2021年8月31日火曜日

ブルキナファソの新しい罠

https://kinyu1.com/post-3521/
我がブログのタイトルは、”アフリカ”留魂録である。最低限月1回はアフリカの話題をエントリーしたい、そう考えて、31日の今日は「アフリカ 人類の未来を握る大陸」の第9章の内容をちょっと深堀したい。

先日、アフガンでテロを起こしたのは、ISISKだと言われている。IS自体は、シリアからイラクにかけて占拠していた地域を失い、カリフも姿を消している、しかしIS自体は世界各地に分散し存続しているようだ。

ところで、ブルキナファソの北部(すなわちサヘル地帯である)では、このところ金の採掘が盛んに行われている。外国資本の大規模な採掘現場もあるが、手掘りでやっているものが多いらしい。これまで、ブルキナファソの輸出品は、綿花ぐらいであったが、2020年には金が首位(なんど70%)に躍り出た。鉱業相によると年間50tが生産されているという。

問題は、この金の一部がISの資金源になっているようなのだ。ISが手掘りの採掘現場を押さえ、逆らう者を殺害し資金源にしているらしいのである。この金は、隣国トーゴに密輸されている。トーゴの鉱業相は、年間数十㎏しか取れないだろうと推測するが、実際”トーゴ産”として15tもの金がスイスに運ばれている。どれくらいがISの資金になっているのかは不明だが、決して少なくないはずだ。

かつて、ポール・コリアが、”資源の罠”や”紛争の罠”の理論を提唱した。最貧国ブルキナファソにとって、この金採掘は、たとえデモクレイジー(政府の独裁強化)に利用されなかったとしても、”紛争の罠”の呼び水となりうるようだ。北部に資金の豊かなISの拠点が出来つつあるのである。

”紛争の罠”で重要なのは、明日をも知れぬ貧困が、若い兵士を巻き込んでいくことである。ISなどの兵士になる方がまだマシと思う若者が存在する限り、”紛争の罠”は収まらない。ブルキナファソは、宗教的な対立のない平和な国である。最新のデータで、ムスリムが60.5%、キリスト教23.2%(カトリック19%、プロテスタント4.2%)となっている。実際に行って驚いたのは、墓地まで共存していたことである。それが、ISの浸透によってどう変化するか、不安でならない。特に、荒熊さんとフィールドワークした際に、ストリートチルドレンとあまり変わらないクルアーン学校の生徒たちが巻き込まれないか心配だ。

2021年8月30日月曜日

アフガンでの自衛隊法的制約

https://ameblo.jp/tank-2012/entry-12694838889.html
自衛隊の方々も忸怩たる思いであったと思う。自衛隊は空港外での活動に、法的な制約がかせられていたようだ。海外での自衛隊の活動は、PKOを始め、当事国(今回はタリバン)の同意がなければ活動できないことになっている。今回の邦人救出では、この法的な制約が、他国のようにバスを出し、それを警護して空港に連れてくるということを止めた。特にISISKのテロによって、邦人が空港までたどり着けなかったケースが出てしまった。

何度も何度も言うが、私は右でも左でもない。したがって、改憲論者でもなく護憲論者でもない。ただ、このような事態を受けて、今回のような緊急事態をも想定して、何らかの法的整備が必要だと思っている。

某R党の幹部議員が、「たった1人しか救えなかった。」などと言っているようで、それは必死の思いでアフガンに駆け付け、法的な制約で動けず忸怩たる思いをした自衛隊に対し、あまりに失礼である。

たしかに自衛隊と憲法第9条は矛盾した一面がある。しかし、戦後直後と現在では、それなりの時代的変化があることも事実である。どれだけ自衛隊を嫌っているかは知らないが、護憲というコトバが、ゼロ記号化しているように感じる。近々予想される選挙のために、自衛隊をなじるのはやめたほうがいい。政治家としてではなく、人としての評価が下がる。

ところで、タリバンも一枚岩ではなく、穏健派から強硬派まで揃っていて、先行きが見えない。今日の報道では、アフガンの人気歌手が殺害されたらしい。私は、穏健なマレーシアのイスラム教に接してきたが、シャリーア(イスラム法)に対し個人的な意思でかなりの範囲で自由裁量が可能であることも知った。これは反対にかなり狭量に捉えることも可能という二律背反が存在する。タリバンの認識では、「不信心者」は殺害することが神の意思と捉えているのだろう。たしかに、イスラム教では改宗はありえない。とはいえ、第三者から見ると、信じがたい。私はイスラム復古主義が全て悪であるなどとは思っていないのだが、いくら私でもタリバンは不可解にすぎる。

自衛隊を縛ったのも法、タリバンが振りかざす復古主義的な捉え方のシャリーアも法。人定法と神定法の大きな相違は有るけれど、法とはそもそも、人間の幸福を守るためのものであるはずだ。

2021年8月29日日曜日

大学時代からの親友のこと。

https://ja.wikipedia.org/wiki/
大学時代の親友が、卒業以来働いていた企業の取締役になった話を聞いた。彼には障がいをもつ妹がいた関係で、社会福祉学を専攻していたのだが、結局建設関係のレンタル業の営業になった。専門は高層ビルを建てるタワークレーンであった。最初は、職人さんたちにボルトを投げられたりして手荒い歓迎を受けたと言っていた。やがて人柄がいいので、顧客もつき順調に営業成績も伸びたのだが、後輩が上司になるという衝撃を2度も受ける。何度もやめようと思ったそうだ。だが、ダイヤモンドはどこでもダイヤモンドである。それを見てくれている人が必ずいるという激励を受け、歯を食いしばって耐えたそうだ。やっと営業所長になったが、2年で赤字の続く関連会社へ出向させられる。またまたくじけそうになるのだが、ここを黒字にして大成長させる。この姿を社長が見ていて、前代未聞で定年間際に取締役になるのである。

この親友の人柄は、40年以上付き合っている私も折り紙を付ける。懐が深い奴で数々の思い出がある。ダイヤモンドを見てくれている人がいて本当に良かった。

昨日、白秋ではなく、今も青春でありたいと書いたが、うーん、負けてられない。そんな思いに駆られたのだった。今まで十分理想に燃えてやってきたが、最後の最後まで理想に燃えていたいと思うのである。

2021年8月28日土曜日

白秋か青春か。

https://1201.yokohama/shuka181112/
「理想に生きることをやめたとき青春は終わる」という師の言葉が私の座右の銘である。数えきれないほど教え子諸君が卒業する際に書き綴ってきた。

ふと、今の自分はまだ青春なのか、朱夏なのか、白秋なのかと振り返る。このところブログで高校時代からの自分の評伝や教材研究の秘伝などを書き連ねてきたが、このマインドは白秋のような気もしないでもない。

現在63歳。第三者から見れば白秋なのだろうが、自分ではまだ青春の気概は失っていないつもりだ。40年近い教師生活の中で、いよいよフィニッシュを決める時期が近づいている。このまま、理想に生きる教師であり続けたいと思う。今、そんなことを改めて考えている次第。

追記:アフガンの自衛隊はなんとか無事に任務を完了したようだ。実によかった。ペシャワール会の皆さんは残留とか。中村哲さんの遺志への「義」を守ったのだろうか。であれば、私はその生きざまに拍手を送りたい。みなさん、どうかご無事で…。

