2025年12月5日金曜日

佐藤優 哲学入門 備忘録8

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佐藤優氏の『哲学入門』(角川書店/2022年)の付箋をつけた箇所の備忘録エントリーの第8回目。「ローマの神学者テルトゥリアヌスの、神学に哲学が不当に侵入していること」について。

前述のユスティノスやクレメンスは、哲学と神学の関係を調和的に理解しているが、テルトゥリアヌス(160年~225年頃:画像参照)は、対立的に理解していく。ユスティノスやクレメンスの考え方は、シュライエルマッハーや自由主義神学者、あるいはドイツのプロテスタント神学者ティリッヒに近く、テルトゥリアヌスの考え方は、バルトやチェコのプロテスタント神学者フロマートカに近い。後者の半哲学的・反知性主義のほうが、キリスト教神学ではメインストリームであるとのこと。(P69)

テルトゥリアヌスは、『異端者への抗弁』の中で、「アテネとエルサレムの間に何の関係があろうか。アカデメイアと教会の間に何の関係があろうか」と、神学と哲学の関係性を否定している。前述のマルキオンはストア派の出身であると。(P70-1)

さらにテルトゥリアヌスの「魂は死に従属しているということは、エピクロスの道を行くことである。」という箇所について、佐藤優氏は、重要なことを提示している。キリスト教でも肉体と魂があり、死ぬと同時に肉体は滅ぶ。ただし(魂は)復活する。エピクロスにおいては(魂の)復活はなく滅びておしまい。エピクロスは、グノーシス派やプラトン主義者のように魂は永遠に生きるとは考えない。ゲーテの『ファウスト』の魂はずっと生きて、そのまま彷徨っているなどという見方は当時のカトリシズムの標準的な見方で、現在もこのような発想が時々出てくる。プロテスタンティズムでも学園紛争の時代に学生(あまり勉強していない)だった同志社出身の牧師が葬式で、「今魂が自由になって天に上りました。」などというグノーシス派のような説教をしている場合もあるとのこと。確認:キリスト教神学では肉体も魂も滅ぶ。ただし復活する。(P70-2)

…この死生観は極めて重要だと思う。ブディストから見ると、この”復活する”という確信は正直なところ、やはり奇異に映る。ミケランジェロの最後の審判では、30歳くらいの肉体で復活する様が描かれているのだが…。

テルトゥリアヌスが言及している異端の多くは、グノーシス派、就中前述のマルキオンである。マルキオンは、旧約の神ヤハウェは悪神であり、キリスト教の神とは異なるとし、ユダヤ人は悪い律法をつくった、旧約聖書は一夫多妻を認めたり、暴力(ペリシテ人を殺せ)などが溢れていたりするとした。この反ユダヤ主義と繋がるのが、先日(11月4日ブログ参照)のドイツキリスト者である。(P72-3)

…ここでも神学と哲学の関係がさらに深く描かれている。ちなみに、チェコのプロテスタント神学者フロマートカとは、佐藤優氏の研究テーマであった神学者である。

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