2021年6月30日水曜日

ジムニーシエラの話

先日、八幡浜へ買い物に出かけた時、クリーム色のジムニー・シエラを目にした。デザインがシンプルで素晴らしい。このところ、ジムニー・シエラを紹介するYouTubeとかをよく見ている。別に林道を走ったり、車中泊をしたいわけではないけれど、妙に惹かれるものがある。

今の愛車には強い愛着があるのだけれど、197号線のアップダウンはキツイ。雪が降ったりしたら完全にアウトである。そんな事情から、4WDの車が良いなと思っていただけの話だ。

このジムニー・シエラは1500㏄の普通車である。ほぼ軽のジムニーと変わらないのだけれど、いいなと思っている。すると、やっぱり人気で、納車に1年以上かかるとかかからないとか。まあ、妄想の域を出ないのだが、オプションは何がいいとか、勝手に考えるのも楽しいものだ。

もちろん、買えればいいのだが、焼けつくような購買意欲はない。(笑)

2021年6月29日火曜日

YouTube 太田上田


このところ、我が家では、YouTubeの”大田上田”がマイブームである。爆笑問題の太田とクリームシチューの上田の対談番組で、ゲストを読んだり、視聴者からのコメントをもとに語り合ったりと、とにかく面白い。妻が見ているのを横で聞いていて思わず笑ってしまうのだった。

爆笑問題は、大阪人から見ると、どうも周波数が合わないので敬遠していたのだが、太田自身の話が意外に面白いし、MCとして能力の高い上田と見事にマッチしている。

TVのない生活は、少し寂しいが、YouTubeがその代役を果たしてくれている。TVや新聞などの大手メディアが苦戦しているらしいが、その最大の理由は報道の規制をしているからで、もう見る気はだいぶ失せてしまった。

先日もコロナのワクチン反対の嘆願書が心ある医師400人から出されたはずだが、一切報道していない。中国・韓国などのニュースも都合の悪い話は一切出てこない。ネット民からは敬遠されてしかるべしである。

そんな中、気楽に”大田上田”は見れて、一種の清涼剤的な存在なのである。

2021年6月28日月曜日

毎日のルーティン 旅館の女将

通常、塾は寮生の点呼が21:15にあるので21:00までである。一方、八幡浜方面からバス通学する生徒(総勢45名程度)は、朝は方面別に2台のバスに分乗して登校し、第1便が18:20、第2便が20:00の2台のバスに分乗して下校する。塾に通うバス通学生は1時間ほど早く帰ることになる。

昨年度は、第2便は塾専用だったのだが、今年度は、その看板を外してもらった。体育祭や文化祭などで塾生以外の生徒も第2便に乗る可能性があるからである。とは言っても、この1学期間はだいたい10名から15名ほどが第2便に乗っている。全てが塾生である。昨年はひどい時は2~3名だった。どっと1年生が増えたのである。彼らは、野球部、テニス部、卓球部などに入っている。部活後に塾に来て、勉強し第2便で帰るという習慣が完全に身についたようだ。

今日は、期末考査初日。いつもは早く帰る生徒(徹夜し眠いらしい。)も多いのだが、39名が来塾し、第2便のバスは20人弱のほぼ満杯であった。17:00といういつもより早い出発なので、写真が撮れた。(笑)

私は、毎日、15分前くらいに塾内と図書室に声をかけ、乗っている生徒を確認して出発を見届けている。運転手さん(だいたいSさんかAさん)に「よろしくお願いします。」とあいさつし、出発である。

私は、三本指で敬礼する。軍国主義的な意味ではなく、ボーイスカウトの三つの誓の敬礼である。(生徒達にも説明済み)男子生徒の何人かは、かならず敬礼を返してくれている。(笑)

旅館の女将みたいな、毎日のルーティン。これも塾長の重要な仕事だと思っている。

2021年6月27日日曜日

現代アフリカ文化の今

父の日のプレゼントは何がいいかと息子からメールが来た。遅ればせながらということらしい。そこで、荒熊さんと京都精華大学の学長が編者となっている「現代アフリカ文化の今」を所望した。先日、荒熊さんのブログを久しぶりに覗いたら、新著が出ていたのだ。これは購入しなければならない。

この本が、今朝、八幡浜へ買い出しに行く寸前に到着した。当然ながらまだ全部読んでいないのだが、荒熊さんの箇所だけは呼んだ。ラスタの話を書いておられる。私がブルキナファソに行った時、このラスタの人々と合わせてもらった。ラスタについての講義も受けた。あれから幾星霜。当時の中心人物の最近の様子も描かれている。

私自身は、このラスタについて実に興味深く思っている。ラスタとは、諸説あるようだが、ジャマイカのレゲェを代表するボブ・マーリーなんかが音楽で主張した、アフリカ人としての矜持とキリスト教が合体した宗教的色彩をもった若者のアンチ・欧米文化的な運動である。ワガドゥグで私は、ネッスルの缶を使ったアートを見せられ、「欧米の奴らがアフリカに買わせたゴミでアートをつくり、そのゴミを観光客に買わせて持って帰らせるのだ。」といった言説を聞いた。実に分かりやすいロジックだと思った。この論文では、このアンチ・欧米的なるものを「バビロンシステム」と呼んでいる。「バビロン捕囚」を奴隷貿易になぞらえ、アフリカ人を取り巻く資本主義、帝国主義などの抑圧的な制度を意味するようだ。

荒熊さんの論文によると、このラスタはジャマイカ発なので、アフリカ本土では同じ英語圏のガーナで最初流行したらしい。ブルキナなどのフランス語圏では、英語の歌詞を翻訳してから流入したらしい。

この論文には、私ものぞかせてもらった、ラスタマンのラミン氏の土産物屋の写真があり、実に懐かしかった。私はここでエスニックなマスクを購入した。

荒熊さんによると、このラスタは、ブルキナで文化的に定着したようには見えないようだ。アフリカのポップ・カルチャーの盛衰は、はかないものというような結語であった。

2021年6月26日土曜日

赤紙とオリンピック考

ついに、我が家にも「赤紙」が届いた。赤紙とは、戦時中の召集令状のことで、極めて無粋な表現であるが、「伊方町からの無料ワクチン接種券&そのお知らせ」のことである。妻に言わせれば「赤紙が来たで。」となる。憲法上の強制力はないだろうが、コロナ禍下の翼賛会的な社会状況下では、「赤紙」と表現するのも私はありだと思う。既往症のある私は疑義の塊のようなワクチンを打つ気はさらさらない。

私と同様な意見を持つ人々も多そうだ。一方、オリンピック否定派は、このワクチン否定派だけでなくワクチン肯定派も含め増加しているようだ。NGOにすぎないIOCが、商業主義化を推し進め、今やだれのためのオリンピックなのかという疑義が世界中に渦巻いている。結局のところIOCの金もうけのためにあるという事実が暴かれてしまい、華やかな祭典にかくされた闇が衆知のこととなったようで、開催地への立候補都市も激減しているらしい。

