2019年3月31日日曜日

一時帰国/3冊の新刊本

今回の一時帰国で、購入した本は3冊だけである。
まずは、amazonでアフリカ文化人類学者・荒熊さんの「ブルキナファソを喰う!」(あいり出版/2019年2月1日)。
”食前酒”と”前菜”と表現された序文を一気に読んだが、実に面白い。なにより、ブルキナ行の際に、荒熊さんのフィールドワークについていった経験がある私としては、実に懐かしい。”食前酒”には荒熊さんの自伝風の話が書かれてあるのだが、ここに登場する森本先生の話に特に感銘を受けた。この森本先生との出会いがあってこそ、今の荒熊さんがあるわけで、私にも同じような影響を与えただろう教え子がいる。森本先生の喜びを私自身が感じることが出来る。この幸福感はそんなに共有できる人はいないだろうと思う。
また、”前菜”に登場するブルキナベの人々と、おそらくワガで会ったのだろうと思う。民芸品店には覚えがある。ラスタの話もである。実際の「食」の部分はまだ読んでいないが、写真を見ただけで、懐かしい。いずれきちんとした書評を書きたいと思う。

次に京橋で購入したのは「マラッカ海峡物語ーペナン島に見る多民族共生の歴史」(重松伸司:集英社新書/2019年3月20日)である。タイトルとは異なり、かなりの学術書であるが、マレーシアの研究には必要と思い購入した。これもいずれ書評を書きたいと思っている。

もう1冊枚方で購入した。「社会学史」(大澤真幸:講談社現代新書/2019年3月20日)という分厚い新書である。この本、かなり授業の役に立ちそうである。講談社の会議室で講義形式で関係者に語った内容がリライトされた本で、実に読みやすい。ただし、それなりの社会科学や哲学史の基礎知識が要求される。とはいえ、PBTのF38A・F40AのOB・OGには、すこし薄めだが基礎知識を与えているので、ハードルは高いものの、読めないことはないと思う。社会学を志している学生には是非読破して欲しい本だ。おそらく、彼らの参考になればと、私なりの(書評というカテゴリーで)解説を書くことになるだろうし、それはきっと長くなるだろうと思う。1400円は決して高くない。

以上、今回の一時帰国の際、超新刊を3冊だけ手に入れたという話である。日本人会のRM1の古本ばかり読んでいる私としては、かなり抑えたつもりである。(笑)

2019年3月30日土曜日

一時帰国/花粉と軽自動車と。

今回の一時帰国の最大の理由がこれだ。
先ほど、一時帰国から戻ってきた。日本(大阪)の気温はPCにいつも出ているのだが、私自身が15℃とかの感覚を忘れているようだ。行きはTシャツとヨットパーカーで深夜の京田辺に降り立ち、怖ろしい寒さ(4℃)を体験した。(笑)3月末ってこんなに寒かったのだろうか。1年以上帰っていなかったので、面食らった次第。

おいおい一時帰国でのことを書こうと思っているが、この一週間ほどは、ブログ上では防犯の意味もあって伏せていた。まずは、いくつか印象に残ったことを記しておく。一つは個人的には、花粉症の再来である。これは極めて苦しかった。(マレーシアではこういう事は皆無である。)もうひとつは、軽自動車の多さである。枚方市内や京都市内でも、半分が軽自動車ではないのかと思うほど増えていた。しかも以前の軽自動車の”狭い”という感覚は薄れていて、乗りごこちは良さそうである。(マレーシアには、同等の小さめの車は走っているが圧倒的に少数派であるし、軽自動車という存在がない。)
京都左京区一乗寺圓光寺の早咲きの桜
この時期に一時帰国したのは、何よりサクラを見たかったのと、桜餅を食したかったからである。(どちらかというと花より桜餅である。)幸い、早咲きの桜を何箇所かで見ることができた。地元のサクラは三分咲きというところ。桜餅を始め、日本でしか味わえないものも食した。しかしながら、予定をすべて消化した後は、早くマレーシアに帰りたくなった。寒いし、花は愛でたが、鼻が苦しい…。

2019年3月29日金曜日

マレーシア連邦憲法を読む 6

https://www.webstagram.one/
tag/malayball
マレーシア連邦憲法の考察を続けたい。
第6条は、「奴隷制および強制労働の禁止」で、日本国憲法の第18条に相当する。ただ、(2)には、「ただし、国会は法律により国家目的のための義務的奉仕を規定することができる。(原文)」という規定がある。
第7条は、法律の罰則規定ができる以前の行いや犯罪では罰せられないこと、また二重に罰せられることがないことを明示している。

第8条は、「平等」についてである。「(1)何人も法の前には平等であり、法の平等な保護を受ける資格を有する。(原文)」(2)「本憲法がはっきり認めた場合を除き、いかなる法律においても、あるいは公共のいかなる役職への任免にあたっても、あるいはまた財産の取得、保有、処分、あるいはいかなる取引、事業、専門職、職業、雇用の設立、実施等に関するいかなる法律の執行においても、単なる宗教、人種、家計なるいは出生地の理由による差別はないものとする。(原文)」(3)「いかなる州統治者の州民も、その州民であることを理由に優遇されない。(原文)」(4)「いかなる公共当局も、本連邦内における同局の管轄外の地域に何人かが住み、事業を行っているという理由では、同人に不利な差別を行わない。(原文)」これらは日本国憲法第14条とほぼ同義である。ただ、(3)(4)のマレーシアが連邦制であることなどは特徴的であるといえよう。

さて、第8条の(5)である。最初の但し書きには、「本条は次のことを無効にし、あるいは禁止するものではない。(原文)」とあり、(a)から(f)の項目が並んでいる。以下全て原文。
(a)私法を定めるいかなる規定
(b)特定宗教の業務、あるいは特定宗教を奉ずるグループの経営する機関の業務に関わる役職を、その宗教に準ずる人々に限定するためのいかなる規定、あるいは慣習。
(c)マレー半島住民の保護、福祉、進歩(土地の留保を含む)、あるいは原住民に対する公務部門の適切なポストの合理的割合の留保、などのいかなる規定
(d)選挙資格として、あるいはある州、またはその州のある地域のみを管轄する公共当局への任命資格として、その州またはその州のある地域での居住を定めるいかなる規定
(e)州憲法の規定にして、ムルデカデー直前に実施されていたもの、あるいはそれに相当するもの
(f)マレー連隊(Malay Regiment)の募集をマレー人に限定するいかなる規定。

…要するに、法の下の平等の中の除外例を示しているわけである。(a)の「私法」とは、民法・商法などを意味する。イギリス植民地下のマレーシア各地(海峡植民地・マラヤ連邦・サバとサラワク)では、かなりの民法の差異があったようだ。以下の論文に詳しい。https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20190328104801.pdf?id=ART0008317072
(c)ならびに(f)の条項は、ブミプトラ政策との関わりがある条項と思われる。これらについては、後述する機会をもうけたい。

2019年3月28日木曜日

マレーシア連邦憲法を読む 5

マレーシア宗教裁判所 http://www.kehak
iman.gov.my/nsembilan/ms/node/234
マレーシア連邦憲法の第5条は「人間の自由」である。ここは、日本国憲法と対比してみようと思う。(1)は、『何人も法律によらざれば生命、人間の自由を奪われない。』日本国憲法では13条にあたる。(2)(3)は、身体の自由で、日本国憲法では31条から34条にあたる。(4)は、日本国憲法とは対比できない条項である。『何人も逮捕され、釈放されない場合は、不当に遅滞することなく、いずれにしても24時間以内に(護送に必要な時間を除く)裁判官の前に立たねばならず、かつ同裁判官の許可なしにこれ以上拘禁されないものとする。ただし、本項は居住制限に関する現行法にもとづく逮捕もしくは交流された者には適用されない。また本項の規定はムルデカデー(*前述)以降、本条の枢要部分を構成すると見なすべきものとする。また本条を移民に関わる法律により逮捕もしくは拘留された市民以外の者に適用する場合は、不合理な遅滞なしに…を14日以内にとして読むものとする。(原文)』

…(4)の意味はかなり難しい。最初の部分は、日本国憲法の第34条の『何人も、理由を直ちに告げられる。』に値するものだと思われる。次の本項の居住制限云々には、深い意味がありそうだ。ムルデカデー以後は、この条項が生きるがそれ以前には適用されないこと、移民には14日の猶予が与えられるというのも、独立後の移民政策と関わりがありそうである。さて、実は、(4)には続きがある。

(4)のつづき『またさらに、イスラム法廷<Syariah court>で裁かれるべき罪科にもとづく逮捕の場合、本条における地方裁判事への言及は、イスラム法廷の判事への言及を含むものと解釈する。(原文)』

…要するに、イスラム法廷で裁かれるべき罪科で逮捕された場合は、イスラム法廷優位の原則を述べていると、考えられる。ムスリム女性が他の一神教男性との結婚しようとした場合などのケースが、以下のページで示されている。
https://kyotoreview.org/japanese/constitutionalizing-and-politicizing-religion-in-contemporary-malaysia-japanese/

2019年3月27日水曜日

マレーシア連邦憲法を読む 4

http://peaceandtransquility.blogspot.com/2014/12/map-of-malaysia-merger-post-separation.html
マレーシア連邦憲法の考察のつづきである。第4条「連邦の最高法」について。
(1)本憲法は連邦最高の法である。またムルデカ・デー<1957年8月31日>以後制定され、かつ本憲法に矛盾するような法律は、いかなるものも、その矛盾のかぎりにおいて無効とする。(原文)
(2)いかなる法律の有効性も次の理由では疑問に付されない。
(a)第9条(2)に述べられた権利に制限を課すが、そこに述べられた事項には関係しないこと。(b)第10条(2)に述べられるような制限を課すが、これらの制限は国会が第10条に述べられた目的には、必要でも適切でもないと見なすこと。(原文)
(3)は国会と州議会の立法権の問題と訴訟ついて記され、(4)は(3)の無効は連邦裁判所に権限があることが記されている。

