2010年1月17日日曜日

「1.17」にハイチを想う 


 今日は、関西人にとって忘れられない日である。あの日凄い揺れで飛び起きた。だが、まさか神戸があのようなことになっているとは思わず、いつもどうり家を出た。学研都市線は完全に止まっていたので、当時携帯電話も持っていなかった私は家に戻った。その時点で神戸の様子はTVで放映されていた。高速道路の崩壊、火事…。しかし、もう一度駅に向かった。やはり止まったままだった。また自宅に戻った。(我が家は山麓にあるといっても過言ではない。2度も戻るとクタクタになった。)大阪市内に住むU先生に電話してみた。市内も電線が落ちていたりして危険だという。「では今日は休む。」「そのほうがいい。」とのことで、後は一日中TV画面にくぎ付けだった。後に西宮まで阪急が動くようになってボランティア活動をした。薬を配っていたが、涙が出た。さらに1年後、避難場所となっていた神戸の小学校の教頭先生の手記をもとに、『いっせいに芽をふきだした雑草のように』というストーリー・コーラスという形式の劇の脚本を書き、演出した。被災した子供たちへの激励、自暴自棄になる避難者への対応、疲れ切った先生方を引っ張り、晴れて卒業式を迎えるという実話である。卒業式では、コーラスのメンバー(彼らはずっと舞台の後方で団をなしている)が、児童の役となり、卒業の言葉を繋いでいく。タイトルとなった、『いっせいに芽をふきだした雑草のように、私たちは旅立っていきます。』という全員の最後の呼びかけに、演出していた私も泣けた。
 さて、ハイチの地震である。ハイチは遠い。しかし、日本政府の対応の遅さは何だと私は思う。国益云々から言えば、ハイチのような最貧国には、おざなりの支援でよいと考えたのだろうか。すぐに自衛隊ともども重機を送らんかい!この不況で、建設業界は重機が余っているはず。どうせ1年や2年ハイチには絶対必要だ。技術指導して、そのまま置いて、後のインフラ整備に一役も二役も買わんかい!様々な問題はあるだろうが、まずスピードである。イライラするのである。しかし義捐金を出す気が起こらない。ハイチ政府には義捐金を送ってはならない、きっと被災者に渡らないだろうという確信がある。なぜなら…
 ハイチの地震の報道では、ハイチ政府のガバナンスの悪さが際立つ。ハイチは中米一の失敗国家である。と、いっても我が愛するブルキナファソなどよりHDIは高いが…。この地震を通じてポールコリアーが言うように、先進国が、財政や行政を第三者として監視し、透明性を高め、ガバナンスの向上を図るほうが良いと思えてくる。そのための国際的な法制化は、「第二の植民地化だ。」という批判があろうとも、必要悪であると私はには思えるのである。何よりも大切なのは、人命であり、アマルティア=センの言う「貧困」克服である。

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