2010年12月31日金曜日

聖☆おにいさんと中央線沿線

聖☆おにいさん第6巻
 我が家は全く季節感のない家で、大晦日といえど普段どうりである。今日は久しぶりに雪が舞い、あわてて午前中に買い物に行った程度である。我が家は山麓にあるので、雪が積もると、坂道がスキー場と化し、私的に陸の孤島となってしまう。(現在のところ、そのような状況ではないが…。)
 さて、先日息子が出たばかりの『聖☆おにいさん第6巻』を買ってきた。相変わらずのマニアックでちょっと難解なマンガである。内容について、ブログで触れることは避けたいが、大いに笑ったのであった。こうして、2010年も終わっていく。
 ところで、東京都の立川市に、聖☆おにいさんの2人は住んでいる設定である。ふと、中央線の路線図を調べてみた。(このあたり全く不案内である。)なるほど八王子の手前であることが解った。なぜそんなリサーチをしたかというと、少し長くなる。
 先日友人が古いフォーク・ソングのアルバムを焼き直したCDを持ってきてくれた。加川良の『南行きハイウェイ』という、極めてマイナーなアルバムである。加川良という人は、1枚のアルバムに1曲は長い曲、それもストーリー性のある曲を入れている。この『南行きハイウェイ』では、「ホームシックブルース」という曲がそれだ。この曲は、主人公(加川良だということが最後にわかる)が、見知らぬ駅に立ち寄ることから始まり、ヨッパライや巡査や、カストロ髭のサンドイッチマン、そしてロックシンガーといった奇妙な人びとと言葉を投げ合うという構成になっている。(嗚呼!文章で表現しづらい)私も妻も、この曲が大好きで、それぞれのフレーズをほぼ暗記している。(不思議な夫婦だ。)好きなフレーズはたくさんある。♪それじゃ合言葉1つ言ってもらおうか?「ハイ、皆で守ろう緑の箕面」などは私のお気に入りの1つである。
 昨日、その友人宅で、学生時代の仲間が集まり鍋を囲んだのだが、車の中で2人でこの曲を聞いていた。この長い曲の最後のフレーズは、「駅長さん叫ぶ、高円寺、吉祥寺、ははん、どこかのお寺の名前だろうよ。」というのである。東京に住んでいる方はお分かりだと思うが、JR中央本線の駅名である。(聖☆おにいさんの立川市から見れば東、東京23区側になる。)
 この駅名、70年代のフォークの徒にすれば、加川良のかけた謎解きは簡単である。高円寺は吉田拓郎の、吉祥寺は斎藤哲夫のそれぞれ曲名である。私は行ったことがないが、そういうわけで中央線には属性があったりする。なんとなく若者がも住みやすそうな町なのかなあと思ったりするのである。いつか、この高円寺、吉祥寺、立川と、なんとなく青春18キップで回ってみようかな。そういうアホなことを考えて、2010年も終わっていく。

追記:コートジボアールの問題は、かなり深刻なようです。WEBニュースを毎日チェックしています。また、スーダンのダルフール問題や国民投票による南部の独立も来月には臨界点を迎えます。南アが、BRICsに入るというニュースも飛び込んできました。時代は凄いスピードで動いていきます。このささやかなブログを書くことで、その時代の中で模索する自分を見つめて行きたいと思います。

2010年12月30日木曜日

薩摩スチューデント、西へ

 林望(リンボウ)先生の時代小説の文庫本『薩摩スチューデント西へ』(文庫本としては12月20日初版)を昨日読み終えた。幕末、薩長同盟が成る前に薩摩藩が送りだした15人の学生と4人の秘密使節のイギリスへの渡航記である。この中で著名な人物としては、五代友厚、森有礼、寺島宗則らが挙げられるが、そういうことは全く問題ではない。当時の薩摩藩の俊英は、すなわち朱子学的な漢学の素養と当時の薩摩の藩論であった尊王攘夷論と、およそ武士らしき武士としての訓練を幼少から受けた者たちである。中には若干洋学の素養をもった者もいたわけだが、その薩摩気質は変わらない。そんな、およそ武士らしき武士が、見るもの聞くもの全てが超刺激的な海外に出て行くのである。
 
 香港、シンガポール、マラッカ、セイロン、ボンベイ、アデン、紅海、スエズ、カイロ、アレクサンドリア、マルタ、ジブラルタルと、航海が進むにつれ、イギリスの近代的技術の凄さを段階的に知っていく。その度に『攘夷』の無謀さを、否が応でも認識していくのである。羊肉、アイスクリームなどの食事、堅牢な要塞、客室の水洗便所…。このような近代工業力に、刀や槍で対抗することの無謀さを極めて経験論的に知ることになったのである。ほぼ全編、そういう内容である。

 この小説で、重要な部分は、もう1つある。ロンドンで学生たちが、中部の工業都市べドフォードのブリタニア鉄工所で、蒸気機関で動く農業機械の工場を見にいった際の話である。この時、薩摩の19人は、科学技術的な専門的質問を浴びせたり、あるいは経営学的な視点から専門的な質問を行って、イギリス側を驚愕させた。しかも、実際にその農業機械の運転技術を即席で学び、見事に運転してみせたことである。

 この時のイギリス人は、アジア人でありながら、他のアジア人とは全く違う”日本人”という存在を認めたのである。(実際に新聞に掲載された内容が記してある。さすがリンボウ先生の作品である。)

 この作品のテーマは何か?「開国」こそ正義である、それゆえ薩摩がこのような留学生を送ったのだ、というものなのだろうか?私は違うと思う。この作品は、薩摩の留学生というシチェィションで「攘夷」の思想の歴史的な意義を問うたものだ、と思うのである。その「開国」の前段階の思想としての「攘夷」があった故に、日本は植民地化を免れたのだということが、真のテーマだと考えるのだ。彼ら俊英の根底に「攘夷」があればこそ、真剣に学ぶことが可能になった、その最大の象徴的出来事が前述のブリタニア鉄工所での「学び」である。 

 松平定知氏は、解説の中で、およそ次のように述べている。林望先生は、第18章を「龍動」と書いてロンドンと読ませている。彼らのロンドンでのついに到着したという心象と驚きを、「龍動」という語で表現している。たしかに「倫敦」という字ではその心象を表せない。

 私は、この動く「龍」を「彼らがいつか昇華させるべく心の奥底に沈めた攘夷思想」だと見たい。

2010年12月29日水曜日

ケニアの田舎町で火の用心

 今年も町内会の火の用心に参加することになった。(強制である。)わが町内は、坂が多いので案外くたびれるのである。今年は妻が町内会のお世話係でぜんざいなどを炊きだしている。

 さてさて、『火の用心』といえば、ケニアでの事を思い出した。ケニア視察で訪れた田舎町のスーパーでの出来事である。この街は若干治安が悪いので注意するようにと、JICAの方々に言われていた。私は、ここですぐ消えると評判のケニア製マッチを購入した。後は別に買うものもない。で、スーパーの外で皆を待っていたのだった。外には、ガードマンらしき2人の青年がいた。私はおもむろにタバコを出し、紫煙をゆらしていると、彼らが人懐っこい目で話しかけてきたのだった。「どこから来たのカネ?」「日本だよ。」「OH!TOYOTA!」「SONY!」彼らにとって、日本はTOYOTAやSONYの故郷だったのだ。私は、自分のタバコ(日本製のマイルドセブンである。)を出して、「吸うかい?」と聞いてみた。彼らは、ニカッと笑い、手を出した。しかし1本だけ。それを2人で大事そうに回して吸うのだ。1本ずつあげるのに…。

 彼らは、タバコを吸いながら、「ところで、そこ、デインジャラスだよ。」と言った。ああ、治安が悪いんだなと思っていると、「シー、ユア、バック」と言った。彼らの英語は私と同程度なのでなんか幸せである。「ん?」と後ろを見ると、プロパンガスが山積みされていたのだった。おいおい、おまえらガードマンなんだろう、それを先言わんかい!? 

2010年12月28日火曜日

軍神 広瀬武雄のヒューマニティ


坂の上の雲の広瀬武雄
坂の上の雲の第二部が終わった。普通、そういう感想はすぐ書くものだが、昨日の『第0次世界大戦』を見てから書こうと思っていたので、今日になった次第である。共通項は日露戦争である。司馬遼の原作を読むと、日本がロシアに引きずられ、止むにやまれぬ生存をかけて日露戦争を戦ったのだという印象が強くなる。まあ完全に無謀な戦いであったが、帝国主義の弱肉強食の時代、仕方なかったのだという司馬史観を強く感じる。一方、昨日のNHKの『第0次世界大戦』では、ドイツやイギリス、アメリカの思惑が錯綜していた状況を暴き出した内容だった。自国の軍事的・外交的フリーハンドを得るためにロシアの極東進出を後押しするドイツと、ボーア戦争で四苦八苦していたイギリスが、中国権益を守るために日本を必要としたこと、またアメリカが中国の門戸開放を進めるために日本を必要としていたこと等が、この日露戦争を演出したのだという論である。この第0次世界大戦という観点は、後輩のU先生と語りあう中で、既に話題になっていたのだが、なかなか面白く見させてもらった。
 当時の日本の感覚から見ると司馬遼的にならざるを得ず、同時にその根底には各国の世界戦略が見え隠れするのであろう。

 ところで、坂の上の雲は、「龍馬伝」に比べて演出に品がある。第二部最終回の広瀬の死の描き方など、ちょっとしたメロドラマ風であった。アリアズナの時計が、旅順の海に沈んでいくシーンなど俊逸である。広瀬武雄という人は、「軍神」である。この「軍神」にまつられた経過は、先日読んだ「検証 日露戦争」にも詳しく書かれていて、日露戦争緒戦で士気をふるいたたせるための大本営の広報戦略によるものであるが、今回の「坂の上の雲の広瀬武雄」は、完全にそれを払拭したと私は思う。

 広瀬武雄とアリアズナとの悲恋のような人間の存在こそが、戦争の本質なのか。ドイツやイギリス、アメリカの国家戦略に踊らされた日露の悲劇が、戦争の本質なのか。この2つの番組を見ていて、その両方を教えていくべきなのだ、と考える私であった。

2010年12月27日月曜日

今年この1冊 2010

今年も「この1冊」を選びたい。いろいろ考え抜いたのだが、「援助じゃアフリカは発展しない」を挙げたい。とにかくタイトルが過激なので、インパクトが強い。「アフリカ学入門」「アフリカから学ぶ」の2冊も凄い本なのだが、どちらかというとテキストとして最良の2冊であって、インパクトという面では残念ながら及ばない。この「援助じゃアフリカは発展しない」については、9月15日付のブログで詳しく紹介した。あれから、少し時間が立つ。様々なアフリカの変化をもとに、今の私の考えを述べておきたい。それは、私が今年1年間アフリカについて考えてきたことの要約となると思う。

