2022年4月30日土曜日

京都でL君と邂逅す。

2年間もコロナ禍のために来日ができなかったL君と、今日やっと会えた。どう歓迎してあげようかと考えたのだが、結局息子夫婦のカフェに連れていくことにしたのだった。

幸い息子夫婦のカフェ(京都市北区)に車で行こうとすると、自宅のすぐそばを走る第2京阪の側道で一本道なのである。市内に入ると堀川通りに繋がっている。聞くとL君のアパートは上京区で堀川通りのすぐそばで、ひろっていくのに都合がいい。晴明神社の近くの駐車場で正午に待ち合わせた。

北大路通りのモール近くの駐車場で車を停め、妻と3人で食事を取り、そこから10分ほど歩いてカフェに向かった。今日は、息子は某国へ日本語学校開設のため不在なのだが、奥さんが切り盛りしている。GWの臨時ボードゲームイベントをやっていた。常連さんがボードゲーム好きで、たくさんのボードゲームを持って来てくれていた。16時のウズベク語の勉強会まで、ゲームや会話を共に楽しんだ。息子のカフェはこういうディープな常連さんによって成立しているらしく、面白き人間関係が築かれていることを改めて確認した次第。

L君がその中に入ることになるかもしれないし、なにか問題が発生した際、私の身内が近くにいてくれれば頼りになるはずだ。早速、息子の奥さんから月1回(2~3日)のアルバイトの話が出てきた。なかなか面白そうなバイトで、L君も喜んでいた。ちょうどバイト探しを開始しようと考えていた矢先だったのである。

ちなみに、楽しんだボードゲームは2種類だが、最初にやった麻雀風のゲームが特に面白かった。手牌は5つのパイのみで、字牌が中と発と索子だけ。説明するとややこしいので省くが、楽しく遊べた。L君によるとマレーシアの中国人社会では年配の方が麻雀をやっているそうだが、若者はあまりしないとのこと。日本で麻雀(のようなゲーム)をすることになるとは、と笑っていた。もう一つのゲームも面白かったのだが、ウズベク語講座の時間が迫り、時間切れとなってしまい、ちょっと残念だった。

とにもかくにも、ついにL君と再会できた。明日夜にF40の私のクラスの以東のメンバーが大阪に来てL君の来日・再会を祝すらしい。私も参加したいが、ずっと休みの大学生と違い、月曜日は授業が4コマある。朝早い長距離通勤者としては無理を避けたほうがいいと判断した。でも、合いたいなあ。次の機会を楽しみにしようと思う。

2022年4月29日金曜日

菊地寛 大衆明治史を読む4

https://www.google.com/search?q=
菊地寛の大衆明治史の書評を続ける。日清戦争の時期についての記述で意外な発見がった。東学党の乱の時の駐韓公使は、あの袁世凱であったことだ。「属国の難を救う」として清は出兵してきた。ただし天津条約の取り決めどおり日本にもその旨を通告してきた。

この頃の日本の政情は伊藤が2度も議会を解散し、予算も不成立、なめられて当然の状況であった。しかし、朝鮮半島の独立は日本の生存について重要だと考えていた日本は、敵愾心が燃え盛り一戦辞さずという世論となる。高知の練武館員800名が義勇兵を志願、旧水戸藩士280名が抜刀隊を組織従軍願を陸軍に提出するとともに、福沢や徳富蘇峰が言論で盛り上げた。

菊池寛は、明治日本の外交界において、副島種臣、大隈重信、伊藤博文、陸奥宗光、小村寿太郎の5人が逸材だと書き、中でも陸奥宗光が機略、権道では一番だとし、外務省に銅像が建てられているのも頷けるとしている。

とはいえ、元海軍操練所(勝海舟は小才子、嘘つき小次郎と呼ばれていたと氷川清話で述べている)、海援隊(龍馬はその才気を見込みながらも、陸奥は他日必ず天晴れの利器になるであろうが、ただあまりに才弁を弄して浪士たちに憎まれているとしてその身を越前の国家老に託した。)を経て、25歳から外国事務局御用掛(同僚は、伊藤博文、井上馨、寺島宗則、五代才助など壮観なメンバーであった。)となるが、紀州出身の陸奥の昇進は不遇で立志社の政府覆滅運動に関係して入獄する。伊藤博文が、この陸奥が出獄すると外遊させ他日を期待した。当時の駐墺公使西園寺公望は陸奥がこの地でよく学んでいると伊藤に書簡を送っている。陸奥は再び出仕して、駐米特命全権大使、農商務相、枢密顧問官、そして25年、伊藤内閣のもとで外相となる。

…たしかに、陸奥は龍馬暗殺後の復讐を海援隊が誓った時、結局嘘つき小次郎よろしく、口だけで仲間から非難轟々であった。しかし、この日清戦争では見事な軍部との連携をとる。

戦後、下関条約で李鴻章と伊藤が談判している中、陸奥は剃刀のような目を光らせ黙していたらしい。さすがの李鴻章も気を呑まれていたらしい。…この頃には小才子ではなく天晴れの利器になっていたわけだ。

しかし三国干渉が起こる。その黒幕はロシアのウイッテ蔵相だということだ。大津事件の記憶もあり、大熱弁を振るう蔵相にゴーサインを出した。しかしロシアは単独での干渉には自信がなかったようで、イギリスはは、講和条件が自国の利権に損害が被ることはないとロシアの提案をはねのけたが、ドイツはビスマルク以来の方針(ロシアには東進させるのが賢明)を受けて提案を受けた。フランスはロシアと同盟国であったことと、普仏戦争に破れ維新を回復するために植民地経営に力を入れていたからで、清に恩を売り後でいくばくかの報酬を得ようと考えていたようである。これが三国干渉の実相のようだ。

結局、陸奥外交は最後の最後で三国干渉にしてやられた。菊池寛は、日本は、遼東半島還附の際に、なぜ三国に将来その地を合併または租借せざることを約束させなかったのか、日本は返したのだから他国も手をつけるべからずという言質をとらなかったのかと批判する。

また大隈が、講和談判中に、「日本は遼東半島を要求し、一旦日本の手に収めたら、直ちに清に還附するのが正しい。これを収めるのは戦勝国の権利だが、これを還附するのは、上後一人(天皇)の聖徳を顕彰する所以である。」と新聞記者に言っている。こういう懸念も当時一部にあったらしい。

清と相提携して白人の侵略に当たる、というのは、大久保、岩倉以来の新政府の基調であり、伊藤はその後継者と自他ともに認めていたはずだと菊池寛は三国干渉の末路について結んでいる。

…最後の白人云々の菊地寛の記述などは、さすがGHQ発禁本だと思わせるものである。(上巻終わり)

2022年4月28日木曜日

菊地寛 大衆明治史を読む3

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82
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大日本国帝国憲法の隠れた功労者は、ドイツ人公法学者のヘルマン・ロエスレルという法律顧問であるらしい。参考案としてロエスレルが起草した憲法案があって、憲法と酷似しているという。ロエスレルに対し、井上毅が質問をし、それを頭本元貞が英文にしてロエスレルに示し、これをまた翻訳して井上に戻すというパターンが続き、伊藤博文は双方を対比して法理的に研究していくといった作業が続いたらしい。 

