2013年5月31日金曜日

ギニアの高齢者は一つの図書館

オスマン・サンコン氏HPより
昨日は、日経ビジネスが届いたので、その記事をエントリーしようと思ったのだが、突如TVから極めて不愉快なニュースが飛び込んできたので、気分がのらずエントリーを中止したのであった。

と、いうわけで、今日は気分を変えてエントリーしたいと思う。(まだ怒りがおさまらないのだけれど…。)最近は、三浦雄一郎さんとか小沢征璽さんとかいったおじいちゃんが頑張っている。で、今朝の朝日新聞のTICADⅤ関連記事の中の「耕論/(アフリカ人が)日本に住んで思うこと」である。ボツワナ、ガーナ、そしてギニア人の寄稿が載っていた。アフリカの経済に関する期待の記事が多い中、こういう記事はいいなあと思う。なかでも、オスマン・サンコン氏(ギニア人のタレント)の寄稿が興味深かった。

いじめにあった経験を述べた後、サンコン氏は大津のいじめの自殺事件について信じられないと言う。「本来、社会で生きるためのルールやしつけを学ぶのは家庭。学校は知識をつけるところだ。日本人の親はしつけを学校に任せすぎのような気がする。」と家庭や地域の教育力の必要性を主張した後、日本に呼び寄せた母の介護の実体験を語る。そしてサンコン氏は最後にこう語るのだ。

「40年近く住む日本は本当に大好きだし、僕の体の半分は日本人だと思っている。アフリカ開発会議を開催してくれて僕たちの国のことを考えてくれるのもありがたい。だけど、家族愛とか絆とか、日本人が失いかけていることもある気がする。ギニアは家族同士の絆が今も強いし『一人の高齢者が亡くなったら、一つの図書館がなくなるのと一緒』という言葉があるくらい、お年寄りを大切にする。日本が一方的にアフリカを支援するんじゃなくて、お互いのいいところを交換し合いながら交流を深めれたらいいね。」

…持続可能な開発に関わる様々な協力の記事もいいが、こういう記事こそ、TICADⅤを機に読みたい記事だと私は思う。

<サンコン氏のHP> http://123khon.com/

2013年5月29日水曜日

ナイジェリアの石油海賊の話

人口大国ナイジェリアの喧騒
昨日の朝日新聞の朝刊にナイジェリアの海賊の話が載っていた。TICADⅤ真近か故に、このところ景気のいい話が多いのだが、久々にアフリカの暗部をえぐるような記事だった。これもまた現実である。是非ともエントリーしておこうと思う。

私はあまりナイジェリアには属性を感じていない。アフリカについてかなりエントリーしているが、人口大国であり石油大国の重要な国でありながらナイジェリアのエントリーは極めて少ない。こんなにアフリカを愛しているのに、行きたいと一度も思ったことがない国なのだ。様々なナイジェリアの紀行文を読むと、行く気がそがれるような話が多いのだ。今回の話もそういう延長線上で書いてしまうが、お許しいただきたい。

ナイジェリアの主要油田は、ニジェール川のデルタ地帯にある。この油田はもちろんヨーロッパ資本で、環境破壊も凄いらしい。なによりレントが政府の一部の政治家に流れ、地元には還元されていない。以前から油田に対し武装攻撃することで、外国企業をおどして金銭を得ていた現地勢力のことが報道されていた。今回の記事は、そういう勢力がタンカーを襲い、奪った原油を精製(軽油にするのだという。)して国内に流しているという話だったのだ。このニジェール川のデルタ地帯は大湿地帯で、どれくらいの製油所があるのか誰にもわからないのだという。違法精油所で精製することを、隠語で「クッキング」というらしい。パーム油の精製技術が転用されているとのこと。海賊はかなり攻撃的らしく、タンカーの乗務員を殺害することも多いらしい。2012年で少なくとも52件ギニア湾で海賊行為があり、その半数近い27件がナイジェリア沖で前年から3倍増だという。パイプラインの破壊行為も頻発しており、日に15万バレル以上の原油が奪われている。ナイジェリア政府は空爆も実施し摘発を強化しているとのことだが、現地警察では汚職が蔓延し、闇の違法精油を擁護していると、現地に足を運んだ記者の報告が記されていた。

現地の人々からすれば、これらは奪われた資源であり、取り戻して当然だという意識が強いという。非常に伝統的な反植民地主義的な想いが語られているわけだ。遠い日本の地から、簡単に論ずるのは憚れるが、最大のポイントは、レントの配分への不満だと思われる。純粋な経済格差の問題なのだ。ナイジェリアの経済格差への不満はビアフラ内戦の昔から大きく、そして長い歴史を持ちすぎている。

しかし、アフリカ各地で、企業の地域振興への関与が語られ始めている。海賊行為やパイプライン破壊は蛮行だと断じることはたやすいが、今やナイジェリアの石油企業も地域貢献や環境問題への対応の再考を大きく迫られていることを認めなければならない、と私は思うのだ。ナイジェリアが人口、そして資源大国であるからこそ、Win-Winの発想が今こそ求められているのではないだろうか。このことは、これからのアフリカに大きな影響をもつような気がしてならない。

2013年5月28日火曜日

大阪府教員志願者500人減

あまり書きたくない話だが、大阪府教育委員会は2014年度の公立学校教員採用選考志願者(大阪市・堺市立を除く)が、昨年度比500人減の11307人だったと発表した。2000人以上採用するようになった2005年度以降で最小だったという。(今朝の毎日新聞大阪版より・画像は府教委のHPから引用)

…大笑いしたのは、記事の最後にあったコメントである。「府教委は志願者数の減少について他の都道府県の状況なども見て原因を分析したいと話している。」

2013年5月27日月曜日

日経ビジネス最新号を注文する

モーニングで新聞広告を見ていたら、日経ビジネス誌の5月27日号『アフリカ特集』の広告が目に飛び込んできた。「暗黒大陸というウソ」「米国より上の起業環境」「各国で見た普通の暮らし」「ポールコリアー・インタビュー」などなど。

これは、是非とも手に入れたい。久々のビジネス雑誌購入である。結局、帰宅後WEBで注文することになった。今から到着が楽しみである。

http://www.nikkeibpm.co.jp/publication/mag/cs/nb/saishin.shtml

2013年5月26日日曜日

アフリカ官民連携人材育成構想

大阪アベノの新しい高層ビル
高校の同窓会の日である。ほんと久しぶりに天王寺(阿倍野橋)にでた。金曜日の遠足の時に大阪駅の大きな変化に驚いたが、元近鉄あべの百貨店があったところにアメリカの摩天楼なみのビルが建っているし、その周辺もかなり明るく開発されていてビックリした。高校時代の私が愛したアベノは、もっと胡散臭かったと思う。(笑)

さて、25日付の毎日新聞朝刊に、TICADⅤに合わせて「日アフリカ官民連携人材育成構想」(仮称)の記事が出ていた。今後5年間で、現地にもうける人材育成センターで、セレクトされたアフリカの若者を1年で200名、計1000人を留学生として日本に迎え、卒業後は、日本企業(現地もしくは国内)で雇用するという計画である。外務省・経済産業省・文部省と現地日本企業、JICAを中心に運営するらしい。予算は約100億円だとか。

現在のJICAのスタンスと大きく異なる点は、「投資環境の整備に必要な法制度」などを学んでもらうという想定である。(記事には農業技術云々も含まれているが…。)要するに、日本からの投資環境の金融や法律に明るい人材を育成するということだ。このことは、ポール・コリアーの『最底辺の10億人』・『民主主義がアフリカ経済を殺す』から最終的に導かれる、投資を拡大する法整備と、信用度アップという観点と全く同じである。また、ODAなどよの社会資本投資より、民間資本投資の必要性こそが重要だという、ダンビサ・モヨ女史の『援助じゃアフリカは発展しない』の影響も大きいはずだ。今の開発経済学は、そっち(経済から政治・あるはガバナンス整備)の方向に向かっている。実は、私のアフリカSDゲームでも、この『投資のための金融と法整備』は、基本的な8つの政策の1つに入れてある。比較的安価で人材育成が出来て、地味だが経済発展に必要不可欠な政策だと私も考えて挿入したのである。

日本政府も、こういう開発経済学の成果を大きく実行しようというのだろう。これまでJICAは様々な工業技術や、行政関係の研修員さんが多かったようにと思う。それに対して、官民一体となって(日本株式会社として)金融・法律・政策といったビジネスをささえる人材を日本で育成し、日本企業に優秀な人材を雇用して現地のネットワークづくりにも乗り出すというわけだ。

