2010年12月17日金曜日

2の文明はおもしろい

 期末考査後、正規の倫理の授業では、やり残していた中国哲学をやっている。(センター補習の方は、すでに夏休みに終わっている。)森本哲郎の『そして文明は歩む』という古い本があって、そこには、0の文明、1の文明、2の文明、3の文明、そして無限大(∞)の文明といったカテゴリーが示される。結論から言うと、0はインド、1はユダヤ・イスラムなど一神教、3は三位一体のキリスト教、そして無限大は日本などの多神教文明をそれぞれ意味する。要するに価値基準というか、普遍的な正義の基準がいくつあるか、といった分類なのだ。まあ、完全に納得のいく分類ではなにせよ、面白い。
 で、2が中国文明なのである。儒家と道家、孔子と老荘、中国人君子は、その二面性の中で生きてきた。唐の詩人などまさにその典型なわけである。

 さて、今日は授業でこんな話をした。昔々、上海から南京へ行った時のことである。Rさんという日本語の現地ガイドが案内してくれた。まだまだ発展途上の上海である。やっと空港と市内を結ぶ高速道路ができた頃の話である。上海のバンドを散策しながら、私は文革の震源地である上海を想い浮かべていた。Rさんにそんな話をすると、「そうですねえ。」と気のない返事であった。「ああ、文革は中国にとって心の傷なんだ。」と妙に納得していた。何故なら、Rさんは、現代中国史にとって最も忌むべき日本の言葉を学び、日本人をガイドするという『走資(資本主義に走る)派』だと私は思っていたのだった。さてさて、南京では、南京事件の時の中山陵にある銃創なども、Rさんに見せてもらったりした。だんだんと打ち解けてきたRさんは、南京から上海へ帰る列車の中で、私にこんなことを言ったのだった。「実は私は、最後の紅衛兵なのです。文革末期の最も若い紅衛兵でした。」びっくりした私は、思わず聞きにくい質問をぶつけた。「Rさんは、日本語を学び、日本人をガイドすることに矛盾は感じないの?」「中国は、唯物弁証法の国です。したがって矛盾が存在することは否定しません。」私は思わず唸ってしまった。「…なるほど。」

 生徒たちには、ヘーゲルの弁証法もマルクスの唯物弁証法も一応教えている。そのうえで、中国は2の文明であると語り、この話をすると、見事に「なるほど!」と納得してくれた。紅と専、社会主義と資本主義、この2つの矛盾を、唯物弁証法というヒトコトでくくってしまう中国的思考。儒家と道家だけでなく、現代にもこういう2つの文明の中国は生きていたのだった。

 普通、中国思想を夏にやってから、西洋哲学をやるので、この逸話は説明できないのだが、今回は西洋哲学をやってからなので理解できるのである。たまには、こういう順番で教えるのも悪くないと思った私であった。

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