さて、憲法は新たに設けられた枢密院にて、国家の元勲および練達の士を集め明治天皇出席のもとで、各条ごとに、21年5月8日から12月17日まで、毎週1回また隔週1回のスピードで審議された。ちなみに、大隈(当時外相)はこの審議に最初だけ出席、あとは欠席した。憲法においては伊藤博文に勝てないので、一家言ある大隈のこと、面目にかかわる故だろうと菊池寛は論じている。

ところで、明治天皇は、この枢密院の憲法審議に一度も欠席されることはなかった。欽定憲法というのは名目上のように感じるが、この謹厳実直さが明治天皇の明治天皇たるところである。しかも少しでも疑問があれば伊藤を召されて、細部まで検討されていたという。11月12日の会議の際、侍従が慌ただしく入ってきて、伊藤に耳打ちした。伊藤は明治天皇の御前に進み何事か言上した。そして会議を続行、その審議が終わると、伊藤の奏上を受け入御された。実は、第九子(第四皇子)の昭宮(一歳)が逝去されたのであった。明治天皇は審議を止めさせなかったわけである。
…公に撤する明治天皇の姿勢をA宮家の人々に学んで欲しいものだ。

22年の紀元節(現・建国記念の日)の日に大日本帝国憲法が発布されたが、一般国民の代表として、各県会議長も参列した。ちなみに森有礼文相が式典に参加しようとして暗殺された。(式典終了まで秘密にされたそうだ。)

2022年4月27日水曜日

菊地寛 大衆明治史を読む2

http://blog.livedoor.jp/ayabeda/archives/51774212.html
自由党は板垣の政党である。自由党の強みは、地方団体の勢力家で錚々たる人材が集まっていた。中江兆民によるルソーの民約論が一世風靡した。自由民権論が全国で興隆したのは、当時の藩閥政府の官僚が封建大名以上に威張り散らしていたからであるらしい。それに対し、板垣や後藤象二郎は参議までつとめた人物でありながら一般民衆と膝を交えて政治を論じていたのであるから人気が高かった。

「藩閥有司攻撃には虎の如き民軍の兵士言一たび皇室に及べば猫の如く柔順なり」とは議会開始後の政治史にある記述である。自由党の敵は藩閥政治であったのは明確だ。

さて、板垣といえば、岐阜で暴漢に襲われた。「板垣死すとも自由は死せず。」とは有名だが、飛報が東京に届き、後藤象二郎は「余は板垣の屍体を壇上に構えて、弔演説をなさん。」と言ったという。やることなすこと、みな芝居じみているし、しかもこれらが大真面目だと菊地寛は苦笑している。

ところで、この時板垣の傷を診察した青年医師は、当時愛知県病院長だった後藤新平であるそうな。後に日清戦争後の防疫に活躍し、児玉源太郎と台湾に行った明治期第2世代の逸材である。

明治十四年の政変で、下野した大隈重信の立憲民主党は、知識人を結集した。官僚の前島密、犬養毅、尾崎行雄ら慶應出身者、さらには帝大出身者などである。今となっては意外だが、早稲田創立者の大隈を慶應創立者の福沢が応援していたわけだ。

…ちなみに今日の画像は、国会議事堂の中央広間。板垣・大隈・伊藤博文の3銅像が四隅に立っている。憲政の理想を叶えたときにその4人目の銅像が立つとか立たないとか…。昔々見学に行った時、そんな話を聞いた記憶がある。

2022年4月26日火曜日

菊地寛 大衆明治史を読む1

GHQが発禁にしたという、菊池寛の大衆明治史(昭和18年版)の復刻版を読んだ。これがなかなか面白い。文藝春秋を興した作家・菊池寛のノンフィクション+エッセイという感じの本である。印象に残った部分についてエントリーしておこうと思う。

長い通勤時間なのでどんどん読める。気になった箇所を上げて見ようと思う。

明治5年のマリア・ルーズ号事件の話は初耳であった。ペルーの商船で、中国人苦力を運ぶ奴隷船。治外法権下で、副島外務卿が自主外交を貫いた話である。菊池寛がなぜこの事件を記しているのか、下巻の最後まで読むとよく分かる。明治初期、日本は不平等条約で常に列強の干渉の中で右往左往していたのである。その中で、同じ東洋人である苦力を救った事実が象徴的である。

西南戦争で、西郷が私学校の生徒たちの暴走に結局付き合うことになるのだが、この背景には政府から刺客が送られたということになったことが大きいという。西郷も幕末を生き抜いた志士の一人である。暗殺は日常的なことであったからだ。この菊池寛の考察は正しいと思われる。

板垣退助について。戊辰戦争の会津戦争で松平容保が妙国寺に退隠したある日、一人の百姓が芋を藩公に献じてその不幸を諌めようとした。護衛の任にあたっていた土佐の士が美談として板垣に語ったところ、板垣は戦争の時、農民の多くは逃げ出した。これを今後の日本に当てはめた場合由々しき大事である。士族のもつ愛国心を国民一般のものとしなければならない。士族の特権を国民一般のものとして広く享受しなければならないと語ったという。

https://saigoutakamori.sakura.ne.jp/bakumatsu13.htm
実は、板垣は一徹の武人で、鳥羽伏見の戦いでぐずぐずしていた土佐を強引に参加させたのも彼だし、日光に転戦した際、敵将大鳥圭介に一書を呈して「日光廟を兵燹(へいせん)より救うため、山を下って雌雄を決すべし。」とやった。大鳥圭介は、この情ある武士の計らいに感激し、戦わずに裏道から会津に逃れた。(日光に板垣の銅像があるのはそのためらしい。)坂本龍馬以来土佐に息づく自由民権の思想は、燃え上る会津鶴ヶ城を眺める板垣の胸中に湧き上がったと、菊池寛は文学的に書いている。

2022年4月24日日曜日

なぜか、「今」、上海

https://yosui.jp/discography/%E3%81%AA%E3%81%9C%E3%81%8B%E4%B8%8A%E6%B5%B7/

井上陽水の曲に「なぜか上海」という難解な歌詞の曲がある。陽水の詩の世界は、独特な難解さがあるものが多い。この曲を聞きながら今日エントリーするのは、今の上海の悲惨な話である。

私が上海を訪れたのは、かなり以前のことになる。どちらかというと無錫や南京に行く玄関口的な場所というイメージで、まだ摩天楼のようなビル群はなく、旧租界の外灘から黄浦江を眺めたくらいしか覚えていない。ただただ、高杉晋作が訪れた上海であり、四人組が文革を始めた地である上海、といった内面的な意義だけを噛み締めていたような気がする。

その上海がロックダウンで大変なことになっている。以前からYou Tubeなどで、恐ろしい情報が流れていたのだが、最近やっと日本のマスコミも報道しているようだ。初めて、その情報が入った時、恐れおののいたが、全く信じられない話だった。

