2026年2月2日月曜日

正教会:至聖三者としての神

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カリストス・ウェア著・松島雄一訳の『正教の道 キリスト教正統の信仰と生き方』の備忘録的エントリー、続いて「至聖三者としての神」についてである。正教会の聖三者は、カトリックやプロテスタントで言う三位一体である。まず、前回同様に、箴言から。「我が憑恃(たのみ)は父、我が避所(かくれが)は子、我が帲幪(おおい)は聖神(聖霊)なり 聖三者よ、光栄は爾(なんじ)に帰す。」(聖イオアニコスの祈り)

著者は、ユダヤ教やイスラム教のように単に唯一の神を信じるほうが容易であるとし、聖三者の教義は文字どおりの難問で「人間的思考の十字架」(ウラジミール・ロースキーの言)であり、精神と心の真の徹底的な方向転換(メタノイア)を求めるものだとしている。

「私と父は一つである。」(ヨハネの福音書10-30)とハリトリス(=イエス)は言った。この意味は、ニケア公会議(325年)とコンスタンチノープル公会議(381年)で確認されたイエスは、真の神よりの真の神、神・父と一体(同一本質)であること、言い換えれば父と同等である、ということである。父と子は2つの神ではなく単一の神である。4世紀末に父と子と共に「聖霊」が同様に言明された。なお、聖三者は本質において1つだが、それぞれに位格、自己意識を持つ区別された主体である。

第一の位格は、神・父。「泉」であり、他の2つの位格の源泉、起因ないし起源であり、聖三者の間に一致をもたらす接合点(きずな)である。第二の神の子の位格は、神の「言葉」ないし「ロゴス」である。この神の言葉・ロゴスは、受肉以前から働いており、全てを貫いている秩序の原理であり目的である。創造者ロゴス(Logos)は、被造物1つひとつにそれ自身に内在するロゴス (logos)ないし、内的原理を分かち与え続けている。第三の位格は、聖霊である。神の風や息である。(言葉でそつなく整理してしまうのは不適切と心得た上で言えば)聖霊は「内なる神」、子は私たちと「共にある神」、父は私たちの「上にある神」・私たちを「超えている神」である。(聖霊は、父のみから送られることを確認したうえで/カトリックの教義では、子からも送られることに成っている。)この聖三者の位格は常に共に働き、聖エイレナイオスは、子と聖霊を父の「両手」と呼ぶ。

…正教会におけるヨハネの福音書の重要性が、だんだんと見えてきたのであった。ここで確認。ヨハネの福音書冒頭の「はじめにロゴスありき」のギリシア語は、”エン・アルケー・エーン・ホ・ロゴス”で直訳すると「アルケーはロゴスなり」となる。アルケーは、(イオニアの自然哲学と同じで)万物の始源・宇宙の根本原理。ロゴスは、真実・真理・論理・理性・概念・調和・統一のある法則、そして言葉の意味もある。よって、「根本原理はキリスト(神の言葉)である。」=神こそが全ての原則、ということになるのである。日本では、「はじめに言葉ありき」という誤訳が一般的になってしまった。実は、この一節を使って、M高校のパンフレットをつくった経緯がある。国語科と英語科をつなぐキャッチコピーとして有効ではあったのだが…。(2010年6月30日付ブログ参照)

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