現地の人材育成センターは10か所だと記事にある。先日エントリーした(5月19日付ブログ参照)レンティア国家の15カ国と、ケニア・ウガンダ・ガーナ、ナイジェリアなど地域の中心国と、フランス語圏のセネガルあたり(コートジボワールはまだ治安が完全回復していない。)からセレクトされるのだろうと私は思う。英語圏・仏語圏・ポルトガル語圏という公用語のくくりと、東アフリカの経済圏、南部アフリカの経済圏、西アフリカ経済圏、中央アフリカのセーファーフラン経済圏とその他の地域などの経済圏のくくりを止揚するかたちで決めていくのだと思われる。英語圏なら日本での研修・雇用は大きな問題はないが、仏語とポルトガル語圏の人々は大変だ。でもはずせないはずだ。モザンビークやマダガスカルなど重要な国がある。

この辺、日本の国益がどうしても見え隠れする。うーん、ちょっと、昔のアベノみたいに胡散臭いかな。

2013年5月25日土曜日

等身大の日常からアフリカ支援

TICADⅤ開幕が迫ってきた。現地横浜では、様々なイベントがあるようで、関西在住の一高校教師としては、何も動けないのが悲しい。せめて、荒熊さんが頑張っているイベントの広報活動を勝手に手伝おうと思う。公式サイドイベントだそうで、パシフィコ横浜というところで5月31日10:00~11:30、「アフリカの将来を語り合う-フィールドワーカーが見た等身大の日常から」という内容だそうだ。詳細は左記ポスター参照である。

このイベント、なかなか面白そうである。ブルキナで、荒熊さんのストリートチルドレン調査にちょこっと付き合った経験は、私の大きな財産だ。よって私自身は「等身大の日常」というコトバに、実感も伴うし、大いに魅かれる次第。

関東在住の読者のみなさん、また都合がつく方、荒熊さんのイベントに、是非とも御協力下さい。

私の方も、直接TICADⅤに関われるわけではないが、等身大で動き出そうと思っている。中間試験あけの来週、アフリカの難民キャンプに古着を集めて送るプロジェクトを、いよいよ立ち上げる予定なのだ。生徒会の生徒にレクチャーをして、生徒議会でスタップを募集してもらう予定。ケニアにある難民キャンプに送るつもりなので、このプロジェクト、H(本校名)・ハランベー・プロジェクトと名づけようと思う。ハランベーはスワヒリ語で助け合いを意味する。初代のケニヤッタ大統領の国づくりのためのスローガンでもある。ケニアでは、この初代大統領だけは建国の父で、悪口を言われないようである。生徒にもハランベーというスワヒリ語の意味も教えたいし…。そんなことをこのところ考えていたのだった。

追記:Makoto Odagawaさん、読者登録ありがとうございます。42人目の読者になります。これからもよろしくお願いします。

2013年5月24日金曜日

遠足で京都水族館に行く。

中間考査が終わり、今日は遠足であった。今年から普通科5クラス合同で行くことになり、いくつかあった候補の中から生徒が選んだのが、京都水族館だったわけだ。集合は、新装なったJR大阪駅の北口中央広場である。かなりわかりにくい場所であった。不安的中で、遅刻する生徒が数人出てしまった。私は、こういう時間に遅れる事が大嫌いである。朝から、かなり生徒を叱ったのであった。いろいろ理由はあるけれど、結局は取組みの甘さ、責任感のなさに起因するからだ。修学旅行のこともある。後で聞いたのだが、体育科でも20人ほどが遅刻しそうになったらしい。私鉄の3駅分、その20人は全力疾走で走り切り、間に合ったとか。(笑)

京都水族館は、(私自身が)期待薄だった分、なかなかよかったのだった。生徒も想定外に喜んでいた。名物のオオサンショウウオは、なかなか迫力があったし、大水槽も、イルカショーもなかなか良かったのだった。入場料が団体で1350円はかなり高額だが、それにふさわしいものだと思う。

水族館の後は、京都の町へ15:30の四条大橋集合まで自由散策である。私は別に行くあてもなかったのだが、進学クラスの1組の女子たちがついてきたので、1組担任のS先生、5組副担任のN先生と共に、龍谷大学の文学部、同志社大学をめぐることにしたのだった。結局今出川キャンパスから四条大橋まで、夏のような日差しの元、鴨川ぞいを歩くはめとなったのだった。

さすがに、15:30全員遅刻なく集合していた。楽しく過ごすには、やはり自己の責任を果たすことなしではありえない。生徒の喜んでいる顔を見ていると、つくづくそう思うのだった。

2013年5月23日木曜日

日経 アフリカBOPはCSV

日経の「経済教室」、今朝は明治学院大学の原田勝広教授のアフリカのBOPビジネスについての記事だった。モーニングで読んでいて、これは保存版だと思い、ローソンで買い求めたのだった。最初に、原田先生は、CSRならぬ「CSV(Creating Shared Value:共同価値創造)」という概念を説明されている。経済的価値と社会価値の両立によって、企業は新たなビジネスチャンスを手に入れることができるという概念である。ハーバード大のマイケル・ポーター教授の提唱によるものらしい。ポーター教授は、マイクロファイナンスとともにBOPビジネスもこのCSVだと評価しているとのこと。

私が手に入れたかった最大の保存版資料は、JICAが支援するアフリカでのBOPビジネスの表である。いくつかのプロジェクトは、すでにこのブログでもエントリーしているものもある。JICAが絡んでいるから全て善というわけではないという話も聞いている。だが、人の交流などのソフト面でのJICAのバックアップ力は大きい。原田先生もそのあたりに大きな期待を寄せておられる。

私自身は、ジャトロファのBOPビジネスが行われていることに、すこし嬉しく思った次第。サトウキビやトウモロコシのバイオエネルギー政策は、疑問符がつくのだが、アフリカでは荒れ地を利用できるジャトロファは有効ではないかと素人ながら前々から思っていたのである。

2013年5月22日水曜日

学会研究発表大会の話 2013

広島経済大学本館(HPより)
今年の国際理解教育学会の研究発表大会は、広島経済大学で行われる。先日、事務局から大会プログラムが送られてきた。今年も、第2日目・日曜日の午前中に発表することになった。第7分科会である。分科会の司会は、奈良教育大学におられた世界遺産教育の第一人者・T先生である。ちょっと緊張する。(笑)さらに緊張するのは、昨年暮れにJICA関西で久しぶりにワークショップをしていただいたY先生の後に発表することになっていたのだ。まさにゲゲゲ…。である。

Y先生の研究発表は「変容的学習としての開発教育」というタイトルである。いかなる内容であろうか、興味深い。今から楽しみである。私の研究発表は、ズバリ「アフリカSDゲーム 実践報告」である。今年の研究発表大会は、高校の実践者(現場の教員)の報告が比較的少ないように思った。Y先生と私の発表の後は、大学生や院生の発表になっている。
毎回思うのだが、事務局が、分科会の構成で大変御苦労をされていると思う。第二日目は、毎年実践者の報告が多いのだが、英語教育でくくったり、校種別でくくったり…。国際理解教育といっても、実に幅が広いのである。高校の実践者の発表でも、他の分科会に拡散していたりする。じっくりとタイトルを見ていくと、なるほどなあと思うのである。

以前D女子大学で発表した時は、私の参加した分科会は「アフリカ」でくくられていて、アフリカがらみの発表が続き、「アフリカ3部作」と評判になったのだった。(笑)今回はアフリカに関わっている発表は、東京大学大学院の方が、「消費者市民社会をめざす社会科教育」-コンゴの資源紛争と日本の消費生活のつながり-と題して他の分科会で発表されるようだ。おそらくタンタルなとの携帯電話の話かな?と思う。TICADⅤもあるのに、ちょっと寂しい。

広島へは、結局夜行バスで行くことにした。本校では、(インターハイや国体、強化合宿など体育関係の出張旅費が多く)出張扱いしてもらえないのである。要するに自費なのだ。新幹線や宿泊できるほど余裕はない。でも、できれば復路は新幹線にしたいな。もう歳だし…。(笑)

2013年5月21日火曜日

日経 日清食品のケニア進出

ケニアのキッチンカー(HPより)
モーニングで日経を読んでいたら、先日のナイジェリアに進出するサンヨー食品の話に続いて、日清食品がケニアに進出する話が載っていた。WEBで調べてみると、ナイジェリアでは中国企業などによって即席めん市場がすでに形成されていたが、ケニアではその市場自体を作るところから始めた感じである。