…(1)は、最高法規であることを示す極めてノーマルな規定である。(2)の(a)にある第9条(2)というのは、移動の自由について記されている条文である。第10条(2)というのは、言論・集会および結社の自由についての条文である。
ここで、制限される条件として、治安・他国との友好関係・公共秩序・道徳などのため、および国会あるいは州議会の特権を守るための諸制限あるいは法廷侮辱・中傷あるいは犯罪の扇動等にそなえるとある。また第9条の(2)には公衆衛生も含まれている。
…一言で言ってしまえば、公共の福祉のために移動の自由と言論・集会および結社の自由は制限されると明示されているわけだ。

2019年3月26日火曜日

内田樹 比較敗戦論のために

http://openout.info/countryballs/countryballs-ww2-axis-powers-by-airstormmlp-on-deviantart.htm
BLOGOSに、内田樹氏の「比較敗戦論」というテーマで姜尚中氏とトークセッションした内容が記されていた。極めて重要な視点だと思うので、マレーシア連邦憲法の話を休憩して、エントリーしておきたい。

この「比較敗戦論」という語彙は、白井聡氏の「永続敗戦論」(日本人は敗戦を否認しており、それが戦後日本のシステムの不調の原因である)への対語である。日本については同意するも、他の敗戦国はどうか?という視点をもつべきだというわけだ。

第二次世界大戦の敗戦国といえば、日独伊とくるけれども、フィンランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、タイ、これらは連合国が敵国として認定している。その他に、連合国が国と認定していない交戦団体として、フィリピン第二共和国、スロバキア共和国、クロアチア自由国、満州国、中華民国南京政府がある。内田氏は、これらの国が敗戦経験をどう受け入れたのか、ほとんど何も知らない。敗戦を否認した国が日本以外にもあるのかどうか知りたい、と考え、2019年の寺子屋ゼミを通年テーマにしたと言う。

フランスは果たして戦勝国なのか?南部のドイツ傀儡政権となったヴィシー政府はファシズム的で、ドイツに多くの労働者を送り、反ユダヤ的で政策に大いに強力した。たしかにド・ゴールは、ロンドンに亡命し自由フランスを立てたけれども、任意団体というのがふさわしい。まさにDデーからパリ解放までに間に、事実上の枢軸国から連合国の一員になり、綱渡りで戦勝国になったといえるそうだ。これによって、フランスは敗戦を総括する義務を免除された代わりに、自らの暴力性について無自覚だというトラウマ(特に10%をしめるムスリムに対して)を抱え込むことになった。これが、フランス思想の専門家である内田氏の考察である。

イタリアは、自らムッソリーニを引きずり下ろしている。内戦化し、ドイツ軍を追い出している。したがって、戦勝国だといってもおかしくはない。実は、1945年7月には日本に宣戦布告している。ド・ゴールのようなカリスマがいなかった故、戦後の立ち位置が大きく変わってしまった。イタリアは敗戦を自業自得と受け止めているようである。

ドイツは敗戦経験の処理に成功したと言われている。しかし東ドイツは「戦勝国」であるとされている。東ドイツ国民はナチスと戦った共産主義者が戦争に勝利して建国したということになっている。1990年の統一で人口の20%がそういう感覚をもっていた。これを日本に当てはめてみると、どれだけ敗戦の総括が大変であるかがわかるだろうと内田氏は言う。
https://blogos.com/article/366092/?p=1

…実に興味深い話だった。この後、小津安二郎や司馬遼太郎の話、さらにアメリカの戦争総括方法などに発展していくのだが、実に興味深い内容であった。私も知らないことが多かった。F40Aの社会科学をやろうとしている卒業生には是非呼んでおいて欲しい論考のひとつだ。

2019年3月24日日曜日

マレーシア連邦憲法を読む 3

https://tvtropes.org/pmwiki/pmwiki.php/Characters/PolandballAsianNations?from=Characters.PolandballSouthEastAsianNations
さて、マレーシア連邦憲法の第2条は、「連邦への新領域の編入」国会は法律により、(a)他州の連邦への編入を認めることができ、(b)(当該州および統治者会議の同意があれば)いかなる州境を変更することが出来る、ことが述べられている。…日本と異なり、マレーシアは州で構成される連邦であり、第1条に付随してこのようなことが書かれてあるのだと理解できる。

第3条には、「連邦の宗教」である。(1)イスラム教は本連邦の宗教である。ただし、他の宗教も連邦内のいかなる地域にかかわらず平和と調和のうちに行うことが出来る。(2)統治者をもたない州以外の全ての州に於いて、統治者の地位は当該州憲法が認め、宣言するかぎりにおいて、同州におけるイスラム教の長である。また同教の長として統治者がその憲法に基づき亨有する全ての権利、特権、大権などは、これを動かし、損なうことができない。しかし統治者会議において、統治者達が本連邦に対し一括付託することに同意した行事、祭式、儀式については、各統治者はイスラム教の長としての権能において、最高元首にこれを代わって司る権能を与える。(3)マラッカ州、ペナン州の憲法には、同州におけるイスラム教の地位を最高元首に付託するとの規定をつくる。(4)本条の規定はいずれも本憲法の他のいかなる規定によっても損なわれない。(5)本憲法のいかなる規定にも関わらず、最高元首はクアラルンプルおよびラプアンの連邦区に於けるイスラム教の長とする。国会はこの目的のためイスラム教の宗務を定めかつイスラム教に関する諸事項につき最高元首に助言する評議会を設置するための規定を法律により制定する。(全文/原文のまま)

…この第3条は、(1)イスラム教を国教とすること他の宗教の信教の自由、ならびに(2)各州の統治者(スルタン)をイスラムの長とすることと、その独立性を謳っている。要するに、各州のイスラム評議会は、(ウンマ=イスラム共同体の合意事項であるイジュマ-にあたる)ファトワを決めることが出来るが、各州のスルタンがそれを可能にしているといえる。(3)シンガポール同様イギリスの海峡植民地だったマラッカ州とペナン州、さらにサバ州・サラワク州にはスルタンがいないので、スルタンの役割を国家元首(9州のスルタンの中から互選で選ばれる国王)に付託されること、(5)連邦直轄領のスルタンの役割も国家元首が担うこと、これらイスラム教の宗務を定める為の評議会(=スルタンの会議/統治者会議)を設置することが規定されている。なかでも、(4)第3条は憲法の中で他のいかなる規定によっても損なわれないという条文が光を放っている。

…マレーシアは、イスラム教を国教としており、マジョリティであるマレー系をはじめとしたムスリムにとっては、神定法であるシャリーア(イスラム法)が、ある意味、領域国民国家・マレーシア連邦の定めた人定法である憲法以上の効力をもっている。(二重の法の支配があるわけだ。)そのシャリーアの守護者が9人のスルタンであり、かれらの統治者会議が国王を選出しスルタン不在の地域も含めて、このシャリーアを護り続けるというシステムが規定されている。このシステムは、人定法である憲法の他の規定によって損なわれることがない。
…マレーシア連邦では、人定法としての憲法のもと、領域国民国家に、あらゆる民族が暮らしているが、同時にマレー系をはじめとしたムスリムは、神定法のシャリーアの下でその守護者/国王ならびにスルタンの元で暮らしている。これを憲法が保障していると明示しているのが、この第3条なのである。極めて重要な条文である。

マレーシア連邦憲法を読む 2

https://4travel.jp/travelogue/11323885
さて、日本国憲法は、GHQの思惑がにじみ出ていていることは間違いない。東京裁判での昭和天皇の訴追を振り切るために、第一条は、象徴天皇制と国民主権が謳われている。もちろん、日本国憲法は、これが全てではないが、やはり第一条は、重要な気がする。マレーシア連邦憲法はどうか?というと、「連邦の名称・諸州および領域」について書かれている。

第一条(1)本連邦はマレー語および英語でマレーシアと呼ぶ。(原文)(2)本邦の諸州は次の通り(と、ここで13の州名が書かれている。)(3)この領域は、(4)を条件にマレーシアデー(注:1963年9月16日)直前に包含されていた地域であることが述べられている。(4)1973年憲法改正(第2号)により、KLはスランゴール州から除外、ラブアンはサバ州から除外され、連邦の直轄領区となったことが記されている。

…第1条から読み取れるのは、マラヤ連邦の独立(1957年)と、イギリスの自治領だったシンガポール、ボルネオ島のサラワク、サバ(北ボルネオから改称)が1963年にマレーシア連邦を結成した歴史である。しかし、1964年7月21日、中華系の人口が大半を占めるシンガポールで、ブミプトラ政策をとろうとした中央政府ならびにマレー系住民と中華系住民の対立からシンガポール人種暴動が起きる。さらに選挙戦でもするどく対立し、初代首相ラーマンは、PAP(シンガポール人民行動党)のリー・クアンユー(李光耀)と合意の上、追放というカタチでシンガポールは分離独立することになった歴史でもある。マレーシア国旗は、マラヤ連邦時代は、横の赤と白の線は11本で、マレーシアデー以降+3で14本に変更された。すなわちシンガポールが入っていた。シンガポールが分離独立後は、デザインは変更されず、州の数は13だが、残る1本は連邦直轄区(KLとラブアン)を意味していると言われている。第一条はマレーシア国旗の解説でもあるわけだ。
…同時に、言えることは、マレーシア憲法は、(宗主国イギリスとは異なり)日本と同じ成文憲法であること、しかし改正に当たっては硬性憲法ではないということである。

マレーシア連邦憲法を読む 1

先日、日本語の「マレーシア連邦憲法/全文」(1996年/京都大学 重点領域研究総合的地域研究成果報告書シリーズ)のPDFを発見した。マレーシア連邦憲法については、これまで概略が記されたものを少々勉強はしたが、今回はこの全文を読んでみようと思った。最大の理由は、F42のマレー系国費生にEJUのシラバスにある日本の政治を教えるに当たって、マレーシアのそれと対比させながら学ばせれば、理解が深まるのではないかと考えたからで、これもマレーシア3年目故の教育実践から生じたアイデアである。