2021年8月26日木曜日

ハイチとドミニカ共和国

https://www.youtube.com/watch?v=Rt1vwR-SoMU
アフガンの話題が沸騰している中で、ハイチの地震被害が忘れられようとしている気がする。ところで、ハイチがあるイスパニョーラ島の東には、ドミニカ共和国がある。ドミニカ共和国は教え子のM君がJOCVとして赴任した国だが、先日五輪の野球で銅メダルを取ったことでもわかるように、少なくともハイチのような後発開発途上国(中南米で唯一)ではない。ハイチはフランスの植民地で、世界初の独立した黒人共和国である。ドミニカは、旧スペイン植民地である。これは高校地理の常識。これだけを比較すると、ハイチの方がそもそも先進的な気がする。この両国の差はどうして生まれたのだろうか?前からそんなことを考えていたら、いい資料が見つかった。

http://www.js3la.jp/journal/pdf/ronshu52/52_matsumoto.pdf

ハイチは、独立後、奴隷を開放し、フランスの気づいた砂糖のプランテーションを小作農に分配した。つまり、小規模経営化した。先進的な政策だが、国際競争力は低下し、以後経済は停滞する。同時に、フランスへの独立の代償となる賠償金の支払いや軍事費の増大もあったようだ。また、技術革新や経済政策をフランスに依存していたので、独立後、開発を主導する指導者も現れず、停滞を招くのである。

一方ドミニカ共和国では、カリブ海の小国であったが、1940年、アメリカから関税士主権を獲得、輸入代価産業が発展する可能性が生まれた。トルヒージョ独裁政権下で、金融も含めた国内の産業発展の基盤が形成されたらしい。この独裁政権の評判は悪いが、現在ドミニカ共和国は、ジニ係数から見ても中産階級が育ち、中進国のレベルにあり、ハイチとの経済格差は5倍に拡がっている。

これ以上にも様々な内容が、上記のPDF資料にはあるのだが、およそこういう事実が分かった。結局、結局開発経済学的に見ると、ガバナンスの良し悪しが最大の要因であるような気がする。

2021年8月25日水曜日

口コミサイト 考


このところ、学校の口コミサイトを見ることが多い。口コミは、書き込み者の主観がかなり出てくるので、話半分で読むのがいいのかなと思う。

H高校の口コミは、ほぼ予想通り。まさにその通りだと思う内容が多かった。M高校の口コミもほとんど安心して読めるが、一部悪意を感じるものもあった。私立の高校もいくつか見てみたのだが、進学校であればあるほど、在校生や卒業生の評価は低い。

考えてみれば、こういう口コミに書き込む動機は、怒りや恨みのほうが圧倒的に多いと思う。進学校であればあるほど、制約が多くなるので、そういう想いは強くなるのではないかと邪推する次第。

高校に対する生徒側の評価は個人差があって当然。教育に絶対という概念は当てはまりにくいものだと今更に思うのである。

2021年8月24日火曜日

アフガン派遣自衛隊員に贈る

https://www.sankei.com/article/20210824-GKFHAM4UHJPBDNGMIRDPGPBYNM/
アフガニスタンに、自衛隊が邦人救助に向かった。さすがは自衛隊で、アメリカの撤退を受けて準備をしていたのであろう。カブール空港では銃撃戦も起こっており、かなり危険な任務であることは間違いない。最新鋭のC2は経由地での任務と日本への搬送、C-130H はカブール空港での直接的な救助任務であると思われる。

この度に及んで、自衛隊派遣を批判する勢力もあるようだが、これは「憲法9条を守れ」というゼロ記号で動いているとしか思えない。まさにドクマチックな人々である。何度も言うが私は、右でも左でもない。邦人救出は当然のことである。命がけでアフガンに向かう自衛隊員に対して、実に失礼極まりない。

私の教え子の中には、自衛隊に入った者もいる。H高校で、母子家庭でありながら母親を亡くし、姉と2人きりになった隣のクラスのサッカー部の生徒がいた。到底レギュラーになれるような生徒ではなく、ただ真面目が取りえなだけで皆から軽んじられていたが、幸いいじめられたりはしていないようだった。彼が、陸自に行くと伝えてくれた時、そんな状況から妥当な選択だと思った。彼の性格からも向いているように思えたので賛成し、激励した。彼がこの任務についているのかは分からない。だが、同じような境遇の隊員もいるにちがいないし、彼が行っているかもしれないと思って、無事を祈りたい。

三崎高校にも、自衛隊を志願している生徒もいる。将来のことを聞いた時、はっきりと「僕は日本を守りたいのです。だから、陸自にいくつもりです。」と言った。彼のしっかりとした志であるならば、それは止められないし、応援するべきだと思う。彼なら、進んでこの任務を志願するだろう。今は、高校生だが、先々同じようなことが起こるかもしれない。彼と同じように志をもって任務についている隊員もいるだろう。そんな隊員の無事を祈りたい。

今回のアフガン派遣に際して、ともかくも無事に任務を全うしてきて欲しいと思う。様々な法令の網があり、難しい立場ではあるが、我々一般人にはできないことである。重ねて言うが、とにかく無事であってほしいと祈るのみである。

ふと思ったこと。

一昨年の三崎まつり
三崎高校のある先生と話していて、今年の三崎まつりは中止の方向だと知った。あの奇祭を今年も塾の若い講師陣に見てもらえないと思うと悲しい。ふと、気が付いた。私は昔から、その学校の”良き時代”を必ず経験している、と。

三崎高校でも、三崎まつりはもちろん、せんたんミーティングもせんたん劇場も見ている。今はコロナ禍でなかなか難しい。全校で3クラスという超小規模校だったが、国立大学に4人も合格した。そういう意味でも”良き時代”だった。

マレーシアでのPBTも、最初に受け持った国費生(F36)は極めて優秀で、私が担当した総合科目の平均点は(教え方はもうひとつだったのに)信じられないほどよかった。浴衣を着て、パナソニックの盆踊り大会にも行けたし、当時皇太子であられた天皇陛下のマラヤ大学での講演、日本人会へのご訪問にも立ち会えた。新世紀リーダー塾にも生徒を送り出してマハティール氏と会ってくれたし、まさに”良き時代”を過ごしている。

その前のH高校でも、私が転勤した時は、各部活の大御所の先生方が健在であった。転勤後すぐに硬式野球の春季近畿大会で、藤波(当時O高校、現阪神)にコテンパンに抑えられる試合を見た。(笑)その後5年間のうちに、次々に体育の先生方が転勤させられ、若い講師が一気に増えた。私は”良き時代”に転勤したのだった。

さらにその前のM高校でも、転勤した頃は大阪外大が健在で、センター試験後、毎年何人かの3年生が、センターの点数と見比べながら、どの言語を選ぼうかと地理の教師である私に相談に来た。私の担任した3年の時に、大阪外大は阪大外国語学部となり、特に前期試験が一気に難化した。結局、神戸市外大に上位層は行くことになった。やはり”良き時代”を私は経験したのだ。

さらにさらにその前のI工業高校でも、T商業高校でも”良き時代”を経験している。主に教員間の人間関係の面で、若い教師を育てるという気風があった。

こういうラッキーさを私は持ち合わせていると、今更ながら実感したのだった。同時に、人間関係にも恵まれてきた。もちろん、とんでもない人間もいたけれど、およそ脇士として支えてくれた人々がいて、ホント幸せ者であると思う。

2021年8月23日月曜日

続 教員免許更新制廃止 考

https://p-choco.com/kyoinmenkyokoshin-haishi/
文科省が、教員免許更新制廃止する改正法案を通常国会に提出する見込みらしい。最速で23年度に廃止されるとのこと。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE039R80T00C21A8000000/

教員は、今、ICTの技術を各学校に即した形で学ぶ必要が絶対ある。私はPCでパワーポイント教材づくりが限界だが、本来ならオンライン授業ができるくらいに、もっと磨かなければならないところだ。

