2019年6月3日月曜日

マラッカ海峡物語を読む。

日本に一時帰国した際に購入した「マラッカ海峡物語」ーペナン島に見る多民族共生の歴史ー(重松伸司著/集英社新書 2019.3.20発行)をやっとこさ読み終えた。長くかかったのは、途中「社会学史」に完全に浮気したこともあるが、読みにくい文章であったことはいがめない。個人的に内容に関して、ものすごく興味があるのだが、どうも書かれている内容がバラバラにプラスチックバック(ビニール袋)に投げ込まれているような感があって読みにくかった。

とはいえ、ペナン島がイギリスの東インド会社によって領有され、それまでこの海峡で活躍していた様々な海の商人が島に居住していく歴史のダイナミズムが面白い。アラビアのイスラム商人、福建や客家、広東の華僑、地元のマレー人、ベンガル湾を渡ってきたインド人。そしてポルトガル人、オランダ人、アルメニア人。各民族にまつわるストリートの名前を確認するだけのために、ペナンの中心地、ジョージタウンにもう一度行ってみたいなと思わせる。

マレーシアにあると、どうしても中華系やインド系の人々はどうして、ここマレーシアに存在しているのかということを考えてしまう。彼らにとっての祖国はマレーシアであるのに、である。彼らの祖先はどういう理由でここに来たのか、こういう問いにこの本は、ペナンを基準として、ある程度答えてくれる。

マレーシアの歴史から大きく見れば、中華系は主に錫の開発のために来た、インド系はブラジルから輸入した天然ゴムのプランテーションの労働力として、さらに英語が使える公務員として、などというのが定説である。

ところが、それ以外にも来馬の理由があった。たとえば、インド系は囚人がインフラ整備のために送り込まれていた。あるいは、華僑集団の対立が治安悪化を生み、その対策としてセポイ(兵士)を呼び寄せたり、シーク教徒も呼び寄せられている。イギリスからすると、植民地のインド系はこういう使い方をされたのだろう。有力華僑もまた、錫だけでなく、清朝との関係の中で様々な貿易や荷役など地縁血縁でどんどん呼び寄せ、自集団の勢力拡大に使っている。

本の帯に「人間は共存可能だ」という綺麗ごとが書かれているが、ペナンでは実際のところ、華僑やインド系の有力者が事実上の治安をまかない、各集団内のもめ事を一手に引き受けて、イギリスの統治を助ける装置として存在していたというのが正しい。(イギリス人の友人もいるが、彼らのやり方は「狡猾」としか言いようがない。)

貿易の利権をめぐって様々な対立も起こっているし、特に華僑集団間の抗争は半端ではなかったようだ。こんな中で、ポルトガルやアルメニアはペナンから引き上げっていったようだ。たしかに、この頃から、少なくとも宗教的な対立は起こっていないようだ。他の民族集団の宗教への寛容さというより、無関心といったほうがいいのかもしれない。ペナンにも、モスクや道教寺院、ヒンドゥー寺院、シーク教の寺院などが各民族集団の居住地と重なるように建てられていく。この伝統はKLでも同じようだ。

マレーシア憲法を読むと、独立にあたって、中華系、インド系の居住者を、定住者(つまりはマレーシア国民となることを望む者)とそれ以外に必死に振り分けようとしているようだ。たしかに、呼び寄せられただけの者もいるし、季節的な移住者もいる。たしかに大問題だったと思われる。

ふと、バスに乗っていると、やはりみんなどこから来たのだろうと思う。ラマダン中のマレー系も、どこか田舎の村から大都会KLに出てきたのだろうか。額に赤や白のビンティをつけたインド系も祖先は何を生業にしていたのだろうか、そして個性豊かなファッションをしている中華系も…。中華系の学生に聞くと、最近は華僑の出身地を問題にする傾向はかなり薄れてきたという声が多い。一人一人に様々なヒストリーがあるんだろうなあ、などと(一応そう規定されているだけかもしれないが)単一民族国家の日本人は感慨にふけるのである。

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