 ガバナンスが、アフリカ諸国に与える影響は極めて大きい。先日のコートジボアールの大統領選挙から起った紛争もそうだし、反対にルワンダのような成功例(8月12日付参照)もある。このガバナンスを良くする為に先進国は「援助」(私自身はこの言葉は嫌いだ。パートナーシップの観点から”国際協力”とすべきだと思う。)し、教育や保健医療、インフラなどを充実させるべく努力しているのだが、この「援助」が権力者にとっては、「レント」となり、デモクレイジー(権力者の持つ富を再分割して得票するしくみ)が跋扈するような状況が生まれている。結局、ガバナンスが悪化し、先進国の意図する方向には「援助」は流れないというわけだ。これにイラついたEUなのどは、アフリカ諸国に「援助」に対する透明化を求めている。(12月8日付ブログ参照)

 そこで、ダンヒサ・モヨ女史は、援助の停止を主張するわけだ。彼女の思惑は、さらに先進国の「援助」が公的な社会資本への投資でしかないことへの不満がある。アフリカが欲しているのは企業への投資である。アフリカ人のパワーを信じてほしいという訴えでもある。

 一方そういうアフリカの期待にそう形で直接投資をしているのが異形の中国なのである。中国とアフリカの関わりについては様々に論じてきた。私は決して全てが良いと思っているわけではない。反対に中国の覇権がアフリカに及ぶことを危惧する。(13億人の中国の異形さについては、理解を示すべきであると思っているが…。)また、ジンバブエのように、中国の投資がガバナンスの悪化を再生産している例もある。このあたり、ポールコリアーの次回作(1月28日付ブログ参照)を楽しみに待ちたいところだ。

 ダンヒサ・モヨ女史のこの著書が与えた一撃は大きい。援助=(国際協力)=善という概念を突き破ったといえる。安易な社会資本への開発資金援助ではなく、技術支援などを中心とした違う形での国際協力をさらに考慮すべきだと、先進国は考えただろうし、アフリカ諸国にとって権力者=デモクレイジーの時代への大きな警鐘となったのは間違いない。

 特に後者の意義をこめて、私の中での2010年の1冊としたい。

2010年12月26日日曜日

コートジボワールの暴力装置

最強の攻撃用ヘリ・アパッチ
最新(19:00)のWEBニュースによると、『国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は25日、大統領選結果をめぐる混乱が続く西アフリカ・コートジボワールから隣国リベリアに1万4千人が避難し、難民となっていると発表した。UNHCRは、難民の数が増え続けているとして、国際社会に緊急の人道支援を訴えている。UNHCRによると、難民らはコートジボワール西部から長時間歩いて国境までたどり着き、川をいかだで渡ってリベリアに逃れているという。(共同)』

 一方で、こんなニュースが流れた。『大統領選の結果をめぐり混乱が続くコートジボワール情勢について、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)は二十四日、国際社会が当選を認めていないにもかかわらず政権に居座るバグボ氏に対し、選挙管理委員会が当選者として発表した元首相のワタラ氏に権限を移譲しない場合、武力行使を含む措置を取るとの声明を発表した。ロイター通信が報じた。これに対し、バグボ氏側の外相は「軍事介入でいったい何ができるのか。バグボ氏を暗殺しようとでも言うのか」と反発。加盟国の中には異論もあったECOWASの決定を非難した。一方で外相は「特使と会ってバグボ氏の立場を説明し、現在の情勢の解決策について提案する用意がある」とも述べた。コートジボワールでは、大統領選決選投票後の両勢力の武力衝突により約二百人が死亡している。』

 コートジボワールでは、ついに難民が出たようである。アビジャンで武力衝突が起こっている関係で、リベリアへ逃げ出したということだろう。国内避難民も多く出ていると推測される。西アフリカ諸国経済共同体について調べてみた。フランス語圏だけでなく英語圏・スペイン語圏の国も含めた共同体で、軍事同盟の機能もある。要するに、バブゴ大統領は、完全に周囲の国から否定されているのである。もしかすると西アフリカ諸国経済共同体の軍が国連のPKO軍とともに鎮圧に乗り出すかもしれない。
 
 ところで、ブルキナの首都ワガドゥグは、空港がどーんとあって、その周囲に中心街が広がっている変な街である。荒熊さんのフィールドワークに付き添わせてもらっていた時、その空港から、なんと攻撃用ヘリ『アパッチ』が飛び立ち、私の頭上を通過したことがある。3機編隊である。その強烈な爆音と、最貧国の1つであるブルキナとのミスマッチに、大いに驚いたのだった。今思えば、西アフリカ諸国経済共同体のものかもしれない。
 あの平和なブルキナでも、一般人は軍に対して恐れを抱いていた。軍服を見るとあまり関わりたくないという感じだった。某国官房長官のいう『暴力装置』としての認識が強いのだ。おそらくコートジボアールも同様であろうと思われる。
 さて、その軍が、コートジボワールでは、元大統領のバブゴ側に立って暴力装置としての機能を果たし始めている。一般市民は逃げるが勝ちである。着の身着のままで逃げ出したことだろう。まさになんとも言えない状況である。このような現実を、全く夢物語のようにしか感じれない日本にいて、私は何もできない。ただただ、平和を祈るばかりである。

2010年12月25日土曜日

アフリカの誇りが民主主義を創る


アビジャンの国連軍
岡村コートジボアール大使のブログが、「筆を擱く」という記事を最後に、休止されることになりました。緊迫したコートジボアールの情勢が詳細に書かれていて、非常に貴重なブログだったのだのですが、残念です。岡村大使は、「筆を擱く」の中でで次のように書かれています。

『今回の事態は、アフリカの地で民主主義が完遂できるのか、という大きな問いを、私たちに投げかけています。誰もが読んでいるこのブログでは、私の認識と評価を書くことは控えます。ただ、私を勇気付けたのは、あの投票日に、酷暑の中で何時間もの間も並んで、それでも自分の一票を投じようとしていた、ものすごい数の人々の姿です。子供を腰にくくり付けて、投票用紙を手に並んでいたお母さんたちの姿です。この不便極まりない土地で、投票率8割を超えるという選挙への熱意を前に、アフリカの人々を決して、民主主義に遅れた人々だと考えてはいけないと感じました。

 そして、今回の事態に、アフリカ諸国が一番激しく反発している、という事実です。アフリカでせっかく定着しつつある、民主主義と平和と、そして繁栄への道を、コートジボワールが台無しにしている。そのことへの、アフリカ諸国の人々の強い怒りです。私は、そこにアフリカの人々の誇りを見ます。アフリカが、植民地主義への被害者意識を過去のものとし、これから自分自身が進むべき道を堂々と打ち出している、その誇りと自信です。』
 
 アフリカの民主主義について、岡村大使は決して悲観されていなのだと強く感じました。
 私もブルキナでは、表面下で様々な政府批判を聞きました。だが、あまり表に出しません。それは、再分配する富が少なすぎる故、政治的な対決をしても益がないという諦観のような気がしました。だからこそ、ブルキナは平和なのかもしれません。だが、識字可能な人びとは、熱心に新聞を読み、TVでも西アフリカのフランス語圏の国々のニュースが毎日流れ、意識は決して低いわけではありません。ブルキナは、コートジボアールと深い絆をもっています。私が世話になったアブさんもコートジボアールから帰国した人でした。きっと、今回の騒乱を心配し、憤っているているに違いありません。

 岡村大使の言われるように、アフリカの人びとの誇りこそが、民主主義を創っていくのだと思います。岡村大使、ありがとうございました。また再開される日を楽しみしています。

2010年12月24日金曜日

私のPRSP 2010

2学期の終業式の日、なんと1・2限目は授業であった。正直言うと、どうも最近、現場には余裕がない。3限目は大掃除で、4限目が終業式というタイトな日程である。さらに放課後は、生徒会のもちつき大会があり、14:00からは中学生&保護者向けの学校説明会があった。私も”本部”という役割が与えられていて、会場の準備をしたり、連絡に走ったりと、結局多忙な一日となったのだった。ふぅー。
 ところで、その1・2時限目の授業は、3年生国語科の現代社会で、アフリカ開発経済学の最終講義だった。テーマは中国とアフリカの関わりである。昨日書いたMiyaさんのブログのナミビアの話も入れて、13億の中国人の胃袋や豊かさを維持・発展するための必要性とともに、現地の雇用を生まない異形の中国像や、悪しきアフリカのガバナンスを助長する姿も講義したのであった。
 さて、今日の授業のもうひとつの予定は、学年末考査の問題に関することである。もう既に、学年末考査の問題は決めてある。当然、「私のPRSP(貧困削減限略文書:課題国の持続可能な開発を目指して、有益な政策案を提案する。)」である。その課題となる国を選ばせるのだが、80人(2クラス)全員違うのも大変だし、1カ国にしぼると読むのがつらいので、座席の1列に1カ国という形を考えた。1クラス6列なので、2クラスで12カ国、1カ国につき6~7人となる。これなら、退屈せず採点できるという計算だ。

 結局、以下の12カ国を選んだ。ウガンダ、タンザニア、セネガル、カメルーン、アンゴラ、ニジェール、スワジランド、ザンビア、マラウイ、ベナン、コートジボアール、ガボン。あえて、生徒諸君が、画像も見ているし、私の講義にも多く出てくるケニア・ジンバブエ・ブルキナファソの三国は除いた。有利な課題国をつくらないためである。

 3学期に入ったら、それぞれの国の基礎情報を渡すつもりである。指定校推薦やAO入試、公募推薦入試などで既に進路先が決まっている生徒もいるが、受験戦争まっただ中の生徒もいるので負担をできるだけ除いておきたい。反対に進路の決まっている生徒には、冬休み中にリサーチもさせたい。この矛盾する私の想いを止揚したのが、今日の課題の抽選となったのである。3年生に、PRSPを書いてもらうのは久しぶりである。開発経済学もなかなかきっちり教えたという自負もあるので、今から学年末考査が楽しみである。