ところが、F40の私費生の卒業生(中華系)やF42の国費生に聞くと、これまでそういう教育(日本で言う「公民科」的な、国民としての政治参加や人権のための必須事項)は受けてこなかったのだ、という。私は、正直意外であった。彼らは、選挙の方法や裁判のやり直し(控訴)があることは知っていたが、学校で、そういう政治制度や憲法自体を学んだことはないのだという。私はこれまで、そういうことも知らずに、マレーシアの学生に日本の政治分野をどっぱーんと語っていたことになるわけだ。

ならば、これまでの反省も込めて、マレーシア連邦憲法全文を読破して、F42の文系(彼らはいずれマレーシアの行政等を背負っていく人材である。)には、日本のそれと対比させて教えるべきだと思った。ところが、法学部出身でない私には、日本語訳されているとはいえ、なかなか難解である。しかしながら、マレーシアの歴史学習の成果から、いくつか、そこから読み取れることもある。それらを少しずつエントリーしてみようかと思う次第。…つづく。

2019年3月23日土曜日

還暦+ONE

私は背番号61になっだが…。
先日引退したイチローがご夫人と共にシアトルへ帰国した。全日空が成田の搭乗ゲートを58A から、51に変えたそうだ。粋な計らいで、こういう人情の機微が嬉しい。日本を代表するプロフェッショナルを、プロフェッショナルが送るにふさわしい逸話となったと思う。さて、昨日の3月22日という日は、私の誕生日である。還暦+1となったわけで、別にめでたくも何でもない。まして、盟友・ケニア人のピーター・オルワ氏の命日でもあり、イチローの引退(会見)ともクロスオーバーする日となってしまったのだった。

最近は、物忘れも激しくなったし、虫歯も多くなった。(こちらで歯医者に行くのは、英語が苦手な糖尿病患者である私にとって、極めてリスクが高いので放置したままだ。)血糖値はなんとか安定しているが、疾病に関しては注意するしかないのが現状である。来年度、担任を外れたことに、ちょっと安堵しているのは、そういう体調のこともある次第。これが、還暦を過ぎる、ということなのかと思う。とはいえ、私が、昨日イチローに贈った彼の美学に生きて欲しいという想いはブーメランのように私に返ってくる。そういう逡巡を繰り返す日々である。

2019年3月22日金曜日

笑止 隣国のTPP参加

https://www.pinterest.es/pin/811844270304476991/
隣国がTPP入りを目差しているらしい。先日、大統領がASEANの国々を訪問したのも、そういう企てがあったのか、と思う。しかしながら、マレーシアではインドネシア語で挨拶をし、ブルネイでは、アルコールが御法度のイスラム国で乾杯をしようとしたという外交的非礼を重ねたらしい。かの言論の自由があるのかと邪推してしまう隣国のマスコミでさえ、この件に関して、さすがに批判しているようだ。トップもトップだが、側近も側近である。無知も甚だしい。私には、極左ドグマ集団が政権を担ってしまったように見える。結局の所、イデオロギーを振りかざし、他を粛清する恐怖政治しかできない素人集団であるといえようか。

TPPでは、全加盟国の賛成がなければ参加はできない取り決めがあるようで、すでに、日本は承認しないだろうという観測記事もある。その理由は、国家間の取り決めを平気で破るような国に、国家集団の取り決めを守れるわけがないという、極めて当然の道理だそうである。ここ半年、取り返しの付かないほどの反日運動を展開した上で、TPPに参加したいというのは、前述のTPPの取り決めを知らないから言えるのかもしれない。ここにきて、徴用工(と彼らが呼んでいる)裁判の原告弁護団も急に弱気になっている。まさに稚拙そのもの、であるとしか言いようがない。哀れなのは、民主主義のルールにしたがって彼らを政権につけた隣国の国民である。

チャーチルの「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが。」という言葉は、逆説的に民主主義を持ち上げているようで、その問題点の指摘をも含んでいると私は思う。民主主義は完全なる正義ではない。また、ニーチェは「狂気は個人にあっては希有なことである。しかし、集団・党派・民族・時代にあっては通例である。」と言っている。これは、箴言であると思う。

…隣国の人々の道具的でない理性を信じたい。先日の「戦犯企業ステッカー」の条例も当該の教育長を始め、各地で批判が起こっているという。「テルミドールの反動」の日は近いのかもしれない。

サムライ・イチローの引退

https://mainichi.jp/graphs/20190322/hpj/00m/050/001000g/1
昨日、イチローが引退した。私の一番好きな野球選手であり、現代で最もサムライ精神を体現している人物だ。(極めて昭和的な表現になるが…)ここ2年ほどスーパー銭湯に行っていないが、私が選ぶ下駄箱は51番以外ありえない。その51番・イチローが引退した。

昨日は、YouTubeで、交代を告げられ、マリナーズの選手とハグしているシーンを見た。今日は、引退会見の全文を読み、試合後、東京ドームを一周する姿を見た。胸が熱くなった。彼の功績を挙げる必要などあるまい。昨年、イチローはシーズン途中で、チームに胎動しながらも現役であるという非常に希な立場になった。この開幕戦出場を見込んでの話だったとは思う。しかしオープン戦は不振で、来日後の対巨人戦、そして本番も、結局無安打だった。もちろん、往年の美しいヒットを見たかったが、ある意味、イチローらしいと私は思うのだ。

これまで誰も成し得なかった壮大な引退試合「群」だったと言っていい。それだけの価値のある選手だったといえるし、ある意味、無安打故に美しく吹っ切れただろうと思う。私は、素晴らしい活躍を見せたイチローも大好きだが、ニューヨーク・ヤンキース在籍時代の消化試合でのエピソードが好き。もうシーズン終盤の消化試合。正選手を引き上げさせて、若手を試すぐらいしかないような試合のさらに9回。イチローは、代打での出場を想定して、バットを振り続けていたというのである。他のベテランはすでにスパイクを脱いでいたというのに、である。イチローにとって野球は、「道」なのだ。プロフェッショナルとして最善を尽くすところに、彼のサムライの美学がある。

イチロー、ありがとう。国民栄誉賞も、野球殿堂入りも、そんなサムライ精神を体現したイチローにふさわしい。これからもイチローらしい美学をつらぬいて欲しいと思う。

2019年3月21日木曜日

ポーランドの右傾化と平成日本

https://jp.reuters.com/article/poland-nationalism-idJPKCN1MX13X
このところ、平成の30年間を振り返って何か書こうとしている。いろいろな視点の構想が浮かんでは消え、浮かんで消えしているのだが、基本的には、ドゥルーズのプレモダン、モダン、ポストモダンの脱コード化が、やはり最大の視点となるような気がしている。プレモダンの強固な神・王・父といった権力から生み出されるコード社会。資本主義のモダンでは、貨幣こそが神・王という地位を占める。これらはクラインの壺のごとく循環し権力者を変換させていく社会。それが、ポストモダンでは崩壊し、全てがリゾーム化し、脱コード化社会となるわけだ。彼の予言はかなり当たっていると私は思う。

その論旨を考える一つの視点がEUである。冷戦後に東欧の諸国にもEUは拡大し、領域国民性国家が新しい形態の国家へと変化するのではないかという期待があったが、シリアの難民問題で大きく揺らぎ、ロシアのウクライナ・クリミア半島の併合でさらに危機感を募らせ、イギリスの離脱問題へとEUの理想はことごとくリゾーム化しているようである。

今日読んだロイターの特別リポート「右傾化するポーランド、なぜ欧州に背を向けたか」は、なかなか読み応えがあった。EUにも、様々な問題がある。ユーロ圏の経済的な実権はヨーロッパ中銀行が握っており、政治的にも各国の思惑の調整はうまくいっていない。こんな中で、ポーランドやハンガリーは反発を強めている。しかもロシアへの歴史的な恐怖心が、さらに右傾化・民族的ナショナリズムに拍車をかけているようだ。
https://jp.reuters.com/article/poland-nationalism-idJPKCN1MX13X

私は、ポーランドに足を踏み込んだ経験があるし、歴史的な問題の深みを感じる。日本の隣国のような「恨」や「儒家のカインコンプレックス」さらに捏造された歴史の「物語」ではない、本当の悲惨な「歴史の物語」がそこにある。ポーランドがカトリックを選択したのも、民族を護るための知恵であった。彼らは、今、自民族の自負を取り戻そうとしている。まさにEU統合と反対のベクトルである。ドゥルーズのリゾーム化とは、こういうナショナリズムやポピュリズム的な動きをある意味含んでいると言えるだろう。

日本でも右傾化が進んでいることは間違いない。30年前、昭和天皇が崩御されたのは、土曜日で、最も問題視されていた日教組が強かった教育現場では、管理職がこそっと日の丸(当時はまだ国旗ではなかった。国旗および国歌に関する法律は平成11年成立。)を反旗で掲揚した。土日故に学校は休みで、主だった混乱は避けられたと記憶する。いささか不謹慎だが、昭和天皇の崩御はあまりに見事なタイミングの良さだったわけだ。右でも左でもない非組合員の私は、冷静に見ていた。今や、ウタハタ(国歌・国旗を意味する教育界の用語)は、法的整備され、式典の起立や斉唱を強要するのが当然になった。まさに隔世の感がある。まだまだ、私の頭の中で整理されていないのだが、こういう日本も含めた各国の民族主義化・右傾化は、この30年間でだいぶ熟成されたような気がする。これはある意味、プレモダンへの回帰である可能性もある。仏教に、成住壊空という語がある。この社会のコードの変換は、成住壊空するものなのかもしれない。

