と、いっても我が愛するブルキナファソなどよりHDIは高いが…。この地震を通じてポールコリアーが言うように、先進国が、財政や行政を第三者として監視し、透明性を高め、ガバナンスの向上を図るほうが良いと思えてくる。そのための国際的な法制化は、「第二の植民地化だ。」という批判があろうとも、必要悪であると私はには思えるのである。何よりも大切なのは、人命であり、アマルティア=センの言う「貧困」克服である。

2010年1月16日土曜日

上野「介」の謎


 ここ2日、仮想世界ゲームに入れ込んでいたわけだが、昨朝、新刊文庫本「覚悟の人」という小栗上野介の伝記を読み終えた。私の経験では『当たりの文庫本』というのは10冊に1冊くらいである。まさしくこれはその当たりの1冊だった。そもそも司馬遼をはじめ、幕末・維新の本は、薩長側に好意的に書いたものが多い。小栗上野介などは、幕府存続のためフランスに北海道を売った売国奴とされ、敵役の代表格である。(私の大好きな勝っつあんが流した風評らしい。)この本で、なぜフランスなのか?なぜフランス公使のロッシュも幕府に肩入れしたかが判明した。まあ、小栗くらいの人物があと10人も幕府にいれば歴史は変わったかもしれない。幕末を幕府の経済官僚からの視点で読み解くというのは、かなり新鮮であった。
 さて、この本で、私の長年の謎が解けた。というのは、従五位以上だったと思うが、大名や旗本がナントカの守と名乗る件である。どういうシステムなのかが調べてもよくわからなかったのである。
 これは勝手次第(自由)だったのである。だか需給バランスは完全に崩壊しているから、豊後守が数人いたりする。が、しかし例外として老中に同じ名を名乗る人物がいれば、これを憚らねばならないという慣例があった。事実小栗は、豊後守を名乗ることをやめ、上野介となった。
 常陸・上野・上総の三国に限っては、守(長)ではなく、介(副)を名乗る。親王の任官地だからで、昔、織田信長が若かりし頃、「上総守」と名乗って物笑いの種になったらしい。小栗が、上野介と名乗ったのは、自分の知行所があったからだが、上野介という名はかなり縁起が悪い。あの「吉良上野介」を連想する。赤穂浪士事件以来、上野介を名乗った者は誰もいないかった。(そもそも「介」は軽い感じがするので人気がなく、吉良が名乗った事自体も珍しかったらしい。)結局、小栗も首を取られる悲劇に見舞われるのである。
 今年も「1tの本を読め!」という読書案内を3年生に卒業記念として渡すつもりである。「アフリカ9億人の市場」とともに、この「覚悟の人」も、09年度版リストに入れることにした。
 

2010年1月15日金曜日

仮想世界ゲームⅢ


 今日は、センター試験前日です。倫理は明日の第1時限目。我が教え子たちの健闘を祈りたいと思います。さて、今日の6限目の仮想世界ゲーム『ふりかえり』の時間。
 アンケート形式で、各地域における集団の帰属意識、基本的行動パターン、現在の関心事などを問いました。広瀬教授の研究論文では、先進地域(N/W)は、比較的帰属意識が低く、開発途上地域(E/S)では高くなるとの報告がなされています。放課後すぐに、スタッフの生徒(大学で心理学専攻が決定している2名で、ゲームや進行係の任には参加せず、ひたすら各チームの動きを観察してくれています。)が集計してくれた報告書では、やはりその通りになっていました。詳細はいずれ分析したいと思います。一方、人気アンケートをとりました。これは第3・第6セクションで行うべきもので、最も好意をもった人物、最も貢献した人物を挙げるものです。面白いことに、第3セクションをインフルエンザで欠席したN地域の企業主がトップでした。昨日は彼がいなかった故に大混乱しました。その存在感の大きさが印象的だったようです。残りの時間は、センター試験の心構えとか、「朝食にバナナを食べや。」とか最後のアドバイスをしたうえで、フリータイムとしました。
 昨日に続き、EとNの政党主が片隅で真剣に論議しています。新法案を提案したいとか。前回、環境問題が40%の確率で起こりかけました。全世界で350simという大金を集めなければならない事態となりました。一方、S地域を中心にテロを起こす動きがあり、先進地域は戦々恐々としています。現金を最も多く持つメンバーが標的になります。そこで、環境問題への対応と、現金の安全なプール先としての「銀行」を設立したいとのこと。「銀行」ならば、資金を集め利息を得るために、何らかの利益を上げなければなりません。私は「基金」とするほうがいいと指導しました。この仮想世界では、環境問題の悪化に対し、環境団体が寄付を集め、沈静化する動きをします。しかし、その寄付はセクションを超えてプールすることはできないルールになっています。これを改訂したいとのことでした。この仮想世界の「神」として、彼らに祝福を与え、次回投票することにしました。それが、E党・N党共同法案「E地域環境団体は環境対策基金を設立する」法案です。前回のE党の「環境問題は先進国が全責任を負え」法案と、N地域のテロへの恐怖がaufhebenされた法案だといえます。この基金に集められた資金は、環境問題が起これば使用されますが、起こらなければ返金されます。W地域も、テロへの恐怖から賛成する可能性も高く、2/3の賛意が得られる可能性があります。S地域は、この法案の底意を理解し反対するのでしょうか?楽しみです。