たしかに教員は忙しい。先日北海道旭川の2中女子のいじめ凍死事件での校長や教頭の対応は論外であるが、教員の多忙さの中で、何が最も重要かというポリシーが失われているような気がする。いじめの発見、早期対処などは大事中の大事である。だが、多忙な日常の中で安易な方向に流れる教員もいないとは限らない。

https://news.yahoo.co.jp/articles/f6843d32238597bd7bf3657c9c1c49c82bfe9832

以前、大阪では教員への批判をポピュリズムに転換させた事例がある。教員も様々。一般の方からしたら教員に対して良い思い出だけではなあるまい。だから悪者に仕立て上げることも可能だ。現場を理解することは極めて難しい。

そう、真面目に頑張っている教員のために、一刻も早く、こんな悪法は改正して欲しいと私は思う。

2021年8月22日日曜日

マレーシア新首相の件

王宮 http://seventhskyholidays.in/packages-sec/malaysia/
先日、マレーシア首相辞任の件をエントリーした。国王が下院議員の過半数の支持を得る人物を首相に任命するのだと述べたが、下院議員の定数222に対し、114人が支持するとしたイスマイルサブリ氏をスルタン会議(統治者会議)の後、任命したようだ。114人とは、かなり薄氷の過半数である。私はこの人物をよく知らないが、前副首相でUMNOなので、ナジブ時代以来の復権になる。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM208YL0Q1A820C2000000/

すなわち、私がいた時のUMNO出身でありながらUMNOを批判してマハティール氏が勝った総選挙結果は、結局元に戻ったわけだ。当時、汚職にまみれたUMNOのナジブ政権に批判的だった中華系の知人たちは、今回の政変について、どんな感想を持っているのだろう。気になるところだ。

2021年8月20日金曜日

笑福亭仁鶴 逝去の報

笑福亭仁鶴が逝去したという報道が流れた。昭和の大阪人としては、思い出深い落語家である。中学生の頃は、深夜放送をみんな聞いていた。私は、ラジオ大阪の”バチョン”をよく聞いていた。だから、仁鶴というと、”バチョン” なのである。

当時、SPレコードも出していて、B面の”おばちゃんのブルース”が好きで買った思い出もある。非常に味のある歌である。憂歌団の”おそうじオバチャン”と聞き比べると面白いと思う。

大阪では、当時無茶苦茶人気のTVタレントであったのだが、落語家としても素晴らしいことが後にわかった。私は大阪人だから、上方落語が江戸落語より当然大好きである。、仁鶴と古典落語の面白さで勝負できたのは故・桂枝雀くらいだったと思う。(人間国宝である故・桂米朝は別格)

仁鶴は大阪市生野区の生まれで、私と同じである。定時制であるが、私が15年も勤務したI工業高校のOBでもある。というわけで、少しばかりの縁もある。

82歳没という大往生であるので、逝去の報に驚くことはないのかもしれないが、上方落語の大看板がまた消えてしまったことに寂しさを隠せない。合掌。

八西CATVのインタヴュー

適当な画像がなかったので…。
伊方町は西宇和郡に属している。と、いっても今は伊方町だけだが。八幡浜市と西宇和郡を合わせた名前のケーブルテレビ局がある。佐田岬半島はアンテナでTVが見れない地域で、多くの家庭は、この八西CATVを使っている。同時にローカル局でもあり、地域の話題を提供している…らしい。らしいというのは、我が家にはTVがないので、見たことがないのだ。

その八西TVの取材というかインタヴューを今日受けた。これまで地域おこし協力隊のメンバー紹介ということで、我が塾の若い講師陣も順に取材を受けていて、いよいよ最後に私の番になったのだった。トリということで、塾内で取材を受けた。(講師の3人は、学校内や中庭で撮影したらしい。)実は、私はこういうのは大の苦手である。歳を取ったこともあるが、気恥ずかしいというのが先立つ。

事前に質問は聞いていた。”伊方町に地域おこし協力隊として来たきっかけ”とか”伊方で最も好きなモノか人か音”などである。伊方町にきた理由は、結局のところプリマ・ペンギーノという採用してくれた会社のすゝめで、番組的にはカットだと思う。講師3人は”伊方町の好きな場所”を話したらしいので、私にはそれ以外でお願いしたいという事だったので、少し悩んだが、結局”人”にした。本当は、毎月行くK医院のK先生やいつもお世話になっているM中学のA教頭先生、同じく郷土資料館のT学芸員、そして寮の食事の世話までしていただいているPTA会長のU氏の顔が浮かんだのだが、(TVのディレクター兼カメラマンのT氏は、全ての人と懇意であった。さすが地元局。笑)結局、三崎高校の教職員と生徒諸君に落ち着いた。

その他にも、”伊方に来て驚いたこと”では、我が家の前の畑の枇杷の木の話をした。以前ブログでもエントリーしたハクビシンが枇杷の実を食べていた話である。まあ、いろんな質問があったのだが、結局番組の尺は5分らしいので、上手く編集するのだろう。最後は、塾にいた3年生のO君と1年生のT君を脇士として手を振ることになった。きっと私だけ顔がひきつっていたのではないかと思う。(笑)

今日は、この取材以外にも、”広報いかた”(伊方町民への広報誌)の原稿執筆、未咲輝塾のFacebookの投稿、さらに塾生と結んでいるLINEの金曜コラムなどを書いた。もちろん、進学指導もあって、なかなか多忙な1日だったのだった。

2021年8月19日木曜日

隣国 最後の一線を越えたのか

https://katsu.blog/juris/2018/09/09/7188/
三菱重工業に支払う代金の差し押さえを隣国の裁判所が認めたと、例の訴訟の弁護団が発表したようだ。まあ、隣国は嘘ばかりつくので、どこまで信用できるのかわからないが、現金化とは少し違うものの、ついに一線を越えたのかと思わざるを得ない。

日本の立場は明らかで、国際法違反を看過してはならないと私は思う。出来る限り関わりたくはないが、五輪での騒動も含め、国民の怒りは頂点に達しているように思う。

日本政府は、速やかに用意している対処群、特に金融面での制裁を実行に移すべきである、と思う。でないと、なんでもかんでも「戦犯企業」などという仮想の「ゼロ記号」を使って、次々とタカってくることは容易に想像できるからだ。隣国の論理は架空の「物語」であることを世界に知らしめなければならない。隣国の国際的信用はかなり地に落ちているが、この蟻地獄に日本は引きずりこまれてはならない。

何度も言うが、私には在日の教え子や友人が数多くいる。彼らの全てが本国の非道に賛同しているとは思えない。あまりにおかしな優遇政策はこの際、是正される可能性は否定できないが、彼らの多くはまともな日本の教育を受けた人々だ。彼らを私は守りたい。

右でも左でもない私だが、改めて言う、最後の一線を超えた隣国を看過してはならない。

雷雨 眠れない長い夜

18日の夜は、就寝時刻から何か不気味な音がしていた。それが遠雷であることに気づいた。雨も激しくなり、やがて本格的な雷雨になった。以来、ずっと雷はなり続け、雷雲がかなり近くまで来ているようだった。

私は、ふと大阪で落雷のためTVがオシャカになったことがあるのを思い出し、PCの電源を抜こうと起き上がった。抜いた直後に近隣に落雷があった。こういう近隣に落ちる激しい雷音はマレーシアで嫌というほど経験している。とはいえ、慣れる性質のものではない。

