2023年3月12日日曜日

山本七平 「臨在感」

「山本七平の思想」のエントリー再開。『空気の研究』の中で、日本人がたやすく「空気」に支配されてしまう理由を「臨在感」という言葉で説明しようとしている。「臨在」とは、英語ではPresenceで、宗教的には神だまさにそこに居ることを意味する。しかし、七平の造語である「臨在感」は、単なる物や言葉に影響力が潜んでいるかのように感じてしまう心理的な習慣のことである。七平が例として挙げているのは、カドミウムの塊を記者団に見せたところ、慌てて飛び退いたという話である。カドミウムが人体に影響するのは、酸性土壌の中でイオン化して農作物に蓄積され、あるいは飲料水に溶け込んで、それらが摂取された場合で、カドミウムそのものに触れても問題はない。公害の元凶とされるカドミウムが置かれると、日本人は反射的に恐怖を感じて体が動いてしまうのである。こうした日本人の「臨在感」について、七平は日本人の宗教観がアニミズムに根をもつからだと論じている。日常の思考が論理的かつ科学的なものになりにくいというのである。

この指摘は従来から指摘されている。天台の「草木国土悉皆成仏」は、インドや中国仏教にはない。全ての生物の成仏が唱えられている。中村元は、こういう習合あるいは宗教的混淆(こんこう)は、仏教思想に限らず日本に入ってくる思想は、ほとんどすべて現実肯定的な日本的思惟に作り変えられてしまうと指摘している。『日本人の思惟方法のうち、かなり基本的なものとして目立つのは、生きるために与えられている環境世界ないし客観的諸条件をそのまま肯定してしまうことである。諸事象の存する現象世界をそのまま絶対者とみなし、現象をはなれた境地に絶対者を認めようとする立場を拒否するにいたる傾きがある。』(中村元/日本人の思惟方法)

世界を自分と同類のものとして肯定的に見るため、同情的な気持ちが優先して、欧米人のような厳しく突き放した、批判的な見方ができないというわけだ。…示唆に富んだ指摘、ではある。インドのウパニシャッド以来の多神教的伝統に則っているといってもいい。欧米思想が絶対的、優位であるなどとはブディストの私は全く思わないが。

「空気」から抜け出す方法について、七平は「水」を挙げる。水を差すという表現にあるように、蔓延しつつある「空気」に対して、「水」をさすことによって批判的な気持ちを生み出し、現実に引き戻されるというわけだ。

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