薩摩藩は、島津斉彬の時代、篤姫(斉彬の養女)を第13代将軍家定の正室にすえ、一橋慶喜に禅譲をさせようとしていた。一橋派(水戸藩出身故に優秀でも将軍にはなれない慶喜を、御三卿の一橋家の養子にして、次期将軍の座を狙う派閥:越前の松平春嶽と橋本左内・水戸の徳川斉昭・老中阿部正弘)の1人であった。しかし、斉彬は病死する。彼の尊王攘夷の思想(アジア主義と言った方がいいかも知れない)の影響は、その後の薩摩藩に浸透する。最大の後継者は西郷であると言ってよいが、同じ尊王攘夷と言っても長州とは一線を画す幕府内の改革派であった。しかし、南紀派の井伊直弼に権力闘争で破れ、安政の大獄で一気に暗転してしまう。
以降、薩摩は生麦事件をきっかけに薩英戦争を戦い、攘夷の限界を知ったのだが、蛤御門の変では、会津と幕府側で共に長州と戦った。
薩摩の転機となったのは、第一次長州征伐で、西郷の斡旋で無血の戦いに終わらせた。その後の長州もまた四国連合艦隊との戦いで攘夷の限界を知り、薩長同盟=倒幕へ向かうことになる。第二次長州征伐でも結局薩摩は動かず、14代将軍家茂の急逝で幕府側は兵を引く。
大政奉還という第15代将軍慶喜の策を薩摩は蹴り、軍事的な倒幕へ舵を切る。鳥羽伏見の戦いから、戊辰戦争へと進むわけである。薩摩藩の幕府内改革から、倒幕への方向転換が、全てを決めたと言えるだろう。
さて、先日学院の社会科のM先生と、幕末史で最も好きな人物を訪ねたのだが、大久保利通(当時は一蔵)の名が出た。たしかに、下士から久光に囲碁で取り入り、親友の西郷に並ぶ出世をした傑物であり、鳥羽伏見の戦いで岩倉具視と錦の御旗を捏造(本日のAI画像参照)し、水戸出身(藩是は家康の遺訓であり、同時に隆盛した水戸学は、朝廷への忠義を謳っている)の慶喜を朝敵扱いし、江戸帰還へと貶めた。私も最強の人物だと思っている。私は?と問われ、勝海舟と山岡鉄舟、さらに松平容保ら幕府側の逸材を挙げた。これはまあ、判官贔屓である。
幕末史の面白さは、膨大な数の魅力に溢れた人物像にあると思う。しかしメタに見た場合は、この薩摩の背信にこそあるといえる。



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