もうひとつ面白いなと思ったのが、ナイロビのジョモ・ケニヤッタ大学と提携して、このOishiiプロジェクトを進めていることだ。人を育てながらの起業なのである。これは良い試みだ。しかもケニアは、その背後に東アフリカの経済圏が控えている。タンザニア、ウガンダだけでなく、ルワンダ、ブルンジもある。この地域の経済自由化も進んでいるので、将来性も高いわけだ。

Win-Winで、実に良いのではないか、と私は率直に思う。チキンラーメンをケニアの子どもたちは、どんな感じで食べたのだろう。私はジンバブエのハラレで中華料理屋を覗いたことがある。ヌードルとあったので、「おお、中華そば。」と喜んだのが、頼んで出てきたのは塩焼きそばだった。(笑)どうもアフリカでは「汁麺」は未知の料理だと思うのだ。OishiiプロジェクトのWEBページを見ていると、ケニアの子どもたちが「すする」ということができないとあった。そうだよなあ。だから麺も短くして販売するのだとか。…なるほど。何もかも暗中模索だよなあ。

ひとつ気になったことがある。主原料の小麦の話だ。ケニアはハイランド地方で、イギリス資本プランテーションが小麦を生産しているアフリカでは珍しい国だ。この小麦は、輸出用でケニアの貴重な外貨獲得の商品作物である。このプランテーションが妙なカタチで拡大されないことを祈る次第。どうも外国資本のプランテーションというと、良いイメージがないのだった。

<OishiiプロジェクトWEBページ>
http://www.nissinfoods-holdings.co.jp/csr/oishii/about/index.html

2013年5月20日月曜日

「謎の独立国家ソマリランド」#4

ソマリ人はつくづく面白いと私は思う。ソマリランドは、そのソマリアにありながら、信じられないほど平和である。武器をもつ人間が見えないのはもちろん、両替屋は野放図に札束を見せていて、ここがソマリアの一部とは全く思えないほどの治安の良さである。なぜ他の地域が内戦をしているのに、ここだけ長老の話し合いで武装解除できたのか?その謎は、氏族という社会構造にある。氏族はこれまで書いたように不思議な利益集団である。ソマリランドは、特に産業も何もない遊牧民の世界で、氏族間の対立は日常茶飯事であった。故に『ヘール』という賠償の掟(成人の男子1人が殺されたら、牛何頭というふうな…)が生まれ、中立の仲介者がうまくまとめてきた。著者は、ソマリランドが平和になった理由を『ヘール』にあると信じていたのだ。

しかし、内戦を止め、武装解除を推進した長老会議に出席した人物にインタビューしたところ、この『ヘール』は適用されていなかったのだった。あまりに多くの殺し合いがあって計算不可能、しかも「前例のないもの」だったからだ。ただ、1回目の和平交渉時に「娘20人ずつを交換する」という方法をとったらしい。欧米的な人権概念では測れないすごい解決法であるが、最もいがみ合っていた氏族の戦いは止まった。「殺人の血糊は分娩の羊水で洗い流す」というソマリの格言があるそうだ。

首都がある南部は、産業もあり、しかも旧宗主国のイタリアが氏族社会を破壊してしまい、混乱に拍車がかかったが、英領で間接統治だったソマリランドは氏族社会がしっかり生きていて、奪い合う利権も少なかったし戦争も停戦も慣れていたわけだ。

本書では、ブントランド、南部ソマリア、そしてソマリランドの政治体制を比較して見せる。この話はまた次回に。

2013年5月19日日曜日

日本の選んだアフリカ15カ国

レソト大使館HPより
毎日新聞(19日朝刊)によると、18日、6月から始まるTICADⅤの前哨戦として、アフリカの資源産出国15カ国と閣僚級の会議を開き、JOGMEC(石油天然ガス・金属鉱物資源機構)を通じて、5年間で2000億ドルの資金を支援する、資源開発と経済発展につながるインフラ整備を支援、アフリカの資源開発を支える人材を5年間で1000名育成する、鉱山開発周辺の環境保全のための制度整備や技術面での協力と周辺地域の社会保障を支援する、といった『資源開発促進イニシアチブ』を発表した。

その15カ国は、アンゴラ、ボツワナ、コンゴ(共和国)、コンゴ人民共和国、ガボン、レソト、マダガスカル、マラウイ、モザンビーク、ナミビア、ニジェール、南アフリカ共和国、タンザニア、ザンビア、ジンバブエである。

この15カ国、微妙な趣がある。石油資源だけをとっても、中国がかなり食い込んでいる国(アンゴラなど)も一部含まれているが、治安に問題があるスーダンと南スーダンは入っていない。石油資源で日中全面対決というわけではなさそうだ。また石油大国ナイジェリアも含まれていない。EUに遠慮したのか、という様々な事情が見え隠れする。意外だったのは、レソト。南アに四方を囲まれた南アフリカのスイスという感じの国なのだが、ダイヤモンドが産出するらしい。日本が選んだ資源開発有望15カ国に入ったのだった。

タンザニア、モザンビーク、マダガスカル、ザンビア、ニジェールの5カ国は私のSDゲームのエントリー国である。ウガンダが入っていないのは意外だが、ケニアも含め資源と言うより全体的な支援で重要視しているのかもしれない。

こうなると、資源が無いとされる国は置いておかれるのだろうか。レンティア国家が続々誕生しているアフリカでは、さらなる格差が生まれていく。だが中央アフリカやチャドなど、ガバナンスが向上したら鉱産資源が新しく発見される可能性もある。鉱業における可採埋蔵量は時代ととも技術力の向上で変化してきたし、治安や自然条件も大きく左右する。要は採算である。安定陸塊のアフリカ大陸故、多くの国にまだまだチャンスがあるわけだ。

豊かになれるところから豊かになれ…か。うーむ。と、なんとなく腕組みしてしまう私であった。

2013年5月16日木曜日

『龍馬史』を読む。

文春文庫の新刊で『龍馬史』(磯田道史著/5月10日第1刷)が面白い。この本は、学術的な内容なのだが、だからこそ面白いのだ。メインテーマは、誰が龍馬を殺したのかというものだが、このエントリーでは、そのメインテーマの核心には触れない。それこそ営業妨害というものだ。(笑)

というわけで、その周辺の話だけにしておきたい。龍馬はたしかに手紙や様々な記録を元にした史実に忠実に考察してもl極めてユニークな存在である。龍馬の真骨頂は私設の海軍と商船を運営したことだと著者は考えている。薩長連合や大政奉還への貢献はたしかに大きいけれど、龍馬だけが活躍したわけではない。時代の流れの中で作られたものだ。私も、様々な文献からそう思っている。龍馬は、薩長土の武器の調達にかなり貢献している。さて、その武器の話。

桜田門外の変で井伊直弼を絶命させたのは史実では、刃ではなく、一発の弾丸であったらしい。井伊を討った銃はらせん状のライフルが刻まれた口径の大きな短銃で、駕籠を突き抜け井伊の体を貫通したという。この拳銃は武器商人の中居屋重兵衛が浪士らに渡したと言われているが、その出所は明らかになっていないという。一説には、ジャーデン・マンソン商会(東インド会社から枝別れした会社で、その社員がグラバーである。)明治期に、このシャンデーン・マンソン商会の横浜支店長になり生糸や軍艦や武器で儲けたのが、元福井藩士の吉田健三である。この人物は、実は吉田茂の養父でその遺産が吉田茂の政治資金だったといわれているとか。凄いつながりである。

もうひとつ面白かったのが、会津藩の人材育成システムの話である。薩摩藩の『郷中』という少年団による教育は有名で、私も知っていたが、会津のそれは、まさにその対極にあるような教育システムである。天明の大飢饉の直撃を受けた会津は、人口が30%減少したという。この苦難の時代に天才家老が現われる。田中玄宰(はるなか)という人物で、熊本藩を手本に、藩校を中心とした人材登用制度の改革を行った。、藩校で優秀なエリートを育成し、徹底的な管理教育を行うのである。朱子学的に会津藩士の『六科糾則』をつくり、このとうり実践できる人間(藩に忠誠をつくせる人間)を責任ある要職につけるというシステマチックな改革だったわけで、実際、当時としては薩摩と並ぶ人材の宝庫となっていたらしい。薩摩の戦国時代から続く対処の判断力を養う教育に対して、近代的なエリート教育をほどこしていたといえるのである。こういう史実から導かれる歴史の土台のような話、実に勉強になるのである。幕末維新史は、実に面白い。龍馬の話から大きくそれてしまったが、まあいいか。

