2021年6月2日水曜日

評伝 KATABIRANOTSUJI Ⅺ

不如意だった生活指導部長を辞めて、1年英語科担任となった。2年時にアメリカ・アイオワ州に研修旅行(事実上の修学旅行)に行く学年である。学年団は4人。前任が教務部長・生指部長・英語科長・保健部長というベテラン学年団であった。

英語科の1年生は夏に、期間中日本語不可のセミナーがある。M高校には、ALTが通常4人も常駐しているのだが、さらに4人追加して8名も参加するセミナーである。そもそも入学時に英検準2級を持っている生徒がクラスの1/3以上いた。英検では2級からしか受験させてもらえない。(笑)そんな学校だった。英語科の男子は6名。他は女子で、私が男女クラス(C組)を3年間持たせていた頂いた。1年生の間は、私としては珍しくクラス運営にほとんど口出しせず、できるだけ様子見をした。皆にどれくらいの力があるのかを見ていたのだ。少し辛かったのは、私の持ち教科が世界史Aだけで、全員と接するのはLHRのみだったということだ。2年からは地理Bのみになるので、担任だが全く教えない生徒もいたことである。ちょっと変な感じであった。

2年生のクラスは、研修旅行もあるので、少し口出しをした。「文化祭(9月)と研修旅行(11月)を連動しないか?」あとは、生徒にお任せ。すると、「OZの魔法使い」のミュージカルを文化祭でやることになった。文化祭で、全員で「オーバー・ザ・レインボー」を歌い、これをアイオワでも披露するというわけだ。Tシャツも作った。このミュージカルのロゴを胸に、下にはクラスのメール通信用のURL(私の名前が中心的に使われていた。)が記されていた。M高校の音楽室には、4台のピアノがありそれぞれ独立した部屋がある。4つの音域ごとの歌の練習。当然、ピアノ弾きは4人以上いるわけで、どんどん自主的に進めている彼らに驚いた。ダンスも部活で忙しい生徒はビデオに撮られた振付を自主練していた。リーダー群に、特に私は指示することもなかった。(笑)文化祭は大成功したが、歌は日本語だった。「あれ?」と思っていたら、本番では、全て英語になっていた。(もちろん4部合唱)私の知らない間に練習していたのだった。いいクラスだった。2年から3年になる春休み、今度は入試のためのセミナーが行われた。22日の終了時のSHRの時、クラスからネクタイをプレゼントされた。いつ私の誕生日を知ったのだろう?私はこれまで卒業式などで生徒からいい思い出をたくさんもらったが、(時期的に春休みなので)誕生日にいい目をしたのは、後にも先にもこの時だけだ。

3年生はクラスでどうのこうの、という雰囲気ではなかった。受験一色である。ピリピリした雰囲気。さらに、この年、大阪外国語大学が、大阪大学の外国語学部になった年で、最も多い進学先だったのだが、センターで数学ⅡBが入り、前期試験で地歴が出題されるようになった。(外大の時は、数ⅠAのみ、前期試験も英語のみ、あっても+面接だった。)一気に、神戸市外国語大学や大阪市大・府大・和歌山大(観光学部)・大教大などに流れることになった。その他、神戸大や関関同立に大量の合格者を出した。甲南大や関西外大に行った子も多かった。男子はセンターに失敗した者が半分浪人になった。以後1年間は4年C組が続くことになる。(笑)ちなみに1年後は国公立大に進んでくれた。生徒の保護者がやっている沖縄料理店で浪人脱出ごくろうさん会を開き、4年C組は終わった。

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