2010年9月30日木曜日

Deep People 河井継之助

 久々に幕末の話題としたい。今日の「受験に使わない日本史B」の授業は、北越戦争についてであった。(4月にペリーが来航して以来、まだ戊辰戦争が終わっていない。)私は、河井継之助という人物が好きである。不遇の時にも自分の力を信じて精進し続ける姿勢が、サルトル的で好きだし、陽明学の徒としての行動力も好きだし、譜代長岡藩の立場を「中立」として通しきった頑固さも好きである。もちろん、ガトリング砲を手に入れ、ぶっ放す「絵ずら」も美しい。(但し、長岡では義によって町をぶっ潰したわけで、評判がすこぶる悪いらしい。)
 今日の授業のヤマは、この河井が、新政府軍の新政府軍監だった土佐の岩村精一郎と会談する場面である。河井は奥羽への侵攻停止を訴えるのだが、この岩村、若輩者で河井の人物を見抜けなかったのである。司馬遼の「峠」では、この場面、見事なまでに描ききっている。

 人物を見抜く力とは、結局「器」の問題である。では人間の「器」とは何か。私は仏教で言う「境涯」という言葉で説明した。ちょうどこの授業には元バレー部の生徒が数人いたので、4月9日付ブログで書いた離任式の話をした。今春転勤した元バレー部監督のM先生が、それまでの口調を変え、バレー部に対しボロクソに激励した話だ。私は、凄いと思った。それだけ彼女たちを深く愛し、彼女たちのためなら何でもしてやるという心根がなければ、あんなことはできない。「境涯」とは、他者を自分の胸中に入れる器の大きさである。間違いなく、M先生の胸中には彼女たち全員がすっぽりと入っているのである。この話は、多くの生徒の理解を得たようだ。

 「ならば、どのようにして入れれるようになるのですかぁ?」という質問が出た。私は、「様々な苦労をして、その人たちの痛みを知ることかな。」と様々な体験を示して説明をした。これはもう日本史Bではない。(笑)でも、こういう授業が出来ることはうれしい。いつもならば、何人かはコックリコックリと来る5時間目なのだが、生徒の目は純粋に光っていた。

 余談だが、この岩村精一郎、佐賀の乱でも登場する。この時も事態を悪化させる狭量の男である。最後は男爵になる。まあ、こういう理不尽な顛末も人生なのであろう。

追記1:今日の放課後、カナダ帰りのOG,N君が近況報告に来てくれた。コーヒーをしばいた(大阪弁のスラングで飲んだ)後、職員室で隣のALT、F先生との会話の通訳をしてもらった。見事な発音で、なぜか私が鼻高々になった。(笑)
追記2:今日の「統計」を見て驚いた。16:00に、1023のページビューが記録されている。また『コンゴのオナトラ船と猿論争』に、今日だけで351のページビューが記録されている。どうなっているのであろうか。ブロガーの統計が狂ったのか?誰かのいたずらなのか?それともツイッターとやらで、爆発的なページビューが行われたのか?うーん。不可解である。どなたか、情報をお持ちであれば、コメントしてください。ちょっと気持ち悪いのです。(笑)

2010年9月29日水曜日

国際理解教育Activityの罠Ⅱ

 今日の英語科の地理Aの授業は、MW校の訪問団からそのまま留学生となったJ君を迎えて、中央アフリカの地誌をやった。やはり多く時間をさくのはコンゴ民主共和国(旧ザイール)である。悪名高き失敗国家だが、その歴史もタイガイである。旧ベルギー領だが、国王の狩猟地だったので、植民地経営がされていたわけではない。独立後のコンゴ民主共和国の歴史は鉱産資源の罠、紛争の罠の歴史である。ある意味アフリカの原罪を背負った地域のように感じる。シャバ州を中心に、銅などが産出されるので、世界的にも有名であるが、最近は、携帯電話などに使われるレアメタルの「タンタル」が産出すことで注目を集めているのだ。

 さて、本題に入る。このタンタルの話は、今日の画像の「ケータイの一生」という国際理解教育教材のテキストに出てくる。私もある国際理解教育セミナーで、実際に参加し、テキストも購入した。なかなか面白い視点で「ケータイ」を見て行く。ケータイクイズや何年で買い替えるかなど、身近で生徒の興味を引き付ける。ケータイの中身から、その部品が、いかにグローバルなかたちで日本に来ているかという視点も面白い。で、このタンタルの話が出てくるのである。このタンタルの産出されるあたり、非常に危険な反政府地域である。ここのレントの多くがそういうゲリラに流れ、武器購入などの費用となり紛争を助長しているということは、厳然とした事実である。

 この事実を受けて、このテキストでは、ワークショップでこう問いかける。「それでも、あなたはケータイを買い変えますか?」私が参加した時、教員や一般の社会人が多かった。5~6人のグループで話し合いを持った。その中で、直情型の青年がいて、「私は以後携帯を買いません。」と毅然として言い張るのである。この事実を聞いただけで、彼は決めつけたのだ。国際理解教育のアクティビティの罠に見事にかかっている。彼は、他の意見を完全に否定し、聞こうともしない。幸い、その時のファシリテーターはJICA大阪で昔馴染みの元職員さんで、「様々な意見があっていいんですよ。」と諭してくれたのだが、私は一気に、このアクティビティに興ざめしてしまった。

 最近日本企業は、タンタルの輸入先をオーストラリアに移しているし、何より、コンゴ紛争の真の原因は、やはりガバナンスの悪さからくる開発政策の無さによる貧困であり、我々がコンゴ産のタンタルの入ったケータイを買うからではない。このような問題は、他の地域や他の鉱産資源でもありうることだし、かなり馬鹿げた問いかけであると私は思う。(ちなみに本校で、このアクティビティを試し、同じ質問をしてみたが、誰一人そんな馬鹿な結論を出す生徒はいなかった。何故なら、開発経済学の基礎を教えた上で、このような質問しているからである。)
 余談であるが、このテキスト、後半部は途上国に進出した先進国(日本)の工場が、公害を出したり、安価で危険な労働を強制していることを前提にしたロールプレイなどが出てくる。私は、こういうシチュエーションを元に国際理解教育をやりたくない。いかにも正義を振りかざすようで好きではない。現実はもっとシビアである。以前(2月26日付)書いた国際理解教育のActivityの罠で記したように、社会科学的な裏付けもなしに、勝手に「決めつけ」る危険性を持っている。授業でタンタルの話をしていて、こんなことをフト思い出したのだった。

 私は、J君に言った。「今、日本の携帯電話会社はオーストラリアから、タンタルを買っているよ。」彼は、ニコッと笑い、親指を立てたのだった。 

2010年9月28日火曜日

アイオワのモノポリー

今日は第2回研修旅行説明会であった。私は今日も司会である。例によって、日程の詳細や持ち物、機内の荷物についてなどの説明があった。
 ところで、私の学年のアメリカ研修旅行について、ちょっと書いておこうと思う。実はちょっとほろ苦い思い出がある。私のクラスは男子が6人いたのだが(非常に少数派である。)、その中の1人、K君としておこう。彼が、研修旅行前に「気胸」という病に侵され、入院してしまったのだった。私は、なんとしてでも連れて行きたかった。この時、私は担任だったが、日程やしおりなどほとんどを担当していた。アイオワでのホームスティの後、シカゴ観光の時間がある。数少ない男子に、シカゴの科学産業博物館の「Uボート」を見せたかったのである。昼食をレストランではなく、この博物館内で済ませることを提案していた。食事の時間を節約すれば、その他にも”人体の輪切り”や、B-727の内部や、アポロ8号も見れるし、空母から発艦し着艦するシュミレーターにも乗れる。さんざん男子諸君を煽っていたのだった。何度も見舞に行き、お父さん、お母さんとも相談した。旅行前に退院はできたのだが、「気圧の変化に対応できなかったら大変なので、みなさんに迷惑をかける。」とお父さんからキャンセルの連絡を受けたのだった。K君は、妙に真面目な男で、直前の結団式にも参加した。私は、それが辛かった。顔を見ていると涙が出た。U校へのお土産のために作ったオリジナルの日本手ぬぐいに、K君の名前を書き、クラス写真の時、男子がそれをかざして、共にいる気持ちで研修旅行を終えたのだった。

 ところで、旅行前、K君のお母さんから餞別をいただき、「なにかお土産を買ってきてやってください。」と言われた。もちろんクラスの全員が思い思いに買ってきたが、私が彼にその餞別を使って買ったのが、今日の画像の「アイオワのモノポリー/IOWAOPOLY」である。彼に、「卒業したら、男子と私で、研修旅行に行こう、そこでこれをやって遊ぶのだ。もちろん、全員大学に合格してなっ。」と言ったのだった。周りにいた男子も、「絶対、行こう!」と言ってくれたのだった。

 卒業式が終り、国公立の前期試験の結果が出て、さらに後期試験の結果も出た。K君は残念ながら浪人することになった。約束通り、みんなで旅行した。悲しいかな、岐阜の高山から富山へ行く1泊2日の温泉バスツアーの旅だった。(若者の卒業旅行らしき集団に1人おっさんが混じっている変な団体だった。笑。)ホテルで、夜遅くまで、このモノポリーをやった。当然、カードがみんな英語だった。生徒はすらすら読むが、私が引いたものは生徒に訳させた。(恥ずかしい。)さらにトランプの”大貧民”で盛り上がった。隣の部屋で寝ようとしていた2人の女子生徒(彼女たちは、”K君の研修旅行”というこの企画に賛同し参加してくれた稀有な存在であった。)に、「うるさい!」と怒鳴られたのを思い出す。

 蛇足だが、K君も含めた浪人組にこうハッパをかけた。「合格祝いをみんなでやろう。」長い1年だった。K君もなんとか地方の公立大学に合格が決まった。20人くらいの生徒が集まってくれて、某生徒の保護者が経営されている沖縄料理店でおおいに合格を祝った。(堅いかもしれないが、未成年なので、アルコール抜きだった。)この日、私の”4年間の担任”の日々が終わったのである。