2010年12月23日木曜日

続・ノーベル平和賞欠席国問題

毎日新聞の『木語』(金子秀敏氏)に、”外交力で「大使は不在」”という記事が載っていた。バンコク在住のジャーナリスト鈴木真氏が、他の日本各紙の中国非難とは違う見解を示していたそうである。鈴木氏は、中国のボイコット外交を「東南アジア」という物さしで測っている。すると違う見方が出てくるのである。東南アジア(ASEAN)は、中国との自由貿易協定(FTA)が発行し、景気が良くなっている。経済的結びつきが、政治的対立を避ける方向性を生む。TPPは、FTAに出遅れた。日本はASEANと手を結び、中国と対抗すべきだというような議論は空論である、というのだ。先日(12月9日付ブログ参照)の『水説』に書かれていた、マレーシアの「中国異質論」とはまた違うASEAN論である。<今日の画像の記事を、是非拡大して一読願いたい。>

ところで、Miyaさんの『アフリカとニュースと解説』に、毎回感服するのであるが、今回も素晴らしい論が展開されている。12月20日付の「中国とナミビアの関係: 低利融資とインフラ整備」である。リンクしているので是非読んでみていただきたい。中国がアフリカに進出しているのは、13億の人口を抱えて必然かもしれないが、かなり強引な進出である。5000人のビザ発行と国際入札の否定は、いただけない。私もMiyaさんのコメント(記事の最下部のコメント参照)、「中国がアフリカ諸国で成功するかどうかは、その国の一部の政治家だけでなく、広く「国民」に受け入れられるかどうかだと思います。そのためには、雇用に貢献し、また、最低限でも労働者としての人権を守るべきだと思います。」に、私も大賛成である。いつも生徒に教えることだが、中国はアフリカで現地の人びとを全くといってよいほど雇用しない。中国は、先日も書いたように2つの文明を、すなわち2つの矛盾を同時に消化する国である。”途上国”と”大国”という2つの立場を、時には”ダサく”強力な外交戦に使う。思わず、うーん、と唸るのである。

さて、蛇足だが、マラウイに”レアアース”が出るらしい。「オーストラリアのレアアース(希土類)生産企業ライナス(Lynas Corporation)は22日、アフリカ南東部マラウイの「カンガンクンデ(Kangankunde)」鉱区を買収する承認をマラウイ政府から得たと発表した。買収額は400万ドル。西オーストラリア州に所有するマウント・ウェルド(Mount Weld)鉱山の次ぐ大規模なレアアース開発拠点になる見込みだ。」(WEBのニュースから)
あのほとんど産業らしい産業のないマラウイにとって、素晴らしいニュースではあるのだが、レントをめぐって天然資源の罠に陥らないように祈るのみである。マラウイ政府のグッド・ガバナンスに期待したい。

2010年12月22日水曜日

JR九州のICカードは”凄か”

JR九州のICカード
 鉄道のICカードが相互乗り入れするというニュースが、昨日の朝刊に出ていた。私は、大阪人なので、JIR西日本の”ICOCA”(イコカ)の定期券を使っている。もっと正確に言うとスマート・イコカというクレジットカードを登録し、現金なしでチャージできるタイプである。
 この”ICOCA”なかなか便利である。私鉄やバス、地下鉄にも使えるし、駅近くの売店などでタバコを買う時など、電子マネーとして使える。

 先日水戸に出向いた時、上野駅で”ICOCA”を使った。東京の”Suica”(スイカ)とは既に相互乗り入れしていることを知っていたからだ。『相互乗り入れ』なかなか便利である。

 ところで、この鉄道ICカード、全国各地の名前が出ていた。普段関西に住んでいると、知っているのは東京の”Suica”(スイカ)ぐらいのものであるが、JR北海道は、”Kitaca”(キタカ)と言うそうだ。”北か?”それとも”来たか?”

 おもしろかったのは、九州の名前である。福岡市の地下鉄は、”はやかけん”と言うそうだ。なかなか良いネーミングである。そして何と言っても、真打は、JR九州の”SUGOCA”(スゴカ)である。九州の人は、ICカードの便利さに『凄か!』と思っているのだろうか。素晴らしいネーミングである。(笑)

 大阪人と東京人と九州人と北海道民の会話。
 「さあ、これから札幌まで、トワイライトエクスプレスでICOCA?」
 「いくら位かかるの?飛行機の方が、やSuica?」
 「あたりまえやん。」
 「それは、豪勢じゃ。SUGOCA!」
 -そして翌日-
 「1,495.7kmを約22時間かけて、やっとKITACA。」…ちゃんちゃん。

2010年12月21日火曜日

ブログ開設1周年にあたって

katabiranotsuji です
 このブログも開設1周年を迎えた。本当は昨日が1周年だったのだが、ちょっと体調不良だった関係で、更新できず1日遅れである。(マヌケな祝300回更新の時と同じである。)読者の皆様やコメントをいただいた皆様に励まされ、皆勤とはいかないが、出来るだけ毎日更新してきた。すでに生活の一部となっている。これまでのブログの投稿をサァーと見てみた。一時期、これでもか、これでもかと焦っていい投稿をしようとしていた時期(5月中旬あたり)がある。最近は、新聞記事やTVなど様々な情報への反応など様々な切り口で書けるようになってきた。理想とするのは、新聞のコラム的な知性的にクスッと笑えるような投稿なのだが、浅学故になかなか至難である。
 
 7月から、自分のブログの統計が見れるようになって、どんな投稿を多くの方に読んでいただいているのかが手に取るようにわかるようになった。一応、現時点の統計を記しておきたい。
   総ページビュー:20818。アクセス国:日本、アメリカ、フランス、イギリス、インド、ラトビア、カナダ、ロシア、大韓民国、ベルギー、マレーシア、アルゼンチン、ポーランド、タイ、コンゴ民主共和国、コートジボアール、ガボン、ケニア、ブルキナファソ等々。アクセスの多かった投稿は以下の通り。

 コンゴのオナトラ船と「猿」論争(4/29)  2660
 トイレの神様と国際経済の神様(5/02)  248
 ”アフリカ学入門”を推す(7/11)      136
 MW訪問団歓迎式と光の庭(9/17)    107
 2010文化祭当日の記録(9/19)       96
 アフリカの工業の問題点を探る(11/26)  80
 国際理解教育学会にてⅡ(7/05)      73
 男の美学、発熱に敗北(10/22)       52
 ノーベル平和賞授賞式欠席国(12/11)   50
 奈良の秋の夕暮れは…(11/07)       49
 私感/龍馬伝最終回(11/28)        48

 これを見て思う事はいろいろある。オナトラ船の話は、例のTVの影響で嵐のようにやってきた。もちろん内容は、なかなかいいと思っているのでありがたいが、今なおアクセスが絶えない。不思議だ。トイレの神様の話は正直、意外だ。どこでどうなっているのか。一時どっかーんとアクセスが増えた。問題は、MW訪問団云々と文化祭云々である。これは、本校生徒しか興味がないはずである。倫理の補習でちょっと口がすべったのが最大の悔恨である。少数の受講者が私のブログを発見し、口コミでレジスタンス的に拡がったようだ。まあ、別に問題のあるような記述をするわけではないが、それでも多少気を使う羽目になってしまった。本校生徒諸君に告ぐ。「…読むな。」
 アフリカの工業の話も意外で、最初「アフリカに緑の革命は必要か?」という前日の投稿ばかり読まれていて、ああ工業の話は面白くないのだ、と思っていたら、グングンアクセスが伸びた。全く意外である。国際理解教育学会の話は、ESD関係の方々も読んでいただいているようなので、アクセスが多い事はありがたいと思っている。
 男の美学の話は、短い日常の話であり、生徒諸君が中心的に読んだと私はふんでいる。面白い事に、本校の生徒諸君は読んでいたとしても、絶対にそのことを私に言わない。「昨日のブログ読みましたよ…」などという会話は一切ないのである。優秀で、愛すべき生徒諸君である。誉めておくが、もう一度言う。『…読むな。』
 ノーベル平和賞の話題は、納得するところである。読者のMiyaさんとも少しばかり論争が生まれたくらい、私にとっても重要な投稿である。奈良の話は、全くの日常の話である。これも意外である。ちょうど観光シーズンだったのかもしれない。(ちなみに、このタイトルは加川良というフォークシンガーの『下宿屋』という歌の歌詞をもじったものである。原曲の主語は京都である。)最後の龍馬伝の話も時流に乗ってしまったか、という感じである。

 ウケを狙って書いているわけではないのでどうでもいいことなのだが、私自身が、最も好きな投稿は、2月3日の『節分はダイアン・吉日』や11月14日の『リンカーンの親書と招き猫』など短めのコラム的なものである。
 また、本ブログのメインであるアフリカの話では、2月15日の『ナイロビの水虫』、4月17日の『ブルキナのサヘルで井上陽水』、4月12日の『キベラスラムにGood PeePoo』、5月2日の『ひとりでは夢を見ないアフリカ人』、9月26日の『私はアフリカに人間を見に行く』などが、特に好きである。もし、まだご覧になっていなかったら、アクセスしていただければ、すこぶる幸いである。

 体調を整え、できるだけ毎日のペースで、まずは2周年をめざして書いていこうと思っている次第である。改めて、10人の読者の皆さん、コメントをいただいた皆さんに感謝しつつ…。

2010年12月19日日曜日

Dr Pepperと海兵隊

 先日水戸に所用で言った際、自動販売機でDr Pepperを見つけた。「これは珍しい。」と私が言ったのを覚えていてくれた方が、昨日またまた会った際に「さらに珍しいペットボトルがあったので…」と手渡してくれた。感謝である。このDr Pepperには、ちょっとした思い出がある。昔々、ノースカロライナ州のニューバーンという街の高校を訪問した。ここの学校の教頭先生が、前任校のAというALTの父上で、是非ともアメリカに来るなら視察しに来いとさそってくれたのだった。校内をひと廻りしてから、教員の休憩室といった場所に案内された。会議が入ったので少し待っていて欲しいということで、30分ほどそこにいた時、自動販売機にDr Pepperがあったので、初めて飲んだのだった。奇妙な味だった。妙に香辛料が効いていて、決しておいしいわけではなかった。だが、それ以来癖になって、アメリカに行くとつい手がでるようになった。