すると今度は、不気味なサイレンが鳴った。三崎に来て何度か聞いた消防団関係のものである。激しい雨音で聞き取れないが、何かメッセージが伝えられていた。山林に落雷があって山火事がおこったのかもしれない。この豪雨の中、消防団の方々は大変である。朝、地域おこし協力隊員のT君より、亀が池温泉のほうで火事が起こっているとの画像がLINEで送られていたことを知った。

こんなに長いスパン(4~5時間)で雷雨が続いたという記憶がない。

眠れない長い夜になった。泉谷しげると松山千春の合体みたいなタイトルだが…。

2021年8月17日火曜日

緊急 マレーシア情勢について

16日、ムヒディン首相が、国王に辞任を申し出た。新首相が選出される迄は暫定首相にとどまるとのこと。

連立政権を構成していたUMNO(長年与党であり続けた政党)が離脱し、辞任を求め、過半数を維持できなくなったためであるようだ。ムヒディン政権は過半数をかろうじて確保してきたが、これでアウトである。コロナ禍ゆえに解散総選挙は現実的ではない。

日本なら、内閣総辞職なので、首相指名選挙が行われるところだが、マレーシアでは、国王が首相を指名・任命なさることになる。

なぜなら、マレーシア連邦憲法第39条に、「連邦の行政権は最高元首(=国王)に付与され」とあり、第40条に「最高元首は(中略)別に規定される場合を除き、内閣あるいは内閣の一般的権限の元に行動する一大臣の助言に従って行動する」第43条には、「最高元首は、自己の職務の遂行に際し、自己に助言を与える内閣を任命する(a)最高元首は自己の判断において、下院議会の過半数の信任を得そうな下院議員を、内閣を主催する首相として任命する」とあるからだ。

首相指名は行政権を持つ国王の権限であるが、全くの自由意志ではなく、下院議員の過半数の信任を得そうな下院議員を任命するわけだ。だから、国王は、全下院議員に対して推薦する人物を挙げるよう指示されたわけだ。

誰がその座に就くのかはわからない。ロイター電でも複数の名が挙がっているが、私の尊敬するマハティール氏の名はなかった。ならば、現在野党にある(前回の総選挙後に禅譲するとマハティール氏に言われていた)アンワル氏はどうだろうか、などと無責任な発言をしそうだが、ここは沈黙すべきところだ。

2021年8月16日月曜日

聖山アトスと黙示録

http://narajin.net/2007/02/post-76.php
「知の旅は終わらない」に、聖山アトスの話が出てくる。ギリシア北部アトス半島にある20の修道院群。ギリシア政府より大幅な自治が認められている世界遺産(1988年認定)である。(立花氏が訪れた1983年にはまだ登録されていない。)ここを訪れるのは容易ではなく、アクセスもさることながら、入国許可・滞在許可を得なければならない。完全に女人禁制で動物も猫(ネズミ駆除のため)以外の雌はご法度である。歌ったり、踊ったり、水にもぐったり、肉食したり、許可なく修道士の写真を撮ること、修道院内部の写真を撮ることも禁じられている。ただし、カトリコン(教会堂)の外側の壁画はOKだそうだ。

立花氏が見たかぎりカトリコンの壁画には、「ヨハネの黙示録」の図が描かれていたという。ヨハネの黙示録には、奇怪な獣が登場する。おそらく13章などに記された獣の図ではないだろうか。この事実を立花氏は『修道院の黙示録信仰の重要性を物語っています。』と書いている。さらに『もし世界の終末も、最後の審判も、死者の復活もないのならば、「私たちは飲み食いしようではないか。明日もわからぬ命なのだから」と、(自暴自棄になり信仰を捨てる可能性が高まる)と聖書にある。(中略)修道院に終末論は不可欠なのです。』と記している。(自暴自棄云々は私の注釈)

…私はブディストなので、キリスト教(というより一神教・三宗教の)の説く、子羊が出てくるとか、7つのラッパが鳴るとかいった黙示録に書かれているような終末を信じてはいない。仏教では、四劫=成住壊空(じょうじゅうえくう)と説く。よって、世界がいつか終わる(壊劫)のは必定だという立場だ。これは現代の天文学による科学的な論証もある。

…修道院を否定するつもりはないが、修道士が「大淫婦の支配する大いなるバビロン」を避けて閉じこもっている事は、決して好ましいとは思えない。禁欲的な彼らの生活はサルトルの言う対自存在であって、その上位にある対他存在たりえない。まあ、彼らからすれば無神論的なサルトルを使って批判しようとも屁でもないだろうが…。果たして、終末があったとして、彼らだけが天国に召されてそれでよしなのだろうか。少なくともバビロンの民を1人でも救うという選択肢はないのだろうか。イエスの説く神の愛とはそのような上座的・独善的なものなのだろうか。

…ブディストである私が、またまた語りえぬこと、沈黙すべきことを破っているような気がするが、この天災の多い今現在(洪水や山火事や異常気象が地球を覆い、地震がハイチをはじめ各地で起こっている)、そんなことを想うわけである。

せめて、ハイチの人々のために祈ってやってくれ。彼らは正教徒ではないが、同じクリスチャンも多いはずだ、と思う次第。

2021年8月15日日曜日

「死生観」は沈黙すべきか。

https://recotripp.com/spot/64464
立花隆の「知への旅は終わらない」の最後には、自己のがん体験や取材者の死をめぐって考えたことが書かれてある。1980年代後半から1990年代前半にかけて「脳死問題」に取り組んだ時に死の定義について徹底的に考え抜いたとある。臓器移植推進派との議論で、「あなたの死生観はどうなっているのか。」と問われ、虚を突かれ口をつぐんでしまったらしい。この問いにきちんとした答えを持っていないとあらゆる問題群(自殺・安楽死・脳死など)に対して答えようがないと考えるのである。

これらの死に関する問題群について、立花隆は面白い表現をしている。『結局、自己決定権がある場合は、その人の自己決定に従うしかないだろうし、神あるいは運命に決定権がる場合には、それに従うしかないだろうと思います。人の死生観に大きな影響をあたえるのは宗教です。(中略)どの宗教のグループに属するかによって、死生観は異なります。(中略)死後の世界が存在するかどうかというのは、(哲学的&科学的世界観にもとづく無宗教派といったところの)僕にとって解決済みの議論です。死後の世界が存在するかどうかは、個人の情念の世界の問題であって、論理的に考えて正しい答えを出そうとするような世界の問題ではありません。』この後、昨日エントリーしたヴィトゲンシュタインの「語りえないものの前では沈黙しなければならない。」かという言説が出てきて、立花隆個人の死生観は語られていない。

しかし、その後、立花隆は「臨死体験」のNHKの番組で、脳科学の最新の知見から、『死後の世界体験ではなく、死の直後に衰弱した脳が見る夢に近い現象であることを科学的に明らかにした。』『結局、死ぬというのは、夢の世界に入っていくのに近い体験なのだから、いい夢を見ようという気持ちで人間は死んでいくことができるんじゃないか。』と述べている。

…私はブディストであるから、たとえ情念の世界と言われようが、死生観を語ることが出来る。死は、生の延長線上にあるというスタンス(生死不二)だ。死は空仮中・円融の三諦として存在する人間の仮諦(肉体)が滅びるに過ぎない。空である人間の精神は輪廻する。ただ、その世で行った自己省察によって露わになる業(カルマ)を背負い(立花隆のいう)「夢」の世界へ入る。永遠の来世である天国も地獄もない。業に導かれた縁によって、新しい仮諦(肉体)を得た空諦(精神)はまた中諦(精神と肉体の融合)として新しい生を開始する。

…立花隆の調査・考察のうえにたどり着いた「哲学的&科学的世界観にもとづく死生観」に近いもののように思うのだが…。立花氏は、安心しながら夢の世界に入っていったのだろうと信じたい。合掌。