 今年の研修旅行、私は、一人も欠けることなくアイオワの大自然と、U校生徒との温かい交流をしてくれることを望まずにはおれないのである。

2010年9月27日月曜日

地球市民的発想で中国を語る

 3年生の現代社会の授業で、尖閣諸島の問題があまりにタイムリーなので、2時間にわたって、現代中国史の講義をした。先週は、先日のブログでちょっと書いたように、「紅」と「専」のゆれを追いながら、概観した。
 中国の13億の人民を治めると言う事は、並大抵の人間には出来ないことであるということに、生徒は十分納得してくれた。
 ところで、生徒は、この問題をどう考えているのか聞いてみた。父親や祖父がエキサイトしている家庭もあるらしい。(だろうなあと思う。)日本の不甲斐なさみたいなものは感じているが、正義は日本にあるのではないか、というのが多数派のようだった。
 私は、生徒に「地球市民」であってもらいたい、と常々考えている。今回の特別講義も、そのスタンスに立っている。中国には中国の歴史と文化とアイデンティティがある。その理解の上に立って、自分の意見を持って欲しいのである。その上で、どういう答えを出すかは、1人ひとりの自由である。

 さて、授業の後半部、話題を変えた。「中国は、途上国であるか否か?」これは難しい。手を上げさせたが、40人クラスで、是が7~8人。否が5人ほど。理由をきちっと立論できる者はいなかった。今も日本は、中国にODAを行っているというと、生徒はかなりびっくりしたようであった。「その上に今回、賠償を迫っているのですか?」という声も出た。(まあ、そう思うよな。)

 で、私は周総理の話をした。私は、周総理を凄い政治家だと思い敬愛している。我が家のトイレには、周総理の肖像画が飾ってある。(何でトイレなんですかとの質問あり。無視した。笑。)周総理は、建国以来、自分の権力への意思を捨て、国家の為毛沢東に忠誠を誓い、実際内心とは異なる政治的行為も行ってきた。大躍進や文革では、非常に苦しい立場にいながら、総理という政治的立場を守り、まさに「矢襖(やぶすま)」のように実務面を守ってきた。彼がいなかったら、今頃中国は分裂、春秋戦国時代になっていたかもしれない。批判もあるが、私はその”器の大きさ”や”大局観”を支持したい。
 大躍進の頃、周総理は農民と共に開墾に汗を流す。石を運んだりもした。これは儒教の国では考えられないことである。政治的パフォーマンスであったとしても破格である。死の直前まで病室で仕事をしていたし、もう死期を悟った時、中国最高の主治医たちを、人民の利益を優先させるため、地方に派遣した。これももし政治的パフォーマンスだったとしても、そう簡単に出来ることではない。

 その周総理が、日中国交回復時、田中角栄と戦争賠償について議論した時、こう言った。「おそらく中国への賠償金は膨大なものになるでしょう。それは、日本の人民が税金として払うことになります。恨みが残ります。そのことで、中日人民の友好が崩れることはよくない。中国は賠償を求めません。」と。生徒たちは、当然こんな事は知らない。「周さん、恰好いい!」とう声が上がった。そう、凄いコトバだったわけだ。しかし、それだけではない。この時の負い目が、以来日本にはある。ODAという形で、今も経済格差に悩む中国の遅れた地方で国際協力が行われているのはその為なのである。「したたかやな。」今度はこういう声があがる。そうなのである。だからこそ、周総理は凄いのである。単にお人好しの「君子」ではない。

 「ここまで学んだ上で、自分の結論を導いてほしい。まあ、客観的に見て、中国を引っ張る政治家というのは、はるかにスケールが違うということだけは確かなようだ。」と言ったら、チャイムが鳴ったのである。

2010年9月26日日曜日

私はアフリカに人間を見に行く

 りり~君のブログ(国際協力師への道/9月25日付)で、「こちらの善意が相手の迷惑になっていないか」と題して、彼が異文化への配慮について書いている。その例として、教育についての私の体験を引用してくれている。(下記参照)

『子供に算数を教えるのですが、父親は算数ができません。父親は子供にとって偉大な存在である国で、父親よりも高等な教育を行うことは許されることなのか? その教師が行った教育方法は、「子供と一緒に父親にも教育を一緒に行う」という方法だったと記憶しています。(合っていますか?)』

 回答:合っていません。(笑)ケニアでの私の体験と、ブルキナでの体験が混ざっています。ケニアでの体験については、2月17日付のブログで書いた、ピーター=オルワ氏の話です。アフリカでは、父親の権力が強いので、子供が生意気を言うような教育を受けるにはまだまだ早いだろうという話です。もう一つは、ブルキナの体験です。彼に私のブルキナの紀行文(ブルキナファソ留魂録)を読んでもらったので、合体ロボしたのでしょう。この話は、ブログでは初登場なので、ちょっと詳しく書こうかなと思います。

 ブルキナで、私はIさんやJICAの皆さんの好意で、SMASE(理数科教育推進プロジェクト)の現場を視察することができた。<本日の右上の画像>教えるのはJICA専門家のM氏。三角定規を新聞紙で作り、初歩的な幾何(三角形の内角の和等)を”小学校の校長のさらに上の立場の人々”に教えていた。その後、ワガのSMASE事務所に戻り、カウンターパートナーのゾンゴ氏と語らうことができたのである。ゾンゴ氏は、今日研修を受けていた人々のさらに上に立つブルキナの教育界を背負う若きエリートでJICA大阪に研修員として来たこともあるという。<次の画像はゾンゴ氏>

 ここで、私は上記のケニアでの体験、すなわちピーター氏に「開発も重要だが、ケニアの伝統社会も重要なのだ。」と言われたことについて、詳しく説明してから、「ブルキナの理数科教育においても同様の軋轢が起こるのではないかと懸念する。あなたは私の意見に対してどう思うか。」と問うたのである。(もちろん通訳はJICAのSさんにお願いした。かなりシンドイ思いをされたと思う。いまさらだが、合掌である。)

ゾンゴ氏の回答である。「そういった問題は確かにある。伝統社会と経済発展はかち合うものだ。しかし、両親を学校に招くこと、そこで意見交換をすることで、学校で何をやっているか理解してもらえる。ブルキナでは、小学校の運営は行政ではなく親が行っている。共同体の中で学校に関わらざるを得ない。識字教育、特に女性への教育は学校が行っている。伝統社会との問題は学校側から歩み寄っている。伝統的なダンスを学校で教えたりもしている。すなわち、開発の側から伝統社会にアプローチすべきであると私は思う。」 …箴言であると私は思った。
 蛇足かもしれないが、この後、「私は、日本の子供は、金と偽りの自由に侵されている、と感じている。それに比べて、ブルキナの子は心が美しい。」と言ったら、彼は顔をしかめた。「もし、ブルキナの子供たちが学力をつけたら、きっといい国をつくれるだろう。」とさらに私が言うと、シニカルに笑った。
 彼のこの反応を私は不快に思っていない。責任ある立場にある人間だからこそ、こう反応したのだ。彼は無責任な政治家ではない。現実を誰よりも知り尽くし、何から手をつけるべきか四六時中考えているのだろう。単純に子供の心が美しくても国は発展しない。しかし教育が充実すれば少しだけ明るい未来が見える、という確信故の反応だと私は感じた。だからこそ、彼は本当に信用できる人物なのだと思う。

 このような人物と話せたことに、今も深く感謝している。
       -私は、アフリカに人間を見に行く-

2010年9月25日土曜日

尖閣諸島問題と中国私論

MW校訪問団帰国へ
5時前起きで、R・M先生を連れて、7時に学校に着いた。食堂には、すでに2組のホストファミリーが来られていた。9連泊もお世話いただいて頭が下がる思いである。電車で、車で、続々とホストファミリーが到着する。我々国際交流部だけでなく、教頭や来年7月に渡豪する1年英語科の担任のR先生やU先生もお見送りである。いつも通り、長堀通に待機していたバスに乗ってもらって別れである。今回は、中国修学旅行の仕事が主だったのでサポートに徹した訪問団だったが、それでも別れは寂しい。目を真っ赤にして別れを惜しむ姿に、いつもながら感動するのである。

尖閣諸島問題と中国私論
今回の尖閣諸島の問題について、私論を期しておきたい。私は一時、中国現代史にハマってかなりの量の関係書籍を読んだ。もちろん専門家ではないし、これまた現場の一教師の私論であることを念頭に読んでいただきたい。

昔々、初めて中国を訪れた時、上海のホテルの朝食は一応バイキング形式を取っていた。パン2種類と中華粥、ドリンクはコーヒーとオレンジジュース、殻つきのゆでたまご、そして果物は、土がついたミカンだけだった。妻は、「なんじゃこりゃ」と絶句した。しかし当時の私は、「中国は、ここまで発展したのか」と思ったのである。

1949年の中華人民共和国の成立以来、中国は「紅」と「専」、すなわち毛沢東主義的な農村社会主義路線と、劉少奇や鄧正平らの資本主義的修正路線の間で揺れ続けてきた。「紅」の大躍進政策では、膨大な餓死者を出した。鉄鋼生産を打ち出し、農民は鍬や鋤を土法で屑鉄に変えてしまった。彭徳懐の批判以来毛沢東は失脚し、劉少奇の「専」で中国経済は立ち直る。しかし、またまた文化大革命で「紅」化し、中国の経済発展は遅れる。(何年か前、中国から本校に教員の訪問団がやってきた。私と同世代の社会科教師は、代表団に選ばれるほどの優秀な人物らしいが、なんと一言も英語を解さなかった。聞くと文革世代であった。哀れである。)四人組の台頭、周総理の死、毛沢東の死…不死鳥の如く甦った鄧正平の力で、「専」の政策が復活し、以後、白い猫も黒い猫もネズミを取る良い猫として、怒涛の市場開放が始まったのである。

中国現代史が我々に語りかける事実、それはなにより、中国の人口の多さからくる政策の善し悪しが甚大な影響を及ぼすということである。大躍進や文革による死者の数は半端ではない。「一国家」というカテゴリーではくくれないほどの影響がある。だからこそ、中国の統治者は、政策をひとつ間違えると大変なのである。今や、これだけ資本主義化が進んだ故に、中国共産党は、イデオロギー集団ではなく、テクノクラート集団と化している。彼らは常に、13億の中国”人民”に、ある程度の”満足”を与えなければならない。そのため、中国には経済格差を是正しながら、常に高度経済成長をし続けなければならないのである。
中国に欧米的な意味での民主化を一気に図るというのは、あまりに危険な実験すぎるのではないか、と私は思っている。13億の”人民”を束ねるためには、強大な専制的権力がどうしても必要悪となる。自由をある程度制限せざるを得ない中国の事情がそこにある。もし、欧米的民主化が実現するとすれば、先進国並みに経済発展した上でのことであろう。

