2011年1月9日日曜日

スーダンの国民投票 覚書

 1月9日は、スーダン南部の独立の是非を問う国民投票の日である。スーダンの南北内戦の最終決着をはかる日である。日本も監視団を送っているわけであるが、これがなかなか複雑なのである。詳しい歴史を書き始めると、かなり長くなる。そこで、覚書程度に記しておきたい。
 地理の授業では、首都のハルツームは、青ナイルと白ナイルが合流する街で、しかも、この街を基準に、北がホワイト・アフリカ、南がブラック・アフリカと分けることができると教えている。すなわち、スーダンは、ホワイト・アフリカとブラック・アフリカが合体しているわけだ。このホワイトとは、人類学上白人に分類されるアラブ人を意味する。(すなわちイスラム教徒であり、アラビア語をしゃべるのである。エジプト・リビア・マグレブ諸国などのアフリカである。)スーダンは、この北部が独立以来、政権を掌握してきた。一時、南部にもシャリーア(イスラム法体系)を強要したりして、確かにキリスト教や土着の信仰もつ南部の黒人から見ると、宗教的対立だといえなくない。
 現在、スーダンはりっぱな産油国で、開発や輸入の多くを中国がおさえている。ここでも中国登場である。スーダンは、古くからの南北内戦だけでなく、西スーダンのダルフールでの虐殺も起こしている。このアフリカの超問題政府を中国が支援し、武器も中国製であることが指摘されている。
 ともあれ、南部が独立するのは時間の問題かもしれないが、まだまだ問題がある。石油は南部に多く産出するからである。北部政府は、現在、パイプラインでこれを南部から北部へ運んでいるわけだが、Miyaさんの「アフリカのニュースと解説」の昨年3月7日付の”豊田通商のパイプライン計画(スーダン~ケニア)”という記事を読んでみると、よくわかるが、これから南部が独立したとしても、そのレントを生かして開発が進むかというと、ホント、前途多難なのである。ふぅー。(ため息である)
 と、いうわけでコートジボアールのデモクレイジーとともに、スーダンの国民投票も気が重いわけだ。
「アフリカのニュースと解説」”豊田通商のパイプライン計画(スーダン~ケニア)”
http://let-us-know-africa.blogspot.com/search/label/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%B3

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