2010年12月28日火曜日

軍神 広瀬武雄のヒューマニティ


坂の上の雲の広瀬武雄
坂の上の雲の第二部が終わった。普通、そういう感想はすぐ書くものだが、昨日の『第0次世界大戦』を見てから書こうと思っていたので、今日になった次第である。共通項は日露戦争である。司馬遼の原作を読むと、日本がロシアに引きずられ、止むにやまれぬ生存をかけて日露戦争を戦ったのだという印象が強くなる。まあ完全に無謀な戦いであったが、帝国主義の弱肉強食の時代、仕方なかったのだという司馬史観を強く感じる。一方、昨日のNHKの『第0次世界大戦』では、ドイツやイギリス、アメリカの思惑が錯綜していた状況を暴き出した内容だった。自国の軍事的・外交的フリーハンドを得るためにロシアの極東進出を後押しするドイツと、ボーア戦争で四苦八苦していたイギリスが、中国権益を守るために日本を必要としたこと、またアメリカが中国の門戸開放を進めるために日本を必要としていたこと等が、この日露戦争を演出したのだという論である。この第0次世界大戦という観点は、後輩のU先生と語りあう中で、既に話題になっていたのだが、なかなか面白く見させてもらった。
 当時の日本の感覚から見ると司馬遼的にならざるを得ず、同時にその根底には各国の世界戦略が見え隠れするのであろう。

 ところで、坂の上の雲は、「龍馬伝」に比べて演出に品がある。第二部最終回の広瀬の死の描き方など、ちょっとしたメロドラマ風であった。アリアズナの時計が、旅順の海に沈んでいくシーンなど俊逸である。広瀬武雄という人は、「軍神」である。この「軍神」にまつられた経過は、先日読んだ「検証 日露戦争」にも詳しく書かれていて、日露戦争緒戦で士気をふるいたたせるための大本営の広報戦略によるものであるが、今回の「坂の上の雲の広瀬武雄」は、完全にそれを払拭したと私は思う。

 広瀬武雄とアリアズナとの悲恋のような人間の存在こそが、戦争の本質なのか。ドイツやイギリス、アメリカの国家戦略に踊らされた日露の悲劇が、戦争の本質なのか。この2つの番組を見ていて、その両方を教えていくべきなのだ、と考える私であった。

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