今回の尖閣諸島の問題は、毎日新聞の論説によると、中国の中南海の権力闘争であると言われている。温家宝首相らは、「紅」「専」の”ゆれ”による歴史を冷静に分析しているテクノクラートである。経済発展を支える海外の投資筋が最も恐れるのは、中国の”ゆれ”である。だからこそ、大国主義を抑えながら中国”世界”の舵を慎重にとってきたといえる。しかし、米国をはじめとする人民元切り上げ要求の高まりの中、保守派の厳しい突き上げを受けたのであろう。

今回の問題を、私は「紅」から変化した「中華ナショナリズム」が、「専」をゆらした結果のように感じる。不満を抱えた階層が、今回の事件をうまく利用し、現指導部を揺らしたわけで、表面上硬化し、強硬姿勢を貫いている温家宝首相も、長い目でみれば中国の国益を損なっていることは判っているはずで、決して満足しているとは思えない。”中南海”は、周恩来以来、ずっと孤独である。

追記:今日の毎日新聞の朝刊に、これら尖閣諸島の問題を受けての、本校の中国修学旅行への対応の記事が出ていた。教頭が取材を受けたと言われていたが、ホントに出ていた。(笑)

2010年9月24日金曜日

R・M先生、我が家に来たる

MW高校の滞在も残すところ今日1日となった。明日早朝に本校に集合し関空に向かうので、今晩はたった1日のことではあるが、R・M先生に我が家に泊まっていただくことになったのだ。妻がサラダやシチューやマッシュルームとアスパラガスのガーリックソテーなどを用意してくれた。さすがは”自称・料理人”である。(笑)食事中、面白い事に、R・M先生と彼女のハズバンドと、我が夫婦は同じ年齢であることがわかったのだった。オーストラリア英語とサバイバル・イングリッシュで、なんだかよくわからないが、会話は弾んだので、めでたし、めでたしである。<ちなみに今日の画像は、本校の屋上を散策する訪問初日のMW校生の姿である。珍しい写真なので国際交流部の画像から拝借した。>

 さて、今日は第2回中国修学旅行説明会であった。日中関係が全面対決状態の中での説明会はきついのである。なんとか、保護者の不安を払拭しなければならない。授業が終わって、インターネットを見ていたら、なんと那覇の裁判所が中国人船長を釈放するという速報が入っていた。その是非はともかく、修学旅行説明会の司会者にとっては、極めてグッド・タイミングであった。校長・教頭に伝え、開会の辞はこのニュースの紹介から始めた。保護者の不安は、ほぼふっとんだようである。会場に和んだ空気が流れた。後は、イケイケである。結局和んだまま1時間で終了した。めでたし、めでたしである。

 今回のこの中国問題については、明日書こうかなと思う。では、明日朝早いので…。

2010年9月23日木曜日

MDGsサミットのオバマ演説

 MDGsサミットで、オバマ大統領がアメリカの世界開発政策を発表した。ちょっと長いが、CNNのニュースからの引用である。
 『オバマ米大統領は22日、ニューヨークの国連本部で開かれた「ミレニアム開発目標(MDGs)サミット」で演説し、地球規模の発展を目指す包括的な発展途上国支援を実現するための米国の「世界開発政策」を発表した。
 この中で、オバマ氏は「開発は慈善ではない」ことを強調。米政府が途上国への支援の取り組み方を変える方針であることを明らかにしたうえで、今後の支援策の基本となる4つの柱について述べた。
 オバマ氏は最初の柱として、「発展の定義」を変えるべきだと主張。従来のような支援金、食料、医薬品の供与といった物質的な援助だけでなく、「真の意味でその国の発展を促し、貧困から繁栄への転換が実現できるものであるべきだ」と指摘し、そのために、米国は外交から貿易、投資政策まで、すべての手段を利用すると述べた。
 2つ目の柱としては、「発展の最終目標」がどうあるべきかについても、見直すべきだと言明した。「数百万人が数十年にわたり食料援助などに頼っている現状は、発展ではなく依存を生み出しているだけだ」として、途上国が悪循環を断ち切り貧困から抜け出すための援助が必要であることを表明した。
 また、3つ目に、「広範囲にわたる経済発展」の重要性を指摘。極度の貧困状態にあるアフリカ諸国なども「ミレニアム開発目標」の達成に向けて前進すべきであり、米国は、民主化の進展に努める途上国に対して支援を行う意向だと述べた。
 そして最後の4つ目に、「米国およびその他の国々が、より多くの責務を果たすこと」を挙げた。ひとつの国の力だけでは開発目標を達成することは不可能であり、他の国の政府、さらには様々な基金、民間団体、NGOなどがコミットしていくことが必要だと言明した。
 米政府当局者によると、この政策は、世界金融危機を受けて、米政府がどのように支援の対象を絞込み、効率的に支援活動に取り組んでいくかを1年間にわたり検討した結果、採用されたものだという。』(下線は、私がひいたものである。)

 これは明白なる天命の国是と、現在の経済状況を止揚させた見事なアメリカ的演説だと私は思う。もちろん、私は開発経済学や国際政治の専門家ではないし、演説の全文を読んだわけでもないので、まあしょせん現場の高校教師の感想と受け流していただきたい。
 
 MDGsは、長期的な開発目標である。先進国がGDPの0.7%程度をODAとして拠出し、保健・教育といったアマルティア=センの主張する潜在能力を発揮するための最低限のプロジェクトに効果的に資金を配分すれば、大きく途上国の状態は変わった可能性がある。ジェフリー=サックスの想定した政策は決して無理難題ではなかったはずだ。ところが、サックスの母国・アメリカは、このMDGsに積極的だったわけではない。
 アメリカは、たしかに”世界の警察”として、『人間の安全保障』的な食料支援などには熱心で、必ずUSAの文字が書かれた援助物資の画像にぶつかる。しかし、それが世界のアメリカ支持に繋がらない事実(9月11日付ブログ参照)にイラついているように思える。よって、新戦略が打ち出されている。これからは、外交・貿易・投資など全ての手段をとるというのである。ただし、それは「民主化の進展に努めている途上国」に対して行われるのである。最後の他の国や基金、NGOにもそれに従うよう求めているわけだ。悪意をもって聞けば、このような感想になる。
 一方、善意で聞けば、この転換はおよそ正しい。この「民主化」という定義を、ポール・コリアーの主張するように、単に民主主義のルールに一応則った”選挙”を行っているという、低いレベルではなく、言論の自由が保障された野党やマスメディアが存在し、汚職を監視できるような体制とするべきであろう。
 さらに、他のニュースの情報から、アメリカが支援強化しようとしている国は、タンザニアやシエラレオネ、リベリアなどだという。うーん、私には、タンザニアは東アフリカのイスラム原理主義への牽制に見えてしまう。シエラレオネやリベリアには、英米の黒人奴隷解放との歴史的からみがあって、完全に新鮮味にかけるのである。ここで、台湾と国交のあるブルキナやサントメ・プリンシペを支援すると言ったら、見事にアフリカに大々的に進出している中国にガツンと言わせたことになるのだが…。(笑)まあ、先日(21日付ブログ)も述べたように、国益を離れた議論にはなっていないのは仕方がない。しかも「効率的に支援活動に取り組んでいく」という”プラグマティズム”的表現で終っている。見事にアメリカ的演説であったといえるだろう。

追記:今日は、MW校生は、ホスト生と共に京都観光(6月16日付ブログ参照)である。雨の中、三年坂で滑らなかっただろうかと心配である。 

2010年9月22日水曜日

MW校との日本文化交流

文化祭後の日・月を、ホストファミリーとすごしたMW校生は、代休の昨日、ホストやその友人とUSJへ。ずいぶん楽しい3連休だったようだ。今日は、1時間目各ホストの授業に参加し、その後、豪州組だけで海遊館へ行ってきた。そして放課後は、筝曲部と茶道部で日本文化体験である。
 私も国際交流のはしくれとして、このクラブ体験に付き合った。左の画像は、人数が多いので社会科教室で行われた筝曲部での交流風景である。筝曲部も慣れたもので、”さくらさくら”を演奏した後で、MW校生にも主旋律を教え込む。英語と日本語と身振り手振りである。最後はMW校生の合奏。これがうまくいくのが凄い。若さだなあと思う。英語の専門家が誰もいなかったので、私のサバイバルイングリッシュが炸裂したのであった。茶道部でも、全員に茶がふるまわれた後、茶器や床の間などの日本文化について説明し、さらに、いろいろと対話した。なかなか濃密な時間であった。

 さて、国際交流部で私は中国修学旅行の担当である。ご存じの通り、尖閣諸島をめぐって日中間が急に険悪になってきた。生徒の不安もこの三連休で増幅されているようで、国語科長のK老師も非常に心配されている。当然ながら、この三連休明けの今日、様々な対策を考えて出勤した。H旅行社に連絡をとったら、さっそく現地のレポートをFAXしてくれた。実際修学旅行中の学校もあり、何の問題もないようである。6限目のLHRで、諸注意を兼ねて生徒の不安を取り除いておいた。
 私曰く…「TVで出てきた上半身裸の五星紅旗の刺青をしたおっさんが、北京中にいるわけではない。あんなんが1万人も出てきたら…こわいやんけ!1人しかおらん。」2年生の国語科は大爆笑した。「現地の報告もちゃんと入っている。安心しいやあ。」ちゃんと「ハイ!」という返事が返ってきた。

 明後日は、第二回修学旅行説明会である。保護者を迎え、毅然とした姿勢で臨むことが何より肝心である。<今日の画像で、背面に日章旗が描かれているのは、MW校生のツアー用ポロシャツである。旗の周りに参加者の名前が書かれている。>

2010年9月21日火曜日

MDGsサミットが始まった

 今日は、文化祭の代休なので、ブログを早めに書かせてもらうことにした。なぜなら、極めて重要な国際会議が始まったからである。しょせん叢裏鳴虫にすぎないが、声を大にして言いたい。