 さて、その休憩室にはいろんな先生が来た。1人ひとり挨拶をし、歓談したのだが、ある理科の教師が、「我々は教頭のゲストだ。」というと、こう言ったのである。「そうか。彼は海軍の出身でね。私はマリーン(海兵隊)だ。」とウインクした。私は大笑いして「あなたは、彼よりもずっと強いんだ。」と言うと親指をたて、握手を求めてきた。これには少々解説が必要である。海兵隊は、アメリカ軍の中でも最強の軍隊である。まだ徴兵制がしかれていた時でも志願制だった。その主任務は敵前上陸で、最も危険である。たとえ航空機のパイロットや後方任務の者でもライフルが使え、格闘技が使える。つまり海兵隊所属であれば、全員が接近戦が可能なのである。海兵隊は昔から、敵前上陸をする前には、輸送船に棺桶を用意していたと言われている。そう、海兵隊のモットーは、戦友を見捨ていないことで、たとえ死体となっても故郷のママの所に届けるのが海兵隊なのだ。ちなみに、大統領がよくヘリコプターで移動するが、あれは必ず海兵隊のものである。
 理科の先生が、私がそれを知っていたことに喜んだわけだ。教頭先生がちょうど戻ってきて、「そうなんだ。何かあると、彼はそのことを持ち出す。」と困った顔をした。私はまた大笑いをしたのだった。日本ではありえない自慢だが、アメリカでは、軍は極めて身近な存在なのである。

 いただいたDr Pepperは、今は冷蔵庫に寝かせてある。アメリカを思い出しながら、ゆっくり味わおうと思う。

2010年12月18日土曜日

嫌・ビンゴゲーム


商品名:目玉おやじまみれ
  実は昨日は、本校の忘年会であったのだった。赴任9年目にしてついに幹事の役が回ってきた。実は私は、忘年会があまり好きではない。本校の忘年会は、毎年のようにビンゴゲームをするのが恒例になっている。特に私はビンゴゲームが嫌いだ。ニンゲンの欲望が丸出しで美しくない。徐々にみんなが盛り上がっていく、あの空気がいたたまれない。今年はそれを、企画・演出しなければならない。実に憂鬱であった。
 先日、ビンゴゲームの商品を買い求めに、幹事4人で心斎橋のTというグッズのそろう店に買い物に行った。所詮、ゲームなのだから、どうでもいいような商品、もっと正確に言うと自分では買わないが、プレゼントならもらってもいい、という感覚の商品がいいと私は思うのであるが、実用的な商品をみんな買っていく。どうも、一般人と私はずれているらしい。(笑)私が、是非これをと、みんなに言ったのは、「目玉のおやじまみれ」という商品である。小さな目玉おやじで、組体操ができるという粋なオモチャである。他に、ザク(ガンダムのザクである。)のもあったりして、なかなかいいではないか。私は幹事長なので、商品選択にも権力があるはずなのだが、みんなに完全に却下されてしまった。(笑)

 当日は、例の口の悪い後輩のI先生が、ビンゴの司会を頑張って盛り上げてくれた。選んだ商品もなかなかうけていたようである。こういうことは、一般ピープルにまかすのが良い。(笑)

2010年12月17日金曜日

2の文明はおもしろい

 期末考査後、正規の倫理の授業では、やり残していた中国哲学をやっている。(センター補習の方は、すでに夏休みに終わっている。)森本哲郎の『そして文明は歩む』という古い本があって、そこには、0の文明、1の文明、2の文明、3の文明、そして無限大(∞)の文明といったカテゴリーが示される。結論から言うと、0はインド、1はユダヤ・イスラムなど一神教、3は三位一体のキリスト教、そして無限大は日本などの多神教文明をそれぞれ意味する。要するに価値基準というか、普遍的な正義の基準がいくつあるか、といった分類なのだ。まあ、完全に納得のいく分類ではなにせよ、面白い。
 で、2が中国文明なのである。儒家と道家、孔子と老荘、中国人君子は、その二面性の中で生きてきた。唐の詩人などまさにその典型なわけである。

 さて、今日は授業でこんな話をした。昔々、上海から南京へ行った時のことである。Rさんという日本語の現地ガイドが案内してくれた。まだまだ発展途上の上海である。やっと空港と市内を結ぶ高速道路ができた頃の話である。上海のバンドを散策しながら、私は文革の震源地である上海を想い浮かべていた。Rさんにそんな話をすると、「そうですねえ。」と気のない返事であった。「ああ、文革は中国にとって心の傷なんだ。」と妙に納得していた。何故なら、Rさんは、現代中国史にとって最も忌むべき日本の言葉を学び、日本人をガイドするという『走資(資本主義に走る)派』だと私は思っていたのだった。さてさて、南京では、南京事件の時の中山陵にある銃創なども、Rさんに見せてもらったりした。だんだんと打ち解けてきたRさんは、南京から上海へ帰る列車の中で、私にこんなことを言ったのだった。「実は私は、最後の紅衛兵なのです。文革末期の最も若い紅衛兵でした。」びっくりした私は、思わず聞きにくい質問をぶつけた。「Rさんは、日本語を学び、日本人をガイドすることに矛盾は感じないの?」「中国は、唯物弁証法の国です。したがって矛盾が存在することは否定しません。」私は思わず唸ってしまった。「…なるほど。」

 生徒たちには、ヘーゲルの弁証法もマルクスの唯物弁証法も一応教えている。そのうえで、中国は2の文明であると語り、この話をすると、見事に「なるほど!」と納得してくれた。紅と専、社会主義と資本主義、この2つの矛盾を、唯物弁証法というヒトコトでくくってしまう中国的思考。儒家と道家だけでなく、現代にもこういう2つの文明の中国は生きていたのだった。

 普通、中国思想を夏にやってから、西洋哲学をやるので、この逸話は説明できないのだが、今回は西洋哲学をやってからなので理解できるのである。たまには、こういう順番で教えるのも悪くないと思った私であった。

2010年12月16日木曜日

統帥権の近現代史への影響Ⅳ

 ちくま文庫の『山縣有朋』(半藤一利著)は、統帥権を学ぶのに最高のテキストであると思う。読み終えてさらに読書ノートも作ったので、久しぶりに統帥権の近現代史への影響について書こうと思う。
 統帥権の生みの親ともいうべき山縣有朋の墓碑に記されている位階勲等は、「枢密院議長元帥陸軍大将従一位大勲位功一級公爵」である。近代日本人で、これ以上の位人臣を極めた者は稀にしかいない。「陸軍の大御所」としての威勢をバックに、山縣は政治の世界に登場し、内務省に堅固な派閥を形成し、徹底的に自由民権運動を弾圧する。二度首相になり、自由民権運動の影響を受けない軍・官をつくるため、文官任用令の改正、治安維持法の制定など近代日本に大きな影響を残した。山縣の理想は、一切の権力を天皇に帰せしめ、天皇を神格化し、その親政を絶対的なものとする天皇主義国家であった。「軍人勅諭」「教育勅語」はその象徴である。以下、私の読書ノートから、この本の抜粋(趣旨)集である。

①西南戦争前夜、士族の反乱を抑え陸軍卿・参議となった山縣は、大久保の台湾出兵に猛抗議したが、全く無視された。大久保の『政略が主で、戦略は従者でしかない』という信念に敗北する。この時、山縣は政治優先の決定に対して憤慨、後日の統帥権独立への道をひらいた。

②西南戦争時、山縣の最大の功績は、兵力の不足で音をあげながら、ついに徴兵制を崩さず、政府部内の士族徴募に応じなかったことである。(地方の巡査には士族を採用し、結局投入したが…)軍政家としては優れていたが、戦術家としては机上の論の上に細かすぎて苦戦をしいられた。

③木戸と西郷の死後、山縣は長州を背負う気持ちが生まれ、西郷亡き後の陸軍を背負う気持ちが生まれた。一方で、木戸の『軍人が政治に参加すれば全体が武権の意志に引きずられる』という危機意識を気にしなくなる。同じ立場の大久保もその後すぐ暗殺されるからである。山縣は、天才達の陰に隠れた存在だった。「奇兵隊の狂介」は天才高杉晋作の陰にあり、「討幕の軍監、長州軍の山縣」も大村益次郎の陰にあった。それが、伊藤とともに日本政府を背負うことになったのである。

④明治12年、岩倉・三条の諮問に答えて、軍部(山縣)は、「天皇自ら大元帥の地位に立ちまい、兵馬の大権を親裁したもう」と答えた。統帥権の独立は、憲法制定以前から確立していたのであった。参謀本部が出来、天皇に直属した。伊藤-山縣の線で、兵政両件の統一的な運営はほぼ円滑に進んだが、やがて軍部をコントロールする政治力を欠如した政府が現出した時、国家が真っ二つに分裂される。統帥権の独立とは、国家内にもうひとつ国家ができる危険を内包したものである。しかも近代日本においては、憲法成立前にそれが完成していたのである。

⑤徴兵制によって兵になるものは、農民層である。彼らの背には出身の村の大きな期待がずっしりと乗っている。この兵士達の村への忠誠を国家的結合に結びつけるため、より高い次元で統合する「万世一系の天皇」を創出する。それが、「我が国の軍隊は世々天皇の統率し給ふ所にぞある」で始まる「軍人勅諭」である。

 まだ続くのだが、長いのでこの辺で小休止したい。いやあ、この本、無茶苦茶面白かった。というか、日本史のこの辺、私の勉強不足だったというか…。近日またこの続きを掲載したいと思う。

追記:コートジボアール情勢が緊迫しているらしい。荒熊さんのブログ(赤提灯~)では、隣国ブルキナではどこ吹く風だが、ラジオ等でかなり情報が入っている模様。岡村大使のブログにも注目!(急遽リンクに入れました。→コートジボワール日誌)

2010年12月15日水曜日

スイス航空アフリカ便の存在理由

 スイス航空は、なぜアフリカの17カ国へ飛んでいるのでしょう。
それは、ここには石油、禁、ダイヤモンド、銅、鉄、プラチナ、木材、ココア、ナッツ、ゴム、タバコ、スパイス、果物、コーヒー、綿花、それに珍しい動物やすばらしい砂浜があるからなのです。
デア・シュピーゲル誌の広告(1972年) アフリカの選択/マイケル・B・ブラウンから引用。
 この文章は、「高校生のためのアフリカ開発経済学」の初版の最初のページにイントロダクションとして私が置いたものである。最新ヴァージョンでは、ブルキナ在住のIさんの詩「バナナ売りの少女」をイントロダクションに使い、アマルティア=センの貧困から学習するように再編した関係で、アフリカの文化を理解する様々なキーワードを学んだ後に置いている。

 このスイス航空の広告コピー、実は欧米のアフリカ観をいみじくもよく表している。アフリカの選択の著者、マイケル・B・ブラウンの指摘である。今日は、地理Aで、試験を返した後、この文章を元に授業を組み立てた。英語科の方は当然、MW校の留学生6人もいっしょである。