開発経済学テキストv7.04

昨日の国費生との交流会の後で
先日まで、PBTのインターン実習に来ていた信州大学経済学部応用経済学科の学生諸君のうち、男子学生3人が開発経済学をやろうとしていると聞いて、ちょっと嬉しかった。私は文学部で、全くの畑違いだが、国際理解教育を推進する中で、アフリカの開発経済学を独学で学んできたからである。せっかくなので、最新の「PBT留学生のためのアフリカ開発経済学テキストV7.04」をメールで送らせて貰った。ワードでP72分もあるが、Gmailで一括で送ることが可能だ。最新版と言っても、参考文献を増やした程度である。このところ、アフリカウォッチヤーとしての自負は薄らいでしまっているのが悔しいが、こういう経過があって今マレーシアにいるわけだし、マレーシアの研究も大事だと納得している。

とはいえ、アフリカの開発もまた曲がり角に来ているようで、中国の大きな圧力が「債務の罠」となってしまっているケースもあるようだ。先日少しエントリーしたけれど、ダンビサ・モヨ女史の呼びかけで始まったアフリカ投資の時代は、まだ少し早計だったのかもしれない。アフリカの現状も確認しながら、v.801へと改訂する必要がありそうだ。
…こんなテキストでも、学生諸君に少しでも役立てばと本望と思う次第。

2019年3月20日水曜日

現時点で韓国の問題を考える13

https://www.genialfoto.
com/bild/heinrich-himmler-
anime-65.html
もう、韓国の問題をブログに取り上げたくないのだが、これは教育にも関わることなのでエントリーしておきたい。韓国・京畿道で、道内の学校で使用されている(日本の)戦犯企業(とされる)製品にその旨を書いたステッカーを貼りつけることを義務づけるという条例案が提出された。議会与党の「共に民主党」27人の共同発議で、4月始めに議会に上程される予定だという。強制動員などで韓国国民に被害を与えたのにもかかわらず、公式謝罪、賠償をしない日本の企業が戦犯企業だと、条例案第1条にあると報道されていた。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019032000510&g=int

ナチスドイツが、ユダヤ人らを労働収容所に隔離し、シーメンスやI.G.ファルベンなどで働かせたことは周知の歴史的事実である。政治的ショーの意味合いが強いニュルンベルグ裁判では、クルップ社の当主やライヒスバンクの総裁であった経済大臣も起訴されている。だが、戦犯企業という名称は使われていないし、法人である企業が戦犯の扱いを受けてはいない。それ以上の政治ショーであった極東軍事裁判(東京裁判)でも、日産コンツェルンの鮎川義介は訴追されていないし、こちらでも企業の戦争責任も追求されていない。
すなわち、実際に歴史的事実として強制労働させたドイツ企業でさえも、被害にあったヨーロッパの国々やユダヤ人が、戦犯企業と呼び、今でも非難しているという話を私は知らない。共に民主党というカルト集団は、日本企業をドイツ企業と同等かそれ以上に見ているとしか言いようがない。

韓国の反日神話に犯され、物語の中に生きているカルト的な人々は、歴史科学的な見方を全くしていない。少なくとも、歴史的に戦犯企業などという名称も存在もない。彼らのねつ造である。はっきり言って幼稚であり、常軌を逸している。

まして、これを教育現場に持ち込もうとしている。どこが「未来志向」か。まるで、ヒトラーに気に入られるために、過激なユダヤ人迫害のパフォーマンスを重ねたヒムラーやメンゲレと同根ではないか。そんなにほとんどレームダック状態の大統領に気に入られたいのか。いいかげん反日神話の再生産はもうやめるべきだし、歴史科学的な見方を教育で推し進めなければ、隣国は北の隣国と共に世界から完全に孤立するだろう。

日本政府が金融制裁の一つでも行えば、彼らの悪巧みはぶっ飛ぶだろうが、果たしてそれでいいのか、いやそうしなければわからないのだろう、と自問自答する最近の私である。立ち上がれ、理性的な隣国の人々、でないと破滅するぞ、とただただ常軌を逸した一部の声の大きな人々に扇動される隣国を憂うのみである。

2019年3月19日火曜日

英国・愛蘭・日本・韓国

https://www.picbon.com/tag/Irelandball
イギリスのEU離脱はまさに迷走している。最大の問題は離脱派と残留派が拮抗しているからである。このイギリスを二分している背景について、面白い論説を見つけた。イギリスの大陸不信感である。二度の世界大戦について、イギリスは消極的だった。勝利を収めたものの、これで国力を消耗しアメリカに覇権をゆずることになった。その後も大陸とは距離を置いていたが、結局EUに加盟する。サッチャー政権末期に、イギリスもユーロ導入に動きかけたが、金融緩和するべき時に固定相場制を維持する必要に迫られ、結局ポンド高となった。そのすきを突かれポンドは売られる。イングランド銀行はこれに為替介入したが、結局変動相場制に移行、ポンドは暴落し通貨危機になった。この時ドイツは何も手をさしのべず、不信感をイギリスにさらに植え付けることになった。このような大陸に関わるとろくなことにならないという不信感があるのだ、という。
https://president.jp/articles/-/28052

一方、今回の離脱問題の焦点となっているアイルランドとの関係に於いて、アイルランドも韓国同様に、ゴールを動かす国だという指摘もある。しかし、イギリスは感情的にならず、アイルランドを罵らない、日本も「反韓・嫌韓」は時間の無駄だという論説もある。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190318-00010001-newsweek-int&p=1

…イギリスをめぐって、いろいろな論説がWEB上に出ている。前者はなかなか面白いと思ったが、後者は、歴史的背景や宗教的な背景が違いすぎる、かなり乱暴な論理展開だと思う。イギリスが感情的にならず、アイルランドを罵らないのは、アイルランドの実力行使(IRAにはかなり懲りているはずだ)や、遠い過去、クロムウェル以来のえげつない黒歴史があるからで、罵れないのは当然である。今回の日韓関係とはレベルが違うと言わざるを得ないと私などは思う。

2019年3月18日月曜日

時間が空くと何か書く。

来年度は担任をはずれたので、少し時間に余裕が生まれる。これまでもそうだが、時間に余裕があると、何か個人的な研究をしたくなる。「高校性のためのアフリカ開発経済学」もそうだったし、様々な国際理解教育のシミレーションゲームを考案したのも、こういう時間を利用してきたのだった。

1つは、私家版のマレーシア・レポートを書こうかと思っている。マレーシアの3年間を振り返って、国際理解教育からの視点で書こうかと思っている。開発教育の視点、人権の視点、平和の視点、環境の視点、そして多文化理解の視点…。本当は、国際理解教育学会で研究発表したいところだが、とにかくも書いてみようかと思う。このレポート作成にはかなりの時間が必要だ。

もう1つは、内田樹先生が編者となって、平成の時代を振り返る本(街場の平成論)を出されるそうで、「まえがき」を発表されていた。私自身も平成の30年を振り返ってみるのもいいなと思っている。この平成の30年を、それ以前の30年と、将来の30年を念頭に書いてみようか、と思っている。もちろん、こっちはこのブログが発表の場になると思うが、5月の今上陛下の御退位までに、と思っている。まずは、じっくり構想をねろうと思っている次第。

PBTの話(19) F40卒業文集

F40の卒業文集が印刷されて、今日から配布が始まった。今日取りに来たのは、作成をほとんど一人でやったA君、朝一番にやってきたS君、VASAの件で来ていたI君、エアアジアで福岡に旅立つW君とN君の5人である。

今年は、全員の文章が集まらなかったようで、A君はかなりしんどい思いをしたようだ。PBTの卒業文集は学生に全てまかせて作られるのだが、ほとんど文章が書かれていないクラスもあって、私は少し危機感を抱いている。まあ、とにかくも、A君ごくろうさん。文集を取りに来る一人ひとりの顔を見れるのが楽しみだ。

2019年3月17日日曜日

マハティール首相の3.16演説

国際コンベンションセンター
https://www.tripadvisor.jp/Attraction_
Review-g298305-d7624452-
Reviews-Putrajaya_International
_Convention_Centre-Putrajaya_
Wilayah_Persekutuan.html
マハティール首相が、3月16日、プトラジャヤの国際コンベンションセンターで、求められる連邦領での理想的な若者像」という会合で演説を行った。この中で、マハティール首相は、「日本人の数ある価値観の中でも責任を果たせなかった時に恥ずかしいと感じること」を特に取りあげたということだ。現在、1981年に提唱した「ルック・イースト」を再度実践することに努めており、「物事に失敗した時に恥ずかしい、忸怩たる思いだと感じることは日本人の中に染みこんでいる。そして期待や信頼に応えるためにさらに一生懸命の努力を重ねる。こうした美徳を見習うことが成功への道である。」「この忸怩たる思いは試験に失敗した時だけでなく、社会に否定的な影響を与える良きせざる出来事に遭遇した時も同じである」として、そこに留まらずそれをバネにして努力を重ねることの重要性を訴えたという。

と、ともに、アイスランドの若者政策にも言及した。アイスランドでは、13~18歳の若者12人からなる青少年評議会(ユース・カウンシル)を設置、若者の立場・考えから「持続可能名開発」などを提言、促進する役割を担っており、政治への関わりが強まり投票率も上がっている。またユース・イン・アイスランドという官民一体の取り組みで、若者のクリーン度指数が高い国を実現した。これをマレーシアにも導入するそうで、クアラルンプールの公共住宅等に住む12歳から17歳の若者・2000人を対象にすでに実験中だとか。愛国心、福祉、社会などを学び独自の能力、創造力を養うことを目標にしているらしい。

マハティール首相は、日本の「尊い価値観」を見習い、実践して欲しいと繰り返し述べ、2025年までに先進国入り(これまでは2020年だった。)を目標に掲げた。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/03/post-11851.php