2010年1月14日木曜日

仮想世界ゲームⅡ


 冬休みをはさんで、久しぶりに仮想世界ゲームを1時眼目にやりました。第3セクションの開始です。
 このゲームは、まず先進国をイメージしたN地域、W地域、開発途上国をイメージしたE地域、S地域の4地域に10名ずつ配置します。NとW地域には、最初に1人100sim(sim:仮想世界の通貨単位)が渡されます。また、それぞれの地域には企業主1名(生産を行うことが可能。企業が生産を行うことでこの仮想世界のマネーサプライが拡大します。)、農園主3名(彼らが主に食糧を生産します。最初は5人分ずつの食糧生産能力です。)がいます。一方、E・S地域は、最初に1人50simしか与えられません。この4つに地域には、政党主が1人ずついます。彼らは、地域間を自由に往来することが可能です。(その他は必ず2simの通行料が必要です)なお、個人農園は誰にでも開発できますが、60sim必要です。すなわち最初の設定から、途上地域のEとSの人々は、必ず先進地域の食糧を買う必要があるわけです。食糧(チケットになっています。)には、半券として労働チケットが付いています。この労働チケットを企業に買ってもらわねば、収入が断たれてしまいます。一方、先進地域では、余剰のお金を企業に投資(企業主は株券を発行します)し、企業は、労働チケット3枚+200simで、1生産単位という形で生産を行います。NとS地域の企業は互いに競争しあい、生産単位の多いほうが、利益率が良くなります。しかし、失業率が高かったり(労働チケットが売れなかったり)、飢餓(食糧チケットを手に入れられなかったり)したら、世界の治安が悪化し、テロ(もっとも現金の多い者が誘拐される)が起こります。ストライキや暴動を起こすことも可能です。また、企業活動が活発化し、農園が多く開発されると、環境問題がおこります。そのため、環境団体を設置することも可能で、基金を集め、この危機に対処することも可能です。
 以上、最も簡単に説明すると、このようなゲームです。本来は、大学で、4教室を使って、集中講義として行われるのですが、今回は、社会科教室の真ん中に進行係(私の地理Bを選択する4人)を置き、四隅に各地域を配置しました。高校では、時間割に従って、同じ部屋でやるしかありません。進行する上では、これがなかなか大変です。(進行係:地理Bの諸君の活躍については、いずれ改めて述べたいと思います。)
 第1セッションでは、暗中模索。結局企業が1生産単位ずつしか生産できず、第2セッション冒頭でテロが発生しました。と、いうのも途上地域Eは、政党主を中心に、所持金をプールし、個人農園を5つ開発しました。半分が食糧を得、半分が飢餓、これを繰り返すことで生き延びようという戦略です。(2回続けて飢餓になると失格、死亡します。)ルールの裏をかいたまさに究極の社会主義路線でした。一方、S地域は、テロを起こす相談をしていました。それを武器に、先進地域に恫喝外交。まるで、某国のようです。
 第2セッションは、少し慣れて、生産も上がりましたが、先進地域と途上地域の格差が広がり、途上地域の帰属意識の強さが目につきました。一方、先進地域には、実際に高校生のNPOに関わる生徒が政党主となり、先進地域と途上地域の融和を図ろうとしますが、なかなか難しい状況です。
 そして、今日の第3セクション。またもや、テロ発生。環境問題も40%の確率で起こる状況でした。(あわや世界全体で350simが必要でした。進行係のサイコロで回避されました。)また、各政党主から、政策=法案提案がなされました。E党からは、「先進地域は環境問題の全責任を負え」法案、S党からは「最低賃金」(保障)法案、N党からは「仮想世界でsim借用OK」法案、W党からは「持続可能な共生のため、企業価格(労働チケットの価格)カルテル」法案がだされました。結局、投票の結果2/3の得票を得た法案はなく全てが廃案になりました。政党主たちは次々回の法案提出に向け、「銀行をつくれないか」と相談していました。一方、N地域の企業主がインフルエンザで欠席(出席停止)。N地域は大混乱となり、その波及が他地域にも広がりました。終了間際に、私が「神の見える手」で、進行係を動かし、チケットを途上地域に販売させ、2生産単位を無理やり成立させました。やれやれ。
 明日は、センター試験前日。ゲームをストップし、これまでの「ふりかえり」をやることにしました。なにしろ、授業終了後、ほとんど全員クタクタでした。それだけ真剣に取り組んでくれているのだと思います。