宮内庁長官が、陛下がコロナ禍のことを大変ご心配になっており、オリンピック開催を懸念されているとの発言をした。宮内庁は、元総理府の外局、現在は内閣府に置かれる独自の位置づけの機関である。今回の発言をした西村氏は、元警視総監で宮内庁次官を経て長官になっている。旧内務省系(アメとムチで国内を統治していた行政/自治省・厚生省・労働省・建設省などと警察庁)の事務次官等経験者が、次官を経て長官になるらしい。この発言をどう捉えるかは賛否両論であろうが、基本的に憲法に照らしてみれば、天皇の政治的発言はありえないので、長官の私見であろうと政府が切り捨てたことは、通常の判断、定石だと思う。

ただ、陛下が懸念されておられることは全くその通りだと思う。天皇という存在は、そういう存在であられるからだ。明仁上皇陛下もしかり、現徳仁陛下もしかりである。今回の宮内庁長官の発言を私はいいとは思わないけれど、陛下の懸念は、そういう国民の反オリンピックという社会の下地があってこそであると思う。

このまま、どれだけ反対があろうとオリンピックは開催されるだろうと思う。様々な問題や危機が起こる可能性があるが、日本は全て水に流すというジャパニーズ・スタンダードがIOCや関連の利益集団に十分認識されているような気がする。

ただ、私はワクチンに関しては流されないでおこうと思う。

2021年6月25日金曜日

メタに解説 期末考査直前

https://mito-ibaraki.mypl.net/article/kankou_mito-ibaraki/28748
期末考査が、来週月曜日から始まる。久しぶりに今日は日本史や世界史の解説をした。受験の日本史は、非常に細かい。サブノートというか問題集があって、生徒たちはそれに人名や語彙を入れている。まあ、暗記しておきなさいと言う感じである。

日本史Bは、懇意にしているO先生の科目で、非常に真面目な先生である。暗記科目にはしたくないが口癖だが、実際のところそうせざるを得ない実情がある。私は、40年近い社会科教師生活で、日本史は3回しか教えたことがないし、全てペリー以降の近現代史である。ところが、3年生は、その直前まで来た。「江戸ならまあ、なんとか教えれる。」と言ったら、さっそく質問が来た。メタに、江戸時代を俯瞰すると、中世的な土地経済が、近世的な貨幣経済に構造的に変化していく時代である。細かな用語はともかく、その質問が意図するところは的確に突ける。世界史も同様である。

期末考査対策として、どれくらい意味があるのかはわからないけれど、こういうメタな解説の意義はあるだろうと思う。なるほど~と、生徒も喜んでいたし…。

2021年6月24日木曜日

コンバットマーチ

手前がマドンナスタジアム
https://matsuyama-kurashi.com/about/area/577.html
期末考査1週間前なので、三崎高校の部活は休止している。ただし例外なのは軟式野球部と吹奏楽部である。7月の17日に、松山市の坊ちゃんスタジアムの隣にあるマドンナスタジアムで夏季大会があるからだ。

放課後、グランドでは威勢のいい掛け声が聞こえる。今年の野球部は、経験者の1年生もそこそこ入って去年より活気がある。一方、吹奏楽部は、通常の曲に交じって、コンバットマーチや、山本リンダのウララ・ウララ・ウラウララの狙い撃ちなんかの練習をしている。

私のこれまでの教師生活で、野球部と吹奏楽部の関係を考えてみた。T商業高校では、両方あったが、吹奏楽部が応援に行ったことはない。I工業高校は、野球部は強かったが、吹奏楽部はなかった。M高校も両方あったが、吹奏楽部が応援に行ったことはない。H高校も野球部は強かったが、吹奏楽部はなかった。

思い出した。大阪では、近隣の苦情もあって、背番号をもらえなかった選手が地声で応援をしていた。コンバットマーチはもちろん、「狙い撃ち」やピンクレディーの「サウスポー」、XJAPANの「紅」など、出場選手に合わせて歌や踊りをしていた。I工業高校やH高校は強かったので、攻撃時間が長く、みんなバテバテだった。(笑)

どうやら、この両者が試合で組み合わさるのは、三崎高校だけのようだ。もっと正確に言うと(講師陣に聞くと)愛媛県や他の県は吹奏楽部がセットになっているようだった。大阪だけ特別だったのだ。衝撃である。

三崎高校は全員でマドンナ球場に応援にいくのだとか。詳しいことはまだ不明なのだけれど、ちょっと期待している。

2021年6月23日水曜日

英空母の初実戦 in 地中海

https://trafficnews.jp/post/106626
英空母クイーン・エリザベス2世が、地中海上からイラク国内のIS残党に対しての攻撃を行ったとの報道が流れた。いずれ日本にまで来るはずの英空母であるが、思うところがいろいろある。

https://news.yahoo.co.jp/articles/1a82e799646a1c5566810706bf828c273e7f8ef6

スキ―ジャンプ台を使って、F35Bが発信している姿は、米空母の発信をよく見ている私から見て、なんとも気合いが入らない。(笑)発進の合図をする、米空母でいうカタパルト・オフィサーもなんかボーッと立っているだけで、キビキビしていない。

初実戦の相手が、ほとんど反撃できないISの残党と言うのも、何か腑に落ちない。演習の延長線上としてはいいのだろうが、なーんか緩い。英空母としてはめっちゃ久しぶりらしいが。2・3週間は、地中海上にあって作戦を行うとのこと。英海兵隊も3700人も乗っているらしく、こっちも実戦に入るのかもしれない。要するに、C国への威嚇なのだろう。

この後、スエズ運河を経由してインド洋に出るようだが、敵からすれば絶好の目標になるような気がする。おそらく厳戒態勢がひかれるのだろうが、ほんと大丈夫だろうか。

どうも緊迫感のない映像だった。

2021年6月22日火曜日

オリンピックへの老婆心

ウガンダの選手団のなかで、ワクチンを打ってきたようだがコロナ陽性の選手がいて入国拒否されたようだ。その後残りの選手は、合宿所のある大阪・泉佐野までバスで移動したという。入国時に検査して、その後の対応は受け入れの自治体任せなんだという。

まあ、杜撰と言えば杜撰。十分に想定できるケースだと思うが、危機管理マニュアルはないのだろうか。官僚の能力が落ちているのか、ずっと上の方で、何が何でも実施の方針がまともな対応をさせないのかよくわからないが、日本の「和」を貴ぶ、人の好さが裏目に出ているように思う。このままで大丈夫だとは到底思えない。

そもそもオリンピック委員会(IOC)はNGOである。国連の機関ですらない。このNGOに国権を持つ日本政府が気を使いすぎているのではないか。国民不在の感はいがめない。

まあ、このコロナも、ワクチンも、商業的オリンピックも、全て金にまつわる欲望に支配されているように感ずる。結局のところ、真実は覆い隠されたままだ。どうも不思議な世界になってしまっている。非常に気色悪いのである。

