2013年7月31日水曜日

吉田友和のヨーロッパ鉄道旅

旅に出たいけど出れない今夏は、ひたすら旅行記を読んでいる。今日の書評は、吉田友和という旅行作家の「ヨーロッパ鉄道旅ってクセになる!-国境を陸路で越えて10カ国-」(幻冬舎文庫/本年7月5日初版)である。私は初めて吉田氏の本を読んだのだが、WEBで調べたら、もうずいぶん旅行記を出しているようだ。とはいえ、私にとっては全くの新旅行作家であるわけだ。

この本では、「ユーレイルセレクトパス」というヨーロッパの鉄道を(吉田氏の場合)5カ国8日間自由に乗れるという、「一等車の青春18きっぷのようなパス」で旅する。吉田氏はこれをアメリカで購入して、送ってもらっている。その使い方も極めて詳細に書かれている。もちろん、吉田氏自身の失敗談から学ぶというスタイルが多い。

吉田氏は、適度に教養があり、貧乏旅もできるけど、やっぱりいいホテルやレストランには入りたい、しかもその情報集めは、iPadを駆使しているのが特徴のようだ。

私は、スマホも持っていないし、当然iPadなど持っていない。ところが、最近はこれらを使うことで、行きあたりばっ旅でも、融通無碍に情報をGETできるようである。今回の書評の最大のポイントは、そういう現在の旅のスタイルに驚いたという、極めてオジン臭い感想である。(私などは、地球の歩き方を持ち歩き、一泊目だけパソコンで予約する旧人類だ。)まだ1冊しか読んでいないので、下川祐治氏や蔵前仁一氏に私が抱く著者の人間性は、吉田氏には、まだはっきりと感じられない。優秀なリーマンパッカー(サラリーマンのバックパッカーで週末に海外旅行に勤しむ人々の意)だったことは間違いないようだが…。

ちょうど、スペインやスイスの鉄道で相次いで事故があったばかり。でも、私も乗りたい。どこでもいい。(笑)フランクフルトとアムステルダムの紀行文にはなつかしさもこみ上げたのだった。少し、この吉田氏の旅行記、追いかけてみるか。

2013年7月30日火曜日

「インドは今日も雨だった」を読む

古本の文庫本で、蔵前仁一の「インドは今日も雨だった」を読んだ。先日もエントリーしたように、今夏はどこへも行く予定がない。下川祐治に続いて、ついバックパッカー本を読んでしまうわけだ。蔵前仁一は、『旅行人』という雑誌を発行している人で、バックパッカー本の総元締めみたいな人なのだが、彼の描くイラストがユーモラスなので、どの著作もやわらかい感じがする。

さて、この本は、インドでも変ったトコロの紀行文である。そもそもチベットに行くつもりだったが、外国人旅行者を中国が締め出していたので、それならと、インドの北部、ダライ=ラマが住むチベット文化圏を訪ねようという旅の話である。私は、昔々妻と共にインドに行く予定はあったのだが、妻が直前に交通事故に合ってぶっとんだ。以後、インドはもっぱら息子のテリトリーになってしまった。とにかくインドの旅はタフな旅になる。正直、体調不良の私には、バスの乗り継ぎの話だけで疲れてしまうのだ。

読んでいて疲れた話その1。ダラムサラにチベット難民が作った街マクロード・ガンジの安宿(チベッタン・アショカ・ゲストハウス)で出会った吉川君という優男風の大学生の話だ。彼は、ラサから途中のサガまでバスとトラックのヒッチで行きカイラス(チベットの聖地の超有名な山。シバ神のリンがを象徴する。)まで、初冬の道を歩き通したという。食糧はと聞くと「とりあえず…、ツァンパと水だけで。」ツァンパとはチベットのエスニックフードで、大麦の粉を炒っただけのもの。蔵前仁一はこう書く。「それだけで、初冬のチベット高原を500kmも歩き通すとは、おまえは河口慧海か!」…私は大笑いした。こういう教養に裏打ちされた蔵前仁一の文章が大好きである。ちなみに河口慧海は、『チベット旅行記』を表わした明治の禅僧である。大笑いした後、初冬のチベット高原の雪道を想像して、どっと疲れたのであった。たしかに無補給・ノー・サポートでやってのけた吉川君は凄いのだ。

読んでいて疲れた話その2。マラナという村があるらしい。変わった村で、村人に触れてはならないという掟を持っているという。ただし、バスもなく、かなり峻嶮な山道を登って行かねばならない。蔵前仁一と小川京子夫妻は、そのトレッキングに挑むのである。なんと9時間半。読んでいて大いに私は疲れ切った。(笑)しかも、この触れてはならないという掟、最初のうちは、どうも気苦労が絶えない。彼らは旅行者を汚れた者としてあつかっているヒンドゥー教徒なのであった。蔵前仁一は、この村の変わった掟はともかく村自体はいたってのんびりしたところで、なんとなくマリのドゴンの村を思いだしたと言う。雰囲気が似ているそうだ。

体調不良の夏季休業中の身の上には、面白いが疲れる一冊だった。(笑)

2013年7月29日月曜日

雨なので「道の駅」に行く

新鮮な地元産品のコーナー
夏季特別休暇中の私に、急に「どこかいこか。雨やし。」という逆説的なセリフを妻が吐いた。実は、愛車フォルクスワーゲン・ポロのクーラーの調子が悪いのだ。木曜日にワーゲンショップに持っていく予定だが、このところウィンドウを全開して運転している。日本各地で豪雨被害が出ていて、不謹慎で申し訳ない話だが、ドライブは雨のほうが涼しいのだった。

妻は「道の駅」が大好きである。近隣で取れた新鮮で安い野菜を買うのが大好きなのである。自宅から最も近い「道の駅」は、奈良県の平群(へぐりと読む。)にある。雨のワインディングロードを走り、生駒市に出て、さらに30分ほど走る。久しぶりなので、なんとか記憶をたどって到着。(今時珍しいと思うが、我が愛車にはカーナビなどというものはない。あれは便利すぎて、日本人をダメにするというのが夫婦共通の意見である。)

妻は、嬉々として買い物にいそしんだ。ブルーベリーやブラックベリーが安かったので、たくさん買ってジャムにするらしい。ちょっと楽しみである。

名産品コーナー・平群でいのししが取れるらしい。らほつ饅頭は売り切れていた。
奈良の土産物や平群の特産品も売っている、この「道の駅」、なかなか面白いのである。ちなみに、画像にある「らほつ饅頭」の「らほつ」とは仏の三十二相のひとつで、頭髪が一本一本とぐろを巻いている状態を言う。その「らほつ」が饅頭化されているわけだ。売り切れていなかったら欲しかった一品。いのししカレーはレトルトで500円。欲しかったが、妻に「今日は海鮮カレーやから、あかん。」と子供に言うみたいに拒否されたのだった。(笑)
レストランのBランチ。前菜+メイン+古代米+スープで1300円弱
平群の「道の駅」にはソフトクリームが売っていて、私はそれだけが楽しみだったのだが、併設されているヘルシーな安いフレンチのレストランがあり、妻がここで食事をとろうと言いだした。子羊のナントカ風とか、若鳥のナントカ風というA・Bランチを頼んだ。なかなか美味で、「大阪市内やったら倍はする。」と妻は御機嫌であった。満腹になってしまい、もうひとつの楽しみだったタコ焼きも食べる気がしなくなった。ソフトクリームも、レストランで冷コーヒーを飲みすぎて、もういいわとなってしまった。私にとっては何をしに来たのかわからない。(笑)とはいえ、私の体調が悪く往復とも妻がハンドルを握ったので、文句もいえない。

2013年7月28日日曜日

ピーター会 in 奈良

奈良である。
昨日は、久しぶりのピーター会だった。ピーター会というのは、JICAの教師派遣旅行でケニアに行った高校教師の集まりだ。ピーターという名称は、旅行時のガイドであった故ピーター・オルワ氏から取られている。今回の集まりは、先の国際理解教育学会で、N女子大付属中等学校のM先生がスタディーツアーのパネルで、ツアー後の研修の持続性に否定的な意見が出た際、「私たちはよく集まって研修してますよ。」と発言したことに始まる。たしかに、1年毎くらいに集まっている。私も関西で行われる集まりには出来るだけ出るようにしている。

昨日は、午前中、奈良でWHE(世界遺産教育)を熱心に研究・実践されているH高校のY先生をゲストに迎え、興福寺と東大寺を視察した。さすがに詳しい。興福寺は元の姿に復元しようと頑張っている。かなり年月がかかりそうだけれど…。東大寺には新しく博物館ができていた。大仏殿は何度かの再建
によって、左右がちぢんでしまったことも知った。なかなか有意義なWHE研修であったわけだ。ところで、奈良にも外国人観光客が多い。中国語や韓国語、スペイン語やフランス語も飛び交っていたんだった。

昼食は、M先生の勤務校前の食堂。ここは、過去にピーター氏が来校した際大好物のかつ丼を食したという、我がピーター会メンバーにとっては意義深い文化遺産ともいえる食堂である。当然、かつ丼を食したのだった。

午後は、研修会。JICAのシニア・ボランティアで、理数科教育を指導し、ガーナから帰国した教授の講義、なつかしのピーターのビデオ、そして少し時間が余ったので、私のアフリカSDゲームの報告と、イスラエル考現学のパワーポイントを見てもらった。

