2019年7月31日水曜日

下川佑治氏の枕詞と円熟味

下川佑治氏の「鉄路2万7000キロ 世界の超長距離列車を乗りつぶす」を、この2日間で読み終えた。今回の旅は、インド/アッサム州からインド南端、中国/広州からチベット・ラサまで、さらにロシア/ウラジオストックからモスクワ、カナダ/バンクーバーからトロント、アメリカ/シカゴからロスという5路線の記録である。

最初、あれ?オーストラリアが欠けていると思ったが、ビンボー旅行作家という枕詞がついている下川氏にとって、オーストラリア横断鉄道は豪華な寝台列車のみで、趣旨に反すると担当編集者に最初から省かれたのだった。(笑)カナダとアメリカに関しては、コーチという寝台なしのシステムがあるゆえに生き残ったと言ったほうがいいかもしれない。

ビンボー旅行作家の下川氏は、ほぼ私と同世代。きついだろうなあとついつい思ってしまう。特にインドの鉄道は。定員を無視した”優しい”寝台列車。これに関する一考察。また、チベット鉄道では、迷彩服を着た兵士が列車に敬礼する姿を発見し、一考察。ロシアのシベリアのタイガについても一考察。カナダの路線の構成についても一考察。アメリカの座席の大きさについての一考察。下川氏の旅行記は、どれくらい読んだか覚えていないが、筆力が上がり、円熟味を増している。かなり俊逸な文学的な表現も多くなった。今回、私が印象に残った表現。

『チベットの光は刃物のように鋭利である。』
(鉄道内はモスクワ時間であるので)『シベリア鉄道横断の列車旅は、時差を消していく道のりである。』
(アメリカの旅客輸送をになう)『アムトラックは、肥満に寄り添うことで、生き残る道を探しているようにも映る。』

読んでいて、下川氏と共に疲れる本なのだが、それが魅力である。こういう旅、こういうヒトがいてもいいじゃないかとついつい思わせる、不思議な本である。ちなみに、私にとっては、毎回毎回同行しているカメラマンの阿部さんの苦労もしのばれるのだった。

2019年7月30日火曜日

広瀬隆氏への「遺憾」

広瀬隆氏の「赤い盾」は、文章が読みにくいが、内容は名著だと思うhttps://www.letao.com.tw/yahoojp/auctions/item.php?aID=x632339905
韓国・中央日報が、日本政府の徴用工と言われている問題を批判していると報道した日本の有名作家は広瀬隆氏だった。私は、昔から広瀬隆氏の「幾万長者がハリウッドを殺す」や「赤い盾」を読んで、その念密な資料調査の手法をかっていた。(ただ、おそらく私の読んだ数多くの書籍の中で、1,2を争うほど文章力はひどいと思うが…。)

しかし、今回の問題をナチのアウシュビッツと同等というのは、あまりにもひどい表現であると私は思う。広瀬隆氏といえば、反原発の代表格で、リベラルと言うか、左派というか、そういう立場であることは間違いないが、あまりに思い込みが激しく、現実離れしていると思うのだ。評価していただけに、残念としか言いようがない。私の世代は、最後の朝日ジャーナルの愛読者世代だと思う。それなりに、左派知識人への親近感はある。しかし、最近の左派は、あまりに現状を誤認識しているような気がする。日帝(日本帝国主義)時代の過ちから、韓国への様々な優遇は当然だという認識は、すでにメッキが剥げてしまったのではないか?日帝は、意外に韓国の近代化えの配慮をしていた事実もある。教育関係者として、学校を多く設立し、識字率を上げたという植民地支配は、ありえないと思う。開発経済学を学んできて、これは欧米帝国主義には、全くありえないことなのだ。ナチのSSヒムラーは、ポーランド人など東欧のスラブ人は、「自分の名前が書け、少し計算が出来ればいい(趣意)」と言っている。ナチと日帝は全く同じだとは言えない。

私は日帝を無批判に肯定する気はないが、蛇蝎のごとく否定するのも違うと思うのだ。左派知識人は、その辺を誤解していないか?自己のこれまでのアイデンティティを守るために、今回の問題をことさらに曲解していないか?今回の広瀬隆氏の発言について、そんなことを考えていたのである。

2019年7月28日日曜日

現時点で韓国の問題を考える16

https://ameblo.jp/nihonkaigi-yachiyo/entry-12491152537.html
韓国をホワイト国から外す、というだけで韓国は大騒ぎをしている。優遇措置が無くなるだけなのだが、反省しない「傷ついたコギト」である彼らは、それを理解もせず「反日」という「ゼロ記号」をわけもなく振り回し、日本製品不買運動をしている。日本製を買わないなら、韓国製品に含まれる日本製をすべて排除するべきだ。理性的に考えると、現代自動車も日本製のエンジンなので買わないというのが筋だ。人命維持のために医療機器のオリンパスを除外するのはおかしいし、ソウル大学も早く建て直した方がいい。不買運動で困るのは地元の日系企業で雇用されている人々なのに。あーあ、全く疲れるのである。

さて、そんな中、噂されるのが、信用状の発行停止なのだが、ちょっと状況がややこしくなっているようだ。どうも三菱USJ銀行も、りそな銀行もそう簡単に「はいわかりました。」と素直に停止するように思えないのだ。

三菱USJ銀行は以前、北朝鮮のマネーロンダリングに関係したのではないかということで捜査を受けている。前身の一つ東京銀行が外国為替の専門銀行だったこともあって歴史的なつながりが深いのだろう。

みず銀行は、さらに複雑だ。みずほ銀行は、2002年に、第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行が合併したものだ。
その第一勧業銀行は、第一銀行と勧業銀行が1971年に合併した。第一銀行は渋沢栄一によって作られた由緒ある銀行であるが、1884年、李氏朝鮮(後の大韓帝国)と契約して関税取扱業務を代行し、中央銀行的な業務を代行した。紙幣(第一銀行券)の発行もしている。1909年に株式会社韓国銀行(後の朝鮮銀行)へ中銀行業務を譲渡している。勧業銀行の方は、殖産興業的な長期貸付が業務で、重化学工業向けには日本興業銀行、北海道開発には北海道拓殖銀行も設置された。長期融資が基本なので、預金が原資となりえないので、金融債の発行が認められて、これが現在の「宝くじ」につながる。こちらの方は、台湾に支店を開設した歴史がある。
富士銀行は、元安田財閥の銀行にすぎないが、日本興業銀行は前述のように重工業化を担い、外債を主に取り扱った銀行でもあり、東京銀行と同様海外貿易専門の銀行だった。と、なれば、第一銀行の流れをくみ、また日本興業銀行の流れをくむみずほ銀行が、韓国の信用状を発行している歴史的背景も理解できるわけだ。

ここにきて、この信用状の停止が行われるのかよくわからなくなってきた。ホワイト国除外だけであの大騒ぎである。ネトウヨさんたちは、痛恨の一撃になると期待しているようだが、外貨準備高には一時的に大きな影響を与える(輸入に際して事前にUS$を支払う必要に迫られるので、外貨が減少する)だろうが、それを持ちこたえれば、他の国のメガバンク(中国や米国)に乗り換えるという術もある。ただ、日本が手を引いたとなれば、その風評は大きいだろうと思われる。いずれにせよ、痛恨の一撃にならない可能性がある。

8月2日の閣議決定の中で、信用状の問題も含まれるのかもしれないし、経済産業省の考えてる残りの品目も含まれるのかもしれない。あるいは、先日発表した3品目だけかもしれない。私は、サムスンの最大の債権者である、りそな銀行が先日かなりの額の融資をしたとのニュースを受けて、どうなるのだろうと腕を組んでしまった。ビジネスを政治が捻じ曲げるのもどうかと思うし、しかしながら、ここは…とも思う。