2010年1月13日水曜日

限りなく雑談に近い授業


 今日の1年生の地理Aの授業で、アフリカの農業はプランテーションによるモノカルチャーだというのは幻想であるという話を統計資料をもとに講義していた。「モノカルチャー」という語の確認から、カルチャー・文化・耕す・農業・農業の与える文化的側面という流れで、日本は稲作文化、欧米はカロリーの低い小麦+有畜農業という1学期の復習に話に進み、最終的にもうすぐオーストラリアの姉妹校に交換留学する生徒に、「今、日豪の話題といえば?」と問うことになった。「クジラです。」例のシーシェパードの話である。「彼らはなぜクジラを守るのか?」皆に意見を聞く。私の本職は「倫理」である。つい、こう発展する。稲作文化の日本人にとっては、クジラは主な蛋白源である魚のでかいのにすぎない。反対に牛など仏教の殺生戒に関わってくる。ところが、欧米文化の源である創世記には、神が、「地を這う野の獣」と「家畜」を5日目だったかに、分離して創生したとある。神は、人間に付属する動物を規定して創生しているのである。「家畜」に遠慮はいらない。が、クジラは家畜ではない。神の認めた食料ではないのである。彼らが、キリスト教原理主義者だとは思わないが、少なくともDNAにその神との契約はインプットされているはずである。「オーストラリアで大いに語っておいでや。これも異文化理解やで。」…私の授業は、限りなく雑談に近い。
PS:その授業の後、ある生徒が、「ノルウェイのキリスト教徒のDNAには、創世記が入ってないのでしょうか?」という凄い質問をしてきた。私は「おそらくキリスト教を受容する以前からの食文化だから、そっちが勝っているのだろう。」と答えた。「なるほど…。」こういうやり取りこそが「ホンモノの社会科の学習」であると私は思う。

2010年1月12日火曜日

ウガンダ難民と京橋で出会う


 下校時の話である。地下鉄京橋駅から、私は普段京阪の片町改札口方面へと進むのだが、今日は安いバンドを買うために、JR京橋中央口へと向かった。今日もギターをかき鳴らす奴がいる。ああ、京橋だなと思っていると、黒人が二人所在なげに立っていた。チラシをくれた。ちらっと見ると「難民」の文字。とっさに聞いた。「Where do you come from?」ちょっと訛って聞き取りにくかったが「ウガンダ」と彼らは答えた。ならば当然私はスワヒリ語で返さなければならない。「Jambo!」笑顔が返ってきた。彼らはウガンダから来た難民らしい。200円を募金箱に入れた。学研都市線の中で、チラシを読む。西日本入国管理センターから仮放免された彼らは、在留資格もなく、仕事にもつけず、祖国に帰ると生命の危険もあり、まさに宙ぶらりんの生活を続けているのである。自宅に帰り、ウガンダの難民について調べてみた。コンゴやルワンダ、ケニアからの難民かと思ったが、ウガンダ国内の反政府勢力組織への人権弾圧もかなりあるようである。私にとっては、ウガンダはかなりの好印象の国である。国土も肥沃だし、内陸国の悲哀はあるものの、東アフリカのケニア・タンザニアと比べても経済成長率が高く安定したイメージだった。ウガンダのガバナンスにも、私の知らない大きな問題があったのだった。チラシの発行は、西日本入管センターを考える会という組織で、結局、新社会党・社会主義協会にまでたどり着いた。彼らのスタンスには大きな隔たりを感じるが、様々な国の難民の人々を助けているという一点において、彼らの行動を称賛したい。難民に対する日本の関わりの問題については十分思索してからまた書くことにしよう。今日の私は、さらにアフリカの様々な情報を地道に集め続けていくことが重要だと改めて実感した次第である。