M先生の勤務校玄関・ユネスコスクールのプレートがまぶしい
平成3年のJICA研修旅行から10年。今回は石川・静岡からも含め8人が集まった。それぞれの立場で頑張っているのだった。ところで、奈良から自宅に戻る時、西大寺駅で乗り換えに迷っている人のよさそうなお父さんを中心とした外国人観光客家族と出くわした。京都の宿に戻るらしい。久しぶりに親切な日本人役が回ってきたわけだ。聞くとマレーシアの人だった。このブログの常設ページにある「地球市民の記憶」は私の備忘録の意味合いもある。見ると意外にもマレーシアの人との関わりは始めてだった。先日のサウジアラビア人に続いて、カウントが増えたのだった。100カ国まであと少し。

2013年7月26日金曜日

アフリカのデモクレイジー2題

The Factual Opinionより
WEB記事によると、赤道ギニアの大統領の息子がフランス国内で、公金横領罪で家宅捜査を受けたという。パリにある101室もある大邸宅には、105億円相当の宝飾類や美術品、高級ワインや、ほとんど乗られた形跡のない高級車やスポーツカーがあったのそうだ。赤道ギニアといえば、経済成長率がアフリカでも有数の産油国であるが、ほとんどの国民は絶対貧困というエゲツナイ国だ。外務省のHPによると、先日のTICADⅤでも招かれたのだが、日本政府はかなり冷淡な態度を示し、ガバナンス改善のための人材を送りましょうかといった程度であった。まあ、当然であるが、ここの国民はやりきれない。アフリカのデモクレイジーの代表格である。

一方、今日の毎日新聞の朝刊には、ジンバブエのムガベ大統領が今月31日に大統領選挙を強行すると言っているらしい。南アやアメリカなどは一斉に延期を要求している。野党に対するあからさまな干渉がその理由だが、ムガベは耳をかさない。まさに文字どうりのデモクレイジーである。89歳のムガベは、どんな無理をしてでも死ぬまで権力を離さないつもりらしい。

私の知るジンバブエの人々は純朴だ。安宿の前で、早朝喫煙していると、自転車で通勤していた男が、ニコッと笑って手を振ってくれる。「おはよう」と英語で言うと、わざわざ自転車を降り、「おはよう。何処から来たのか?」と言ってくれるような人々だ。独裁者はこういう素朴な人々を自己の利益だけのために食い物にしているわけだ。

世の独裁者に言いたい。他者の犠牲の上に自己の幸福を築くなかれ。

<赤道ギニアの極道息子のニュース>
http://jp.autoblog.com/2013/07/21/supercars-seized-from-african-dictators-son-obiang-sold/
<ジンバブエの大統領選挙強行のニュース>
http://mainichi.jp/select/news/20130726k0000m030045000c.html

2013年7月24日水曜日

野球部の5回戦を応援に行く

大阪空港に近いT・R野球場 9回表
本校野球部の5回戦を応援に行ってきた。部長のF先生によると、夏の大会では本校は、これまでベスト16止まりらしい。大きな壁である。対戦相手はK大H高校。私の同学年の阪神の岡田(掛布・バースと共にクリーンナップを打っていて監督にもなった岡田だ。)の母校である。私が高校1年の時、TVで甲子園に出ているライトの1年生・岡田を見た。一年で出ていることに驚き名前を覚えていた。その後早稲田に進み、阪神に入った。私は熱心な阪神ファンではないが、顔は藤山寛美の岡田だけは別であった。その古豪・H高校である。

朝の雨もあがり、曇天の中、試合は始まった。H高校は背番号9が投げていた。つまりエース温存というわけである。明日は連戦で6回戦の試合がある。連投を避けようというわけだ。本校はそんな余裕はない。2年生エースの先発である。試合は、ジリジリと相手校の実力を見せつけられるような感じで進んだ。1番や4番の選手など無茶苦茶バッティングが良い。本校の守備の良さで最少得点に押さえていくものの、小刻みに得点を許していく。本校は、敵失で1点を返したのみ。結局1対6と、5点差で9回表を迎えたのだった。

ところが、本校野球部は、ふんばったのだ。ついにエースを引きづり出した。ヒット、ファーボールや振り逃げを含めて、満塁にして加点していく。結局3点を返して、力尽きたのだった。今朝見た秋田商業高校のねばりではないが、本校野球部も十分あきらめの悪いチームだったわけだ。結局4対6で、夏の大会・悲願のベスト8は逃したものの、私は教え子たちのふんばりを誇りに思う。一方グランドの選手を、凄いパワーで応援していた野球部員たちの全員野球のふんばりも大きかったと思うのだ。
9回表は3回も得点を喜ぶパフォーマンスが繰り返された
結局、WEBの速報を見ると、公立で残ったのは唯一、あの大阪市立桜宮高校のみである。某市長に「大阪の恥」とまで罵倒され、地域でもコテンパンに差別された桜宮高校が、全OB・OG、現役生の誇りを力に変えて頑張っているのだ。凄いではないか。同じ体育科がある兄弟校の本校の悔しさも力に変えて、頑張って欲しいと願うものである。

追記:大阪市立桜宮高校は残念ながら、準々決勝で9回に1点を入れられ最少得点差で私学・K高校にに惜敗した。しかしながら、最後の最後まで頑張った。本当にあっぱれである。

祝 秋田商業高校 連続出場

昨夏の秋田商業高校 一回戦突破で校歌斉唱
ついさきほど、NHKのニュースで秋田商業高校が2年連続甲子園出場を決めたことを知った。今年もまた、甲子園に応援に行くことになった。いやあ、めでたい。O監督、オメデトウ。ニュース映像では延長戦で粘り強く戦い抜いたようだ。やはり執念というか、あきらめの悪い者が勝つ。本校野球部は、今日ベスト8をかけた5回戦である。大いなる教訓を得たと思う。
…と、雨音がする。今日の試合は10時からである。大丈夫かなあ。

2013年7月23日火曜日

アフリカSDゲーム報告 その7

鰻です。
先日参加した国際理解教育学会の研究発表の時、レジメを50部用意することになっている。私もこれまで、高校生のための開発経済学テキストを始め、莫大な印刷をして運び込んだ。しかし、実際には私の発表などは、参加者が少なく、50部も必要ないことが多い。何度もえらい目にあったので、今回はメルアドをパワーポイント最終画面に書き込んで、本当に必要とする方には添付ファイルで送りますと言ったのだ。特に今回は白黒印刷ではわかりにくい資料も多いので、そういう無作法をきめこんだのだが、本当にありがたいことに2件もメールがあった。

お一人は、「地球市民共育塾ひろしま」のNさんである。HPを見ると、DEAR(開発教育協会)と関わりのある団体のようで、熱心に広島で開発教育を進めておられるようである。もうお一人は、先日コメントををいただいたT大学大学院のKさんである。

予定通りメールで添付したのが、どうもうまくいかない。結局CDに資料を焼いて送付することにした。ところが、自宅のパソコンが不調。私と同じく血中酸素濃度が低いのかもしれぬ。で、今日学校で焼いて、近くの郵便局から送付したのだった。広島には明日、茨城には明後日着くそうだ。お二人には先ほどメールで、遅くなったお詫びを申し上げた次第。

ところで、表題とは全く関係がないのだが、体調が思わしくない。昨日またH城鍼灸院に行ったのだが、血中酸素濃度が91しかなかった。結局93に上げてもらったが、どうもボーッとしている。当番なので、PM5時前に生徒の下校を促す放送をしたのだが、しどろもどろ。今までこんなことはなかったぞ。かなりショックだったのだが、今日は土用丑の日ということで、妻が鰻を用意してくれた。(画像参照)これを食したので、なんとかエントリーできたというわけである。明日は、大阪府ベスト8を目指す野球部の応援に行くつもりである。(無理しない程度に)ガンバロウ。

<地球市民共育塾ひろしまのHP>
http://genshiroshima.web.fc2.com/index.html

2013年7月22日月曜日

Ameba ピグアイランドの話

Ameba ピグアイランド トロッコ鉱山島にて妻のアバター
参議院選挙が終わって、世の中は大きく動いている。言いたいことは山ほどあるのだが、あえて今日はお気楽な話を書いておこうと思う。Amebaの話である。何度か庭いじりの話をエントリーした。実は、このAmebaには、「庭」のほかに、出来た順番としては「島」「カフェ」「街」の4つがある。私は、「庭」と「街」しかやっていないのだが、妻の方は4つともやっている。(笑)何度か書いたが、このAmebaのゲームは、時間の経過によって、労働力が蓄積される。2時間ほどで庭などは満タンになり、それ以後の時間経過は加算されない。すなわち小まめに満タンになった時点でゲームを進めることで、イベントがクリアしやすくなるわけだ。このシステム下では、主婦が最も有利である。これは、よくコメントで主張されていることで、半ばヤケぎみにAmebaを批判する人も多い。私はタダで遊ばせてもらっているのだから…と問題視していないのだが、とにかく楽しんでいる主婦は家事の合間にコンピュータに向かっているわけだ。しかも、このイベントの中には、クリア時間限定のものがある。なかなか良いアイテムが手に入るので、ついつい頑張ってしまうようになっている。私などは、(主婦ではないし、課金なしでは)到底無理と、毎回あきらめている。(笑)