マレーシアでも一時期KLなどでロックダウンが行われたが、当然食料や医薬品などを購入できるようなシステムになっていた。ところが、中国共産党のロックダウンは、そういった生存に関わるような配慮が全くない。それを悲観しての行動が相次いでいるようだ。これは中世の話ではない。2022年今現在の話である。

このようなことが行われていていいのだろうか。ウクライナの戦争報道で目立たないが、私は少し海を隔てた上海で起こっているこの事実を日本人はもっと知るべきであると思う。以前書いたが、特に親中派の政治家は、この事実をどう捉えるのか、知りたい。このような非人間的な政策をうてる中国共産党という存在をどう捉えているのか聴きたい。

♪海を超えたら上海 どんな未来も楽しんでおくれ 海の向こうは上海

♪長い汽笛がとぎれないうちに 海を超えたら上海 君の明日が終わらないうちに

2022年4月23日土曜日

世代的価値観の相違

https://www.youtube.com/watch?v=toyO889oQQA
私が仕事をしている横で、妻がYou Tubeを見ていた。誰のチャンネルかは知らないが、妙に耳に残った。

昭和30年代・40年代生まれの人間と今の若者の価値観の相違の話である。昔、とんねるずが「きたなシュラン」という企画をやっていたが、汚い店の方が美味い、という価値観である。うーん、たしかにそれは言えると私はその世代だから思える。

昔、工業高校の近くに、どえらい汚い中華料理屋があって、たしかにここの焼き飯は美味かった。要するに店がまえや清潔さより、その中身を重視することが善であり正義である、という価値観だ。You Tubeでは、当時の青春ドラマ「俺たちの旅」を例にとって、登場人物たちは今からすれば不潔であり、その外観よりも人間性を重視するという視点で作られていた、とする。

たしかに、我々はそういう時代に生きてきた。巨人の星では、星一徹は日雇い人夫で飛雄馬は長屋に住んでいた。あしたのジョーはさらにドヤ街の不良少年であり、丹下ジムは橋の下にあった。だが、彼らの志は高く、夢に向かってパラノに鍛錬する。先日他界された水島新司の野球漫画の主人公も、大方貧しい暮らしをしていたし、そういう状況が描かれていた。

今は、こういうのは流行らないらしい。店もきれいになったし、そもそも若い人々はそういう価値観がない。店の綺麗さと美味さは、イコールあるいは比例すると考えているらしい。

それだけ社会が豊かになったとも言えるし、円熟したともいえるし、スマートになったとも言えるし…だが、これは価値観の変化だと捉えるのがいいのだろう。だから、何なんだと言われても困るのだが…。

2022年4月22日金曜日

沢木耕太郎を久々に読む。

学園の図書館で、実はもう1冊借りていた。通勤電車の中で読むために、沢木耕太郎の文庫本を借りたのである。図書館には沢木の文庫本もほぼ揃っていた…凄いぞ。

「象が空をⅡ 不思議の果実」である。読んだことのあるようなないような…というのがチョイスした理由。美空ひばりの話で、スポットライトで可視できるホコリだらけの舞台に立つことを躊躇する話は、読んだ気がする。しかし、その他の高倉健の肖像画の話などは、始めてのような気がする。要するに、読んだのか読んでいないのかはっきりしないままである。

久しぶりに沢木の文章を読んで、私の文章力の稚拙さが再認識された。文章力は読んで読んで読んで、書いて書いて書いて(注:円広志 風)しか高みに行かない。今回の最後の解説は、沢木のようなライターに憧れ、そして夢破れTVディレクターをしている人物のものだ。ここに、沢木が横浜国大を出てすぐ、ライターとなった際、不安はなかったと言い切っていることが書かれている。私は、ちょっと感動した。私は沢木の文章が好きだが、彼の文章の良さは、語彙の豊富さとともに比喩のうまさ、そして構成力、特に最後のオチがきいていることである。当初から、沢木は、こういう能力を持っていたのだ。たしかに初期の作品から、私は文章の旨さに惹かれたと思う。この本を読んだか読んでいないのか、まだ定かではないが、文章の旨さは確かである。

2022年4月21日木曜日

書評 マンガゼミ 政治経済

続いて「政治経済」である。こちらの設定は、魔法で犬にされた某ヨーロッパの公国の皇太子が日本の政治経済を学ぶために来日したというものである。しかし、女性の研究員にやたらしばかれる。ドツキ漫才風の展開を見せる。

「倫理」に比べて、「政治経済」のほうがマンガで説明しやすいと思う。倫理に比べ、比較的スラスラと読める。これは、教科の性格上の問題だと思う。政経は倫理よりより具体的であるからだ。だいたい1項目で4ページに収めているが内容の精選は十分かと思われる。

このマンガゼミ「政治経済」に関しては、生徒に勧めてもいいかなと思う。教科書以前の入門書として使えると思う。

書評 マンガゼミ 倫理

学校の図書館に先週行ってみた。なかなか素晴らしい図書館である。今回、倫理と政治経済のマンガ参考書(新マンガゼミナール:学研)と沢木耕太郎の文庫本を借りてきた。

さて、このマンガゼミ倫理の書評である。マンガの設定は、ロボットと女子高校生のタイムトラベルが主になっている。世界史や日本史などの歴史のマンガ本はわかりやすいのだが、さすがに、「倫理」の学習内容を網羅しようとすると難しい。とっつきやすさ、わかりやすさを売りにしようとしてるのだが、かなり無理がある。

おそらく単元ごとのページ数も決まっているのだろう。カントのところなど、難解な語彙の嵐になっていて、結局消化不良にならざるをえないと思った。もちろん、この本はあくまで導入であるのだから、一気に興味を引く、あるいはシンプルに理解の手立てとするくらいでいいのではないかなどと思う。

倫理の教科書だけでも受験には足りない。資料集では詳細にすぎる。このコンビネーションが必要なのだが、この漫画本は、倫理の教科書代わりになろうとしているように感じた。

製作者の努力には敬意を払うが、失礼ながら、これだけの対価を払う価値はないように思う。生徒にはあえて勧めない。

2022年4月20日水曜日

2005年宝塚線事故現場の話

https://www.asahi.com/articles/
photo/AS20200425000895.html
毎朝、枚方市の自宅から、JR西日本の学研都市線・東西線・宝塚線を乗り換えずに通っている。帰宅時は尼崎や宝塚で乗り換えるが、線路としては一本である。だいぶ長距離通勤にも慣れた。

往路、尼崎駅を過ぎて、少しは走ると2005年4月25日の事故現場の横を通る。

事故の時は、M高校英語科1年生の担任だった。終わりのSHRで事故のことを話した記憶があるのだ。とはいえ、この宝塚線とはあまり関わりがなく、事故現場を通過したのは、H高校で伊丹まで「なぎなた」の試合を見に行った時が最初だった。以後この4月まで、この事故現場を通過することはなかったのだが、今は毎日、往路も帰路も通過する時私は黙祷している。

