2012年3月5日月曜日

アフリカで「屠る」ということ

椎野さんのアフリカ便りより
久しぶりに『NPO アフリック・アフリカ』のHPを覗いてみたら、「アフリカ便り」として2本のエッセイが発表されていた。2月のテーマは「屠る」というわけで、アフリカで家畜を飼っていて、それを当然のように屠ることについて書かれていた。筆者は早稲田大学の岩井雪乃さん(助教)と、東京外国語大学の椎野若菜さん(准教授)である。

岩井さんの話は、学生を連れて、ニワトリの屠殺を経験させる話である。肉を食することにおいて自然な営みを知らない日本の若者に対しての危惧が示されている。私自身は、タンザニアの人々に対する岩井さんの考察が興味深かった。『死があり、生がある。生態系の様々な生物の生と死の循環の中に、自らの生を位置付けているのだろう。』…岩井さんの言わんとすることがわかる気がする。

椎野さんの話は、ルオ人の話だ。実は、このブログでも何度か登場した故ピーター・オルワ氏はルオー人である。だから、子牛やニワトリと同居するといった、ルオー人の日常的な家畜との関わりの話、余計親密感がわく。

今年も故ピーター・オルワ氏の命日(3月22日:実は私の誕生日でもある。)が近づいてきた。きっと、ナイロビからルオーの村にピーターの遺体が運ばれた時、彼のために牛が屠られたのだろう。あらためて合掌である。

昨日の毎日新聞朝刊5面に、ハンセン病元患者の詩人桜井哲夫さんの逝去(昨年12月28日・87歳)の報が、昨年人権学習で本校に来ていただいた(昨年7月15日付ブログ参照)金正美さんの文章(タイトルは『生老病死を楽しんで』)で載せられていた。
その中の「病むことも生きることも死も、気持ち一つで『楽しい』と、冬のひまわりのようにまぶしく笑っていた。」という一文に、私は心打たれた。合掌。

岩井さんの話と故桜井哲夫さんのこと、椎野さんの話と故ピーター・オルワ氏のこと、それぞれが私の中で結びつき、あらためて『生と死』について考えた次第。

岩井雪乃/殺しても食べる(タンザニア)
http://afric-africa.vis.ne.jp/essay/slaught01.htm

椎野若菜/暮らしの中の「屠る」行為ーケニア・ルオ社会の場合(ケニア)
http://afric-africa.vis.ne.jp/essay/slaught02.htm

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