さて、「島」で、妻が「これいいと思わへん?」と見せてくれた、時間限定アイテムがあった。何のことはない、ヘッドライト付きのロッコヘルメットなのだが、私が見ても、これはカワイイ。で、昨夜12時と朝4時に起きて、(今日は年休だったので出来たのだが…)妻の「島」を手伝ったのだった。ちょうど寝苦しくて、トイレと水分を取りに行ったついでなのだが、私の協力が効を奏したようで、妻はこのヘルメットをGETしたのだった。わざわざGETの瞬間を見せてくれたくらいだから、嬉しかったのだろう。

タダのゲームで協力しながら遊ぶ、変な夫婦である。(笑)

2013年7月21日日曜日

下川祐治「鈍行列車のアジア旅」

今年の夏は、今のところ何処にも行く予定がない。私も妻も体調が思わしくないことが最大の原因であるが、こんな状態だとつい旅の本を読みたくなる。先日妻の用事につきあったとき、古本屋に寄る機会があって、下川祐治の『鈍行列車のアジア旅』という文庫を買い求めた。旅の本といっても、私はやっぱり下川祐治や蔵前仁一といったバックパッカーの旅本に魅かれてしまう。

この本は、単純に鈍行列車に乗ってみようという本だ。バンコクからシンガポールのマレー鉄道、ベトナム・ホーチミンからハノイ、台湾一周(東回り)、韓国・プサンからソウル、中国・北京から上海、フィリピン・マニラからビニャン(近郊の街)、中国東北部・大連から長春という7つの紀行で構成されている。台湾や韓国なら、私にも可能かなと思うが、この二カ国は、鈍行列車=通勤電車なので、横並びの座席で駅弁を食するのに憶してしまうような旅になっていた。中国の鉄道は、南京-上海間で乗ったことがある。だから、もういいかと思う。中国はとにかく人口圧で疲れるのだ。(笑)フィリピンも区間が短すぎるようだ。となると、マレー鉄道やベトナムかな。車内の食も魅力的だし…。

アジアでは、一気にハイウェイを走るバスが移動の主流になっているようだ。私は鉄男サンではないのだが、故・宮脇俊三の大ファンであるので、鉄道で移動できるのならそれにこしたことはないと思っている。別に鈍行列車でなくてもいいが、地元の人々と気楽に旅するのもいいなあと思う。

これまで、外国で鉄道(地下鉄を除く)に乗ったのは、アメリカ(ニューヨーク-ワシントンDC間、サンフランシスコ-サンディエゴ間)と前述の中国、それにイスラエル(アッコー-テルアビブ間)くらいしかない。東南アジアでは、ここに「食」が重要な要素となりそうで、また違った趣がありそうだ。うーん、体調が悪くて、とてもバックパッカー旅ができる状況にないが、ついウズウズしてしまうのであった。

2013年7月20日土曜日

大東市に「ニシキノアキラ」

休日になると、H城鍼灸院で体調を整える。院長からの情報。「自宅の近所でロケをやってましてねえ。廃校になった学校に、ニシキノアキラがきています。みんなキャーキャー言ってます。」ほーお。スターが来ているのか。チキンラーメンの女の子も来ているとか。ふーん。芸能界にうとい私は名前も思いだせない。詳しく聞くと、ニシキノアキラではないらしい。ニシキドアキラ?誰それ?

関ジャニのニシキドアキラだという。関ジャニというのはジャニーズの関西版というのは知ってる。前任校で、生徒たちが文化祭でダンスをしていて、誰の曲か聞いたら「関ジャニです。」と詳しく教えてくれたからだ。

そういえば、今どんな曲が流行っているのか、全く知らない。秋の修学旅行では、バスでカラオケをやることもあるだろう。あんまり古い歌も歌えない。気にいるような曲がないか、少し探してみようかな。(笑)

2013年7月19日金曜日

終業式の日にデトロイト考

デトロイト市 20億$の負債で破綻 後方がルネサンスタワー
終業式である。大掃除を念入りにやってから、インターハイ出場生徒へ野球部がエールを送る。毎年恒例の終業式であった。いろいろとあった1学期だったが、明日から夏季休業に入る。

ところで、夕刊にデトロイト市が財政破綻したとのニュースが載っていた。デトロイトは、思い出深い街である。昔々、視察に訪れたことがあるのだ。デトロイトは、何と言っても自動車の街である。GM、フォード、クライスラーといったビッグ3の本社があった。自動車工業は集積型工業の最たるもので、機械工業、電気工業、ガラス工業、ゴム工業など様々なメーカーが集まっている工業都市である。一時、日本車に押され、雇用が一気に冷え、法人税や所得税などの税収が落ち込み、市民サービスに支障をきたすようになり、裕福な市民が逃げ出し、市内には貧困民が溜まっていった。ドーナツ化し、デトロイト郊外の衛星都市とダウンタウンの格差が開いたのだ。私が行った頃は、ちょうどダウンタウンの再生が進み、ルネサンスタワーが完成した頃だった。しかし、フォードの本社は郊外に移っていた。タクシーにも乗ったが、後にも先にもアメリカのタクシーで、防弾ガラスが設置されていたのはデトロイトだけだった。今回の財政破綻もほぼ同様の推移で起こったものらしい。

デトロイトでは、ほとんどがアフリカ系の生徒だという高校を視察した。語学を主体にした優秀な学校だったのだが、驚ろかされたのは、校門に設置された金属探知機と銃を持ったガードマンだった。聞くと、ナイフなどを持ちこむ生徒もいるのだそうだ。アフリカ系米人の生徒たちは、自分たちの未来に希望を抱いていた。あれから20年近くたつ。彼らはちょっと30歳代後半のはずだ。デトロイトの破綻という現実の中、どうしているのだろうか。他の地域に移動することは、アメリカ人にとってオレゴントレイル以来の国民性でもある。もうすでに、どこかへ移住したかもしれない。アメリカは広い。使える土地が多い。だからこそ、上手くいかなければ、それまでの土地を捨てて他所へ移ることは普通のことなのである。

これからデトロイトはどうなるのだろうか。どっこいまたまた再生するのかもしれない。そんなことを考えていたのだった。

2013年7月18日木曜日

ケニア・モンバサの事件 私感

アダム氏
ケニアのモンバサで邦人が銀行の帰路強盗団に襲われ死亡したというニュースが流れた。心からご冥福を祈りたい。モンバサは、私にとっても鬼門の場所である。JICAでケニアに行かせてもらった時、最初モンバサに行く予定だったのだが、到着したその日にテロ事件が起こり、歓迎会の最中にJICA事務所の方々がモンバサ方面のJOCV全員の安否を確認するという状況になったのである。行けなくなったモンバサという街の名は強烈なインパクトを私に与えた。

その後のケニア研修は、極めて重厚な危機管理が行われた。JICA事務所専属の元警官で、射撃のオリンピック・メダリストというアダム氏(アルメニア系の白人だが、ケニア国籍を持っていた。)が、付き添う事になったのである。当然彼は上着の下のホルスターに拳銃を忍ばせていた。私は彼と仲良くなったので何度か銃を見せてくれた。彼の話によると、JICAの車は狙われやすいのだと言う。車体に描かれたJICAのロゴは、金満国家日本の車だと宣伝しているようなもので、実際強盗と遭遇し、撃ち合いになったこともあるという凄い話も聞いた。

実際、ナイロビの日本人学校で日本人校長が学校の目の前で襲われ死亡した話や、日本人生徒が集合するガソリンスタンドで撃ち合いがあった話なども聞いた。日本人は多くのケニア人に愛されているが、強盗にとっても絶好の獲物でもあるらしい。だから、ナイロビのホテルから隣のスーパーに移動する際も、アダム氏やピーター・オルワ氏(何度か書いているが、ピーターはボクシングのメダリストだ。)が完全に危機管理していた。たった5mほどの距離を完全封鎖しつつ、私たちを移動させるのだった。ダウンタウンの日本大使館へ入る時も、同様だった。ナイロビはなんと恐ろしい街かと思ったものだった。

その後、私はアフリカを1人で歩いてきた。要するに金目のものを身につけたりしていてはダメだし、常に警戒し、危機管理を自分で行っていた。今回のニュースを見聞きすると、銀行で300万円近い現金を下ろした直後のことらしい。現地人の運転手はいたらしい。(と、いうよりこれはアフリカでは常識的なフツーの話である。)だが、ガードマンを同行させていたという情報はない。アダム氏ほどの優秀なガードマンでなくとも、それだけの現金の受領なら重厚な危機管理が必要ではなかったのかなと私は思ってしまう。

モンバサは、ムスリムが多い町で、しかもソマリアから中古の武器がかなり流れているらしい。貧しい者は、金持ちからなにがしを得ることは権利であるという気風も強い。これはケニアやアフリカに限ったことではない。亡くなられた邦人の方の冥福を祈りつつも、こういう危機管理をなおざりにしてはいけないと思うのだ。これはモンバサやケニア、そしてアフリカに限ったことではない。この事件で、アフリカへの開発協力や投資が足踏みしないよう祈りたい。必要なのは、絶対的な貧困の撲滅と、経済格差の是正による治安の安定なのである。最後にもう一度、ケニアの開発に身をささげ、尊い犠牲となられた邦人の御冥福を祈るものである。