私は、韓国の反日教育で培われた反日無罪という「傷ついたコギト」を戻すためには、このような措置は必要だと思っている。
現実を知り、真実を知らしむるためには必要だと思っている。「儒家のカインコップレックス」(仁や義ではなく、礼だけを重要視して、日本を見下し、責任をすべて日本になすりつけるような精神構造)を矯正するためには、これらの措置は必要だと思っている。
もう、韓国の言うなりに日本はなれないほど、怒らせてしまったからだ。”出来杉君”を日本はやめるだけのことだ。未来を考えるのなら、反省し、傷ついたコギトを認識し、再構成しなおしてもらわなければならない、というところまできていると思う。

2019年7月26日金曜日

PBTの話(52) 進路指導

国立大学再編の動きもあるようだが…
https://dot.asahi.com/wa/2019012300011.html
PBTは来週、スクールホリデーに入る。事実上明日から再来週の月曜日まで休日である。そのホリデー前最終日に、6月のEJU(日本留学試験)の結果が届いた。私の教えている総合科目は、見事に世界平均以下だが、内容を全部教えていない中で受験しているので、全く気にならない。あくまで11月が勝負である。最も重要な日本語は、やはり私費生文系と比べて厳しい。改めて、国費生の現状を認識した次第。

さて、放課後、その国費生が進学する国立大学の受け入れ状況の資料が届き、担当者のO先生が整理して下さった。まだじっくりと見ていないが、一昨年の資料よりは受け入れ大学が増えているような気がする。

スクールホリデー明けには、自分の志望学部を3つ提出しなければならないので、国費の学生が休み時間や放課後に私のところに来て質問やら、悩みやらを聞く機会がぐっと増えた。内容はいろいろだが、私の授業が進むにつれて、経済学や経営学、政策学、国際関係学、社会学と志望の幅が拡がっていっているようだ。進路指導という名で学部の話をするより、授業の中で関連項目の時に脱線しながら学部の話をしてきたのが活きてきたようだ。正直なところ、国費生は私費生よりはるかに恵まれている。この一週間あまり、親とも相談しながら精一杯悩んで欲しいと思っている。

2019年7月25日木曜日

PBTの話(51) 校内弁論大会

審査員席の後ろから望む
昼から校内弁論大会が行われた。今回は、何も役についていないので、最初から最後まで(パファーマンスも全て)楽しませてもらった。つくづくPBTはいい学校だなと思う。

今年は国費生を教えているので、国費生6人の内容にも注目していた。結局会場を最も沸かせたFさんが、第3位で学校代表に選ばれたのだけれど、他の5人の内容も、それぞれ例年以上に内容が良かったと思う。A君が特別賞だったけれど、田舎ボーイの話は十分PBTの代表にふさわしいのではないかと私は思っている。
さて前述のように、審査中の時間に行われるパフォーマンスを見たのは初めてだ。今回は、歌あり、バンドあり。中でも国費の男子I君コンビの「魔法」(彼らの語彙不足で、本当は魔術というか手品)は会場を大いに沸かせた。演出もなかなか凝っていて、最後の数字当ては、盆踊り大会でのオチのビデオも登場して、びっくりした。(笑)
しかも、司会、舞台の音響や準備などの裏方、カメラなど国費生が頑張っていて、担任ではないけれどなかなか嬉しかったのだった。

追記:前述の「田舎ボーイ」A君は、第一位だった学生が年齢規定のため出場できないので、繰り上がって出場することになった。

2019年7月24日水曜日

アフガニスタンの平和構築

世界は今、どうなっているのだろうか。ポピュリズムの嵐が吹き荒れているようだ。イギリスで、またどんでもない人物が首相に選ばれたらしい。かの隣国の大統領は、もうどうしようもないし、さらに米国大統領閣下は相変わらずの人種差別発言。私は、必ずしも聖人君子が政治家になるべきだとは思わないが、それにも限度というものがあると思う。

今日最も話題にしたいのは、アフガニスタンをめぐる米国大統領閣下のコメントである。AFPによると、パキスタンの大統領との会談の際に、アフガニスタンについて「戦争には簡単に勝てるが、1000万人を殺すことは望まない。」「戦いそのものは数日間で終わせらせるが、アフガニスタンが地上から消滅する。」などと述べ、アフガン国民を怒らせている。

記事には、「戦争で披露し、心に傷を負った国民は、18年間駐留してきた米軍が性急に撤退することや、旧支配勢力であるタリバンの統治が直ちに再開すること、内戦が再発することに対し、ただでさえ不安を抱いている。一部の国民はソーシャルメディア上でトランプ氏の発言に対して反発を表明、フェイスブック上では、ショックで脅しと侮辱を受けた気分だ。われわれは米国人がテロとの戦いでわれわれを助けてくれると信頼した。そして、今トランプ大統領はジェノサイドを示唆して我々を脅している、といった投稿が見られた。」とある。
https://www.afpbb.com/articles/-/3236587

ちょうど、「平和構築」(東大作著/岩波新書・2009年)をまたまた日本人会の古本コーナーで見つけて読み始めたところだったので、このコメントには心を動かされる。最初の方で、小学校の教師に対してのタリバンからの脅迫状の話が出てくる。彼ら教師は、これ以上学校に行くのなら殺害すると言われている。著者は、アフガンで命がけで現地調査をして、国連PKO局のWEBサイトにも掲載された報告書を表している。当然ながら、米国大統領閣下は、そのような貴重な報告書を読めるほどの英語力はないのだろうと思う。

2019年7月23日火曜日

PBTの話(50) 盲導犬

https://www.excite.co.jp/news/article/Getnavi_320937/
総合科目には、不平等の是正などという内容も含まれている。障がい者への配慮について話をしていると、学生から「マレーシアには盲導犬がいません。」という発言があった。なるほど、3年以上マレーシアに住んでいて、盲導犬を見たことがない。もしかしたら中華系やインド系の人々は盲導犬を利用しているのかもしれないが、ムスリムのマレー系は、犬を忌み嫌っているので、日本のように公共の場に連れていくことは憚れるのかもしれない。そうであれば、盲導犬の価値はないに等しい。

彼らによれば、「犬の唾液が不潔なのだ。」と言う。「ハディース(ムハンマドの言行録)に載っているのか?」と私。「そうです。ハディースです。」「もし、犬に触れてしまった場合は、特別の清浄化が必要です。」

「まず、土と水を混ぜて、触れた部分に付けます。その後、水で6回洗います。」…なるほど、そういうフィクフがあるのか。「もし、犬に顔をぺろぺろされたら、顔に泥を塗るの?」「ハイ。」「10回洗うとか。」「いえいえ、あと6回、計7回でいいのです。」あくまで、泥+6回=7回の清浄が必要らしい。

盲導犬の話から、ムスリムが犬に触れた場合のフィクフの話になってしまったのだった。確かにマレーシアで、(特に野良の)犬は悲しげな眼をしている。嫌われていることがわかっているかのようだ。

「盲導猫ってないよねえ。信号は赤だニャンとか言ったりして。」「あるわけないでしょう。」と笑いをとったのだった。

ちなみに、調べてみると、イギリスの法学者の間では、ムスリムも盲導犬を使ってもいいというファトワが出たらしい。モスクにも連れて行っていいらしい。マレーシアの法学者も、もし要請があれば審議する用意はあるらしい。
http://www.malaysia-navi.jp/news/?mode=d&i=1492

2019年7月22日月曜日

PBTの話(49) 盆踊り大会

https://mtown.my/topic/7%E6
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-2019/
今年もKLの盆踊り大会が、シャーアラムのパナソニックの会場で去る20日の土曜日に開催された。とにかく凄い人出なので、今年も私は行かなかったが、教えている国費生たちは、先生方に浴衣を着せてもらって、勇んで出かけたようだ。
今日、授業前に写真を見せてもらった。男子は男子しか撮っていない。(笑)当然ながら女子は女子のみ。(笑)ここでも見事にイスラムの掟を守っているところが凄い。