 国連で、MDGs(ミレニアム開発目標)サミットが始まった。国連事務総長は、先進国の経済が落ち込んでいることで、2015年までの後5年で、この目標が達成できるか危ぶんだ。サルコジ仏大統領は、先進国が、財政危機にある中でも支援を続けて行こうと訴えた。とニュースは伝えている。
 なるほど…。私は、このMDGsについては、生徒に出来るだけちゃんと教えているつもりである。この元になる理論は、アマルティア=センのものだし、これをまとめたジェフリー・サックスも偉大である。MDGsの設定目標は、”まっこと”正しいと思う。<MDGsについては画像を拡大して参照ください。>
 だが、サルコジの言は、なんとなくウサンクサイ。彼は、フランスの国益の代弁者である。どうも私はフランスという”ヨーロッパ中華共和国”が好きになれない。(この中華は中華思想の中華である。)「ロマ追い出し」の件も、「ムスリムへの圧力」も、アメリカに対抗して、EUという異文化共生の”ヨーロッパ合衆国”をを主導したわりには、ケツの穴が小さい。そんなフランス政府が、援助を増加させるといっても、ああ、アフリカに中国が進出しまくっていることへの旧宗主国の焦りだな、としか受け止められないのである。
 先日読んだ「援助じゃアフリカは発展しない」という本は、アフリカの悪しきガバナンスへの嫌悪感を増幅させるという意味で、こういう問題に意識を持つ我々にとっての劇薬かもしれない。ケニアのキバキが「さらに援助の増大を」と述べても、空虚にしか感じなくなる。

 リンクしている『アフリカのニュースと解説』の、アフリカのページ、”ブログには使わない要約のページ”に、『アフリカの独裁者が所有する飛行機の内装』という記事がある。これを見ると、思わず吐き気がする。本気で先進国が、構造的暴力の解消を考える時、独裁者の糾弾から始めねばならないだろうと思う。http://let-us-know-africa.blogspot.com/p/news.html

 とはいえ、MDGsは、地球市民にとって最重要な問題である。国益を離れ、政治家が善意で討議することはありえないと思うが、やはり注目したいと思う。

2010年9月20日月曜日

下川祐治を久々に読む

私は地理の教師でもあるから、海外旅行記ものは”文庫”で出来るだけ読むようにしている。とはいえ、蔵前仁一とか下川祐治といったバックパッカーモノが多い。さて、先日「格安エアラインで世界一周」という5月に出た文庫を見つけた。LCC(ローコストキャリア)については、最近マスコミでも注目されるようになったが、さすがは下川祐治である。すでにLCCで世界一周(正確には、関空から西に向かい、ロングビーチまで)している。本人も自虐的に貧乏旅行作家と自称しているが、いつも厳しく悲しい旅である。
 私もひとり旅なら、航空会社など安ければどこでもいいと考えるのだが、この本を読んで少々考えた。LCCは、完全に英語の世界である。それも、インターネットでの予約が決定的な要素となる。しかも、いかなる事情(他の航空会社の乗り継ぎの遅れ等)でも乗り遅れたらおわりである。海外では極めて慎重になる私にはちょっと厳しい。機内サービスが有料だろうと、ビデオがないだろうと、ちょっと辺鄙な空港着こうと、そんなことはいいのだが、予約するのが極めておっくうだと思った。実際、下川祐治も、1日6時間パソコンに向かい、不可思議な予約の体験をしている。そう、パソコンの様々な入力には一種の”怖さ”と”不安”がある。以前、携帯電話の電波が自宅に入らないのでソフトバンクにアクセスしようとしたら、無茶苦茶複雑で、しまいに頭にきた。日本語でもこれだから、ストレス性もきわめて強い。

 この本を読むと、アジアではLCCは、経済移民や出稼ぎの足となり、ヨーロッパやアメリカではビジネスマンの足になっているようだ。そのサービスも極めて経済効率を重視したアジアと、LCCの中でもサービスの差異化をはかる欧米の差もあるようである。LCCをひとくくりにはできない。

 さて昔、格安航空券ガイドという雑誌があって、下川祐治がかんでいることも知っていた。この本の中盤で、そのことが出てくる。あの頃から「格安航空券」が認知されたのだが、今はインターネットの普及で、これらの雑誌はブッ飛ばされてしまった。私もよくエイビーロードなどを意味もなく買って読んでいた時期がある。それだけで楽しかったのだが。

 時代は、LCCに移るのかもしれない。飛行機好きの私としては、いっぺん乗ったろかという気になる。単純な路線で、ヨーロッパ間の移動、そうロンドン-ダブリン間ぐらいならいい。下川祐治の言う頑固な食の習慣を捨てないアイルランドのパブでアイリッシュ・コーヒーを飲むをために。

2010年9月19日日曜日

2010文化祭あとがき

 祭りが終わって、今日はゆっくりのんびりである。妻に頼まれて、近所のおばあちゃんを連れてH城鍼灸院へ行って来た。妻がいつも連れて行くのだが、今日は町内会の敬老の日の準備があるらしい。というわけで、その後は午睡に励んだ。
 昨日、実はまだ書きたいことがあった。それが、右の画像である。本校では、様々なクラスや部の場所や時間を案内するポスターを4枚ずつ製作し、一番いい作品を玄関に展示し、これも審査対象にしている。もう、表彰も終ったので、バラしてもいいと思うが私は、舞台が忙しいので、このポスター部門の審査をした。実は閉会式の審査発表の時は何かの用事で舞台を離れていたので、具体的にどうなったかは知らないのだが、このポスターが最優秀だと思う。ポスターは基本的には2次元でなければならない。しかし、これは3次元である。他にも3次元ポスターがいくつかあった。これらは、掟破りだと思うが、この3Cの作品、ディテールの細かさ、完成度の高さといい、文句のつけようがない。ちなみに画像を拡大していただくとわかるが、提灯に”じゅん子”とあるが担任のS先生のファーストネームである。女子クラスらしくていい。(笑)
 ところで、今ベトナムに行ってるM子君が、3年の時、同じように文化祭の模擬店ポスターを、担任のU先生の特徴を生かして見事な作品を作ったことがある。たしかカレー屋のポスターだった。(U先生は、これを大変気に入られて自宅の玄関に飾ると言っておられた。)あの作品は、私はこれまで史上最高だと思っていたが、うーむ。しかし、ついに越えられたな。まるで、連勝記録を白鵬に抜かれた千代の富士のような気持ちだ。

2010文化祭当日の記録

 今日はいよいよ文化祭当日である。朝、モーニングでいつものパブに寄ったら、DVDで「オズの魔法使い」が流れていた。このパブでは、毎日無作為にDVDが無音でTV画面に映っている。一昨日は「名犬ラッシー」だった。その前は、「ニューオリンズ」だった。
 で、今日はいつも机の中に入れてある思い出のTシャツを着て、舞台の仕事をすることに決めた。担任をしていた2年C組で、ミ「ュージカル・OZの魔法使い」をやった際のものである。(8月30日付ブログ参照)OZと2Cをひっかけて、テーマ曲・虹の彼方にを表している。また文化祭での大阪公演とアメリカでのパフォーマンスの日付入りである。私はかなり気に行っている。もしかしたら私にとって本校最後の文化祭になるかもしれない。天の声だと思って着ていたのである。
                                                           


  さて、昨日紹介したパフォーマンスは、生徒に聞くと、やはり元ネタがあるのである。 但し、土台はともかく、かなりオリジナルのものらしい。左の写真が、それ。光の庭を2階廊下から撮影したもの。7人でやるパフォーマンスで、1人写っていないのが残念である。槍を持つ者や、アニメーションの”コブラ”みないな腕に銃をつけた者、マシンガンを持つ者などと共に、後ろにコンピュータをもつ変な役の者もいて、かなりおかしい。
 一方、下の画像は、昨日紹介した超高校生バンドである。構成は、リードヴォーカル、ギター、ベース、ドラムス、それにキーボードである。                                            昨日の予選を勝ち抜いて、今日の一般公開にも再登場してきたわけである。今日もなかなかいい音を出していた。

 今日は教員の反省会もあって、ブログを書くのが、かなり遅くなった。ふー。とにかく、いい文化際であった。みんないい顔をして下校していったのが、なによりである。

2010年9月17日金曜日

MW訪問団歓迎式と光の庭

 今日は、MW校の歓迎式典が、文化祭のオープニングに先駆けて行われる。と、いうわけで私はいつものパブでのモーニングをカットして学校に急いだのである。7:30ちょっと前に着いた。ありがたいことに、K老師や仲の良いY先生、そして勤務時間の変更申請までして管理作業員さんも手伝っていただき、準備を行った。スタンバイ完了後、集合場所に行くとホスト生徒とMW生がミーティング中である。彼らを講堂(体育館)に連れて行き、記念撮影、それから舞台上に着席してもらい約20分の予定というタイトさで式典である。<今日の画像はMW校生によるコーラス。ピアノ伴奏をしながらオーストラリアのポップを披露中。>

 この写真をよく見ると、マイクの位置が低いのがわかる。実は、これには理由がある。式典の最初に、学校長のスピーチがあり、次にMW校のM先生のスピーチである、ずいぶんと身長差がある。そこで、私がマイクを伸ばしにいったのだが、3年の国語科にバカ受けしてしまった。名前をコールし、拍手までする始末。(本音はちょっと嬉しかったが、TPOが悪すぎるのである。)そこで、私が前に出ることをやめ、文化祭実行委員会の生徒に行かせたのだが…。結局うまく調節できぬままになってしまった。ま、いいか。と笑って済ませたのであった。

 本校の文化祭初日は、講堂でのオープニングで盛り上がり、扇形の校舎の吹き抜け空間、”光の庭”で行われる有志参加主体のダンスや軽音などで毎年盛り上がる。いつもは、私は舞台の主坦なので見に行けないのだが、今年は昨日のブログで書いたように、転勤してきたK先生が見事に運営していただいている。K先生に甘えて、ちょこちょこと光の庭を見に行った。今年は、かなり高度なステージだった。
 ダンスは、昔は、好きな曲に合わせてジャズダンス踊ってます!といった直球勝負だったが、ダンスが”舞踊”に進化していた。体育のダンスの授業の成果なのか、それともボックスくらししか踊れない私の世代とは違うニュータイプだからか。
 軽音も、私の教えている国語科3年の演奏などは、私の中の高校生のレベルを遥かに超えていた。インストメンタルだけで聞かせることができる。これは凄い。(後で歌のある曲だと言うことがわかった。但し英語らしい。だから歌わなかったらしい。ははは。)
 笑いをとるパフォーマンスも、見事に進化していたのにはさらに驚いた。これは、明らかに”芸術的パフォーマンス”というのがあった。3年の英語科の男子の演技である。30秒ほどの様々な音楽に合わせ、奇抜な恰好をした数人が武器を持ちながら踊り、いちいちミエをきる。それが何曲も続くのだが飽きさせない。もし、元ネタがないとすれば、「こいつらオフ=ブロードウェイで通用するかもしれない。」と思った次第。(これは、ブルーマンやストンプのような凄いパフォーマンスしか認めない、辛~い私としては、最大級の誉め言葉である。)彼らのうち半数は、私の倫理補習の弟子であり、国公立志望である。横で見ていたK老師が、「あいつら、勉強せんとあんなことやっとったんか。」という言葉に笑えた。阪大志望の者もいる。大丈夫かあ?

