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この時期(17世紀)のスコラ哲学は、デカルトらと同じくらい大きな存在で、スコラ哲学が退潮していくのは19世紀に入ってからで、それまでは正統化された学問であった。上智大学神学部が、トマス・アクィナスを中心としたスコラ哲学を今もやっているのと同様、ドイツの神学部でもプロテスタント・スコラを学んでいる。よって、スコラ哲学は別の公理系として今も続いている。スコラ哲学は克服されたという一般史的の考え方は実態からずれている。(P181)
デカルトは、実は熱心なカトリックで、スウェーデン女王の家庭教師時代には女王を改宗させている。(画像参照)カトリックは合理主義と矛盾しない。合理性というものは神から付与されたものだと考える。救いが確実であることを合理的に組み立てていけばいい、神秘主義も合理的。こういう組み立てはカトリック的である。一方、プロテスタントは、特にデカルトの時代は極めて復古主義的で、反知性的であったため、このような考え方には行き着かなかった。その後、シュライエルマッハーが神を内部に留めた後は、プロテスタンティズムは合理的思考をするようになる。(P184)
デカルトの神の存在証明は、中世では証明する必要はなかった。神が主で、人間が上がっていこうとする主従の関係があった。しかしデカルトでは、(第一証明がまずあるので)人間が主、神が従となり逆転している。よって、デカルトの神の存在証明は中世の本体論証明とは本質的に異なっている。(P189)
デカルトの二元論は、神と被造物という二元論、その被造物についても、精神と物体との二元論であり二重の二元論である。たしかに淡野氏の言うように、哲学史は、前述のように一元論と二元論の間を振り子のように振幅する、というのがデカルトの基本テーゼであるといえる。(P192)
…スコラ哲学が19世紀までは正統であったこと、違う公理系として今なお存続(上智大学新学部の件は知っていたが)していることは、意外だった。スコラ哲学=中世という理解は改めなければならない。またデカルトが熱心なカトリック教徒であったことにも驚いた。カトリックの学校でお世話になっている身としては、この神秘主義をも含んだ合理性という感覚は少しばかり感覚的にわかる気がする。また「シュライエルマッハーが神を内部に留めた後」という記述については、バルトの解説本などで読んでいたので、なんとなく理解可能。デカルトの神の存在証明が逆転していることも十分理解できる。最後の二重の二元論も以後の振り子のような振幅も納得の記述であった。



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