2013年5月16日木曜日

『龍馬史』を読む。

文春文庫の新刊で『龍馬史』(磯田道史著/5月10日第1刷)が面白い。この本は、学術的な内容なのだが、だからこそ面白いのだ。メインテーマは、誰が龍馬を殺したのかというものだが、このエントリーでは、そのメインテーマの核心には触れない。それこそ営業妨害というものだ。(笑)

というわけで、その周辺の話だけにしておきたい。龍馬はたしかに手紙や様々な記録を元にした史実に忠実に考察してもl極めてユニークな存在である。龍馬の真骨頂は私設の海軍と商船を運営したことだと著者は考えている。薩長連合や大政奉還への貢献はたしかに大きいけれど、龍馬だけが活躍したわけではない。時代の流れの中で作られたものだ。私も、様々な文献からそう思っている。龍馬は、薩長土の武器の調達にかなり貢献している。さて、その武器の話。

桜田門外の変で井伊直弼を絶命させたのは史実では、刃ではなく、一発の弾丸であったらしい。井伊を討った銃はらせん状のライフルが刻まれた口径の大きな短銃で、駕籠を突き抜け井伊の体を貫通したという。この拳銃は武器商人の中居屋重兵衛が浪士らに渡したと言われているが、その出所は明らかになっていないという。一説には、ジャーデン・マンソン商会(東インド会社から枝別れした会社で、その社員がグラバーである。)明治期に、このシャンデーン・マンソン商会の横浜支店長になり生糸や軍艦や武器で儲けたのが、元福井藩士の吉田健三である。この人物は、実は吉田茂の養父でその遺産が吉田茂の政治資金だったといわれているとか。凄いつながりである。

もうひとつ面白かったのが、会津藩の人材育成システムの話である。薩摩藩の『郷中』という少年団による教育は有名で、私も知っていたが、会津のそれは、まさにその対極にあるような教育システムである。天明の大飢饉の直撃を受けた会津は、人口が30%減少したという。この苦難の時代に天才家老が現われる。田中玄宰(はるなか)という人物で、熊本藩を手本に、藩校を中心とした人材登用制度の改革を行った。、藩校で優秀なエリートを育成し、徹底的な管理教育を行うのである。朱子学的に会津藩士の『六科糾則』をつくり、このとうり実践できる人間(藩に忠誠をつくせる人間)を責任ある要職につけるというシステマチックな改革だったわけで、実際、当時としては薩摩と並ぶ人材の宝庫となっていたらしい。薩摩の戦国時代から続く対処の判断力を養う教育に対して、近代的なエリート教育をほどこしていたといえるのである。こういう史実から導かれる歴史の土台のような話、実に勉強になるのである。幕末維新史は、実に面白い。龍馬の話から大きくそれてしまったが、まあいいか。

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