 ところが、これまでの先輩は、文化祭を終えて、スイッチを切り替え勝利してきた者が多い。遊ぶ時は一生懸命遊び、勉強すると決めたら死に物狂い。これが本校の良き伝統でもある。今年もその伝統を、ニュータイプ・3年生に期待したい。 

2010年9月16日木曜日

オーストラリア姉妹校来たる

今日から文化祭準備である。午前中授業のあと大掃除、体育館(講堂)の設営などなど。私はだいたいが講堂演技の専門なので、くそ暑い体育館で、舞台周りの世話をやくのが仕事である。今年転勤してこられたK先生は、前任校でもイベント経験が豊富らしく、実行委員を見事に率いていただいている。見ていてなかなか小気味いい。今年の文化祭は、K先生が主坦なので、好々爺に徹する予定だ。なにより、今日から、オーストラリアのMW校がやってくるのである。夕方5時過ぎ、彼らはついにやってきた。<画像参照>

 こちらの方も、主坦ではないが、保管していたスーツケースを出したり、明日の歓迎式典の万全な準備をしたりと、陰に徹していこうと思っている。実は、陰に徹する仕事との方が難しいと常々私は考えている。「俺が、俺が」と前に出る方が目立つかもしれないが、それは美しくない。(特に自分の為というのが見え見えの輩もいる。これは醜い。)見えないところで努力し、配慮し、成果は主坦に引き受けてもらう。こういう仕事が私は好きである。もちろん、前面に立って仕切ることもあるが、私は実は陰で仕事する方が好きでなのである。

 さて、さっそくサバイバル・イングリッシュ炸裂である。英語の先生の前だろうと何だろうと、団長のM先生やR・M先生に、「校長室で打ち合わせをしまっせ。」などと、言って彼らのスーツケースを運んでいる私がいる。明日の歓迎式典の打ち合わせでも、ついルール(文法)無用の英語を使う。自分でもおかしい。(笑)あまり美しいとは思えないが、まあ、これはこれでいいのかもしれない。

2010年9月15日水曜日

援助じゃアフリカは発展しないⅡ

『援助じゃアフリカは発展しない』を読み終えた。ものすごく簡潔に言ってしまうと、この本は、アフリカの発展を阻害している”悪いガバナンス”の根源は「先進国の援助(日本で言えば円借款のような低金利の長期の貸付資金)」にあると断言し、「金融」という視点から、他の方法で十分開発資金を得ることができる、だからもう援助に頼る財政は百害あって一利無しだと説いていると言えよう。
 アフリカの持続可能な開発のためには、ガバナンスの改善が必要だというのは、もはや常識である。私の好きなポール・コリアーもまた、「民主主義がアフリカ経済を殺す」で主張するところであり異議はない。ポール・コリアーが、「国際的法整備によるガバナンス監視」を主張したように、著者ダンビサ・モヨは、「金融面」からガバナンス改善の道を探ろうとしているのである。
 私は、経済はおろか、金融にいたっては完全な素人なので、彼女の理論が果たして正論なのか専門的に論じる力はない。しかし、彼女の説く①中国やインドを相手にした南南貿易の可能性や、②中国を中心とした外国直接投資、③資本市場での信用創出で起債する方途、④海外送金システムの改善、さらに⑤マイクロファイナンスの積極導入、⑥国内貯蓄制度の確立など、いたずらにガバナンスの悪化を招く「援助」に代わる金融政策の数々は、説得力があるように思えた。

 9月10日付のブログで、私は、『ただ、前半部を読む限り、かなり反グローバリゼーションな立場に立っているな、という感じを受けた。』と書いたが、これは最終的には大きな誤解であった。本書61Pにある「蚊帳をつくる話の例」を読む限りこの推測は間違っていないと思うが、後半部では、彼女は、あくまでグローバリゼーションの肯定者というスタンスが様々な箇所で明確である。ここで、訂正しておきたいと思う。

 本書の「帯」に”劇薬”である。とあるが、果たしてそうだろうか。東西冷戦下で、アフリカもまたその権力闘争に巻き込まれ、援助という”赤い糸”を結ばれ、そもまま援助も推移した。結局のところ先進国の国益追求の方が、アフリカの発展よりも優先されたという事実にすぎない。たしかに援助を断ち切るという選択肢は、第三者から見れば”劇薬”に見える。だが、一般のアフリカ3にとっては何も変わらない。変わるのは悪しきガバナンスによって、太っている権力側の少数者である。

 私は、この本を、ブルキナで知り合ったトーマ君(ワガドゥグー大学の経済学部の学生)に是非読んで欲しいと思った。彼は、私が世話になったIさんの事務所の大家の息子で、正義感あふれる未来のブルキナのエリートである。彼や彼の仲間に、是非読んでもらって、感想を聞きたいものだ。おそらくは、膝を打って、このザンビア人エコノミストのモヨ女史に賛意を示すのではないか、と思うのである。

2010年9月14日火曜日

秋近し。とは言え汗だくの1日。

今日は、だいぶ朝晩も涼しく、昼間も曇天で時折にわか雨も降ったりしたのであった。ところが、これまでの酷暑の日々より、汗だくの1日だったのである。
 まず、1時間目は、学校長が私の授業を参観にこられた。昨日のブログでふれた北京・ベルリンの現代社会2回目の授業である。たいして緊張もしないのだが、珍しくチャイムの鳴る1分くらい前に着地してしまった。ありゃ?久々に血糖値が高かったのだろうか?これには、滅多にないことなので焦った。(笑)朝から冷や汗が出た次第。
 さて、2時間目から、約1時間半、印刷室に閉じこもり、中国修学旅行の”しおり”計32ページ分を1人でこつこつと印刷した。本校の印刷室は完全な密室である。戸を開けていても、まるでサウナのように暑い。汗が滴り落ちるのである。ついに校内であるが、ネクタイを外した。熱中症になるかと思ったのであった。さらに印刷したものを製本する。
 昼休みには、明後日、木曜日の夕方に到着するオーストラリアの姉妹校MW校のスーツケースが26個届いた。事前に保管場所も決めてあり、国際交流部長のY先生と駆けつけたが、なんと、運んできたのは、でかいトラックで松屋町通りに止まっていた。<ちょうど今日の画像の感じである。>あまりにでかくて、学校の正門まで来れないとのこと。約30mは、人力で運ばねばならない。トラックから出すのに汗だく。多くの先生方に助けていただいて汗だく。結局ボロボロになった。
 5時間目の倫理の授業を終えて、あまりの疲れに6時間目は、ぼーっとしていた。放課後は、校長室で、完成した空堀かるた絵の受け渡し。さらにクーラーのない美術室で、文化祭準備。またまた汗だく。7時前には学校出たが、秋らしくなったというのに、こんなに汗をかいて、私は大丈夫なのだろうかと思ったのであった。

 ところで、昨日、東北地方のS高校のI先生という方から、国際理解教育の研究のためのアンケートが届いた。様々な項目があり誠実に答えさせていただいた。おかげで、姉妹校交流、海外派遣、異文化理解など本校は、国際交流という面では十二分の実践をしていることが、改めて判った。しかし、それは地味な事務や段取りの積み重ねであり、国際交流という名ではあるが、決して華やかな仕事ではないと、思うのである。

2010年9月13日月曜日

北京・伯林・都泊林・利比里亜

今日のタイトルは、井上陽水の「アジアの純真」からとったものである。ペキン・ベルリン・ダブリン・リベリア…。大阪人なら、どこがアジアやねんと、思わず1人で突っ込んでしまう歌である。(この歌詞の後ろにイランとアフガンがでてくるのだが…。)何故か、今日は授業で、このうち、北京とベルリンとリベリアについて話すことになった。北京とベルリンは現代社会、リベリアは地理Aである。
現代社会では、今戦後の国際政治について概説している。例によって思いつくままのアドリブ授業だが、長年の研鑽(?)と雑学のせいで、案外面白い授業になっている。1949年、北京は中華人民共和国成立に沸いたのである。授業を聞いている生徒諸君は、昨年共に天安門広場に立った仲間であるので、感無量である。<ちなみに、今日の画像は私がCanonEFで撮った人民英雄記念碑である。>スターリンと毛沢東の確執が、朝鮮戦争に影響していることなどを述べた。
一方、ベルリンの方は、ベルリン封鎖の話である。一年前の1948年のことである。東西冷戦のスターリン側からのジャブといったところ。様々な事件を概説しながら、東西冷戦の構造を明らかにしていくのである。
今日の着地点は、アメリカの社会主義への恐怖が、ついにドミノ理論と封じ込め戦略に昇華し、北極を中心にした世界地図から見ると明白になるところである。米、カナダ、アイスランド、イギリス、西ドイツ、トルコまでのNATOの円弧。日本・韓国・台湾とアメリカを結ぶ安保の円弧、オーストラリア・ニュージーランドとアメリカを結ぶANZASの円弧、さらに東南アジアのSEATO、中央アジアのCENTOと、見事にソ連・中国・東欧を囲みこむ軍事同盟の輪が完成する。この円弧と接するのが、北朝鮮であり、北ベトナムである。次回の授業で話すことになるが、この円弧の外に社会主義キューバが生まれた事が、戦後最大の世界的核戦争の危機を生むのである。生徒諸君は、この地図の円弧が完成すると、思わず、おおっと声を上げた。そう、これが冷戦の構図である。メルカトルの地図では判らない。