2013年5月15日水曜日

団活動のこと 4月~5月 

4月の団抽選 我がクラスは青団となった
久しぶりに今日はクラスのことをエントリーしようと思う。9月の体育祭・文化祭に向けて団活動が行われている。今日は体育祭で行うアピールの練習の初日だった。実は、この団活動に向けて、我がクラスではひと悶着あったのだ。抽選で我がクラスは、3年生の武道科のもとで戦うことになった。(団活動は3年ー2年ー1年と3クラスで団を結成する。)武道科は、本校の誇るべき学科で、なぎなた部は全国的に有名だし、剣道も柔道も弓道も国体に出場したりして、大いに貢献しているのだが、こと体育祭で華やかなダンスを振りつけたりするのはどうも苦手だ。普通科の生徒からすると、きわめて礼儀正しく、ちょっと異文化な面もある。今年の我がクラスは、特にダンス部の女子が9人もそろっている。ダンス部の女子を中心に、不安の声が上がったのだ。

団抽選の後、私はこの不安というか不満を取り除きたかった。私の生徒指導の柱は「責任ある行動」、この1点につきる。自らの義務を果たし、自由を獲得する。生徒の自主性を伸ばしながらの人づくりである。団活動で体育祭・文化祭に邁進することは重要な教育活動だ。それが、不満タラタラでは困る。どう指導するか、ずっと考え続けた。その結論。その1、私は3年生には一切指導しない。生徒同士で問題があれば解決すべし。その2、Win-Winの関係を大切にすることを我がクラスに注入する。3年生の主体性は大切だし、もしうまくいかないことがあれば2先生として精一杯フォローするべし。ただし、3年生の体面や人情の機微を最大限心がけること、である。

4月のLHRで、クラス全員に全魂の指導を入れた。(こういう事は私はあまりやらない。が、やらねばならないと腹を決めての行動だった。)その上でどう考えるかアンケートを実施した。すると、ありがたいことに、全員から素直な回答が返ってきた。曰く、絶対団活動で勝ちたい。だから3年生に協力したい。曰く、ダンスの振り付けなどで力になれるよう、先輩にうまく接していく。曰く、私たちの体育祭・文化祭でもあるけれど、3年の先輩にとっては最後の体育祭・文化祭。やりたいようにやってもらいたい。出来る限りの協力をしたい。云々…実に嬉しかった。

団は、青団である。3年生から団の名前は「ポセイドン」と知らされた。なかなかセンスがいいではないか。我がクラスでも案外好評だった。ちょうど世界史で黄金のリンゴの話などで、ポセイドンの話をした直後だったからかもしれない。(笑)で、今日の5時間目、初めてダンスの振り付けが披露された。ダンス部の生徒にも、なかなかいい振り付けだと評判である。やるではないか、武道科。

昨日の放課後久しぶりに剣道部の稽古を覗いた。凄い稽古だった。インターハイに向けて、ガンガンに頑張っている。毎晩8時くらいまでやっているらしい。保護者が来られて、夕食のおにぎりとみそ汁を準備されていた。こんな多忙な中、よく準備したなあと改めて感心した次第。

6時間目のLHRでは、2年生として取り組む模擬店の話し合いがもたれた。我がクラスは『海鮮やきそば』をやろうということになった。(他のクラスと競合したらマズイらしい。だからまだ決定ではないのだが…。)『海の家』の雰囲気でディスプレイしたいとのこと。なるほど。生徒の発想は面白い。『海鮮』や『海の家』には青団としてこだわりをもっているのだ。最後に声をかけた。「やるんやったら、思い切りやるぞぉ。でかい招き猫つくろかぁ。」「おおっ。」

掃除の後、生徒たちから、「青団だからドラエもんの招き猫にしましょか?」「ポセイドンの招き猫はどうですかあ」などと、ちょっと盛り上がっているのだった。(笑)みんなで、じっくり相談して、走りだそうと思っている。

2013年5月14日火曜日

昭和天皇 第四部 読後メモ

昭和天皇第四部の文庫本を先日読み終えた。第四部は、5・15事件から2・26事件にいたる日々について書かれている。一言で内容を述べると、昭和天皇は、陸軍にとって最大の抵抗勢力だったということだ。全編を通じて、辛辣な昭和天皇の御下問が、これでもかというほど描かれている。侍従武官は大変だったろう。私などの年代は、昭和天皇の好々爺的なイメージが強いが、この頃の天皇は極めて生真面目に軍部の台頭に心を痛めておられたことがわかる。昭和天皇にとっては、皇道派も統制派も同じ。明治帝以来の、軍人は政治に口を出さないという本義を逸脱した存在であったわけだ。

永田鉄山の惨殺事件の際、犯人の相沢は悠々と軍務局を歩き回っており、駆けつけた憲兵は、相沢をなだめるようにして分隊へ連れて行ったという。当時の軍務局は、凶行を止めれなかったし、軍人が国家のためになした行為は、テロであろうと全て正義であるという幻想に囚われていた故に、犯人を確保するという、基本的な秩序すら失っていたわけだ。まるで、尊皇攘夷派の志士が闊歩する、会津や新撰組が存在しない京都である。まさに、狂気の時代だといえる。

さて、私が本巻で最も印象に残った話を書きたい。この永田鉄山惨殺事件の直後、イギリス政府最高財政顧問サー・フレデリック・リース=ロスが来日した。彼は当時財務相だったチェンバレンの親友で輝かしい経歴をもつ財政家であった。チェンバレンは、ナチス=ドイツの脅威に対抗するため日本と融和を進める必要があると考えていた。そこで、リース・ロスは、日本に中国への共同借款を持ちかけてきたのだ。当時、中国は世界不況のため経済が混乱しており、銀本位制の不備から国家として経済政策を推進できなかった。そこで、日英共同の借款を資金として中央銀行を設立する。その引き換えに、イギリスと中国は満州国を承認する。さらに国際連盟への日本の復帰を進めるという、当時の日本にとって願ってもない提案をしてきたのだ。

高橋是清大蔵大臣は、このイギリスの英断を賞賛した。ところが、外務省の対応は、陸軍寄りで大蔵省と全く異なった対応に出た。外務次官の重光葵は細かい点にこだわり、説明や保証を求めた。さらにとどめの一撃を与えたのが、外務大臣の広田弘毅だった。「イギリスが口を出すことではない。」と断言したのである。著者は、こう書く。『後の展開を考えれば、広田の一言が、日本を滅ぼした、と言ってもよいかもしれない。その罪はあらゆる軍の将帥より重いと云い得るだろう。』

この話を私は恥かしながら初めて知った。実は、ずっと以前に城山三郎の「落日燃ゆ」を読んで以来、A級戦犯の中に広田弘毅が入っていることは、私にとって不可解であったが、後の首相時代を始め、軍部に追従した名門出でない官僚としての罪はやはり大きいのだと思った次第。昭和天皇も、独白録の中で、広田に対してはかなり批判的に見ておられるらしい。

…さて、このところ歴史認識についての議論が韓国、アメリカなどからも出てきている。靖国参拝の問題は、つまるところA級戦犯の合祀である。東京裁判自体の批判もあるが、昭和天皇も合祀以来、靖国に行かれることはなかった。昭和天皇のA級戦犯を始めとした「政治に口出しをした軍部」への尋常でない怒りを、この第四部は明らかにしている。

…もうひとつ、現場の教師として腑に落ちないことがある。歴史認識の問題は、いじめの問題と本質的につながっているのではないかということである。いじめというのは、いじめられた本人がいじめだと主張すればいじめなのである。(文部科学省の定義には、「いじめられた者の立場にたって行うものとする。」とある。)中国や韓国の言う歴史認識問題も、被害を受けた側の立場に立つというのが本義ではないか。政府の見解は、矛盾していると思うのだ。
<文部科学省のいじめの定義>
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2012/07/18/1304156_01.pdf

…外交上の問題、政治上の問題と詭弁を弄するなかれ。ナショナリズムは時として、狂気と化す。正義を振りかざすなかれ。論理的矛盾が露呈する。政治家は自分の発言に責任を持つべきだ。そのことを歴史は教えてくれる。

