2010年12月30日木曜日

薩摩スチューデント、西へ

 林望(リンボウ)先生の時代小説の文庫本『薩摩スチューデント西へ』(文庫本としては12月20日初版)を昨日読み終えた。幕末、薩長同盟が成る前に薩摩藩が送りだした15人の学生と4人の秘密使節のイギリスへの渡航記である。この中で著名な人物としては、五代友厚、森有礼、寺島宗則らが挙げられるが、そういうことは全く問題ではない。当時の薩摩藩の俊英は、すなわち朱子学的な漢学の素養と当時の薩摩の藩論であった尊王攘夷論と、およそ武士らしき武士としての訓練を幼少から受けた者たちである。中には若干洋学の素養をもった者もいたわけだが、その薩摩気質は変わらない。そんな、およそ武士らしき武士が、見るもの聞くもの全てが超刺激的な海外に出て行くのである。
 
 香港、シンガポール、マラッカ、セイロン、ボンベイ、アデン、紅海、スエズ、カイロ、アレクサンドリア、マルタ、ジブラルタルと、航海が進むにつれ、イギリスの近代的技術の凄さを段階的に知っていく。その度に『攘夷』の無謀さを、否が応でも認識していくのである。羊肉、アイスクリームなどの食事、堅牢な要塞、客室の水洗便所…。このような近代工業力に、刀や槍で対抗することの無謀さを極めて経験論的に知ることになったのである。ほぼ全編、そういう内容である。

 この小説で、重要な部分は、もう1つある。ロンドンで学生たちが、中部の工業都市べドフォードのブリタニア鉄工所で、蒸気機関で動く農業機械の工場を見にいった際の話である。この時、薩摩の19人は、科学技術的な専門的質問を浴びせたり、あるいは経営学的な視点から専門的な質問を行って、イギリス側を驚愕させた。しかも、実際にその農業機械の運転技術を即席で学び、見事に運転してみせたことである。

 この時のイギリス人は、アジア人でありながら、他のアジア人とは全く違う”日本人”という存在を認めたのである。(実際に新聞に掲載された内容が記してある。さすがリンボウ先生の作品である。)

 この作品のテーマは何か?「開国」こそ正義である、それゆえ薩摩がこのような留学生を送ったのだ、というものなのだろうか?私は違うと思う。この作品は、薩摩の留学生というシチェィションで「攘夷」の思想の歴史的な意義を問うたものだ、と思うのである。その「開国」の前段階の思想としての「攘夷」があった故に、日本は植民地化を免れたのだということが、真のテーマだと考えるのだ。彼ら俊英の根底に「攘夷」があればこそ、真剣に学ぶことが可能になった、その最大の象徴的出来事が前述のブリタニア鉄工所での「学び」である。 

 松平定知氏は、解説の中で、およそ次のように述べている。林望先生は、第18章を「龍動」と書いてロンドンと読ませている。彼らのロンドンでのついに到着したという心象と驚きを、「龍動」という語で表現している。たしかに「倫敦」という字ではその心象を表せない。

 私は、この動く「龍」を「彼らがいつか昇華させるべく心の奥底に沈めた攘夷思想」だと見たい。

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