さて、リベリアである。これは地理Aで話した。リベリアは、アメリカの黒人奴隷への贖罪として建国された。例の明白な天命(9/11のブログ参照)を受けての善意あふれる”おせっかい”である。建国当初から、原住の黒人と軋轢が生まれたのはいうまでもない。このリベリア、鉄鉱石の産地として有名であるが、最も有名なのは便宜置籍船が多い事であろう。これも、アメリカの産物であることは、あまり知られていない。WWⅡの前期、イギリスの軍需物資支援要求に応じたアメリカは輸送の為に、同規格の船舶を大量生産した。これが、戦後リベリアに与えられたのである。ここから、リベリア船籍の船が増えたのである。リバティの名を国名の礎にしたり、モンロー大統領の名をとった首都モンロビアを名乗ったりのリベリアだが、最近は少年兵の話題で世界に悪名を轟かせてしまった。ダイヤモンドが産出したという”鉱産資源の罠”の典型だが、少年兵の話はあまりに非人道的である。私は、昔朝日新聞の特派員をやっておられた方の講演会で初めて聞いて、驚愕した。そのまま生徒に伝えた。それまで、大笑いしたり、質問にどんどん答えていた生徒が黙り込んでしまった。終礼のチャイムに救われた。しかし、これもアフリカに現実の1つ。伝える使命がある。

ダブリンの話を何か関連付けてしておけば、「アジアの純真」で綺麗におさまったのだが…。

2010年9月12日日曜日

杞憂とBLOGGERの統計

 今日は、今週末に本校の姉妹校MW校が来日し、来週末に我が家に一日だけR・M先生を迎えることとなったので、妻と大掃除をしていた。まだまだ酷暑日である。妻の叱咤を受け、汗だくで片付けをしていたのであった。(笑)ところで、今週1週間は、我がブログにコメントが一件もなかった。コメントをもらうために書いているわけではないし、ウケを狙って書いているわけでも、ブログで儲けようとしているわけでもないので、困ることは無いのだが、やはり寂しい。と、ひょんなことから、ダッシュボード(BLOOGGERの管理用のWEBページ)に、新機能がついていることを発見した。いつのまにか「統計」という項目が入っているのである。開いてみると、7月からの我がブログの様々な統計が出ていた。<本日の画像参照>
 昨日(9/11)は、42回開かれている。先月は総計2072回、7月以降5911回。これまでのトータルで最も読まれたのは、①アフリカ学入門を推す(7/11)、136回。以下②髪の毛ソーラーと”もどかしさ”(7/5)74回、③国際理解教育学会にてⅡ(7/3)73回、④コンゴのオナトラ船と「猿」論争(4/29)71回、⑤研修旅行第1回説明会にて(7/10)48となっている。
 もちろん日本の読者が最高に多い(5237回)のだが、意外にも海外からのアクセスもある。米国(437)、イギリス(51)、インド(34)、フランス(21)、ケニア(16)、イスラエル(10)、ブルキナファソ(7)、コンゴ民主共和国(4)、その他ドイツや香港、台湾、そしてモロッコと多彩だ。

 コメントがないので読んでもらってないのか、などというのは杞憂だったのである。とはいえ、コメントをいただければ励みになることはまちがいない。

 初めて私のブログに来られた方でも、もちろん結構です。遠慮せずコメントをいただければと思います。読者・常連のみなさんも時間があれば、DONDONよろしくお願いします。

2010年9月11日土曜日

9.11と明白な天命

 9年目の”9.11”である。あの日、私は、2機目がWTCに追突する瞬間をリアルタイムでTVで見た。凄い衝撃を受けたことを覚えている。NYCに行った時、WTCをバックにリバティ島で写真を撮ったし、現地から地下鉄に乗ったこともある。そうそう、トークン(5円玉のようなNYCの地下鉄・バスの共通のチケットのようなモノ)を手に持っていたら落ちてしまい、「どこやあ?」と探していたら、20mほど離れたところからビジネスマンが、私に渡してくれたりした思い出の場所でもある。だから余計に衝撃を受けた。
 ところで、今日の画像は、息子が昔、モロッコでお土産として買ってきてくれた”おもちゃ”である。ビン・ラディンがサーフボードで、ブッシュが戦車でレールの上を走ると言う単純なおもちゃなのだが、これが凄い。このおもちゃの動力は、ブッシュ戦車のモーターのみである。ビン・ラディンには動力がない。よって、常に押出されて前を走ることになる。つまり、絶対に追いつかれないのである。『ブッシュ(米軍)なんかに、絶対つかまるな!頑張れ! ビン・ラディン!』というメッセージが、そこにある。私のブツは学校にあるので、今日、その画像を探していたら、『インドで話題のおもちゃ』というニュースに出会った。バンガロールらしい。と、いうことは世界各地で販売されていることになる。案外、世界はビン・ラディンにシンパシーを持っているのだ。

 ところで、アメリカの世界戦略は多分に、その時その時でコロコロ変わるプラグマティックなのものであるが、建国以来の『明白な天命』をその国是としていることは有名である。すなわち、『自由と民主主義を拡大していくこと』である。まあWWⅡ後の日本など、典型的な”明白な天命の地”となったわけだ。私は、9.11は、イスラム世界をはじめとした非欧米化を標榜するヒトビトの、『明白な天命』への強烈な”NO”だと思っている。当然私はテロを是認するものではないが、アメリカを始めとした欧米に全く非はないとはいえない。構造的暴力としての貧困の責任の多くは、先進国側にあるし、欧米のグローバル・スタンダードを「正義」と誤認して、世界に押し付けているのもまた事実である。

 またまたアメリカの某教会の牧師が、コーランを焼き捨てる運動などを宣伝したものだから、ゴタゴタとモメている。一神教の世界は、善と悪しかない二元論となりやすい。多神教世界に生きる我々からすれば、異文化理解・異文化共生は、少なくとも頭では理解しやすい。ただ単に馬鹿じゃないかと非難するのではなく、一神教の教義や二元論的価値観や明白な天命や…それらのことも含めて理解し、自分の意見を形成するべきである。(その上で、結論が馬鹿じゃないか!となってもいいと私は思うのである。)単なる欧米のグローバルスタンダードを正義とするのでもなく、途上国のテロを正義とするのでもなく、様々な事例を学びながら、”地球市民としての立場”でモノを考える、それが、ESDの異文化理解だと思うのだが…。

2010年9月10日金曜日

援助じゃアフリカは発展しない

 道祖神というアフリカ旅行専門の会社がある。大阪の営業所は梅田にある。私はここを通して旅行したことはないが、カルチャー講座で早川千晶さんが来た時や、タンザニアのインフォーマルセクターについての講演など、面白いイベントがあると聞いた時、行ったりしているのである。
 そういう関係で、”Do Do World News”というアフリカ情報誌が毎月送られてくる。ツアー紹介も載っているが、特集記事が面白かったりして教材に使うことも多い。さて、今月号の書評に「援助じゃアフリカは発展しない」というダンヒサ・モヨというザンビア人女性のエコノミストの本が紹介されていた。以下引用してみる。「帯に『本書は劇薬』とあるように、援助がアフリカの発展に役に立ってこなかったどころかマイナスであったとするセンセーショナルな主張で、翻訳が出る前から話題になっていた書。(後略)」…なるほど。
 
 で、さっそく本屋で手にとってみた。2200円と少々値がはったが、”今年のこの1冊”となるかもしれないので買ってみた。すでに半分くらい読破した。なかなか面白い。詳細な書評は、やはり完読してからとしたいが、彼女の言うところはよくわかる。ただ、前半部を読む限り、かなり反グローバリゼーションな立場に立っているな、という感じを受けた。完読したら書評を書きたいと思う。さてさて私の”今年のこの1冊”の栄冠を手にするか否か?楽しみである。

追記1:今朝、ベトナムにボランティア旅行に行くOGのMちゃんから、メールがあった。バックパッカー姿の写真も添付してあった。いいぞ!わくわくするねえ。気をつけて行ってらっしゃい!
追記2:アミーゴのALT(9月1日付ブログ参照)のW先生が、昨日甲子園にALT総勢18名で行って来たらしい。エキサイティングでナイスゲームだったとご満悦。阪神が9回裏2死から同点とし、中日と結局引き分けたが、W先生は最後の最後まで応援していたとか。MLBで活躍するイチローとかマツザカとか日本人選手が大好きなんだそうだ。阪神ファンはクレイジーで、素晴らしいとも。誉めてるのか、ケナしているのか、よくわからんやないか。どっちやねん。(笑)ちなみに私は阪神ファンと自認するほどの者ではないのだが…。

追記3:9月14日付ブログで、本書を完読した上での感想を書きました。ブログ中の下線部については、後半部を読んだ上で、訂正したいと思います。著者はグローバリゼーションを肯定的に捉えています。しかし、本書P61を読んだ時点で、そう感じた事は確かですので、そのままにしておきます。ご了承下さい。

2010年9月9日木曜日

中国修学旅行打ち合わせ


 今日は、放課後3時30分から5時まで、1時間半にわたって、管理職、担任、旅行社と国際交流部の私で中国修学旅行の打ち合わせを行う日であった。文化祭後に、第二回目の保護者同伴の説明会がある。その準備でもあるし、”しおり”(是すなわち日程や諸注意や持ち物など旅行の全て)の確認も行う。もちろん司会・進行は私である。今日の為に、そこそこ準備もし、ネゴも済ませてある。無事、勤務時間の10分前に終了した。今日論議になったことの一つに、生徒の人民元両替の方法と、お土産などの購入のルールづくりがあった。昨年度は、わりと厳しくて、北京最大の繁華街・王府井(ワンフーチン)での自由散策時と最終日の北京動物園、最後の最後の北京空港搭乗口近辺といったところだった。それ以外は”禁止”という感じだった。ちょっと厳しすぎるかなと私は思った。その前の年は、もっと自由だったらしい。で、今回はその中間くらいでいくことになった。
 
 とはいえ、私や私の国際交流・中国担当前任者でもあるO先生の共通認識は、「万里の長城では絶対買わせない!」というものだった。万里の長城の土産物屋は、まさに魑魅魍魎である。私が初めて北京に行った時の事である。ここでTシャツを10枚ほど買った。比較的安かったのである。MとLを選んで店員に渡したのだが、後で見ると、4LやSなどおよそ違うものばかり。まさに「やりやがった!」である。MとLは1枚ずつくらいしかなかった。大人の私でこれである。生徒などイチコロである。危険すぎるのが理由だ。

