2013年7月8日月曜日

第23回 研究発表大会 追記

昨日のエントリーに対して、コメントを3人の方からいただき恐縮している。さて、我が教え子でドミニカ共和国でJOCVとして活躍し、帰国したLily君から真摯なコメントをもらった。そこで、Y先生の発表内容について、もうすこし詳しく述べてみようかなと思う。

まず、タイトル。「意識変容の学習としての開発教育-ペダゴジーからアンドラゴジーへ-」というものである。私なりの理解で、Y先生の論旨をできるだけ平易に述べてみたい。開発教育を実践する中で、生徒に気づきを与えたり、認識を変化させることは可能だが、態度や価値観まで変えることは難しいとされてきた。それをなんとか乗り越えていけないものかというのがY先生の主旨である。

Lily君が体験した参加型学習であるY先生の難民問題のアクティビティでは、真っ暗にして仮想の家族を捜したり、銃撃戦や砲撃音などの効果音が流れたりと、身体的にも、より難民問題を実感できるような様々な工夫をY先生はされてきた。が、やはりアクティビティの限界があって、難民問題という「気づき・認識変化」にまでは昇華しても、生徒の変容、すなわち自らの価値観を変えるまでにはいたらないことが多いというのである。Y先生は、今回の発表の中では御自分の実践については語られなかったが、H先生という方のストリートチルドレン体験学習(実際に学校で段ボールと毛布のみで宿泊する学習:この学習については私は以前東京で行われた研究発表大会でH先生から直接聞いたことがある。凄いと思ったが、Y先生のご意見同様、誰にでも実践できるものではないと思う。)などを挙げられ、受動的価値観を大きく変容される可能性もあると言われている。

ここで、Y先生は「変容」について、knowlesという教育学者のペダゴジーとアンドラゴジーという概念を使って説明されていく。定義すると、ペダゴジ―とは子供を教える技術と科学であり、アンドラゴジーは成人の学習を援助する技術と科学であるが、Y先生はさらに換言して、主体的に学習に取り組むか否かで、両者を区別するとされている。現代の日本の生徒の多くは依存的・受動的である。したがって、ペダゴジ―なわけだが、開発教育における参加型教育はアンドラゴジー・モデルの実践であるとY先生は主張される。なぜなら、開発教育の実践者は、「ふりかえり」の中で、その問題を通して自らの価値観を問い直すまでもっていける、というのだ。開発問題の背景や構造について自ら考え、自らとのつながりを再考させる必要があるとも主張されている。

ここで、Y先生は、元国立の高校教員で、某府立教育困難校に交換派遣されていたI先生の実践を語られる。(I先生は私も懇意にさせていただいている。現在は某大学教員である。)自己理解と他者理解を通して国際理解教育のカリキュラムを実践する中で、生徒が変容していく姿が語られるのだ。I先生の実践からY先生が抽出されたのは、ペダゴジーモデルの学習とアンドラゴジーモデルの学習が組み合わされた意識変容プログラムの構想である。開発教育の参加型学習をさらに、価値観の変容にまで持っていくのは難しいが、「ふりかえり」の持って行きようで、さらなる生徒の価値観に変化をもらたすというのである。

Y先生作成のふりかえりシートは以下のとおり。
1.あなたはこれまで、このような問題についてどのように考えていましたか。
2.あなたは、その問題解決のために、何か行動を起こしましたか。
3.問題解決に向けての行動を阻害しているあなた自身の要因は何ですか。
4.問題解決に向けての行動を阻害している社会的要因は何ですか。
5.あなたが問題解決のための具体的な行動を起こさなかったのはなぜでしょう。
6.そんな社会に住む、そんなあなたに、問題解決に向けて、どんなことができるでしょう。

…私自身は、私が普遍的な正義だと信じている3点、すなわち「地球市民の育成、アフリカに学ぶ姿勢、援助ではなく共生」といったキーワードで、開発教育の中で生徒に「変容」を訴えはするが、それ以上の社会的(政治的な)な行動についてはエポケーしている。それは、公立高校社会科教師の矜持であるからだ。この問題は実に微妙な話になる。

うーん、Lily君、参考になっただろうか。

2 件のコメント:

  1. 先生、ありがとうございます。
    参加型教育の振り返りを通して、問題の背景や構造と自分自身とのつながりを考えること。ここに僕はインパクトを感じたのかもしれません。これはアンドラゴジーモデルだという理解で正しいですか? これにペダゴジーモデルを組み合わせたプログラムとはどういうものか興味があります。

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  2. Lily君の理解でいいと思う。Y先生の難民のアクティビティには、そういう自己の価値観を変容するだけのパワーがあったよねねえ。私もLily君にも大きな変容を与えたと思う。普通は、極めて難しいと思う。ペダゴジーモデルの組み合わせと言うのは、普通の生徒は極めて受動的であるので、これをまずアンドゴラジ―モデルに変換する必要があるということと私は理解している。南高校では、国際的問題に対してそもそも極めて意識が高い。そういう場合、あまりベダゴジーにこだわる必要がないわけだ。

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