2021年8月14日土曜日

オッカムの剃刀

https://quotesgram.com/quotes-william-of-occam/
立花隆の「知の旅は終わらない」を再読している。最初の方に「オッカムの剃刀」という話が出てくる。これは、中世のスコラ哲学者・ウィリアム・オッカム(Wikipediaで調べると、イングランドのオッカム村のウィリアムというのが正しいらしい。)の発見した思考上の大原則で、「不要で非合理的な概念は全て剃刀で切り落としてしまえ。」という不要概念切り捨て法である。

このオッカムは、新プラトン派の影響か、アリストテレスの自然哲学も注釈した人物で、理性によって神の存在を理解しようとしていたようだ。当時のローマ教皇から異端として破門され、ミュンヘンに逃れ、そこでペストで死んでいる。

立花隆は、ここで「文章を書く際の指針」という表現を使っている。この本は、オッカムの剃刀で切り落とすべき部分を切り落としているのだとの宣言である。それはこの本の論旨もそうだし、文章表現についても言える。今回、久しぶりに立花隆を読んで、その読みやすい文章表現に感服した。広瀬隆の対蹠点にある”読みやすさ”である。

さて、このオッカムの剃刀、無意識ながら私も使っている。最も分かりやすいのは、自分の評伝をエントリーした際、最後にはからずも書いたとおりである。また、大学の志望理由書などを生徒に書かせる場合も無意識に使っている。制限字数の中でまとめ上げるために、実に重要なことである。

さて、立花隆は再入学した東大哲学科で、ヴィトゲンシュタインが最も面白かったと言っている。当時まだ知られていなかったヴィトゲンシュタインの分析哲学に魅せられ、古代・中世への耽溺から、現代の知に引き戻されたらしい。一方、ヴィトゲンシュタインには、有名な名言がある。「語りえぬことについて沈黙しなくてはならない。(Wovon man nicht sprechen kann, darűber muss man schweigen.)」この言葉を終盤、死生観のところで使っている。この死生観の話は、後述したいと思う。

2021年8月12日木曜日

立花隆「知の旅は終わらない」

先日八幡浜に出た際に、「知の旅は終わらない~僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと~」(文春新書/2020年1月)を購入した。これまで立花隆の本はそこそこ読んできた。この本は、”評伝立花隆”ともいうべき内容である。立花隆というと、「田中角栄研究」「日本共産党研究」が有名であるが、私はこの2冊は読んでいない。

立花隆のスタンスは、右か左か長年分からなかったが、彼のベースは両親の信仰していた無教会派のキリスト教であるそうだ。但し彼自身は無神論者である。中東の旅の視点や宗教の相違による死生観の違いを説く中で、キリスト教をよく研究しながらも、その価値観を共有していない。同様に、「田中角栄研究」も「日本共産党研究」も、それぞれよく研究しながらも、右でも左でもない。東大文科Ⅱ類時代は自治会にも入っていたが、共産党系でもブント・新左翼系でもなく、原水禁とも関係して原爆の映画上映をするために渡欧もしているが、以後は、日本の学生運動の浅さを実感したため、左翼運動から離れている。

いわば、マックスウェーバーの言う”天使”の如き立場で、冷静に第三者的に、物事を見てきた人だと言えるだろう。さらに、インタビューのための事前の勉強量が凄い。全く未知の分野でも興味がわけば徹底的に調べる。この二点ゆえに”知の巨人”と呼ばれていたわけだ。過去形で書いたのは、本年4月に逝去し、それが6月になって報道された故である。

私の読んだ立花隆は、Wikipediaのリスト順に「中核vs革マル」「文明の逆説 危機の時代の人間研究」「アメリカ性革命報告」「農協」「青春漂流」「天皇と東大」。もっと読んできたような気がしたが、中・後期の理系が対象のものはほとんど読んでいない。「天皇と東大」は内容的にも、物理的にもボリュームがあった(文庫本が発行されるたびに購入して読んだ。全4巻)ので、かなり読んだような気になっていたようだ。この本は凄い。日本の近現代史研究には必読の書だと思う。

また最も好きなのは「文明の逆説 危機の時代の人間研究」である。友人に勧めたら、口コミでかなり広まり、近所の書店に山積みされていたという逸話がある。

この本の書評はもう一度読み直してから後日エントリーしたいと思う。

私の好きな作家の一人であった。もし氏が存命で元気であったなら、かのアメリカ大統領選挙のデモクレージーやコロナ禍について、信用できる論評を発表していたこと思うと残念でならない。立花隆氏のご冥福を心から祈りたい。

2021年8月11日水曜日

続 蒼い石垣の修復

朝7:00すぎに、蒼い石垣の修復作業が始まった。曇天。こういう機会はめったにないので見学させてもらった。顔は写さないということで撮影許可も得た。

最下部に大きな石を置くのは当然だと思うが、元にあった平石は使わないことに決められたそうだ。他の最下部の平石に比べて小さいとの判断である。崩れた部分の石垣を積みながら、内側に比較的小さな石を放り込み、土をかぶせるという作業を何段階に分けてやっていかれる。

途中、井野浦のお宅の庭にあった蒼石(海岸で拾ったそうだ)を持っこられて、今回はこれを使って補強されるとのこと。運ぶ方法は、コンテナ(プラスチックの丈夫な箱)に入れて昔ながらの背負子。この背負子から、昔の苦労話も聞かせていただいた。

結局3時間強の修復作業であった。晴れていなくてホント、幸いだったというようなお話を最後に作業は終了。その後、小一時間ほどして、雨が降ってきた。この雨で土にまみれた蒼石が洗われ、生業の美が復活するはず。…ご苦労様でした。凄く勉強になりました。

2021年8月10日火曜日

蒼い石垣の修復

蒼い石垣が崩れる度に記録した画像
伊方町には、いろいろな魅力があるのだが、私は「蒼い石垣」の美しさが一番だと思っている。平地の少ない佐田岬半島で段々畑をつくるのに、名産の蒼い石を使っているのである。いわば、厳しい環境を生き抜いてきた証、生業の美である。

先日の台風(直撃したわけではないが豪雨だった。)で、教職員住宅前の畑の石垣が崩れた。豪雨がやんだ昨日の夕方のことで、何やら変な音が2回したので、出てみたら目の前の石垣が崩れていた。さらに2度崩れた。畑のオーナーとは顔見知りだが、連絡先が分からない。そうこうしていたら、先ほどオーナーのご主人が修復に現れた。

農業をやるということは実に大変だ。自然が相手だし、予想外の困難が突然来る。ちょっとお話したのだが、「知り合いが崩れていることを教えてくれて、来てみたら心配していた昨年崩れた場所ではなかったので意外だ。」と、言っておられた。

石を集め、土を集め、これから修復されるのだが、私などは何もできない。

2021年8月9日月曜日

チョコモナカ・ジャンボ

オリンピックが終わった。そんなに熱心に見ていたわけではないのだけれど、日本が金メダルをはじめ史上最高の成果だったようで、素直に賛嘆したい。(私は体育系の人間ではないので、)メダルをとれなかったアスリートにも十分に頑張ったのだからよかったではないかと思う。そもそもオリンピックに出れるだけでも凄いのだから。どこかの国のように、勝負にこだわりすぎるのは、どうもいただけない。

隣国のオリンピック破壊活動や、さらにその宗主国の不規則発言やラケット疑惑など、不愉快なニュースもあったが、多くの国の人々には、例の「オモテナシ」というちょっと気色悪いパフォーマンス的な約束は守られたのではないかと思う。