球技大会の日にクマモン

バレーボール・男子チーム
生徒会主催・夏季球技大会の日である。授業なしで、バレーボールとドッジボールを各クラスで競いあう。本校生は球技大会が大好きである。(笑)ところで、例のハランベープロジェクトの特別授業以来、ちょっと私の体調が思わしくない。どうも疲れやすいのだ。本来なら、我がクラスの全てのゲーム(負けても8クラス中何位となるか順位が決定するまで戦うので最低3試合ある。)に顔を出し応援するのだが、今回はその気力と体力がない。とにかくも第一試合だけは、応援に駆け付けたのだった。

我が5組は、ドッジは女子が弱く男子が強い。結局女子の負け分を取り戻せず第一試合に負け、5位以下が決定した。バレーボールはその反対で、女子が強いが、男子がもうひとつで、これまた5位以下が決定した。結局、両方とも6位だったそうだ。

ところで今日は、球技大会中、先日買い求めた安いクマモンのTシャツを着ていた。LL2枚で1450円。安かったのだ。生徒や若い先生方にかなりウケたのだった。(笑)心理学的に見れば、体調不良を補おうという意図があったように自己分析できる。(笑)

試合の応援をせずに、何をしていたかというと、通知表にコメントを書き込んでいたのだった。本校の通知表は、A4の紙にコンピュータ印刷である。非常に合理的に作られている。無味乾燥なワープロの字だけでなく、せめて、青インクのボールペンで、私の自筆で保護者の方にに気付いたことを書いておこうと思ったのだった。

いよいよ明日で1学期も終了である。ハランベープロジェクト、模擬店の準備、世界史Bの補習、そして修学旅行の準備と、仕事は山積みであるが、とりあえずちょっとゆっくり体を休ませてもらおうと思っている。今年の夏は、今のところ、どこにも行く予定がないのだった。

2013年7月17日水曜日

毎日夕刊 ブルキナの夜間学校

JICAブルキナファソの理数科教育のセミナーにて
毎日新聞の夕刊に、平川哲也記者の『ブルキナファソ夜間学校から-学ぶことに飢えている-』という記事が出ていた。ワガドゥグには200を超える夜間学校があるという。小学一年生のクラスで最高齢(35歳)のクアラ・ジャンマリ氏の話が中心である。ワガの西25kmにあるヤオゲ村の穀物農家の次男。兄弟10人のうち長男と末弟だけが小学校に入った。両親と共に耕作と家畜の世話に明け暮れる少年時代を送った。「家族を支えている誇りがあったし、畑仕事にも学ぶことがあった。」と振り返る。学校に通う近くの子供をうらやむこともなかったという。ところが、出稼ぎで隣国コートジボワールに向かった22歳の時、母国と同じフランス語圏ながら、話せないし、看板の文字も分からない。乗り継ぎのバスを間違い、途方に暮れて思った。「勉強が必要だ。」カカオ農家に10年勤めた後、ワガドゥグの自動車部品会社に職を得たが、昨年10月から夜間学校に入学したのだという。アルファベットは覚えれたし、やさしい文章なら書けるようになった。毎日ワクワクしているとのこと。6歳から始まる10年間の義務教育は無償だが、この夜間学校には一切公的支援がないそうだ。月賦で授業料を支払いながらの学生生活で、授業料が支払えずやめざるをえない人もいるという。この夜間学校の名前「ソングレ」は、モシ人の言葉で「助ける」を意味するという。

なかなか有用な記事であると私は思う。ブルキナファソのHDI(人間開発指数:開発経済学で、貧困の度合いを示す。)が世界最底辺レベル(統計の出ている国の後ろから3番目くらい。)に位置するのは、HDIの主な三要素のうち、経済力を意味する1人あたりのGDPというよりは、教育と保健医療のレベルが極めて低いからである。私は、ブルキナファソに行った時、JICAのカウンターパートナーだった教育官僚と話したことがあるが、現在、6歳からの義務教育が無償化されていることに感動した。大きくブルキナの教育は進展している。

記事の中で、平川記者は夜間学校に公的支援を行う必要性を大きく主張している。その想いはよくわかるし、同感なのだが、いずれそうなるだろうと思う。政策には優先順位がある。まず適齢期の子供の教育が重要なのは間違いない。教員の資質向上も重要だ。JICAの専門家の意見では一様に教員の資質はひどいらしい。一気に改革が進むとは思えない。ジャーナリストとして、この問題を問いかける意義は大きいが、そういう必要不可欠な時間的側面もあるのではないか、と私は思う。

もうひとつ。ブルキナの人々の真摯な『あたりまえ』に働く姿が、クアラ・ジャンマリ氏の言に潜んでいる。学校に行けなかったことを彼はマイナスに捉えていない。実際、識字の必要性を感じてから、ワクワクして学んでいる。この前向きさ、ひたむきさ。まさに我々が学ぶべきアフリカの『あたりまえ』があると思うのだ。私は尊敬さえすれ、上から目線で彼の人生を見るべきではない。モシ語の「ソングレ」は、きっとスワヒリ語の「ハランベー」同様、互いに支え合うという意味合いの強い「助け」であると思うのだ。

2013年7月16日火曜日

アフリカへ古着を送ろう 7

サウナ状態の特別授業となった
いよいよユニクロの特別授業の日である。朝、いつもより早めに家を出た。区間快速なので随分はやく着いた。7:15頃から、講堂のセッティングを行った。暑い。何度も会議室や職員室と往復(そんなに距離はないのだが…)すると、汗だくになった。一応、パソコンをプロジェクターで見れるようになった。マイクも準備した。さらに全ての窓を開けておいた。8:15にはプロジェクトの企画委員も集合。アピールの練習。約1分30秒というところだが、なかなかいい。

こんな日に限って、授業が詰まっていたりするものだ。1・2限とも授業だった。3限目開始早々、東京のユニクロからTさんが来校された。校長室で御挨拶をいただき、講堂へ。セッティングを終了後、打ち合わせ。そうこうしているうちに3限目が終わった。委員の7人が走ってきた。ありがたいことである。様々な指示をするが、ツーといえば、カーである。Tさんも感激しておられた。何より、「女子のスカートが長いですね。」と言われたのが印象的。確かに、本校には当世はやりのミニスカートのジョシコーセーは1人もいない。彼女たちも意外な言だったようで、「これがフツーです。」(笑)

今日もジメジメとして暑い。講堂に満杯の全校生徒が集まると、サウナ状態になった。事前にTさんに、そういう事情を話してあった。私はケジメにはかなりうるさい方だが、理不尽の方が嫌いだ。これだけ暑い中でやるのだから、うちわやセンスで扇ぐことを事前に許すと、職員朝礼で表明していた。2年生のあるクラスなど歓声が起こったと聞く。(先日の学年集会の時、私が、そういうふざけた姿勢に激怒したからだ。笑)

企画委員のアピール
だが、その配慮がだらけた雰囲気を生んだようだ。いつにもなくザワザワしている。Tさんも生徒とやりとりをしながら進める意向だったので、我慢していたのだが、ついに我慢できなくなった。マイクなしで、全校生徒に「態度の悪さ」を、どやしつけたのだった。(これには多くの先生方から「お疲れさまでした。」という賛意の言をいただいた。他の先生方も、暑さを考慮しても生徒の態度に憤懣がたまっていたようだ。)本校生の特徴を事前にTさんにも説明していたので、その後のシーンとした雰囲気を、Tさんは大きく評価していただいた。特に特別講義のクライマックスである難民の人々が古着を手に入れ喜ぶ姿をうつしたスライドショーは、全員が真剣に見ていて、大きく生徒の心を打ったようである。

企画委員の生徒たちも、私がキレるのを予想していたようである。他の2年生からも、いつドッパーンとくるか、ヒヤヒヤしていたのだと言う。ははは。最後の最後に、私の想いを伝えた。上から目線ではなく、共に地球に生きる友人として、古着を使って欲しいという気持ちで協力して欲しいと、どやしつけた後で、全校生徒に深く頭を下げたのだった。

Tさんは、テキパキと後片付けに走る企画委員たちと、校門を出るまできちんと挨拶をしてくれる本校生に大きな期待を抱いていただけたようだ。100点満点とはいかなかったが、意義深い特別授業であったと思う。

2013年7月15日月曜日

Ameba 戦いすんで日が暮れて

Amebaピグライフ。インゲンマメのイベントが終わった。今回の最後の賞品は、ツリーハウスである。時間との戦いだったが、妻の助力もあってゲットできた。(笑)

最初は余暇の楽しみだったのだが、最近は日常的な義務になってきたかもしれない。当分、イベントに左右されず、余暇の楽しみに戻るつもり。とはいえ、こういうツリーハウス、子供の時からの夢だったので、実は嬉しい。仮想世界だけど、こういう夢の実現もいいかな。

野球部の2回戦を応援に行く

野球部の大阪府予選2回戦である。先日の1回戦は広島行きで無理だったが、今日は交通の便もいいS球場である。他の先生方と席を並べて応援に勤しんだ次第。相手は北摂の公立校である。このところの猛暑から一転、不安定な天候で後半少し雨にたたられたが、無事勝利した。

今日の先発は、なんとI先生や我がクラスの生徒から聞いていた1年生だった。先頭バッターに二塁打を打たれてひやっとしたが、ここぞというところで三振を取って行く。と、思ったらストレートの四球を出したりで、うーん、いいのか悪いのか素人目にはわからない。打線の方は、ホームランがでたり、うまく連打が繋がったりで、本校は5対1で9回裏を迎えたのだった。地力の差が出た試合だったなと思っていたら、1年生ピッチャーがまた二塁打を打たれた。おいおい、と言っている間に2点返されてしまった。2アウトをとったものの、3ボールと、ストライクが決まらない。また四球を出すと1・2塁となる。ここで、ついにエース登場。カッコよく3球ストライクを続けて三振と、行きたかったが、ボール(笑)。ほんと、一打同点といういやな雰囲気になったのだ。しかし、さすがエース。ここはぴしゃりと押さえて、結局5対3というスコアだったのだ。
やったで、ホームラン!