毎年七夕の笹をバックに浴衣の写真を撮る学生が多いので、七夕の笹が元気な方がいいと、担当のS先生は一週間遅れで笹を用意した。なんか変な話だが、色とりどりの短冊がまだ校内で揺れている。

国費生は、結局休み時間もずっと日本語の宿題をやっているので、短冊を書いていないようだ。やはり、七夕は中華系の祭りであり、あえて避けたのかもしれない。短冊を書くならやはり「円安」だと思う。(笑)
https://www.teikyomy.com/ja/SchoolNewsAlbum/id=232
追記:PBTのHPに、浴衣姿の写真が載ったので、使わせてもうらおうと思う。

2019年7月21日日曜日

久々に「胡同」で麺を食す。

ブキッビンタンに用事があって、昼食を「胡同(フートン)」で取った。LOT10の地下にある「胡同」は、中華系のフードコートである。たしかに、北京の「胡同」のように、ちょっとごちゃごちゃしている。何度行っても迷う。(笑)
今日は、広東風の麺にした。なかなか美味しい。妻の麺(右)は二種類(板麺とチキンラーメンのような麺)の麺が合わさっていて、さらに美味しい。私の方(左)の麺はうどんような麺である。これまた美味い。ともに海鮮のとろみスープ麺である。中華料理は実に奥が深いのである。これらはさすがに日本では味わえないのでは、と思う。マレーシア万歳。

2019年7月20日土曜日

朝からヘリの爆音

ムルデカデー(独立記念日)まで1カ月ちょっとである。今年もそのための練習が始まったようだ。我がタマンデサの上空で、数機のヘリが編隊飛行の練習をするのだ。昨日、妻がタブレット(噂のファーウェイである。)で写真を撮ったと自慢していた。なかなかよく写っている。うらやましく思っていたら、今朝爆音が響いてきた。今日も練習のようだ。さっそく、G1Xを持ち出して写真を撮ったのだった。(昨年はG12が故障していて忸怩たる思いだったが…。)今日は4機が練習していた。

かなりの低空で飛んでいて、迫力満点である。今日のヘリは、軍ではなく、消防か警察かあるいは国境警備などのヘリのようだが、これからどんどん数が増えて最終的に20機くらいになるはずである。毎年の楽しみだ。我が住処は、これを見る一等席である。
昨年は、プトラジャヤでムルデカデーが行われた。KLのムルデカ広場に是非とも帰ってきてほしい。すると、戦闘機までやってくるのだ。まあ、戦闘機を我が住処から撮るのは至難の業であるけれど…。私はこの目で旋回中のミグのお腹を見せてもらったことがある。

普通、朝から爆音がうるさいなと皆閉口していると思うが、我が家は大騒ぎで喜んでいるのである。(笑)

2019年7月19日金曜日

PBTの話(48) 参院選特定枠

alltag.hatenablog.jp/entry/2015/0
7/upper-house-election-to-reform
政治分野で、日本の選挙制度について講じていなかったので、今日Dクラスで講じた。日本の政治史を語ったうえで、中選挙区制から小選挙区制になった衆議院の選挙制度が中心だが、参議院の選挙制度も併せて講じることになる。

昨年参議院の選挙制度が若干変わった。参議院の選挙区で、法の下の平等を守るため、島根と鳥取、高知と徳島の4件で合区が行われた。参議院の選挙区は都道府県単位なのだが、この4県だけは別となったわけだ。ところが、ここで自民党は参議院候補を合区ごとに1人に絞り、選挙区で戦えなくなった候補2人を比例区の第一位・第二位とする特定枠をつくり、この比例区(参議院は、個人名か政党名で投票し、政党ごとのドント方式で当選が決まるが、個人名が多い順で当選となる)のシステムを変更した。この特定枠に私が気づいたのは、他党の第一位の話がニュースに載っていたからで、偶然に近い。ちょうど、選挙制度を教える直前に知ったのだった。あぶない、あぶない。(笑)

さて、東洋経済のWEBページに、この特定枠について薬師寺・東洋大学教授の小論が載っていて、実に面白かった。
https://toyokeizai.net/articles/-/292607

たしかに、参議院議員より衆議院議員の方が格上であるという認識が政治家の世界にあると思う。衆議院議員の中でも、選挙区で選ばれし者>比例区で選ばれし者>選挙区で敗れたが比例区で復活当選した者、というヒエラルキーがある。参議院でも、選挙区>比例区というヒエラルキーがあるらしいが、この特定枠で選ばれた議員は、さらにその下に位置することになるだろうとしている。実際彼らは、合区された選挙区の応援に入り、苦労しているが、有権者から忘れられた存在になるかもしれない。この論では、前述のヒエラルキーの存在を実証しながら、この特定枠議員という存在の悲哀を論証している。もし、合区がさらに進めば、このような議員が増えることになり、いつかそれは正しいのか?という論議に発展するだろうというのが結論。

なるほど。なんとなく、この特定枠は付け焼刃的な措置であることがわかる。すっきりと合区で自民どうしで戦うのもよしと思わせる面がある。と同時に、やはり各県最低1名は議員を送るべきではないかというアメリカ上院的な発想も理解できる。なかなか難しい問題である。…その参議院選挙は目前に迫っている。

2019年7月18日木曜日

PBTの話(47) シーア派2

https://islaam.ninja-x.jp/shiaaashura.htm
学生たちは、シーア派のムスリムは、ヒンドゥー教のハタヨーガのように自分の身体を傷つける行為をすると言っていた。ちょっと調べてみた。

そもそも、シーア派とスンニ―派の相違は、後継者争いに端を発している。シーア派は、ムハンマドの死後、カリフとなったアブーバクルを認めない。アリーこそ、ムハンマドの従兄であり、妻に続いて二番目に入信した人物で、しかも娘婿で後継者にふさわしいというわけだ。ムハンマドの妻の中で最も愛されたアーイシャとアリーは仲が悪かったらしい。これは、アーイシャの不倫騒動に端を発していて、このアーイシャの父親が初代カリフ・アブーバクルである。なんとも泥臭い話なのである。

さて、なんとか第四代のカリフになったアリーだが、結局暗殺され、息子たちが立ち上がる。シーア派が最も重視するのは、次男のフサインの殉教「カルバラーの悲劇」で、これを悼んで、イスラム(ヒジュラ)歴の1月10日(アーシューラ―)に、自らの身体を叩き、街路を練り歩き、フサインの死を嘆き、自らの無力を悔いる。40日後、裳があけカルバラーのフセイン・モスクへ巡礼する。これが、学生たちが批判的に言っていたシーア派の最大の祭礼である。

スンニー派には、このような自分の身体を傷つける行為は理解しがたい。すなわち、クルアーンにも、ハディースにもない。シーア派では、アリーの後を継いだイマーム(後継者)の言動がハディースに加えられている。この辺も、スンニー派がシーア派を忌み嫌う根拠になっているわけだ。

追記:今日の5限目、K先生のおさそいを受けて、Eクラスの作文発表会に参加した。校内のスピーチコンテストに出場する3人以外の学生が全員前に出て発表した。なかなか面白いものもあったし、意外な一面も聞くことができた。なかでも最後のNさんの作文は、感動的だった。思わず、この後に予定されていたEクラスの補習は取りやめにした。なにか、この感動を壊したくなかったのだ。すると補習中止をみんな喜ぶと思ったのだが、意外にも、「えっー」という残念そうな声だった。ありがたいことだと思う。その時間は結局進路指導の相談の時間になったのだった。