悲惨な事故だった。その原因がJR西日本の商業主義に起因していたことで、大きな批判が渦巻いた。

帰路、ここを通過する際は、一気にスピードを落とすような気がする。カーブであるし当然なのだが、私には17年たった今も、「鎮魂」が続いているような気がしている。

2022年4月19日火曜日

ルワンダ中央銀行総裁日記3

https://www.asahi.com/articles/DA3S14236934.html
緒方貞子さんが国連難民高等弁務官であった頃の話が、昨日エントリーしたルワンダの虐殺事件の項で出てくる。著者が取っている日本の新聞には報道されなかったが、インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙に、ルワンダの帰還難民について「愛国戦線」首脳との会談後の発言が報道されたらしい。

緒方さんは「彼らは口では良いことを言っているが、自分は本当にすべてが良いと完全に納得するまでは、難民たちにルワンダに帰れと言うつもりはない。」と言ったそうだ。米国政府や国連職員の難民の早期帰還促進の意向にもかかわらず、事故の判断と良心に従った発言で、著者は彼女の慧眼と勇気からでたもので、まことに敬服に値すると記している。

やはり、緒方さんは凄いのである。…著者は、何よりルワンダの人々のために働いてきた。もちろん、緒方さんもUNDHRで難民キャンプにいる人々のことを第一に考えて指揮してきた。国際協力に関わる日本人の中でも、このお二人やアフガンの中村哲さんは、本物だ、一流だと思うのである。

…残念なことに、この3人とも鬼籍に入られてしまった。

2022年4月18日月曜日

ルワンダ中央銀行総裁日記2

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/05/post-10124.php
ルワンダとくれば、1994年のジェノサイドである。通説は、多数派のフツがツチを虐殺したことになっている。「ルワンダ中央銀行総裁日記」には。著者の増補として、この件に触れられている。

著者の視点は、当時ブルンジの大統領とともに乗った飛行機が爆破し、フツの大統領を暗殺したのは、どう見ても「愛国戦線」の仕業ではないかというものであった。ジェノサイドの混乱の後、副大統領から大統領になり、IT立国を進めてアフリカの優等生と持て囃されているカガメ氏は、この愛国戦線のリーダーである。…この信頼できる著者の指摘は衝撃的であった。

最初は、カガメ氏を凄い人材だと考えていたのだが、コンゴ民主共和国の紛争鉱物の密輸などで、胡散臭さを感じていたのだが、どうも例のジェノサイドの首謀者である可能性すらある。闇は深そうだ。

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/05/post-10124.php

ルワンダ中央銀行総裁日記1

https://fujinkoron.jp/articles/-/3532
長距離通勤のお陰で、読書時間が確保されている。前々から読まなければと思っていた「ルワンダ中央銀行総裁日記」(服部正也著・中公新書)を今日完読した。アフリカ開発経済学の重要な資料である。

話は少し古い。1965年から6年間、IMFから派遣された日銀マンの著者の話である。中央銀行といっても、当時のルワンダでは小規模な組織で、IMFからの平価切下げ政策を主軸に進めていくのだが、最初は絶望的な状況である。旧宗主国であるベルギーをはじめとする外国人に食い物にされている状況にあったと言って良い。

幸いなことに、当時の大統領が清貧で、ルワンダ国民のことを真摯に考えていたことである。ただ、経済的な基礎知識に欠けていたのは事実。著者を信頼し、経済政策を著者一人に託す。

平価切下げと財政の健全化を主軸に、金融政策とともに財政政策、更に農業を中心とした経済発展政策を一人で考え抜く著者の能力は凄い。正直なところ、詳細な金融政策の話が出てくるので、私自身がどれくらい理解できたのか不安になる。

実に重い読書感が残った。様々なイレギュラーの連続の日々である。しかし、著者はくじけない。ルワンダの国民のために、公に徹する。外国人(ベルギー人その他)の言より、ルワンダの人々の言を集めていく。これは、理論書ではなく実践報告なのである。

著者の開発経済の最大の眼目は、人である。『途上国の発展を阻む最大の障害は人の問題であるが、その発展の最大の要素もまた人である。』…名言である。

2022年4月17日日曜日

ウクライナ民族問題を読み解く

https://twitter.com/Tamama0306/status/1501730319560769537
佐藤優の「民族問題」にはウクライナの民族問題を読み解く部分がある。2017年発行の新書だから5年前になるが、その本質は変わっていないと思うので、エントリーしておこうと思う。

そもそもウクライナの「クライ」は囲いの意で、「ウ」は傍の意。囲いの傍、すなわち地方、田舎という意味であるそうだ。人口は5300万人、ウクライナ人が3700万人、ロシア人が1100万人、ユダヤ人が50万人、ベラルーシ人が45万人と言った内訳で、だいたい100の民族が住んでいる。東方に行くと住民の多くがロシア語をしゃべっていて、自分がウクライナ人かロシア人かなんて誰も考えていなかったのだが、2013年末ごろから大変な状態になった。

988年、キエフ・ルーシ(大公国)でウラジミール公が正教の洗礼を受けた。これがロシアに正教が導入された始まり。その後、モンゴル・タタールが攻め込んできて、ロシア人はモスクワに移動して発展したというのが、ロシア人の考える歴史。ウクライナ人は、キエフ・ルーシの伝統は西部のリヴィウに行きガリツィア公国こそがウクライナのもとと考える。ところが、14世紀にポーランド王国に編入され、その後オーストリア・ハンガリー帝国の領土にされて、WWⅠ後に再びポーランドの一部になり、WWⅡ後はソ連に組み込まれた。

ちなみに、WWⅡ前のポーランドの意外な一面があるそうで、イタリアに次ぐ世界で二番目のファシスト国家(ピウツスキ政権)で反共・反ソという姿勢が強かった。ちなみに、ポーランドから見て、ウクライナは辺境で、ポーランド語でもウクライナは田舎という意味らしい。

ところで、東部はロシア帝国に組み込まれ、もともてゃウクライナ語を話していたが19世紀に帝政ロシアがロシア語化政策を進めウクライナ語の仕様が禁止された。(これはウクライナだけでなくロシア全領域)ただし、ロシアは近代が遅れ民族という概念も中途半端で、ロシア語を完全に使えるようになり、正教徒であれば上の方は貴族として認められたし、中産階級や下級階級も官僚や聖職者になることも可能で差別もなかった。よって大きなトラブルはなかったようである。問題は西部で、オーストリア・ハンガリー帝国ではそれぞれの文化自治を重視しており、ウクライナ語が自由に使えた。

ロシアに組み込まれた東部は、ソ連時代・スターリンによる集団農業化の時、土地私有化制が残っていたウクライナでは抵抗が強く強制移住や飢餓状態になって、400万人の餓死者が出た。(ホロドモール:3月16日付ブログ参照)

WWⅡの後期には、ナチがやってくる。民族独立を約束してウクライナ解放軍を募集、30万人がそれに応じた。ちなみにソ連赤軍には200万人、同じ民族が殺し合うことになった。ウクライナは一時ナチが占拠したが、独立を認めずひどい仕打ちを行ったので、ウクライナ解放軍は反ナチに転じる。(ウクライナの歴史教科書ではナチからの独立に活躍したとあるのだが、ロシアの教科書にはナチと一緒になって東方政策に加担したとある。)ちなみに、今もガリツィア地方には「スヴォボダ」という政党があり、ウクライナ語で自由という意味で、ナチ親衛隊によく似た旗を掲げ、血や民族や名誉をすごく大切にして、夜中太鼓を叩きながら、松明をかざして行進したり、TV局を襲撃したりするという。2014年のクーデターの際には重要な役割を担ったといわれる。