…この演説内容は明日にでも、マレー系のF42の国費生にさっそく伝えようと思う。ところで、これは私の推測だが、この演説はマレー系の若者を対象にしているような気がする。理由は二つある。アイスランドの若者政策の実践のところで、公共住宅という語句が出てきた。これはブミプトラ政策で農村から都市への人口移動を推進する際建てられたものが多い。おそらくほとんどがマレー系住民であること。愛国心、福祉、社会などを学びとあるが、この辺も、マイノリティでは議論しづらい問題であること。なぜなら、マレーシア憲法の中で、ブミプトラ政策などは「微妙な問題」で公共の場での討論が禁じられているからである。マイノリティにとっては極めて参加しにくい状況にあることが容易に推測できる。よって、マレー系の若者を対象とした演説であると考えるわけだ。ただし、その是非を云々するつもりはない。日本人の一教師としては、誇らしいし、その必要性(価値観もアイスランドの若者政策も含めて)を実感するからである。

…(追記)多少伺った見方をすれば、先日韓国大統領がマレーシアに来た。通貨スワップの申し込みに来たのか、残り少ないだろう地位を満喫するために国賓待遇が受けたかったのは知らないが、マハティール首相との対談内容は極めてあたりさわりのないものであったようだ。これを受けて、改めてマレーシアは日本を尊敬し目標にしているのだという、日本政府ならびに隣国政府、さらには中国政府へのシグナルだとも受け取れるのである。そう考えると、マハティール首相の政治家としての凄さをあらためて感じるのである。

JRおおさか東線全線開通

前任校は、学研都市線の放出(はなてんと読む)駅が最寄り駅だった。この放出から南に向かって、地下鉄や近鉄と乗り換え可能な駅を結び、久宝寺までがおおさか東線。ここで大和路線と結ばれているので奈良まで繋がっていた。
昨日、今度は北側に向かって新大阪に向かう線が開通し、これで全線開通したわけだ。私が日本にいた頃から工事が始まっていた。このおおさか東線の元は、城東貨物線である。吹田の操車場から、大和路線の百済貨物駅を結ぶ単線のJR貨物が走っていた線路なのだ。京橋駅と鴫野駅の間から学研都市線に合流し、放出で南に向かって行くようになっていた。これがまず、おおさか東線に変わった。(もちろんJR貨物も走るだろうと思う。)
鴫野駅から新大阪まで、今日初めて路線図を見たが、地下鉄、京阪や阪急、さらにはJR京都線とも繋がっている。路線は、一度南吹田まで北上してから新大阪に入るようになってはいるが、これはなかなか便利な路線になるのではないか。しかも新大阪からJR奈良への快速も走るらしい。JR奈良は近鉄奈良に比べてちょっと寂しいので開発が進むだろうと思われる。市場の失敗における外部経済の見本になるかな、と思う。

2019年3月16日土曜日

マハティール首相の比訪問

https://polandball.fandom.com/wiki
/Malaysiaball?file=Malaysiaaaaaa.png
やはり、マハティール首相はASEANの重鎮である。フィリピン訪問で、中国の一帯一路政策への深入りを「債務の罠」であること、「中国人の大量移民は政治的均衡を乱す」と、たしなめた模様だ。フィリピンには、すでに20万人の中国人が移住しているようだ。
https://blogos.com/article/364375/

マレーシアでは、前政権が一帯一路政策に深入りし、多額の負債を抱え、汚職の温床になってしまった。また一方で、植民地以来の移民である中国系の人々が平和的に共存しており、ブミプトラ政策でマレー系との経済格差は縮小方向にあるものの、未だに様々な問題を抱えていることは否定できない。マハティール首相は、少なくとも新たな中国本土からの経済進出や人口流入には否定的である。これは、自国のアイデンティティを護るべきだという意志の表れであると私は思う。

在マレーシア(もちろんマレーシア国民である)の中華系の学生を多く知る私としては、彼らの背負っているものを100%理解できているとは思わないが、様々な逡巡があることは知っている。マレー系の学生が、マイノリティーの中華系・インド系をどう感じているのかも千差万別であるようだ。すでに60年以上の多文化共存の歴史をもつマレーシアでさえ、多文化共生は実は大変なのである。カトリックの多いフィリピンに、本土の中国系が大量に移民してくる事がいかに大変かを伝えに行ったのではないか、と思う。

おそらく、個性的なフィリピン大統領に、こんな話をできるのはマハティール首相しかいないだろう。フィリピンは、ASEAN成立当時より経済的には疲弊しており、他国での出稼ぎ労働の送金がGDPに占める割合が高い。中国への遠慮もあると、大統領は述べたようだ。もちろん、マハティール氏の「債務の罠」発言に中国は反発している。このせめぎあい、極めて興味深い。

メタ的に見る東アジア情勢

メタ的な視点について、昨日ちょっとエントリーした。これを少し、東アジア情勢にあてはめてみようと思う。日本と韓国の関係だけではなく、先日のハノイの米朝会談の結果も踏まえて、日本列島から幽体離脱して、鳥瞰的に考えてみようとしているわけだ。

まず北朝鮮の状況はかなり追い込まれている。金王朝の権威はかなり失墜したようであり、制裁解除どころか、さらに経済は苦しくなりそうだ。クーデターや暴動の恐れさえ噂されている。ただし、金王朝の社会主義は、事実上闇経済的資本主義で成立しているとの情報もある。トランプを信じて核廃絶をするか、現状を維持するか、ミサイルと核開発を再開するか、いずれにせよ第3回の米朝会談を望んでいる可能性は高い。

これに対するトランプのアメリカ政府もかなり危ない。ロシア疑惑や国境の壁建設のための国家非常事態宣言はアメリカの民主主義への挑戦であり、共和党からも造反が出ている。(当然拒否権を出すだろうが…。)実はトランプの足下も脆弱なのだ。アメリカで、最も嫌われている国は、北朝鮮とイランらしい。最近はサウジアラビアもその上位を狙っているようだが。アメリカの歴史は戦争の歴史である。大義さえ整えば、アメリカは厭わない。そして政権への指示は一気に上昇する。9.11以後、かのブッシュ(息子)政権でさえ、一気に90%にまで上昇した。星条旗が溢れ、愛国心が刺激される。再選に向けて厳しい状況に置かれているトランプ閣下が、その決断を行うことも十分ありうるし、議会の方が北朝鮮制裁に熱心であるようだ。

今回の米朝会談の失敗を受けて、韓国では、文政権の外交姿勢がかなり野党から批判されている。マスコミの論調も徐々に変わっているようだ。なにより、韓国も経済的に追い詰められている。IMFからの指摘もあって、このままいくと財政破綻してしまうだろう。来年度の在韓米軍の存在すら危うい。

日本は、例の徴用工と呼ばれる裁判で、実害が出たら可能な経済制裁を行うことを公言した。ヨーロッパでの資産差し押さえにまで動くという弁護団の言もあって、実現する可能性も高まっている。しかしながら、韓国の日本企業の黒字率は85%と最も高いらしい。つまり、日本の高度な部品(約50%をしめるらしい)を韓国が輸入して組み立て、サムソンなどは輸出しているという構造である。関税を上げたり、戦略物資の輸出をストップしたら、韓国経済は息の根が止まるだろう。しかし、日本の経済界も大きな打撃を受けるわけだ。また「支払い信用状」の停止は、その中心であるみずほ銀行の巨額損失の話も出てきて、さてさてという状況もある。とはいえ、日本の国民感情はすでに韓国の反日物語をはっきりと認識してしまった。制裁や断交を求める声は大きいが、このまま、韓国の政治的あるいは経済的自滅を待つのがベストかもしれない。

中国も、経済的にはいろいろ問題を抱えているようだが、米朝会議の直後、北朝鮮の自由朝鮮という臨時政府が生まれたが、このバックにアメリカとともに中国がいるのではないかという推測が流れている。

…およそ、これらの情報をメタ的に鳥瞰してみると、米・日・中をはじめとして、国際的に、朝鮮半島両国の孤立は際立ってきている。韓国の経済的崩壊、北朝鮮の政治的崩壊が、起こる可能性、さらに米軍の軍事介入を促す可能性は以前より高まっているような気がする。中国と貿易戦争中の米国だが、大統領閣下は常人ではないし、北朝鮮。韓国のリーダーもまた常人ではない。いずれにせよ、現在の東アジアにはどう動くのが最も権力者にとって「利益」になるのかという絶対主義的な状態にあるようにみえる。(まだ軍事面での争いに拡大していないのが幸いだが…。)

地球市民としては、韓国の理性的な民主主義(反日物語の払拭)に期待したいところだ。また北朝鮮には、金王朝の平和的な崩壊を期待したい。米国にも中国にも軍事的介入の自制を期待したい。なによりも「平和」が第一義だと考えるのは、日本人のDNAかな。

2019年3月15日金曜日

「知の逆転」を読む Ⅳ meta

http://images.huffingtonpost.com/2016-12-01-1480565636-4396403-cmrubinworld_AdobeStock_104633967500.jpg
「知の逆転」を読み終えた。アカマイ社というインターネットのインフラを支えているともいうべき企業を立ち上げたトム・レイトンというMITの応用数学科教授の話も面白かった。私はおよそ数学的思考は苦手だが、こんな話が出てくる。n²+n+41という数式にn=0を入れると、答えは41という素数になる。n=1なら1²+1+41=43で素数。n=2なら4+2+41で47で素数。これを10回、20回と続けても素数になる。ビジネスの世界なら、数回の計算で「この式の答えは素数になる」と結論づけるだろうが、nに40、41またはそれ以上の数を入れると素数ではなくなるのだという。数学というのはもともと証明と確定性の学問で、「ある事象は正しいように見える」から「ある事象は真実だ」というところまで突き詰めるものだという。…この数学的訓練がビジネス上の決断を下すのに役立つのだという。