ところで、日本のコンビニ商品の賛美が様々なSNSで世界中に発信されたらしい。”チョコモナカ・ジャンボ”が最高だという発信が特に印象に残った。(血糖値の関係で)長いこと、アイスクリームの類を食べていないのだが、私は死ぬ間際にこのチョコモナカ・ジャンボが食べたい。あと”きんつば”、”桜餅”、”みたらし団子”、”草大福”、”あんこ入りの揚げパン”…。これらを食べてから死にたいなあと思っている。(笑)

今回の私のオリンピック最大のインパクトは、柔道でも野球でもサッカーでもなく、”チョコモナカ・ジャンボ”であった。

2021年8月8日日曜日

秘伝 教材研究(世界史編)Ⅶ

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WW1は「総力戦」になった。傭兵から国民皆兵となり兵士の補充は容易で、しかも生産性が上がったので武器生産の補充も容易で被害を拡大させた。戦費は国債で賄いうようになったので、そう簡単に終わらなかった。塹壕戦といった酷い消耗戦になる。

結局、ドイツ革命がWW1を終わらせた。ドイツ軍人からすれば、ボクシングでまだ戦えるのにタオルを投げられたようなものだ。しかもドイツ国内は戦場になっていない。この後、ケインズが席を立ったといわれるほど過酷なベルサイユ条約が結ばれる。天文学的な数字の賠償金、海外領土のはく奪、軍備の縮小、フランスへの領土割譲…。

この賠償金は、特にイギリスのアメリカへの負債額と関係している。史上初の総力戦は莫大な経済的効果(?)を生んだわけだ。国是のモンロー主義を破ってのアメリカの参戦も負債にならぬように保険を掛けたものだ。ドイツでは、ルール工業地帯の差し押さえ措置で、ヤケッパチになり紙幣増刷を行いハイパーインフレに突入する。

この混乱した状況下で、ナチが台頭する。ドイツ革命の参加者にはユダヤ人が多い。(そもそもマルクスはユダヤ系である)ハイパーインフレを招いた金融界を握っているのもユダヤ系が多い。この論理で、ベルサイユ条約破棄、ユダヤ人排斥に動き出す。SAという私設の暴力装置も、うまいプロパガンダも効果的に働き、ミュンヘンカンプ以後、議会選挙で得票を伸ばした。とはいっても3割が限界で、共産党を攻撃しながら、財界や中間層を味方につけていく。

おりしもデノミ政策とアメリカの投資でドイツ経済は持ち直していたが、1929年の世界大恐慌でドイツ経済もどん底に落ち込む。これをナチは意外に旨く乗り切る。ケインズの有効需要理論をもとに、アウトバーンの工事、さらに軍需へと拡大していったのだ。(最も早くこの大恐慌を乗り越えたのは高橋是清で、それまで反対だった軍需を推進し有効需要を創出した。)やがて、ナチは当時最も民主的とされたワイマール憲法を蹂躙する。三権分立を破壊した時限立法:全権委任法である。行政に憲法以上の権力を集めることに成功した。ヒトラー政権化の独裁の完成である。

「民主主義を無制限に信用してはならない。ナチが得た得票は3割だが、独裁体制を築いた」とは、アウシュビッツを案内してくれた日本人ガイド中谷氏の言である。

過去から教訓を得る事が歴史を学ぶ意味であるならば、この民主主義への疑念が第一ではないかと私などは考えている。

秘伝 教材研究(世界史編)Ⅵ

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近代国家論は、世界史の中で極めて重要だと私は思っている。民主主義、資本主義、国民国家(=国民皆兵)を先に実現した国が先進国となっていくからである。先のエントリーで示したが、資本主義を最も早く確立したのはイギリスである。よって、アダム=スミスらの自由放任の自由主義経済学やリカードの自由貿易の比較優位性を説く経済学理論が登場する。本日は、その自由貿易と保護貿易の法則性についてである。

フランス革命後、ナポレオンがヨーロッパ大陸をほぼ支配下に置いた際、大陸封鎖令を出したが、これはフランス主導の対イギリスへの保護貿易政策と言える。一人勝ちのイギリスに保護貿易で打撃を与え、フランスの産業育成を図ろうというものだ。

保護貿易を一定期間行い自国の産業を育てた国が先進国になる。これも歴史の法則性である。この大陸封鎖令に従わなかったロシアを懲らしめようとしてナポレオンは没落する。だが、この保護貿易政策は、フランスの資本主義化を進めたし、神聖ローマ帝国時代は領邦国家で分裂状態だったドイツを統一したプロイセンのビスマルクも保護貿易を行っている。ビスマルクの功績は、鉄血政策による統一政策が第一とすれば、保護貿易を行ったことが第二であろうと私は思う。

弱肉強食の資本主義に勝ち残るためには、自国の産業育成が欠かせない。保護貿易に走ることは正しい選択なのである。(戦後、IMFや世銀が独立した途上国に行った自由貿易の推進は、欧米に従属させるための方策にしか私は見えない。)

この自由貿易と保護貿易という二律背反を学ぶのに最も適した教材は、アメリカの南北戦争である。ちなみに、アメリカでは極めて単純に”Civil war”(=内戦)と呼ばれている。博物館などで最初は何のことかと思った。”南北戦争”というのは日本語なのである。

この南北戦争、1812年の米英戦争で、はからずも保護貿易状態となり、工業化が進展した北部と、対英貿易=綿花のプランテーションで経済を支えていた南部の対立である。ここに、奴隷制の問題(自由州と奴隷州のバランス)が絡んで、保護貿易推進と北部と自由貿易推進の南部という図式が生まれたものだ。結局北部が勝利し、保護貿易で成長した工業がアメリカの経済を押し上げる。勝てば官軍で、奴隷制廃止の正義のための戦争などと昔私は習ったが、実際は保護貿易か自由貿易かという経済的対立が主因である。

ともかくも、英仏が近代国家化し、ドイツ、アメリカもそれに続く。日本はもう少し遅れて近代国家化していく。やがて、WW1前には、生産力でドイツ、アメリカが英仏を追い越していくのである。帝国主義の時代である。ビスマルクを失脚させ植民地の再編を目指したヴィルヘルム2世によって、対決の扉が開かれてしまう。

2021年8月7日土曜日

秘伝 教材研究(世界史編)Ⅴ

フランス革命は、きちっと教えた方が歴史の面白さがわかる。アンシャンレジームや、三部会の構成。特にフランス革命の始まりとなった三部会での評決方法の揉め事は、既得権益を持った聖職者と貴族階級の欺瞞を象徴している。ラファイエットのような進歩主義的な貴族(ヨーロッパの歴史を見ると意外に多い。)もいて、初期の革命をリードする。ただ、ラファイエットは王権を揺るがす気はなかったようで、パリの市旗(赤と青)の間に王家の白を入れて三色旗をつくったと言われている。

ところが、ルイ16世は政治に興味がなく、錠前作りが趣味だったという徳川家定のような人物で、王妃のマリーアントワネットは実家のオーストリアに助けを求めたので話がややこしくなる。歴史に”if”はないが、賢明なる人物であれば、イギリスのような立憲君主制に移行したと思われる。王家の姿勢にあきれた民衆の怒りが、その後のフランス革命を揺り動かすことになるのだが、ここで様々な議会制が生まれていく。ラファイエットなどは、今でいう普通選挙などの発想はなかったようだが、結局無産階級も含めた普通選挙まで行きつく。この後成立した国民公会が、ルイ16世を処刑、当時の対仏大同盟と戦うにあたって徴兵制をしくのである。この頃の政治家としてはジャコバン派の恐怖政治・ロベスピエールが有名であるが、その前のジロンド派が徴兵制を決めたらしい。