2019年7月17日水曜日

PBTの話(46) シーア派

国際関係の授業の中で、シーア派の話が出てくる。マレーシアのムスリム学生たちは、当然ながらスンニー派である。ちょっとシーア派への思いを聞いてみた。すると、予想以上にシーア派への印象が悪いようだ。これは、おそらくマスジットでの話や学校教育の中で得た知識によるものだと思う。当然ながら、マレーシアにはシーア派は極めて少ない。

さて、一応定説では、スンニー派が多数派で、9:1の割合とされている。だいぶ前に日本人会の古本コーナーで、「シーア派とスンニー派」(池内恵著/新潮選書・2018年5月発行)を手に入れた。ここには、こんなことが書かれていた。この9:1と言う比率は、全ムスリムで見た場合であり、シーア派のほとんどいないマレーシアやインドネシア、インドなども含んでいるが、中東地域に限定すると、実は比率はもっと接近する。イランやイラク、バーレーンでは多数派であるし、ペルシャ湾岸一帯(クウェートも20~30%)やサウジの東部州やレバノンでは、拮抗してるようだ。シーア派がほとんどいない中東地域は、エジプトやマグレブ地方だけらしい。

こうして見てみると、人口比率9:1については、簡単に結論付けるのは危険であるわけだ。改めて、シーア派についても調べてみようと思った次第。

2019年7月16日火曜日

PBTの話(45) 難民問題

ロヒンギャの難民キャンプ 
http://gooddo.jp/nf/article-scj-1/?from=twt_002_nf1_cp1_fm1_all_b_1
国際関係の最後の授業は、難民問題である。まず、最近報道がされていないシリアの難民問題を考えてみる。
なぜ国連安保理で、シリア非難決議案を、ロシアと中国が拒否権発動したのか?シリアに海軍基地をもつロシア、ウィグル問題を抱える中国。昨日、ウィグルの話をしたばかりなのに、なかなか学生の頭の中で結び付いていない。こういう学んだことの結びつけの訓練は、国費生には特に重要だと思う。

アメリカは真剣に対応しないのか?ソマリアPKO以来の空爆ONLYは、アメリカン・ママへの配慮であり、石油関連でも最近はシェールで最大の産油国となった故に、イエスをキリストと認めさせたいアメリカのキリスト教原理主義者やその支持を受ける政治家にとって、イスラエルの安全保障以外の中東問題の軽視傾向を語る。

旧宗主国フランスは、難民の受け入れに極めて消極的なのは?フランスの伝統社会を守るべきという政教分離主義とテロの頻発などの反イスラム感情か。

イギリスは、インド・パキスタンなど旧植民地国の移民は受け入れるが、英語圏でないシリア難民には、これまた極めて冷たい。EU脱退のきっかけとなった移民増加への非論理的な排斥感情もある。

ドイツが、受け入れる姿勢を示したのは、雇用創出への期待。ナチスの歴史を払しょくするための国際貢献。しかし、様々な軋轢(この言葉の説明にはなかなか時間がかかる)が、反移民勢力を拡大させているのが現状。

日本が受け入れないのは、なんといっても日本語が難しく、長期の日本語学習がなされないと、日本での生活に支障があるため。(これは、全員、体験的に理解しているので、極めて納得していた。笑)

ところで、こんな設問もしてみた。ミャンマーのロヒンギャの人々をマレーシアは受け入れるべきか?当然ながら賛成者が多かったが、そこには、様々な問題があることを説明しておく。住居や食料、日用品の用意。マレー語や英語の学習の必要性。雇用の確保。これらをどうクリアしていくのか?かなり政策学に近い話になる。どこに受け入れ先をつくるのか?その費用は?言語の学習指導者の育成はできているのか?難民の雇用と外国人労働者の労働市場のバランスは?問いかけていくと、うーんと皆かをが曇る。これらの実施計画と予算の創出、その上での受け入いれ人数の確定…。まさに、政策学であり、日本でこのような精緻な政策学を学ぶ意義を伝える。

マレー系の国費生は、おそらく日本から帰国して公務員になる可能性が高い。テクノクラートとして政策立案にかかわる者も出るだろうと思う。難民問題も極めて重要な課題である。そんな授業を今日はしていたのだった。

2019年7月15日月曜日

PBTの話(44) ソマリランド

https://e-food.jp/map
/nation/somalia.html
国費生の授業は、国際関係の中でも民族問題、様々な地域の紛争の話になっている。ソマリア内戦の話の中で、ソマリランドの内戦解決についても話した。ソマリア内戦と言っても、今ももめているのは旧イタリア植民地の方である。

旧イギリス植民地の一地方であるソマリランドでは、内戦は長老たちの知恵で解決した話をした。氏族間の平和学である。武器を差し出して燃やしてしまい、新しい政府を作るときにも注文を付けた。氏族や地方を超越した政党による政治システムの構築である。マレー系の国費生には、こう説明した。マレー人の政党、中華系の政党、インド系の政党ではなく、マレー系も中華系もインド系も巻き込んだ政党を、政策や主義主張でいくつか作り、民主主義的な運営を行うわけだ、と。現在の与党(マハティール側)に近いものだ。これまでは、長らく民族政党が連合して与党を形成してきたマレーシアでは、こういう説明が分かりやすい。みんな、よく理解してくれたと思う。

「とはいえ、ソマリランドはこれといった産業がない。ラクダの牧畜ぐらいで、あとは口が真っ赤になるハッパくらいかなあ。」と言ったら、このハッパ、マレーシアにもあるそうだ。国費生に教えるのは、なかなか刺激的で面白い。

ところで、残念な追記。夏の高校野球。私の応援する前任校・大阪市立H高校も、敬愛する秋田商業高校も、すでに敗退してしまった。今年のH高校はいいピッチャーが3人もいるとの情報もあったのだが、意外や意外。これも高校野球なのかと思う。残念至極である。

2019年7月14日日曜日

イスラエル大統領の訪韓

https://polandball.fandom.
com/es/wiki/Israelcube
イスラエルの大統領は、ドイツ同様儀礼的な存在であるが、そのイスラエル大統領が今日訪韓しているはずだ。この時期の訪韓は様々な憶測を生んでいる。イランの問題、今回の日本の戦略物資横流し問題や、それ以上の韓国の問題を含め、その目的は何なのか、注視に値する。

実務は首相が行うイスラエルで、国家元首たる大統領がその代行として派遣されているのであれば、極めて外交的重みを持たせたものであるとしか推測できないからだ。

イスラエルは、常時戦争している国家であり、それによって自国の安全を図っている。彼らの国是は生き残ることであり、そのためにどんなことでもする。イランを攻撃する準備は当然のこととして出来ているだろうし、これに韓国の問題が絡んでいるとすれば、容赦しないだろう。

中東と東アジアに不穏な空気が流れている。自分の幸福を願うならば、世界の平和を祈らずにはおれない。ブティストの私としては、強い危機感をもって、このイスラエル大統領訪韓のニュースの詳細な配信を待っているのである。

2019年7月13日土曜日

韓国語の定言命法

https://www.imgrumweb
.com/post/Bg0tGBihpj7
この一週間も隣国のあきれるようなニュースばかりだった。かなり疲れる。その理由の一つとして、韓国の物言いがある。「~しなければならない。」という和訳がやたら多いのだ。実は以前から、腑に落ちなかったのだ。

これは、カント風に言えば「定言命法」で、日本語においては、かなり高圧的な言い回しだ。まあ、上から目線的である。韓国の様々なマスコミや政治家、あるいはネット民の反応などの日本語訳は、この語尾が圧倒的に多いと思う。

私は、韓国語はおろか言語学全体には疎いので、ちょっと調べてみた。この「~しなければならない」というのは、「~してこそなる」という韓国独特の肯定的な言い回しであるそうだ。
https://hangeuls.com/hangeul/hangeul710.htm