 まずテキストを読む。…のだが、英語科では代表生徒に、太字の部分を英訳させた。(1年生でありながらなかなかたいしたモンであった。)黒板に、アフリカにある項目を書いて、MWsにも確認していく。私が生徒に理解させたいことは、我がブログの読者のみなさんなら、もうおわかりだと思うが、「人間」や「文化」といった視点がないこと。つまり欧米は、アフリカの人間や文化に価値を置いていないこと。その誤りを正したいのである。(当然マイケル・B・ブラウンの指摘でもある)

 そこで、日本の航空会社の広告コピーを考えさせてみる。文脈はスイス航空と同じ。日本には…があるからなのです。MWsに聞いてみた。「フジヤマ」「ミヤジマ」…おっ!いいぞ。「ニッポンバシ」…?大阪の電気街、東京で言えば秋葉原である。「おたくの殿堂」、アニメ?マンガ?「イエス、ワンピース。」なるほど。「タコヤキ」「オコノミヤキ」…、「カモン、大阪とちゃうで。」盛り上がってきた。「キョート」「ナラ」…本校生も「温泉」とか「東京タワー(?)」とかいろいろ挙がる。これらとアフリカの「石油…綿花、野生動物・砂浜」の文章を対比させてみる。すると「人間」や「文化」という視点がスイス航空の文章にはないことが解るのである。今日もなかなか盛り上がったのであった。

 ところで、ブルキナの、ゴロンゴロンのマルシェ(週一回の市)で、スイス人父娘と出会った。私と全く同じトゥアレグ族のターバンを巻いていた。(笑)私は、彼らもアフリカに『人間』を見に来ていたように感じた。スイス人の名誉の為あえて『蛇足』しておきたい。

2010年12月14日火曜日

肘痛の悲痛

本校玄関より大阪市旗・国旗・校旗を望む
 記念式典の片づけの時に、どうやら肘を痛めてしまったようだ。昨夜から急に痛み出し、曲げることさえできないくらい痛かった。妻が湿布を貼ってくれたのだが、夜中に痛みで何度も起きた。完全なる睡眠不足状態である。おまけにこのところ、1本早い区間快速に乗る習慣がついてしまって6時ちょうどくらいに家を出るようになった。体内時計は、肘の痛みなどそっちのけで私を目覚めさせるのである。ここまで眠いと、さすがに、「ハーバーマス」のような哲学書を開けて読む余裕はない。電車の中で爆睡してしまった。
 どうも、血糖値も高いように思う。先日クリニックで久しぶりに測ったら低めだったが、食事をするとパァーと上がるので、あまり安心できない。とにかく、今日は体調は最低だったのだった。

 そんな今日の現代社会の授業では、試験を返した後、アフリカ開発経済学の講義を再開した。はたして肘が痛いのである。黒板に字を書くのがつらい。円を描くのに、身体を移動させて描く始末である。さてさて、今日の授業で盛り上がったのは、投資が何故アフリカに集まらないかというのを理解させようと、こんな設問をしたのだった。「ここは国際見本市の会場である。日本、中国、フランス、ドイツ、イタリア、それからアフリカの…どこが良いかな?」と聞くと「二ジェール」という声が上がった。「まあ、それでいこう。6つのブースに分かれているとしよう。イメージしてちょうだい。さて、車が展示されている。価格もデザインも性能もその国の特徴が良く出てている。君たちは、十分お金を持っている。どこの車を買うかな?」生徒に手を挙げさせた。車は、日本とドイツが圧倒的。イタリアにも少数の支持派がいた。「では、TVは?」これは日本が圧倒的。「ネクタイ」「ワイン」「茶」と、様々な商品を挙げて行く。どうもニジェールの車も、TVもワイン(取れないか…)もダメである。その国のもつイメージや信用と民間投資の関係についての糸口をつかんでもらおうとしたのだが、まずまずの出来であった。一生懸命授業をしていると暑くなる。ジャンバーを脱ごうとして、肘が変な形に曲がった。一瞬、苦悶したのであった。

 さすがに夜になって、肘は大分マシになった。妻がH鍼灸院で聞いたテーピングをしてくれたおかげである。合掌。

2010年12月13日月曜日

国語科創設20周年を祝す

朱に染まる桜葉も早や冬支度
 本校の国語科が創設20周年を迎えた。今日はその記念式典であった。国語科は全国で唯一、本校にしかない専門学科である。私自身は英語科の担任だったので、英語科がどんな授業をしているのかは詳しいが、ここ2年ほど中国修学旅行に付き添い、また国語科の3年生を主に教えた関係で、国語科のカリキュラムにも詳しくなってきた。その国語科、なかなか面白いのである。
 英語科の生徒は、英語の修練に莫大な時間を費やす。学科の関係上、国際関係等にかなり興味をもっているが、その他の様々な問題にはあまり詳しくないと痛感している。要するに個人的に興味をもって本を読むという習慣があまりないのだ。それに比べて、国語科の生徒は、自分の興味のある分野の本をかなり読んでいる生徒が多い。倫理の授業などでは、国語科のほうが、はるかに熱心である。しかもやたら感想文を書かされるので、文章を書くことに全く抵抗がない。

 昔、市立体育大会というのがあった。長居球技場(私たちの頃は長居競技場だった)に、全市立高校が集まるのである。初めて本校に赴任した年、ある3年生のクラスの出席をとるよう頼まれた。その時びっくりしたことを思い出す。前任校の工業高校では、飢えた狼のように他校の女子生徒を見て騒いでいる連中ばかりだったが、本校の英語科の生徒は、単語や構文のテキストを真剣に見ていた。それより驚いたのは、国語科の生徒が、一様に文庫本を開いていた事だった。

 私が赴任した年、国語科の1年生に質問を受けた。「先生、額田王について教えて下さい。」私は何度も言うように日本史は大の苦手だ。特に古代は全く興味がない。「誰や?それ」と言って失笑をかったことがある。(笑)夏休みに明日香に文学踏査に行く為のグループ学習だと知ったのは、だいぶ後になってからだった。

 読む・書く・話すの各分野で、国語科の学習は発展していく。「話す」の分野では弁論大会がある。毎回、なかなか素晴らしい弁論が聞ける。またA先生のサポート役で、「ディベート甲子園」の近畿地区予選にも国語科生と参加したこともある。

 ともあれ、国語科創設20周年である。私は、足掛け9年いるので国語科生の半分以上を知っていることになる。なかなか個性的で面白い生徒がたくさんいた。これからも面白い生徒が来てくれることを切望したい。

2010年12月12日日曜日

ブルキナの赤い土 その4

SIAOの様子
 スーダン南部の独立に関する情報を得ようとしていたら、ちょっと古いが、ブルキナファソの事が産経ニュースで伝えられていた。是非とも私のブログでも紹介したい。
【最貧国の真実】アフリカ最大級の見本市 存在感増す「日本」 (2010.11.11 22:48)

 アフリカ最大級の国際工芸見本市「SIAO」。参加各国の旗がはためく=7日、ワガドゥグ 野外ステージの上に日の丸が揚がり、「愛」「魂」などの日本語が筆で勢いよく書かれていく。ブルキナファソの首都ワガドゥグで2年に1度開かれるアフリカ最大級の国際工芸見本市「SIAO」。今年、SIAOの舞台にひとりの日本人アーティストが上った。陶芸家であり書家でもある西村早百合さん(43)。4年前、JICA(国際協力機構)の専門家としてブルキナファソで1年間勤務した経験を持つ。「4年前のSIAOにも行きましたが、まさか日本人がこの祭典に加わる日が来るとは思いませんでした」国連の後発発展途上国(最貧国)リストの“常連”で、世界で最も貧しい国のひとつに数えられる。「数年前、同じ西アフリカの周辺国、リベリアから難民が来ました。ところが難民キャンプの彼らは、ブルキナベ(ブルキナファソ人)が自分たちよりも貧しいことに驚いたんですよ」ワガドゥグに住んで7年になる飯田勉さん(56)が苦笑する。
 人口約1600万人のこの国の1人当たりのGNI(国民総所得)は約480ドル。就学率や識字率は世界最低レベルで、大きな産業もないが、人々の文化に対する愛着は深い。2年に1度、SIAOと交互に開かれる映画祭「フェスパコ」もアフリカ最大級のイベントだ。安定した政情に加え、何代にもわたり受け継がれてきた文化を誇りに思う国民性が、こうしたイベントを成功させる原動力となっている。「ジャポネ(日本人)のパフォーマンス、面白かった」。SIAOの会場で、地元の女性(24)にそう声をかけられた。マリ、セネガル、ガーナ、トーゴ、フランス…。各国の旗が飾られたブースでは、布や洋服、置物や家具など、各国の意匠を凝らした工芸品が並んでいる。JICAのボランティア「青年海外協力隊」がブルキナファソと協力して出展したブースもある。日本としての出展ではないが、日本人が参加するのは珍しいことだ。 「次回のSIAOでは、日本がスペシャルゲストに招かれてブースを設ける可能性は高いですね」(同) 日々存在感を増す日本人。しかし多くの日本人は、この国の存在さえ知らないでいる。
 ブルキナファソを訪れた人は「昔の日本みたい」と口をそろえる。日本からはるか離れた小国の“今”を取材し、日本人が失いかけたものを考えてみたい。(ワガドゥグ 道丸摩耶)

 ここでも、我が親愛なるIさん(わざわざIさんなどと書く必要もないが…。)のコメントが登場している。お元気そうで何よりである。Iさんは、ブルキナべから多くを学ぶとともに、何度も日本の良さを伝えたいと言われていた。この記事にある日本人の活躍、さぞや嬉しかったに違いない。Iさんは、心の奥に大和魂をもった人だ。Iさんは、自由で責任ある「地球市民」であるとともに、日本「国民」である。日本から遠く離れた地で、日本を愛している。といっても、日本に立脚しているのではなく、あくまでもブルキナの地に自力で根付き、立脚している。凄い人なのである。

 今日のタイトルは、久しぶりに「ブルキナの赤い土」とし、その続編として「その4」とした。この産経の記事の続編も是非とも見たいものだ。

2010年12月11日土曜日

ノーベル平和賞授賞式欠席国

ノーベル平和賞の受賞者席は空席
 例のノーベル平和賞。報道がいろいろ錯綜しているが、11日付日本経済新聞の報道では、欠席したのは中国のほかにロシア、カザフスタン、チュニジア、サウジアラビア、パキスタン、イラク、イラン、ベトナム、アフガニスタン、ベネズエラ、エジプト、スーダン、キューバ、モロッコ、スリランカ、ネパールとある。これをどう読むか。
 先日も少し論じたように(10月9日付ブログ参照)、この問題、中国は絶対譲れない問題であろうと私は思う。そのことを十分理解したうえで、「人権の普遍性」について語り合うべきだと思う。日本のマスコミは、この欧米的「人権の普遍性」について絶対視していて(憲法に書いてあるのだから当然だが…)、中国と授賞式に欠席した国を明らかに批判的に見ている。私は、地球市民を育てたいのであるから、当然、自由な「市民」をつくりたい。しかしそれは同時に責任ある「市民」でもある。また「国民」であることから逃れることはできない。我々は本当に自由な市民なのか。あるいは「国民」でしかないのか。(11月9日付ブログ参照)かなり難しい議論になるはずだ。尖閣諸島問題の感情的反発に流されることなく、考えて行かねばならないのではないか。