2010年1月10日日曜日

30年ぶりの再会で農政を語る

 昔、大阪市立R青少年の家という施設があった。私はそこの学生ボランティアとして関わっていたことがある。昨夜そのOB会があった。旧職員さんや昔の先輩、同輩、後輩が集まった。仲間の思い出話はともかく、ブログで触れたいのは、今兵庫県のN市でご活躍の旧職員S氏の話である。S氏は、某工業大学で土木工学を修めた方だが、今の仕事は、N市の農業振興課勤務で今回の政権交代で右往左往している最中だとか。アフリカの開発経済学を学んでいる私としては面白い内容だった。自民党時代の農政の中軸は、農家の再編による生産性の向上にあった。同時に農産加工物に商品価値を付加して競争力をもたせるという新自由主義経済学に則ったものだった。ところが、政権が代わって農家への個別保障が行われ、これまでの施策からの大転換が図られるのだという。グローバリゼーションか、反グローバリゼーションかというスタンスとともに、これからの日本の農業をどう考えるかという大問題である。「農政の現場は、理屈じゃない、農家の生活がかかっている。」とS氏は言われた。理念と現実と。社会科の教師としては、政策科学のソコが面白い。またS氏の話では、すでに一部飼料用米作への転換が図られているのだ。飼料作物輸入問題は、日本の農政の最大のネックである。私は日本の農政は、すなわち平和学だと思っている。日米安保も今の農政(対アメリカ依存)を基盤にしている。軍事も食糧もエネルギーも日本はアメリカに依存しつつ存在している。これを脱皮しなければ、普天間もクソもないのである。日本の農業を、価格を無視した内需限定の食糧自給・小規模農家優遇型=反グローバル化するのか?耕地を再編し大規模化をはかり競争力を重視した・大規模農家生き残り型=グローバル化するのか?超難題である。

2010年1月8日金曜日

始業式と血糖値の関係性


 始業式である。一気に朝が早くなった。6時20分には家を出る。いつもの京橋のパブ(朝は喫茶店である)で、ホットとハニー・トーストとゆで卵の朝食を取る。今日に限ってめずらしく食前の血糖値を抑える錠剤を飲み忘れた。8時10分前には学校に到着、さっそく昨日補習の後に行った中学校訪問の報告書と出張の書類をつくる。大掃除があり、始業式があり、式終了後に韓国訪問団参加生徒11名に、送付されてきた文集を配布する。その後は午前中授業である。さっそく地理Aの授業あり。アフリカの農業とフェアトレードについて語る。空いている時間は、校舎外で喫煙する以外、ひたすら「仮想世界ゲーム」の用意でパソコンに向かう。ふと気付くと昼食をとっていない。近くのスーパーで即席めん(肉うどん)と鉄火巻きを買い、慌ただしく食す。ここでも錠剤を飲むのを忘れた。あとの祭りである。5時過ぎまで、生徒と談笑したり、OGから近々行きますというメールを受け取ったり、同期のY先生と久しぶりに20分ほど喫茶店に行った以外は、ひたすら「仮想世界ゲーム」のことでパソコンに向かっていた。うーん。先日の標準問題は3倍カレーと表現したが、始業式からの日常は、冬休み中の補習の5倍カレーである。さて、下校しようと椅子から立ち上がったら、ふぁ~と力が抜け、体中から発熱しているような感覚になっていた。ふらふらしながら地下鉄の駅に向かった。薬を飲まなかったら、見事に血糖値が上がったようだ。習慣である通勤電車での読書もできず…もより駅よりタクシーで自宅へ帰った。冬休み中、家内から常に「薬は飲んだ?」と言われ、あわてて飲んできた錠剤だが、休みがあけるとこの始末である。

