2013年5月3日金曜日

叢裏鳴虫Ⅷ

憲法記念日である。今年の憲法記念日ほど、現実問題として憲法が様々なところで論議されたことはないのではないか、と思う。96条の改正については毎日新聞の世論調査では賛成42%、反対46%だという。賛成派が、9条を変えたいと考えていることは間違いない。

私は、正直なところはっきりした結論を持たない。社会科教師として、当然ながら憲法を講ずる機会もあるのだが、自分の意見を言わないことが美徳だと考えているので、無意識にエポケー(判断停止)しているのかもしれない。だが、日本国憲法がいかに作られたかという歴史的事実はちゃんと教えなくてはならないと思っている。

日本国憲法は、米国の占領政策に大きく左右されたものであることは事実である。憲法を急いで米国が作ったことと、東京裁判における天皇の責任問題(天皇制の存続・国体の問題)は大きな関連がある。マッカーサーは、(昭和天皇の人柄にうたれたこともあると思うが)プラグマティックに、天皇制を存続させることが米国にとって最も重要だと判断した。一刻も早く、象徴天皇制を謳いあげた憲法の成立が、そのカギとなったわけだ。このため、当時のGHQで勢力の強かったどちらかといえば、左派のニューディーラーたちを総動員してこの憲法は作られた。同時に、制裁的な意味を込めて「戦争放棄」「陸海空軍とその他の戦力(海兵隊)を保持しない」と謳ったわけだ。ところが、この9条は朝鮮戦争という、スターリンの毛沢東主義の中華人民共和国への面当てで起こった朝鮮戦争というイレギュラーで、実質的な効力を失う。警察予備隊に始まる自衛隊は、日本が西側の一員として捉えられ、必要不可欠な軍隊にならざるを得なかったとしか言いようがない。ところが、この自衛隊の立場を逆手にとったのが、吉田茂から始まる自民党政権で、アメリカの核の傘に隠れ、厳しい東西冷戦下を、実に安価な国防費だけで乗り切ることに成功し、日本は高度経済成長を遂げれたわけだ。

60年を経た今、様々な問題点が指摘されている。特にこの憲法が自主的に制定した憲法でないことである。この最大のデメリットは、日本の民主主義が、欧米のように,人民が自由を獲得する過程で生まれていないこと。したがって、日本国民は自由を享受することが当然だと勘違いしていること。そのことが、人権意識(権利)だけが独り歩きして、自己の責任をあいまい化し、故に、義務を果たさない自分勝手な社会となり、様々な問題が生まれていると私は思う。さらに、憲法9条も、玉虫色で対応してきたがために、危機管理上の様々な矛盾が生まれていることも、当然指摘されるところだと思う。自衛隊を国防軍という名に変えたところで、日本が好戦的な国になると思わない。いつ生徒に聞いても、戦争などにいきたくないという返事が返ってくる。平和主義は、完全に日本の国是となっている。ただし、教育に権力が介入してくることで、これが覆される可能性は、いまの管理強化を肌身で感じる私としては絶対にないとは言えないという危惧を持つ。

中国や韓国などの指摘する歴史問題は、最大の論点はA級戦犯の合祀である。A級戦犯の合祀された靖国神社には、合祀以後、昭和天皇も今上天皇も参拝されていない。A級戦犯には、たしかに何故?と思われる人物も含まれているが、中国・韓国の指摘は筋が通っている。自国内の問題だと言うのは感情的に理解できても、理論上は国際問題と化する可能性は否定してはならない。こっそりと合祀してしまった松平春嶽の末裔(その時の宮司)は、とんでもないことをしたもんだと私は思っている。

こう書くと、改憲論者のように見えるが、私はことさら変えなくてもよいとも思うのだ。もし、改憲するというのなら、9条をはじめとした問題点を正面から論じあうべきだ。この改憲は、ある意味、米国からの乖離、あるいは真の独立という想いをはらんでいる。96条を変えて、安易に改憲可能にするのには、賛成できない。朝令暮改で、品のない、民意というドグマを乱用する今の政治家が信用できないから、というのが最大の理由となるかもしれない。

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