2024年3月5日火曜日

高校教育現場の社会学3

高校教育現場の社会学その3である。今回は学歴というか、出身大学から見た私の私感である。もちろんタイトルは社会学であるから、それなりの法則性を打ち出したい。(笑)
これまで多くの教育現場を歩んできた。京大・阪大・神大などの国立の難関校、大教大・京教大などの国立教育大学、現大阪公立である市大・府大・大阪女子大などの公立校、地方の国立大学、関関同立とそれに続く様々な私立大学(私はここに含まれる。)といったような出身校があるのだが、私の見た公立高校の現場では、関関同立出身者がメジャーだった。これが第一のテーゼである。

ここに、国公立の大学出身者が交じるのだが、京大の出身者は自分の出身大学のことは決して自ら口にはしないという特徴があった。周囲からもれ伝わる感じ。なるほどと思える優秀さ(教養のゼネラルさや事務能力の高さ)を持っている。一般の京大出身者からすれば高校教師という道はマイナーだろうが、部活の指導をしたいとか、家庭教師や塾で教える喜びを得たとかでこの職にある人が多い。もちろんだが、教科の専門的領域にはすこぶる詳しい。阪大出身者も同様だが、優等生のイメージがつく。神大出身者は、自分の出身校を自ら名乗ることが多い。難関校出身者には、この辺の微妙なスタンスがある。これが第ニテーゼ。関関同立の出身者の中にも、そういった微妙な空気がないことはないのだが、メジャーであるという安心感があまり目立たせない。

関関同立に続く私立出身者については、自らの専門領域や部活指導、クラス運営などで、その力を発揮する人が多かった。メジャーではないが、それ以上の働きをしようという微妙なコンプレックスがその原動力ではないかと私は推測する。これが第三のテーゼである。

公立の高校教師の世界は、給与面や校務分掌で長になることにおいては、全く学歴による差はないといえる。完全な実力社会だとは言わないが、それなりの教師集団内のコンセンサスが必要である。ただ、管理職となると、やはり学歴は少なからず見られるような気がする。というより、高学歴であればそれなりの管理職を目指すという資質を持っているといった方がいいかもしれない。ただ私の知る京大出身者はそのルートを好む人はいなかった。

高校教育現場では学歴は、あまり意味を持たない。そもそも企業と違って、その優秀さや実績を明確に数字で表すことはできないし、求められる資質も異なる。専門領域の学識が高くても、教える生徒にどれだけうまく伝えられるかが重要だし、コミュニケーション能力も大きい。まあ人間力がものをいう世界である故、学歴は教師にとってそれほど重要ではない。ただ、受験指導の際は、それを乗り越えてきた自分の歴史そのものであるから、私は大いにリスペクトする。だが、当然それを乗り越えるべく努力する微妙なコンプレックスが働くので、勝ることはないだろうが劣ることはないと思っている。

まとめると、(大阪の)公立の高校現場では、関関同立出身者がメジャーで、サンドイッチのように国公立層とその他の私大層がそれをはさんでいる。高校現場での学歴による優劣は、それぞれがプライドやコンプレックスを内在しながら働くし、受験指導以外の教師の重要な資質とは関連しない故にあまりない。ただ、管理職を目指す層は京大を除く国公立層に多い、ということになる。

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