WWⅡでドイツが撤退すると、ソ連赤軍が入り、ガリツィアも含めソ連の一部となるが、ここは16世紀の反宗教改革運動の際、カトリック圏となっていた。イエズス会は融通無碍で見た目は正教会のユニア教会ができる。このユニア教会は1946年よくよく考えたら我々は正教である、ロシア正教会に併合されることを望んだ。(ただし、この会議には秘密警察も赤軍も出動している状況下であった。)しかし、ウクライナ解放軍の一部は1950年代後半になっても山籠りして抵抗していた。さらに、ソ連支配を潔しとしない人々がカナダ西部(エドモントンあたり)に40万から140万人移住。カナダの使用言語では、ウクライナ語が英・仏語に続く第3位とは驚いた。

ゴルバチョフ時代、このカナダ移民からのマネーが西部の独立運動を支える。1991年の独立時、公用語はウクライナ語であったが、東部・南部・クリミアではロシア語が主流で、未だ民族的なアイデンティティは決まっていなかった。2014年2月スヴォボダを含む民族派が、ソチ五輪の最中武力クーデターを起こし、権力を握り、ロシア語を公用語から外すと宣言した。翌日撤回されたが、この一言が内戦を引き起こすことになった。経済的には、西部より東部のほうがゆたかであった。しかもこの民族派政権と話し合いが通用しないことも認識していた。よって東部では行政機関をキエフ中央政府から守ろうと籠城した。トゥルチノフ大統領代行はこの籠城に空爆でで答えた。ここから東部の武装が始まる。

ロシア軍は同じロシア人同胞を守る論理で国境地帯に配置された。休暇中のボランティアの義勇兵が戦闘に従事したらしい。

…うーん。そもそもウクライナ西部と東部が同じウクライナである必要があるのだろうか、などというのが私の率直な感想である。今、日本も世界も完全にウクライナ支持の世論だが…。

耐エントロピーという視点

https://towatowa.net/entropy-increase/
佐藤優の「民族問題」でゲルナーの『民族とナショナリズム』の話が出てくる。ゲルナーは、エントロピーという熱力学の概念を使って、産業社会における民族問題・差別を説いている。エントロピーというのは、たとえば、同じ金属を熱すれば均一に熱くなるが、ある場所は鉄、あるいはアルミだったりすると温度が均一にならない。こうした特定の場所だけ温度が変わる状態を『耐エントロピー』とゲルナーは表現し、これをナショナリズムに適用している。

面白い話が出てくる。近代国家では、教育制度が社会の均質化を保証しており、国家以外の下位集団の中で学校を核としてナショナリズムよりも強力な紐帯が作り出されると困る、国家より強い絆で結ばれた集団は、学閥、起業であろうが、過激派ヤクザ集団であろうがみんな反国家的な存在である。国家を超えるような帰属意識を持を養成できる集団は、近代社会においては成立しにくい。もし成立するとすれば、そこには相当強力な耐エントロピー構造が必要になる。たとえば宗教。たとえばイデオロギー。こういうものを強力に持った集団出ない限り国家に対抗することはできない…と。

ふと頭に浮かんだのは、ユダヤ人の共同体である。近代国家以後は、それ以前より耐エントロピー的な存在になっていた。これは内田樹も指摘していた。

ウクライナ戦争は、未だによくわからない。プロパガンダの応酬のようで、何を信じていいのかわからない。ただ、ウクライナ東部のロシア系、ウクライナ系の対立も耐エントロピー的であるといえる。互いに反国家的だと認識しているからこそ、第三者から見て残虐すぎると思える話が現実味を帯びているのだろう。

中国共産党が行っている、ウィグルやチベット、内モンゴル、さらには法輪功への熾烈な弾圧も、耐エントロピーで説明が可能だ。私は、法輪功などの宗教団体への弾圧は、中国史における幾度も繰り返されてきた宗教団体を中心とした易姓革命から来ていると思っていたが、こういう視点のほうがわかりやすい。

2022年4月16日土曜日

1週間で血糖値爆降

S学園に通って1週間。起床は5:00で、6:39の区間快速に毎日乗っている。この区間快速は、新三田行きなので乗り換えがない。要するにずっと座っていける。(ただし、京橋からずっと各駅停車である。)

自宅から駅までは、下りだが、12分くらいかかる。帰りは15分くらい。校門から高校の校舎まで、坂になっていて、そこそこキツイ。なかなか運動になる。と、いうわけで、昨日枚方の糖尿病専門のI内科に行ったのだが、食後5時間で、血糖値が138に下がっていた。前回が恐ろしい数値だったので、先生もびっくりされていた。

おそらくは、この毎日の通勤に伴う徒歩が最も影響しているのだろうと思う。三崎では自動車通勤だったが、こっちでは、ヒーヒー言いながら坂を上り下りしているわけで…。

妻も喜んでくれていて、少しずつ甘いものも食べさせてくれるようだ。今日の画像は、妻が発見したフィリピン産のパパイア。マレーシアで食べていたパパイアとは比べ物にならないが、久しぶりに美味しかった。

2022年4月13日水曜日

PBT・三崎高・S学園の絆

https://leaderjuku.jp/
昨日、授業が終わった後に、ある男子生徒がやってきて、「先生、三崎高校のNさんをご存知ですか?」という驚くような質問をしてきた。「知ってるけど、どうして?」「次世代リーダー塾で、一緒でした。」「では、手伝いに来ていたマレーシアのA君も知ってる?」「はい。今も繋がっています。」…実に驚いた。

この次世代リーダー塾というのは、日本の高校生を集めて夏に合宿をし、各界から講師を招き、成長を促すプログラムである。私は、PBT(帝京マレーシア日本語学院)にいた時に知った。毎年PBTから4名を送り出してきた。担任を2回したが、優秀な教え子を送り出してきた。当時首相に復帰したマハティール氏も最終日に参加するという、日馬合同のイベントであった。

三崎高校で、今は大学2回生のKさんが、このリーダー塾に参加していたことを知った時、びっくりした。ちょうどF42が参加した年で、A君をよく知っていた。全国の高校は何校あるのか知らないが、この巡り合せは極めて低い確率だろう。昨年、未咲輝塾生でもあったNさんが参加したのは知っていたし、報告も受けた。凄く優秀な子がグループのリーダーで、その副として頑張って支えたと言っていたはずだ。そのリーダーが、昨日挨拶をしてくれたS学園の彼だったのだ。「Nさんから先生のことは聞いていました。よろしくお願いします。」

私がマレーシア、四国、関西と移り変わりながらも、この次世代リーダー塾繋がりが続いていたわけで、これは奇跡的な確率だろうと思う。S学園に文字どうり私を待っていてくれた生徒がいたわけだ。それが授業2日目に早くも判明した。
…嬉しい。使命があるのだろうと思う。そして、心からありがたいと思うのである。