2021年6月21日月曜日

バームクーヘンのような雲

朝、なんとなく空を見上げると、ちょっと見慣れない雲があった。なんかバームクーヘンのように見えたのは、甘いものを食べれない故かも。(笑)

ちょっと調べてみたが、なんという雲の形状なのかはわからなかった、という今日は珍しく実に短いエントリーである。ちゃんちゃん。

2021年6月20日日曜日

MLB日本人ランキング

https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/mlb/2018/05/16/___split_14/
米国の大手ランキングサイトのアンケート投票によるMLB日本人選手のランキングが報道されていた。なかなか興味深いので、エントリーしておきたい。

https://nlab.itmedia.co.jp/research/articles/253452/

1位は、当然ながら私の敬愛するイチローである。もはや解説不要。

2位は、野茂。メジャー通算123勝、ノーヒットノーラン2回、最
多奪三振2回なので当然。

3位は、松井ゴジラ。やっぱりヤンキースにいたのが大きいようだ。私は巨人の選手はあまり好きではないが、ゴジラを悪く言う人はいないようで、君子然としたところにも人気があるのだろう。

4位は、現役からダルビッシュ。5位は上原。上原は巨人だが、関西人なので別格。この両者の順位は微妙な感じがする。上原が4位でもいいのではないかと思う。

6位は田中マー君、7位は現役のマエケン、8位がヤンキース&広島の黒田、9位が現役の大谷翔平、10位が佐々木大魔神。この順位も微妙。大谷翔平が今後さらに上位に食い込んでいきそうな感じがする。

すこぶる妥当な評価のような気がする。ただ、やはりヤンキースの縦縞のユニフォームの威力は大きいと思う次第。

MLBで日本人が活躍するのは嬉しいことだと私は思う。サッカーでは海外で活躍することが普通になったが、野球も同様。ボールの違いやマウンドの硬さなどで、うまく順応するのは難しい様だけど、現役組はさらに頑張ってほしいものだ。

2021年6月19日土曜日

伊予市の皮膚科へ82km

先々週くらいから、湿疹ができて非常に痒い。特に先週くらいから両手に拡がってきた。糖尿病で毎月行っているK先生によると、伊方町にはもちろん皮膚科はなく、八幡浜には市民病院に週2回くらい専門医がくるくらいだという。何でも皮膚科クリニックの先生が他界されてしまい、今は大洲まで行く必要があるということだった。で、調べてみると土曜日もやっているみたいだが、コメント欄に土曜日は4時間も待たされるとある。これはキツイ。

で、さらに調べてみると、伊予市に評判がいい皮膚科があった。伊予市と言うのは、松山市の手前にある衛星都市的な街だ。松山市まで高速を使わずに下の道で行くとすると、この海沿いの国道を行くことになる。先日もリニューアルされた道の駅を目指して走った。なかなか景色もいいし、アップダウンも少ない。で、ここに行くことに決めた。

とはいえ、9時の開診に合わせて7:30に出て、着いたのは9:15くらい。なかなか遠い。すでに多くの患者さんが待っていたが、比較的回転もよく、30分くらいしか待たなかった。診察を受けて、同じ道を戻った。走行距離165kmほどである。

実は、三崎高校の事務長は伊予市から自動車通勤されている。事務長は熱心な方で、塾生が中心の20:00発の八幡浜方面行の通学バスを見送る際、私と一緒に見送っていただくことも多い。毎日、この距離を走っていると思うと頭が下がる思いだ。

さて、ちょっと頂いた軟膏を塗ってみたが、効いている気がする。次は木曜日に行くことになっている。

2021年6月18日金曜日

男塾・女塾

期末考査まであと1週間とちょっとである。中間考査は実施していない教科もあったし、範囲がかなり広い。1年生もその辺を考慮して多数の生徒が塾に来てくれるようになった。昨日の来塾者は42名。昨日さらに入塾者があったので全校で94名になっている。

本来なら塾に入りきれないが、図書室を自習室にしている関係で密にならない。面白いのは、このところ、男塾・女塾と言う感じで、塾内と図書室が性別で色分けされたことだ。もちろん、多少混ざってはいるけれど…。(笑)

女子生徒は、どどっと人がいると入りにくいらしい。昨日、帰国子女対策でW君と漢検5級のプリントを学んでいた。クラス対抗の漢字テストのプリントである。そこに「娘心」という語彙があって、説明していたのだが、彼のいたカナダと日本の女子はだいぶ違うようだ。恥じらいを表面に出す日本女子を、様々な例で説明していた。(笑)まあ、この男塾・女塾もその延長線上にあるのかもしれない。

2021年6月17日木曜日

中国の詭弁、強弁、虚言

https://www.shutterstock.com/ja/
image-illustration/illustration-flag-on-
grunge-background-nuclear-174512909
中国の原発事故で、当局者の言を聞いてあきれた。冷却材のの放射性物質の濃度が上昇したが、安全運転の基準を満たしている。5本/6万本の燃料棒が破損した。原発の運転中に燃料棒の破損は避けられず、一般的な現象だ。関連データによると世界の多くの原発では、燃料棒が破損しても運転は継続した経験がある云々。

…中国共産党は、「義」という漢字を簡体字に変えてしまった。漢字には、言霊が宿っている。中国共産党には、義=責任を果たすという意識がない。莫大な人口圧の中で、エゴイズムと自己保身だけがが熟成されてきたのだろう。中国共産党には、公としての責任感は全くなく、私心しかない。誠実さのかけらもない。自己保身は実に醜い。

…チェルノブイリの事故は、所長の無知と自己保身によって起こされた人災であった。中国共産党も同じことを繰り返している。これが、若かりし頃、少なからず好意を寄せてきた周恩来が支えてきた中国共産党の姿かと思う。

…これはESDにおける異文化理解を超えている。理解しようとしても、理解できないことがある。中国共産党の詭弁、強弁、虚言は、絶対悪であると明言するしかない。全く信用できない独裁政権である。

…日本の周囲には、このような詭弁、強弁、虚言を繰り返す国が3つあり、いちいちコメントすると精神的健康を害するので、このところブログで扱わなかったが、全くもっていい加減にしてほしいと思っている。日本以外の東アジアの儒教圏は完全に崩壊した。

2021年6月16日水曜日

中国の原発事故は尋常ではない

https://www.youtube.com/watch?v=EIHAxtjVuok&t=155s
中国のマカオ近辺の原発で事故(燃料棒の破損?)があったらしい。日本ではあまり大々的に報道されていないが、ネット上ではすでに拡散している。フランスとの協働運営のようだが、フランスの会社が報道したので明るみに出たようだ。中国独自ならまた隠し続けていたのだろう。中国共産党は人間の命など歯牙にもかけない。隠し通せないと判断した後、ご丁寧にも、安全基準値を急にゆるくして(2倍から3倍?)、安全基準値内だと発表している。しかもまだ稼働しているという情報もある。あほか。

