2024年3月30日土曜日

アーネスト・サトウを読む。2

https://www.gale.com/jp/c/the-papers-of-sir-ernest-mason-satow
「一外交官の見た明治維新(上・下)」の書評、第ニ回目である。数多くの植民地支配を行ってきた大英帝国の外交官であるアーネスト・サトウは、当然のように対象国の知識を集めている。これは伝統的な大英帝国の外交官の重要な職務であるようだ。

第三章「日本の政情」で、私がまず面白いと思ったのは、次の記述である。「当時の外国人は、日本の政情を次のように想像していた。主権者たる将軍と2・3の手に負えぬ大名との間に政治的な闘争が始まっている。これは将軍が無力で、その閣老が無能なため宗家たる将軍を無視するにいたった大名が、神聖な日本の国土を「夷狄」の足で侵させ、貿易による利権をすべて将軍家の手に収めさせるような条約に対して不満を抱いたために起こった闘争である。(要約)」

…要するに、(琉球密貿易で藩財政を立て直した)薩摩藩や、雄藩として様々な商品作物を開発、財政を豊かにしていた長州藩、土佐藩などが、幕府の開国によるさらなる利権独占に反対していたという視点は、当時の政情の一面を見事に捉えている。だが、アーネスト・サトウは違う見方をしているのである。

まずは、その後、天皇制と絡んで、日本史の教科書を読んでいるような詳しい内容が書かれている。見事である。今と違い情報量の少ない当時に外国人がこのような、かなり詳しい歴史認識を持っていたというのが不思議ですらある。さらに深い洞察(経験知でもある)だと思うのは、「将軍家も大名も愚鈍な傀儡に成り下がり。大大名の権力は名目上のものとなり、その実は家臣の中でも比較的に活動的で才能に富んだ者(その大部分は身分も地位も低い侍)が大名や家老に代わって権力を行使するようになった時1868年の革命が出現した。(要約)」という記述が出てくる。

…当時の社会構造への考察である。まさに封建社会の金属疲労が露呈したわけだ。これは、彼が薩摩や長州の中心者と懇意だったことから得た「経験知」であることは間違いない。薩摩は、島津斉彬という名君が下級武士であった西郷を引き立てた。その盟友大久保は、島津久光に取り入り力を得る。大久保は下級公家の岩倉と組んで権謀術数を振るう。長州もそういう一面がある。最たるものは、伊藤や山縣であろう。(木戸や高杉、井上馨などは比較的身分が高い。)土佐は、浪人だった坂本や中岡が有名だが、山内容堂はかなり保守的で、鳥羽伏見以降、後藤や板垣に引っ張られた格好になっている。

このアーネスト・サトウの「一外交官の見た明治維新(上・下)」を読み進めるうちに、維新の功労者たちの新たな側面の発見があるかもしれない、そういう期待が湧いてくる。

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