2022年4月11日月曜日

佐藤優の民族問題を読む。

いよいよ、S学園高校の授業が始まった。朝6:39発の区間快速にずっと座り続けて三田まで。長距離通勤である。ありがたいのは、読書が進むこと。周りの乗客は寝ているか、スマホをいじっているのだが、私はひたすら読書の時間である。今日は佐藤優の集中講義「民族問題」を読んでいた。往復で4/5くらい読めてしまった。うーん、長距離通勤の利点である。

この本は、L君にかなりおすすめ。ここで紹介されている、アンダーソンの『想像の共同体』やゲルナーの『民族とナショナリズム』などは、今彼が考えている問題意識と、その延長線上にある卒論に役立つと思う。そんなことを考えていた。

さて、この本の中で、「スコットランドの独立問題を沖縄の目で見る。」という箇所がある。2014年にスコットランドの独立に関する住民投票が行われた。日本のメディアのほとんどが、この独立運動は経済格差の問題でナショナリズムの要素はない、イギリス政府が格差是正策を約束したので、沈静化するだろうと報道したのだが、唯一「琉球新報」だけが、スコットランドの独立運動は益々加速すると予測したという。

何故か?琉球新報はイギリス側がさらに自治を認めると約束したからだという。独立に賛成した45%は自己決定権を持っていることを前提にしている。反対した55%の中には、自分はイギリス人であるというアイデンティティを持っている人だが,自分はスコットランド人であるが、現時点ではイギリスの枠内にいたほうがいいとして反対した人がいると分析。言い換えれば「将来状況が変われば、分離独立しても構わない」という人でもある。これらの人が5%以上いるとすれば、独立しうるということが可視化された、イギリス政府はこれを危険と見てさらなる自治権を認めたのだ、だからスコットランドの独立運動は失速しないと主張したのだった。その8ヶ月後、総選挙でスコットランドの59議席中56議席を独立派のスコットランド国民党が獲得、琉球新報の予測が的中したのだった。

なぜ琉球新報だけが、これを見抜けたのだろうか。佐藤優は、スコットランドと沖縄が極めてアナロジカルであるからだと主張する。スコットランドには、グラスゴー郊外にイギリス唯一の原子力潜水艦基地がある。イギリス政府としては、スコットランドが独立すると、この基地を引き取らねばならない。イングランドもウェールズも引き取りたくはない。原発は少なくとも選挙で選ばれた首長や議会の了承を得ているが、基地は強制されたものである。母親が沖縄出身である佐藤優だからこそ指摘できる分析である。沖縄問題は、実に微妙なのである。

…ところで、本日6年ぶりにRISOの輪転機を使ってプリントを印刷した。うーん、感無量。

2022年4月10日日曜日

28年ぶりの完全試合

https://www.daily.co.jp/baseball/2022/04/10/0015208531.shtml
ロッテの佐々木投手(20)が28年ぶりの完全試合を達成したというニュースが流れた。槇原以来ということだ。最近のプロ野球では、中継ぎ・抑えという流れが主なので、完投すること自体が珍しい。youtubeで見ると投球数は104球。13者連続を含む19三振も新記録したらしい。160㎞以上のストレートと落差のあるフォークが抜群だったらしい。無駄球を投げず、三球三振をずいぶんとったのだろう。

https://www.youtube.com/watchv=eKiIXzNG6rw&ab_channel=%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%82%B8

たしか、前々から有望視されていた投手で、私でさえ名前は知っていた。ロッテは、1年間じっくり育ててきたらしい。凄い投手が出てきたもんだ。平成の怪物といわれた松坂が引退して寂しかったが、新たな令和の怪物のセンセーショナルな誕生といえるだろうなあ。大谷くんも頑張っているし、新たなヒーロー誕生に乾杯である。

ホッブズ&囚人のジレンマ

https://career-cc.net/game-theory-prisoners-dilemma/
政経のプリントを作っていて、今回はあえてホッボズ問題を取り上げてみることにした。進学校なので時間的余裕はあまりないのだが、小学校・中学校と公民分野で憲法や日本の政治の仕組みをやっているわけで、二番煎じ・三番煎じには時間をかけず、社会科学の面白さを伝える方がいいと判断したのだ。

まずは、キリスト教世界が神定法ではなく、自然法という神の設計図を設定していることを伝えたい。ユダヤ教とキリスト教の関係性について、このユダヤ教の律法が神定法で、キリスト教がこれを否定している故に、神の設計図をなくし、人定法ではあるが、普遍的な意味で自然法を得るという問題は極めて重要である。と、言いつつ、ロックやルソー、もっといえば近代哲学は神の存在の上に成り立っているので、こういう感覚を優秀な生徒たちに伝えるべきだと思うのだ。

ちなみに、ホッブズは神の存在を無視して、自然状態を設定している。しかも当時の絶対主義的な時代において、自然権を平等なものとしている。ピューリタン革命時のイギリスにおいて、これはピューリタンにとっても王党派にとっても危険思想であったわけだ。この辺は実に面白い。

さて、ホッブズ問題については、すでに2019年4月27日にエントリーしている。ホッブズ問題とは、ホッブズが提起した問題ではなく、アメリカの社会学者・パーソンズが「社会秩序はいかにして可能か」という問題について命名したものである。

https://sites.google.com/a/mytougane.com/tontororinohit
origotoa/jing-ji/jing-ji-xue-yong-yu/qiu-rennojirenma
今回のプリントでは、ゲーム理論(=囚人のジレンマ)も記しておいた。経済学などでも使われているし、興味があれば自分で調べることができそうな生徒達なので、こういう啓発もいいかなと思う。私の使命は、そういう知的啓発ではないかというのが、この一週間熟慮した結果である。

2022年4月8日金曜日

再読 ハプスブルグ家12の物語

http://www.tabisuru-
c.com/travel/spain_
200704/royal/feripe2_r.htm
2014年の8月16日付のエントリーで、「名画で読み解くハプスブルグ家12の物語」について書いている。今回、帰宅して1階の書庫でこの本を見つけ読んでいたのだが、ところどころで本の下部に折った跡があり、これは重要な項目に対して行う私の癖なので、途中で再読していることを認識した。(笑)8年前はナポレオン2世についてだけ書いている。今回は、フェリペ2世についてエントリーしようと思う。

フェリペ2世といえば、かのカール5世の息子で、スペイン・ハプスブルグ家を継いだ。彼は4度結婚している。カトリックの雄であるから、離婚ではなく妻に先立たれたわけだ。最初の結婚は16歳で、ポルトガル王女(父方からも母方からも従姉妹というハプスブルグ家の血族である。)で、難産の上、カルロスというできの悪い息子(後に間接的に殺すことになる)を生んだ後あっけなく死んだ。2度めが、例の離婚騒動のイングランドのヘンリー8世とカザリンの娘・メアリー1世である。

