![]() |
| https://seinansky.com/qinghai/taersi.html |
ソーダを運ぶ駝夫として、西川は西寧を目指す。その近くのタール寺(画像参照)で、第10代のパンチェン・ラマ(当時6歳)に拝謁する。西川の感覚では、竜宮城のような特別の間で、全身が黄色の帽子と法服に包まれてふかふかの座布団に埋まるように座っていた。三拝し、絹の布でできているハタク(旅の安全を祈る聖なる布)を机の上に差し出し、銀貨や宝石を添える。(皆は銀貨2枚を添えたが、西川は1枚。笑)これに対し、パンチェン・ラマは、巡礼者の額に経典を当てるアデス(祝福)を行うのだが、(小さくて届かないので)お付の者が代理で行った。退出の際に、赤い紐と万能だとされる丸薬を渡されるのだが、西川は丸薬を見て「正露丸」のようだと思ったとのこと。(笑)
西川は、ラマ教に強い否定的な考えを抱いてきた。かつての勇猛果敢な蒙古族が、今は多民族に圧迫され散り散りにされている。これはラマ教に教化されてしまったからで、男子の多くが妻帯しないラマ僧になって人口減少に歯止めがきかなくなり、統一した国家さえ作れなくなってしまった、と歯痒くてならなかったのである。しかし。毎日何百回と叩頭をしているうちに、頭の中が澄んでいくような気がしてきた。もっとも、かつて旧制中学の修猷館在学中にラグビー部でスクラムの練習をした後に覚える疲労感や充実感とよく似たものであった。…このころの西川は、日本の密偵としての意識が強い。
1月15日にタール寺では「ジュンアチョパ」の供養会が行われ、寺市がたち大勢のの遊牧民が訪れ活況を呈していた。固いバターをヘラ一本で彫り上げた素晴らしい彫刻が寺の周囲を囲んでいた。彫刻に見とれていた西川が呆然としていると、不意に輿に乗せられた幼いパンチェン・ラマが姿を現した。群衆は、「オムマニベメフム」の真言を絶叫するように唱えて、一種の狂乱状態に陥った。
チベットに行こうという思いが、西川の中で次第に強くなっていった。



0 件のコメント:
コメントを投稿