フランスは、ここでアメリカに協力を求めているという。手に負えないと判断しているわけだ。フランスは、イギリスと違い核を独自開発した歴史がある。アメリカの援助を受けないというプライドが、ドゴール以来のフランスの国是である。フランスはフランスで中華思想が強いのだ。そのフランスが、アメリカにSOSを出したということは尋常ではない。

グーグルアースでの画像 6月の画像だということがわかっている。
https://www.youtube.com/watch?v=EIHAxtjVuok&t=155s
まだ、フクシマの時のようなドイツ政府が発表した放射能漏れの情報(風に乗ってどう移動したか)はまだ出ていない。しかし、台湾や日本にも影響は避けられまい。これからの情報にも注意が必要だ。

2021年6月15日火曜日

鬼北町の鬼列車

https://dogoehime.com/ehimeareainformation/onitrain/
7月4日から、JR四国の松山駅から宇和島駅、宇和島駅から窪川駅で、1両の気動車に鬼が描かれた「鬼列車」が約2年間運行されるらしい。

https://dogoehime.com/ehimeareainformation/onitrain/

鬼北町は、鬼の字が使われている日本唯一の地方公共団体。道の駅にも鬼がいる。町おこしで、鬼をうまく使っているわけだ。頑張っているなあ。せんたんミーティングで鬼北町の高校生に出会って以来気になっている。

以前、初めて伊方町に公営塾講師の面接に来た時(松山-八幡浜間の特急)以来、私はJR四国を利用していない。大洲方面に行った時、たった一両の気動車(各駅停車の普通列車)を見かけるが、大阪人としては、実に寂しげに見える。

この鬼列車が走るというのは、実に面白い。報道を見ると、(大阪環状線や西九条から出る専用の)USJ行の電車みたいである。うちの奥さんはまだJR四国に乗ったことがない。いっぺん普通列車に乗ってみようかなと思っている。

2021年6月14日月曜日

ネタニヤフ退陣

https://globalnews.ca/news/3833826/donald-trump-shares-kiss-benjamin-netanyahu-mural/
ついに、イスラエルのネタニヤフ首相が退陣した。ここ2年で4度の総選挙を実施したが、全国区比例代表制のイスラエルでは、多党乱立で不安定な連合政権になるのは必定。その中、15年も政権を担当してきたわけだ。しかし、今回は後ろ盾のトランプ退陣(私は未だに疑義を持っている)もあり、リプソン大統領(実権はない。ドイツと同様の大統領制)は、ついに反ネタニヤフの野党連合に組閣を命じ、新政権が誕生したということだ。

ところが、この新政権いつまでもつかわからない。第2党の中道「イェシュアティド」のラピド党首は、右派政党の「ヤミナ」党首のベネット氏にまず首相を託し、2年後に交代するという輪番制をとり、外相に就任するという。この連合政権、右派、中道、左派さらにアラブ系政党も入っており、定数120で賛成60、反対59、棄権1で成立した。きわどい成立過程である。ちなみに、新首相のベネット氏は、ネタニヤフ以上の対ハマス・対イラン強硬派との見方もある。

一方、パレスチナ自治区の方でも、ファタハのアッバース議長(第2代大統領)が居座っている。こちらもかなりドロドロした政権で、アラファト初代大統領の元、初代首相になったが、アラファトに実権を渡されず辞任。アラファト死後の2005年から大統領に当選した。以来、選挙を避け続けている。

今回のガザのハマスとイスラエルの紛争も、パレスチナの議会選挙は東イェルサレムの投票が保障されなければ実施しないと言ったことも原因のひとつと言われている。東イェルサレムは、以前息子夫婦が住んでいたところで、私も滞在していたが事実上イスラエル内であり、そこに住むアラブ人が投票することは考えにくい。要するに、選挙回避策である。ハマスは、このようなヨルダン西岸の弱腰に付け込み、ヨルダン西岸でも勢力を得るためにイスラエル攻撃に踏み切ったという推測である。

ネタニヤフの方が民主的ではあるが、アッパースも五十歩百歩の二人の権力への執着が、ハマスに利用され、多くの死傷者が出たといってよい。これから先も全く予断を許さない状況が続くのではないだろうか。

2021年6月13日日曜日

ジンバブエ・ドルの今

ジンバブエ・ドルの話が昨日エントリーした内容に出てくる。このジンバブエ行は、2004年夏のことである。この後世界的なハイパーインフレになる。私が行った時は、まだそこまではいかなかったが、両替してもらったジンバブエドルを見て、驚いたことがある。表はともかく、裏面が周囲のデザインはあるものの、中央部は真っ白なものだった。いかにも慌てて増刷したことがわかる代物だった。まさにハイパーインフレの嚆矢だったと思う。ちょっと調べてみた。

その後のジンバブエ・ドルは、価値を下げ続けた。2008年世界最高額の1000憶ジンバブエ・ドル(Z$)札が発行された。(これはアマゾンで教材として購入した)コンピュータの処理でも度々トラブルが起こり、中央銀行はデノミを実施した。Z$1000憶がZ$10となり新通貨を発行した。しかしインフレが進み、あまり意味がなかった。このような異常なインフレの中で、外貨を使う事の方がビジネス上有効であり、主にUSドルが使われていた。政府もそれを法定通貨として認めることになる。これだけ信用を失ったZ$より外貨の方がはるかに安全かつ有用なので、ようやくハイパーインフレが終息した。ただし、政府の外貨準備は著しく減少する。

その後、法定通貨は9通貨に増えた。通貨バスケット制を導入し、ボンドコイン、ボンドノートといったUSドルと同等の価値を有する通貨を発行したが、これもあまり流通しなかった。さらにZ$を廃止、USドルと交換すると2015年発表回収に動いた。これに代わるRTGSドルを唯一の法定通貨としてを019年に導入。しかし、再度インフレになり、2020年に再びUSドルの使用が許可された。

…通貨というものは、それを発行する政府の信用が裏付けになっている。様々な試みをしたものの、結局のところ国民は政府を信用していないといえる。失敗国家の面目躍如であるわけだ。これから先のジンバブエ経済も見通しが立っていない。かの白人を農場から追い出したことが、ここまで国を破壊することになるとは…。

…ふと、マンデラ氏のレインボーという白人との融和策を想起してしてしまう。白人による南ローデシア以来の支配を認めるわけではないし、キバキが黒人政権を樹立して当初、将来白人の土地を購入していくとした政策は悪くないと思った。だが、それは突如暴力的な革命的抗争となってしまった。購入を進めながら、ジンバブエの教育を充実させ、農業技術の習得やマネジメントのノウハウを白人に学ぶことを地道に進めていれば、このような悲劇は生まれなかったはずだ。どこでどう間違ったのか…。

2021年6月12日土曜日

クレイジー・ジャーニー

最近、妻がYouTubeで「クレイジー・ジャーニー」という番組を見ている。雷が世界一多いマラカイボ湖の村とか、マダガスカルの世界遺産ツィンギ・デ・ベマラとか…。なかなか面白い。松ちゃんやバナナマン・設楽のコメントもいい味を出している。