この結婚は、カール5世の命令であったらしい。政略結婚も甚だしく、メアリーはイングランドを出る必要なし、スペインは軍を駐留させない、生まれた子はイングランドを継ぎ、もしカルロスが亡くなればスペインも継承させるという契約だった。それほどにイングランドをカトリックに戻そうとしたわけだ。メアリーは、フェリペ2世より11歳も年上で、しかも離婚騒動で幽閉されたり、殺されそうになったりと地獄を見てきたので年よりずっと老けて、髪の毛も歯も抜け病弱で痩せこけていたという。しかし世継ぎを生みたいという意志は強く、半年後侍医はメアリーの懐妊を発表した。フェリペ2世も義務を果たせたと喜んだのだが、これは想像妊娠、腹部の膨張は腫瘍だった。40近いメアリーに子をなすのは不可能と見切りをつけ、父の退位を受け1年半ほどでイングランドを離れる。メアリーは心のこもった手紙を送り続け帰国を待ったが、1年3ヶ月後に戻った時は対フランス戦の資金援助を仰ぐためで、それが叶うとあっさり身を翻した。それどころかエリザベス(後の1世)に内々に結婚を打診したりしている。メアリーの葬儀にも出席しなかったし、エリザベス1世が戴冠するとすぐ結婚の申込みをするが、さんざん翻弄され振られてしまう。

3度めの結婚は、フランスのアンリ2世の娘エリザベート。彼女は息子カルロスの婚約者だった。代理人を立て結婚式が行われたが、その際の馬上槍試合でアンリ2世が対戦した若い騎士の槍が折れ、目に突き刺さり9日間苦しみ抜いた後死亡する事件が起こった。(ノストラダムスの予言が大的中したことでも有名)縁起の悪いことこの上ないが、9年後、カルロスとエリザベートが相次いで亡くなった。(エリザベートは娘を2人生み、男児を早産して母子共に亡くなった。)その年のうちに4人目の妻をもらう。今度の相手は、従兄と実妹の娘アナ。大変な血の濃さ故、アナは多産であったが生まれた子は次々夭折し、結局息子1人(フェリペ3世)を残し12年後にまたも産褥で亡くなる。

太陽の沈まない帝国の主の人生は、実はこのようなものであったわけだ。

結局 Microsoft 365を入れた件

https://www.comdec.jp/product/microsoft365/
倫理や政経のプリントやパワーポイントを今まで使ってきたDELLのPCで作成し、軽いPanasonicのPCを学校に持っていって印刷、教室で使うというプランでこれまで教材研究をやってきた。今日は出来たプリントをPanasonicに移してみたのだが、…あかん。

まず、Microsoft Office Onlineは、段組が出来ない。B4サイズを2段組で作成していたのが水の泡である。もうひとつのインストールしておいたフリーソフトのLibre Officeは、DELLのOffice2019と相性が悪いらしく、構成がぐちゃぐちゃになってしまう。だいぶ修正しようと努力したのだが…あかん。Wardで画像を入れる時私は図形を塗りつぶす方法を取るのだが、そもそも出来ないのか、やり方がわからない。これは致命的である。

こういう教材研究時のストレスは絶対ない方がいい。で、仕方ない。最後の手段で Microsoft 365をインストールすることにした。機能はこっちの方が2019よりいいはずだし、実際ちゃんと再生できた。これで、ストレスなく、プランを実行に移せるわけだ。

2022年4月7日木曜日

Berufというドイツ語

https://lets-bible.com/reformation/r02.php
中学レベルの社会科(あるいは高校世界史の基礎的な学び)というものは、ついつい誤解することが多いなあと思う。今日のエントリーは、教材研究をしていて、そんなことを考えたというお話である。

たとえば、贖宥状(=免罪符)とくれば、ルターの宗教改革のきっかけという学びは正しいが、それ以前にも贖宥状は教皇から出されている。十字軍に参加できない人々に戦費を負担するために発行されたのが最初らしい。大シスマの時にもローマに巡礼できない人々へも発行された。最も有名なのは、ルネサンスの中心メジチ家出身のレオ10世がサン・ピエトロ寺院の改築のために出した前述の贖宥状だが、そもそもこの改築は前教皇が始めたものであったりする。

ルターとくれば、聖書中心主義で、(それまでカトリックの共通語であるラテン語で書かれた)聖書をドイツ語訳し、グーテンベルクの活版印刷と結びついたという話になる。なんか、ルターが最初に聖書の翻訳をしたみたいだが、もっと古いのはチェコであチェコるらしい。そのチェコから嫁入りしてきたイングランドの王妃がチェコ語の聖書を持っていたのを、ウィクリフが発見し、聖書を英訳した、と言われている。決して、ルターのドイツ語訳は世界初ではないわけだ。

これらは、世界史の研鑽で知った事実で、すでにエントリーしている。こういう事実は、実に興味深いと私などは思う。

さて、カルヴァンの超有名な職業召命観もまた、その前段階がある。これはルターで、ルターは聖書のドイツ語訳において職業を「Beruf」と訳している。(Google翻訳では日本語なら仕事になっていたが)大澤真幸の社会学史では、これは、英語で言うCaling、すなわち「呼びかけ」の意味であるとしている。(Google翻訳で英訳すると確かに出てくる。)神の呼びかけがに応じることが職業だ、というわけである。職業召命観もまた、カルヴァンが始祖ではないわけだ。最も、カルヴァンは予定説からさらにこの職業召命観を資本主義の倫理に昇華させているが…。

2022年4月6日水曜日

En arkhēi ēn ho logos

http://estiafotos.blogspot.com/2015/10/5.html
倫理の教材研究をしている。ヘレニズムとヘブライズムの最重要事項を最も象徴的に表すために、新約聖書のヨハネ福音書のあまりに有名な冒頭を紹介することにした。「はじめに言葉ありき。」これは完全な誤訳らしい。

ギリシア語で示すと、表題のようになり、エン・アルケー・エーン・ホ・ロゴスと読むようだ。ん?アルケー?ロゴス?直訳すると、『アルケーはロゴスなり。』ここでいうアルケーは万物の始源(ギリシア哲学のアルケーの意味)だが、ロゴスは、キリスト(世界を構成する論理としてのイエス=キリスト、または神の言葉)であるという。

ブディストの私には、この「世界を構成する論理としてのイエス=キリスト、または神の言葉」という論理は実に難しい。よく佐藤優が神学書の中で問題視する「受肉」のこともあって、不可解なのだが、要するに万物の始源は神であるという意味合いだと推測する。キリスト教を極めて簡単に定義してしまうと、ナザレのイエスをキリストだと信じる宗教であるので、三位一体説から見ても意味は通じるはずだ。

よって、このヨハネの福音書の冒頭は、ギリシア哲学の言うところのロゴスではないので、ギリシア哲学とは全くの別物である。誤訳の「始めに言葉ありき」は、後の西洋哲学史から見て極めてギリシア哲学的であるが、あくまで誤訳である。ただ、この冒頭は、教養として高校生に教えておく意味はあるだろうと思う。しかもうまく紹介できれば、ヘレニズムとヘブライズムの両者を象徴的に教えることができるのではないかと思う。

