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第一条(1)本連邦はマレー語および英語でマレーシアと呼ぶ。(原文)(2)本邦の諸州は次の通り(と、ここで13の州名が書かれている。)(3)この領域は、(4)を条件にマレーシアデー(注:1963年9月16日)直前に包含されていた地域であることが述べられている。(4)1973年憲法改正(第2号)により、KLはスランゴール州から除外、ラブアンはサバ州から除外され、連邦の直轄領区となったことが記されている。
…第1条から読み取れるのは、マラヤ連邦の独立(1957年)と、イギリスの自治領だったシンガポール、ボルネオ島のサラワク、サバ(北ボルネオから改称)が1963年にマレーシア連邦を結成した歴史である。しかし、1964年7月21日、中華系の人口が大半を占めるシンガポールで、ブミプトラ政策をとろうとした中央政府ならびにマレー系住民と中華系住民の対立からシンガポール人種暴動が起きる。さらに選挙戦でもするどく対立し、初代首相ラーマンは、PAP(シンガポール人民行動党)のリー・クアンユー(李光耀)と合意の上、追放というカタチでシンガポールは分離独立することになった歴史でもある。マレーシア国旗は、マラヤ連邦時代は、横の赤と白の線は11本で、マレーシアデー以降+3で14本に変更された。すなわちシンガポールが入っていた。シンガポールが分離独立後は、デザインは変更されず、州の数は13だが、残る1本は連邦直轄区(KLとラブアン)を意味していると言われている。第一条はマレーシア国旗の解説でもあるわけだ。
…同時に、言えることは、マレーシア憲法は、(宗主国イギリスとは異なり)日本と同じ成文憲法であること、しかし改正に当たっては硬性憲法ではないということである。
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