2021年6月1日火曜日

評伝 KATABIRANOTSUJI Ⅹ

M高校アメリカ研修旅行初日の様子(アイオワ州)
15年お世話になったI工業高校だが、ついにFA(絶対に転勤できる権利)を取得した。当時のA校長から、どこへ行きたいと聞かれ、母校とM高校をお願いした。その際、管理職試験受験を勧められた。「ウタハタで頑張ってくれたので、いい所にいかせてやりたいんや。」と頭を下げられたのである。頭を下げられたのに驚き、私は、「先生はあと何年で定年ですか?」とお伺いした。A校長は「3年やが…。」と言われた。「私は管理職になるつもりはありませんが、先生に恥をかかせたくありませんので、先生在職中の3年間だけ受けるということでよければ。」と返答した。すると、学年末、英語科のある、海外への研修旅行と国際理解教育がウリのM高校に転勤できたのだった。(管理職試験は、約束通り3年間受けて終わりにしたので、市教委の管理指導主事にすこぶる怒られた。笑)

M高校は、大阪市立の普通科(M高校は国語科と英語科)の中でも指折りの進学校であった。初めて挨拶に行った時、社会科準備室で地理Bの受験指導をお願いしたいと言われた。それまでセンター試験はおろか大学受験に関わったことがなかったので、えらいことになったと思った。とりあえず、大学入試問題正解(センター試験や国公立大学の前期・後期試験、私大の問題などがつまった問題集)の地理B編を何冊か借りて、どんな問題かチェックしてみた。意外に解けたので安心すると同時に、すぐに新たなプリント作成に入った。M高校は、社会科の教師1人ひとりが専門分野を持っていて、全責任を負う。たまたま私の得意な地理で助かったのだった。(日本史だったらえらい目にあうところだった。)3年目くらいからは倫理も担当した。1年目から個人的に放課後に倫理を教える生徒も出現して、90点以上取らせて大阪教育大学や大阪府立大学に送り出すことになる。

遅くまで学校に残り、教材研究づけの毎日になった。校務分掌は生活指導部で、生徒会や行事運営の仕事を引き受けた。当時の生活指導部長のS先生は、「とにかく1年間は黙っていてください。なにか意見があったら私に言ってください。」と言ってくれた好人物だった。彼の後を1年後に引き継ぐことになる。彼は「M高校はすばらしい学校です。」と常に言っていた。このような優秀な生徒に接することが出来ること自体が教師としての幸せであるというS先生の言に、私も同感だった。

大阪市立の高校の生活指導部の理事も引き継いだが、私の生活指導部長時代はたった2年で終わった。男子生徒にはめっぽう強いが、女子生徒には弱く、厳しい指導がうまくできないままだった。(笑)嫌気がさして、英語科の新1年の担任をさせてもらった。3年間やって、やはり担任が向いていると思った。とはいえ、山あり谷あり。いろんなことがあった。

ここで、担任3年間の話の前に、JICAとの関わりについて記しておきたい。英語科のY先生が、JICAの教師等派遣の話を私に教えてくれた。東京で研修後、ケニアに15日間行けるという募集の話だった。さっそく応募した。今思えば稚拙な内容だが小論文を書き、合格した。(こういう経験は、I工業時代に応募し合格した大阪市立の校園(小中高)のアメリカ研修以来である。私は恵まれていると思う。2度とも「天の時」だったのだろう。)この時の話は、このブログでも何度か触れていいるので割愛するが、以来JICA大阪との付き合いが始まった。国際理解教育の入り口に立ったのである。M高校時代は、まさに国際理解教育、特にアフリカの開発経済学を学んだ時代である。JICAの春・夏休みの高校生研修に毎回のようにM高校の生徒を連れていった。まさに常連であった。国際理解教育のワークショップを貪欲に吸収し、様々な他のイベントにもできる限り参加し、人脈も大いに広げることが出来た。M高校時代は、受験指導のスキルを上げながら、ひたすら国際理解教育のスキルアップをしていた時期だと言える。その中心的な学びは、ケニア人生双六以来の開発教育のためのオリジナルゲームの考案・実践である。仮想世界ゲーム、ESDのための仮想世界ゲーム、さらにはアフリカSDゲームと進化していったわけだ。

この国際理解教育、就中ESDを学ぶ中で共に成長した生徒諸君がいる。国際協力士となったのが、最初にJICA大阪に連れて行ったM君である。卒業後、理学療法士となり、JOCVでドミニカ共和国へ。さらにJICAと関わりながら、サイクロン被害のモザンビークへも派遣された。その後輩のR君(彼を応援して、R大の論文大賞で優勝した経験がある。)は、国境なき医師団のスタッフとして、南スーダンや中央アフリカに行ってくれた。さらにずっと下の後輩になるが、G君はESDを学びに近畿の国際理解教育の中心・奈良教育大に進学し、今は某大学で教えている。こういう人材群を輩出できたことは、教師冥利につきる。この他にも教職についている教え子や、フェアトレードに関わる企業に就職したり、あるいはNPOに関わっている教え子もいる。本当にありがたいことである。

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