2013年5月13日月曜日

日経 ナイジェリアで即席麺製造

先週の金曜日だったか、日経にサンヨー食品がナイジェリアに進出するという記事があった。シンガポールの菓子や加工食品を製造している食品企業と合弁で製造・販売を行うとのこと。20億円ほどの投資だという。まずは低価格の袋めんから製造・販売し、その後付加価値の高いカップめんの販売も想定しているらしい。ナイジェリアの即席めん市場は19億食(2012年統計)。日本の1/3ほどであるが、2008年から36%も伸びている有望な市場だ。日清食品も近い将来の進出を表明しているとか。

ナイジェリアはアフリカ最大の人口を誇る大国である。マクロ経済学では、人口が多いということ自体、すごいパワーとなる。おそらくは、ナイジェリアを中心にさらにアフリカ各地に市場を拡げることになるのだろう。

ところで、先日TVでハラール(イスラムの食規定)のことを報道していた。日本国内でもイスラム圏向け食品輸出や国内のムスリム向けのハラールが行われているらしい。バングラディシュの青年が大車輪で食肉加工をしていた。アフリカでは、キリスト教徒とムスリムが入り混じって生活している地域も多い。日本人はこういうことに無頓着で、インドネシアで豚のエキス入りの食品を販売したりして非難を浴びたこともある。

経済のグローバル化が進んでいくとともに、こういう異文化理解が後から追いかけていくのはいかにも日本らしい話だが、何度も同じ失敗はできないと私は思う。効率やオカネ以上に大切なことが世界各地にはある、という事実を知るべきだと私は思う。だからこそ、地球市民を育むことが急務なのだ。

2013年5月12日日曜日

VANのトレーナーを購入する。

近々高校の同窓会がある予定だ。妻とは同窓生で、しかも彼女が幹事をしているので参加せねばならない。前回の同窓会では、着ていく服もなかったので、スーツで行ったら思い切り浮いてしまった。カジュアルな服装など気にしたこともないので、さてどうしたものか…。ちょうどトレーナーが1着くらいあってもいいと思いっていた。で、どうせならVANにすることにしたのだ。

VANは私たちが高校時代、誰もが憧れたブランドである。VANの文字が大きくバックプリントされたものもあったのだが、ちょっと小さめの首元のほうがいいかなと年齢を考えて注文したのだった。昨夜、宅急便で到着した。さっそく着てみたが、うーん。カッコイイ。(笑)ちょっと高かったけど、年齢相応の服装も考えていかなければ、と思う昨今なのであった。

2013年5月11日土曜日

民博 常設展にも行く

マダガスカル展の後、常設展にも寄った。常設展は度々展示内容を変えるので、その変化も楽しみである。以前は、インドやチベットの展示にはまっていたが、最近は、どうしてもアフリカと西アジアに偏ってしまう。(笑)

アフリカの新しい展示では、穀物の起源の展示が興味深かった。上のアシのような実をつけているのが、トウジンビエ。下の小麦のような形態のものがソルガム。(真ん中はアフリカイネである。)これの何が面白いかと聞かれたら困るが、アフリカを代表する雑穀が、このようにきちっと展示されていることに意義があると思うのだ。

同じくアフリカ展示では、指ピアノが飾ってあった。西アフリカや南アフリカ、東アフリカで形態が異なるが、これは、ボツワナの指ピアノでテングーと呼ばれているもの。(ボツワナのは初めて見た。)一度指ピアノ特集みたいな展示してくれないかなあと思う。ちなみに、ミュージアムショップで、この指ピアノのキット(金属板・木の板等がセットされている。)が1500円ほどで売られていた。一瞬買おうかと迷ったのであった。ちなみにミュージアムショップでは、ドレミファソラシドに設定してあった。簡単な曲なら、ちゃんと演奏できた。
西アジアでは、新しく、ラクダの装飾品とベドゥインのテントと生活用品が展示されていた。江戸時代、日本にオランダがラクダをもってきたようで、かなり各地でウケけたようだ。そんな展示もあった。最近、私は第二のペンネームとして「らくだ」の文字を使っているので、ちょっと嬉しかったのだった。(笑)

民博 マダガスカル展に行く

本当ならGWに行く予定だった国立民族学博物館に、妻と雨をおして行ってきた。「マダガスカル霧の森のくらし」という特別展である。ユネスコの無形文化遺産にも指定されている森の民ザフィマニリの展示である。

受付で、A4判の紙が入るほどの封筒をもらった。その封筒には特別展の案内図が印刷されている。今回の展示、様々な資料(ガイドシート)やワークショップがあるので、そういった「体験したモノ」を保存するためらしい。私も、ありがたくガイドシートや「パンナビ(マダガスカル語で助っ人を意味する)の工房」で手に入れた生活道具を編む草(自由にお持ち帰りくださいとあった)を入れて帰ってきた。こういう展示方法、ものすごく良いアイデアだとと思う。

ちょうど、現地に赴き、この展示をつくった研究者の方がレクチャーしておられた。展示場の中央に木造家屋がある。大英博物館所蔵のものらしいが、釘を一本も使わず、彼らの伝統的な家族思いの価値観、それに様々な装飾が施されていたりして、なかなか見応えがあった。屋内は暗く、そこにモニターが置かれていて、まるで本物のサフィマニリの人々がいるみたいだ。家屋を構成する木材を実際触ったり、家屋の組み立て模型などもあって、面白い。

最後に、彼らの村にも伝統的な生活に入り込む近代的な文化、そして外国人のツーリズムに対し彼らはそう考えているのかというVTRを見れるブースがある。私は、こういう展示の意義は大きいと思う。何度かこのブログでもエントリーしている文化人類学と開発という問題だからだ。若い人たちは、比較的開発を是とする側に立っていた。私が面白いなと思ったのは、村長の言である。村長は当然、自分たちの伝統に矜持を持ち、(日本人)研究者に対して対等な立場、いや若干上から目線で話していた。日本人に何を期待するか?というテーマで、村長は、この村を日本で展示するのだから、我々にもここで、日本の伝統的文化を展示をして欲しいと言うのだ。互いを知ることが大事だ。だから研究に協力したのだというわけだ。素晴らしいコトバだと思う。

こういう村長の言に後押しされて、今回の素晴らしい展示が生まれたのではないか。そんな感想を私は持ったのだった。研究者・関係者の皆さんの御苦労に敬意を表したい。

2013年5月10日金曜日

アフリカへ古着を送ろう 1

ユニクロ 服のチカラ10より 難民キャンプの女性たち
3学期に奈良教育大学で行われたユネスコスクールの大会会場で、ユニクロの難民キャンプへ古着(ユニクロの製品に限定されない)を送るプロジェクトを知った。(1月26日付ブログ参照)その後、すぐ校長は承認してくださったが、「やるんやったら全校でやってくれ。」ということになった。正直なところ、学年単位で参加しようと考えていたのだが、学校全体を動かすとなれば大変である。日程を司る教務部。生徒会行事を司る特別活動部。それに各学年。コツコツとネゴをしたうえで、参加申し込みを速攻で行った。おそらく全国でもかなり早い申し込みだったのではないかと思う。

そのユニクロのプロジェクト事務局から、昨日参加OKのメールをいただいた。今朝8時前に学校に着くと、早速、教頭や教務部長、特別活動部長を回り、ユニクロの出前授業の日程を詰めたのだ。3学期の参加申し込みの段階では、本年度の日程は未定だった。とりあえず6月~7月のユニクロ指定の日程をセレクトして申し込んだ。だが、進路関係や教務関係の日程で、出前授業に全校生徒が集合できる日程は、7月のある火曜日しかなかったのだ。この日を逃すと9月の文化祭を最大のヤマ場とするプロジェクトの実施はありえない。うーむ。時間との勝負である。ユニクロの事務局へ出前授業の日程変更のお願いをFAXすることにした。10時から事務局と連絡が取れるようである。残念ながら、2・3限目は授業なので10時ジャストには連絡できない旨も記した。

電話が通じたのは、リダイアルの5回目くらいだった。(笑)ユニクロの担当者の方も、出前授業の件で参加校に電話をかけて調整中だったらしい。OKの返事はいただけなかったが(あたりまえである。私が担当者なら絶対そういうことは言わない。)、精一杯善処していただけるという感触を得た。

速攻。FAX。電話。…こちらの熱意をMAXで伝えたわけだ。高校は、特に本校のように24クラスもある規模の学校では、なかなか出前授業の時間を確保するのも大変であることをよく理解いただけたと思う。