この徴兵制=国民皆兵制度こそが、近代国家論の要である。それまでの封建領主や絶対君主に金で雇われた傭兵による戦争を大転換させた。以後4次にわたる対仏大同盟を戦いえたのもこの国民皆兵制度によるところが大きい。その後のナポレオン戦争では、彼のカリスマ性や戦略もあるだろうが、これに加えて自由を拡大する革命軍という他国の民衆の支持があったことも重要である。このナポレオンの勝利が、ヨーロッパ中に国民皆兵制を拡げるきっかけとなった。思い起こしてほしい。ヨーロッパの社会構造は、ギリシア・ローマ以来、戦争に参加できる「自由な個人」と参加しない「不自由な共同体」という二重構造であった。フランス革命は、普通選挙でこの二重構造を根底から破壊した。故に「自由な個人」だけの社会構造になったわけだ。これは、国民皆兵制と完全にリンクしている。

近代国家の三要素は、民主主義、資本主義、国民国家(=国民皆兵制)である。イギリスは、民主主義、資本主義を経て、国民国家=国民皆兵になる。フランスは、民主主義、国民国家=国民皆兵を経て、資本主義化する。ちなみに日本は、まず国民国家=国民皆兵、資本主義(殖産興業)、最後に民主主義(憲法・帝国議会開設)という順で近代国家化される。明治政府が近代化のために最初にやったことは、山県有朋の提案によって廃藩置県して徴兵制を取り、政府の常備軍を農民主体で作ったことであった。学制もその目的のために整備されている。私自身は、山縣有朋は好かないが、近代国家成立の功労者であることは認めざるを得ない。

フランス革命を学ぶことは、近代国家論を学ぶことであると私は思う。

秘伝 教材研究(世界史編)Ⅳ

https://news.livedoor.com/article/detail/17115196/
盆休み期間に入ったので、世界の教材研究についてのエントリーを再開したい。今日は、イギリスの産業革命のことである。産業革命と聞くと、綿工業の技術革新や蒸気機関の話が多いのだが、私は経済的な話を主軸にしている。

ポルトガルやオランダ、フランスとの海外覇権を競い、インドを手中に収めたイギリスは、インド製の綿製品をヨーロッパにもたらした。この貿易で莫大な儲けを得た。それまでのヨーロッパは毛織物が主であったが、綿製品の需要が爆発的に拡大した。独占的な貿易で儲けいている綿製品輸入業者に意外な敵が現れる。それはイギリス議会である。議会には、旧勢力が多く毛織物業者からの要望を受け、「綿製品輸入禁止法」なるものを可決する。要するに後ろ向きの毛織物業者を守ろうという法律だ。こういう話はあまりメジャーではないが、民主主義というものの本質を突いている。(こういうマイナスの経験値こそが先進国の宿命である。)

さて、窮地に立たされた輸入業者は、原料(綿花)の輸入は禁止されていないのをタテに、貿易業から綿製品生産業へと変身する。ここで、重要なことは、まず起業する資金が莫大に蓄積されていたこと。需要は大きく綿製品を供給すれば必ず売れるという状況であったこと、イギリスのは毛織物工業のスキルがすでに存在していたこと、自由な賃金労働者が多数存在していたことなどの、綿工業成立・発展の条件が揃っていたことである。

なにも技術革新ありきではない。完全に敗北した毛織物業者も綿織物に転換するのは歴史的必然、ここに綿工業の技術革新、機械化を推進した蒸気機関の発明、さらにぺニン山脈の鉄鉱山と炭田が製鉄業を育成して、産業革命が進展するわけだ。ちなみに、当時のヨーロッパにおけるイギリスの哲学は経験論、自然科学の発達を促す素養があった。新技術の発見は、そういう経験論的な実験重視の姿勢にある。

ヒト(エンクロージャー以降、都市には自由な賃金労働者がいた)、モノ(綿工業を発展させた毛織物工業のスキル)、カネ(インドからの綿商品輸入で蓄積された莫大な資本)が揃っていたから、産業革命が起こったのである。

さて、明治初期、岩倉使節団が、イギリスでの見聞の中に、当時のイギリスの労働者の悲惨さが綴られている。日本がこのような状況になることを危惧していたのである。実際、就業時間も無茶苦茶な長時間だったし、就学という概念もないので児童労働は当然。(それ以前も児童労働はあったが、著しく可視化されたといったほうがいいかも。)労働者の平均寿命も15歳(エンゲルスの調査なので?が付くが、かなり早死であったことは間違いない)。繰り返すが、先進国と言うのは、こういうマイナスの経験値の蓄積の代名詞である。

この中からチャーチスト運動や社会主義運動が発生するのは必然のように思われる。ちなみに、イギリスは、これら参政権や社会権の獲得については、段階的でゆっくりと進んでいくのが特徴的だ。大陸のような急進的、革命的な運動にはあまり発展しなかった。

だが、マルクスの言う階級闘争と呼ぶにふさわしい社会的格差は今なおイギリス社会の中に厳然として存在しているわけだ。

2021年8月6日金曜日

夏季研修の講師を務める。

伊方町の小中学校の先生方に、夏季研修という場で、これまでエントリーしたように、ESDのアクティビリティの紹介をさせてもらった。50人ほど先生方が来ていただいたが、やはり、「愛媛まじめ」な雰囲気であった。(笑)

大阪なら、”ものランゲージ”を見に来たり、触りにこられたりするはずだ。そういうアクションは全くなし。何度か笑わせたけれど、5分に1回というわけにはいかない。(笑)

とにもかくにも、予定通り、T先生の残り時間(と言っても30分ずつという感じ)をギリギリまで使わせてもらった。

お世話いただいたN先生はじめお世話になった先生方、ご清聴いただいた先生方に心からお礼を申し上げたい。

…明日から、塾も事実上の夏季休業に入る。

2021年8月5日木曜日

泣けるクマゼミのアニメ

夏真っ盛りである。セミの鳴き声がうるさいくらいだ。マレーシアでは一年中夏だからか、セミの鳴き声はついぞ聞かなかった。日本に帰国して初めてだった昨年の夏は、三崎のセミの鳴き声の多さ・大きさに驚いた。しかしまあ、これも夏の風情である。

朝から妻が、大阪弁のYouTubeを見ていた。クマゼミの一生のアニメだった。妻は涙目で見終わった。改めて、見てみたら、実にいい。何より大阪弁が柔らかい。(超お勧めである)

https://www.youtube.com/watch?v=2dzkYmFWHfs

ちょうど、我が教職員住宅の廊下で、セミとカナブンが死んでいた。私は虫を素手では触れない都会人なので、箒と塵取りで二匹の亡骸を前の畑の方に移動させた。コンクリートは冷たかろう。蟻が亡骸をうまく処理してくれると思う。大きな生態系の中で、そのほうがはるかに彼らを供養できるような気がしたのだった。

2021年8月4日水曜日

バミューダの金メダリスト

バミューダ・トライアングルで有名な英領・バミューダは、今回のオリンピックで伊方町が応援する地域である。昨日書いたが、町内の小中学校の教育実践を見ていて、ある小学校が、バミューダの選手(女子トライアスロンとパラリンピックの車椅子陸上)とオンラインで交流していたことを知った。そのトライアスロンの選手が、なんと先日金メダルを取ったのだった。