いやー、最後はヒヤヒヤした。高校野球の魅力でもあるが、相手校もよく粘って良い試合だった。完投こそ逃したが、なかなかいい1年生ピッチャーが本校に登場したわけだ。隣に座っていたI先生に聞くと、体育科ではなく、普通科の生徒なのだという。我がクラスに次の2番手、3番手ピッチャーと言われているM君を要する私としては、嬉しいやら、来年が心配やらである。(笑)

2013年7月14日日曜日

日本人に贈る聖書物語Ⅵ

日本人に贈る聖書物語全8巻も、いよいよクライマックスである。先日読み終えた第6巻は、イエスの受難の話である。イエスは、それまでの預言で、メシア(救世主)でしかなしえないと言われていた奇跡を次々に行っていく。①レブラという皮膚病患者の癒し②口のきけない悪霊に憑かれた者を治す③生まれつきのの盲人の癒しの3つ。さらにヨナという預言者の語った「復活」の奇跡を、死後4目経った弟ラザロに施す。さらにイエスは、預言にしたがって、過ぎ越しの祭りの日に、エレサレムで、十字架にかかる。そんな話である。最後の晩餐が、ローマ式で行われたことなど、へぇーということも多かったが、私の感想の大きな部分を占めるのは、「はじめにコトバありき」という、聖書における預言やイエスの「コトバ」の重要性である。このヨハネによる福音書の冒頭は、単純にコトバ=言語とはいえないらしい。コトバ=神であり、ロゴスであるとも言われている。いずれにせよ、この神の言の重みを実感する巻であった。(もちろん、ここに至る5巻の蓄積が必要であるが…。)

この巻には、キリスト者から見たユダヤ教徒の「リーダーコンプレックス」という話が出てくる。イエスが、数々の聖書における預言を実現していにも関わらず、彼らはラビ(ユダヤ教指導者)がそれを認めないので、自発的に自己判断を下せなかったと言うのである。この結果、これまでにも犯した許されない罪(出エジプト後カナンの地を目前にしながら40年間の荒野の放浪、預言者エレミヤの言をきかずバビロン捕囚)に続いて、以後2000年ちかいディアスポラ(離散)となるというのである。

私は、ユダヤ教徒でもキリスト者でもない第三者なので、どちらにも与しないが、少なくともアメリカ合衆国がイスラエルを常に支援する理由のひとつ、即ちイスラエルを護り抜くことで、ユダヤ教徒にイエスをメシア(=キリスト)として認めさせること(共和党のネオコンなどキリスト教原理主義者の主張)が、よくわかった気がした。

同時に、イエス受難時のユダヤ式裁判とローマ式裁判の複雑な交差によって、実際死刑に処したローマではなく、ユダヤ人に非難に向かった理由もよくわかったのである。この時の決定的なコトバ「その人の血は私たちや子供たちの上にかかってもいい。」は、次の世代までの責任を意味する。紀元30年頃の事件の罪が紀元70年に起こる(エレサレム陥落からディアスポラ)わけだ。聖書における「コトバ」は、あくまでも「ロゴス(明解なるもの)」なのである。うーむ。あらためて認識を新たにした次第。

2013年7月13日土曜日

来た・見た・負けた

ガリア戦記
先日、「笑ってこらえて」というTV番組で、スタジオ・ジプリの特集をしていた。私もジプリ作品は大好きなので視聴していたのだが、番組内でフランス人によるジプリ作品のカルトクイズのコーナーがあったのだ。フランスでは、特に日本アニメのファンが多い。ありがたいことである。1回戦。ある青年の意気込みは凄かった。だが、隣の女性に早押しクイズで秒殺と言っていいほど簡単に負けてしまった。その時の彼のコメントが良かった。「来た・見た・負けた」フランス人のエスプリは健在である。私は大笑いした。

この話をあるクラスの世界史Bの授業でしたが、生徒に受けない。おいおい、君らにはこの面白さがわかるはずだぞ。この前、期末試験に出したばっかりやぞ。「来た・見た・負けた」というのは、ガリア戦記でのカエサルの言葉を最後だけ変えたもんやろが…。

何人かが微笑んだが、うーん。きびしい。教養を身につけると言うのは、知識を消化するということだと私は思う。そこまでいっていなかったか。

アフリカへ古着を送ろう 6

昨日の放課後、ハランベー・プロジェクトの第2回企画委員会を開催した。学期末は、成績処理を含め多忙である。16日(火)の特別講義への準備にあたって、三連休があるので、ちょっとバイスクル・ジョブ(自転車操業)であるが、日程上やむを得なかった。朝、委員の生徒が、BOXティッシュが入れられていた大きな段ボールを2つ持ってきた。聞くと、これをそのまま2人で自転車で持ってきたのだと言う。凄いぞ。特別授業の際に、古着回収BOXを全校生徒に見せてアピールするという。なるほど。隠れた努力だ。私はこういう表に見えない努力を大きく評価したい。

会議室を借りて、協議開始。事前に上がっていた、講義後の5分アピール原稿を手直しし、アピールを再構成。その後この古着回収BOXの製作とデコレーション。一度入れたら戻せないように工夫してくれた。昨年の文化祭などの残り物の材料を使って、なかなかいいものに仕上がったのだった。

ところで、これは私の大きな勘違いだったのだが、今回の古着プロジェクト、子供服が中心だったのだ。国連難民高等弁務官事務所からユニクロに、特に子供服が不足しているということで依頼があったとのこと。東京の事務所とのやりとりで再確認した。身長160cmまでの衣類ということになると、男子生徒のほとんどが自分の古着というわけにはいかなくなった。女子の多くはいけそうだ。難易度は増したが、マイナスをプラスに変えていこうと、企画委員の生徒を鼓舞したら、「当然です。いろいろな案を考えます。」とのこと。限られた時間の中で、出来る限りの努力をしたいと思う。

ところで、16日の準備を並行して進めていたのだが、彼女たちが「扇風機が欲しいですねえ。」と言いだした。何のことかと思っていたら、講義するユニクロの方がきっと暑くて大変だと言うのである。なるほど。さっそく生徒会室から扇風機を持ってきた。こういう配慮ができるようになったのが、嬉しい。去年の文化祭での「訓練」の賜物である。(企画委員には、昨年私と黒ひげと海賊船を作った生徒が多い。)そう、イベントはサバイバルゲームだ。責任感の強い者が成長する。今回もよろしく頼むね。

2013年7月11日木曜日

日経 春秋「サンダーバード」の話

最近、アフリカの情報を書いてない。TICADⅤで燃え尽きたのだろうか、マスコミの風向きはすぐ変わる。というわけで、日経を毎朝モーニングで読んでいるのだが、今日目に付いた記事は、第1面の「春秋」であった。東京の日本科学未来館というところで、サンダーバードの展覧会が開会したのだという。今の技術で実現可能かがテーマらしい。「春秋」によるとサンダーバードは、宇宙人と戦うという勧善懲悪モノ隆盛の中で①主人公は事故や災害と戦う。②富豪が私財を投じて設立・運営する非営利の民間団体である。「戦闘より援助」「民が主役」という点で今を先取りしていると書いている。なるほど。確かにその通りだ。面白いではないか。

サンダーバードは、母国イギリス以外では日本で熱烈に支持されたらしい。「生命や生活を大事にする文化と技術力が支持を生んだのではないか、また子供番組であったとはいえ、日本の未来とどこか重なる。」と結ばれている。うーん、それはちょっと言い過ぎではないか、と私は思ったりするのだ。

