2021年8月30日月曜日

アフガンでの自衛隊法的制約

https://ameblo.jp/tank-2012/entry-12694838889.html
自衛隊の方々も忸怩たる思いであったと思う。自衛隊は空港外での活動に、法的な制約がかせられていたようだ。海外での自衛隊の活動は、PKOを始め、当事国(今回はタリバン)の同意がなければ活動できないことになっている。今回の邦人救出では、この法的な制約が、他国のようにバスを出し、それを警護して空港に連れてくるということを止めた。特にISISKのテロによって、邦人が空港までたどり着けなかったケースが出てしまった。

何度も何度も言うが、私は右でも左でもない。したがって、改憲論者でもなく護憲論者でもない。ただ、このような事態を受けて、今回のような緊急事態をも想定して、何らかの法的整備が必要だと思っている。

某R党の幹部議員が、「たった1人しか救えなかった。」などと言っているようで、それは必死の思いでアフガンに駆け付け、法的な制約で動けず忸怩たる思いをした自衛隊に対し、あまりに失礼である。

たしかに自衛隊と憲法第9条は矛盾した一面がある。しかし、戦後直後と現在では、それなりの時代的変化があることも事実である。どれだけ自衛隊を嫌っているかは知らないが、護憲というコトバが、ゼロ記号化しているように感じる。近々予想される選挙のために、自衛隊をなじるのはやめたほうがいい。政治家としてではなく、人としての評価が下がる。

ところで、タリバンも一枚岩ではなく、穏健派から強硬派まで揃っていて、先行きが見えない。今日の報道では、アフガンの人気歌手が殺害されたらしい。私は、穏健なマレーシアのイスラム教に接してきたが、シャリーア(イスラム法)に対し個人的な意思でかなりの範囲で自由裁量が可能であることも知った。これは反対にかなり狭量に捉えることも可能という二律背反が存在する。タリバンの認識では、「不信心者」は殺害することが神の意思と捉えているのだろう。たしかに、イスラム教では改宗はありえない。とはいえ、第三者から見ると、信じがたい。私はイスラム復古主義が全て悪であるなどとは思っていないのだが、いくら私でもタリバンは不可解にすぎる。

自衛隊を縛ったのも法、タリバンが振りかざす復古主義的な捉え方のシャリーアも法。人定法と神定法の大きな相違は有るけれど、法とはそもそも、人間の幸福を守るためのものであるはずだ。

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