2010年1月16日土曜日

上野「介」の謎


 ここ2日、仮想世界ゲームに入れ込んでいたわけだが、昨朝、新刊文庫本「覚悟の人」という小栗上野介の伝記を読み終えた。私の経験では『当たりの文庫本』というのは10冊に1冊くらいである。まさしくこれはその当たりの1冊だった。そもそも司馬遼をはじめ、幕末・維新の本は、薩長側に好意的に書いたものが多い。小栗上野介などは、幕府存続のためフランスに北海道を売った売国奴とされ、敵役の代表格である。(私の大好きな勝っつあんが流した風評らしい。)この本で、なぜフランスなのか?なぜフランス公使のロッシュも幕府に肩入れしたかが判明した。まあ、小栗くらいの人物があと10人も幕府にいれば歴史は変わったかもしれない。幕末を幕府の経済官僚からの視点で読み解くというのは、かなり新鮮であった。
 さて、この本で、私の長年の謎が解けた。というのは、従五位以上だったと思うが、大名や旗本がナントカの守と名乗る件である。どういうシステムなのかが調べてもよくわからなかったのである。
 これは勝手次第(自由)だったのである。だか需給バランスは完全に崩壊しているから、豊後守が数人いたりする。が、しかし例外として老中に同じ名を名乗る人物がいれば、これを憚らねばならないという慣例があった。事実小栗は、豊後守を名乗ることをやめ、上野介となった。
 常陸・上野・上総の三国に限っては、守(長)ではなく、介(副)を名乗る。親王の任官地だからで、昔、織田信長が若かりし頃、「上総守」と名乗って物笑いの種になったらしい。小栗が、上野介と名乗ったのは、自分の知行所があったからだが、上野介という名はかなり縁起が悪い。あの「吉良上野介」を連想する。赤穂浪士事件以来、上野介を名乗った者は誰もいないかった。(そもそも「介」は軽い感じがするので人気がなく、吉良が名乗った事自体も珍しかったらしい。)結局、小栗も首を取られる悲劇に見舞われるのである。
 今年も「1tの本を読め!」という読書案内を3年生に卒業記念として渡すつもりである。「アフリカ9億人の市場」とともに、この「覚悟の人」も、09年度版リストに入れることにした。
 

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