2013年7月4日木曜日

オバマ政権のアフリカ戦略考

浅田彰「構造と力」より
2日付の日経のWEB版で、オバマ大統領のアフリカ訪問について、英国紙の翻訳記事が載っていた。要するに、アフリカと縁の深いはずのオバマ政権なのに1期目には、ほとんど見るべき成果がなく、アメリカのアフリカ戦略ははっきりしないまま、中国や新興国にいいようにされてしまっているという趣旨である。

たしかに英国から見れば、アメリカのアフリカ戦略にはふがいなさを感じるだろうと思う。アメリカの対アフリカ戦略である輸入品への関税撤廃は、どちらかというと「援助」の一環のような政策で、「投資」主体の世界的現状から見ると、いかにも古臭く感じてしまう。オバマ政権自体が、どちらかといえばリーマンショックの後始末を中心とした内政重視で1期目を終えたわけで、いよいよ選挙を意識しなくていい2期目に入ったものの、対アフリカ戦略だけでなく外交面全般でアメリカの戦略自体が見えにくくなっているのは事実だ。

バクス・アメリカーナの時代は、もうすでに終わったのか。あのソマリア戦以来、アメリカのママは兵士の死に敏感である。アメリカの経済力と軍事力で自由と民主主義の輸出するという明白な天命と呼ばれる「契約」は、イラクとアフガンで終わったのだろうか。
ドゥルーズ的に見れば、グローバリゼーションは、アメリカ的な市場経済原理主義が、クラインの壺の頂点おかれている、まさに世界のアメリカ化であると言えないこともない。(今日の画像の図2が、ドゥルーズの貨幣を頂点にしたクラインの壺をイメージしている。)このグローバリゼーションの「普遍化」には、大きな反作用が働いている。それが、イスラム原理主義だと見えなくもない。
ところで今日、エジプトでまたまたクーデターが起こった。合法的な民主主義によって選ばれたイスラム原理主義に基盤を置く大統領が、非民主主義的な手段で排除されたという「逆説」は、現代社会のクラインの壺の「コード」の変化なのか。

今やアメリカ的な自由と民主主義というコードが普遍でなくなりつつあるのか。オバマ政権がどうのこうのという話ではない。アフリカの開発にとって、自由と民主主義が同様にデモクレイジー化していることも、コードの変化と見てとれる。私には、頂点に存在するアメリカ的市場原理主義にこそ問題があるように思う。いつになったら、人間はアマルティア=センの言う「市場を飼いならす」ことが可能になるのだろうか。そんなことを、このWEB記事と、エジプトのクーデターを元に漠然と考えていたのだった。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM01045_R00C13A7000000/?df=3

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