この件を、保管場所などのご協力を得なければならない事務長にも報告しているとちょうどPTAの役員さんが放課後来られる事を知った。会議の合間にうまいこと会うことができた。会長と副会長さんは、このプロジェクトに大いに乗り気になっていただいた。話が早い。今日一番嬉しいセリフ。それは副会長さんの言。

本校にはPTAのオリジナルTシャツがある。後ろに本校の名前を粋にデザインしたもので、私も持っている。そのTシャツ、「新品を何着か入れてアフリカに送りましょう。アフリカの人が本校の名前の入ったTシャツを着てくれているなんて、ステキですよね。」…まことに嬉しいコトバではないか。懸命に走った今日一日の疲れがふっとんだのだった。

2013年5月9日木曜日

アフリカSDゲーム報告 その4

普通科の現代社会演習の授業で行っているアフリカSDゲームは、今日で第3セクションを迎えた。授業の進め方についてエントリーしたい。挨拶を終え、最初に毎回配布する報告書を配る。その後、各エントリー国に分かれ、SDボードと前回使わなかった資金の入った封筒を配布。

まずは、資源の国際価格の変化を決定する。これは私がサイコロを転がす。何故かというと、資源の国際価格は石油価格の変化に連動するという市場の原則があるのだ。サイコロの目が大きいほど価格はアップする。あまり変化するとゲームのバランスが崩れるので、最大でも±300simにしている。次に各国別の農産物価格である。これは各国の政府代表がサイコロを自ら振る。ゲーム性という観点から盛り上がる第一のヤマ場だ。(笑)これも目が大きいほうがいい。最大+300simである。しかし、1が出ると-500sim。今日は、ニジェールが1を出してしまい、普通でも農産物収入が低いのに悲惨だった。4で±0simというのは、まだまだ灌漑が進まず天水に依存するアフリカの農業の現状を加味している。

さて、報告書上で、この2つの収入と前回の残金をプラスしていく。「今回はキツイな。」とか言う声も聞こえる。(笑)さて、ここで、各国の企業社員がトランプを引く。アフリカで起こりえる様々なイベントを疑似体験してもらう。もちろん資金が入ることもあれば、資金を吐き出すこともある。トランプは、AからKまで13枚×4種類あるわけで、マニュアルには、それぞれのカードが意味するイベントの内容が書かれてある。最初、オリジナルでカードを作ろうと思っていたのだが、この方が準備が安易だった。報告書には、6つのエントリー国が何のカードを引いたかを書く欄も用意した。マニュアルに記されたイベントの文章には、太字の部分がある。それだけを報告書に書くよう指導する。もちろん、私も黒板に書くことにしている。今日は、ウガンダが、インフォーマルセクターのカードを引いた。ここで、ちょっと講義。報告書の重要なキーワードの欄にも説明を書かせる。資源輸出による通貨高騰などというかなり難しいキーワードも出てきたりする。ゲームの中で学ぶというコンセプトを毎回実践しているわけだ。

さて、6カ国全部がトランプを引いた。それぞれ収入増・収入減があるので、ゲーム性が高い。これも盛り上がる。2000sim儲けた国もあるし、折角の収入がほとんど無くなったと嘆く国もある。さて、悲喜こもごもで手に入れた資金を配る。各国で、その資金をどう使ってSDボードにある政策を選択するか討議の時間。

討議の結果をもって、代表がやってくる。「教育のレベル2と経済格差是正のレベル1をお願いします。」と、いう感じで資金と交換するのである。「糊もっていけよぉ。」「はーい。」という感じでカラーの政策カードを配り終えると、今日の授業も最終盤である。SDボードの今日の変化を書く欄を埋め、今日の感想などを書いているとチャイムが鳴った。SDボード、報告書、残金の入った封筒を回収して終了となる。

ある程度ゲーム性もあり、講義もあり、生徒どうしの討議もある。そんなアフリカSDゲームである。ちなみに、トランプで1度引かれたカードは、輪ゴムでくくり2度と使わないようにしている。52回÷6=8…4.セクションは最大8回にしようかなと思うのだ。

2013年5月8日水曜日

なんとなく鉄道愛好家的通勤

私は別に鉄道ファンというほどではないのだが、このところ幸せな通勤をしているのではないかと思うことがある。朝、放出駅に7時ジャストに到着する。微妙なズレはあるが、ちょうど城東貨物線の下りの貨物列車がやってくるのだ。だいたいくすんだエンジ色の電気機関車である。貨物列車といってもほとんどコンテナ車で毎日変わり映えはしないのだが、何故か朝からなんか得をした気分になる。

勤務時間を終えて、17:30頃に放出駅で待っていると、これまた下りの貨物列車がやってくる。長い貨物を引っ張っていくこともあるし、電気機関車1台だけで通過することもある。割と真っ赤な機関車のことが多い。時々、青い機関車もやって来る。はっきり決まっていないことも楽しみのひとつになっている。

調べてみたら、EF66型・EF81型・EF210型・EF510型といった布陣らしい。この辺、よく知らないところが、私が鉄道ファンだと言えないことの証明だと思う。(笑)

実はもうひとつ鉄道ファン的な見どころが通勤途中にある。放出駅の1つ手前徳庵駅のすぐそばに鉄道車両をつくる有名なK車両と言う工場があるのだ。ここは、前々任校である工業高校時代に工場見学で生徒とともに訪れたこともあるし、実際OBも就職している地元有名企業でもある。日本国内向けのJRや私鉄の車両や、輸出用の車両まで、めずらしい車両が車窓から見れるのである。ところが…である。このところ全く新しい車両の姿を見ていない。毎日、今日はなにか出来ているかと注視しているのだが、何もない。

アベノミクスで景気は上向きだと新聞にはあるが、私は車窓から、K車両に新しい車両が並ぶ姿を見るまでは信用できないと思っている。枚方に引っ越して長いし、学研都市線に乗っての通勤というと、京田辺在住時代からなので、もっと長い。こんなに長くK車両に車両が並んでいないことはなかったように思う。ものすごい不安が募るのだ。「頑張れ!K車両」と、毎日朝夕、祈るように車窓に目をやっているのだ。私の、なんとなく鉄道愛好的通勤の話である。

2013年5月7日火曜日

「謎の独立国家ソマリランド」#3

ソマリアの海賊出没マップ
ソマリアという国は、アフリカでは珍しい単一民族国家である。ソマリ語を共通言語としている。だが、氏族という集団が社会に強く根をはっているといってよい。その対立がソマリアの現状を理解する鍵であることは間違いない。第3回目の書評では、ソマリランドの東、まさにアフリカの角に位置し、海賊を多く輩出しているプントランドのことが書かれている部分についてまず書きたい。著者は中央政府が存在しないにもかかわらず存在する不思議な現地の航空会社で、ソマリランドから海賊マネーで潤うといわれるボサソへと飛んだのだった。
このボサソの街は乱れた感じもなく、銃を持った人間もいない街だった。しかし、まぎれもなく海賊行為は行われていた。海賊はもちろん、人質をとられた船会社や貿易会社も身代金を支払ったなどと公表しないのだが、この街では、身代金が会い払われると、一気に米ドルのレートが下がる。米ドルで支払われた日本円にして数千万という巨額のドルが、現地通貨シリングに両替されるからである。

ところで、ソマリアには「ディア(血の償い)」という氏族間の「ヘサーブ(清算)」という氏族間の伝統がある。たとえば、氏族間の争いで男が1人殺されてしまったら、調停者が入り、ラクダ100頭などという基準で遺族に支払われるのである。これで恨みっこなし、となる。まさにライディングを繰り返す遊牧民の知恵なのである。交渉の経費が差し引かれ、氏族によっては違うが、ディアの総額を200万円だとすると、その20%くらいが遺族のもとに入るらしい。ソマリ人の氏族とは企業のような組織である。支払いは相手の氏族が少しずつ集め支払うことになる。かつては40万円といえば、大金だったが、海賊が盛んになり莫大な金を易々と稼ぐのを見ると、血気盛んな若者にとっては、はした金に見えてしまう。「どうせ、氏族が精算してくれるのら、俺が何をやっても自分で責任をとらなくていいと思う奴が増えている。」とは、著者の案内人の言である。最近は、氏族の調停者となる長老も身代金と人質の交渉で忙しいらしい、とも。ソマリ人の基本原理は「カネ」である。伝統に従って長老が仲介や交渉に臨む時「タダ」というのはありえない。だから積極的に長老が海賊をやめさせる理由はないわけだ。もっと、言えば、氏族間の抗争より海賊の交渉の方がはるかに安全で金になる。外国人は身代金を払うだけで誰一人復讐に来ない。氏族全体にとってもおおいに儲かるわけだ。それをあえて止めようとする人間などいないわけだ。

