2015年2月1日日曜日

船尾修氏「スーダン人の人の良さ」

後藤さんの悲劇を受けて、船尾修氏(写真家)の「スーダン人の人の良さはいったいどこから来るのだろうか」という一文をささげたいと思う。この文はDoDoWorldNewsの最新号(道祖神)にの掲載されたものである。

スーダンという国はアフリカでも最大級の面積を誇る大国でありながら、存在感が大きいとはいえない。実際に訪れたことのある人も少ないだろう。90年代にはあのオサマ・ビンラディンが滞在していたので、アメリカからテロ国家と呼ばれて空爆を受けるなど、どちらかというと日本人には負のイメージが強いと思われる。ただスーダンの名誉のために書き添えておくと、当時アメリカ政府は「世界に脅威を与える化学兵器を作っている」という言い分で空爆したのだが、実際に破壊された工場は何の関係もない民間の医薬品製造会社だったことが明らかになっている。

最近では、西部のダルフール紛争や南スーダン独立など政治的に不安定な時期が続いているため、日本人からはますます遠い存在になっている。純粋に旅を楽しんむ目的でスーダンに入国する人はどのくらいいるのだろうか。
しかし僕が知る限り、スーダンをしばらく旅したことのある人は、例外なくスーダン人の人々のホスピタリティを褒め称える。外国人に対してとにかく人懐っこく、優しい笑顔を投げかけ、歓待してくれる。観光立国である隣国のエジプトでは話しかけてくる人のかなりの割合が商売目的であるのと対照的に、スーダン人はとにかく下心抜きで純粋に外国人に接してくる。好き嫌いは人によってもちろん異なるだろうが、人の良さという面ではアフリカ大陸においてスーダンはダントツに抜きんでていると思う。

エジプト国境のワディ・ハルファという村からイギリス植民地時代に敷設された列車に乗って首都ハルツームに向かったことがある。途中で列車が立ち往生し、数日間ヌビア砂漠の真っただ中で過ごす羽目になった。持参の水と食料が切れたが、同乗のスーダン人たちから次々と差し入れをいただいた。しかし彼らとて余分を持参しているわけではなく、僕の代わりにじっと空腹に耐え忍んでいた。そういう人たちなのだ。街では木陰で甘いチャイを飲ませてくれる店を数多く見かけたが、代金を受け取ってくれないこともしばしば、何事にも不慣れな旅の外国人をとにかくもてなしたいという気持ちがいつも伝わってきた。

やはり国土の多くが砂漠という厳しい環境にあることが、そのような性格を形成しているのだろうか。助け合わないと生きてゆけない世界。ニュースなどで巷に流れている負のイメージというものがいかにいい加減であるか、それはやはり実際に旅に飛び出して身体でナマの人たちと接しないとわからないものなのである。

…私は、船尾氏のいう「砂漠の民としてのスーダン人のやさしさ」は同時にイスラム教徒として、旅行者を大事にする神の教えを忠実に実行する信仰心からくるDNAであると思っている。今回の後藤さんの件で、フツーのイスラム教徒が、イスラム国のような残忍な行為をするわけではない。この当たり前の事実を再確認したい。そうでないと共生の未来はない。それを、後藤さんは何よりも望んでいたはずだ。後藤さんのご冥福を心から祈りつつ…。

0 件のコメント:

コメントを投稿