私のこれまでの旅で、クレイジー・ジャーニーと言えるのは、南ア・プレトリアからジンバブエへの夜行バスくらいかなあと思う。普通の日本人は行かないという意味でだが…。

この夜行バス、なかなかチケットが取れなかった一応最高級グレードのバスであった。面白かったのは、ショナ人(ジンバブエのメジャーなエスニックグループ)のおばさんに会ったことだ。彼女は無茶苦茶多くの荷物を持っていた。南アとの運び屋さんだった。世話焼きのおばさんで、仲良くなった。私も荷物の運び入れを手伝った。さて、深夜の国境でのこと。荷物を全部バスから出し、検査を受ける。その時、おばさんが私に、5・6個の荷物を私に託し、「自分のだ。」と言ってくれと言われた。大丈夫かなと思ったが、私の日本のパスポートの威力は凄かった。全くのノーマークだった。(笑)

その後、彼女は、ジンバブエ人用のイミグレに行き、私は外国人用に行った。$50の入国ビザをパスポートに貼ってもらった。英語がわかりにくくて、ちょっと揉めたが…。バスに戻ると、赤ちゃんを背負った婦人がバスに入ってきて歌を歌った。まあ、大道芸人というか国境芸人というか…。凄いことに誰もが無視していた。

国境には、滅茶苦茶多くの人々が雑魚寝で野宿していた。凄い光景だった。もっと安いバス(特に屋根に莫大な荷物を載せている)の方は、かなり扱いが違うようであった。

ジンバブエに入り、おばさんが運転手に交渉して少しばかり南アのランドをジンバブエドルに両替をしてくれた。それでなんとか朝食にありつけた。昼過ぎにハラレに着くと、おばさんは、バスディーポにたむろするプロの両替屋と交渉してくれた。何人もが、「そんなレートじゃ無理無理」と拒否していたので、こちらに有利なレートであったようだ。30分くらいかかってなんとか両替に成功。両替屋は最後までブツブツ言っていた。(笑)おばさんが、何故そんな親切にしてくれたのか、後でわかった。ジンバブエは国民の休日で、銀行が閉まっていたのだった。ちょっと荷物を運んだり、国境で協力しただけなのだが…。

アフリカでのディープな体験。まあ、私のクレイジージャーニーはこれくらいかな。

2021年6月11日金曜日

私の6.11

ネット上では、6.11に何かが起こると話題になっていた。地震が起こるとか、米国発の緊急放送があるとか…。まだ米国では6.11は終わっていないので、なんとも言えないが、このまま何も起こらないような気がする。

私にとって、この運命の日(?)は、前の畑の枇杷が玄関前に置いてあって、毎日妻との話題だった 枇杷をついに食すことできた日だった。おそらく畑の持ち主のご主人が、ハクビシン監視人(?)の我が家に報酬として持ってきていただいたらしい。(常々、玉ねぎとかジャガイモとかキュウリも頂く。妻もお菓子類を時々お返ししている。)

商品ではないので、小さかったり形が整っていなかったりするが、我々の想い(ずっと見つめてきた)もあるので、ホント甘い。実に美味しい枇杷だった。ただ、枇杷の木はえらく剪定されて、ちょっとかわいそうな感じになっている。とても写真に撮ろうと思わないくらいだ。

こうして、農業生産と直接的に接する機会が三崎にはある。地元の方とのふれあいも実にいいものだ。私の6.11は、枇杷を頂いた日、枇杷の木が剪定され、来年に向けて新たなスタートを切った日であったわけだ。

2021年6月10日木曜日

アパルトヘイトを講義す

https://ameblo.jp/peace-ball-pr
oject/entry-11856202895.html
アパルトヘイトについて、先日2年生の塾生から質問が寄せられた。R高校主催のZOOMでの高校生の討議に参加するとのことで、予備知識を仕入れたいという。アパルトヘイトの背景には、ゴイセン(オランダのカルヴァン派)がある。予定説は、ある意味で徹底的な差別を生み出す。異教徒であった黒人なら当然である。イギリスが南アを奪う前、南ア地域に進出してきたのは、オランダ系のボーア人(今はアフリカーナーと呼ばれる)であるからだ。というわけで、ゴイセンを語ろうとすると、なかなか大変で、時間がかかった。三崎高校は世界史Aを一年生で学ぶが、絶対的に知識が不足してしまう。世界史の流れの中で、ゴイセンを語った。

アパルトヘイトそのものは、政策の集合体なので自分で調べてもらうことにして、問題は、アパルトヘイト後の南アの話になる。先日エントリーした、レインボーの話も事実だし、私が経験した南アの状況も事実だ。結局1時間近い講義になってしまった。

ところが、急に話題がイスラエルの問題になったらしい。生徒は先日のみさこうDAYの私のイベントであった「イスラエル考現学」に参加していてくれたので、急遽20分ほどプラスしておいた。

こういう宗教学や国際関係学に向学心を持つ生徒と語り合うのは実に楽しいものだ。

2021年6月9日水曜日

チゴネイルワイゼン

三崎高校には、いろいろな生徒がいる。全国募集で個性的な生徒が集まってきていて、特に真面目な伊方町の地元生と混ざって、いい味を出しているように思う。

我が塾生たちは、現在93名。今日も30名ほどの生徒が来てくれている。ちょっと、外の空気を吸いに出たら、バイオリンの音がした。4階の音楽教室からで、K県K市出身のE君に違いない。先日、E君とそんな話をしていたのだ。「どんな曲を弾いてるのや?」「チゴイネルワイゼンです。」「あんな難しい曲を弾いているんか?」「ご存じですか?」「サラサーテやろ。」私は、、このチゴイネルワイゼンが好きで、中学時代よく聞いていた。だから、ほぼメロディーを理解している。

というわけで、行ってみた。意外と言っては怒られそうだが、上手い。ちゃんとチゴイネルワイゼンになっている。「凄いな。」「いやあ、難しいです。まだまだです。」と謙虚だったが、かなりの早い指の動きで、リッチー・ブラックモアのハイウェイスターのリード並みだ。(ディープパープルの名曲である。これは私にとって最大の誉め言葉と言っていい。)

いやあ、生で初めて聞いた。(笑)ちょっと幸せを感じた。E君、ありがとう。

2021年6月8日火曜日

久しぶりに塾のこと

久しぶりに塾のことをエントリーしようと思う。今日は、みさこうDAYで、この夏退職する「M中学のALTのA君来たる」というイベントを行った。S中学のALTも特別参加ということで、いろいろ話してくれたのだった。ALTのお世話をしているFさんも、三崎高校生に是非関わってほしいと熱弁を振るわれた。

少し長くなったが、体力テストの後なのに1年生を中心に10人ほどが集まってくれた。ありがたいことである。講演の後、いつも帰国子女対策で漢字を教えているW君がALTと全くのネイティブな英語で楽しそうに会話しているのを見て、これまた嬉しかった。