 さて、この出席しなかった国々は、明らかに「人権の普遍性」に『NO』を突き付けているのだろうか。ちょっと私なりに考察してみたい。
 ロシアは過去に同様の批判を受けた旧社会主義国として中国を理解しているように見えるが、国内の民族紛争をかかえているが故の欠席だろう。国益のためである。ベトナムもだろうか。ベトナムも一応社会主義国である。社会主義が、たとえ建前でもプロレタリア独裁を維持している場合、この欧米的資本主義的個人論に立脚する「人権の普遍性」とは相いれないところだ。まだまだカストロが頑張っているキューバもしかり。これはらの国はわかりやすい。
 ネパールやスリランカはそれまでの報道にはなく、意外だが、中国を刺激しないことを国益としたのだろうか。(セルビアはEUに出席させられたようだ。)両方とも内戦を経験しているし、問題は複雑なようである。
 ベネズエラやイランは明確に反米国であり、政府のポリシーから十分理解できる。欧米的な論理の押し付けは、彼らにとって悪である。
 サウジアラビアは、親米国だが、独自の『人権観』に立脚している。ワッハーブ派イスラムの戒律は厳しい。経済はともかく、欧米の「人権の普遍性」とは全く相いれない。モロッコも、王国であり西サハラ問題をかかえている。おいそれと「人権の普遍性」に賛成できないだろう。
 アフガニスタンが欠席したことは、先日(9日)のブログでふれた銅山と鉄道支援のためであろうか。もしそうなら、アフガンは一気に中国寄りに舵を切ったことになる。

 この問題、欧米の「人権の普遍性」に、明らかに『NO』をつきつけた国もあれば、国益から中国にすりよった国もあるようだ。専門家から見れば、もっと違う見方もあるだろう。かなり難しい問題である。ところで、私にとって意外だったのは、中国の支援を強力に受けているアフリカ諸国の名がなかったことである。ノルウェイに大使館がないから招待されなかったのかもしれない。または、中国の支援は、自国の天然資源を目当てのもの、と割り切ったのか、その支援を案外恩義に感じていないのか、あるいは宗主国や先進国に民主主義的国家像をアピールしようとしたのか。

 中国にはまだ「国民」は存在するが、「市民」が存在できていない。経済は急速に発展したが、この問題にはまだまだ時間がかかる。日本だって、本当の「市民」が存在しているのかという疑問を私は持つ。欠席した国々(の政府)も、ある意味で同様の問題を抱えているのではないだろうか。

 いずれにせよ、あらゆる方面からの攻撃にさらされている中国である。これからの国際関係は、当分中国を中心軸に動いていくことだけは確かだ。

追記1:共同通信の7日の報道をもとにブログを書きましたが、11日朝、日本経済新聞の最新情報をもとに再構成しました。
追記2:ESDをやられている先生方、いかがでしょうか。単に「人権」は普遍だ、生徒にそう教えるべきでしょうか。私は、様々な歴史的背景や宗教・文化をもとに、違う意見もあるということを生徒に理解させたい、と考えています。ご批判をお待ちしています。

2010年12月10日金曜日

8校合同仮想世界ゲーム完結編

神戸大学にて
  神戸大学に行って来た。市高研の発表である。これで、私の『8校合同仮想世界ゲーム』は一応完結した。昨年は、「フルキナファソの視察」について発表したので、2年連続になる。私は、これまで「アメリカ視察を終えて」「JICAケニア視察を終えて」と2回発表したので、計4回発表したことになる。ところで、この市高研の社会科部会は、純粋な研究発表の場であるとともに、管理職への登竜門でもある。この部会の理事や研究発表をやった先生の中から、多くの管理職を輩出している。私にとっては、どうでもいいことなのだが…。(私は管理職試験の受験資格はもうない。歳を取りすぎている。…笑。)
 ただ、今回も前回も、本校で、こんな研究をやったという歴史(ちょっと大げさだが…)を残すには、ある意味で国際理解教育学会よりも、インパクトがあるからである。実際に発表の場には、多くの聴衆が集まらないことが多い。今回などは10名程度だった。しかし、市の高校教員全員に、市高研の各部会(教科や校務分掌)の発表の状況が印刷して配られるのである。これまで、お世話になった前任校の先生方にも見てもらえる。それで充分である。全く売名行為ではない。(管理職をめざす人にとってはそういう意味合いも無きにしも非ずであるが…。)今回は、後輩のU先生と共同の発表である。「頑張っているなあ。」と感じていただければ、それで十分。本校に転勤したいと思っている若い先生方に、何らかのイメージを与えれば尚更結構。そんな気持である。

 本校のように、超多忙な学校あるからこそ、先進的な自己研さんを行う意味があると思う。本校に赴任する前、私は工業高校で15年頑張ってきた。本校に来た時、思い切り国際理解教育をやりたかった。もちろん受験のための研さんも積んだが、流されてはいけないと自戒してきた。優秀な生徒に恵まれているからこそ、頑張れた。私の後に来る先生も、そういう夢と希望とロマンをもって本校に来て欲しいと、心の底から思っている。

 神戸大学の学生と懇談した。授業のコツは?という質問に、ちょっとエエカッコして、こう答えた。「人間力やね。」今思うと、はずかしいが、案外本音であったりする。(笑)

2010年12月9日木曜日

中国異質論とTPP~なるほど

TPPの問題は、ミニ国連の授業で生徒諸君と是非討論したいテーマだ。ところで、昨日の毎日新聞の朝刊の『水説』に、「中国異質論とTPP」というコラムが載っていて、これまた面白い。要するに、アメリカの中国戦略の1つとしてTPPを捉えているわけだ。マレーシアは、生き残りをかけてTPPに参加した。まさしく肉を切らせて骨をたつという決意。このマレーシアのような国家戦略は、日本にあるのだろうか。法務大臣がどんなに軽かろうと、自衛隊が暴力装置だろうと、そういうしょうもない問題よりも、日本の行く末を論議してほしいもんだ。
昔々、レスター・ブラウンの『プランB』という本が出た。環境問題に関する本で、私はこれを読んだ時、日本の産業構造はこの方向へ向かわせなければならない、と思えた。実際、ドイツはいち早く、この本に書かれた方向に動き、日本のソーラー生産を追い越して行ったし、オバマもグリーン・ニューディールをうたった。あれよあれよという間に、日本の技術は素晴らしいのに、置いて行かれたような気がする。政治の貧困といってしまえばそれまでだが、なんともやるせない。

ちなみに、今日の『木語』は、オバマ大統領が、急遽アフガンを訪問したことの謎解きをしてくれている。アフガンには、世界第2位の埋蔵量といわれる銅鉱(アイナク鉱山)があるらしい。一時ソ連が開発したが、その廃墟をアルカイダが訓練基地に使っていた。(凄い話だが…。)これに、中国が目をつけ、2年前に採掘権を手に入れたという。さて、そこに紀元前前の仏教遺跡がニイハオと出てきたんだそうだ。(筆者の金子秀敏の表現のママ)首都カブールからフランス人考古学者が駆け付け、文化財保護の必要を叫んだらしい。で、今後3年間採掘は中断したという。今夏のことである。その前の3月、オバマ大統領は、まずアフガンを電撃的に訪問、中国訪問を終えた直後にカルザイ大統領に、開発への注文をつけた。鉱山相へ中国から多額のワイロが渡っていると批判したのだった。要するに、アメリカはアフガンへの中国進出が気に入らないのである。しかも、中国は、この鉱山とウィグル自治区を鉄道で結ぼうとしている。で、今回のオバマ訪問。アフガンが中国にがっちり組み込まれることを拒む動きだった。しかし、対談は実現せず、電話で話しただけだったという。それで、あとは困った時の”仏”頼みだ、という話。タイトルは、『アフガンに仏様降臨』。

こうしてみると、中国も、アメリカもやるのである。次々と外交の手を打っている。その波間にプカプカ浮かぶ日本。ほんと、大丈夫か?政局がどうのこうの言っている場合ではないと思うのだが…。

2010年12月8日水曜日

EUとアフリカのジレンマ

毎日新聞で面白いニュースを見つけた。以下は、WEB版であるが、内容はほぼ同じである。
EU:アフリカ資源開発着手へ レアアースで“脱中国”12月8日 15時0分 更新:12月8日 15時16分【ブリュッセル福島良典】

欧州連合(EU)が、ハイテク製品などに使われるレアアース(希土類)調達での中国依存を軽減するため、アフリカの資源開発を官民合同で重点支援する「資源外交」に乗り出す方針を固めた。欧州企業による産業基盤整備や開発投資を進め、見返りとして資源の安定供給を確保するのが目的。対アフリカ援助を積極的に展開している中国に対抗する狙いもある。EUの行政府・欧州委員会のタジャーニ副委員長(産業・企業担当)が来年1月に資源戦略の柱として発表する。毎日新聞が入手した戦略草案はレアアース、液晶に使われるインジウム、合金が広く工業使用されるコバルトなど14種の鉱物をEUに重要な資源と位置づけ、欧州産業への安定供給を目指す方針を打ち出している。現在、EUは14種中、レアアースなど5種について輸入の7~9割を中国に依存している。戦略草案は08年以降、中国などの新興国が資源の輸出制限などの保護主義的な措置を導入してきたことに懸念を表明、「近い将来、供給が妨げられる危険がある」との危機感を示している。
戦略草案は、先端産業に不可欠なレアメタル(希少金属)の宝庫であるアフリカなどの途上国が「運輸、エネルギー、環境保護などの産業基盤が不足しているため鉱物資源を生かし切れていない」と分析。欧州委員会と欧州投資銀行(EIB)が鉱物の採掘・精製事業への融資を増額し、地質調査などの技術支援を提供することを提案している。
EUは11月29~30日にリビア・トリポリで開いたアフリカ諸国との首脳会議で資源分野の協力強化を確認し、今後3年間で500億ユーロ(約5兆5500億円)以上の対アフリカ援助を約束した。
ただ、EUは、透明性確保などの条件を付けている。資源収入が国民の生活向上につながるようにという措置だが、欧州の旧植民地であるアフリカには、注文の多いEUへの反発もある。リビアの最高指導者カダフィ大佐は「EUは我々に統治や人権で説教するが、アフリカに必要なのは政治でなく経済だ」と反論。「アフリカには他の選択肢があり、南米、中国、インド、ロシアを頼りにするかもしれない」とEUに揺さぶりをかけている。