サンダーバードの魅力、それは1号から5号やジェットモグラやペネロープ号の魅力である。民間人であるパパが息子たちを使って、国際救助隊を運営しているのか子供心に、たしかに不思議だったが、それよりカッコイイ、「メカ」が魅力だったと思う。長男が乗る偵察用の1号はロケットである。ロケットは燃料をかなり食うし、VTOLみたいに空中停止できて凄いと単純に思っていた。実際には不可能だと思う。2号は、その発信するシーンにワクワクした。巨大な輸送機であるのに、これもメインの推進力はロケットエンジンである。(吸気口があるので水平飛行中はジェットエンジンだと推測できる。)もちろんVTOL的な飛行が可能である。ハリアー開発以来、イギリスはVTOL大好きなんだなあ。3号は宇宙ステーションである5号との連絡用の赤いロケットだが、大気圏再突入をいかに行っているのか不思議だった。でも、3号の発進シーンは無茶苦茶かっこいい。4号は2号に積まれている、水中メカである。プラモをつくって、マブチの水中モーター(魚雷のような格好をしていた。)をつけて池に入れたら、そのまま沈んでしまった。今は、笑い話だが、小学生だった私は泣いたぞ。(笑)ジェットモグラもよく登場した。が、6号でないのが不思議だった。今、これらのサンダーバードメカで、実際に作れそうなのは5号くらいか。日経を読みながら、そんなことを考えていたのだった。
謎の円盤UFOのスカイダイバー、艦首にスカイワン
ちなみに、サンダーバードに続いて放映された「謎の円盤UFO」のメカも大好き。スカイダイバーなんて、ロケット攻撃機(スカイ・ワン:機首にF86Fのような吸気口があり、サンダーバード2号のようにジェットエンジンにも変換できる。これもハイブリッド攻撃機である。)を艦首においた無茶苦茶な潜水艦であるが、今でもかっこいいと思う。(笑)いやー、こんな話をエントリーしだしたら止まりませんなあ。
<日本科学未来館のサンダーバード博HP>
http://tbmirai.jp/

2013年7月10日水曜日

模擬店は「海の家」 その1

男子生徒が模擬店の場所を計測中
本日の午後は、2時間連続のLHRであった。我が2年5組は、文化祭の話に全てを使った。昨年も何度かエントリーしたが、本校では団活動(1年から3年まで1クラスずつで計8団結成する。)で体育祭と文化祭を一気に行う。文化祭では、2年生は「模擬店」で競い合う。

我が5組は青団になった。「蒼神団」と書いて、ポセイドンと言うのが団名だそうだ。なるほど。ちょっと知的。(笑)これを受けて、我がクラスは、模擬店で「海の家」というシチエーションで、「焼きそば」を作ることになった。21人が検便をするという。まあ、ここまでプランは出来ていた。

先日、担当者が抽選会に臨んで、屋根のある渡り廊下の入って2番目の位置を引き当てた。さあ、いよいよ、具体的な海の家のデザインを考えなくては。予算は15000円。

最初、私は先日の進路調査で教師になりたいと言っていた生徒に質問した。「さて、これから何を決めたらいいかな?俺になったつもりで答えてくれ。」「…。場所が決まったのですから、デザインをきちんと決めるといいと思います。」「正解。そのために何が必要か?」「うーん。」もう一人の教師志望の生徒にも聞いてみた。「えー。どれくらいの広さがあるか、測るべきかと思います。」「正解。」「と、いうわけで、メジャーを持ってきたぞぉ。」と、ポケットからメジャーを出すと、おおおっ。生徒が一気に盛り上がった。こういうエンターテーナー的な部分も教師にとって大切だ事だ私はと思っている。

「まずは、デザインを決めよう。見たとおり(中庭を挟んで我が教室の正面に見える)屋根があるぞ。前回、各人が提出したアイデア集のコピーも持ってきた。今日は、グループでわいわい決めよう。」まずは、アイスブレーキング・定番の沈黙の中で誕生日順に並ぶという任意のグループ分けを行った。今日は、6チームで、バズ・セッションという方法で、普段はあまり話さない仲間とも相談するようにもっていったのだった。

休み時間、男子全員に場所の計測を頼んだ。全員で行ってくれた。この辺、気持ちのいい連中である。遊んでるのもいたけど…。(笑)なかなか素晴らしい詳細な計測図が出来あがった。

6時間目、大いに盛り上がってデザインが決定したのだった。どんな海の家になるかは、おいおいエントリーしていきたい。

2013年7月9日火曜日

アフリカへ古着を送ろう 5

ハランベー・プロジェクトの送り先、ケニアのカクマ難民キャンプ
ハランベープロジェクトにとって、今日は一つの進展があった日だった。ユニクロと関わっている運送業者さんとの打ち合わせの日である。16日以降、ユニクロから古着を送付する段ボールが送られてくるのだが、それを運んでくれるのが今日来校された運送業者さんなのである。

この打ち合わせには、企画委員の生徒2人も同席してもらった。古着を集めるにあたって、最大の問題は保管場所であると私は考えていた。それが、随時この運送業者さんの手によって運ばれていくことになる。生徒からは、折角だから集めるだけ集めて運びたいという意見もあった。ちょっと解る気がする。莫大な古着の山をバックにVサインの写真も撮ってみたい。(笑)とはいえ、それは現実的ではない。小まめに配送し、在庫を減らす方が効率的である。

というわけで、配送する段ボールの置き場所や、時間などを決めたのだった。こういう現場を見せておくことは大切である。次の企画委員会は金曜日に予定している。決めることは山ほどある。さてさて、委員の生徒たちの企画が楽しみである。

2013年7月8日月曜日

第23回 研究発表大会 追記

昨日のエントリーに対して、コメントを3人の方からいただき恐縮している。さて、我が教え子でドミニカ共和国でJOCVとして活躍し、帰国したLily君から真摯なコメントをもらった。そこで、Y先生の発表内容について、もうすこし詳しく述べてみようかなと思う。

まず、タイトル。「意識変容の学習としての開発教育-ペダゴジーからアンドラゴジーへ-」というものである。私なりの理解で、Y先生の論旨をできるだけ平易に述べてみたい。開発教育を実践する中で、生徒に気づきを与えたり、認識を変化させることは可能だが、態度や価値観まで変えることは難しいとされてきた。それをなんとか乗り越えていけないものかというのがY先生の主旨である。

Lily君が体験した参加型学習であるY先生の難民問題のアクティビティでは、真っ暗にして仮想の家族を捜したり、銃撃戦や砲撃音などの効果音が流れたりと、身体的にも、より難民問題を実感できるような様々な工夫をY先生はされてきた。が、やはりアクティビティの限界があって、難民問題という「気づき・認識変化」にまでは昇華しても、生徒の変容、すなわち自らの価値観を変えるまでにはいたらないことが多いというのである。Y先生は、今回の発表の中では御自分の実践については語られなかったが、H先生という方のストリートチルドレン体験学習(実際に学校で段ボールと毛布のみで宿泊する学習:この学習については私は以前東京で行われた研究発表大会でH先生から直接聞いたことがある。凄いと思ったが、Y先生のご意見同様、誰にでも実践できるものではないと思う。)などを挙げられ、受動的価値観を大きく変容される可能性もあると言われている。

ここで、Y先生は「変容」について、knowlesという教育学者のペダゴジーとアンドラゴジーという概念を使って説明されていく。定義すると、ペダゴジ―とは子供を教える技術と科学であり、アンドラゴジーは成人の学習を援助する技術と科学であるが、Y先生はさらに換言して、主体的に学習に取り組むか否かで、両者を区別するとされている。現代の日本の生徒の多くは依存的・受動的である。したがって、ペダゴジ―なわけだが、開発教育における参加型教育はアンドラゴジー・モデルの実践であるとY先生は主張される。なぜなら、開発教育の実践者は、「ふりかえり」の中で、その問題を通して自らの価値観を問い直すまでもっていける、というのだ。開発問題の背景や構造について自ら考え、自らとのつながりを再考させる必要があるとも主張されている。

ここで、Y先生は、元国立の高校教員で、某府立教育困難校に交換派遣されていたI先生の実践を語られる。(I先生は私も懇意にさせていただいている。現在は某大学教員である。)自己理解と他者理解を通して国際理解教育のカリキュラムを実践する中で、生徒が変容していく姿が語られるのだ。I先生の実践からY先生が抽出されたのは、ペダゴジーモデルの学習とアンドラゴジーモデルの学習が組み合わされた意識変容プログラムの構想である。開発教育の参加型学習をさらに、価値観の変容にまで持っていくのは難しいが、「ふりかえり」の持って行きようで、さらなる生徒の価値観に変化をもらたすというのである。

Y先生作成のふりかえりシートは以下のとおり。
1.あなたはこれまで、このような問題についてどのように考えていましたか。
2.あなたは、その問題解決のために、何か行動を起こしましたか。
3.問題解決に向けての行動を阻害しているあなた自身の要因は何ですか。
4.問題解決に向けての行動を阻害している社会的要因は何ですか。
5.あなたが問題解決のための具体的な行動を起こさなかったのはなぜでしょう。
6.そんな社会に住む、そんなあなたに、問題解決に向けて、どんなことができるでしょう。

…私自身は、私が普遍的な正義だと信じている3点、すなわち「地球市民の育成、アフリカに学ぶ姿勢、援助ではなく共生」といったキーワードで、開発教育の中で生徒に「変容」を訴えはするが、それ以上の社会的(政治的な)な行動についてはエポケーしている。それは、公立高校社会科教師の矜持であるからだ。この問題は実に微妙な話になる。