ところで、この本を読んでいて、ふと「メタ(meta)」というコトバを思い出した。いつの国際理解教育学会の研究発表大会であったか忘れたが、F先生を始め、多くの大学の先生方の講演の中で「メタ」というコトバが使われていて、私などはまったく意味不明だったことがある。(国際理解教育学会は大学教授や大学院生、そして現場の実践者である我々が共存しているのが意義深いと思う。)こういう、謎のコトバが、学校現場以外の国際理解教育のセミナーなどでも使われることがあって、大いに勉強になる。スキルやガバナンスなど、今ではフツーに使っているコトバも、実は最初は未知のコトバだった。で「メタ」である。メタというのは、いろいろな使い方がある。一番分かりやすいのは形而上学(Metaphysics)で、超物理学というか、高次な物理学というか、とにかく物理学が対象とする現象を超えたと言う意味で使われるギリシア語から来ているコトバである。
改めて調べてみると、メタ的思考やメタ学習法について書かれているWEB記事もあった。俯瞰的な見方、より客観的視点などと言えるようだ。…なるほど。F先生はじめ、当時の大学関係者の間で流行っていたコトバであると思う。(もう今は、国際理解教育の世界では、フツーのコトバになっているはずだ。)
https://abitus.info/work/meta-thinking.html
http://images.huffingtonpost.com/2016-12-01-1480565636-4396403-cmrubinworld_AdobeStock_104633967500.jpg

…こうしてマレーシアにあって、そういう先端的な学術の場から大きく離れていることをふと実感する。開発経済学の最新刊も読めないことも、ちょっと辛いな、と思う。
…メタ的に見て、マレーシアの地でおそらく他ではできないような貴重な教育実践をしながら、贅沢な悩みをかかえている自分がいることを再発見した次第。

2019年3月14日木曜日

PBTの話(18) 工場見学

プルドア社のちょっと前のマイビー(黄色)
マレーシアの国産自動車会社プルドアに、F42の学生達が昨日行ってきた。私は留守番だったが、それ以前に国費生2クラスに、文系としての質問の指導を少しだけ試みた。まだ経済をやっていないので、あまり難しい質問はできないし、日本語能力もまだまだなので無理もあるが…。

生産性の問題。国産車からの脱皮、ガソリン車からハイブリッド車、電気自動車化、水素自動車化などのこれからのスキル向上などなど。本当は外国人労働者の比率や最低賃金の問題から、マレーシア経済の現状把握へ進むと面白いが、これをどう料理するかはまだまだ今の学生には難しい。まあ、授業でその時々で、今回の工場見学を話題にして、とにかくも自分で考えることを主眼に指導していこうかと思っている。

さて、プルドア社の車と言えば、マレーシアの10台に1台と言われる大衆車・マイビーである。私は、このマイビーが大好き。最近モデルチェンジして、なんかワーゲン・ゴルフっほくなったけれど、少し前のマイビーが可愛い。色は、黄色が一番いい。とはいっても、こちらで車を買う事はないだろうと思う。最大の理由は、バイクの運転が怖いからである。こちらのバイクは、縦横無尽に車の間をすり抜けていく。「日本であんな運転したら死ぬぞ。」と常々学生に言っている。(笑)とにかく怖ろしいのである。もうひとつは、万が一事故や故障した場合の対応である。こんな場合の英語の対応力は、我が夫婦ともども、全然ないといってよい。よって、理性的な結論として、「車は買わないでおこう。」となっているのである。でも、やっぱり黄色のマイビーはいいなと思っている。

もし、日本でも販売してくれたらなあと思うが、学生の「輸出しないのですか?」との質問には、はっきりイエスと言う答えが返ってきたそうだ。ブルドア社は、出来るだけ安価な車を国内で販売するというポリシーがあるらしい。この回答には、みんな不可解な顔をしていたので、アップル社と中国や台湾の安価なスマホを例にとって、ニーズの差別化(この言葉は使っていないが…)について説明したら、みんな、なるほどと納得してくれたのだった。

2019年3月13日水曜日

北アイルランド問題の亡霊

北アイルランド/ベルファストの壁画 
http://enmangaplus.blog38.fc2.com/blog-entry-71.html
イギリス議会が混迷ししている。国民投票で離脱を決めたものの、EUとの交渉は難航しており、先が見えない。"POST TRUE"が2016年のイギリスの流行語大賞になった後、さっさとEUを離脱するのかと思いきや、”TRUE”が現実的に見えてくると、反対者が増えてきたようだ。イギリスがEUから離脱した場合の経済的デメリットがあまりに大きいことがわかってきた。別にEUから離脱しても国内の失業率は減らないし、ポーランド移民を追い出せるわけでもない。メリットは、唯一、EUの政治的しばりから抜け出ることが出来るという一点である。EU内でも、たしかに統合の理想は、各国の国益とナショナリズムの高揚で崩れつつある。安易なポピュリズムに流されると危ない。イギリス(とアメリカ)はそのまさに好例である。
議会がもめている最大の理由は、北アイルランドと、EUの一員であるアイルランドとの膨大なボーダーが大きな懸念材料になっているからである。イギリスがEUを離脱する以上、なんとか平和を保ってきたこの国境が経済的な新たな障壁となるわけだ。これをどう処理するか、下手をすると、北アイルランド問題が再燃しかねない、と議会はかなり懸念していたわけだ。
https://www.bbc.com/japanese/47548154

ところが、今日のニュースによると、爆弾の入った郵便物がイギリス国内でいくつか発見された。IRAと名乗る者からの犯行声明が届けられたという。もちろん、これが真実、(復活した)IRAのものなのかはスコットランドヤードが調査中であるが、まさに、亡霊。
https://www.afpbb.com/articles/-/3215445

冷戦後の世界に再構築された「ポスト近代国家」、EUの自由貿易下の平和統合の実験は、グローバリゼーションの格差拡大の中で、もろくも崩れてしまうのだろうか。各国はまた、元のように、国益を追求しつつぶつかり合うのだろうか。

2019年3月12日火曜日

インドの愛国的デザインサリー

https://jp.reuters.com/article/india
-kashmir-pilot-idJPKBN1QT03V
ロイター電によると、パキスタンと対立が続くインドで、愛国的なデザインのサリーが人気らしい。なかなかリアルなデザインである。24時間体制で量産しているらしい。すでに予想を上回る4000着もの注文が入っており、新たなデザインも考案中だとか。
https://jp.reuters.com/article/india-kashmir-pilot-idJPKBN1QT03V

…あまり喜ばしいニュースではない。このところ世界的にナショナリズムの高揚が見られ、極めて危険であると私は思っている。政治がこれらのナショナリズムを高揚させることで選挙を優位にするとか、政権維持を図ろうとするとか、これにのせられる国民もまだまだ多いようだ。

迷惑な隣国の経済状況は、かなり厳しいようだ。反日でナショナリズムの高揚を行ったはいいものの、その幼稚な外交政策が、日本だけでなく、米国やその他の西側諸国、さらにはアジア各国からも批判を浴びている。IMFが乗り込んでくるとの噂もある。
もうひとつの迷惑な隣国は、またまたロケット発射の準備(ポーズ?)を取り始めているようで、その意図は未だ不明。かなり国内の現状も厳しいようだ。子ども達に毛虫を集めさせるようなまねをしながら、莫大な資金を核開発に向けている。国連の人道支援が行われるとの風評もあるが、この醜悪なガバナンスでは、さてさて…である。

地球市民としては、罪もない人々が悪いガバナンスに苦しんでいるわけで、なんとかならんのかいっ!と咆えるくらいしかできないのだが…。

2019年3月11日月曜日

3.11に「知の逆転」を読む Ⅲ

ミニマンボウ ロボット
https://wired.jp/2019/03/11
/fukushima-robot-cleanup/
3.11、8周年である。今朝バスの中で、「知の逆転」で、人工知能の父と呼ばれるマービン・ミンスキーMIT教授のインタビューを読んでいた。タイトルは、「なぜ福島にロボットを送れなかったか」である。

教授は、こう答えている。この30年間研究者がロボットに人間の真似をさせることに血道を上げている、単にそれらしく見えるだけの表面的なマネをさせることに夢中になっているというところにある。チェスには勝てても、ドアを開けることさえ出来ない。研究テーマの選択を誤ったために30年が失われてしまった。

この「30年」というのは、教授がスリーマイル島の事故の際、リモコン操作のロボットでで作業することは比較的容易なはずだと指摘してから30年後を指している。福島事故の後、氏の30年前の論文がそのまま雑誌に掲載されたという。

また、長期的視野にたった研究をするのが難しくなっている。今や、中国の方が長期的な視野にたっているといえるかもしれいとも。

…ところで、フクシマ原発の現場では、廃炉に向けて、ミニマンボウというロボットがデブリをやっとこさ探査したらしい。ロボット開発はまだまだこれからのようだ。
https://wired.jp/2019/03/11/fukushima-robot-cleanup/

…気の遠くなるような廃炉への道。

2019年3月10日日曜日

「知の逆転」を読む Ⅱ

『知の逆転』の備忘録を続けてエントリーしたい。全ての言語にはその深層に共通する文法が存在し、そこから様々な表層構造が生成されており、人間は言語の基本文法を生得的な器官として持って生まれ、不十分なインプットで十分な言語能力で十分な言語能力が発揮できるという「普遍文法」の理論で言語学に革命をもたらしたMIT(マサチューセッツ工科大学)のノーム・チョムスキー名誉教授の章から。
彼は、プラトン・フロイド・聖書と並んで最も引用回数の多い著者であるというのが凄い。彼は哲学者であり、政治運動家でもある。特に面白かった箇所を記しておきたいと思う。

資本主義とか社会主義とかいう言葉を使う際には気をつける必要がある。アメリカは資本主義の国ということになっているが、実はほとんどのものは、経済の公共部門から出来てきたもの、つまりもともと税金によって政府のプロジェクトとして開発されたものである。アメリカでは経済の公共部門(政府による資金供与)は非常に強力で、MITはその中心。50年前から、ここでコンピュータ開発がされ、私企業に手渡されるまで何十年も政府が研究資金を供与してきた。おそらく近年最大のアメリカの最大輸出品目である民間航空機も、要するに改良を加えた爆撃機であり、航空電子工学、計測工学などのやっかいな研究は国家防衛の名目で全て政府の支援によって行われた。ボーイング社とエアバス社はWTO(世界貿易機関)の会合でどちらが政府の資金援助が多いかもめているという。そうなると、資本主義とは何なのかということになる。チョムスキー氏によると唯一市場原理で動いているのは金融部門であり、だからこそ何度も破綻すると主張する。