そうであるとすれば、かなりニァンスが異なる。もちろん、彼らの論理は完全に破たんしていて、内容は論外なのだが、語尾が「~しなければならない」と和訳されるのと、「~してこそなる」と和訳されるのは、かなり違うように思う。まあ、「~してこそなる」というような日本語はほとんど使われないが…。

かのマレーシアの日本留学大先輩のラザク先生は、言語は文化そのものであると言われている。この韓国語の語尾は、隣国のどうしようもない、反省のない「傷ついたコギト」(最近は壊れたコギトと呼ぶにふさわしいと感じている。)の文化から生じているのだろうかか。

それとも誤訳(中央日報の日本語版でもこの語尾が使われているが…。)なのだろうか。「~してこそなる」などと訳されたものは見たり聞いたりしたことがない。私にはよくわからないが、少なくとも、この語尾の多用が「悪印象の増幅」コードを形成していることは間違いないように思うのである。

もし、韓国語に詳しい方が、このエントリーを読まれて、ご教授いただけるのなら幸いである。

京都 finjan の近況

ポントスのコンサート/finianのツイッターより
我がブログは、10年前のブロガーのデザインのまま(今やレアになってしまった。)なのだが、久しぶりにレイアウトを変更した。息子の京都のCafeの紹介のコーナーを入れてみた。まあ、親ばかである。(笑)

久しぶりにツイッターを見たが、なかなか繁盛しているようだ。今回のエントリーは、その近況紹介である。
週末は、語学講座が目白押し。アラビア語、ウズベク語、ウルドゥー語、トルコ語、ヘブライ語、チャガタイ語…。先日は黒海沿岸のポントスという地方の音楽のコンサートもやって盛況だったみたいだ。なんと高校生も出入りしているみたいで、「高校生でフィンジャンを見つけるの、前世でそんな徳を積んだだらそんなことができるのだろうか」という投稿があって、笑った。たしかに、凄い高校生だと私も思う。

息子は、自由人である。(イスラエル)大使館の仕事や、大学の窮屈な研究職を選ばず、好きなことを生業にしている。この辺は、私と妻のDNAが強烈に受け継がれたような気がする。幸い、いろんな方々の応援をいただいて、なんとか順調にきているようだ。

我がブログの読者のみなさんも、興味がありましたら、いっぺん京都finjanのツイッターをも覗いてみて下さい。リンク集にアドレスを貼ってあります。

2019年7月12日金曜日

Superdry「極度乾燥しなさい」

1時間目の授業が終わって、久しぶりにミッドバレーのメガモールに行ってきた。メイバンクで現金をおろしに行ってきたのだ。さて、マレーシアで私が気になるブランドが1つだけある。オーストラリアのパースにもあったのだが、イギリスが本社の「Superdry」である。最初はビールの名前だと思っていた。(笑)必ず「極度乾燥しなさい」という訳のわからない日本語がついている。このブランド、マレーシアでは、なかなか人気がある。

私が気になっているのは、実はリュックサックである。そもそもオシャレを楽しむ人間ではないが、バッグ類にはこだわりがある。ちょっといいなと思っているのだ。今日実際に手に取ってみたが、PCも十分入るようだ。
この「Superdry」日本には今のところ出店していない。アマゾンでは購入可能のようだが、おそらく日本ではレアなものだと思う。で、このリュックの値段はRM365。今日のレートで、9609円。うん、アマゾンよりは、だいぶ安い。問題は、妻という名のハードルである。(笑)

ぶっかけ風ソーメン

昨夜は、「ぶっかけ風ソーメン、エビフライ付きと稲荷寿司」であった。妻は、マレーシアの食材をなんとか利用して日本料理を作ってくれる。本当は、うどんにしたかったらしいが、こちらのうどんはあまりコシがないとのことで、ソーメンになったらしい。豚肉を濃く味付けして共に食すと美味い。

エビフライは、近くのDマートで格安で売っている冷凍ものなのだが、なかなかいける。なんといっても大根おろしが地味に効いている。

妻は料理人を自任している。だからなかなか味にうるさい。マレーシアでおいしかった店を聞くと、いろいろ出てくるが、ミッドバレーでお茶を使って料理している中華レストランがあって、そこのゴボウスープは最高に美味かったらしい。妻はこういう話はあまり私にはしない。もっぱら息子である。息子も同様に食事にうるさいのだが、かなり妻の遺伝子によるものだと思う。(笑)

2019年7月11日木曜日

アフリカマイマイの小宇宙

5月16日に、日本人会のカタツムリの話をエントリーした。マレーシアのカタツムリは、アフリカマイマイという大型種で、寄生虫を持っているので極めて危険だという話だった。
あれから、毎日観察している。ウィキには夜行性とあるので、夜の生態が気になるところだが、少し観察して分かったことを記しておきたい。

ある雨の降った朝、大量に出てきていた。やはりカタツムリである。日本では、梅雨とカタツムリと紫陽花がセットなので当然すぎるほど当然なのだが、先日、日差しの強い日に軟体動物らしく、テカテカ光りながら動いている個体を発見した。アフリカマイマイは、カタツムリとしては、移動速度がかなり速いらしい。たしかに、日本のものより速いように思う。

日本人会の小さな中庭のどこにいつも隠れているのだろうと観察していたら、細い幹が集合している木があって、その幹と幹の隙間にたくさんいることを発見した。他にも岩などの陰に隠れているような気もするが、触るのは危険だし、あきらめた。
最大の疑問は、このアフリカマイマイは、この日本人会の中庭にどこから来たのだろう、ということだ。
ここは、あまり天敵となるような鳥や小動物がいないので、彼らの小宇宙となっている。雑食の彼らにとって、格好の餌となる若い草がありあまるほどある。
愛着というほどのものはないのだけれど、大都会クアラルンプールは意外に自然が豊かで、こんな観察も可能だという話である。

2019年7月10日水曜日

PBTの話(43) 南北ゲーム′19


これまで、南北貿易ゲームは100回くらいやってきたような気がする。PBTでも毎年やっているのだが、中華系の学生は、資本主義のルールに乗っ取ってガンガン進めていくのだが、マレー系の国費生は、優しすぎて淡々と進んでいくことが多い。それで、今回は、先進国にはステグリッツの言う経済人として相応しい戦略を立てれそうなメンバーを選んだ。D・Eクラスとも18人になので、3人チームで先進国2、中進国1、途上国3の割合でやってみた。

まずDクラス。私の思惑どおり、先進国のA君は、途上国を安価に雇用しつつ生産性を極度に高める戦略をとってくれた。40人規模でやる以上に商品が世界巨大銀行に持ち込まれ、私と手伝ってもらったK先生は大忙しであった。ふりかえりも、なかなか盛り上がって、南北問題を理解するうえで、理想的な展開で南北貿易ゲームを終えることができた。

次にEクラス。ゲームが始まっても、途上国と中進国が集まり、Aさんを中心に、なにやら相談が続いている。先進国は完全に手持無沙汰で、自ら円形や三角形をコツコツつくるという異様な展開だった。実はこの時、途上国連合軍は、資源ナショナリズム戦略をとっていたようで、中進国のもつ定規と途上国の持つ鉛筆で密かに四角形だけを大量につくれる体制(線だけ引いて、あとは切るだけ)をとっていたようだ。問題は先進国だけが持つはさみである。中盤になって、先進国と交渉が始まったが、先進国は、Iさんの強い指示で、ついぞ、はさみを渡さなかった。結局、資源ナショナリズムと構造的暴力の戦いは、構造的暴力の勝利に終わったのだった。これまた、ある意味で理想的な展開かもしれない。