うーん、Lily君、参考になっただろうか。

2013年7月7日日曜日

広島 研究発表大会 弾丸ツアー

国際理解教育学会第23回研究発表大会
会場校 広島経済大学キャンパス
国際理解教育学会第23回研究発表大会のため、広島まで弾丸ツアーを決行してきた。昨晩21時頃に家を出て、京都駅から広島駅行の夜行バスに乗った。3列シートだし、座席の上部から光を遮断するように工夫されていて熟睡できるはずなのだが、もう歳なのだろうか、着いたら腰や首、足元が極めて痛く、あまり眠れなかった。女性運転手でサービスも好感がもてたのだけど…。6時35分広島駅着。朝食後、広島駅から、単線のローカル線に乗って20分。さらに臨時のスクールバスに乗って5分。9時前に会場の広島経済大学に到着したわけだ。遠さという点では、昨年の埼玉大学と実感としてあまり変わらない。スイカではなく大阪と同じJR西日本でイコカの世界だというのが意外なくらいだ。

毎回各分科会で5人ほどの先生方が20分の発表+10分の質疑応答というカタチで発表する。何故か私はいつも2番手である。(笑)私の前に、Y学園のY先生が発表された。Y先生は私にとって特別な方である。アクティビティの世界に導いていただいた(私が初めて前任校で、JICAの高校生セミナーにLily君らと参加した際のファシリテーターで難民問題のアクティビティをしていただいた。昨年暮にJICA関西で同様のアクティビティもしていただいた。12年12月23日付ブログ参照)実践者である。Y先生の今回の発表は、実に奥深い教育論だった。

開発教育(南北問題を主題とする教育)において、単に知識理解だけではなく、「共生可能な地球社会づくりへの参加」という態度形成・行動へと、すなわち「学び」を「行動」へと変えていく「意識変容の学習」についての考察だったのだ。Y先生は、アクティビティによる参加型の「開発教育」の教育実践に携わる中で、そういう問題意識をもとに構想をねっておられるわけだ。

私などは、Y先生の足元にも及ばない。今、ハランベープロジェクトを通じて、生徒の意識変容を起こそうと考えているが、全校規模の一発花火でやるとなると難しい。単なる「導入的な行動」に終わるかもしれない。せめて、プロジェクトの委員の生徒たちとその周囲には…と思う。

実は、今回初めて他の分科会会場にも足を運んだ。いつも自分の分科会を動かないのだが、仙台のI先生の発表を是非聞きたかったのだ。こちらは国際理解教育が育てる「新しい能力」とは何か?というY先生の目指す「意識変容」とオーバーラップする内容だった。とても、ブログで紹介できるような難度の話ではなかったのだが、今、Y先生やI先生といった全国のトップを走っている高校の実践者の先生方が、こういう方向性を極めようとされていることに大いに触発を受けた次第。

広島らしかったのは駅弁だけの弾丸ツア-
午前中の他の先生方の発表を聞いた後、またローカル線に乗って広島駅へ。昼食も駅弁で済ませ、新幹線で帰ってきたのだが、全体的な印象としては、弾丸ツアーはやっぱり疲れるという感じ。歳なのかなあ。5回目の発表と言う事で、緊張感が薄れたからかなのか。雨にも降られて湿度が高かったから?…なにより明日、5時間授業だというのは大きい。(笑)

最後に嬉しかった話。T大学大学院の修士課程の学生さんでKさんという方から、前回に引き続き発表を聞いていだいたということをお聞した。アフリカを教えたいとのこと。社会科教育が専門だそうで、ウガンダにも行かれたとか。嬉しい。ほんと嬉しい。疲れた弾丸ツアーだったが、「まだまだ頑張ろう」という気になったのだった。改めて、Kさんに感謝したい。

2013年7月6日土曜日

日本人に贈る聖書物語Ⅳ・Ⅴ

日本人に贈る聖書物語を読んでいる。今日5巻まで読み終えた。4巻はダビデ・ソロモン王の話から、北部イスラエル、南部ユダ王国、バビロン捕囚へと続く。5巻は、いよいよ、バプテスマのヨハネの話から、救世主・イエスの登場である。旧約聖書から新約聖書の世界へ突入となるわけだ。
なかなか興味深い内容なのだが、超個人的な感想を記したい。もとより私はキリスト者ではないので、ユダヤ教・キリスト教を一人称で語るわけではない。非常に非哲学的な話である。5巻の137Pに、著者中川健一氏は、こんなことを書いている。

『著者は大阪の下町育ちであるが、家のすぐ隣に二軒映画館があって、一軒が邦画専門館、もう一軒が「パーク劇場」という名の洋画専門館であった。中学、高校時代に筆者が足繁く通ったのは、後者のほうであった。』

この後、この頃の三本立ての映画館の状況を詳細に記していく。著者は日曜日の早朝・開館時からパーク劇場に入場し、「大いなる西部」という洋画の途中からの上映を経験する。昔は映画館同士でフィルムの貸し借りが行われていたようで、パーク劇場のその日の段取りは、大いなる西部後編→他の洋画→さらに他の洋画→大いなる西部前編となっていたのだった。後編を最初に見た著者は、筋書きがわからないままで感動が不発状態のままだったそうだが、前篇を見ると筋書きが面白いようにわかる。帰宅途中に前半と後半をつなぎ合わせ、作品を理解できた、という話である。著者は、旧約聖書と新約聖書のスタンスを、キリスト者の立場から、極めて解り易い譬話で説いているわけだ。

ところで、通勤途中にこの箇所を読んでいた私は思わずのけぞってしまった。事実、後頭部を電車の窓ガラスにぶつけてしまったのだ。なぜなら、私も、このパーク劇場を地元の人間としてよく知っていたからだ。

大阪市生野区、ソカイ道路沿いこのパーク劇場があった。その隣の邦画専門館が最初につぶれたが、ここでゴジラやキングギドラが活躍する東宝怪獣映画を見たし、「これが青春だシリーズ」や「若大将シリーズ」も見た。パーク劇場では、それこそ旧約聖書の創世記を映画化した「天地創造」を見た。砂からアダムが生まれて目が開いたとき、小学生だった私はかなりビビったという強烈な記憶がある。パーク劇場は後に日活のロマンポルノ専門館になってしまい、その後閉館した。

著者のプロフィールを調べてみたら、1947年大阪府生まれとある。私の出身中学の南隣の中学を出た11年年長者であると推測する。もしかしたら、天地創造を共に見ていたかもしれない。まさに「地縁」を感じる次第。
聖書物語に出てきた「パーク劇場」の文字。ほんと、心の奥底から驚いたのだった。超個人的感想と言うのは、こういう事情である。

2013年7月5日金曜日

アフリカへ古着を送ろう 4

ハランベープロジェクト委員メンバー
期末考査を終えて、今日の放課後、ハランベー・プロジェクトの第1回委員会を開催した。企画委員になってくれたのは、女子生徒ばかりである。(笑)16日に、ユニクロのスタッフが来て特別授業をしていただくことになっている。その際、最後に彼女たちにアピールをしてもらおうと思っている。今日は、そのためのポリシー部分を伝えたかった。

援助ではなく、協力であること。アフリカの人々から学ぶこと。今回のユニクロのプロジェクトに参加する決定的な要素となった、インフォーマルセクターとしてのタンザニアの古着ビジネス(マチンガの話)を、担当者が御存じだったことなどを話した。

実際の回収方法や、そのための策は、今日のところはまだいいかなと思った。なにより大切なのはポリシー部分である。でないと単なる援助活動になってしまう。幸い、彼女たちは真剣に聞いてくれた。具体的な回収の方法は、資料を公開して、後は宿題とした。案外、彼女たちはメールやラインを利用して討議をしてくれることを私は知っていたりする。(笑)

一方、午前中にユニクロから依頼された運送屋さんからも連絡があり、回収のノウハウを伝えたいとのこと。来週の火曜日の放課後にお会いすることになった。生徒代表にも参加してもらおうかなと思っている。

2013年7月4日木曜日

オバマ政権のアフリカ戦略考

浅田彰「構造と力」より
2日付の日経のWEB版で、オバマ大統領のアフリカ訪問について、英国紙の翻訳記事が載っていた。要するに、アフリカと縁の深いはずのオバマ政権なのに1期目には、ほとんど見るべき成果がなく、アメリカのアフリカ戦略ははっきりしないまま、中国や新興国にいいようにされてしまっているという趣旨である。

たしかに英国から見れば、アメリカのアフリカ戦略にはふがいなさを感じるだろうと思う。アメリカの対アフリカ戦略である輸入品への関税撤廃は、どちらかというと「援助」の一環のような政策で、「投資」主体の世界的現状から見ると、いかにも古臭く感じてしまう。オバマ政権自体が、どちらかといえばリーマンショックの後始末を中心とした内政重視で1期目を終えたわけで、いよいよ選挙を意識しなくていい2期目に入ったものの、対アフリカ戦略だけでなく外交面全般でアメリカの戦略自体が見えにくくなっているのは事実だ。

バクス・アメリカーナの時代は、もうすでに終わったのか。あのソマリア戦以来、アメリカのママは兵士の死に敏感である。アメリカの経済力と軍事力で自由と民主主義の輸出するという明白な天命と呼ばれる「契約」は、イラクとアフガンで終わったのだろうか。
ドゥルーズ的に見れば、グローバリゼーションは、アメリカ的な市場経済原理主義が、クラインの壺の頂点おかれている、まさに世界のアメリカ化であると言えないこともない。(今日の画像の図2が、ドゥルーズの貨幣を頂点にしたクラインの壺をイメージしている。)このグローバリゼーションの「普遍化」には、大きな反作用が働いている。それが、イスラム原理主義だと見えなくもない。
ところで今日、エジプトでまたまたクーデターが起こった。合法的な民主主義によって選ばれたイスラム原理主義に基盤を置く大統領が、非民主主義的な手段で排除されたという「逆説」は、現代社会のクラインの壺の「コード」の変化なのか。