EUは、アフリカのガバナンス改善に必要不可欠な透明性を求めているわけだ。ポール・コリアーらの開発経済学の視点が十分感じ取れる。私は、大賛成である。同時に、EUは中国のアフリカ進出をかなり懸念しているわけだ。さらにアフリカは、EUとは歴史的な溝があり、おいそれと言う事を聞くものかという姿勢を表し始めた。国際関係は複雑であるが、面白い。

期末試験が終わったら、アフリカ開発経済学テキストから、おもしろいところを抜粋して教えたり、討議したりして一応の学習を終えたら、いよいよ”ミニ国連”を開催しようと思う。アトランダムにグループを組み、それぞれが国益に沿った形で、リアルに世界の問題を討議したい。受験生に負担をかけないように注意しなければならないので、こちらの事前準備も大変だけど、今年も生徒がいいので、うまくいきそうな予感である。

追記:「松屋町のきたなシュラン」(4月9日付ブログ参照)が、”たむけん”(吉本の芸人である。チチンプイプイという番組で本校の取材にも来たことがある。)の雑誌に掲載されたらしい。仲良しのY先生、口の悪い後輩のI先生と行ったら、なんと3年生のG君とA君の隣席になったのであった。(今日は期末考査なので、全くオトガメなどない。)彼らに聞いてわかったのだが、我らの隠れ家が生徒に知られてしまうとは…。3人で思いっきり彼らをいじったら(大阪弁で、”かまってやったら”あるいは”つっこみをいれたら”の意味)、店のおばさんたちが大笑いしていた。

2010年12月7日火曜日

手を挙げなかった理由

 期末考査2日目であるが、音楽の非常勤講師の先生が来られるのが火曜日だということで、来週月曜に予定されている国語科20周年記念式典の予行が放課後行われた。つまり、予行のメインは、歌の練習なのである。私は、MW校生の、歌詞カードにひらがなのルビをふったりしていたのだった。さて、今回の20周年行事、F教頭先生がまさに弁慶の仁王立ちのように奮闘されている。F教頭先生は、凄い女傑で、その責任感と大局観、さらには人情の機微にふれる指導に私自身は感服している。今日は予行の最後に、F教頭先生から、生徒全員に魂のこもった指導があった。その中で、生徒に「本校のことを好きですか?」と呼びかけられた。あまりの唐突な一言であったのかもしれない。生徒はシーンと沈黙したままだった。それで、もう一度聞かれた。3年生を中心にハイという声や手が挙がった。普段の本校生のノリではない。私は、おそらく多くの生徒は、何事かと思索していたように思える。反応しきれなかったのであろう。さらにF教頭先生は、「先生方はいかががですか?」と聞かれた。ほとんどの先生方が、反射的に手を挙げたのだった。

 実は、その時私は、手を挙げなかった。その理由を考えている。最も大きな理由は、私の本校への想いは、「好きですか?」と問われ、手を挙げて示すという形では表現できないからである。2月1日付のブログで吐露したように、『猶余忠義塡骨髄』なのである。私は、本校への想いを、たとえば、8校合同仮想世界ゲームをユネスコスクールになれなかった本校で開催するとか、人知れず塾を回って生徒を集めるとか、他の先生方とは少し違った自分なりに考え抜いたうえでの『行動』でしか示せない。多少、へそ曲がりの論理だが…。
 軽いノリで手を挙げることは、私にはできない、というか、その時したくなかったのだ、と思う。

 F教頭先生にさからったつもりはない。先生は私の想いをよく知っておられる。おもしろいことに、2年生の生徒に「先生は、うちの学校が嫌いなんですか?」と問われたことだ。おいおい、後ろまで見渡してたのか?と思ったが、「ああゆうの、恥ずかしい。嫌いな人間が、本校のネクタイピンを毎日してるわけないだろう。」と言ったら、「よかったぁ。」と笑顔を見せたのだった。案外、恥ずかしかったのかもしれない。(笑)

 さて、昼から、今週金曜日に行われる大阪市立高等学校教育研究会(市高研と普通略する)の社会科部会の発表のために、今夏に作った「8校合同仮想世界ゲーム実施報告書」を印刷・製本した。U先生と、神戸大学文学部という場所をお借りして研究発表するのである。『猶余忠義塡骨髄』、体調はもうひとつだが、微力ながら御奉公させていただくつもりである。

2010年12月6日月曜日

拝啓コートジボアール大使様

デモクレイジー・Mrバグボ
 このところ、アフリカのニュースで、コートジボアールの大統領選挙のことが流されている。コートジボアールの奇跡的な発展から内戦へと転落していく様は、いかにも悪いガバナンスの見本のような話である。今回の大統領選は、国際社会が注視し、日本も選挙監視に関わったあげくに、現大統領が選挙結果を覆し、見事に居座り、野党のほうも大統領就任を宣言し、今日は互いに首相を任命したのだと言う。この辺は、新聞や下手なWEBニュースなどより、在コートジボアールの大使であられる岡村善文さんのブログ、http://blog.goo.ne.jp/zoge1が最も詳しいし、抜群に面白い。この岡村さん、調べてみると、イラクで亡くなった奥克彦氏と同期の若い外交官であるらしい。

 私は、某国で当時大使だった人物と出会い、大いに失望した経験をもっている。大使公邸でふんぞり返り、我々の失笑をかったのであった。ちょうど、阪神タイガースが優勝した年で、某女性教員に「君はどこのファンかね?」と聞き、「そら阪神ですやん。」と大阪弁で答えたら、「じゃあ、君にはケーキをあげない。」と言ったのだった。申し訳ないが、某大使は巨人ファンだとか。昔、『だから巨人ファンは馬鹿なのだ』という本があったが、その本に出てくるような人物であった。誰かが、「この国の良さは何ですか?」と質問したら、だいぶ考えたあげく「野生動物がたくさんいる。」と答えた。本物の巨人ファンである。ちょっとバカバカしいが、調べてみた。日比谷高校卒業らしい。

 以来、私は「外務省に入りたい」という大志をいだく教え子に、「そんな馬鹿になるような仕事をするな。」と言い続けてきた。せめて、この本を読んでからにしろと、奥克彦氏の事を書いた「砂漠の戦争」を読ませてきた。岡村大使は、奥克彦氏同様、他の外務官僚とは、すこし違うようである。なんか、ちょっと嬉しくなったのであった。岡村大使は大阪出身らしい。きっと巨人ファンではないのだろう。

2010年12月5日日曜日

キリマンジャロの雪が消える

  先週は、期末試験をつくるのでアップアップだった。4教科が試験の初日・二日目に固まるというのは、かなり破壊的にきつかった。しかも放課後は毎日のように補習か会議でつまっていた。月曜日は、現代社会の例のアフリカ画像(11月16日付ブログ参照)を、入試の為見れなった生徒に見せるという補習(この土日に近畿大学を受験する生徒向け)、火曜日は私が幹事長をつとめる学校の忘年会の会議、水曜日は地理Aの日本人生徒向けの補習(12月1日付ブログ参照)、木曜日は一般生徒の質問会、金曜日も、アフリカ画像補習その2…。もちろん、国際交流部の仕事も山盛りだった。疲れ、睡眠不足、ストレス…。たくさん食べて、たくさん飲んだ。そういえば、後輩のI先生と毎日のように、近くのラーメン屋の前の灰皿を目指して散歩し、缶コーヒーを飲んだ。
 H鍼灸院にいったら、我がホームドクターから「絶対血糖値が上がっています。脈拍も早いし、足の傷も危険な状態です。」と珍しくお叱りをうけた。あちゃー。昨日今日と、アホほど寝て体力回復を図ったのだが、あまり疲れが取れないのは、久々に聞く「血糖値」という呪縛だったのだ。妻が、一言、「自己責任やな。」と言ったのだった。…怖い。

 さて、本題である。このようなブルーな状況の化で、今日は一冊の新書を紹介したい。岩波新書の『キリマンジャロの雪が消えていくーアフリカ環境報告』(石 弘之)である。このところ、アフリカの暗部だけでなく、未来への希望が語られるアフリカ本が多い中で、この本(昨年の9月が第1刷)は、徹底して、暗部をえぐるような本である。環境問題をテーマに書かれているが、それは同時にアフリカがかかえる様々な分野の問題へと関心を向けざるを得ないことになる。特に、人口問題は、様々な影響をアフリカに与えて行く。農村の疲弊、都市化とスラム、エネルギーとしての木材消費、可放牧と砂漠化、農業の変化…。
 そこそこアフリカの事情に詳しい私でさえ、読んでいて苦しくなるほどである。初めてこの本からアフリカにふれたら、投げ出すであろうと思えるほどの内容である。著者のプロフィールを見ると70歳にならんという年齢である。だからこそ、著者のアフリカへの愛情が痛いほど伝わる本でもある。なんとかしなければという熱い想いが、容赦ない記述になっている、誠に失礼な言い方になるかもしれないが、この本は石氏の「アフリカ留魂録」だと私は思う。

 アフリカに関わり、アフリカを愛し、アフリカへの想いを綴った、きびしくも温かいアフリカ本である。

2010年12月4日土曜日

天皇制が支えた「なあなあ」?