…この指摘だけでも凄いと思う。MITの博物館を昔々訪れたとき、その技術開発の歴史に驚いた。私が一番驚いたのは様々な計算尺であったが、計算尺のアイデアから、やがて資金援助を受けてコンピュータ開発へとMITは進めていったのだ。インターネットしかり。GPSしかり。アメリカの得意とする輸出品のメインは、政府援助によるものだと言われて納得せざるを得ない。

PBTの話(17) YouTube

昨年夏、秋田の金足農業高校が甲子園で準優勝した。(私は秋田商業高校の応援をしているが、今夏は予選でに金足農業高校負けてしまった。)先日来てくれた秋田大学のK君によると、秋田市内は彼らが帰って来た時すごい盛り上がりだったという。
さて、先日なにげなく、YouTubeを見ていたら、彼らの卒業後の進路を紹介したものがあった。もちろんエースはプロに進んだが、その他のメンバーの紹介があったのだ。その中で、3年生なのに唯一ベンチ入りでき川和田君の話が出てくる。彼はボールボーイとして甲子園を経験していたようだ。
https://www.youtube.com/watch?v=P2T5hZNgPxo

彼のコメントを全文紹介したい。「甲子園で、背番号を貰えなかった時は正直現実を受け入れられませんでした。しかし、あの経験は自分が将来、社会に出てから必ず役に立つ。そう自分に言い聞かせました。今思うとあの時の自分は背番号を貰わない方が良かったのかもしれないと思います。レギュラーになること以上に大切なものを教えてもらいました。小・中学校時代の自分はチームの中心メンバーでやってきました。そのときはベンチ外のメンバーの気持ちなんて分かりも考えもしませんでした。なので、あの甲子園で背番号をもらっていたら、きっとダメな人間のまま社会に出ていたと思います。4月からは社会人になります。10代とはいえ立派な大人です。1人の大人として恥のない行動を野球という形ではありませんが秋田を盛り上げて、日本に秋田をもっと知ってもらえるようにがんばります。あの9人と出会えて幸せでした。楽しかったです。」

人生には、いくら努力を重ねても、自分の思いどうりにならないことも多々ある。それをプラスに返還できていくところに人間の成長がある。今回の進路指導で、第一希望に合格した学生も、そうでない学生もいる。私としては4月から精一杯寄り添ってきた。これからも、みんなが幸せ(のきっかけ)をつかめるよう、寄り添っていこうと思う。
『理想に生きることをやめた時、青春は終わる。』…何があっても負けるな。マイナスをプラスに変えて、自らの志を全うせよ。これは学生諸君にとっても、私にとっても、である。

2019年3月8日金曜日

「知の逆転」を読む Ⅰ

朝日新聞の平成の30冊の中に、「銃・病原菌・鉄」という本が入っている。この本、長い間気になっていた本で、まだ読んでないのだが、先日、日本人会の無人古本コーナーで入手した「知の逆転」に出てくる。著者のジャレド・ダイアモンド氏へのロングインタビューの中で、この「銃・病原菌・鉄」の要約が語られる。

要するに、西欧の覇権が、民族の能力の違いによるものではなく、単なる地理的な有利性に過ぎないことを喝破している本だという。たまたま良い季候(西岸海洋性気候)にめぐまれ、家畜化できる野生動物や農業か出来る野生植物が近くにあったということ。そのうえ、ユーラシア大陸は同じような気候条件下で東西に広がっている土地だったために、家畜化した動物や農業化した植物を簡単に別の土地に広めることができた。(アメリカ大陸など南北に土地が広がっていると、気候が異なり飼い慣らした動植物を別の地域に移せない。)家畜化された大型動物と穀物によって農業が発達すると、食糧の余剰と冨の余剰が生まれ、人口が増えて、専門家の出現を可能にしたため「銃」などのテクノロジーも発達した。同時に家畜から移った細菌によって免疫力がつき、新大陸征服時には、これらの銃と馬と細菌が威力を発揮することになったという。

インタビユーの中で、ダイアモンド氏は「アフリカが最も貧しい大陸であるのは、それ全体がほぼ熱帯気候にあるからで、熱帯地方には公衆衛生上の問題や、マラリア、黄熱病といった病気、土地が不毛であることなどいくつもの大きな問題があります。アフリカの土地は不毛で、今後も将来にわたってこの事実は変わらないでしょうし、アフリカは公衆衛生面で、常に多くの問題に対応しなければなりません。現時点でも地理的な要素こそがアフリカが貧困である大きな理由をしめているのです。」と語っている。

…アフリカがほぼ全体が熱帯気候にあるというのは、ちょっと異論がある。熱帯と乾燥帯といったほうがよりわかりやすいと思う。アフリカ開発経済学的に、この見地は正しいと思う。社会学、国際関係学、文化学などを専攻するF40Aの学生諸君には、是非読んでおいて欲しい1冊だな。日本に行って、クレジットカード作って、アマゾンで検索して注文したら、文庫本で1円+送料で買えるぞ。ただし、上下巻だけど。
…ところで、ダイヤモンド氏、名前からわかるようにユダヤ系だが、本人は不可知論者ではないそうだ。この「知の逆転」という本についても何度かエントリーすることになりそうだ。

2019年3月7日木曜日

朝日新聞の平成の30冊

朝日新聞が「平成の30冊」を発表した。1位は村上春樹の「IQ84」だという。
https://book.asahi.com/article/12182809

私は、小説をあまり読まない人間で、村上春樹は「ノルウェイの森」しか読んでない。しかも、あるイベントのために無理矢理読んだ次第。で、以下ズラーッと並んだランキングで、私が読んだことがあるのは、15位の「新しい中世」、20位の「もの食う人々」、同じく20位の「チェルノブイリの祈り」の3冊しかない。3/30である。(笑)

まあ、無理矢理、左派の朝日新聞の選定だからということにしておこうか。ちなみに、この3冊はたしかに平成の30冊に入れて決しておかしくない名著だと思う。

2019年3月6日水曜日

PBTの話(16) 喜田先生の話

https://www.jica.go.jp/activities/issues/agricul/approach/shep/index.html
F42の文系の国費生クラス。昨日今日とアフリカ地誌の中で、私がケニアで出会った園芸農業の振興を手がけておられた喜田先生の話をした。喜田先生のことは、このブログでも何度か紹介したが、かなり以前のことなので、興味のある方は、2010年5月17日と23日・2012年7月1日付を参照願いたい。

喜田先生(中央)
2003年のJICAのケニア研修旅行の中でも、特に大きな感銘を受けたJICAの専門家である。(右の写真)これからマレーシアを背負うJPA生にとっては極めて貴重な話のように思う。園芸農業によるケニアの開発を進めるため、花の栽培ノウハウ、組織づくり、生産地の拠点づくり、空港近くの大拠点づくり、生産地の拠点とを結ぶ道路計画、そしてヨーロッパへの輸出計画とそのマネジメント。喜田先生の園芸農業でケニアの開発を進めるという夢のような志は、ついにテキストにも載るようになった。ケニアは茶の生産が世界第3位であるだけでなく、園芸農業が盛んでヨーロッパに花の輸出をしていることが、15年後の今、明記されているのである。

今はまだ地理をやっているが、歴史を経て、経済、政治、国際関係と教えていく。しかし国費生は少し早めに、大学の志望学部や学科とその理由を決定しなければならない。したがって、こういう日本の大学で志望する学問に関係するような話をできるだけ盛り込んでいこうと私は思っている。このケニアの喜田先生の実践は、政策学、なかんずく地域振興の政策学というのはこういうものだという好例だといえる。
先日、国立のT大学の方々がPBTに来て頂いて、その時、地域学部の説明があったようだ。参加した学生から「その時に聞いた学問と関係ありますか?」「そうそう、それそれ。」と言うと、学生諸君はさらに納得したようだ。かなり興味をもってくれたように思う。

2019年3月5日火曜日

PBTの話(15) サクラサク×3

http://blog.livedoor.jp/sozaiya
_com/archives/50754624.html
3つの県立大学のサクラが、今日一気に咲いた。S県、Y県、G県(連絡があった順)の大学である。いやあ、嬉しい。肩の荷がだいぶ下りた次第。
帝京大学からのビザ申請許可も、専願で最も早く申請した2人の許可も今日届いた。長いマラソンのような私費生の進学指導も、ようやく競技場に入ってきたという感じである。今、F大の申請許可がおりたと連絡があった。早い。ここは、出願時に申請書を提出するシステムなので早い。
大学もいろいろで、今年は、「ウェルカム・マレーシアの留学生」の大学にずいぶんお世話になった。今日合格した3つの大学もそうだ。ウェルカムな大学かどうかを知るのはなかなか大変である。そんなこんなで、私は競技場のトラックをヨタヨタ走って(ほとんど歩いて)いるところだ。

2019年3月4日月曜日

ベネズエラの超インフレ考

http://blog.livedoor.jp/pacco
303/tag/%23polandball?p=9
「ベネズエラの超インフレはなぜ起きたか」という田中秀臣氏の記事を読んだ。ベネズエラは今、内戦の危機にあるほどのハイパーインフレである。興味深く読ませて貰った。
https://ironna.jp/article/12010?p=1

現在、250万%のインフレで、IMFの予想では1000万%まで上昇するという。ベネズエラは、石油埋蔵量では世界第一位の産油国である。中南米でも富裕国であった。50年前は、米国の世界勝水準の80%に迫っていた。他方で経済格差が深刻化し、「反米左派:貧困層は米国流の新自由主義の犠牲者」と言うチャペス前政権を誕生させた。現マドゥロ政権は、米国の経済制裁が原因としているが、田中秀臣氏の見方は違う。

