2013年5月5日日曜日

バルバロイという概念について

バルバロイ
世界史Bの授業では、ギリシアに突入したのだが、『バルバロイ』(ギリシア人が「聞きづらい言葉を話す者」=外国人を意味する)という概念は、極めて重要だと思う。授業では、そんなことを一生懸命に話していたのだった。この話すコトバが異なるというのは、「民族」ということと大きく繋がっている。民族の分類では、この言語の相違が大きく判断材料とされるからだ。

英語を話す人が近くにいたとしても、日本の学校教育のおかげであまり違和感を感じない。聞いたことがあるし、単語も全然わからないということもないからだ。まあ、外国人だとすぐ認識可能だが…。私は一応、仏語や独語、スペイン語、ロシア語、それに中国語・ハングルくらいなら、ああこの言語をしゃべっているなという経験知を持っている。

ところが、聞いたこともない言語があふれる空間もある。それは、NYCである。ランドマークのエンパイアステートビルのエレベータでは、狭い密室に各国語が乱れ飛ぶ。(笑)世界中からお上りさんが大集合している。私は耳を澄ましたのだが、さっぱりわからなかった。うーん、バルバロイ。もう1か所は、自由の女神の建っているリバティ島に行く船の中である。ここにも世界中からお上りさんが大集合していて、女神の姿が見えた瞬間、みんなが叫びだす。ここでもバルバロイ。だが、みんな日本製のカメラやビデオを持っているのが凄い。私はここで初めて日本人として、「MADE IN JAPAN」の優秀さを褒められた。(ちなみに、ケニアでもフランクフルトでも褒められたことがある。)私とは全く関係ないのだが、ちょっと嬉しい。(笑)

また、東洋人というのは見た目ではわからない。様々な場所でしゃべるまで何人かわからなかったという経験がある。ちょっと気まずい。(笑)南アのバックパッカーズ(安宿)では、韓国人、中国系のカリフォルニア在住の米人、そして日本人に会ったが、最初は英語で、探りを入れる。(笑)私自身も、日本の女子大生たちに謎の東洋人扱いをされたことがある。これもNYCだ。セントラルパークのベンチで、喫煙していたら、前のベンチに京都から来た3人が座った。ハンバーガーを食べながら、次に行く場所の相談をしていた。「どう行けばいいのか、あの東洋人に聞いてみよう。」ということになったようだ。大阪弁で答えたらびっくりしていた。(笑)

たしかにコトバが民族の中心概念になっていると私も経験的に思う。生徒たちにも、同じような経験を世界各地でして欲しいな。授業でそんな注文をしたのだった。

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