2019年3月21日木曜日

ポーランドの右傾化と平成日本

https://jp.reuters.com/article/poland-nationalism-idJPKCN1MX13X
このところ、平成の30年間を振り返って何か書こうとしている。いろいろな視点の構想が浮かんでは消え、浮かんで消えしているのだが、基本的には、ドゥルーズのプレモダン、モダン、ポストモダンの脱コード化が、やはり最大の視点となるような気がしている。プレモダンの強固な神・王・父といった権力から生み出されるコード社会。資本主義のモダンでは、貨幣こそが神・王という地位を占める。これらはクラインの壺のごとく循環し権力者を変換させていく社会。それが、ポストモダンでは崩壊し、全てがリゾーム化し、脱コード化社会となるわけだ。彼の予言はかなり当たっていると私は思う。

その論旨を考える一つの視点がEUである。冷戦後に東欧の諸国にもEUは拡大し、領域国民性国家が新しい形態の国家へと変化するのではないかという期待があったが、シリアの難民問題で大きく揺らぎ、ロシアのウクライナ・クリミア半島の併合でさらに危機感を募らせ、イギリスの離脱問題へとEUの理想はことごとくリゾーム化しているようである。

今日読んだロイターの特別リポート「右傾化するポーランド、なぜ欧州に背を向けたか」は、なかなか読み応えがあった。EUにも、様々な問題がある。ユーロ圏の経済的な実権はヨーロッパ中銀行が握っており、政治的にも各国の思惑の調整はうまくいっていない。こんな中で、ポーランドやハンガリーは反発を強めている。しかもロシアへの歴史的な恐怖心が、さらに右傾化・民族的ナショナリズムに拍車をかけているようだ。
https://jp.reuters.com/article/poland-nationalism-idJPKCN1MX13X

私は、ポーランドに足を踏み込んだ経験があるし、歴史的な問題の深みを感じる。日本の隣国のような「恨」や「儒家のカインコンプレックス」さらに捏造された歴史の「物語」ではない、本当の悲惨な「歴史の物語」がそこにある。ポーランドがカトリックを選択したのも、民族を護るための知恵であった。彼らは、今、自民族の自負を取り戻そうとしている。まさにEU統合と反対のベクトルである。ドゥルーズのリゾーム化とは、こういうナショナリズムやポピュリズム的な動きをある意味含んでいると言えるだろう。

日本でも右傾化が進んでいることは間違いない。30年前、昭和天皇が崩御されたのは、土曜日で、最も問題視されていた日教組が強かった教育現場では、管理職がこそっと日の丸(当時はまだ国旗ではなかった。国旗および国歌に関する法律は平成11年成立。)を反旗で掲揚した。土日故に学校は休みで、主だった混乱は避けられたと記憶する。いささか不謹慎だが、昭和天皇の崩御はあまりに見事なタイミングの良さだったわけだ。右でも左でもない非組合員の私は、冷静に見ていた。今や、ウタハタ(国歌・国旗を意味する教育界の用語)は、法的整備され、式典の起立や斉唱を強要するのが当然になった。まさに隔世の感がある。まだまだ、私の頭の中で整理されていないのだが、こういう日本も含めた各国の民族主義化・右傾化は、この30年間でだいぶ熟成されたような気がする。これはある意味、プレモダンへの回帰である可能性もある。仏教に、成住壊空という語がある。この社会のコードの変換は、成住壊空するものなのかもしれない。

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