今回のMVPは、D組のA君と、E組のIさんに決定。準MVPは、E組の資源ナショナリズムを組織したAさんとしたい。

来年度のカレンダー GET

日本人会の壁面に、絵画部の方々が作品をいつも展示されている。今回は販売するものもある。その中に、来年度のカレンダーがあって、私は非常に気に入った。しかもRM20という驚きの廉価である。
昨日、どうやって手に入れるのかわからないので、日本人会の事務所に聞くと、絵画部の責任者の方の連絡先を教えていただけた。早速連絡を入れたところ、仮押さえをしていただけた。やったー。GETだぜ。

カレンダーの上部には、手書きで、マレーシアの様々な場所の水彩画が描かれて、下部のカレンダーにはマレーシアと日本の祝日が書かれているので実に便利である。というわけで昨日は、南北貿易ゲームもうまくいったし、ちょっとハッピーだったのだ。

2019年7月9日火曜日

AfCFTA 私感

https://dailynewsappraisal.com/afreximbank-
announces-1billion-adjustment-facility-for-afcfta/
AfCFTA(アフリカ大陸自由貿易協定)が、ナイジェリアとペナンの署名によってAU(アフリカ連合/モロッコ以外参加)の55カ国中54カ国(エリトリアを除く)が参加表明したらしい。ほとんどすべての商品の関税が撤廃され、AU域内の貿易が増加することは間違いないのだが…。

2020年7月から稼働するとのことだが、もちろんすべての国の議会が批准しているわけではない。半数程度らしい。国によってメリットがかなり異なるので、総論賛成、各論反対という状況か。しかも、関税撤廃が実現されたとしても、交通インフラや治安、ガバナンスの悪さなど、多くの問題があることは言うまでもない。

一番メリットがあるだろうと思われるのは、記事にあるように南アである。南アはアフリカでも最大の工業国だ。在アフリカの日系企業でも、拠点としている国の近隣国の市場への参画が、交通インフラや治安問題などの問題がなければ進むだろう。
私の知る限り、現状ではケニア・タンザニア・ウガンダそしてルワンダあたりはこの恩恵を受けるかもしれない、またモザンビークの経済回廊でザンビアも恩恵を受ける可能性があるし、西アフリカでは、かのブルキナファソとガーナも恩恵を受けるかもしれない。この恩恵とは、何よりも工業化の雇用の創出である。そのためには、外資の進出が進むことがなにより重要だろうと思われる。都市部の雇用を増やし、インフォーマルセクターからの脱皮が必要だからだ。

農業生産に、あまり大きな影響があるかは未知数である。全体的に生産性が低いので、余剰農産物があまり流通しそうにないからだ。農業の商業化が進むと、反対に格差が広がる可能性もある。

とはいえ、私はこのAUの試みに期待したい。叩けよさらば開かれん、である。アフリカの持続可能な開発を目指して…。

2019年7月8日月曜日

PBTの話(42) 秋田大学説明会

国際資源政策コースHPより 
資源に関する素養を身に着けた国際人を育てる
http://www.gipc.akita-u.ac.jp/~rpm/index.html
秋田大学から、今年もPBTに説明会に来ていただいた。これまで理系が中心だったが、今日は文系の国際資源学部資源政策コースの説明があって、実に面白かった。今年は国費生が全員文系だという事もあってのことだが、「資源の安全保障」というテーマで模擬授業もしていただいて、社会科教師としてもなかなか興味深い内容だった。

学生諸君も開口一番、「面白かったです」という反応。社会科を教えている身からすれば、今日の模擬授業がなんとか理解できるところまできていたと思うと嬉しい次第。

この国際資源政策コース、実に多岐にわたったコースで、国際関係分野、法律分野、資源経済学分野、国際協力開発分野、社会人類学分野、異文化コミュニケーション分野とさらに分かれている。3回生から英語の授業だし、世界へフィールドワークに行くし、実に勧めがいがあるのだった。是非国費生から進学する学生が出てほしいものだ。

2019年7月7日日曜日

PBTの話(41) AKAN TIBA

https://store.line.me/stickershop
/product/5211/ja?from=sticker
ミッドバレーのバス停には、バスがあと何分くらいで来るかという電光掲示板がある。マレーシア語で、AKAN TIBA(アカン・ティバ)と出れば、もうすぐ到着(Googleの翻訳では「届きます」)という意味なのは、経験的に分かった。時々あてにならないこともあるのだけれど…。(笑)

ところで、我がPBTは日本語学校であるから、日本語の先生方は見事な標準語で授業をされている。関西出身の先生方も、イントネーションにいたるまで授業では完璧である。さすがプロフェッショナルである。私と言えば、この標準語を使って授業をするということが極めてムツカシイ。

しかも時々関西弁が出てしまう。「アカン(標準語ならダメと言う意味)」などと言うのは日常茶飯事である。先日、このアカンをもじって、「アカン・ティバ」と言ったら、偶然ウケた。最近、国費生の学生も、日本語能力が上がり、日本語で笑えるようになったようである。こういうギャグが通じたのがちょっと嬉しかったりする。この「アカン・ティバ」は私の持ちネタになったのだった。

日曜日のタマンデサ2

朝から雨が降っている珍しい日曜日だった。昨日は妻がお出かけで、定例の買い物は日曜日になった。比較的涼しいので、まずはキャッシュを下ろしにGSへ。久しぶりに違うパン屋さんで、一週間分のパンを購入。(妻は食パンを毎回冷凍させる。ここは熱帯マレーシア、カビ対策である。)それから、牛乳、フルーツ(今日は、ゴールデン・レインボーマンゴー、ドラゴンフルーツ、バナナ、そしていつものパパイア)。野菜、冷凍食品などを購入。
即席ラーメンコーナーで、変わったカップ麺を発見した。「阿Q」…ネーミングが凄いな。香港製みたいだ。魯迅の遺族の許可を得たのかなあ。これは、購入せず。(マレーシアで手に入る日本製以外の即席麺は、あまり美味ではない。マレーシアの麺でラクサと呼ばれるものがあるが、屋台やレストランの麺との「落差」が凄い。)
ところで、チーズの話。日本以上に品数はかなり豊富だ。妻はチーズに詳しいのだが、珍しいチーズを発見した。アイルランドのチーズ。3種類あったが、1つ買ってみようということになった。どんな味かちょっと楽しみである。
追記:子供のころ給食によく出た6Pチーズに近かった。

LEGOシリアスプレイ

https://connpass.com/event/127174/
マレーシアに3年以上いるので、日本のSDGs(国連の2030年を目指した持続可能な開発目標)への国際開発教育の取り組みについては、浦島太郎状態なのだが、遅ればせながら、私もSDGsを学ぶためのワークショップを考えていこうと思っている。
なにしろ、2015年初頭にSDGsが発表されたとき、外務省の翻訳文はひどく難解な語彙で満たされていた。これを国際理解教育で行うには、かなり難しいものに見えたのだった。(とはいえ、講義としては、PBTで教えてきた。)今はだいぶ分かりやすい日本語に翻訳されてきているし、その重要性もかなり理解されたのだと思う。

ところで、このSDGsのワークショップで、LEGOを使うことが増えているようだ。どうやら、「ふりかえり」(ワークショップで学んだことを深化させるための時間)に使うらしい。各自が、LEGOで、学んだことを表現しひとつの作品を作り、参加者同士でシェアするらしい。なかなか興味深い取り組みだと思う。私などは、ちょっと臨床心理の「箱庭療法」を連想する。
https://www.amazon.co.jp/LEGO-SERIOUS-PLAY-Starter-2000414/dp/B00GVDCVKW
このためのLEGOも発売されている。シリアスプレイ(LEGO SERIOUS PLAY Start Kit 2000414)というセットで、なかなか高価(Amazonで約9000円)だが、個人的に欲しいな。