2010年1月6日水曜日

標準問題は三倍カレー


補習も残すところ、あと2日となりました。今日は、大阪府社会科研究会の標準問題をやり、私が解説するという流れです。この標準問題、なかなか難しい。どこが標準なんだ?三倍カレーではないか、と思うくらい難しい問題です。昨春JICAの高校生セミナーでご一緒させていただいた府立高校でもトップクラスのS高校の某先生も作成者の1人です。私の専門が倫理と聞いて、「どうです?一緒に作りませんか?」とさそわれたこともありました。「とてもとても…。」と固辞させていただきました。センター試験の倫理は、このところ想定外の問題が増えてきました。それゆえの三倍カレーだと思います。とはいえ、基礎をしっかりやって、きちっと覚えるべき事を整理すればなんとか90点に届くのが倫理の魅力です。受験生に残された時間はあとわずか。明日も昨年度の標準問題をやって、生徒個々の苦手なセクションを引き出す『産婆術』に励むつもりです。

2010年1月5日火曜日

アフリカの衝撃…中国の衝撃


昨日、地下鉄京橋駅のキオスクで、週刊誌らしき「東洋経」と黄色の「アフリ」という大きな文字が見えた。ビビッときた。一期一会で本を買う時特有の強迫観念のようなものだ。結局、自宅近くの本屋で手にとってみた。ビジネス誌だが、ポール・コリアのコラム(こちらは目新しい話はなかった。)や平野克己の記名記事(内容は意外にも南アのグローバル企業についてである)や緒方貞子JICA理事長のインタビューも載っている。最新のアフリカ情報が満載。買いである。我がオリジナルテキストの「高校生のためのアフリカ開発経済学」の冒頭に出てくるサブサハラ=アフリカの経済成長率は1%台という記述は、かなり古いものになってしまっている。99年~08年は、平均5.6%で、アンゴラは15.8%だという。3学期、3年生の授業が終わってから、テキストの書き直し・ヴァージョンアップは、絶対条件になってしまった。ところで、この特集記事の核となるのは、中国の猛烈なアフリカ進出である。我がテキストでも中国の進出について触れているが、事態はもっともっと進んでいた。昨夏訪れたブルキナファソは、台湾と国交がある国だ。台湾経由なのかもしれないが、中国製品が町にあふれていた。中国と直接親密な経済関係を結ぶ他のアフリカ諸国ならば、もっとだろうし、なによりも、アフリカ在住の日本人は7658人なのに対し中国人は82万人と100倍以上である。凄い。そう言えば、昔シンガポール空港で青島出身の英語もしゃべれない中国人青年と喫煙しながら筆談したことがある。彼は、南洲へ行くと書いた。南アには現在40万人もの中国人がいるらしい。その時は、英語もしゃべれず大丈夫か?と思ったが、きっと彼もなんとかやっているだろうと思う。昨年のCOP15で見られた、中国がアフリカ諸国を引き連れての『環境ダダイズム』も、この連携の状況を知れば大いに頷けるのである。

2010年1月4日月曜日

補習再開


今日から補習再開です。まず、近代日本思想の第三回講義。西田幾多郎の哲学。純粋経験や絶対矛盾的自己同一について。高校生には甚だ難解です。私が、日本近代の思想を必ず冬休みに行うのは、西洋の近代哲学の知識と、仏教の知識がないと、西田哲学を語れないからなのです。今日は国公立を目指すたった8人の生徒相手でしたがいい講義ができました。その後、倫理と重なっていたK先生の小論文指導の補習を受けていたため、年末の私の講義を受けていない4人を相手に、もう一度第1回&2回の講義を。実質4時間強しゃべりっぱなし。疲れましたが、これも教師の醍醐味かと思います。…センター試験90点台を目指して! ♪ガンバレみんなガンバレ!(補習でやった幸徳秋水の子孫、井上陽水の「東へ西へ」より)

2010年1月3日日曜日

労農派的なる龍馬伝


明けましておめでとうございます。私はあまり季節感のない人間で、正月はボーッと過ごしていました。今日は楽しみにしていたNHK大河ドラマ龍馬伝第1回目の放送がありました。新年第1回目のブログは、その感想です。龍馬のストーリーは、司馬遼太郎のおかげで、ほぼ知られています。それをどう乗り越えるか、脚本・演出陣のかなりの意気込みを感じた内容でした。第1回目に、日本資本主義論争でいう、市民革命論をもってきたとは、労農派的です。長宗我部氏以来の武士である下士と、徳川以来の支配者山内氏の武士である上士の階級差別的な土佐藩の状況を、これでもか、これでもかと、くどく、くさめのカットを多用して提示していたように思います。わたし好みの演出ではありませんが、まあこれから、どんな脱構築を見せてくれるのか楽しみにしています。