彼は国際金融における「マンデルの三角形」理論で見る。一国に於いて、為替レートのコントロール、資本移動の自由、金融政策の自律化の3政策のうち、同時に2つしか出来ないという理論である。

F40Aの学生向けに概略すると、次のようになる。チャペス前政権では、石油輸出を有利にするため、自国通の固定為替レートを採用した。常に自国通貨を高めにしたわけだ。この為替レートの高めの操作は、中央銀行が担当するので、金融政策はこれに集中せざるを得ない。と、なると、残る政府の財政政策で、経済の舵取り(景気対策など)を行う必要が出てくる。チェペス前政権は、この財政政策で、低所得者向けの社会保障を手厚くすることを主眼に置いた。石油収入で、財政が豊かであればそれでもよかったが、国際価格の下落で、この社会保障費が捻出できなくなった。この時点で、金融政策を転換(金融政策の自律化)していればよかったのかもしれない。それどころか、社会保障費の拠出を中央銀行の通貨供給増でまかなおうとする愚策に出てしまった。マネーストックが増えると、当然ながら通貨インフレとなる。で、現在のハイパーインフレとなったわけだ。

…おそらくF40Aの学生諸君なら、この経済理論は納得できるはずだ。総合科目で学んだ経済学の基礎(通貨供給量や金融政策と財政政策)さえおさえてあれば、十分わかる理屈である。
…左派政権というのは、かくも経済学の基礎をおさえていないものなのだろうか。イデオロギー(反日と半島統一)重視の隣国の左派政権を見ていて同様の感想を抱く。

2019年3月3日日曜日

アフリカの「一帯一路」批判考

https://knowyourmeme.com/photos/306117-polandball
Newsweekの記事で、「アフリカに債務危機懸念ー中国がわなをしかけたのか、批判は妥当なのか」という高橋秀一郎氏の論文が面白かった。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/03/post-11784_1.php

サブサハラアフリカ各国のバランスシートが急激に悪化しているらしい。IMFのリポートによると、累積債務は総生産比率48.5%と、2010~15年の31.0%から大きく乗している。低所得国の上限とされる40%を超え、アンゴラ・モザンビーク、ザンビアなど13ヶ国は60%に達する見込みだという。反中国の急先鋒である米国のボルトン大統領補佐官は、これを中国の「債務の罠」だと主張している。

たしかに、中国の対アフリカ融資総額は大きい。しかしながら、この論文では、アフリカ諸国が「援助から投資へ」という言葉の下、大きく転換してきたことを重視している。国際金融市場でも、アフリカへの投資が一種のブームになったことは間違いない事実だ。

…この「援助から投資へ」は、ザンビア出身のエコノミスト・ダンビサ=モヨ女史の「援助じゃアフリカは発展しない」という著作が震源である。アフリカの開発経済学を学んでいた私にとっても衝撃的な内容だった。たしかに、これからは援助(私はこの言葉が嫌いで国際協力のほうがいいと思う。)ではなく、投資だと思った。

この論文に登場するケニアのエコノミスト・アンゼッツエ・ウェア氏は、国際金融市場の視野の狭さや短期的な利益優先を指摘し、アフリカの開発には向いていないと指摘している。(すなわちアンチ・ダンビサ=モヨ的発言である。)インフラ整備が最重要なアフリカ諸国にとって、先進国の経済停滞で援助が減り、投資を呼び込むことに向かったまではよかったが、結果的に、中国の投資比率が大きくなってしまったわけだ。西側先進国のように、各国のガバナンスに人権やら民主主義やらの要求を一切出さず、開発独裁の悪いガバナンスの政府でも、借りやすいからである。「援助から投資へ」はドグマ的である。

…私などは、アフリカの開発には、投資は必要だと思っているが、そのための様々な人的支援がもっと必要だと信じている。単に資金提供しても、インフラ整備とともにビジネス環境の整備が伴わないと実利を産むことはない。PRSP(貧困削減戦略文書)の作成の意義(国際協力をする際に、自国の開発に於いて何を目的に、どんな施策を打ち、そのためにどれくらいの資金が必要かをドナー国に提出して貰い、検討してから協力するシステム)はそこにある。アフリカの開発は、資源開発だけではない、ガバナンスも含めた総合的な開発が必要である。なかんずく農業開発がまずは中心的課題なのだ。

中国の一帯一路を頭から否定する気はないが、中国の開発にはこのような(アフリカの持続可能な開発を目差すという)哲学が感じられない。この論文にあるように、中国のもつ不透明さが混乱を招いていることは事実だと思う。さてさて、やはり最大の問題はガバナンスであると、私は思う。ドナー国にとっては面倒なPRSPのシステムの再考が必要だ。日本のTICADで、今回の債務超過が語られるだろうが、もういちどアフリカの開発の原点に立ち帰り、叡智を結集するべきではないだろうか。

2019年3月2日土曜日

PBTの話(14) ASEAN

http://www.meti.go.jp/report/tsuhaku2017/2017honbun/i1410000.html
F42の国費生は、まだ日本語が中級で、理解力には難がある。で、パワーポイントを主体に地理を最初に教えているのだが、意外に意識が高く、このところ難しい話もしている。

今週のある日の授業の前、パワーポイントのセッティング中に、「金持ちと貧乏の差が大きいことは日本語で何と言いますか?」という質問があった。(おそらく日本語の作文で必要なのだろうと思う。)「経済格差かな。」と黒板に書いた。そして、授業が始まったのだが、この日は東南アジアの地誌。ところで、東アジアの地誌については、EJUではあまり出題されない。中国や韓国、ベトナムなどの留学生が多いので、出題する側も敬遠するのではないかと思われる。東南アジアの地誌も同様である。
https://www.pinterest.com/pin/555420566521448289/?lp=true
なので、東南アジアについては、軽く流そうと考えていたのだが、今日の画像のグラフ(経済産業省作成)を使って、俯瞰するつもりだった。ASEANといっても、国によってかなり違う。資源のある国、工業生産や金融で伸びている国…。ところが、学生はこのグラフに大いに興味を示したのだ。実際のパワーポイントには、この横に1人あたりのGDPを国別ランキングで示してあった。

何故、シンガポールが高いのか?3位のマレーシアと4位のタイの差はどうして生まれているのか?そんな私の質問に、みんな口々に意見を言ってくる。ここで、第一次産業・第二次産業・第三次産業の収入の違いを、100円の缶コーヒーに占める収入の割合で教えた。これはもう地理ではなく経済であるが…。第一次産業の収入の低さに、皆驚いた。経済の基礎中の基礎であるが、中級レベルでも十分理解可能なことがわかった。で、第一次産業人口比率を、シンガポール、マレーシア、タイで比べると、その答えが出てくるわけだ。こういう授業が、この時点で出来るとは思わなかった。うれしい誤算である。

KLCCのK屋書店へ。

友人からの頼まれ事があって、妻とKLCCのK屋書店に行ってきた。KLCCは、大阪で言えばキタ、梅田のような感覚だ。ブキッビンタンはミナミ、難波のような感覚。普段良く行くミッドバレーは天王寺という感じなので、さしずめ私の住むタマンデサは昭和町くらいになる。(笑)KLCCに出るのは、3年住んでいるが、4回目である。

K屋書店は、ツインタワーの一角にあるスリヤKLCCという有名なモールの中にある。K屋書店は、先日帰国されたM先生に、一度連れてきていただいたことがあるので、2度目だ。奥の方に日本語の書籍コーナーがある。もちろん、日本より高いし、ここで日本の本を購入する気はない。もっぱら日本人会の無人古本コーナーでRM1で新書を漁っている身には高値の花である。今月末に帰国した時に購入すべく、目に着いた本を何冊か写真を撮った。

日本にいる時は本屋は日常的な空間だったが、こちらでは非日常的である。総じて、KLは本屋が少ない。ベトナムは本屋が多いそうで、マレーシアはうかうかしていると抜かれてしまうぞと思う次第。とはいえ、我がPBTの学生諸君は、F40Aにしても、F42の国費生にしても、よくWEBのニュースをチェックしている。時代は本よりWEBなのだろうか。

2019年3月1日金曜日

大山鳴動して鼠一匹やな。

https://www.aljazeera.com/indepth/inpictures/trump-kim-summit
-hanoi-buzzing-shirts-flags-haircuts-190226055130920.html
ハノイでの米朝会談は、全く何も成果なし。まさに大山鳴動して鼠一匹もなし、という感じだ。今回の会談の勝者はトランプだとかという論もあれば、ボルトン大統領補佐官がぶっつぶした論、そもそも一対一の会談に無理があった論など、ネット上に見るメディアは、百花斉放百家争鳴。まあ、北朝鮮側が敗者であることは間違いない。韓国政府も同様である。

しかし、少し時間をおいて鼠が一匹出てきた。北朝鮮の臨時政府が名乗りを上げたのだ。殺された金正男の長男を担ぎ上げての「自由朝鮮」という組織だという。

一方、韓国では、3.1独立運動100周年という、「反日物語」の中で熟成されたよくわからない記念日であったのだが、ハノイ会談の結果を受けて一気にテンションは下がってしまったようだ。大統領閣下のスピーチも支離滅裂で反日なのか、援助してほしいのか、まったく理解不能な内容だった。いやはや、今日は大山から出てきた「一匹の鼠」である「自由朝鮮」の独立記念日になったわけか…。

…いずれにせよ、迷惑な隣国その1は、このまま経済制裁の中に閉じ込められた。嘘ばかり並べる隣国その2も経済が大変でこれから先が見えない。日本は、静かに彼らが振り回す「物語」を捨てるのを待つしかない。とにかく、嘘で塗り固めたような非科学的歴史発言を公にするのは、恥ずかしいということを学んでもらわなければ…。これは、「鼠」も含めてのことである。