こういう機会を持てたこともありがたい。大阪などではなかなかできない地域との関わり合いもまた伊方町の魅力なのだと思う。

今日、それに合わせるかのように、S中学のN先生から町内の小中学校の教員研修の件で相談を頂いた。8月上旬に関わることになったのだった。塾の方も多忙だが、できる限り関わっていきたいと考えている。

2021年6月7日月曜日

天皇制は男系が当然

https://ironna.jp/theme/561
日本の歴史の骨格はなんといっても天皇制であると私は思う。権力の時代が終わっても、権威として存属し続けた。WWⅡの末期に「国体」と称されたことも十分理解できる。日本の天皇は、世界の王室の中でも最も歴史が古い。若い頃は、そんなに思わなかったが、日本史、特に幕末・維新史から現代史を学ぶ中で、今は天皇制は是非とも護るべきであると思っている。

さて、この天皇制に対して、女性天皇あるいは女系天皇という語が乱れ飛んでいるように思う。日本史でも女性天皇は、有名な推古天皇などがいるが、女系天皇は存在しない。皇室典範には、天皇は男系と記されてある。この古き伝統を破壊する女系天皇という概念がマスコミなどで論じられるのかよくわからない。

日本国憲法の男女平等云々から女系天皇も認めるべきという論議はナンセンスである。WWⅡ以後にGHQ民政局のニューディーラーによって起草された文言と、皇室典範を比較して云々ということ自体がナンセンスである。どちらが上とかいう議論ではなく、次元が違う、と私は思う。

もし、女系天皇が生まれれば、世界で最も古い日本の天皇制が崩れ去る。それでいいのか、という話だ。必要なら宮家を復活させればよいと私は思う。このところ、日本の構造を破壊しようとする様々な魂胆が見え隠れしている。

私はナショナリストではないし、地球市民であることを標榜している。だが、日本の天皇制を守るべきであると思っている次第。

2021年6月6日日曜日

道の駅ハシゴ ドライブ

夕やけラインに、二見という道の駅があって、リニューアルオープンしたという情報を見て、道の駅大好きの妻と行こうということになった。以前行った時は時間が早すぎて開店前だった。ところが、今日は駐車場がいっぱいで、結局は入れなかった。まあ、近くだし、またの機会にということで伊予市中心街までそのまま北上した。

56号線に乗り換えて、今度は南下、旧中山町の道の家へ。ここも以前来たことがある。栗で有名なところだ。今はシーズンではないが、大きな枇杷を売っていたので購入。我が家は毎日枇杷の木を見ているので、ついつい買ってしまう。(笑)

さらに、56号線を南下して、内子町の道の駅へ。ここも人気が高く、いつもは満員御礼。今回はすぐ車を止めることが出来た。今日は、農家の軒先フリーマーケットをやっていた。浦沢直樹の漫画本が1冊30円で売っていたので、5冊購入。ここでも、枇杷を購入。小さめで一袋200円。この時期、枇杷を買わずにはおれない。(笑)

内子から大洲、八幡浜経由で帰宅した。道の駅をハシゴしながらのドライブであった。

2021年6月5日土曜日

今年度 地域みらい留学開始

https://koukoukyouiku.esnet.ed.jp/zenkokubosyuu
この土日、早くも「地域みらい留学(全国募集)」の取り組みが始まっている。我が塾からも私の代わりに、今年もJ先生が三崎高校の取り組みをサポートしてくれている。先日、打ち合わせ会があって、県教委が作ったパンフレットを塾に持ってきてくれた。愛媛県だけでも、今年は14校が、この「地域みらい留学」に参加しているようだ。

大きな時代の流れなのだろうと思う。幸い、三崎高校は県内でもこの取り組みでは先駆的かつ大きな成功を収めているといえる。何故なのかとパンフをめくっていて、気が付いたことがある。風光明媚であることは、他も同様。海が好きなら島の学校もある。海岸沿いの学校もある。その高校ならでは魅力的な取り組みをしている学校も多い。もちろん三崎高校の地方創生の取り組みは凄いのだが…。

三崎高校が強い決め手は、下宿あっせんのみの高校もある中で、寮費(食事費も含めて)が、この14校中で最も安いのだ。もしかしたら、全国的に見てもそうなのかもしれない。

三崎高校には、県が建設した速水寮、今春町が建設した未咲輝寮がある。実は町立未咲輝寮の方が新しいし、高いのだが、このパンフにあるとおり23000円。速水寮ならもっと安く2万円を切る。この春からは、夕食時に、まりーな亭のご主人(実はOBで、PTA会長でもある)が寮のキッチンに立ち、毎日暖かい食事を提供してくれている。コロナ禍のこともあるかもしれないが、なかなかできることではないと私は思う。伊方町はもちろん、地域を挙げて三崎高校を経済的にも精神的にも支えていただいているわけだ。

改めてありがたいことだと思うのだった。

2021年6月4日金曜日

アフリカの環境悪化

ブルキナファソ・サヘルへの道 ラクダが放牧されていた
「アフリカ 人類の未来を握る大陸」には、いくつか環境問題に関する話が出てくる。ブルキナファソのサヘル地域の話が、私は一番痛々しく読ませてもらった。私が、ワガドゥグーかた1泊2日のサヘル行に行った時は、雨季だったこともあって、サヘル地帯に入る前には、一応緑がある地帯もあった。土壌が良くないので、ミレットくらいしか作れないらしい。鍬も日本のように深く耕すのではなく、表土をガリガリとこするような鍬であった。

この地域、今はかなり砂漠化が進行している。その構造は、異常気象で激しい集中豪雨が降り、洪水が起こり表土を流し、その後乾燥して水分が保てなくなり、次の洪水でまた削られるという繰り返しだそうだ。毎年、ブルキナファソの国土の2%の耕地が消えているらしい。これには大きな衝撃を受けた。私が泊まったサヘルの村は、今はどうなっているのだろう。牧畜が主であったが、それすらままならないのではないか。胸が締め付けられる。

さらに、アフリカの優等生であるモーリシャスも大被害を受けている。モーリシャスはサトウキビのモノカルチャー経済から脱皮し、縫製工業で1人当たりのGDPを増やし、同時に観光産業を育成してきた。その観光産業が環境問題で大打撃を受けている。それは、海面上昇で砂浜が半分くらいになってきているのである。砂を入れたり、防波堤を設置したりして防御に務めているが、かなり厳しいらしい。サトウキビの搾りかすを発電に利用したりして、環境問題への配慮をしているが、中国や先進国の環境破壊から見れば、まさに焼け石に水。それも理解しながらもやらずにおれないという。

まさに構造的暴力である。

2021年6月3日木曜日

評伝 KATABIRANOTSUJI Ⅻ

ミシシッピ川の州境にて 和手ぬぐいにI君の名が書かれている
9年間M高校で過ごしたが、我がブログは、このM高校8年目の12月から始まっている。そこまでの評伝を続けようかと思う。