…ところで、ついにL君がマレーシアから来日、成田で入国し、今日大阪に到着した。満開の桜に間に合った。待ちに待った邂逅の日が近づいている。

2022年4月4日月曜日

桜満開 L君入国を待つ

お世話になる学園に今日は打ち合わせに行ってきた。学研都市線・東西線で尼崎乗り換え、さらに三田まで。長距離ではあるが、ひたすら1本。(直通の区間快速も存在する。)ずっと座っていたし問題なし。宝塚から向こうは未知の路線だったのだが、なかなか雄大な眺めである。ちょうど桜が満開で美しい。花粉が多いことを除けば、日本で最高の季節である。

明日、いよいよL君が入国の予定。コロナ禍で、2年間もマレーシアに閉じ込められていたL君が先日のメールで桜のことを聞いてきた。桜のことが気になるのは痛いほど分かる。というわけで今日のエントリーは、L君に送る満開の桜特集にした。やっぱり桜はいいよなあ。

2022年4月3日日曜日

ロシア崩壊のシナリオ

チュバイス氏 https://www.jiji.com/jc/article?k=2022032400022&g=int
今年度は、政経を教えるのだが、時事問題も語る必要がある。ブログでもできるだけ時事問題を研鑽・考察していこうと思う。

今日のエントリーは古館伊知郎のYou Tubeのチャンネルでなかなか面白い考察がなされていた。チュバイスという、エリツィンが政権を握った時の大統領府の長官・財務相が、開戦直後戦争反対を唱えトルコに脱出したという。オリガルヒを一気に作った(国営企業を民営化した)人物であり、民主主義より開発独裁が必要と考え、プーチンを選んだ人物である。彼がすでにロシアを見限ったというのは凄い。

ところで、ロシア人のカミル・カリーヴという米のシンクタンクのフェローは、2014年からの経済制裁が効いていると指摘している。それは、ロシアの産業構造が海外からのサプライチェーンに頼っており、国産では何も作れないという脆弱さを指定機している。今注目されているロシア軍戦車も部品が海外から供給されず古いままだと指摘、国内の交通インフラの要、鉄道をロシアは自分たちだけで作れないし、航空機も同様だという。うーん、まるで中国。

またプーチンはKGB出身で特殊作戦のプロだであり、チェチェンやシリア、グルジアなどで勝利を収めているものの今回のような本格的な軍事作戦は素人だと指摘している。

ロシアは大国であるというのは、幻想で、さらに意外なロシアの弱点を指摘する。それは砂糖だそうだ。我々は独裁政権と民衆という対立で見がちだが、多民族国家ロシアでは、この間に地方政府が存在している。砂糖を巡って、砂糖を生産する地方政府、あるいはストックしている地方政府はすでに先を見越して民衆のの不満を抑えるために囲い込みをしているというのだ。やがて、不満を抑えられない地域が増大していくというシナリオだ。

チュバイスがソ連崩壊時にぐっと締めたこの多民族国家システムの元では、民衆の不満はプーチンに直接向かわないらしい。神と崇められているからで、不満は地方政府に向かう。独立を示唆する地方政府も登場するに違いない。この段階を経て、クレムリンに波風が起こりロシアは崩壊するだろうというのが、カミル・カリーヴの予想。正しいかどうかは私にもわからないが、たしかに古館が言うように傾聴には値すると思う。

https://www.youtube.com/watch?v=zcUyH_OskLM&ab_channel=%E5%8F%A4%E8%88%98%E4%BC%8A%E7%9F%A5%E9%83%8E%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB

2022年4月2日土曜日

スパバレイ枚方南

https://yu-yu1126.net/inn/spavalley-hirakataminami/
久しぶりに、スーパー銭湯に行ってきた。歩いていける距離にある「スパバレイ枚方南」である。三崎から20kmほどにある「亀ヶ池温泉」以来である。亀ヶ池温泉は落雷で焼失し、ちょうど今日あたりに営業再開のはずである。

今日の温泉行きの目的は、散髪に行くことが半分だった。最も近い散髪屋さんが温泉内にあるのだ。普段は妻にやってもらっていたのだが、だいぶ伸びてきたので…。月曜日に最初の打ち合わせがあるのでプロにまかせることにしたのだった。

ここには、壺風呂(画像参照)というのがあって、なかなか良い。昼食もとって帰ってきた。こういうのもたまに良いものだ。

2022 ブルーマンやります


大阪に帰ってきて、車は多いし、信号は多いし、物価も高いし、寒いし、三崎に比べて良いことはあまりない。ただ、本屋が近くにあること、そしてコンサートや展覧会に気軽に行けることは大きい。

ブルーマンが大阪に来るそうだ。行きたいなあと思えば、行けるところがありがたい。妻と相談した結果、行かないことになったのだけれど…。

https://ltike.com/play/mevent/mid=395241&site=mailmag&utm_campaign=LHdiv_ticket_enta&utm_medium=email&utm_source=220328_mapkirec301

このブルーマン、昔々ニューヨークのオフ・ブロードウェイで見たことがある。ポスターにあるシーンはドラム缶にペンキがあり、それをどついているパーカッション・シーンである。生で見て感動しない人はいないのではないかと思う。全部英語だったけれど、ブルーマン自身は何もしゃべらないので問題なし。オフ・ブロードウェイのもう一つの雄・STOMPとともに、すばらしいパフォーマンスである。おすすめであるのだが…。

2022年4月1日金曜日

さらば 愛媛ナンバー

新年度である。健康保険が昨日で切れたので、妻と市役所に行ってきた。大混雑で1時間以上待たされた。枚方市在住の保険証を手に入れてホッと安心。私は、この待ち時間を「名画で読み解く ハプスブルグ家 12の物語」をずっと読んでいた。またいずれ書評を書こうと思う。

さて、もう一つの今日の仕事は、愛車の住所変更=大阪ナンバーへの変更である。これまでほとんど業者さんに頼んでいたのだが、妻の主張で今回は自分たちですることになった。変更する場所は枚方大橋で淀川を渡ったすぐのところにある軽自動車検査協会で、市役所からだとそんなに遠くはない。ホント久しぶりに、サイゼリア(かなり廉価なイタメシのファミリーレストラン)で昼食を取ってから向かった。年度末の3月は超満員だったらしいが、今日は空いていて、スムーズに事が進んだ。自分でナンバープレートも取り付けた。さて、私の懸念は、せっかく愛媛のみきゃんのナンバープレートにしたのに取り上げられるのは切ないということだったのだが、500円払えば、穴を開けられるが保存可能だとのこと。これは意外で嬉しかった。


…しかしながら、穴を開ける場所は法律で決められており、なんと、みきゃんの左耳がかかってしまっていた。あちゃー。でも、まあいいかと思っている。ちなみに、係のお姉さんは「かわいいですねえ。」と愛媛のナンバーを褒めてくれたのだった。穴を開けたおばさんも申し訳なさそうであったことを付記しておきたい。愛媛ナンバー万歳。

…大阪市内より北部(北摂や枚方)は「大阪ナンバー」で、大阪市内は「なにわナンバー」である。軽も同様である。番号だけの味気ないナンバープレートに戻ってしまった。早く愛媛のようにイラスト入りになるといいななどと夢想している。