海賊問題の本質は、こんなところにあるのだった。うーん。まさに我々の理解を超えた世界である。今日はここまで。

2013年5月6日月曜日

中村ノリ選手の2000本安打

昨日は、妻がTVを見て泣いていた。彼女は松井秀喜選手のファンである。長嶋監督と共に国民栄誉賞を受けるセレモニーのライブを見ていたようだ。妻に言わせると、松井クンの性格を非常にかっている。努力の人・超一流選手としての成績以上に彼の人生への姿勢がいいらしい。…なるほど。

私は根っからのアンチ巨人なので、長嶋サンも松井クンも嫌いではないが、国民栄誉賞を師弟でもらえてよかったよなあくらいの感想である。それより、中村ノリ選手の(日本での)2000本安打達成が嬉しい。ドジャーズに行って芽が出ず、傷心で帰国してから、自由契約やテスト入団という地獄の底から這い上がって、ついに2000本安打である。もちろん、天才の名をほしいままにした長嶋サンも松井クンも様々な苦難を乗り越えての受賞であることは知っている。単に比較してどうのこうのという気はないのだが、私の中では中村ノリ選手の方が嬉しい、ということだ。

人生イロイロ、島倉千代子である。(笑)

2013年5月5日日曜日

バルバロイという概念について

バルバロイ
世界史Bの授業では、ギリシアに突入したのだが、『バルバロイ』(ギリシア人が「聞きづらい言葉を話す者」=外国人を意味する)という概念は、極めて重要だと思う。授業では、そんなことを一生懸命に話していたのだった。この話すコトバが異なるというのは、「民族」ということと大きく繋がっている。民族の分類では、この言語の相違が大きく判断材料とされるからだ。

英語を話す人が近くにいたとしても、日本の学校教育のおかげであまり違和感を感じない。聞いたことがあるし、単語も全然わからないということもないからだ。まあ、外国人だとすぐ認識可能だが…。私は一応、仏語や独語、スペイン語、ロシア語、それに中国語・ハングルくらいなら、ああこの言語をしゃべっているなという経験知を持っている。

ところが、聞いたこともない言語があふれる空間もある。それは、NYCである。ランドマークのエンパイアステートビルのエレベータでは、狭い密室に各国語が乱れ飛ぶ。(笑)世界中からお上りさんが大集合している。私は耳を澄ましたのだが、さっぱりわからなかった。うーん、バルバロイ。もう1か所は、自由の女神の建っているリバティ島に行く船の中である。ここにも世界中からお上りさんが大集合していて、女神の姿が見えた瞬間、みんなが叫びだす。ここでもバルバロイ。だが、みんな日本製のカメラやビデオを持っているのが凄い。私はここで初めて日本人として、「MADE IN JAPAN」の優秀さを褒められた。(ちなみに、ケニアでもフランクフルトでも褒められたことがある。)私とは全く関係ないのだが、ちょっと嬉しい。(笑)

また、東洋人というのは見た目ではわからない。様々な場所でしゃべるまで何人かわからなかったという経験がある。ちょっと気まずい。(笑)南アのバックパッカーズ(安宿)では、韓国人、中国系のカリフォルニア在住の米人、そして日本人に会ったが、最初は英語で、探りを入れる。(笑)私自身も、日本の女子大生たちに謎の東洋人扱いをされたことがある。これもNYCだ。セントラルパークのベンチで、喫煙していたら、前のベンチに京都から来た3人が座った。ハンバーガーを食べながら、次に行く場所の相談をしていた。「どう行けばいいのか、あの東洋人に聞いてみよう。」ということになったようだ。大阪弁で答えたらびっくりしていた。(笑)

たしかにコトバが民族の中心概念になっていると私も経験的に思う。生徒たちにも、同じような経験を世界各地でして欲しいな。授業でそんな注文をしたのだった。

2013年5月4日土曜日

「謎の独立国家ソマリランド」#2

khat
「謎の独立国家ソマリランド」を先日読み終えた。いやあ、面白かった。一気に核心部分にふれたい気もするが、今日のエントリーは読後感について語りたい。

まず、ソマリ人という存在である。旧イギリス領のソマリランドは、まさに遊牧民の世界である。産業らしい産業もなく、エリトリアの独立で内陸国となってしまったエチオピアの外港としてベルベラがあるくらいである。ここの人々は、氏族の長老の和解によって、武装解除され平和になっている。彼らは、かなり単刀直入な性格で、エゴイストである。思考と行動が極端なまでに早い。イネやムギが育つのを辛抱強く待つ農民と違い、半砂漠に暮らす遊牧民は乏しい草や水が今どこにあるのか、瞬時に判断して家畜を連れて移動しなければならない。基本的に1人か1家族で動くから、自分が主張しなければ誰も守ってくれない。-遊牧民は荒っぽくなければ生きていけない。速くなければ生きていいる資格がない-という感じなのだ。著者の描くソマリ人、とくにソマリランドの人々の生きざまには恐れ入る。(ただし、後半部で南部の今も戦乱続く首都モガディショのソマリ人は、都人(ミヤコビト)であり配慮あふれる非遊牧民的な資質を持っている。)

また何度もカートの話が出てくる。カートとは、酒が禁止されているイスラム圏の中でソマリア以外にもイエメンやケニア、エチオピアなどで食される麻薬性覚せい性のある茶の葉っぱである。著者は、ソマリ人の探究のためにカートを食べまくる。ラクダの乳などとともに食するのだが、かなり幸福感や高揚感が出るらしい。禁止しているイスラム国もあるらしいが、ソマリアではフツーの光景である。どういう世界なのか、想像力をかきたてられる。

ところで、この本では、ソマリア全体の氏族の話がかなり出てくる。著者は、あくまで記号としてだが、日本の藤原氏や源氏、平氏などといった名称を氏族名に付加している。たとえば「イサック奥州藤原氏」「ハウイエ源氏」というふうだ。最初はかなり違和感があったのだが、結局理解しやすかったと思う。学術書なら絶対こういう真似はできまいと思う。この(日本の氏族名を付加するという)記号のおかげで、ソマリアの氏族というものがおぼろげながら解ってくる。

前半部では、ソマリランドを中心に、後半部では海賊騒動を主におこしているアフリカの角の部分にあたるブントランド、そして首都があり今も戦闘が続く南部について書かれている。最後にまたソマリランドに戻り、例の武装解除の謎が完全に解き明かされていく。そういう構成になっている。

とても1回や2回のエントリーでは書評らしきものは書けそうもない。第2回目のエントリー、読後感として残った4つの柱。まずはここまで。

2013年5月3日金曜日

叢裏鳴虫Ⅷ

憲法記念日である。今年の憲法記念日ほど、現実問題として憲法が様々なところで論議されたことはないのではないか、と思う。96条の改正については毎日新聞の世論調査では賛成42%、反対46%だという。賛成派が、9条を変えたいと考えていることは間違いない。

私は、正直なところはっきりした結論を持たない。社会科教師として、当然ながら憲法を講ずる機会もあるのだが、自分の意見を言わないことが美徳だと考えているので、無意識にエポケー(判断停止)しているのかもしれない。だが、日本国憲法がいかに作られたかという歴史的事実はちゃんと教えなくてはならないと思っている。

日本国憲法は、米国の占領政策に大きく左右されたものであることは事実である。憲法を急いで米国が作ったことと、東京裁判における天皇の責任問題(天皇制の存続・国体の問題)は大きな関連がある。マッカーサーは、(昭和天皇の人柄にうたれたこともあると思うが)プラグマティックに、天皇制を存続させることが米国にとって最も重要だと判断した。一刻も早く、象徴天皇制を謳いあげた憲法の成立が、そのカギとなったわけだ。このため、当時のGHQで勢力の強かったどちらかといえば、左派のニューディーラーたちを総動員してこの憲法は作られた。同時に、制裁的な意味を込めて「戦争放棄」「陸海空軍とその他の戦力(海兵隊)を保持しない」と謳ったわけだ。ところが、この9条は朝鮮戦争という、スターリンの毛沢東主義の中華人民共和国への面当てで起こった朝鮮戦争というイレギュラーで、実質的な効力を失う。警察予備隊に始まる自衛隊は、日本が西側の一員として捉えられ、必要不可欠な軍隊にならざるを得なかったとしか言いようがない。ところが、この自衛隊の立場を逆手にとったのが、吉田茂から始まる自民党政権で、アメリカの核の傘に隠れ、厳しい東西冷戦下を、実に安価な国防費だけで乗り切ることに成功し、日本は高度経済成長を遂げれたわけだ。