 昔、王府井で、私は路上販売のおっさんから、毛沢東のライターを10個1000円で買ったことがある。<今日の画像参照>最初、おっさんは、1個1000円といった。「アホか」と後ろを向くと、「2個1000円」「5個1000円」と下がっていく。購入金額はいっしょで、個数が増えるのが中国式である。結局、私は「20個1000円でどうや。」と言ったのだが、こんどはおっさんが立ち去ろうとした。この辺が難しい。おそらくこれが妥当な金額だと思うのだが、まあ20個もいらないので、結局10個1000円、いや1つまけさせて11個1000円で買ったのだった。このライター、ふたを開けると、東天紅という曲が流れる。前任校の工業高校で喫煙する先生に配ったら、あちこちでこの東天紅が流れ、あまりにうるさいということで校内使用禁止になった。(笑)

 中国のお土産で最悪だったのは、どこだったか忘れたが免税店を出たところに待ち構えていた路上販売のおっさんである。彼の商品はネクタイだった。「絹のネクタイ、1本1000円」から始まった。私はストライプのアイビー・ネクタイしかしない。お土産にネクタイを買う感性もないので無視した。私の後ろに同じ団体客の青年がいた。彼は母親孝行で共に中国旅行をしているような優しそうな青年だった。まさにネギを背負ったカモであった。無視すればいいのに、彼は「いらない。」と連呼している。ネクタイ男は「5本1000円」、「10本1000円」と呪文を繰り返し、最後に「20本1000円」と唱え、彼にそのネクタイの束をバスの中まで入って押し付けたのである。彼は、それを放り投げるべきであった。が、彼は財布に手を伸ばしたのである。私と妻は「あちゃー。」と顔を合わせた。1本50円のネクタイが20本…。凄い中国土産である。

 てなことを、生徒に伝えておいたうえで、自分の責任で十分注意して土産モノは買うように、と言うことに決まったのだった。こういう異文化体験も決して悪いことではないと私は思っている。 

2010年9月8日水曜日

叢裏鳴虫Ⅴ

 今日はガーナの棺桶について書こうか、コートジボアールの問題について書こうかと思っていたが、帰宅後妻が、「鈴木宗男の実刑が確定したでぇ。」と開口一番教えてくれた。実は、妻も今日の画像にある「汚点」や佐藤優の「獄中記」などを読んでいて、国策捜査について理解し始めているのであった。私は、松山千春の歌は好きで十八番であるが、鈴木宗男氏の政治手法が好きだとか、そういう想いはない。ただ、佐藤優の著作を何冊も読み、彼が鈴木宗男という政治家に親近感をもったことは理解できる。私心を捨てて「国益」を追求する姿勢が2人の共通項なのだということも理解できる。霞が関の官僚もまた違う角度から「国益」を追求しているが、その私心のなさは彼らには不都合なのであろう。
 田中真紀子などというわけのわからない人間を小泉が外相にして、外務省を二分して混乱させたことに全ては由来する。結局検察も官僚による国家を守る青年将校的装置であり、最高裁もまたその守護神的装置であるわけだ。小沢一郎もまた、この官僚国家に戦いを挑んでいる。腰が引けた菅首相と戦っているようだが、官僚国家という構造と戦っていると私は見る。(といって、小沢一郎が首相になることを望んでいるわけでもない。政治的ペシミズムに陥ってしまう。)

 こうして見るとテレビのニュースなどのなんとうすっぺらい事か。ちなみに、鈴木宗男の実刑確定について佐藤優の見解が出ていたので引用する。「このタイミングでの上告棄却は非常に政治的と思う。一つは、郵便不正事件の公判で10日、厚生労働省元局長に無罪判決が出る公算が大きく、検察捜査への批判が高まる。さらに民主党代表選で小沢一郎氏が当選し、鈴木氏を要職に起用すれば、鈴木氏に手をつけられなくなる。それを恐れて先手を打ったのではないか。機密費問題などで追及する人物がいなくなり、一番喜んでいるのは外務官僚だろう」(Yahooニュース産経新聞19:10配信分)

 日本という船が、非常に危うい時に、いったい何をしているのだろう。日本の国益云々を、私は重視する立場ではない。だが、自分たちの立つ基盤がゆれると地球市民として起つこと自体が難しくなる。フラストレーションが溜まる話であった。 

追記:本日朝、OGのあやっぺが、フランスへ飛び立った。ちょうど台風が来ていて離陸時は揺れたと思う。KLMを使うと聞いた。座席が狭いので苦しいフライトだと思う。1年間、外から、じっくりと日本を見てほしい。またロマやムスリムへの風当たりが強いフランスで、異文化共生について様々な経験知を積んできて欲しいと思っている。

2010年9月7日火曜日

アフリカのロバ君・哀歌


 昨日のブログの続きである。地理Bのサブノートには、アフリカの交通手段では他に坦夫交通(インドのリキシャみたいな人力の交通機関を意味する)や、駄獣交通が盛んであると書かれている。駄獣とは、馬や牛、トナカイやヤクから犬まで、要するに荷物を運搬する家畜を言うのであるが、北アフリカはラクダ、そして西アフリカや東アフリカでは、圧倒的にロバである。
 ケニアの国道をロバが荷車を曳いているのを見たのを皮切りに随分とアフリカではロバを見た。中でも、ブルキナには、ロバが多い。ワガドゥグーの街中も郊外も、田舎町でもロバは、ひたすら荷車を曳いている。ロバは、間抜け面で従順であるようだが、鳴き声は悲しい。以前このブログ(4月17日付参照)で書いたサヘルの村で野宿した時、私はロバの鳴き声で目がさめた。なんともいえない哀音である。アフリカでは、ロバは、悲しい家畜である。ひたすら酷使されることを運命づけられている。しかし、中には幸せそうに放牧されているロバも見た。鞭で叩かれ、あるいはフライパンでシバかれているロバも見た。ロバにも幸不幸の差があるのかもしれない。

 今日の画像は、ブルキナのゴロンゴロンという町で、日陰でロバと休んでいるオマーン(彼は私の帽子とカメラマンベストを着ている)と遊び人アルベリーと、きっと週に一度のバザールというより、フランス語圏だからマルシェと言った方がいい”市”に来ている商人のロバと荷車の写真である。向うに写っている赤いリュックは私のものである。なんだかほのぼのとした写真だが、ロバは人間を全く無視している。私はロバの愛嬌あるでかい顔が好きなので、頭をなぜてやったり、背中をさすってやっても、全く反応しない。反対にちょっと怯える風である。完全な人間不信状態である。いつも思う。ロバは何を考えているのだろう。

2010年9月6日月曜日

エアー・ボツワナの不思議

 今日は1年生の地理Aで、アフリカの交通について語っていた。プリント教材の元ネタは大学受験用の地理Bのサブノートなのだが、そこには、アフリカで最も一般的に発達している交通は、航空交通であると書いてある。自動車交通や鉄道交通は一部(おそらく南アである)を除いて未発達。船舶交通も同様とある。たしかに、南アはほとんどカリフォルニアだといってよいほどハイウェイも発達しているし、元祖ブルートレインも走っている。しかし、ケニアの鉄道は走っていたとしてもナイロビとモンバサを1日1往復だし、ブルキナの線路は夢に終わっている。ケニアもブルキナも道路が舗装されていればいいほうで、ダートの道が多かった。ジンバブエはとりあえずアスファルトだった。しかしどこもメンテナンスが十分でないので、自動車交通が発達しているとはいえない。乗り合いバスなんかも、乗客が満杯になったら出発だし…。トラックがバス化している国々も多い。まあ、地理Bのサブノートは嘘はついていないと言えると思う。

 で、発達している”航空交通”である。アフリカの航空会社一覧のページを見てみた。ウィキペディアの『フラッグ・キャリア』のページにアフリカの主な航空会社が一覧になっている。なかなか面白い。私は、この中でケニア航空と南ア航空には乗ったことがある。<というわけで、今日の画像はケニア・エアーウェイズの雄姿である。>

 何といってもフラッグ・キャリアである。国内線のほかに国際線も運航しているので、大体がB-737クラスのジェット旅客機を所有している。最貧国に近いチャドやマラウイでさえもだ。ところが不思議な事実を見つけた。エアー・ボツワナは、ATR72と42のプロペラ機のみである。ボツワナといえば、先日のダイヤモンド鉱山のブログ(8月30日付)でも触れた、今や世界のダイヤモンド市場の中心となる国で、サブサハラ=アフリカでもガバナンスも良く、HDIも1人あたりのGDPも高い国なのである。だからこそ、反対に無駄使いはしないということなのだろう。国際線は、ヨハネスブルグ(南ア)とハラレ(ジンバブエ)のみ。実に面白いではないか。ボツワナに来たいのなら南ア経由で来いというわけだ。いいぞ、エアー・ボツワナ。<2枚目の画像はエアーボツワナの仏・伊製ターボロップ旅客機・ATR42>

2010年9月5日日曜日

空堀かるた絵製作委員会Ⅱ



昨日は、女子バスケット部の試合の話だったので、今日は美術部のことを書こうと思う。空堀かるたの原画がほぼ出そろった。1年生から芸大3回生のOGまで、多くのメンバーが携わってくれた。今日は、それらを自宅のスキャナーでJPEGに変換していた。うーん、玉石混合だが、一応美術講師のT先生のOKもいただいたので、来週にはお渡しすることになると思う。

ここで勝手に発表してもいいかどうかわからないので、原画の元の読み札は示さないでおこうと思う。この5枚は、その中から私が選んだ絵札なので あるが、なかなか良いと思う。(当然芸大生OGの作品が含まれている。)この原画に、白い丸の中に”い”や”ろ”といった字が左上に入るわけだ。



 本校は、出来るだけ地域に根ざそうと考えている。特に生徒会やクラブなど特別活動の面で地域にお役にたてることがあれば、出来るだけ関わるようにしている。公立高校なので、私は若干抵抗があるのだが、高津神社の神輿担ぎとか、祭りでの筝曲やブラバンの演奏とか、今回の美術部もそういう流れの中でこのプロジェクトに参加したわけだ。地域の中に学校がある。地域に教育していただくことも当然あるわけで、地域に愛される学校でなければならないのである。今回の空堀かるたもそういう意味で、地域と本校を結ぶ役割ができれば嬉しいのだが…。

