2021年8月24日火曜日

ふと思ったこと。

一昨年の三崎まつり
三崎高校のある先生と話していて、今年の三崎まつりは中止の方向だと知った。あの奇祭を今年も塾の若い講師陣に見てもらえないと思うと悲しい。ふと、気が付いた。私は昔から、その学校の”良き時代”を必ず経験している、と。

三崎高校でも、三崎まつりはもちろん、せんたんミーティングもせんたん劇場も見ている。今はコロナ禍でなかなか難しい。全校で3クラスという超小規模校だったが、国立大学に4人も合格した。そういう意味でも”良き時代”だった。

マレーシアでのPBTも、最初に受け持った国費生(F36)は極めて優秀で、私が担当した総合科目の平均点は(教え方はもうひとつだったのに)信じられないほどよかった。浴衣を着て、パナソニックの盆踊り大会にも行けたし、当時皇太子であられた天皇陛下のマラヤ大学での講演、日本人会へのご訪問にも立ち会えた。新世紀リーダー塾にも生徒を送り出してマハティール氏と会ってくれたし、まさに”良き時代”を過ごしている。

その前のH高校でも、私が転勤した時は、各部活の大御所の先生方が健在であった。転勤後すぐに硬式野球の春季近畿大会で、藤波(当時O高校、現阪神)にコテンパンに抑えられる試合を見た。(笑)その後5年間のうちに、次々に体育の先生方が転勤させられ、若い講師が一気に増えた。私は”良き時代”に転勤したのだった。

さらにその前のM高校でも、転勤した頃は大阪外大が健在で、センター試験後、毎年何人かの3年生が、センターの点数と見比べながら、どの言語を選ぼうかと地理の教師である私に相談に来た。私の担任した3年の時に、大阪外大は阪大外国語学部となり、特に前期試験が一気に難化した。結局、神戸市外大に上位層は行くことになった。やはり”良き時代”を私は経験したのだ。

さらにさらにその前のI工業高校でも、T商業高校でも”良き時代”を経験している。主に教員間の人間関係の面で、若い教師を育てるという気風があった。

こういうラッキーさを私は持ち合わせていると、今更ながら実感したのだった。同時に、人間関係にも恵まれてきた。もちろん、とんでもない人間もいたけれど、およそ脇士として支えてくれた人々がいて、ホント幸せ者であると思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