カードを使った方式があるらしいが、まずは、焦らずに、SDGsを再学習して、何をワークショップの主眼に置くべきか、いくつかオリジナルを考えていこうと思う。

2019年7月6日土曜日

現時点で韓国の問題を考える15

https://snjpn.net/archives/104361
久しぶりにこのタイトルで、エントリーしようと思う。先日のホワイト国から外した件や戦略物資の優遇措置外しは、かなり日本政府が周到に準備してきたものだということがわかってきた。徴用工問題への制裁的な意味合いは当然あるが、それ以上に日本自体が韓国に対して、そういう措置を取らざるを得ない状況があるようだ。

具体的には、今回の措置は、戦略物資が韓国から北朝鮮さらにはイランなどに流れたという事実を、おそらく日本だけでなく、CIAやその他の情報機関が調べ上げ、その証拠をつかんだのだろう。このままでは、その疑惑に日本まで巻き込まれてしまうというわけだ。輸入した量と消費量が違い、第三国経由で流されていたことをすでに経済産業省はつかんでいるようだ。まあ、この証拠が発表されたら、韓国は国際的にさらに窮地に追い込まれるだろう。完全な国際法違反である。どうもホワイト国になって以後、北の核実験の回数の増え方が、相関しているとの指摘まである。G20でも、関係国にネゴシエーションは済んでいるようだ。

こんな中で、稚拙な反日行動(不買運動や日本製品に高関税を、渡航禁止など)を主張し、今回の日本政府の措置の意味を理解していない韓国は、ほんと喜劇的である。さらに今から戦略物資の基礎研究を開始するために莫大な予算を計上したりするのも超喜劇的であるし、なにより喜劇的なのは、政府がアメリカにこの措置をやめさせるよう動こうとしていることだ。まるで、WWⅡ末期の近衛外交(ヤルタ会談で対日参戦を決定しているソ連に、仲裁を依頼しようとした外交的無知)である。この日本の今回の措置は当然ながらアメリカと共同歩調をとっていることは間違いないからだ。歴史を学べ、歴史を学べと言ってるのは、韓国ではなかったか。

未だに「儒家のカインコップレックス」で、上から目線で日本を批判し、真の歴史をよくわかっていないのに反日の「ゼロ記号」を振り回し、冷静な事実認識ができず反省のない「傷ついたコギト」の人々の国である。つくづくそう思う。

DELLのパソコンを購入した。

先月、愛機Think Padが突然動かなくなった。それで今は、妻のPCを使っている。スペックが低すぎて、Windows10の更新ができない(毎日その表示が出る)し、Officeも入ってないので、学校の仕事ができない。WEBとメールと、このブログ発信用の緊急非難用のマシーンなのである。

これまで、中古のパソコンを何回も買っては壊してきたので、妻が今回は新品を買うように言ってきた。新品ともなればかなり高価である。貧乏性の私としては、多少スペックが低くても、できるだけ安くて、パワーポイントが入ったOfficeがついているものを探した。で、結局はDELLにした。今回は夏のボーナスの特別価格で他のメーカーより安かったのだ。色はホワイトである。

とはいえ、マレーシアに送ってもらうには送料がかかりすぎるし、不安なので、とにかく京都の息子の住所に送って、預かってもらうことになった。夏のボーナス特別セールを利用するには、この手しかなかったのだ。注文完了後、息子からすぐメールがあった。「最初、詐欺かと思った。」とのこと。(笑)

2019年7月5日金曜日

内田樹 高齢化上位国=敗戦国

ニュルンベルグ法の被害者
https://medforth.wordpress.com/2012/08/
13/wenn-das-der-fuhrer-wusste-muslimische-
belgische-abgeordenete-der-grunen-
behauptet-dass-juden-frauen-belastigen/
内田樹先生の先日のWEB記事がどうも気になっている。アエラへの掲載記事らしい。
総務省の予測では、2100年の日本の人口は高位推計6400万人、中位推計4770万人、低位推計3770万人。中位でもこれから80年で人口が8000万人減る勘定になり、高齢化率は40%であるという。

中央年齢(それより上の世代と下の世代が同数になる年齢)は高齢化の一つの指標で、日本は45.9歳で世界1位。他にどんな高齢国があるのか調べたら驚くべき結果となる。
2位ドイツ、3位イタリア、4位ブルガリア、5位ギリシア、6位オーストリア、7位クロアチア、8位スロベニア、9位フィンランド、10位ポルトガル。1位から9位までWWⅡの敗戦国あるいはその占領地域で占められていた。ポルトガルも中立国とはいえ、ファシスト国家であった。

内田先生は、子供が生まれない国とは、きつい言い方をすれば国民規模で緩慢な自殺をしている国であるとしている。つまり、こんな国に生まれたら子供がかわいそうだから、生まない。(子孫を増やさないというカタチをとっているという意味だ。)実際、日本の若者の自己肯定感は調査国7位の最下位だったらしい。この自己肯定感の低さは敗戦経験のトラウマ化と関係するのかもしれないと、内田先生は言い、このWWⅡ敗戦国の高齢化上位国では、歴史修正主義が猖獗(しょうけつ:悪い物事が蔓延り、勢いを増すこと、猛威をふるう事)を極めている、それは国民的規模で自己肯定感を回復しようとしている「悪あがき」なのだしたら、わからないでもない、と結んでいる。

…なるほど、朝日新聞系のアエラへの寄稿文らしいリベラルな言説である。正直なところ、この高齢化・総務省の人口減の推定には驚きを隠せない。内田先生の社会への切り口は、いつもながら敬服するところである。エントリーでは割愛したが、フランスの現代思想の大家らしく、デュルケームの自殺論もちょっと出てくるし、おそらく内田先生は、歴史修正主義という語彙で、韓国との軋轢、憲法改正などのナショナリズムの高揚を意識されていると思うのだが、確かにこの自己高揚感を回復しようという動きと捉えることは間違っていないと思う。昨日今日の韓国への措置によるWEB上の高揚感は凄い。

…しかし私の視点は少しばかり異なる。この日本の人口減をいかにして補っていくのかというところに目が向いてしまう。日本的な良さは、日本人という民族性に根差してはいるが、全てではない。日本的な教育を受け、勤勉さを身につけた別の民族でも日本的な良さを継承できると私は思っている。したがって、日本的なるものを残しながら多文化共生して繁栄を享受するしかないのではないか、と思うのだ。人口減は経済学的にも市場の縮小など大きな問題である。日本の持続可能性を願うのであれば、2100年にこの世に存在しない私であっても、多民族共生の基盤を築く必要があると思うのだ。やはり、重要なのは、ESD、教育なのだ。

現在脅威にさらされている在日の人々について思うのは、これまでの特権的な政策を見直すことはいいとしても、ナチが行ったニュルンベルグ法のようなことは絶対にするべきではないと思う。1世か2世か、3世か?両親が在日か、片方が在日か、日本の教育を受けたのか、朝鮮学校に在学したのか、などの項目を設定し、在日の人々の定義を行い、迫害する…。そんなことは、日本人の、いやに人間のすることではない。ネトウヨさんたちは、声高高に在日排斥を訴えているようだが、是非ナチのやったこの歴史的事実を学んでから、発言してほしい。

日本の持続可能性を考えるならば、在日の2世・3世の多くは、日本的な資質を十二分に持っている人たちである。なんら日本人と変わらない。今回の韓国問題の核心は、傷ついたコギトにある。反日というゼロ記号のもとで行われた教育にある。彼らも客観的な科学的な事実を知り(=反省)すれば、新たな関係も構築できると、地球市民のひとりとして私は信ずる。ただ、今はそのために、あえて必要な処置をとるべきだ、これは内田先生の言われる歴史修正主義とは別次元の主張だと私は考えている。

2019年7月3日水曜日

傷ついたコギトの国

http://blog.livedoor.jp/pacco3
03/archives/67262901.html
日本政府の、今回の隣国への措置は正しいと私も思う。隣国は、まさに「傷ついたコギト」の国である。儒家のカイン・コンプレックスと「反日」というゼロ記号で固められた「傷ついたコギト」の国の人々の反応は、悲劇どころか喜劇的ですらある。