60年を経た今、様々な問題点が指摘されている。特にこの憲法が自主的に制定した憲法でないことである。この最大のデメリットは、日本の民主主義が、欧米のように,人民が自由を獲得する過程で生まれていないこと。したがって、日本国民は自由を享受することが当然だと勘違いしていること。そのことが、人権意識(権利)だけが独り歩きして、自己の責任をあいまい化し、故に、義務を果たさない自分勝手な社会となり、様々な問題が生まれていると私は思う。さらに、憲法9条も、玉虫色で対応してきたがために、危機管理上の様々な矛盾が生まれていることも、当然指摘されるところだと思う。自衛隊を国防軍という名に変えたところで、日本が好戦的な国になると思わない。いつ生徒に聞いても、戦争などにいきたくないという返事が返ってくる。平和主義は、完全に日本の国是となっている。ただし、教育に権力が介入してくることで、これが覆される可能性は、いまの管理強化を肌身で感じる私としては絶対にないとは言えないという危惧を持つ。

中国や韓国などの指摘する歴史問題は、最大の論点はA級戦犯の合祀である。A級戦犯の合祀された靖国神社には、合祀以後、昭和天皇も今上天皇も参拝されていない。A級戦犯には、たしかに何故?と思われる人物も含まれているが、中国・韓国の指摘は筋が通っている。自国内の問題だと言うのは感情的に理解できても、理論上は国際問題と化する可能性は否定してはならない。こっそりと合祀してしまった松平春嶽の末裔(その時の宮司)は、とんでもないことをしたもんだと私は思っている。

こう書くと、改憲論者のように見えるが、私はことさら変えなくてもよいとも思うのだ。もし、改憲するというのなら、9条をはじめとした問題点を正面から論じあうべきだ。この改憲は、ある意味、米国からの乖離、あるいは真の独立という想いをはらんでいる。96条を変えて、安易に改憲可能にするのには、賛成できない。朝令暮改で、品のない、民意というドグマを乱用する今の政治家が信用できないから、というのが最大の理由となるかもしれない。

超大河原邦男展を見に行く。

今週の月曜日に、JR灘駅山側の横尾忠則現代美術館に行ったのだが、今日は海側の兵庫県立美術館に行ってきた。超大河原邦男展。ガンダムなどのメカデザインを担当した人の展覧会である。正直なところ、私は世代がずれていて、あまり属性がない。妻が、いつも家族づきあいをしているH城鍼灸院の子どもたちが大好きなので、連れていってあげようということになったのだ。(凄いことに中学生以下は入館料は無料だった。3人も連れて行ったので大いに助かった。笑)

属性はないといっても、少しは知っている。ザクもドムも嫌いではないぞ。(笑)私自身はそれなりに楽しんだ。当然子どもたちは超ハイテンションであった。(笑)私も、実物大のモビルスーツ彫刻には「おおっ」という感じ。この作品、装甲騎兵ボトムスというアニメ作品のスコープドッグ ブルーティッシュ カスタムというらしい。顔がレンズになっていてカッコイイ。年甲斐もなくこのプラモを作りたくなったぞ。(笑)

さらに、海岸で弁当を食べてから、JR新長田駅まで行って、鉄人28号を見に行ったのだった。この鉄人28号は、完全に私の世代のモノである。先の阪神淡路大震災で最も被害の大きかった長田区の復興のシンボルとして、見事なランドマークである。でかい。ほんとにでかい。すばらしい。子どもたちも大喜びであった。
この鉄人28号は、モビルスーツではない。正太郎という少年がリモコン(無線)で、操るのだ。だから時に悪人にリモコンが奪われたりすることもあり、大変な事になるわけだ。その辺、時代を感じるよなあ。

「♪夜の街にガオー」などという主題歌が浮かんでは消えた「ロボットな1日」であった。

2013年5月2日木曜日

アフリカSDゲーム報告 その3

いよいよアフリカSDゲームも、準備段階を終え、本番に突入した。今日は普通科で第1回目のセクションを行った。今回は、生徒たちが、選んだエントリー国の独自の政策と、その政策を含めた9つの政策の優先順位についてまず報告しておこうと思う。

各国別の政策は、外務省のODAのHPからの各国別資料を要約したものを用意した。本校のフツーの生徒の参考資料としてはある程度精選が必要だった。しかし、生徒もなかなかやるものである。あまり詳しく教えていなのだが、いいところを突いてきた。ウガンダは、真っ二つに方向性が分かれた。北部の内戦をまずなんとかしようとする普通科。現在頑張っている科学技術を伸ばそうという武道科・体育科。同じエントリー国でも発想が違う。また普通科のザンビアも、武道科・体育科のザンビアも両方とも『地方分権』を選択した。資料には、ザンビアはサブサハラの途上国の中でも、かなり発展が進んでいるという資料に即したもので、なかなかいいところに目を付けている。その他、様々な視点から、彼らなりに話し合い、選択したようだ。

ただの興味づけのアクティビティにはしたくないし、ガンガンに講義して規定化されたようなアクティビティにもしたくない。私の想いは、どうやら成功したような気がする。

一方、この各国別の政策を入れて、共通の8政策群も合わせ、優先順位を考えてもらった。整合性のあるもの、あまり感じられないもの、いろいろだ。正解は当然ないのだが、もし、私が総括的に講義したら、「教育」と「保健医療」は、絶対的な上位に位置したはずだ。この辺のずれも、なかなか面白いのだ。学びは、ゲームを通じて順々に得てもらおうと思っている次第。次回は、ゲームの進め方について述べたいと思う。

2013年5月1日水曜日

ナイロビの焼きそば

ナイロビの日本食レストラン『東京』
先日、横尾忠則現代美術館に行った後、妻の所望で元町の南京町へ行った。中華食材のきくらげを買いたいのだという。私も南京町は大好き。ところが、妻は韓国料理を食べようと言う。中華街で韓国料理とは…と思ったが、私はことさら文句は言わない。(笑)で、冷麺と韓国風ノリ巻と、チジミを注文したのだった。ここの店員さんというか調理人さんというか、たった1人の男性スタッフは、なかなかのイケメン(妻の談)で、しかもサービスもよかったのだった。わざわざ見送ってくれたりしてかなりの好印象の店だったのだ。(店の名前は忘れたけど、トルコのアイスクリーム屋のさらに二・三軒南だったと思う。)

ところで、そこの冷麺が、真っ黒な麺だったのだ。なかなか美味だったのだが、私は突然ナイロビの日本料理店を思い出したのだ。

JICAの教師研修で訪れたケニア初日。夕食はなんと豪勢な日本料理店だった。JICAの現地スタッフによると、外務省やJICA御用達の高級店。ただし、シェフは韓国の人らしい。宴も終わりの頃、メニューを見て、ある先生が追加で「焼きそば」を頼んだのだった。そして、お出ましになったのが、いわゆる黒い蕎麦を焼いたものだったのだ。「ゲッ。」大阪人軍団は口が悪い。当然「なんやねん、コレ。」となったのだった。食道楽の地から来た人間にとっては、食べれるようなシロモノではなかったのだった。アメリカはまだマシだが、エレサレムでも、とんでもない日本料理に出会った。しかし、このナイロビの焼きそばは”MOSTとんでもない日本料理”だったと私は思う。

口の悪い大阪人を代表して、私はこう論評したのだった。(実はこのレストラン、「東京」という名前である)「名前変えたほうがええなあ。最後に『城』を入れて三文字にした方がええで。」
…と、かなり辛辣に韓国人シェフの「非日本料理」を批判したのだった。その意味を理解した年配の大阪人・K先生が大笑いしたことをよく覚えている。

*最近の若い人々は、『京城』と書いてソウルと読むことが、まずない。帝国書院の地図帳でもカタカナ表記になっている。そのことを知らないと、全くわからない話である。…『東京城』では、今も、黒い蕎麦の焼きそばをだしているのだろうか。