まず、アメリカ研修旅行のことを記そうと思う。この研修旅行の企画は私が担当させてもらった。予算は1人当たり13万円ほど(当時)。同じ大阪市立の高校としては高額だが、これで4日間ホームステイして、さらにシカゴで1泊なので、ほぼ航空運賃のみとだと言えるほど安価である。安く抑えれるのは、姉妹校のアイオワ州・デモイン(州都)にあるアーバンデール高校の生徒宅でホームステイするからである。(宿泊費がいらない)ありがたいことに、この旅行の旅行社を決める際に、M高校英語科OGが担当する某社が先行投資として最も安価な提示をしてくれた。(きっと赤字だったと思う。)しかし、山あり谷あり。国際交流部長のY先生が直前で行けなくなったうえに、ユナイテッド航空で関空から出発の予定だったが、午前中の団体客は不可との連絡が入り、急遽往路は、伊丹から成田、成田からANAになった。ユナイテッドの国内線でシカゴ・オヘア空港から夕方にデモイン着となった。復路は、R80をバス2台で、ミシシッピ中流を超え、トウモロコシ畑を爆走することになった。(朝食は、マクドのテイクアウトという早朝出発。)生徒にはいい経験になったと思う。と、いっても後で聞いたら、大平原を姉妹校の生徒の運転でドライブしたメンバーも多かった。(笑)みんなそれぞれいろいろなもてなしを受けていた。ちなみに、私もアーバンデール高校の先生のお宅でホームステイした。

私がコーディネイトしたのは、現地最終日のシカゴで、科学産業博物館(人体の輪切りやUボートの展示がある)、シカゴ大学(特に生協)に寄ること。夕暮れ時に水族館の近くからシカゴの摩天楼を見る事である。(これは以前大阪市の教員派遣研修旅行でシカゴを訪れた際の経験による。)本当は当時シカゴで最も高かったシアーズタワーにも行きたかったが…。博物館では男子を連れてUボートを見に行ったし、夕闇迫り、ライトがついていく摩天楼に間に合って、女子生徒が「ヤバーい」と合唱して感動していた。このヤバいというのは、危ないという意味ではなく、後で聞くと若者言葉で凄いという意味らしかった。(笑)

ところで、この研修旅行、私にとって非常につらい思いをした。I君が気胸という病気で参加できなかったのだ。入院先にも何度か訪れ、保護者とも何度も折衝したが、結局参加不可となったのだ。全員共通のおみやげとした「和手ぬぐい」に彼の名を記し記念撮影もした。お土産もたくさん買った。アイオワ州のモノポリーとか、シカゴ大学のロゴ入りシャツとか…。現地では寝不足で疲れて、失敗もしたし、私自身は楽しむ余裕はあまりなかった。

ちなみに、卒業直後、アメリカに行けなかったI君をはじめ男子全員と募集した女子2名とともに、北陸への一泊研修旅行をした。研修旅行のリベンジで3年間を共にした友人たちとの最後の旅を私が設定したのだった。ホテルで、アイオワ州のモノポリーをみんなで楽しんだのだ。I君は大学合格後、1人でアメリカ・ニューヨークへ旅に出た。報告を受けたが楽しい旅だったようだ。

この研修旅行をはじめ、M高校は米豪の姉妹校二校との交流・短期留学や様々な国際交流行事があり、国語科は中国に修学旅行に行く。これらを担当する校務分掌が国際交流部で、担任の後、教務1年をはさんで、ここで過ごした。国語科の修学旅行にも深くかかわり、二度北京へ付き添った。二度目は、胡同観光も入れたりした。受験指導と国際理解教育、そして国際交流部の仕事はなかなか面白かった。

こうして振り返ってみると、T商業高校では、キャンプファイアーとN市民会館でのミュージカル&本格的な舞台運営、イベントによる人づくりに燃え、I工業高校では、全校イベントに燃え、学年主任をやったり運協委員長をやったりして学校運営に関わり、M高校では、受験指導だけではなく国際理解教育と国際交流に燃えたように思う。さらに(管理職試験は3年で終えたものの)管理職の愚痴聞き係のような役割も加わった。

ずいぶんと好きなことばかりさせていただいたように思う。担任としての期間は意外に短い。T商業高校では、2+1/7、I工業高校では、3+3/15、M高校では3/9になる。ちなみにH高校では3/5、PBTでは、1+1/3.5である。私はやっぱり生徒に深くかかわる担任をするのが好きである。国際理解教育をやりながらイベントで人づくりが理想で、それはH高校で完結したように思う。

本来はM高校にもっと長くいたかったのだが、お世話になったF教頭が校長になり、「是非一緒に仕事がしたい、転勤希望を書いてくれ。」と連絡があったので、8校合同仮想世界ゲームなどやるべきことを全てやり切って、F校長の学校に転勤希望を出したら、意外なことにH高校に転勤が決まってしまったのだった。(笑)とはいえ、H高校にも実に縁を感じることになる。この辺は、すでにブログに書いているので割愛したい。

もう、自分の評伝を書いてもおかしくはない年齢になっている。当然ながら、書きたくないことはあえて記していないことを告白しておく。(笑)現実には数えきれないほどの苦労をした。これこそが財産になっている。評伝 KATABIRANOTSUJI シリーズは、ここらで一度筆を置きたい。またその気になれば、書ききれていないことも書こうと思う。

2021年6月2日水曜日

評伝 KATABIRANOTSUJI Ⅺ

不如意だった生活指導部長を辞めて、1年英語科担任となった。2年時にアメリカ・アイオワ州に研修旅行(事実上の修学旅行)に行く学年である。学年団は4人。前任が教務部長・生指部長・英語科長・保健部長というベテラン学年団であった。

英語科の1年生は夏に、期間中日本語不可のセミナーがある。M高校には、ALTが通常4人も常駐しているのだが、さらに4人追加して8名も参加するセミナーである。そもそも入学時に英検準2級を持っている生徒がクラスの1/3以上いた。英検では2級からしか受験させてもらえない。(笑)そんな学校だった。英語科の男子は6名。他は女子で、私が男女クラス(C組)を3年間持たせていた頂いた。1年生の間は、私としては珍しくクラス運営にほとんど口出しせず、できるだけ様子見をした。皆にどれくらいの力があるのかを見ていたのだ。少し辛かったのは、私の持ち教科が世界史Aだけで、全員と接するのはLHRのみだったということだ。2年からは地理Bのみになるので、担任だが全く教えない生徒もいたことである。ちょっと変な感じであった。