日本政府は、意外に見事な手を打った。G20終了を待って、北朝鮮への韓国からの第三国経由で戦略物資を流した厳然たる証拠をつかんだうえでの、優遇措置解除は、まさに国際法的にも十分認められたものだ。お門違いのWTO提訴を口にしている幼稚な隣国とは、完全にレベルが違う。ホワイト国から外すことも、当然の措置である。少なくとも、例の徴用工問題への制裁ではないという論理が成り立つ。
それも、隣国の大統領が板門店でそれなりの成果を上げたように見えた絶妙のタイミングである。韓国の新聞の一面は、日本からの反撃が、板門店を押さえたようだ。

隣国のネット民は日本製品の不買運動や日本への旅行禁止云々を唱えているようだが、笑止である。いやいや、政府の対応も、支離滅裂、笑止としか言えない。

三菱UFA銀行やみずほ銀行は、韓国経済が崩壊する前に、信用状の保証を早くやめないと大損をするのではないかと私は思う。韓国が何かまた動いたら、次はこの措置だろう。ホワイト国外しにつながる措置であり、要するに全く信用にあたらない国である故に…。

まさに、反省なき、傷ついたコギトの国。反省することを知らしめなければコギトは回復しない。これからさらに始まることは、隣国のコギトを回復させるためのものである。

ただ、私は在日の教え子や友人のことが心配だ。日本国内では感情的な意見も多く見られる。彼らは、日本で教育を受けた人々である。まるで、ナチのニュルンベルグ法のように、ユダヤ人同様、在日の人々をあぶり出し、追い出すようなことの間違いを歴史は教えている。

睡眠不足はこたえる。

月曜日の深夜(正確には火曜日のAM1:30頃)、突然火災警報ベルが鳴りだした。ちょうど我が住処の玄関横にあるので、けたたましい音がして、夫婦共々飛び起きた。(上記画像参照)

30分ほど鳴り続けたのだが、廊下に誰も出てこないし、噴煙や、匂いすらしない。鳴りやんだのでベッドに向かったが、結局よく眠れなかったのだった。今週も放課後補習を続けている。授業時間は270分になる。日本の高校なら(50分授業として)5時間弱となるわけで、かなり疲労もたまっている。この睡眠不足は、さすがにきつい。

「仕事中にいねむりをする様な者は、人生の落後者と知れ。」という言葉を私は胸に頑張ってきた。しかし昨日は授業の合間、PCに向かっているうち、ついつい目を閉じ、30分ほど爆睡してしまったのだった。
考えてみれば、還暦を過ぎての話だから、もう人生の落後者ではないかもしれないな、という落語のような話である。

2019年7月2日火曜日

リクール「傷ついたコギト」

https://partiallyexaminedlife.c
om/2015/03/16/ep112-ricoeur/
先日エントリーした「現代フランス哲学」(久米博/新曜社)を拾い読みしていて、気になる哲学用語を発見した。リクールの「傷ついたコギト」である。この著者はリクールの哲学が研究の中心らしい。

哲学の世界は、連鎖の世界である。先達の哲学を批判しつつ進んでいく。ハイデッガーの存在論とフッサールの現象学は、フランス哲学の前に立ちはだかっており、先日述べたようにレヴィナスは、ユダヤ・タルムード神学的な解釈で、自己の哲学を確立している。さて、リクールはというと、フロイドの精神分析学を哲学の立場から論じ、新たな現象学を打ち立てた。

高校生にもわかるように概説すると、フッサールの現象学というのは、現前にあるもの=現象を、我々はわからないのにわかったように信じているにすぎないという事である。そこに「あるのは、わかろうとする意志」でしかないということになる。リクールは、フロイドの精神分析から、『無意識は本質的に他者によって、本人自身の意識では決して行うことのできない解釈学の対象として練り上げられたものである。』と分析してみせた。誤解を恐れず極論的に言ってしまうと、リクールは、無意識こそが自我であり、デカルト哲学の思惟する自我(理性)=コギトは間違っている、としたわけだ。

彼は、フロイド、マルクス、ニーチェらが疑った「コギト批判」を受け入れ。意識は虚偽であり、その虚偽や誤解を正すのが「反省」である。意識は所与ではなく務めである。フッサールのコギトも必当然的であっても十全的ではないと言う。(十全的とは、概念または判断がその表す対象と完全に相応することである。)この批判を受け入れたコギトをリクールは、「傷ついたコギト」と表現した。

『コギトは自己を措定はするが、自己を所有しない。これは現実の意識の不十全性、錯覚、虚偽の自認することにおいてしか、その本源的な真理を理解しないコギトである。』
この傷ついたコギトから十全なコギトを回復するには、反省によって意識的になることである。

またまた高校生向けに言うと、「傷ついたコギト」とは、要するに、我々の思惟する自我=理性は、実は無意識によって成り立っており、反省(様々な現象は本当のところわからない。という意識を持つ事)が絶対に必要だということになる。

今日の補習でも、最後にこんな話をした。「私が話したことは、すべて正しいなどと思わないでほしい。私の得た情報や知識が誤っていることもあるかもしれない。」そいう傲慢を常に反省する姿勢が「傷ついたコギト」からの回復の道であると私は思う。
周りを見渡せば、「傷ついたコギト」が多数存在するように思う。思い込みや狭い考え方に囚われている人を「傷ついたコギト」などと呼ぶ事にしようか。

2019年7月1日月曜日

PBTの話(40) エゴグラム

定期試験の結果を返却し、経済分野でやり残した分野(労働問題)を講じた後、国費生2クラスとも、エゴグラムをやってみた。今までも試験を返した後、よくやってきたプログラムである。今回の大きな意味は、進路選択において、心理学とはこんな学問だという紹介でもある。

私は、あまりマレーシアの学生に日本で心理学を学ぶことを勧めない。(日本でもそうだった。日本での理由は、入りにくく、出口においても院まで進まないとあまり社会で認められないし、精神科の医師の下に見られるので、心理学をせっかく修めてもつらい思いをすることが多いことである。)マレーシアの学生には、特にカウンセリングなどでの日本語能力が極めてムツカシイということもある。だが、敬愛するK先生は、そろそろマレーシアにもカウンセラーの必要性があるのではないかとお考えで、私も最近同意している次第。

今回のエゴグラムが異質だったのは、1つひとつの日本語の質問が、現在の国費生には難しいので、全50問を私が読み、解説しながら解答させたことだ。確かに、中高生向けとはいえ、なかなかディープな表現も多いことに改めて気づいたのである。

そういうわけで、時間が残り少なくなったので、両クラスとも1人ずつ、CP・NP・A・FC、ACの数値だけ聞いて、黒板にグラフ化し私が心理学的に解説してみた。これが、毎回ながら受けるのである。FCが8。「カラオケに行ったら、みんな歌ったので私も歌わなければくらいのノリじゃないかあ?」と言うと、周りが「そうそう!」などと盛り上がるのである。特に重要なのはCPとACの関係性である。CPが7。「宿題多いなあ、こんなに出さなくてもいいじゃない。」と思ってないかあ?「いつも言ってる!」で、ACが14。「仕方ない、やってしまおう。」となるだろ。なぜなら、Aが17もある。ロジックで考えるから、「これも日本留学のため、我慢我慢。」本人は、「よくあたってます。全くその通りです。」

これまで、何十人と心理分析してきた。だいたい当たる自信がある。だからこそ、このエゴグラムの授業は意味が深まる。心理学に興味を持っている学生の多くは、目を輝かせて聞いていたのだった。だが、ちょっと”罪作り”かなという思いもあるのだった。