2010年9月4日土曜日

バスケの試合に行って来た

 今日は久しぶりに、女子バスケットボール部の試合を見に行ってきた。本校では、強制的に運動部と文化部の顧問を1つずつ持つことになっている。私は美術部の主顧問であり、女子バスケットボール部の副顧問というわけだ。長らくK先生が女子バスケットボールを熱心に見てこられたのだが、今春転勤したのでN先生というバスケットに全く素人の先生が顧問となった。現場ではよくある話だ。今日はN先生が広報関係の出張があり、私にオハチが回ってきたというわけだ。私も当然バスケットボールの素人である。K先生の横で何度も試合は見ているが、気楽なその他大勢的応援に終始していたので、細かい手続きとかは初めてある。本部へのメンバー表の提出や試合場での交換など、ほとんど生徒がしてくれた。タイムアウトもメンバー交代もである。まさに”オカザリ”である。ちょっと情けない。

とはいえ、長くサッカー部の顧問をやっていた(と言っても横で専門の先生の指導を見ていただけだが…)ので、フォーメーションはわかる。サッカーもバスケットもフォーメーションが崩れると目もあてられない。今年は1年生が数人入部してくれて、これがまたなかなか上手いのである。マンツーマンのディフェンスだが、そんなには崩れない。ただ、部員総体が少なく、専門的な指導ができないのでフォーメーションの練習はほとんどやってないらしい。しかもサークル的に練習しているので、ある程度まではやれるが、よく訓練されたチームには通用しない。圧倒的体力差、リバウンドへの執念、1対1の弱さを露呈して、大差で今日は負けてしまった。仕方のないことだが、やっぱりくやしい。

ところで、今日の朝刊に、同じ大阪市立のH高校で5年前に体操部の練習中に頭に大けがをして全身麻痺となった生徒の事件の判決が出たとあった。全面的に高校側(大阪市)が敗訴したらしい。この顧問も素人で、独学で体操を学んでいたらしいが、無理な指導をした、安全対策としてもっとマットを置くべきだったということらしい。おそらく、その通りなのだろう。私は体操など全くの素人だからわからない。でも、もし、私が転勤して、どうしてもそういうクラブを持つことになったら…とつい思ってしまう。これが現場の正直な声だ。私の推測だが、この体操部の顧問は、きっと責任感の強い、熱心な先生だったと思う。でないと、独学で勉強したりしないはずだ。被害者の生徒もお気の毒だが、顧問もお気の毒だと私は思う。本当に責められるべきは、自分に廻らぬよう逃げとうした教員や、押し付けた教員、フォローしきれなかった学校と市ではないだろうか。

本校は進学校だし、少人数の高校で雑務も無茶苦茶ある。そのうえにクラブである。よほどの熱意と余裕がなければ、クラブ指導に熱心に取り組めないのも事実である。生徒も熱心なクラブなら、土日も練習、試合の連続で、私と同じ齢で仲のいいY先生など、バドミントンの指導でほとんど休んでいないはずだ。しかも、財政逼迫の折り、クラブ関係の手当は無いに等しい。(カネの為にやっているわけではないが、反対に持ち出しも多い。)現場としては責任だけやたら重く、経済的応援もしてもらえない。士気が下がるのも当然である。(でもみんな歯をくいしばって生徒の為、さらには自分のロマンを求めて頑張っているのである!)

クラブを指導することを、教員志望の大きな理由にしている学生も多いはずである。財政の問題だと、簡単に切り捨てられて、有望な学生がますます教員に魅力を感じなくなったら、優秀な教師が集まらず、”教育”自体が低下しやがて崩壊していく。官僚や政治家は、現場の声をもっともっと聞いてほしいものだ。

2010年9月3日金曜日

HIKIGAERUの悲劇

 今日の倫理演習の授業で、なんとなく流れで、滑らない話をすることになった。高校時代、私はキャンプに明け暮れていた。高二の夏休みなど半分は山の中だった。大阪に帰 ってみるとアメリカの大統領が変わっていたこともあった。中学時代の恩師が関わっているボーイスカウトの団のキャンプの手伝いで、龍神温泉の河原でキャンプを張っていた時のことである。ボーイのキャンプは比較的長期であり、しかも炊事場を始め、大がかりな土木工事的な作業を初日に行う。私は、トイレの係だった。炎天下に穴をまず掘る。次に板を渡し、キンカクシを作り、周囲を覆う。今から考えると、凄い肉体労働である。

 さて、トイレも完成し二日目の朝。…まどろみを破る悲鳴がこだました。飛び起きた私は、トイレの前で、凄い光景を目にしたのである。下半身はだかで、***まみれのボーイ(小学校5年生くらい)が、泣きながら立っていた。「?」…ただならぬ様子だが、私にも彼の身の上に何が起こったのかよくわからなかった。しかし、彼の足元に、全長15cmはありそうなヒキガエルがいるのを発見した。このヒキガエルも***まみれであった。

 私は瞬時に状況を把握できた。あのでかいヒキガエルは、夜の帳の間に昨日私が掘った穴の中に入り込んでいたに違いない。すでにSOME***が、穴の中に存在していたのであろう。そこに、ボーイがやってきて、***を落とした。驚いたカエルは本能的にジャンプした。これは、まさに普通の人間にとって想定外の出来事である。ボーイはその恐ろしい感触に悲鳴を上げ、私の一日がかりの芸術的トイレは、1人と1匹によって完全に破壊されたのであった。

 その日、私は第二の芸術を製作するはめになった。炎天下にもくもくと作業に励んだ。もちろんヒキガエルが二度と入居しないように祈りながらである。そう私は昔、無茶苦茶”暑さ”に強かったのである。この悲劇は、UNDERネタではあるが、私の滑らない話シリーズに当然、登録されている。

2010年9月2日木曜日

ネクタイの陽明学

 暑い。体内脂肪がとけるのではないか。それはそれでメデタイのだが、今日はネクタイの話である。昔々私は本校の生活指導部長だったことがある。本校の女子の夏服は半袖シャツに赤いリボンであるが、アトピーの生徒や通学電車の冷房が苦手だという生徒から、冬服の長袖シャツを夏も着たいという訴えを何度か聞いた。他の先生方、特に本校が長い女性の先生方に意見を伺ったら、ネクタイ着用ならOKという感触を得た。ネゴを重ね、ネクタイ着用強化週間などを経て、職員会議に提案し、可決していただいたことがある。というわけで、本校では夏でも長袖シャツ+ネクタイ着用は認められているのである。
 制服などは、自分の体感温度に合わせて、自分の責任で、自由にすればいいと私は思うのだが、学校現場は、性悪説が主流である。これが、私の出来る限界だった。

 この夏も、私は毎日ネクタイを着用している。何故なら、この暑い中、ネクタイをちゃんと着用して通学している生徒がいるからである。少なくとも長袖シャツをネクタイ着用という条件で認めた張本人である以上、私も着用するのが当然だと考えているのである。さすがに自宅から駅までネクタイをしていくだけで汗だくである。しかし、少なくとも生徒の姿を見ることがある京橋駅に着く前には、ネクタイを着用するようにしている。カントの善意思まではいかないが、知徳合一で行動に表す陽明学徒くらいの意識はある。<陽明学と全く関係ないが、今日の画像はVANジャケットから引用させていただいた。VANのネクタイにはアイビーの魂が宿っている。>

 こう暑いとネクタイ自体が苦痛である。しかし外せない。ネクタイをしていない先生方も多いが、自分の考えを強制する気はさらさらない。しかし、ネクタイをしていない教員が、ネクタイをしていない生徒をきびしく指導することがあれば、私は敢然と戦うつもりでいる。自分が出来ないことを生徒に強要するのは、ゆるしがたい。権威だけで、人は動かない。そんなものは教育ではない。私はいつもそう思っている。

2010年9月1日水曜日

ノースカロライナのアミーゴ

 今日から、新しいALT4人が本校に赴任してきた。席は私の隣なのでいつも英語が聞こえる。なんとなく判る時もあるし、さっぱりの時もある。よくよく考えたら凄い職場だ。4人の中のリーダー格なのがW先生である。先日の1年生の英語セミナーでも、見事に仕切っていて、私の周囲の英語の先生方が「彼が来てくれればいいな~」など言っていたのであった。外観は、『ダーリンは外国人』のダーリンに似ている。(笑)
 そのW先生と挨拶をした。彼はUSのノースカロライナ州の出身だった。実は私は、ノースカロライナ州が大好きなのである。NC(ノースカロライナ州のコード)の車のプレートがちょうど手元にあったので、「ファーストインフライト」と書かれたブツを見せると、大喜び。私がニューバーンに行ったことがあると言うとさらに喜んでくれた。彼はアパラチア山脈沿いの田舎の出らしい。「グレートスモーキー国立公園の方だね。」というと、またまた喜んでくれたのだった。(もちろん他のALTとも挨拶をしたが、また後日ふれたい。)
 まあ、あんまり日本人が行くような州ではない。おそらくW先生は、初めてNCに行ったことのある教員(それも英語科ではない教員)に出会ったのではないだろうか。NCは、プレートにあるように、ライト兄弟が初飛行したキティ・ホーク(空母の名前ではない。こっちが本場である。)があり、風光明媚な南部の州である。USを代表する大西洋岸の灯台でも有名だ。<今日の画像は、そんなNCのライトハウスである。>
 4時間目に、食堂にミネラル・ウォーターを買いにいったら、W先生が一人でコンビニ弁当を食べていた。彼が話しかけてきたので、NCの人々が親切なことやキティーホークの話などをしていた。W先生のワイフは、日本人で堺の出身らしい。実家はかなり田舎なので閉口したとか。でも、地元のレストランに、ハリウッドスターなんかがお忍びで来るようないい町らしい。ロスやNYCなど大都会は全然ダメだと彼は力説した。そうそう。ニューヨーカーは足も速いしね。と言うと「そう思う!」と言って大笑いした。

 アメリカ人の中でも、本当のアメリカは田舎にあると考える人が多い。大都会の喧騒を嫌い、自主独立でやっていく農村にこそアメリカの魂が宿っていると考えるらしい。私はNYCやシカゴ、ボストンなんかも大好きだが、田舎町はもっと好きだ。特にNCは南部なので、みんな信じられないくらい親切だ。W先生にもそんな思い出話をした。すでにW先生と1日でアミーゴになってしまった。NCの話はまたいずれ詳しくブログで書こうかと思う。