2年生のクラスは、研修旅行もあるので、少し口出しをした。「文化祭(9月)と研修旅行(11月)を連動しないか?」あとは、生徒にお任せ。すると、「OZの魔法使い」のミュージカルを文化祭でやることになった。文化祭で、全員で「オーバー・ザ・レインボー」を歌い、これをアイオワでも披露するというわけだ。Tシャツも作った。このミュージカルのロゴを胸に、下にはクラスのメール通信用のURL(私の名前が中心的に使われていた。)が記されていた。M高校の音楽室には、4台のピアノがありそれぞれ独立した部屋がある。4つの音域ごとの歌の練習。当然、ピアノ弾きは4人以上いるわけで、どんどん自主的に進めている彼らに驚いた。ダンスも部活で忙しい生徒はビデオに撮られた振付を自主練していた。リーダー群に、特に私は指示することもなかった。(笑)文化祭は大成功したが、歌は日本語だった。「あれ?」と思っていたら、本番では、全て英語になっていた。(もちろん4部合唱)私の知らない間に練習していたのだった。いいクラスだった。2年から3年になる春休み、今度は入試のためのセミナーが行われた。22日の終了時のSHRの時、クラスからネクタイをプレゼントされた。いつ私の誕生日を知ったのだろう?私はこれまで卒業式などで生徒からいい思い出をたくさんもらったが、(時期的に春休みなので)誕生日にいい目をしたのは、後にも先にもこの時だけだ。

3年生はクラスでどうのこうの、という雰囲気ではなかった。受験一色である。ピリピリした雰囲気。さらに、この年、大阪外国語大学が、大阪大学の外国語学部になった年で、最も多い進学先だったのだが、センターで数学ⅡBが入り、前期試験で地歴が出題されるようになった。(外大の時は、数ⅠAのみ、前期試験も英語のみ、あっても+面接だった。)一気に、神戸市外国語大学や大阪市大・府大・和歌山大(観光学部)・大教大などに流れることになった。その他、神戸大や関関同立に大量の合格者を出した。甲南大や関西外大に行った子も多かった。男子はセンターに失敗した者が半分浪人になった。以後1年間は4年C組が続くことになる。(笑)ちなみに1年後は国公立大に進んでくれた。生徒の保護者がやっている沖縄料理店で浪人脱出ごくろうさん会を開き、4年C組は終わった。

2021年6月1日火曜日

評伝 KATABIRANOTSUJI Ⅹ

M高校アメリカ研修旅行初日の様子(アイオワ州)
15年お世話になったI工業高校だが、ついにFA(絶対に転勤できる権利)を取得した。当時のA校長から、どこへ行きたいと聞かれ、母校とM高校をお願いした。その際、管理職試験受験を勧められた。「ウタハタで頑張ってくれたので、いい所にいかせてやりたいんや。」と頭を下げられたのである。頭を下げられたのに驚き、私は、「先生はあと何年で定年ですか?」とお伺いした。A校長は「3年やが…。」と言われた。「私は管理職になるつもりはありませんが、先生に恥をかかせたくありませんので、先生在職中の3年間だけ受けるということでよければ。」と返答した。すると、学年末、英語科のある、海外への研修旅行と国際理解教育がウリのM高校に転勤できたのだった。(管理職試験は、約束通り3年間受けて終わりにしたので、市教委の管理指導主事にすこぶる怒られた。笑)

M高校は、大阪市立の普通科(M高校は国語科と英語科)の中でも指折りの進学校であった。初めて挨拶に行った時、社会科準備室で地理Bの受験指導をお願いしたいと言われた。それまでセンター試験はおろか大学受験に関わったことがなかったので、えらいことになったと思った。とりあえず、大学入試問題正解(センター試験や国公立大学の前期・後期試験、私大の問題などがつまった問題集)の地理B編を何冊か借りて、どんな問題かチェックしてみた。意外に解けたので安心すると同時に、すぐに新たなプリント作成に入った。M高校は、社会科の教師1人ひとりが専門分野を持っていて、全責任を負う。たまたま私の得意な地理で助かったのだった。(日本史だったらえらい目にあうところだった。)3年目くらいからは倫理も担当した。1年目から個人的に放課後に倫理を教える生徒も出現して、90点以上取らせて大阪教育大学や大阪府立大学に送り出すことになる。

遅くまで学校に残り、教材研究づけの毎日になった。校務分掌は生活指導部で、生徒会や行事運営の仕事を引き受けた。当時の生活指導部長のS先生は、「とにかく1年間は黙っていてください。なにか意見があったら私に言ってください。」と言ってくれた好人物だった。彼の後を1年後に引き継ぐことになる。彼は「M高校はすばらしい学校です。」と常に言っていた。このような優秀な生徒に接することが出来ること自体が教師としての幸せであるというS先生の言に、私も同感だった。

大阪市立の高校の生活指導部の理事も引き継いだが、私の生活指導部長時代はたった2年で終わった。男子生徒にはめっぽう強いが、女子生徒には弱く、厳しい指導がうまくできないままだった。(笑)嫌気がさして、英語科の新1年の担任をさせてもらった。3年間やって、やはり担任が向いていると思った。とはいえ、山あり谷あり。いろんなことがあった。

ここで、担任3年間の話の前に、JICAとの関わりについて記しておきたい。英語科のY先生が、JICAの教師等派遣の話を私に教えてくれた。東京で研修後、ケニアに15日間行けるという募集の話だった。さっそく応募した。今思えば稚拙な内容だが小論文を書き、合格した。(こういう経験は、I工業時代に応募し合格した大阪市立の校園(小中高)のアメリカ研修以来である。私は恵まれていると思う。2度とも「天の時」だったのだろう。)この時の話は、このブログでも何度か触れていいるので割愛するが、以来JICA大阪との付き合いが始まった。国際理解教育の入り口に立ったのである。M高校時代は、まさに国際理解教育、特にアフリカの開発経済学を学んだ時代である。JICAの春・夏休みの高校生研修に毎回のようにM高校の生徒を連れていった。まさに常連であった。国際理解教育のワークショップを貪欲に吸収し、様々な他のイベントにもできる限り参加し、人脈も大いに広げることが出来た。M高校時代は、受験指導のスキルを上げながら、ひたすら国際理解教育のスキルアップをしていた時期だと言える。その中心的な学びは、ケニア人生双六以来の開発教育のためのオリジナルゲームの考案・実践である。仮想世界ゲーム、ESDのための仮想世界ゲーム、さらにはアフリカSDゲームと進化していったわけだ。

この国際理解教育、就中ESDを学ぶ中で共に成長した生徒諸君がいる。国際協力士となったのが、最初にJICA大阪に連れて行ったM君である。卒業後、理学療法士となり、JOCVでドミニカ共和国へ。さらにJICAと関わりながら、サイクロン被害のモザンビークへも派遣された。その後輩のR君(彼を応援して、R大の論文大賞で優勝した経験がある。)は、国境なき医師団のスタッフとして、南スーダンや中央アフリカに行ってくれた。さらにずっと下の後輩になるが、G君はESDを学びに近畿の国際理解教育の中心・奈良教育大に進学し、今は某大学で教えている。こういう人材群を輩出できたことは、教師冥利につきる。この他にも教職についている教え子や、フェアトレードに関わる企業に就職したり、あるいはNPOに関わっている教え子もいる。本当にありがたいことである。