2025年12月4日木曜日

佐藤優 哲学入門 備忘録7

https://tetugakunou.com/yohane-rogosu/
佐藤優氏の『哲学入門』(角川書店/2022年)の付箋をつけた箇所の備忘録エントリーの第7回目。「キリストはロゴスであり、ノモスである」について。

この「キリストはロゴスであり、ノモスである。」という、キリストとギリシア哲学ならびに旧約聖書との関係についての要約は、しばしば文学に見出されるとのこと。「ロゴス」とは言葉という意味のギリシア語でプラトン哲学で重要な意味を持っている。「ノモス」は法律を意味するギリシア語で、キリスト教信仰においてはパウロによって律法に割り当てられる重要な意味を持っている。この「キリストはロゴスでありノモスである」という言で、ノモスを強調しているのは、イエス・キリストが律法の完成者であることを意味している。(P67)

新約聖書は多くの場合、福音に対する2つの広義な聴衆の存在を明らかにしている。すなわちユダヤ人とギリシア人である。パウロのコリント人の信徒にあてた第一の手紙に「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。」(第1章22)とあるのだが、ここでいうユダヤ人のしるしとは、割礼である。神との結びつきのしるしなのだが、すでに律法はキリストによって完成されしまっており、キリスト教徒は洗礼によって結びつくろ考える。それと同じように、ギリシア人が持っているところの知恵(=哲学のこと)は十字架にかかって死に復活したキリストによって完成されている。だからキリスト者はもはや哲学にもこだわらないのだ、ということになるとのこと。(P68-9)

…なるほど。神学からの哲学への視点がよくわかる。ちなみに、ヨハネの福音書のロゴスからの視点は以下のHPが面白い。https://tetugakunou.com/yohane-rogosu/

0 件のコメント:

コメントを投稿