  2日(木)の毎日新聞夕刊に、アメリカの日本学者の主張が載っていた。タイトルがなかなか面白い。統帥権の話を書いているので、なにかの参考にと置いておいた。是非、拡大して読んでいただきたい。
私は、彼の言う「天皇制の下では、経済的な利害関係も、共同体のあり方の問題として扱う事が出来た」「天皇制がさまざまな矛盾を隠す役割を果してきた」という考え方は、面白い視点だと思ったが、若干異論がある。彼は、アメリカ人であり、当然欧米的な思想の枠組みの中で、日本を捉えていると思うのである。日本の思想の大きな部分を、極めて集団主義的な構造が占めていることは当然であるが、天皇制と完全にイコールで結び付けるのはどうかと思う。(デリダのいう差異の概念を使わせてもらいたい。)必ずしも、イコールではない。天皇制が完全に下火だった江戸幕府でも老中の『なあなあ』は存在したし、いくらDNA的な問題だといっても、今の若者たちに「天皇」という存在はあまりに遠い。(うちの生徒も、日本史で習う天皇の名前は知っていても、今の天皇の名前を知らない。)したがって、彼の善と悪二元論的な(これはたぶんにキリスト教的な)割り切りは、危険ではないか。労働運動の話も出てくるが、彼らは個人として自立して、また階級闘争と真に理解して経営者側と対峙したとは思えない。
ただ、日本文化の根底にそういう「日本という社会集団の象徴的リーダーとしての構造としての天皇の存在」を見ることは可能だと思うが、彼の言う単純な「ファシズム」的権力維持装置としての天皇というのは、戦後の数年を除いて今や現実的な捉え方であるとは思えない。そもそも、富裕層と中間層が結合したこと=ファシズムというのも、ナチズムの歴史から見れば言えないこともないが、あまりに誇張がすぎる。ならば、アメリカの戦後史は全てポピュリズムでありファシズムであると言うことになってしまう。視点は面白いが、この記事を読む限り、欧米的なスタンスから抜け出ていない日本論であると私は思ったのだが…。

なにか、小論文指導の為に、自分で課題を設定して、模範解答を書いたような気がする。(笑)

2010年12月3日金曜日

統帥権の近現代史への影響Ⅲ

「龍馬伝」が終わって、「坂の上の雲」がNHKで再放送されている。まもなく第2部が始まる。私は司馬遼太郎の作品は大好きだ。ただ、司馬遼の筆力があまりに凄いので、全てが真実のように思えてしまう。特に、この「坂の上の雲」は、歴史小説でありながら歴史小説以上に迫ってくる。素朴に小説に書かれていることが事実だと信じてしまうことは、極めて危険であると思っている。フランクフルト学派のホルクハイマーやアドルノの言う「啓蒙の理性」的な危険を強く感じるのだ。
先日書いた徳川慶喜の捉え方など、司馬遼と山岡宗八とほぼ対蹠点にあったりする。特に「坂の上の雲」は、様々な左右の学者から批判を受けているのだが、なかなかこの歴史小説を超えられないように思う。第2部は、いよいよ日露戦争に突入である。NHKのHPによると、最終回が「広瀬、死す」となっているので、旅順艦隊を撃滅するあたりまでかと思われる。まだ、このあたりまではいいが、特に旅順攻略戦の乃木稀典の戦略云々や、日本海海戦の東郷平八郎や秋山真之の英雄譚あたりになると、様々な異論があるようだ。私は、何度も言うように、司馬史観は嫌いではない。だが、あえて批判本を読みたい。再放送が始まって、そう思っていた。そんな中で、先日、中公文庫の検証/日露戦争(読売新聞取材班)を見つけた。今年の9月15日発行である。「坂の上の雲」にとって、なかなか良い批判本である。

枕が長くなった。本題は、統帥権の話の第三弾である。前回のブログ(11月28日付)で、天皇は「玉」であり、専制的ではないことについて述べた。この「検証/日露戦争」に面白い記述がある。長いので趣意を書くと…。
日露戦争開戦の前年、国家戦略として日露開戦やむなしと御前会議で決定する。この時、桂太郎首相は戦争に賛成しながら辞意を表明。伊藤や山縣も火中のクリを拾わない。天皇は、伊藤をおだて、山縣の助言をあおぎ、桂を激励するなど並大抵でない心配りを見せ、桂を留任させるのである。また、旅順攻撃がうまくいかなかったのを見た天皇は、総司令部を現地から東京に移してはどうかと大胆な提案を行う。この提案は、結局桂や元老が、現地軍の士気が下がると反対したので天皇は自ら取り下げたという。この事実は、天皇が建前だけの『大元帥』ではなかったことと同時に柔軟で弾力性に富んだ姿勢をとっていたことをうかがわせる。(これは公式記録の明治天皇紀にあるらしい)様々な明治天皇の研究書でも、「独裁君主にはほど遠く、臣下に助言し、臣下の忠言を容れ、臣下と運命を共にする少数集団指導体制グループの長」という共通した見方があるそうだ。「君臨するだけの君主でも、独裁君主でも、あるいは平和主義者でもない明治天皇」というのが、どうやら真実らしい。統帥権を語る上で、重要な問題であると思われる。少なくとも、日露戦争時は、政府内では、統帥権が独り歩きはしていないことがわかるのである。

いろいろな立場から書かれた本を読み、自分で思索することは楽しい。

2010年12月2日木曜日

サウスダコタの航空博物館

B1-B 現在は展示されているらしい
今日も授業は横道にそれっぱなしであった。来週期末考査が始まるが、初日・二日目に私の試験4教科が集まっている。まさに時間との戦いで、かなり疲れているからかもしれない。(まあ、絶好調でも良く横道にそれるけれど…。)日本史Bで、軍制の話をしていた。日清・日露戦争を語る為の前節だったのだが、どういうわけかアメリカ航空博物館の話になってしまった。私は、6回アメリカに行っているが、だいたい軍関係の展示をしている博物館に必ず行っていることになる。ワシントンDCのスミソニアン航空宇宙博物館は2回行った。NYCのイントレピッド航空宇宙博物館も行ったし、サウスダコタ州ラピッドシティ近郊の航空宇宙博物館も行った。それからサンディエゴの航空宇宙博物館にも行った。先日Uボートの画像を載せたシカゴの科学産業博物館も、それ系の展示が充実している。一気に語るにはもったいなので、今日は、サウスダコタの航空宇宙博物館について述べたいと思う。
  この博物館を知ったのは、AAAのガイドブックである。(JAFで手に入れたものだ。もちろん全部英語であるが、そんなに難解な英語ではないので辞書なしでも、ほぼ読める。)ラピッドシティに着いて初めてアメリカでハンドルを握った私は、R90を東へ走った。この博物館は、実は戦略空軍基地に併設されており、なんと戦略空軍基地のツアーまであるのである。戦略空軍というのは、地域的な戦闘(戦術)ではなく、大陸間弾道弾も含めた大局に立った戦争を大きく左右するような任務を帯びた空軍とでも言えばいいのだろうか。要するに普通、公開するか?!というような基地なのである。
 博物館の広大な駐車場にレンタカーを止めた私の耳に、凄い爆音が覆いかぶさってきた。基地所属のB-1Bが、超低空(50mくらいか)で頭上を飛び、凄い角度で旋回していく。アメリカ軍では、Bと最初につく軍用機は爆撃機である。(ちなみにAは攻撃機、Cは輸送機、Fは戦闘機である。)ステルス機能を身にまとった可変翼の爆撃機である。実物の迫力に、かなりビビッたのであった。さて、博物館の建物自体はそう大きくない。ほとんどが野外展示なのである。入場券を購入し、ツアーを申し込みにいくと、オバサンがいて、今日はツアーは中止だと言う。よくきくと、在タンザニア米大使館が爆破された影響だという。良く見ると星条旗が半旗になっていた。運が悪かったとしか言いようがない。オバサンもせっかく日本から来てくれたのにと同情顔である。(アメリカの田舎のオバサンは極めて親切でフレンドリーである。)

B-29
とにかく、青空の元で、飛行機を見に行く。やはり目玉はB-52である。ベトナムで無茶苦茶爆弾を落したんだろうなあと思いながら、端から端まで見て歩く。さらにB-29もある。こいつは日本に爆弾の雨を降らせた奴だ。見学者で見るからに品のよさそうなおばあちゃんが、声をかけてきた。「どこから来られたの?」「日本の大阪です。」「それは遠いところから…」つい、口が滑ってしまった。「私の祖母(詳しく言うと父方の祖母)は、このB-29に殺されました。(神戸の空襲である)」「あら…。それは、申し訳ないことをしたわねぇ。」と頭を下げられた。あいやー、そういうつもりはなかったのだが…。今思えば、おそらく私の無意識層に、アメリカの航空宇宙博物館に必ずある『リメンバー・パールハーバー・コーナー』への憤りがあったのだと思う。おばあちゃんは、「彼が私のハズバンド。昔軍でパイロットをしていたの。」と、B-52をじっーと見つめているじいちゃんを指差した。なるほど。

 「すみませんでした。余計なことをいいました。」と頭をさげると、「今は、日本はアメリカの友人ですよ。」と、おばあちゃんはまるで国務長官のような発言をしたのだった。

2010年12月1日水曜日

MW留学生s in 地理A

今年のMWs
先週の月曜日に、1人遅れて来日したWさんを入れて、現在6名のMW留学生が本校で学んでいる。彼らは、日本語を学んでいるが、日本語での普通の授業を受けれるほど日本語が達者であるというわけではない。いくら本校でも、英語で普通教科を教えることができる教員は、そういない。彼らの時間割の中で唯一、英語科以外の普通教科がある。それが私の地理Aである。こう表現すると、恰好いいが、当然、私は、英語で授業できるほどの英語力はない。まあ、いつものサバイバル・イングリッシュで頑張っているわけだ。だいたい、日本語60%、偽英語40%というところである。英語科の1年生の選択クラスで15名ほどの授業である。ここに6人が混じっている。当然、進度は遅くなる。本来本校生にしている授業だし、期末考査もある。今日は、アフリカの農業が、モノカルチャーのプランテーションであるというのは幻想である、ということを資料を通じて教えるのが最大のテーマだった。出てくる言葉は、「輸出総額に占める農産物の割合」とか、「可耕地面積」とか、やたら難しい。(常設ページ:高校生のためのアフリカ開発経済学テキスト参照)
 さすがに、サバイバル・イングリッシュではどうにもならない。そこで、最初日本語で説明し、本校生が留学生に教える、というプランを思いついた。ただ、前述のような難解な日本語を一応英語で教えておいた方がよい。彼らの担任で英語科のR先生に英訳をしてもらい、私は、それをメモっていざ授業に臨んだのである。なかなかいいアイデアだった。本校生は、懸命に留学生に伝えようとしており、留学生も真剣に聞いている。(今年のMWsは、無茶苦茶ファンキーであるのだが、私の地理の時は極めて真面目だ。ちょっと不思議である。)面白かったのは、韓国の出身どうしの本校生とMW生が並んで座っているのだが、ハングルで説明していた。(笑)「OKスミダ?」と聞くと「ダイジョウブデス。」という返事が返ってきた。(笑)また、せっかく英訳してもらった英語を、カタカナ表記でメモしたものだから、発音が悪く、全然通じなかったりもした。本校生から、大笑いでブーイングも出た。
 さてさて、こんな授業だから、試験範囲まで届かなかった。その分、本校生に対しては、後の補習で補ったのであった。当然日本語100%である。
  ふー。疲れたのである。(笑)