2019年7月5日金曜日

内田樹 高齢化上位国=敗戦国

ニュルンベルグ法の被害者
https://medforth.wordpress.com/2012/08/
13/wenn-das-der-fuhrer-wusste-muslimische-
belgische-abgeordenete-der-grunen-
behauptet-dass-juden-frauen-belastigen/
内田樹先生の先日のWEB記事がどうも気になっている。アエラへの掲載記事らしい。
総務省の予測では、2100年の日本の人口は高位推計6400万人、中位推計4770万人、低位推計3770万人。中位でもこれから80年で人口が8000万人減る勘定になり、高齢化率は40%であるという。

中央年齢(それより上の世代と下の世代が同数になる年齢)は高齢化の一つの指標で、日本は45.9歳で世界1位。他にどんな高齢国があるのか調べたら驚くべき結果となる。
2位ドイツ、3位イタリア、4位ブルガリア、5位ギリシア、6位オーストリア、7位クロアチア、8位スロベニア、9位フィンランド、10位ポルトガル。1位から9位までWWⅡの敗戦国あるいはその占領地域で占められていた。ポルトガルも中立国とはいえ、ファシスト国家であった。

内田先生は、子供が生まれない国とは、きつい言い方をすれば国民規模で緩慢な自殺をしている国であるとしている。つまり、こんな国に生まれたら子供がかわいそうだから、生まない。(子孫を増やさないというカタチをとっているという意味だ。)実際、日本の若者の自己肯定感は調査国7位の最下位だったらしい。この自己肯定感の低さは敗戦経験のトラウマ化と関係するのかもしれないと、内田先生は言い、このWWⅡ敗戦国の高齢化上位国では、歴史修正主義が猖獗(しょうけつ:悪い物事が蔓延り、勢いを増すこと、猛威をふるう事)を極めている、それは国民的規模で自己肯定感を回復しようとしている「悪あがき」なのだしたら、わからないでもない、と結んでいる。

…なるほど、朝日新聞系のアエラへの寄稿文らしいリベラルな言説である。正直なところ、この高齢化・総務省の人口減の推定には驚きを隠せない。内田先生の社会への切り口は、いつもながら敬服するところである。エントリーでは割愛したが、フランスの現代思想の大家らしく、デュルケームの自殺論もちょっと出てくるし、おそらく内田先生は、歴史修正主義という語彙で、韓国との軋轢、憲法改正などのナショナリズムの高揚を意識されていると思うのだが、確かにこの自己高揚感を回復しようという動きと捉えることは間違っていないと思う。昨日今日の韓国への措置によるWEB上の高揚感は凄い。

…しかし私の視点は少しばかり異なる。この日本の人口減をいかにして補っていくのかというところに目が向いてしまう。日本的な良さは、日本人という民族性に根差してはいるが、全てではない。日本的な教育を受け、勤勉さを身につけた別の民族でも日本的な良さを継承できると私は思っている。したがって、日本的なるものを残しながら多文化共生して繁栄を享受するしかないのではないか、と思うのだ。人口減は経済学的にも市場の縮小など大きな問題である。日本の持続可能性を願うのであれば、2100年にこの世に存在しない私であっても、多民族共生の基盤を築く必要があると思うのだ。やはり、重要なのは、ESD、教育なのだ。

現在脅威にさらされている在日の人々について思うのは、これまでの特権的な政策を見直すことはいいとしても、ナチが行ったニュルンベルグ法のようなことは絶対にするべきではないと思う。1世か2世か、3世か?両親が在日か、片方が在日か、日本の教育を受けたのか、朝鮮学校に在学したのか、などの項目を設定し、在日の人々の定義を行い、迫害する…。そんなことは、日本人の、いやに人間のすることではない。ネトウヨさんたちは、声高高に在日排斥を訴えているようだが、是非ナチのやったこの歴史的事実を学んでから、発言してほしい。

日本の持続可能性を考えるならば、在日の2世・3世の多くは、日本的な資質を十二分に持っている人たちである。なんら日本人と変わらない。今回の韓国問題の核心は、傷ついたコギトにある。反日というゼロ記号のもとで行われた教育にある。彼らも客観的な科学的な事実を知り(=反省)すれば、新たな関係も構築できると、地球市民のひとりとして私は信ずる。ただ、今はそのために、あえて必要な処置をとるべきだ、これは内田先生の言われる歴史修正主義とは別次元の主張だと私は考えている。

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