ところで、月1回の地域おこし協力隊の連絡会が、今日、町役場であった。なんと、外壁にはりっぱな「祝金メダル」の垂れ幕が出ていた。庁内に入ると、バミューダの紹介とともに選手の活躍を伝える展示があって、町を挙げて喜んでいることに趣を感じる次第。

バミューダは、大西洋に浮かぶ、ダックスヘブンと観光の島である。2005年には1人当たりのGDPで世界最高を記録したこともある。決して貧困にあえぐような場所ではない。

ともにもかくにも、交流した選手が金メダルを取ったことに、子供たちは大喜びしただろう。目に浮かぶ。ほんと、イイネ!である。

2021年8月3日火曜日

伊方町の「義務教」考2

伊方町内小中学校ののESD的取り組み 人権はきっと2学期に取り組まれると思う
講演準備の話の続きである。伊方町内にある複式授業の小学校でもできるようなESDのアクティビティといえば、”ものランゲージ”や”フォトランゲージ”になると思う。今回は、マレーシアとジンバブエの”もの”を持参して、”ものランゲージ”をやろうと思っている。伊方町には、町見郷土資料館という、すばらしい学芸員さんがいるところがある。おそらく郷土史に関わる資料なども貸していただけるはずだ。この学芸員さんは、教育委員会所属だし、三崎高校も含めた各校によく来られている。”フォトランゲージ”は、もっとイージーである。昔は書籍からカラーコピー(無茶苦茶高かった)して台紙に貼ったりしてやったものだが、今やネットで画像は探し放題、見放題である。まして、伊方町の児童生徒はタブレットを1人ひとり持っている。自分で探すことも、写すことも可能である。今回は、イスラエルとポーランドの私が撮った画像を用意した。(もちろんパワーポイントである。なんと便利になったことか…。)

これだけでは悲しいので、”ウーリーシンキング”(これはマレーシアから船便で届いているので手元にある)と”バーンガ”を、実際にはやれないがパワーポイントで解説しようと思う。ネットにある関連ページも紹介できそうだ。

私のオリジナルのボードゲームや仮想世界ゲームなどは、かなり難易度が高いので、今回は紹介できない。残念だが、仕方がない。

今日は、今回の講演のメインである三崎高校の地方創生の中心者・T先生と打ち合わせをした。私は残り時間をもらって、制限時間の中でやるつもりである。ちなみに、T先生は、本来なら県の教員研修会で同じ内容の報告をする予定だったのだが、愛媛県全体で一気にコロナ禍がぶりかえしたようで、中止になったそうだ。町の方は、コロナ禍の拡大はないが大丈夫かなあと心配されていたのだった。

2021年8月2日月曜日

伊方町の「義務教」考

今週の6日(金)に、伊方町内の小・中学校の先生方の夏季研修の講師をさせていただくことになっている。タイトルは、ESD(持続可能な開発のための教育)についてである。

ところで中学校はともかく、小学校でどんな教育実践をされているのか、皆目見当がつかない。そこで、各校のHPにある毎日の学校日誌を少なくとも今年度分(1学期分)を読ませていただいた。伊方町は、旧町でいえば、伊方、瀬戸、三崎の三町が合併している。各旧町に中学校が1校ずつ。小学校は、伊方が2校、瀬戸も2校、三崎は1校あるので、計3+2+2+1で8校分を読んだ。ちょっと目がショボショボする。メモしながら読んだのだが、いくつか面白い発見があった。

その1:全ての学校が「青年赤十字」に児童・生徒を入れていること。これは、世界の平和と人類の福祉に貢献できるよう日常生活の中で実践活動するというものである。全国で1万校以上が参加しているらしい。調べてみて、初めて知った。

その2:多くの学校(記載がなかっただけで全校の可能性がある)で「緑の少年隊」に児童・生徒を入れていること。これは、公益社団法人 国土緑化推進機構がつくったもので、全国で2626校が参加しているようだ。どんな団体かは容易に想像がつく。

その3:タブレットを伊方町がすでに用意し、(出前塾で中学を訪問した時、その事実を知った)小学校全児童にも配布していること。県よりはるかに進んでいるし、ムーブノートという町教委が用意したアプリ入りのタブレットを使ったGIGAスクール化が進んでいる。校内の集会やオンライン交流(伊方町の応援するバミューダのオリンピック選手=”クロスカントリー女子で金メダリストになった”やパラリンピック選手との交流)、他校を結んだリモート授業、さらには各教科での使用が、かなり行われていることがわかった。小学生でもZOOMも使いこなせるようだ。

その4:全ての学校が、防災に対しての意識が高く、訓練や防災の調査・研究が盛んであること。総合的学習で防災マップを作った小学校もある。地震、津波、土砂災害、火災など様々な対応を考えている。また青年赤十字との関連かもしれないが、救命救急法の講習を実施している。

その5:全ての学校で、芋やオクラなどを植えて育てている。特に旧瀬戸町はIMOプロジェクト(芋をもっと多くの人に!という東大主導のプロジェクト)を推進している。IMOは芋の意味らしい。国際海事機関ではない。かなり調べて、ようやく分かった。(笑)

その6:高齢者施設とオンラインで結んだり、保育所へ里帰りと称して訪問したりしている学校も多い。

各旧町や各校で様々な取り組みをされていて、ESDと関わるものも多い。また、生徒数の格差があって、小学校でも全校生徒145名の学校もあれば、20名で「複式授業」(複数の学年を同じ教室で学ばせる)をしているところもある。

偉そうに、ESDの理論的解説をすることはやめた。頑張っておられる伊方町内の義務教の先生方に私の教育実践(特にアクティティ)から、ヒントになるようなものを選んで紹介しようかなと思っている。特に複式授業の小学校でも可能なようなものを選びたい。それが、今日の結論。

2021年8月1日日曜日

トライアスロンとガンダム

https://comedydouga.com/2ch/2021/08/01/400397/
オリンピックの話題が色々発信されている。中でも日本らしいのは、トライアスロン競技のコースに実物大のガンダムがあったことで、世界中で話題だそうだ。実にクールだとか、感激したとか、日本でしかありえないとか、ゴジラはいないのか?とか、大反響なんだとか。こういう仕掛けは良いなあと思う。

開会式は結局よく見ていないのだけれど、ミュンヘン大会でのPLOによるイスラエル選手団暗殺事件に対しての黙とうが捧げられたことに、ユダヤ系の人々から賛辞が届いている。演出家の過去を批判されての辞任を受けての贖罪なのか、それ以前から企画されていたのかはわからないけれど、この企画もいい。閉会式でも、フクシマをはじめ世界平和への黙とうを是非してほしい。これも実に平和を国是とする日本らしいスタンスだ。

一方で、相変わらず隣国が馬鹿をやらかしている。元国連事務総長が開会式後、天皇陛下と2人で会談した云々などと、大嘘をついている。陛下が宮内庁や外務省を通さず外国の要人に会われるはずがないし、まして個人的な政治的発言をされるわけがない。憲法の天皇の国事行為の規定など知らない馬鹿だから、勝手な大嘘をつけるのだろう。とんでもない奴だ。陛下に対する不敬も甚だしい。オリンピック憲章を平気で破る選手も、各国を誹謗中傷する開会式中継をした放送局もだが、こいつは完全にペルソナノングラータだなと思う。こんな大嘘つきが国連事務総長だったとは信じがたい。以後入国を禁止すべきである。

今回のサッカーで隣国と当たって選手が怪我でもしたらいやだなと思っていたら、準々決勝で隣国はメキシコに負けていた。メキシコ戦でも顔面頭突きをしたらしい。全くどうしようもない国だ。どんどん敵を作っていく。

…とにかくこれで日本と戦うこともない。ちょっとホッとしたのだった。