2015年2月19日木曜日

毎日 ボコハラムとカヌリ人

毎日の朝刊に、興味深いボコハラムの記事が載っていた。ボコハラムが、このところイスラム国同様、ニジェール・チャド・カメルーンの国境を越えて侵攻していることについて、ナイジェリア北東部と接するこの3国には、カヌリ人(カヌル語は、ナイル・サハラ語族に属する方言連続体で、約400万人が話すという。)が多く住んでいる。ボコハラムの戦闘員の多くもカヌリ人であるとの情報もある。ナイジェリア北部では、ハウサ人がマジョリティである。ナイジェリア全体でも実験を握ってきた。その反発と9世紀から19世紀までカヌリ人の国家として存在していたカネム・ポルヌ帝国の再興をめざしているのではないかという、一部専門家の分析があるという。

当然ながら、ナイジェリアとニジェール、チャド、カメルーンは、19世紀のベルリン会議でほぼ分割され現在の地政が決められている。ナイジェリアはイギリス、ニジェールとチャドはフランス、カメルーンはドイツという具合である。(その後カメルーンはWWⅠ後さらに英仏で分割された。)国境線は当時の列強によって引かれたものである。これは歴然とした事実である。

ボコハラムの非道は今更言うまでもないが、その背後にこのような事実が隠れている可能性があることを知っておきたい。

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