今やアメリカ的な自由と民主主義というコードが普遍でなくなりつつあるのか。オバマ政権がどうのこうのという話ではない。アフリカの開発にとって、自由と民主主義が同様にデモクレイジー化していることも、コードの変化と見てとれる。私には、頂点に存在するアメリカ的市場原理主義にこそ問題があるように思う。いつになったら、人間はアマルティア=センの言う「市場を飼いならす」ことが可能になるのだろうか。そんなことを、このWEB記事と、エジプトのクーデターを元に漠然と考えていたのだった。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM01045_R00C13A7000000/?df=3

2013年7月3日水曜日

「熱血」という形容詞。

本校に来てカールじいさんと言われた
昨日「佳作の人」というエントリーを書いた。すこし関連するのかもしれいが、先週、「熱血」という形容詞で私を評した人に、偶然3人出会った。

そのうちの2人は、今教えているある2年生の生徒と、彼女のお母さんである。実は、この生徒が私の話を名前を挙げてお母さんにしたと言う。この時「熱血」という形容詞を使ったら、「うん…?名前をもう一度言って。」と言う事になったらしい。卒業アルバムを引っ張り出したら、お母さんの卒業した同じ大阪市立の商業高校の3年の担任が私だったことが判明(私は当時まだ20代である。)したのだ。「あの頃から、熱血先生だった。」とお母さんも評したのだ、と生徒はニコニコ顔で報告してくれた。ひえー、はずかし。「また学校に来られたら是非、お会いしたいねと伝えておいて。」と私は言ったのだった。

そんな話を聞いた後、帰宅時に駅で、ばったりと前任校のOGに会ったのだった。「先生!」と声をかけてくれた。そしてこう言われたのだ。「今も熱血ですね。」ちょうど、いっしょになった2年生が挨拶してくれた直後であったので、彼女たちの笑顔がそう感じさせたのだろうと推測する。思わず「うん。今担任していて、幸せだよ。」と私は答えたのだった。近所に実家があるという社会人になったOGは満面の笑みを返してくれた。いやー、はずかし。

「熱血」という形容詞、教師にとっては称号のひとつであると私は思う。そう言っていただけて、はずかしいけれど、ありがたいなと思った次第。
…「佳作の人」よりは、だいぶいいか。(笑)

2013年7月2日火曜日

「佳作の人」として生きる。

NHK HPより
昨夜、NHKでサッカー日本代表の本田選手の特集をやっていた。本田選手は、要するに「自分を信じて前へ進め」と言っていたと思う。運動部の生徒たちに見せてやりたいいい番組だった。

一晩経って朝、駅に向かって歩いていると、ふと私は「火宅の人」ならぬ「佳作の人」だなあ、と思ったのだ。(壇一雄の小説に「火宅の人」というのがあるが、法華経の七譬のひとつ、三車火宅の譬から表題をとっている。色恋による家庭炎上の話だ。私の「佳作」はまさに、入選の下の佳作である。単なる語呂合わせにすぎない。)

思えば、小学校のころから体育は苦手だったが、図工・美術は得意だった。通知表はずっと5だった。だが、「歯のポスター」など、私の作品を推薦して応募していただけるのだが、常に「佳作」どまりだった。高校時代、私のある作品がYMCAの目にとまり、東京まで表彰式に行ったことがある。が、それも「佳作」だった。(笑)社会人になってから、某雑誌のショートショートの懸賞に応募したことがある。テーマは「透明人間」。雑誌に私の作品が掲載されたが、これまた「佳作」だった。(笑)いつも、大賞や入選を逃してきた。そういえば、学校の文化祭でも、私のクラスの演劇や製作も渾身の出来だったのに、ついぞ優勝した経験がない。そういう「星」のもとに生まれたのだろうか。

「星」と言えば、私は牡羊座の生まれで、根っからのレーサーらしい。勝ち負けに生きる人生だそうだ。スポーツ選手に向いているという。若いころは、確かにそういう部分もあったけれどちょうど30歳を過ぎた頃に、そういう勝った・負けたに生きることが嫌になった。おそらく私の本質には、そういう部分があるのだろうが、今は常に意識して冥伏(みょうぶく)させている。

他者に認めてもらっていないわけではない、…「佳作」。なかなかいい。私は今振り返ってそう思うのだ。敗北感はない。「佳作」をいただけたということがありがたいではないか。この微妙な自信と謙虚さを持とうする姿勢が、私を「佳作の人」にさせているのかと思ったりする。私は、そういう自分を信じて、残る教師生活を進んでいきたいな、などど考えるのである。そう、そして最後の評価は、本田選手の言うように、もちろん自分で決めるつもりだ。

<昨夜のNHK:信じる力500日の記録>
http://www.nhk.or.jp/professional/2013/0701/index.html

妻の腰痛

妻は腰がかなり痛いらしい。あまりそういう弱音や愚痴をはかない人なのだが、このところはっきりと口にするようになった。週に3回ほどH城鍼灸院に通っている。とりあえず治療をうけるとと痛みは引くらしいのだが、院長先生によると、何よりも安静が必要とのこと。私もできるだけ家事を手伝おうとするのだが、大抵拒否される。(笑)安静にしなはれ。

ところで、H城鍼灸院に、ストリートミュージシャンの方が通院しているらしい。「ストリートの黒幕」という芸名で、その患者さんのライブを応援するために、院長をはじめスタッフ一同で「白幕」というTシャツまでつくったとのこと。そのWEBを妻に教えてもらった。凄いな。(笑)http://ameblo.jp/smaku/

妻の腰痛の黒幕は、どうやら椎間板らしいとのこと。院長の言を守り、安静にしなはれ。

2013年7月1日月曜日

Amebaピグワールド ROCK

Amebaのピグワールドを無課金で無理しない程度に楽しんでいる。私の街も知らないうちに、すいぶん大きくなった。6月の下半期のイベントは、「ROCKだぜ」という変なイベントで、最後までクリアするとROCKの野外ステージがもらえるというものだった。

最近は、私の仕事中でも、妻が暇があったら、せっせとゲームを進めてくれいている関係で、イベントが進む。ありがたいことである。しかも今回のイベント、最終日が土・日だったので、私も追い込みをかけることができた。経過した時間で作業量が決まるので、小まめにゲームを進めると、イベントクリアが可能だったのだ。ちょっと肩がこったけど。(笑)
夜の方がキレイ。
なかなかりっぱなROCKのステージである。私としては、今は亡き忌野清志郎に「ベイビー、ノッテルか~い?」と、このステージでやってほしいところだ。

アフリカSDゲーム報告 その6

アフリカSDゲームを実践した現代社会演習の期末考査試験が今日行われた。ゲームを終了してから、改めてアフリカ開発経済学を講義したのだが、その内容をもとに試験を作ったのだ。採点してみると、全体的に高得点(平均78点くらい/100点)であった。なかなかよろしい。(笑)
一方、次の日曜日に広島で、学会の研究発表大会がある。今回の発表では実践中だったSDゲームの内容を抄録に記して送付した。なんとも中途半端な文章になっている。5月に抄録を書きながら、パワーポイントを作成していたのだが、実践を終え、改めて手直しをしているところ。

20分と言う短時間に、SDゲームの実践方法を論じるのか、アクティビティがめざすところを論じるのか、難しいところである。結局、今回の発表では、6月のTICADⅤとの絡みで、アフリカ開発経済学の現在と、SDゲームの関わりを中心に論じることにした。

グローバリゼーションの中で、世界の工場・中国が資源をアフリカに求めたことと採掘技術の向上によって、世界中の目がアフリカに集まった。そのレントが経済成長率を向上させている。ゲームでは今注目されているレンティア国家を6カ国設定した。TICADⅤ前に日本が「資源開発促進イニシアチブ」として招へいした15カ国(5月15に付ブログ参照)と対比すると、ウガンダ以外の5カ国が全て入っている。ウガンダは別の意味で重要な国なので、5/6という確率は私にとって十分な数字だ。
TICADⅤでは、日本企業のアフリカ投資を推進するというスタンスが強かった。これもSDゲームのスタンスと同じである。平野克己先生の著作を始めとして、ここ数年の開発経済学の流れの中で設定した政策8項目は、およそTICADⅤと矛盾しない。そればかりか、現地の金融面や法律面の整備強化のために日本の専門家を派遣し、また日本でもアフリカの若人を人材育成するという打ち出しは、まさにゲームで設定しているところである。
生徒には、共通政策8項目の設定理由について講義した。
①HDI(人間開発指数)向上において、最も重要な教育・保健医療の2つの基本的政策。
②アフリカの食糧輸入が貧困の一因になっていること、それゆえの農業生産性向上。
③さらに農業では儲からないので、工業化を推進するために必要な方策としてのエネルギー・インフラ、金融・法律システムの整備をセットで講義した。
④さらに治安と経済格差の密接な関わりを講義した。コンパクトにまとめたので理解しやすかったようだ。とはいえ、発表まで、あまり時間がない。少しばかり焦ってきたのである。(笑)